●あの世vsこの世
+++++++++++++++++++++++++
あの世がsub(従)で、この世がmain(主)と
考えるのには、無理がある。
私たちは今、(この世)で生きているから、どうしても、
(この世)を中心に、ものを考える。
しかし、これはおかしい。
常識で考えれば、私たちが考えているあの世こそが、
main(主)ではないのか。
もしあの世があるとしたら、そうなる。
また(この世)には、極楽もあれば、天国もある。
地獄もある。
むしろ(この世)のほうこそ、実は(あの世)ではないのか。
人の一生にしても、あまりにも短い。
長くて100年前後。
100年などというものは、瞬間。
まばたきの、そのまた、まばたきの長さでしかない。
一方、(あの世)には、時間さえない。
死すらない、未来永劫の世界。
+++++++++++++++++++++++++
●この世は、実はあの世のあの世
今日もドライブをしながら、ワイフと、「あの世」の話になった。
きっかけは、昔、島倉千代子が歌った、『♪この世の花』。
私がその歌をふと口ずさんだら、ワイフが「大げさな歌ね」と。
「この世の花」の「この世」という部分が、大げさ、と。
それで「あの世論」になった。
(おかしなきっかけだが、事実は、事実。)
で、結論は、こうだ。
「ぼくたちが思っている(この世)こそが、実は(あの世)の(あの世)。
ぼくたちが思っている(あの世)こそが、実は、(この世)。
ぼくたちは(あの世)の住人で、ときどき(この世)へやってきて、(この世)を経験する。
この世には、天国もあるし、地獄もある。
あの世で悪いことをした人は、この世へやってきて、地獄を経験する」と。
……というような話は、すでに何度も書いた。
この「この世はあの世」論は、(その反対でも、もちろんよいが)、はやし浩司の
オリジナルと考えてもらってよい。
古今東西、そんなことを説いた宗教家はいない。
またそういう宗教も、ない。
●自己中心的
するとワイフが鋭いことを言った。
「あの世の人たちが、こんなこの世に来たがるかしら?」と。
たとえて言うなら、私たち人間が、生まれ変わって、虫の世界に入るようなもの。
アリでもよいし、コオロギでもよい。
もう少し高等な生物ということになれば、ワニでもよいし、鳥でもよい。
ワ「私なら、いやだわ。虫になるなんて。
だってそうでしょ。
あの世の人たちは、何万年のそのまた何万年も生きるわけだから、きっと私たち人間より、
はるかに頭もいいはずよ」
私「そうだな。
そう考えると、ぼくもいやだな……。
あえて虫の世界など、経験したくもない。
ただね、あの世の住人してみれば、この世に生まれてくるのは、映画でも観にいくような
ものかもしれないよ。
ちょっと2、3時間、あの世へ行ってくるわ、とね」
どうであれ、つまりあの世がこの世であれ、またその反対であれ、現在の(この世)が、
「メイン(主)」と考えるほうが、おかしい。
それこそジコチュー。
あまりにも人間中心的。
それに視野も狭い。
もしあの世が本当にあるならという、前提での話だが……。
●「いやだね」
が、ここで疑問が発生する。
つまりワイフが言ったように、仮に今、私たちが(あの世)の住人だったとする。
(あの世)で、幸福で満ち足りた毎日を送っている。
そんな住人が、わざわざ地球上の(この世)へやってくるだろうか。
そういう疑問である。
人間でなくてもよい。
アリでも、コオロギでもよい。
ワニでも、鳥でもよい。
仮にやってくるとしても、何のために?
それがわからなければ、こんな例で考えてみればよい。
どこかのだれかが、あなたにこう言ったとする。
「今度、あの世で虫の世界を経験してみようか。
もし君が望むなら、アリの世界でもよい。
働きアリというアリだ。
あの世へ行って、虫になって生まれ、虫の一生を経験する」と。
そこであなたがそれを望むと、あなたは地中深くに眠る、アリの卵になる。
卵になって、孵化するのを待つ。
……たぶん、私なら、こう言うだろう。
「いやだね」と。
「そんな経験をして、どうなるの?」とも。
同じように、人間の世界だって、そうだ。
私なら、やはりこう言うだろう。
「いやだね」と。
●結論
……こうして考えていくと、矛盾ばかりが生じてくる。
あちらで矛盾、こちらで矛盾……、と。
へたに「あの世がある」というから、そうなる。
が、「ない」とすると、すべての矛盾が霧散する。
シンプルでわかりやすくなる。
私たちは死ねば、電気を消すように、そのまま消えてなくなる。
私「やはり、あの世というのは、ないということになるね」
ワ「どう考えても、そうなるわね」
私「そうなんだよ。つまり死んだら、おしまい」
ワ「そうね、人間だけが特別だなんて、おかしいわ」
以下はあくまでも、私の考え。
私には、あの世があるのか、ないのか、わからない。
わからないが、今は、私は、「あの世はない」という前提で生きている。
言うなれば背水の陣。
毎日が、断崖絶壁に追いつめられたような状態と言ってよい。
が、もし死んでみて、あの世があれば、もうけもの。
そのときは、そのとき。
あの世で、のんびりと、新しい人生を歩む。
最後にワイフがこう言った。
「(あの世)と(この世)をあべこべにしたような映画はできないかしら?
きっとおもしろい映画になるわよ」と。
……ここに書いたことは、つまりは、その程度の話。
あまり本気にしないでほしい。
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2011++++++はやし浩司・林浩司
2011年3月7日月曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。