2010年8月10日火曜日

*School Refusal

●ある母親からの相談

++++++++++++++++++++

たまたま2人の母親から、同じような相談が
届いていた。
ひとつつは、掲示板に。
もうひとつは、相談フォームで。

++++++++++++++++++++

【Mさんより、はやし浩司へ】

娘の事です。
いじめとはちがうのかもしれませんが、
転校して初めの1週間は友達ができていたのですが、
みんな離れて行ってしまい、昼休み一人で過ごすことになっています。
ヒマになったら、トイレをしたくなるらしく、昼休み、下痢をしています。
学校には行きたくないと時々言います。
友達に入れてと言う勇気はありますが、「無理」と言われます。娘になにか問題があるのか?とても悩み、以前担任に聞いてみたら、一人ではないということでした。
娘の感じている孤独は、先生は知らないままで、「大丈夫」の一点張りです。
娘は宿題も手につかないし、悩みが深いので、それを見ている私はどうしたらいいのか、とても恐怖を感じています。
私は短気で、感情的に娘を育ててきたことをとても後悔しています。
毎日が自己嫌悪の育児でした。娘の性格がおかしくなってしまったのかもしれません。
私自身、感情がコントロールできなくて、心療内科に通ったこともありますが、治らず、とても苦しいです。
今、このような娘の問題を抱えると、自分の体が震えます。不安で不安で家事もできないほどです。
もう一度、担任の先生に相談したいのですが、「モンスターペアレント」と思われたらどうしよう・・とか、心配症の親だけですまされそう・・・などと考えどうすることもできません。
昼休み、一人で過ごすことに、苦痛を抱えた娘は、もう、見守るしかないのか?
この状況を受け入れることを頑張って考えてみるのですが、なかなか頭をきりかえるのが、難しく、説教でもいいので、どうかお返事をいただきたいです。
よろしくお願いいたします。(以上、原文のまま)

【はやし浩司よりMさんへ】

 どの家庭も、どの親子も、みな、うまくいっているようで、うまくいっていません。
こうした問題では、「私だけが……」とか、「私の娘だけが……」とかいうように、
悩んではいけません。
また悩む必要はありません。
みんなそうです。

またそうであるからといって、自分を責めてはいけません。
みんな懸命にがんばっています。
じゅうぶんすぎるほど、がんばっています。
が、どこかで小さな歯車が狂う。
狂ったまま、それが日々の積み重ねとなってしまう……。

たまたま掲示板のほうにも、こんな相談がありました(2010年8月)。
それをそのまま紹介させてもらいます。

+++++++++++++++++++++++

●掲示板へ

家族構成 祖父母・夫・私・娘(小3)息子(年中)
娘について相談させて下さい。

去年半年程不登校になり先生のHPを参考にスキンシップ、温かい無視など出来るだけ
実践し復学できるまでになりました。
それでもまだ私の顔色を見たり指示、許可を求めるところなど気になります。
私は怒鳴って叱りつけることはありませんが、育児の指針がなく不安定です。

二世帯住宅で同居している実の両親と話はしますが心を開くことができません。
両親共に許容範囲が狭く、干渉してきます。
両親は不仲で会話は全くありません。

私の子ども時代はTV一つにしても見る時間、番組、姿勢など細かく注意されてきした。
そういったことからくる潜在的意識なのか、
子どもがTVを見ているだけで許せなくなってしまう時があります。
そういった日によって違う子育てがよくないのは頭ではわかりますが
自分をコントロールできません。
経済的に別居は無理です。(一部改変)

+++++++++++++++++++++++++

●みんな不安なんですよ!

 こう見えても(?)、私も毎日、不安で孤独です。
正直に告白しますが、毎日、さみしいです。
何をしていても、さみしいです。
友だちも少なく、3人の息子もいますが、自分たちの生活で精一杯。
『便りのないのは、よい知らせ』とはいいますが、その便りも、数か月に1度あるか、
ないかだけ。

 このところ毎日のように、「私たちの子育ては、いったい何だったのか」と、よく考え
ます。
気がついてみたら、そこにはだれもいない。
がんばってきたはずなのに、その実感がない。
貯金も、子どもたちの学費で使い果たしてしまった。
「どうやって老後を過ごそうか?」を考える前に、「どうすればみなに、迷惑をかけないで
死ねるか?」。
そんなことばかりを考えています。

 が、幸いなことに、目が見える。
音が聞こえる。
歩くことも、自転車に乗ることもできる。
さらに幸いなことに、今の私は健康です。
したいことができます。
言い替えると、それ以上、私は何を望むことができるのでしょうか。

●ないものをさがさないで……

 Mさんにしても、掲示板に書き込みをくださった人も、(ないもの)を、
さがしてはいけません。
(ないもの)をねだってもいけません。
またそういう自分を、嘆いてもいけません。
(そこにあって、あなたに見つけてもらうのを、そっと待っているもの)を、
さがしてみるのです。
たくさんあるはずです。
またその価値に気づくのです。

 2人とも娘さんのことで悩んでおられれるようですね。
お子さんの年齢も、近いのでは?
お気持ちはわかりますが、「あそこが悪い」「ここが悪い」と考えていると、
視野がどんどんと狭くなってしまいます。
それともあなたは、自分の娘さんに、いったい、どうなってほしいのですか。
どうであれば、あなたは満足するのですか。

 私の印象では、あなたの娘さんがどうなっても、あなたの心配や不安は解消
されないと思います。
あなた自身が、(不平・不満)のかたまりだからです。
それが娘さんという対象に、「投影」しているだけ!

それが(心配)の種となって、あなたを悶々と苦しめている……。
わかりやすく言うと、自分の心の隙間を埋めるために、娘さんを利用しているだけ。
つまり娘さんには、どこにも問題はない!
よく見てください。
どこにも問題はない!

 健康でしょ!
あなたのそばにいるでしょ!
あなたと話をするでしょ!
心が通い合っているでしょ!

 なのにあなたは満足できない?

●夢と希望

 人は夢と希望をもって生きる動物です。
夢や希望がなかったら、生きていくことはできません。
が、どんな小さなものであって、夢や希望があれば、生きていくことができます。

 が、夢や希望は、向こうからやってくるものではありません。
自分で作るものです。

あなたは誤解していますよ。
あなたは娘さんのことを悩んでいます。
しかしそれはあなたの勝手です。
それ以上に、あなたの娘さんは、あの小さい心で、あなた以上に悩んでいます。
が、あなたは自分のことしか、考えていない。
自分だけが不幸だと思っている。
しかし本当に不幸なのは、娘さんのほうです。

 だからあなたが娘さんに言うべき言葉は、「~~しなさい」ではなく、「あなたも
苦しいのね」と、娘さんの立場に立つことです。
くだらない親意識は、捨てなさい。
上下意識は捨てなさい。
あなたが心を開かないで、どうして娘さんが、心を開くことができるでしょうか。

 もう一度、あなた自身が自分の人生を送るつもりで、……つまりあなたが送りたかった
人生を再現する形で、娘さんと人生を共にすればよいのです。
あなたは子どものころ、どんなことをしたかったですか?
あなたの母親に、どんなことをしてもらいたかったですか?

 それを今、実行すればよいのです。
思い切ってやればいいのです。
今のあなたなら、それができるはずです。
せっかくのチャンスでは、ないですか!

 はっきり言いましょう。
「学校へ行きたくない」と娘さんが言ったら、あなたもこう言えばよいのです。
「私も行きたくなかった」と。
「行きたくなかったら、行かなくてもいいのよ。無理をしないでね」と。

それともあなたは優等生で、一流高校、一流大学を出ていますか?
そうでないと思います。

 あまり気負わないで、肩の力を抜いて、娘さんといっしょに遊びなさい!
人生を楽しみなさい!
学校、学校といいますが、中身は、どうせつまらない(勉強)ですから……。

●運命を受け入れる

 あなたは苦しんでいる。
しかしそういう親のほうが、真の愛に近いのですよ。
中には、幸運にも(?)、何も問題なく子育てする人もいます。
数は少ないですが、います。
しかしそういう人は、ただの親から、ただの人で終わってしまう……。
その苦労の最中には、苦しいことかもしれません。
「どうして私だけが……」と思うものです。

 しかしだからこそ、それを乗り越えたとき、あなたはその先に、広い平原を見ること
ができます。
どこまでも広く、おおらかな平原です。
無数のドラマもそこから生まれます。
そのドラマにこそ、生きる価値があるのです。

つまり、子育ても山登りに似ています。
登るときは苦しいですが、登り切ったときの達成感がすばらしい。
だから登山家たちは、山に登るのです。

 ただひとつ条件があります。
いやいや登ってはいけません。
楽しんで登るのです。
が、今のあなたは、何を見ても、「いやいや」ですね。
では、そういうときは、どうするか?
方法は簡単です。

 『運命は受け入れ、居直るのです』。

●運命
  
 運命論については、たびたび書いてきました。
私たちの体には、無数の「糸」がからみついています。
社会の糸、家庭の糸、家族の糸、親子の糸、過去の糸、両親の糸などなど。
そういった糸が無数にからんで、私たちの進むべき方向を決めてしまいます。
ときに私たちを望まない方向に、引っ張っていってしまう。
それが「運命」です。

 そうした運命を感じたら、「あきらめ、受け入れる」。
娘さんのことについて言うなら、「ようし、十字架のひとつやふたつ、背負ってやる」と
宣言してみてください。
娘さんの悩みや苦しみを、共有するのです。
とたん、気が楽になりますよ。
気が晴れますよ。
その先に、道が見えてきます。

 運命というのは、それに逆らえば、キバをむいて、あなたに襲いかかってきます。
しかしいったん、受け入れてしまえば、運命はシッポを巻いて向こうから去っていきます。
運命というのは、そういうものです。

 あなたは今、何か病気をしていますか?
どこか具合が悪いですか?
が、もしそうでないなら、今、ここに元気で生きていることを喜びなさい。
まだ若いですよ。
36歳というと、もっとも輝いている年齢です。
こんなことを書くと不謹慎かもしれませんが、女性にしても、もっとも美しくなる年齢
です。

 だからあなたも心を開いて、通りを歩いてみればよいのです。
私は見える。
私は聞こえる。
私は歩くことができる、と。

 そのすばらしさに、もっとすなおに感動してみてください。
生きていることの、すばらしさに、もっとすなおに感動してみてください。
とたん、娘さんの問題など、どこかへ消えてなくなりますよ!

●あとは……

 あとは愛情。
「私はどんなことがあっても、あなたを守ってあげますよ」と。
口に出して言うことでもないですが、その覚悟だけはしっかりともち、(仮にあなたが
今、娘さんに愛を感じていなくても……)、あとは娘さんを、その愛情でくるんで
あげます。

『暖かい無視』というのは、そういう意味です。

 そしてここが重要ですが、(1)やり過ぎないこと。
(2)求めてきたときが与えどきと心得ること。
(何かを相談してきたら、そのときは、真剣に応じてあげる。)
(3)娘さんから視点をはずし、あなたはあなたで、したいことをする、です。

 私も毎日、ささやかな夢と希望を作りながら、生きています。
たまたま明後日もある地区で講演会があります。
みなに拍手で迎えられ、拍手で見送られます。
見た目には、派手な生活ですが、講演をする私自身は、孤独です。
そこに200人いようが、1000人いようが、孤独です。
心の隙間を埋めることはできません。
また私自身がかかえている問題については、何一つ、役に立ちません。
講演をするからといって、孤独が癒されるということはないということです。

 ただゆいいつの楽しみは、たいてい最後列で、ワイフが私を見ていることです。
私はそういうワイフの顔をチラチラ見ながら、話します。
それだけが希望です。

 またこの9月には、40年来の友人が我が家に来ます。
オーストラリア人です。
学生時代、2人で、オーストラリアの夏を過ごしたことがあります。
が、最近がんを患い、日本へやってきます。
1か月の滞在になるのか、3か月の滞在になるのかは、わかりません。
しかし私は彼が「帰る」というまで、我が家に泊めてあげるつもりでいます。
「いたいだけ、いていいよ」と、メールには書きました。
それが希望です。
私にとっては、希望です。

●Mさんへ

 人生は短いですよ!
あっという間に終わりますよ。
だったら、今、ここで人生を楽しむのです。
娘さんといっしょに、楽しむのです。
心を開いて、娘さんといっしょに、外に向かって歩くのです。
自由の空気を思う存分、吸い込むのです。
体はあとからついてきます。

 あなたの娘さんは、すばらしい子どもですよ。
どこかのドラ娘たちとは、ちがうでしょ。
繰り返しになりますが、このメールを読み終えたら、あなたの娘さんにこう言って
あげてください。

「お母さんも苦しかったけど、あなたも苦しかったのね。ごめんね」
「お母さんがつらかった以上に、あなたもつらかったのね。ごめんね」と。
負けを認めます。
つっぱっていないで、すなおに負けを認めます。

 それですべての問題は解決しますよ。
……というか、何も問題はありませんよ!


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。