【子どもの見方・考え方】8月6日(2010)
++++++++++++++++++
暑い!
今日、1時間ほど、昼寝をした。
扇風機をかけて、寝た。
ふだんなら、爽快な気分で目が覚めるのだが、
今日はちがった。
軽い頭痛。
熱中症かもしれない。
部屋の中にいても、熱中症になる人はなる。
が、その程度の頭痛で休んではおれない。
起きてから水を1リットルあまり飲んだ。
で、そのあとそのまま自転車にまたがり、
教室まで。
幸い、乾いた風が吹いていた。
向かい風だったが、心地よかった。
明日から講演がつづく。
怠けた心と体では、講演はできない。
がんばろう!
++++++++++++++++++
●子どもの見方
子どもを見るとき、『いい子ほど、心配』と覚えておくとよい。
もっとはっきり言えば、子どもに(いい子)は、いない。
「いい子」と感じたら、それは仮面と考えてよい。
子どもは、子どもらしいこと。
すべてはそこに始まり、そこで終わる。
その年齢ごとに、発達段階に応じた変化を、子どもは見せる。
何に対しても否定的になったり(幼児期前期)、あるいは
あるいは生意気になったりする(幼児期後期)。
こうした変化を一足飛びに、飛び越えて、いきなりものわかりの
よい子どもになる・・・ということは、ありえない。
もしそうなら、先に書いた、仮面を疑う。
●不自然
仮面をかぶっている子ども(人)は、どこか不自然。
バカ丁寧であったり、バカ親切であったりする。
「バカ」がつく。
先日もある旅行社の女性と話をしていたとき、それを感じた。
営業用の仮面と言えば、そういうことになる。
バカの上に、バカがつくほど、丁寧だった。
が、そういう表面的な様子だけをみて、その女性はすばらしい人と
思ってはいけない。
人格的に完成された人と思ってはいけない。
心理学の世界にも、「原我」という言葉がある。
「本来の我」という意味である。
その女性は、「本来の我」を、営業用の顔、つまり
「自我」で覆い隠している。
●原我
人はなぜ仮面をかぶるか。
それにはさまざまな理由と事情が、からんでいる。
前提として、原我が、その人にとって好ましいものでないと、
その人自身が判断していることがある。
つまり(好ましくない我)を隠すために、仮面をかぶる。
私は原我を、つぎの4つに分類している。
(1) 邪悪な原我
(2) 陰湿な原我
(3) 攻撃的な原我
(4) 劣等的な原我
こうした原我を隠すために、仮面をかぶる。
たいていは本来の我とは、正反対の我を演ずる。
ケチな人が、妙に寛大ぶってみせたり、攻撃的な人が、不自然なほど
やさしくしてみせたりするなど。
が、それが仮面と本人が気づいている間は、まだよい。
仮面というのは、長くかぶっていると、仮面をかぶっていること
すら忘れてしまう。
反対に仮面をかぶった自分を、「本当の我」と思ってしまう。
これがこわい!
牧師や教師、医師など、聖職者と呼ばれる人に、このタイプの
人が多い。
●反動形成
こうした一連の心理的操作を、「反動形成」と呼ぶ。
よくある例は、長男(長女)が、下の子ども(弟や妹)に見せる反動形成。
本当は下の子どもが憎くてしかたないのだが、それを表に出したら、
自分の立場がなくなってしまう。
そこで下の子に対して、妙にやさしく振舞ったり、親切にしたりする。
一見するとよい兄(姉)に見える。
が、原我は、そうでない。
下の子(弟、妹)が憎くてしかたない。
つまり本当の自分を押し殺して、別の自分を演ずる。
が、そのままではすまない。
それがときとばあいに応じて、爆発する。
●原我の爆発
原我はときとして、爆発する。
こうした爆発を理解するためには、「抑圧」という言葉を知らなければ
ならない。
私は「心の中の別室」と呼んでいる。
人間は、(ひょっとしたらあらゆる高等生物は)、何かの
ことで心が抑圧されると、心の中に別室を作り、そこに
別の自分を押し込めようとする。
たいていは不平や不満など。
つまり心の別室を作り、そこに不平や不満を押し込むことに
よって、本来の自分を守ろうとする。
心理学の世界でも、こうした心理操作を、「抑圧」という言葉を
使って説明する。
防衛機制のひとつに考えられている。
●抑圧された「我」
が、抑圧された「我」は、ときとして爆発する。
「こんなオレにしたのは、テメエだろ!」と。
「私の人生を返してヨ!」と。
60歳、70歳になった老夫婦が、結婚当初の
ことをもちだして、夫婦喧嘩をするという例は、少なくない。
それこそ40年前、50年前の話を持ち出して、
喧嘩する。
この「心の別室」には、(1)上書きが働かない。
(2)時効がない。
●記憶の上書き
何かいやなことがあっても、そのあと楽しい思い出が
あれば、その前にあったいやなことは消える。
これを「記憶の上書き」という。
が、心の別室に入った記憶は、ほかの心とは隔離されたままになる。
そのため上書きされるということがない。
そのあといくら楽しい思い出がつづいたとしても、そのままの状態で、
心の別室に残る。
●時効
また心の別室に入った記憶には、時効が働かない。
時間の経緯とともに、記憶が薄れたり、あるいは消えたりする
ということがない。
30年、40年・・・という長い年月を経ても、そのまま
そこに残る。
だから「こんなオレにしたのは、テメエだろ!」、
「私の人生を返してヨ!」となる。
●人形の家
一見、いい子は、こうした心の別室を作りやすい。
抑圧された自分を、その中に閉じ込め、外の世界ではいい子ぶる。
それが日常化するため、まわりの人たちはもちろん、
本人自身も、それが本当の自分と思い込んでしまう。
が、それがその本人にとって不幸なものであるか。
それはイプセンの『人形の家』を読めば、わかる。
だからここが重要だが、子どもは、まず発散させる。
ありのままを発散させる。
言いたいことを、大声で言わせる。
つまりこれが幼児教育の第一歩ということになる。
●すなおな子ども
よく誤解されるが、従順で、何でもおとなの指示に従う子どもを、
「すなおな子ども」というのではない。
心の状態(情意)と顔の表情が一致している子どもを、
「すなおな子ども」という。
このタイプの子どもは、教えていても、教えやすい。
何をどう考えているか、外からわかりやすい。
が、そうでない子どももいる。
一般に、「情緒障害児」と呼ばれている子どもは、
外から見たとき、何を考えているか、つかみにくい。
情意と表情が遊離している。
かん黙児、自閉症児など。
近年よく話題になる、アスペルガー児も、それに含まれる。
●態度
心理学でいうところの「態度」というのは、その人の
外に現れた人生観などの、表象された「我」をいう。
が、一般的な意味では、その人の「様子」をいう。
どちらであるにせよ、子どものすなお度は、その態度を
見て判断する。
すなおな子どもは、態度もでかい。
家の中でも、やりたいようにやっている。
言いたいことをいい、行動も表情も自然。
で、あなたの子どもがそうであれば、それでよし。
そうでなければ、家庭環境そのものを、一度、猛省してみる。
とくに児童期に入ったら、「家庭は心を休める場所」と心得る。
どうして周囲に気をつかっていて、心を休めることが
できるだろうか。
●仮面夫婦
ついでながら「抑圧」の恐ろしいのは、それだけではない。
たとえば「仮面夫婦」と呼ばれる夫婦がいる。
一見、仲がよい。
しかしその実、いつもたがいにいがみ合っている。
こうした夫婦のばあい、それぞれが心の別室を作り、その中に
自分を押し込める。
本当は憎しみ合っているのに、表面的には、よい夫婦を演ずる。
こういうケースのばあい、邪悪な「我」が、シャドウ(ユング)
となって、子どもに伝播しやすい。
つまり子どもは親の心を裏から読み、それをそっくりそのまま、
自分の心としてしまう。
よくあるケースは、子どもたちがみな、母親のシャドウを受け継ぎ、
父親を軽蔑したり、忌み嫌ったりするなど。
●いい子ほど心配
これで『いい子ほど心配』の意味がわかってもらえたことと思う。
そこにいい子がいたら、まず疑ってかかる。
というのも、その人の人格というものは、幾多の山や谷を越えて、
完成されるもの。
そこらの子ども(失礼!)が、5歳や6歳、8歳や9歳で、
人格的に高邁(こうまい)になることなど、ありえない。
もしそう見えたら、繰り返すが、仮面を疑ってみる。
またどうして仮面をかぶっているか、その背景を疑ってみる。
たいていは親の過干渉、過関心、あるいは親の情緒的不安定、
精神的未熟が原因となっている。
子どもの側からみて、抑圧された家庭環境がそこにある。
子どもの見方のひとつとして、心のどこかにおいておくとよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 原我 自我 いい子ほど心配 心の別室 抑圧 抑圧された心 よい子論 子どもの見方 考え方)
Hiroshi Hayashi+++++++Aug.2010+++++++++はやし浩司
【BW教室】(幼児のしつけ)byはやし浩司 (2010年8月)
●今週は、「しつけ」についてのレッスンをしました。
(1)
(2)
(3)
(4)
(5)
Hiroshi Hayashi+++++++Aug.2010+++++++++はやし浩司
2010年8月8日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。