2010年11月12日金曜日

*To my Sons:

【息子たちへ】

コミュニケーションを図るため、これから先
できるだけ日記を送ることにしました。
どうかうるさがらずに、読んでみてください。

パパより

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●過去に戻る

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このところ、パソコンのハードディスクの
動きが、おかしくなってきた。
私がメインパソコンとして使っている
パソコンである。
ファイルチェックすると、「bad clusters」の
表示が並ぶ。
ハードディスクに物理的な故障が起き始めて
いるらしい。
こうなると、ハードディスクの寿命は短い。

こういうとき、とりあえず応急的にすべき
ことは、ただひとつ。
ファイルのコピー。
Dディスクや、外付けディスクにコピーする。
DVDに焼くという方法もある。
が、もっとも確実な方法は、Cディスクを、
そのまま別のハードディスクに丸ごとコピーして、
ハードディスクを交換するというもの。
私はパソコンの不調には、いつもこの
方法で対処している。

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●丸ごとコピー

 Cディスクを丸ごとコピーして、ハードディスクを交換する。
そのためのソフトは、いろいろある。
私は、コピーコマンダーというのを使っている。
一応「WINDOW7対応版」ということになっているが、どうも使い勝手が悪い。
「bad clusters」が残っていると、うまくコピーできない。
作業が中断してしまう。

 そこで再度、挑戦。
コピー先のハードディスクを初期化、つまりフォーマットをかける。
ハードディスクをまっさらにした上で、丸ごとコピーをすればよい。
(これは私という人間の、素人考え。)
が、いくらフォーマットをかけても、どういうわけか、まっさらにはならない。
「システムファイル」の部分だけ、残ってしまう。
残ってしまうから、つぎに丸ごとコピーしようとしても、コピーコマンダーのほうが、
受け付けてくれない。
つまりこの時点で、そのハードディスクは使い物にならなくなる。
外付けハードディスクとしても、使えなくなる。

 しかたないので、「ハードディスク、丸ごと消去」というソフトを買ってきた。
これならば、ハードディスクをまっさらにすることができるはずと考えた。
……というのは、素人の考えだった。
が、やはりシステムファイルだけは、残ってしまう。

 あああ~。

 ……ということで、いつの間にか、私の書斎には、こうして使われなくなったハード
ディスクが、15個くらいになった。
中には750GBとか500GBのものもある。
どこかで手順をまちがえているのかもしれない。
しかし私の能力では、ここまで。

 で、またまた今回の不調。
原因を調べてみたら、つまりどうしてこうまで早くハードディスクがおかしくなる原因を
調べてみたら、「驚速XXXXX」というソフトらしいということがわかってきた。
このソフトは、常時パソコンの中で動作している。
つまりいつもハードディスク上で作業している。
雑誌にもそう書いてあった。
パソコンショップの店員もそう言った。
「あのソフトだけは、ハードディスクの寿命を縮めるから、使わないほうがいい」と。

 ともかくも、こうしてまたまた新しいハードディスクを購入するハメに。
500GBのを買ってきた。
おととい買ってきた。
1TBのものにしようかと迷ったが、丸ごとコピーに失敗する可能性もある。
もったいない。
……ということで、値段の安い500GBのものにした。

 まわりくどい書き方をしたが、その作業をしながら、私はこんなことを考えた。

●復元

 WINDOWSパソコンには、「復元」という機能がある。
みなさんよくご存知の機能である。
この機能を使えば、システムが不調になったら、過去のある時点にまで戻り、
パソコンの調子を復元させることができる。

 それとは少し意味がちがうが、もしこんなことが可能だったら、私はどう判断する
だろうか、と。

 たとえば今、脳みその調子が悪くなったとする。
CPU(中央演算装置)が鈍くなり、回転が悪くなったとする。
そのときタイムマシーンか何かに乗って、過去のある時点に戻ることができたとする。
5年前なら5年前でもよい。
私はその5年前に戻るだろうか、と。

 肉体が5年前に戻るのは、よい。
思考力や知識、経験も、今のままの状態で5年前に戻るのは、よい。
しかしたとえばパソコンの世界でのように、この5年間に書いた原稿などが、
すべて消去された状態で、5年前に戻るなら、……たぶん私は「NO!」と言うだろう。
私は5年前にさかのぼり、また同じことをしなければならない。
イチから原稿を書きなおさなければならない。

 「5年前」という大げさなものでなくてもよい。

 たとえば2~3時間、原稿を書いたとする。
この原稿なら、この原稿でもよい。
この原稿が、何らかのアクシデントで、突然、消えてしまったとする。
そういうことが、以前は、よくあった。

 そういうときというのは、本当にやる気を失う。
また同じ原稿を書こうとしても、その気力を奮(ふるい)い立たせるだけでもたいへん。
たいていは、その原稿のことはあきらめ、別のテーマで書き始める。
それにおかしなもので、そうして消去された原稿ほど、あとあとよい原稿に思えてくる。
『釣り逃がした魚ほど、大きく見える』という現象か?

 たった1本の原稿ですら、そうである。
それを5年前にまでさかのぼって繰り返せと言われたら、あなたはどうするだろうか?

 実際には、ファイルをどこかに残しておくという方法がある。
5年分の原稿が、すべて消えてしまうということはない。
ここに書いたのは、あくまでも「5年分の原稿が消え、5年前に戻る」という前提での
話である。

 もしそうなら、私なら5年前に戻ることを、拒否するだろう。
「NO!」と。
つまりこれは人生全体に通ずる、論理でもある。

●人生は一度

 人生は、一度でたくさん。
こりごり。
「死」はこわいが、同じ人生を、また繰り返せと言われても、私にはできない。
反対にたとえばこんなケースはどうだろう。

 たとえば神様かだれかがいて、こう言ったとする。
「君をベートベンにしてあげよう。ベートベンの時代に戻って、ベートベンの楽譜を
全部、書き写す。その楽譜を、君の名前、つまりベートベンの名前で発表する。
どうだ?」と。

 しかしそんなインチキなことをしても、意味はない。
いくら後世に残る有名人になったとしても、意味はない。
だいたい私はピアノを弾けない。
たとえヘタクソでも、私は私の音楽を書く。
どうしても書けと言われたら、そうする。

 同じように今、だれかの文章を盗んで書けと言われても、私にはできない。
そのだれかは、すでに死んでいて、盗作が発覚する心配はない。
が、それでも、私にはできない。
そんな必要もない。
しても意味はない。
そんなことをすれば、それこそ時間の無駄。
人生の無駄。
5年前にさかのぼって、同じ原稿を書く方が、まだ気が楽。
楽しい。

 ……ということで、人生は一回限りの一番勝負。
復元は、なし。
復元しても、意味はない。
パソコンの修理をしながら、そんなことを考えた。


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●ある幼稚園のXX周年で……(代筆業とは)

少し前、ある幼稚園のXX周年記念パーティに招かれた。
そこでのこと。

別の、ある団体の理事長が、一冊の本を取り出した。
緑色の布張りの本である。
「どこかで見たような本だな?」と、そのときふと、そう思った。

その理事長は、思いで話として、その本を読み始めた。

「今は亡き、○○先生は、生前、こんな文章を書き残しておられます。
それをここで朗読させていただきます」と。

○○先生というのは、XX周年記念パーティを主催した幼稚園の元園長である。
が、それを耳にして、驚いた。

私の文章、私の言葉、私の思想……。
頭の中で、文章がスラスラと溶けていく。
その瞬間、思い出した。
私は忘れていたが、私はその元園長のために、代筆してやったことがある。
「本を出したい」という依頼をもらった。
それで私が代筆した。
つまり原稿は、100%、私が書いた。
もう30年近くも前のことである。
それがその本だった。

ハハ~と息が漏れたあと、「それは私の書いた文章です」と叫びたくなった。
が、それはやめた。
だまって聞いていたが、あのとき感じた、
あの奇妙な気分は何だったのか。

朗読していたその理事長は、涙までこぼしていた。
ついでに言うと、(これは本当の話だから、あえて披露するが)、その理事長は、
こう言った。
「これほどまでに教育の心をつかんだ、みごとで
美しい文章はほかにありません」と。

うれしいような、くすぐったいような……。
実に奇妙な気分だった。

しかしそこは代筆業。
陰の仕事。
私があるドクターのために代筆した本は、数10万冊も売れた。
かなり有名な賞まで取っている。
新聞にも載った。
が、そういうばあいでも、ぜったいに名乗り出てはいけない。
「私が書いた本です」とは、口が裂けても言ってはいけない。
それは信義則。
代筆業をする者の、掟(おきて)。
代筆業をする者は、お金をもらって、魂を売る。
当時の私は、そうした代筆業で、生計を立てていた。

しかし一言。

その人の文章かどうかは、少し読み慣れればわかる。
今、私が書いている文章は、私の文章である。
調子、文体、漢字の使い方、思想……。
それは20年、30年を経ても、そう変わるものではない。

ひとつの例として、私がほぼ37年前に、あるドクターのために
書いた文章を、ここに転載する。
(37年前だぞ!)
そのドクターは、30年前に他界している。
本も絶版になって、同じくらいになる。
「文章」というのものは、そういうものということをわかってもらいため、
ここにあえて転載する。

今、ここに書いている私の文章と読み比べてもらえば、
「ああ、これは、はやし浩司の文章」と、わかってもらえるはず。

●「XX先生の性教育・高校生の部」(T書店)(昭和48年12月刊行)の前書きより

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みなさんは、どう判断されたでしょうか?


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 代筆業)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

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