2010年8月10日火曜日

*Are we created by Aliens?

●真夏の夜の大ロマン(宇宙人は、私たちに何をしたのか?)

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以前、ドレイクの公式について
書いた。(2009年11月)
「宇宙人が存在する確率」を求める公式
ということになる。

そのドレイクの公式について、もう
一度、考えてみたい。

その前に、以前書いた原稿を、再掲載
する。

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●知的生命体

 先日、ある本を読んだ。
それには、こうあった。

現在、文明が存在する確率は、銀河系(銀河系だぞ!)、
20個の銀河につき、1個分程度だそうだ(「宇宙と地球を動かす科学の法則」(PHP))。
つまりこの地球に、われわれ地球人という知的生物(?)がいるということは、
この銀河系には、ほかに文明を築くほどの知的生物は、ほぼいないということになる。
が、それでも、この大宇宙には、数千億個の銀河系があるから、全体では、
約50万個以上の知生体文明があることになるという。

 50万個以上! (すごいね!)

 この計算の基礎になっているのが、ドレイクの法則。
つまり「銀河文明の法則」と呼ばれているものだそうだ(同書)。

N=RfL

R; 銀河系で1年間に生まれる星の数
f;1つの星のまわりに知生体が生まれる確率
L; 知生体の文明が存続する年数

 が、この計算には、重大な欠陥がある。
つまり、「自滅指数」。
それを組み込んでいない。

 人間が知的生物かどうかという議論はさておき、知的生物は、その進化の過程で
エネルギーを大量に消費するようになる。
そのとき環境を破壊する。
かつての火星がそうだったかもしれない。
あるいは現在の地球がそうかもしれない。
結果、知的生物は、そのまま自滅する。

 そこで知的生物が、宇宙へ飛び出す確率となると、きわめて少ない……というより、
惑星の大きさに比例することになる。
それが「自滅指数」ということになる。

 惑星が小さければ小さいほど、環境破壊が起こりやすくなる。
そのため知的生物がいたとしても、宇宙へ飛び出すほどまで、じゅうぶん進歩する
前に、自滅してしまう。
一方、惑星が大きければ大きいほど、環境破壊は起こりにくくなる。
環境が破壊される前に、解決方法を見つけたり、あるいは宇宙へ飛び出したりする。

 では、この地球は、どうか?
それには、隣の火星と比較してみればよい。

 かつてはあの火星も、地球と同じような、水の惑星であったという。
それが何らかの理由で、現在のような火星になってしまった。
人類と同じような知的生物がいて、進歩の過程でやはり、環境を破壊してしまった。
……という説もある。

 火星の直径は、地球の半分程度。
体積は10分の1程度。
その分だけ、大気の層も薄かったにちがいない。

 そこで私が考えた、「自滅公式」。

J=Ax(惑星の直径)

 自滅までの年数(J)は、(惑星の直径)に比例する。
Aは係数だが、地球人と火星人の自滅までの年数を入れて計算すれば、求まるはず。
たとえばこの地球人が新石器時代をやっと抜け出たのが、今から約5500年前。
この先、約数百年で滅亡するとして、長くても6000年。

 この6000年という年月は、宇宙的時間の中で見れば、星がまばたきする
一瞬より短い。
つまりこの大宇宙に現在、50万種類の知的生物がいるといっても、それは一瞬
にすぎない。
一瞬に生まれ、つぎの一瞬には、滅亡する。
この公式をドレイクの公式に上乗せすると、知的生物どうしが、たがいに接触する
などということは、計算上、さらにありえないということになる。

●知的生命体

 が、現実には、UFOは存在する。
(私とワイフは、巨大なUFOを目撃している!)
ということは、それに乗っている宇宙人は、宇宙人というより、私たちの仲間、
もしくは同類とみてよい。

 が、これについても、あのホーキング博士は、こんな興味深い事実を、講演の中で
述べている。
「同時に、2つの知的生命体は共存しえない」と。

 仮に近辺に、2つの知的生命体が同居したとする。
その知的生命体は、どういう形であれ、他方を抹殺するまで、戦争を繰り返す、と。
となると、地球人と、あのUFOに乗っている宇宙人との関係を、どう考えたらよいのか。

 2つの知的生命体が、同時にこの太陽系という小さな世界で、誕生する確率は、ゼロ。
しかも2つの知的生命体が共存できるという可能性も、ゼロ。
しかし現実には、(あくまでも私の個人的な体験に基づくものだが)、宇宙人は近くに存在
する。
となると、そこから引き出される答は、ただひとつ。

 私たちがいうUFOに乗った宇宙人というのは、別の知的生命体ではなく、私たち自身、
もしくは、その仲間ということになる。

 もう少し詳しく「宇宙と地球を動かす科学の法則」(PHP)を、詳しく読んでみよう。
そこには、こうある。

「この100年間に人口は5倍以上に増加しているし、放出した炭酸ガスは大気中に、
1・5倍にもなっています。
このままいきますと、2050年には100億人に達し、大気中の炭酸ガスも、
400ppmに達すると言われています。
こうなると温暖化が進行し、海水の水位が上昇することになります。
その高さは100メートルに達するという説もあります」(同書、P35)。

「すべての星に生命の誕生する惑星が1つずつあるとすれば、図の式(後述)から
わかるように、0・05~0・005程度となります。
これでは銀河系の中でたがいに通信できる知生体はありそうでないということに
なってしまいます。
人類はこの銀河の中で、唯一無二なのかもしれません」(P36)。

 が、その人類も、このままでは、文明を築いてから、「200年」で、滅亡しようと
している(同書)。

【ドレイクの公式】

銀河系で考えると、ドレイクの公式(N=RfL)により、

R;0・5
f;10億分の1
L;1000万~1億
N=0・05~0・005

 しかしたった「200年」(同書)では、どうしようもない。
「6000年」でも、どうしようもない。

 ……こう考えていくと、私たち人類が、こうしてこの地球上の存在していること自体、
奇跡中の奇跡ということになる。
が、その価値を、人類は、いまだに理解できないでいる。
私も含めてどの人も、そこに私がいて、あなたがいるということを、当たり前のように
考えている。
しかしこれほど、もったいないというよりは、恐ろしいことはない。
人類は、その奇跡を自ら、末梢しようとしている。
地球火星化という問題の前では、第一次世界大戦も、第二次世界大戦も、ただの
小競(こぜ)りあい程度のものでしかない。

 では、どうするか?

 ドレイクの公式の中の(L)値を大きくするしかない。
文明の進化の速度を落としてでもよいから、人類の存続する年数を長くする。
長くしながら、その間に、人類は、より賢くなる。
現在のように、サルが核兵器をもったような状態で、人類が長く存続できると
考えるのには、無理がある。
あと10年もすれば、そこら中の国々が核兵器をもち、あちこちで、
戦争を始めるようになるかもしれない。
そうなれば、「200年」も、むずかしいということになる。

 さあ、みなさん、もっと賢くなろう!
自分で考える力を、身につけよう!
人類を救うために!
(少し大げさかな? 自分でもそれがよくわかっています!)

(はやし浩司 知的生命体 存在の確率 宇宙人 存在 確率 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司BW はやし浩司 知的生命体 宇宙人 知的生命 銀河系 ドレイクの公式)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●宇宙人

 2か月前に、「聖書」について書いた。
もう一度、そのとき書いた原稿を読んでみてほしい。

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●聖書(Ryrie版聖書より)

1 THE CREATION OF THE WORLD
世界(天地)の創造

A The begining of Creation
創造の始まり

In the begining God created the heavens and the earth.
最初に神は、天と地を創造した。

Now the earth was formless and empty, darkness was over the surface of the deep, and the Spirit of God was hovering over the water.
そのとき大地は、形がなく、空だった。
暗闇が深淵の表面をおおい、神の霊が、水の上をただよっていた。

B The Days of Creation
創造の日々

And God said, "Let there be light", and there was light.
そして神はこう言った。「光よ、あれ」と。すると光が現われた。

God saw that the light was good, and he separated the light from the darkness.
神は光がよいことを知った。そこで神は、光を暗闇から分けた。

God called the light "day", and the darkness he called "night".
神は光を、「昼」と呼び、暗闇を「夜」と呼んだ。

And there was evening, and there was morning-the first day.
そして夕方と朝があった。それが第1日目だった。

 ……このあと神は、地上のもろもろのものを創造し、第6日目に、「自分に似せて、人間を創造する」(So God created man in his own image, in the image of God he created him; male and female he created them.)

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 聖書を否定する人たちは、まっさきにこの部分を指摘する。
「人間は20数万年という進化の過程を経て、人間になった。
たった6日の間に、神によって作られたのではない」と。

 しかし聖書でいう「日」は、あくまでもたとえに過ぎない。
「6日」だから、今で言う24時間x6=6日というわけではない。
「段階を経て」という意味であり、またそう解釈すると、ここに書いてあることが
まちがっているというよりは、まさに地球と人類の歴史そのものであることがわかる。
が、それはそれとして、この部分で重要なことは、「神は自分に似せて、人間を創造した」
という部分。
神はどうやって、自分に似せて人間を創造したのか?

 そこで登場するのが、遺伝子操作説。
UFOを信ずる人の多くは、人間は宇宙人の遺伝子を組み込まれて、今に見る知的
生物になったと考える。
実のところ私もその1人だが、若いころ東洋医学(漢方)を勉強していて、それに
気づいた。

●謎の書物『黄帝内経(こうていだいけい)』

 東洋医学のバイブルと位置づけられているのが、『黄帝内経・素問・霊枢』。
黄帝というのは、中国では伝説上の帝王ということになっているが、まったくの架空の
人物だったかというと、そうでもない。
司馬遷の『史記』は、この黄帝で始まっている。

 その黄帝は、私の計算によれば、今から5500年ほど前。
紀元前3500年ころ。
ちょうど黄河文明が、それまでの新石器時代に別れを告げて誕生したころ、この地上に
現れた。
私がその黄帝内経に興味をもつようになったいきさつについては、何度も書いてきた。
やはり以前書いた原稿を、そのままここに紹介させてもらう。

この原稿の中で、とくに注意してほしい部分は、つぎの点である。

 黄帝が岐伯(ぎはく)に、「この宇宙はどうなっているか」と聞いたときのこと。岐伯は、「岐伯曰地為人之下太虚之中者也」(「五運行大論篇」)と答えている部分。

これを訳すと、「地は人の下にあります。しかも宇宙の真中に位置します」(小曾戸丈夫氏訳)、あるいは「地は人の下にあり、虚空の中央にあるものです」(薮内清氏訳)となる。

 わかるかな、この科学性!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●神々の言葉

 私はどういうわけか、黄帝内経(こうていだいけい)という書物に興味をもっている。漢方(東洋医学)のバイブルと言われている本である。東洋医学のすべてがこの本にあるとは言わないが、しかしこの本がその原点にあることはまちがいない。

 その黄帝内経を読むと、最初に気づくのは、バイブルとは言いながら、聖書の記述方法と逆であること。黄帝内経は、黄帝という聖王と、岐伯(ぎはく)という学者の問答形式で書かれているが、黄帝はもっぱら聞き役に回っているということ。そしてその疑問や質問、さらには矛盾につぎつぎと答えているのは、岐伯のほうであるということ。

 一方聖書(新約聖書)のほうは、弟子たちが、「主、イエスキリストは、このように言った」という形式で書かれている。つまり弟子たちが聞き役であり、キリストから聞いた話をその中に書いている。

 そこでなぜ、黄帝内経では、このような記述方法を使ったかということ。もし絶対的な権威ということになるなら、「黄帝はこう言った」と書いたほうがよい。(そういう部分もあるが……。)岐伯の言葉ではなく、黄帝の言葉として、だ。しかしこれには二つの理由が考えられる。

 黄帝内経という書物は、医学書として分類されている。前一世紀の図書目録である、漢書「藝文志」に医書として分類されていることによる。ここで医書として分類されたことが正しいかどうかという疑問はある。さらに「医書」という言葉を使っているが、現代流に、だからといって「科学、化学、医学」というふうに厳密に分類されていたかどうかという疑問はある。

が、それはさておき、仮に医書であるとしても、それは今で言う、科学の一分野でしかない。科学である以上、絶対的な権威を、それにもたせるのは、きわめて危険なことでもある。その科学に矛盾が生じたときのことを考えればよい。矛盾があれば、黄帝という聖王の無謬性(一点のまちがいもない)にキズがつくことになる。ここが宗教という哲学と大きく違う点である。つまり黄帝内経の中では、岐伯の言葉として語らせることによって、「含み」をもたせた。

 もうひとつの理由は、仮に医書なら医書でもよいが、体系化できなかったという事情がある。黄帝内経は、いわば、健康医学についての、断片的な随筆集という感じがする。しかし断片的な随筆を書くのと、その分野で体系的な書物を書くのは、まったく別のことである。たとえばこの私は、こうして子育てについての随筆をたくさん書いているが、いまだに「教育論」なるものは、書いていない。これから先も、多分、書けないだろうと思う。

もう少しわかりやすい例で言えば、日々の随筆は書くことはできても、人生論を書くことはできない。できないというより、たいへん困難なことである。つまり黄帝内経は医学書(科学書でもよいが)といいながら、体系化できるほどまでに完成されていない。これは実は聖書についても同じことが言えるが……。


●黄帝内経(こうていだいけい)の謎

 私が黄帝内経(こうていだいけい)という書物に、最初に興味をもったのは、その中につぎのような記述があることを知ったときのことだ。

 黄帝が岐伯(ぎはく)に、「この宇宙はどうなっているか」と聞いたときのこと。岐伯は、「岐伯曰地為人之下太虚之中者也」(「五運行大論篇」)と答えている。これを訳すと、「地は人の下にあります。しかも宇宙の真中に位置します」(小曾戸丈夫氏訳)、あるいは「地は人の下にあり、虚空の中央にあるものです」(薮内清氏訳)となる。

しかしもう少し、漢文に厳密に翻訳すると、こうなる。「地は、人の下にあって、太虚の中にある」と。「地が、人の下にある」というには、常識だが、(またなぜこうした常識をあえて付け加えたかというのも、おもしろいが)、「太虚の中にある」というのは、当時の常識と考えてよいのか。漢書「藝文志」という図書目録が編纂されたのは、前一世紀ということになると、少なくとも、それ以前の常識、あるいはこの部分が仮に唐代の王冰(おうひょう)の増さんによるものだとしても、西暦七六二年の常識ではなかったはずである。

ここでいう「太虚」というのは、「虚」の状態よりも何もない状態をいう。小曾戸氏も薮内氏も、「太虚」の訳をあいまいにしているが、太虚というのは、空気という「気」もない状態と考えるのが正しい。「空気」というのは、読んで字のごとく、「カラの気」という意味。気のひとつである。その気がない状態を、虚。さらに何もない状態を太虚という。今風に言えば、まさに真空の状態ということになる。

 もしここで王冰の増さんによるとするなら、なぜ王冰が、当時の常識的な天文学の知識に沿って、この部分を書かなかったかという疑問も残る。当時の中国は、漢の時代に始まった、蓋天(がいてん)説、こん天説、さらには宣夜説が、激論を戦わせていた時代である。恐らく事実は逆で、あまりにも当時の常識とはかけ離れていたため、王冰は、この部分の増さんには苦心したのではなかろうか。(あくまでも王冰の増さん説にのっとるならの話だが……。)

その証拠に、その部分の前後には、木に竹をつぐような記述が随所に見られる。つまりわざと医学書らしく無理をして改ざんしたと思われるようなところがある。さらに百歩譲って、もしこの部分が、大気の流れをいうものであるとするなら、こんなことをこんなところに書く必要はない。この文につづくつぎのところでは、気象の変化について述べているのである。王冰としても、散逸した黄帝内経を改ざんしながらも、改ざんしきれなかったのではないかと思う。

 話はそれたが、私はこの一文を読んだとき、電撃に打たれるような衝撃を受けた。当時の私は、「黄帝」を、司馬遷の「史記」の第一頁目をかざる、黄帝(「五帝本紀第一」)の黄帝ととらえた。その黄帝との問答であるとするなら、その時代は、推定でも、紀元前参五〇〇年。今から五五〇〇年前ということになる。(だからといって、黄帝内経がそのころの書物というのは、正しくないが……。)少なくとも、この一文が、私が漢方にのめりこむきっかけになったことには、まちがいない。


●黄帝内経(こうていだいけい)は改ざんされたか

 黄帝内経(こうていだいけい)は、時代によって、そして写本化されるたびに、改ざんされた。それぞれの研究家や医家たちが、自分たちにつごうがよいように、古い文句を削り、新しい文句を付け加えた。これは動かしがたい事実である。

 たとえば「五運行大論篇」においても、天地の動静を岐伯(ぎはく)が説明したあと、薮内氏の訳した本のほうでは、「上の司天は右転し、下の在泉は左転し、左右から三六五日余でまたもとの位置にもどる」とあるが、王冰が編さんとしたとされる黄帝内経を訳した、小曾戸氏のほうでは、「歳運は五年で交替するのに六気は六年で交替するのですから、運と気のめぐり方には一年のずれを生じます……」とある。

薮内氏のほうは、中国本土にも残っていない黄帝内経(京都の仁和寺所蔵)を翻訳したものと思われる。つまり、より原書に近いとみてよい。一方、王冰の黄帝内経は、無理に医書に位置づけようとした痕跡が随所に見られる。この部分もそうだが、さらにこれはとても残念なことだが、翻訳した小曾戸氏の翻訳にも、その傾向が見られる。たとえば小曾戸氏は、随所に、「気」という言葉を補って翻訳している。たとえば……

 「上者右行」を、「司天の気は右にめぐり」と訳すなど。(原文には「気」などという言葉はどこにもない!)

 こうした改ざんは、意味不明で、難解な文章を何とか理解しようしたために改ざんされたともとれるが、もうひとつは当時の常識に当てはめようとしたためになされたとも考えられる。中国には、地球説はおろか、地動説すらなかったという常識に従ったとも考えられる。そういう時代に、地球説を唱え、地動説を唱えたらどうなるか。ヨーロッパでそれをしたため、弾圧された人すらいた。コペルニクスが、その人である(一五四三年「天球の回転について」)。

宇宙創造に関する記述は、それ自体が宗教と密接に結びついている。さらに中国では、中国式権威主義がはびこり、その権威からはずれた学説は、容赦なく排斥された。そういう時代的背景を忘れてはいけない。

 が、それでも地動説の片りんが残った! 私たちが黄帝内経を科学書として着目しなければならない点は、まさにこの一点にある。そして今、私が黄帝内経の中の地動説を唱えるについて、多くの人は、「解釈の曲解だ」「なるほどそういうふうに考えれば考えられないこともない」というように反論する。しかしこの視点はおかしい。

もしこの部分が、あからさまに地球説をいい、地動説をいっていたとしたら、まっさきに削除されたであろうということ。それにゆえにあいまいに改ざんされたともとれるし、あいまいであるがゆえに、今に残ったというふうに考えられる。今、あいまいだからといって、さらにその内容を負(マイナス)の方向に引くことは許されない。私たちが今すべきことは、そのあいまいな部分を、よりプラスの方向に引きつけて、その向こうにある事実を見ることなのである。「そういうふうにも解釈できる」という言いかたではなく、「改ざんしてもしきれなかった」という言いかたにすべきでなのである。


●三六五日余で、もとに戻るものは何か

 黄帝内経(こうていだいけい)には、黄帝が、天地の動静はどうかと聞いたことに対して、「上の司天は右転し、下の在泉は左転し、左右から三六五日余でまたもとの位置にもどる」とある。ここで考えることは、「何が、戻るか」である。

 今、高校生に、「天地の動きの中で、三六五日余でもどるものは、何か」と聞けば、彼らは迷わずこう答える。「地球」と。そう、地球の公転である。地球は、太陽のまわりを、三六五日余で一周し、またもとの位置に戻ってくる。こんなことは常識。

 しかし黄帝内経読むときは、あえてこの常識は否定される。第一、私たちは黄帝内経は、医学書であって、科学の本ではないという前提で読む。第二、私たちは黄帝内経の時代に、そんな常識はなかったという前提で読む。しかしもう一度、この部分を、すなおに読んでほしい。こうある。

 「黄帝は問う。天地の動静はどうかと」。この部分をすなおに読めば、黄帝は地球の動きについて聞いたものだということがわかる。季節の移り変わりを聞いたものではない。いわんや大気の変化を聞いたものではない。そういうふうに思わせるように改ざんされただけ、と考えるほうが正しい。その理由はいくつかある。

 もし季節の変化や大気の変化を述べるためになら、この文章を地球説、地動説のあとに書く必要はない。関連性がまったくなくなってしまう。

 つぎにもし季節の変化大気の変化を述べているとしても、そんなことは当時の常識で、改めて書くまでもないことである。仮に季節の移り変わりを書いたものであるとするなら、それこそまさに木に竹をつぐような文章になってしまう!

 ただ翻訳自体もわかりにくくなっている。これを訳した薮内氏自身も、「中国には地球説はおろか、地動説すらなかった」(「中国の科学」)と述べている。薮内氏自身も、そういう前提で訳している。だからあえて、わかりにくく訳した。とくに私の頭を悩ましたのは、「左右から」という部分である。何が、左右から、なのか。あるいは薮内氏は、「……から」と訳したが、本当にそれは正しいのか。「左右に」もしくは、「左右に(回って)」と訳したらいけないのか。もし「左右に(回って)」と訳すと、意味がすっきりする。

 「上の司天は右転し、下の在泉は左転し、左右に回って三六五日余でまたもとの位置にもどる」と。

 地球の公転するさまを、南の位置(上の司天)からみると、時計回りに回っている。つまり右転している。北の位置(下の在泉)からみると、時計とは反対回りに回っている。つまり左転している。こうして右転、左転しながら、回る、と。黄帝内経のこの部分は、まさにそれをいったものである。
 

※コペルニクス
(ラテンNicolaus Ccpernicus ニコラウス―)本名はコペルニク。ポーランドの天文学者で、ローマカトリック教会の聖職者。ギリシア思想の影響を受け、肉眼による天体観測に基づいて地動説を提唱。著書「天球の回転について」は、教会との摩擦を避けて死の直前に刊行された。(一四七三~一五四三)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●大ロマン

 遠い昔、推定では今から5500年ほど前、きわめて知的能力のすぐれた生命体が、
この地球にやってきた。
そして何かの目的があって、人類の祖先に、彼らの遺伝子を組み込んだ。
同時に、その子孫に、(1)科学と、(2)哲学を教えた。

 そうして開花したのが、黄河文明と、メソポタミア文明ということになる。

 黄河文明に落とした「科学」は、その後「医学」と姿を変えた。
メソポタミア文明に落とした「哲学」は、その後「宗教」と姿を変えた。
それらが東洋医学の原点であり、キリスト教の原点ということになる。

 ……というのは、ひとつの、はやし浩司説に過ぎない。
しかし想像するだけでもワクワクするような話ではないか。
(自分でワクワクしていても、しかたないが……。)

私はこの種の話が大好きで、眠られぬ夜は星々をながめながら、よくそれを想像する。
が、まったくのデタラメかというと、そうでもない。
何度も書くが、私とワイフは、ある夜巨大なUFOを目撃している。
見たものは見たのであって、これまたどうしようもない。
「あのはやし(=私)は、頭がおかしい」と言われても構わない。
この年齢になって、ウソは書きたくない。
同時に世俗的な常識の中に埋もれるのも、いや。
見たものは、見た!

 だとするなら、あの夜見たものは、何だったのか。
……ということを過去へとつなげていくと、ここに書いたような話になる。
なおこの世界では神様のように思われている、デニケンもシッチンも、同じような説を
唱えているが、黄河文明については、一言も触れていない。
黄帝内経についてはさらにそうで、黄帝内経宇宙人説は、はやし浩司のオリジナルである。
もし私を疑うようなら、つぎの原稿をじっくりと読んでみてほしい。
まさに、壮大な謎とロマン。
私が書いた『目で見る漢方診断』(飛鳥新社版)の末尾に掲載した原稿である。
この原稿を読めば、(かなり難解であることを覚悟して読んでほしいが)、私の書いている
ことが、けっして荒唐無稽なデタラメでないことがわかるはず。

HPを紹介しておく。

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黄帝内経・世界最古の地動説

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http://shizuoka.cool.ne.jp/bwhayashi/page055.html

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 真夏の夜、眠られない夜がつづいたら、ぜひ一読してみてほしい。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 黄帝内経 地動説 宇宙人創造説 太虚 真空 はやし浩司 黄帝内経の謎 謎の黄帝内経 司馬遷 史記 世界最古の地動説 シュメール人 ヤンシャオ人 メソポタミア文明 黄河文明)


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

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