2010年8月2日月曜日

*Those who are cheated are blessed

●今朝、あれこれ(8月1日)Aug 1st 2010

●だまされた人(Those who are cheated.) 

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だまされた人は、幸いなるかな。
損をした人は、幸いなるかな。
裏切られた人は、幸いなるかな。
それによって失った以上のものを、
心の中に蓄えることができる。

が、それにはひとつ、重要な条件がある。

だまされても、損をしても、
裏切られても、相手憎んではいけない。
恨んでもいけない。
ある賢者は、こう言った。

『人を憎む人は、ネズミを追い出す
のに、家に火をつけるようなもの』と。
解釈の仕方はいろいろあるだろう。
それよりも大切なことは、豊かな
人間性を失うことなく、前に向かって
生きていくこと。

憎んだり、恨んだりすれば、生き様が
どうしても後ろ向きになる。
その分だけ、「命」を損する。
その「損」は、金銭的尺度では、
計ることはできない。

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●中学生

 昨日、コンビニの前で、プリンターのインクセットが盗まれた。
盗んだのは、横に自転車を並べていた中学生だった。
私がトイレへ入る瞬間、私と視線が合った。
どこか不自然な目つきだった。
「?」と思ったが、私は何も考えずそのままトイレへ。
その間に、私の自転車のかごの中から、インクセットを盗んだ。
トイレから戻ってみると、それが消えていた。
値段は5000円前後。

 インクセットなどというものは、プリンターによって、みなちがう。
盗んだからといって、すぐ使えるものではない。
瞬間、頭にカチンときたが、つぎの瞬間、「あんなもの盗んでどうするのだろう」と思った。
「どこかで換金するつもりなのだろうか」とも。

●結果

 心の貧しい人は、どこにでもいる。
子どもの中にもいる。
ここに書いた中学生も、その1人。

まだ人生の入り口にも立っていなような子どもが、人の目を盗んで、ものをかすめる。
一度ゆがんだ心をもとに戻すのは、たいへん。
たいへんというより、不可能。
その子どもはこの先、「得をした」と思いつつ、それ以上のものを、失っていく。
損得論を金銭的価値だけで考えてはいけない。
心の世界で、考える。

おそらく死ぬまで、その中学生は自分の愚かさに気づくこともないだろう。
回り道に回り道を重ね、悶々とした気分で、自分の人生を終えるだろう。
私の周辺にも、似たような老人は多い。
結果として、そうなった老人は多い。

●回り道

 人生の真理などというものは、そんな遠くにあるのではない。
私たちの身の回りにあって、私たちに見つけてもらうのを、静かに待っている。
ウソをつかない。
ルールを守る。
たったそれだけのこと。
その日々の積み重ねが、月となり、年となり、やがてその人の人格となる。 

 もちろんその反対もある。
私はここで「回り道」という言葉を使った。
人生も永遠なら、多少の回り道も許される。
しかし人生には、限りがある。
一度回り道をすると、それを取り戻すのに、何倍もの時間と労力を無駄にする。
回り道が大きければ、取り戻す間もなく、この世を去る。
そういうことにもなりかねない。

●2つの心がけ

 ところで私は、つぎの2つのことに心がけている。
「心がける」ということは、言い換えると、私の精神的弱点ということになる。

(1) 愚痴を言わない。
(2) ものごとにこだわらない。

 愚痴(Complain)も、こだわりも、うつ病を含む、もろもろの精神疾患の主症状である。
アメリカの精神医学会では、そう定義づけている。
つまり最近の私はささいなことにこだわり、愚痴をこぼすことが多くなった。
が、自分ではそれがわからない。
脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、自分で気づくのはむずかしい。
うつ病にしても、病識のある人はまだ症状は軽い。
「私はなんともない!」とがんばる人ほど、あぶない。

 だから愚痴を言わない。
ものごとにこだわらない、となる。

●人を選ぶ

 話を戻す。

 「回り道をしない」という生き方の中には、「人を選ぶ」という意味も含まれる。
というのも60年も生きてくると、その人の生き様は決まってくる。
言うなれば化石のように、脳の中で固まってくる。
よほどの人でないかぎり、たがいに感化しあい、浄化しあうということは、ありえない。

 たとえばそこに小ずるい人がいたとする。
小ずるいと、そこに「小」という文字を入れるが、小ずるい人ほど、性質(たち)が悪い。
堂々とワルを重ねる人のほうが、まだつきあいやすい。
わかりやすい。
善悪の節目をよく心得ている。

 が、小ずるい人には、その節目がない。
善人のフリをして、ワルを重ねる。
あるいはその意識すら、ない。
だからそういう人とつきあっても、得るものは何もない。
ないばかりか、大きな回り道をすることになりかねない。

 『50歳を過ぎたら、つきあう人を選ぶ』。
これはとても重要なことである。

●金の貸し借り

 金銭的尺度という言葉で思いついた。
もしあなたが、その人と良好な人間関係を保ちたいと願っているなら、金(マネー)の
貸し借りはしてはいけない。
貸しても、借りても、それ以後、うまくいくというケースは、10に1つもない。
だから私は、若いときからこうしている。

 金(マネー)にかぎらず、モノの貸し借りはしない。
ローンにしても、ツケにしても、1週間以内に完済する。
まただれかが金(マネー)を借りに来たときは、相手によって、2分の1から
10分の1を、与える。
たとえば100万円を借りに来たときは、10~20万円を与え、「返さなくてもいい」
と、はっきりと言う、など。

 貸してあげたからといって、相手は、決してそれを恩には思わない。
返済がとどこおれば、なおさらである。
たいていそのまま人間関係は、終わる。
相手のほうが、理由にもならない理由をこじつけて、遠ざかっていく。

●8月1日

 冒頭で、こう書いた。

「だまされた人は、幸いなるかな。
損をした人は、幸いなるかな。
裏切られた人は、幸いなるかな。
それによって失った以上のものを、
心の中に蓄えることができる」と。

 言い替えると、人をだましたり、裏切った人は、それなりに得をしたと思うかも
しれない。
しかしその一方で、もっと大切なものを失っていく。
そしてその失ったものは、生涯にわたって、取り返すことはできない。
そこに残るのは、悪臭漂う、腐敗した人間性。
あの中学生の末路は、そうなる。

 さて、今日から8月。
暑い日がつづく。
がんばろう。
がんばるしかない。
で、今月の目標。

『日々に精進あるのみ!』だ!


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

●孤独

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時事通信にこんな興味ある記事が載っていた。
いわく……

『家族や友人、隣人に恵まれた高齢者は、孤独な高齢者に比べ、生き延びる確率が1.5倍も高いと、米ブリガムヤング大などの研究チームが2日までに米オンライン科学誌プロス・メディシンに発表した。孤独であることは、アルコール依存症やたばこを1日15本吸うのと同じぐらい健康に悪いという。

 この研究は、世界で過去に行われた148種類、計約30万8900人を対象とする長期調査をまとめて分析し直した成果。調査期間が平均7年半で、対象者の平均年齢は約64歳。男女ほぼ半々で、地域別では北米51%、欧州37%、アジア11%、オーストラリア1%だった。

 研究チームは、人付き合いがある方が生存率が1.5倍高いというのは、けんかばかりしているような人間関係も含んでのことと指摘。日常的に人付き合いがあることは、心理面だけでなく、体の健康に直接メリットがあるという』(以上、時事通信、2010-8-2)。 

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●疑問

 この調査結果を見て、最初に感じた疑問は、「生き延びる確率」。
「生き延びる確率」とは何か。

また「対象者の平均年齢は、約64歳」だったという点。
この2つを並べて考えてみると、いろいろに解釈できる。
できるが、どうも釈然としない。

 つまり「調査期間(7年半)の間に、死んだ人と生き延びた人を調べたら……」という
ことらしい(?)。
孤独が老人の精神生活によくないことは、常識的に考えても納得できる。
また精神生活が貧弱になると、健康生活も貧弱になる。
運動もサボるようになる。
それ以上に、生活から緊張感が消える。
これがもろもろの病気を呼び込む。

 平たく言えば、「この7年半の間に、孤独だった人ほど、より多く死んだ」ということか。
「孤独な人のほうが、そうでない人よりも、1・5倍も死亡率が高い」(?)。
しかし「64歳」という年齢も気になる。
私は現在62歳。
もうすぐ63歳。
私の年齢は、世間では、そういう年齢に見られているらしい。
生存率?
活躍率や健康率ではなく、生存率?
つまり「死ぬのが当たり前」という前提で、考えられている。
イヤ~ナ感じ!
こんな調査をするくらいなら、反対に「前向きに生きる人の生存率」を調べてほしい。
そのほうが、私たちには、役に立つ。
励みにもなる。

Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

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