2011年3月20日日曜日

*Nuclear Power Plant in Fukushima

●記事訂正

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M氏について批判したことについて、
以下のような抗議のコメントが届いた。

『再度、失礼いたします。

わたしは心を込めてコメントさせていただきました。
でもそのコメントはこちらのweb siteでは公開されないのでしょうか…。
認められないとみなされたのでしょうか。それでは一方的なご発言で個人を傷つけること
です。

貴方が冷血漢と名指しで批判なさったNHK・M氏解説委員は放
射線量の高い危険な放水作業チームにおいてメンバーの放射線量チェックをされながら任
務を果たされた消防庁の方のお名前をきちんと挙げて讃えていらっしゃいました。
報道には時間制限を伴います。
危機感を持ちながらも、どの程度までを報道すべきかを鑑みながら判断して話さなくては
ならないのです。その中で水野氏はご自分の為すべきことを冷静にされたと思いますよ。
労いの言葉が欠けたことで、M氏の人格までも批判されたことは氏の報道姿勢に対して
大変失礼だと思います。

是非訂正していただきたいと願います。時間を追うごとにキャスターは次々に変わります
が、原発事故以来、氏を見ない日はありません。
それこそ不眠不休で彼の業務に真摯に臨んでいらっしゃると思います。

どうかよろしくお願いいたします』(Sより)

 個人攻撃といっても、M氏は、公人。
私の印象について書いた。
記事の内容について弁解はしないが、日本中が今、神経質になっている。
私もその1人。

【山荘にて】(はやし浩司 2011-03-19)

●2つのルート

 山荘へやってきた。
時刻は午後9時、過ぎ。

山荘へ来るルートは2つある。
一度山の上方に向かい、そこから下へくだるルート。
このときは、いくつかの農家の前を通る。
もうひとつは、谷の下から、細い曲がりくねった坂を登るルート。
途中に農家はない。

夜中に来るときは、後者のルートを選ぶ。
このあたりの人たちは、眠るのが早い。
車の騒音が、山々の間で大きく響く。

 が、車をTOYOTAのプリウスに替えてからは、その心配がなくなった。
農家のあるあたりは、下り坂。
エンジン音をたてることもなく、坂をくだることができる。
今夜も、そうしてやってきた。

●大災害

 つい先日まで、エジプトもリビアも北朝鮮も、みな他人ごとだった。
戦争も災害も騒乱も、そして地球温暖化さえも、他人ごとだった。
水不足も食料不足も、みんな、他人ごとだった。
「日本は日本」と考えていた。
「私は私」と考えていた。

 しかし、今はちがう。
「日本だけは別」という考え方が、粉々に散り去った。
「私」という私さえ、粉々に散り去った。
人は、こうも簡単に死ぬものなのか。
町や村は、こうも簡単に消えるものなのか。
そこにあった、町の臭いがこうも簡単に消えるものなのか。

 自然災害だけではない。
原子力発電所が爆発した。
(「爆発」といっても、原子炉そのものが爆発したわけではないが……。)
目に見えない放射線であるだけに、恐ろしい。
その不気味さは、底なし。
底なしの不気味さ。
そのまま日本が消えてなくなってしまう。
そんな不気味さ。
それがジワジワと、足元から上に、やってくる。

●罪悪感

 懸命に想像してみようとする。
どんな気持ちだろうと、懸命に想像してみようとする。
が、それができない。
家を失い、家族を失い、何もかも一瞬にして失った人の気持ちを懸命に想像してみよう
とする。
が、それができない。
緊張感がつづかない。
途中で、意識がそのまま薄れてしまう。

 この身勝手さ。
冷酷さ。
幼稚な自己中心性。

 今、こうして山荘にいることにさえ、罪悪感を覚えてしまう。
「家を失い、行き場所もない人がいるのに」と。
夕食をどこかで食べたり、暖かい布団に入るときもそうだ。
心の壁にペタリと張り付いた罪悪感を、ぬぐい去ることができない。

 おいしいものを口にしても、そのおいしさが、のどの奥に入っていかない。
楽しいはずの番組を見ても、上の空。
すぐチャンネルをかえ、ニュースを見てしまう。

●自分の子vs他人の子

 教師は、いつも心の中で葛藤する。
自分の子どもvs他人の子ども。
中には、「自分の子と他人の子は別」と言う教師もいる。
正直な教師である。
いくら家の外で高邁な教育論を説いても、家の中へ入ると別。
別人になる。
そこでは父親であり、母親である。

 実は私も苦しんだ。
35歳になるころまで、苦しんだ。
ときどき自分の心がバラバラになっていくように感じたこともある。

 が、今は、ない。
むしろ「自分の子ども」という意識も、ほとんど消えた。

少し前まで、こう思ったことがある。
「私は孫にも自由に会えない。だから生徒が私の孫」と。
が、その気持ちも、このところ消えた。
人間と人間の関係?
そんな関係になりつつある。

 が、それでも不十分。
今度の大震災のニュースを見ながら、それを思い知らされた。

●解説委員のM氏へ

 たまたま今、テレビを見ていた。
東京消防庁の命がけの活動により、福島原発3号機への放水が成功した。
よかった!
うれしかった!

 放水のおかげで、それまで数十ミリシーベルもあった放射線が、ゼロになった。
東京消防庁の隊員が、そう言った。
それに対して、M氏は、「それなりの効果があったようです」と。

 怒り爆発!

 ふつうの心をもった人間なら、一言、感謝の言葉があるべき。
「ごくろうさまでした」、「よかったです」くらいは、言ってもよい。
「ありがとうございました」でもよい。
それを「それなりの効果があったようです」と。

冨岡豊彦さんほか、東京消防庁の隊員たちのみなさん、ありがとう!
あなたたちこそ、日本の英雄だ!

●風向き

 話題を変えよう。
朝からこんな気分では、よくない。
今日は、日曜日。
が、考えることといえば、大震災のことばかり。
見ているのは、報道番組ばかり。

 ……今まで、こうまで風向きを心配したことはなかった。
が、今は、天気予報を見ても、風向きばかりが気になる。

 先日、防衛省の大臣が、「(放水するための)今日が限度」というようなことを言った。
私はそれを聞いて、「大臣は風向きのことを言った」と感じた。
不幸中の幸いというか、福島原子力発電所の周辺では、ずっと西風が吹いていた。
陸側から海側に、風が吹いていた。

 放射能の拡散は、風向きによって大きな影響を受ける。
が、今日は、午前中は、東風。
海側から陸側に吹く。
防衛省の大臣が恐れていたのは、それではないか?

 しかしここで誤解してはいけないことがある。
今回の東京電力の福島原発事故は、チェルノブイリのあの事故とは、基本的な部分で
異なる。
今回の事故では、いわゆる「死の灰」は、拡散していない。
放射能といっても、ガンマ線を中心とした「放射線」。
燃料棒を原発内に閉じ込めることができれば、被害を食い止めることができる。
もしこのまま燃料棒を閉じ込めることができれば、あとは時間が解決してくれる。
少し時間がかかるかもしれないが、あとは時間が解決してくれる。

●日本はすばらしい

 私たち日本人は、すばらしい。
私がそう思うのではない。
外国の特派員たちが、みな、そう書いている。

これほどまでの震災を経験しながら、みながみなを助けあっている。
秩序正しく、みながみなの悲しみやつらさを共有している。
そこに壊れたコンビニがあっても、略奪するような人はいない。
自分の取り分が少ないからといって、大声を出してそれに抗議する人もいない。
おにぎりを出されれば、みな、「ありがとうございます」と言って、頭をさげる。
そのやさしさ。
穏やかさ。
それこそが、まさに私たち日本人の美徳。
守るべき美徳。

 震災で多くの人たちが犠牲になった。
しかしその震災が教えてくれたものも多い。
それを守り育てていくことこそが、震災で犠牲になった人たちへの償いになるのでは
ないか。
「償い」。
私たちはあまりにも、「私」にこだわりすぎていた。
自分勝手だった。

 ……たった今、ワイフが床から起きてきた。
「何かあった?」と。
「うん、放射線の量が減っている」と私。
「よかった」とワイフ。

●今日も始まった

 今日は午後から雨。
窓の外を見ると、風もない。
こういうときは焚き火をし、枯れ葉を処分するのがよい。
しかしこのところ、焚き火をするのも、気が引ける。
都市部では、焚き火を禁止しているところが多い。
先日も横浜から来た友人が山荘に泊まった。
その友人が、こう言った。
私が焚き火をしているのを見て、「焚き火を見るのは20年ぶり」と。

 ……しかし枯れ葉が山のようになっている。
たい肥にするという方法もあるが、その時間がない。
その前に、春の方が先に来てしまう。
庭の畑も、やっと半分、耕したところ。
加えて今は、何もかも、目まぐるしく忙しい。
やることが、山のようにある。

 ……ということで、これから家に帰る。
みなさん、おはようございます。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司  東京消防庁 冨岡豊彦さん はやし浩司 2011-03-20)

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