(特集)
【子ども園(こども園)、もうひとつの深刻な問題】2010/11/04
●子育ては本能ではなく、学習である
子育ては本能でなく、学習である。
つまり人は、自分が親に育てられたという経験があってはじめて、
今度は自分が親になったとき、自然な形で子育てができる。
そうでなければ、そうでない。
つまり「子育て本能」というのは、高度に知的な動物であれば
あるほど、「ない」。
たとえば人工飼育された動物は、自分では子育てができない。
とくに人間においては、そうである(※1)。
そればかりではない。
乳幼児期は、心の育成という意味では、たいへん重要な時期である。
2000年に入ってから、「ミューチュアル・アタッチメント
(mutual attachment)」という言葉が聞かれるようになった。
母子関係というと、母親側からの乳幼児への一方的な働きかけのみと
考えられている。
しかし実際には、乳幼児側からも、母親に対して働きかけがあることが
最近の研究でわかってきた(※2)。
この時期に母親の濃密な愛情を経験していない子どもは、そののち、
さまざまな問題を引き起こすことがわかっている。
「基本的不信関係」(※3)もそのひとつ。
つまり子どもというのは、(あなた自身もそうであったが)、絶対的な
さらけ出しと、絶対的な受け入れ、この2つを基盤として、その上に、
基本的信頼関係を構築する。
「絶対的なさらけ出し」というのは、「どんなことをしても、自分は
許される」という、子ども側の安心感をいう。
「絶対的な受け入れ」というのは、「乳幼児がどんなことをしても、
子どもを受け入れる」という、親側の包容力をいう。
この基本的信頼関係の構築の失敗すると、基本的不信関係、さらには、
心の開けない子ども、さらには、将来的に親像のない親になる危険性が
高くなる。
人格的にもさまざまな問題を引き起こすことが、わかっている。
ホスピタリズム(※4)も、その一つ。
「施設病」と訳されている。
が、「施設児」、あるいは「施設障害児」と訳すべきか。
わかりやすく言えば、人間的な温もりを喪失した子ども(おとな)になる。
表情の貧弱な子どもになることも、指摘されている。
が、問題は、ここで止まらない。
先にも書いたように、子ども(人)は、自分が親によって育てられた
という経験(=学習)が体にしみこんでいてはじめて、自分が親になった
とき、自然な形で、子育てができる。
ただ「育てられた」というだけでは、足りない。
濃密な親子関係、とくに濃密な母子関係が重要である。
「子育ては本能ではなく、学習」というのは、そういう意味。
わかりやすく言えば、(しみこみ)。
その(しみこみ)がなければ、自分が親になったとき、自分で子育てが
できなくなる。
振り返ってみると、現在の親たちが乳幼児のころというのは、日本は
高度成長の真っ最中。
多くの親たちは仕事に忙しく、子どもにじゅうぶんな、つまり濃密な
愛情を注ぐだけの余裕がなかった。
0歳から保育園へ預ける親も少なくなかった。
そうした子どもが現在、親になり、子育て(?)をしている。
しかしその内容は、かなりいびつなものと考えてよい。
端的に言えば、自分で子育てができない親がふえている。
その結果として、0歳から、保育園は入園させ、子どもを施設に預けて
しまう……。
みながみな、そうというわけではないかもしれない。
共働きをしなければ、生活できないという家庭も多い。
しかし「自分で子育てができない親がふえている」のも、事実。
さらに一歩踏み込んで、自分の子どもを愛せないと悩んでいる母親も
多い。
8~10%の母親がそうである。
マターナル・デプリベイション(Maternal Deprivation)(母性愛欠乏)
(※5)という言葉も生まれた。
そこで、子ども園。
待機児童の多さばかりが問題になる。
しかし実際には、母親の育児負担の軽減としての子ども園。
さらには育児ができない母親たちの、救援施設としての子ども園。
そういう性格も併せもっている。
私たち日本人は、この繁栄の中で、得たものも多いが、しかし失った
ものも多い。
そのひとつが「家族の絆」ということになる。
「親子関係の濃密さ」と言い替えてもよい。
たとえば欧米では、(今でも)、子育ては権利であると考える親は多い。
義務ではなく、権利である。
その権利が奪われそうになると、彼らはそれに対して、きわめて鋭敏に
反応する。
が、この日本では、どうか?
子ども園構想も大切だが、しかし日本の将来を考えるなら、子育ては、
親自身がする。
それが基本である。
その上で、補助的機関として、子ども園を利用する。
その姿勢を忘れてはならない。
もしこんなことを繰り返していたら、日本の乳幼児はやがて、施設のみで
人工飼育されるようになる。
そこで飼育された子どもが、親になり、さらに自分の子どもを施設のみで
人工飼育するようになる。
その結果、この日本はどうなるか。
それを少しでも頭の中で想像してみたらよい。
そこにあるのは、心の冷たい人間だけが住む、乾いた砂漠のような世界。
そのうしろで寒々とした風が、枯れ葉を舞いあげている……。
目の前に見える、立派なビルや道路、家や車を見ながら、それでもあなたは、
「この日本は豊かになった」と思うだろうか。……思えるだろうか。
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(※1)(※2)(※3)(※4)
(※5)について、原稿を添付します。
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(※1)
●親が子育てできなくなるとき
●親像のない親たち
「娘を抱いていても、どの程度抱けばいいのか、不安でならない」と訴えた父親がいた。「子どもがそこにいても、どうやってかわいがればいいのか、それがわからない」と訴えた父親もいた。
あるいは子どもにまったく無関心な母親や、子どもを育てようという気力そのものがない母親すらいた。また二歳の孫に、ものを投げつけた祖父もいた。このタイプの人は、不幸にして不幸な家庭を経験し、「子育て」というものがどういうものかわかっていない。つまりいわゆる「親像」のない人とみる。
●チンパンジーのアイ
ところで愛知県の犬山市にある京都大学霊長類研究所には、アイという名前のたいへん頭のよいチンパンジーがいる。人間と会話もできるという。もっとも会話といっても、スイッチを押しながら、会話をするわけだが、そのチンパンジーが九八年の夏、一度妊娠したことがある。が、そのとき研究員の人が心配したのは、妊娠のことではない。「はたしてアイに、子育てができるかどうか」(新聞報道)だった。
人工飼育された動物は、ふつう自分では子育てができない。チンパンジーのような、頭のよい動物はなおさらで、中には自分の子どもを見て、逃げ回るのもいるという。いわんや、人間をや。
●子育ては学習によってできる
子育ては、本能ではなく、学習によってできるようになる。つまり「育てられた」という体験があってはじめて、自分でも子育てができるようになる。しかしその「体験」が、何らかの理由で十分でないと、ここでいう「親像のない親」になる危険性がある。……と言っても、今、これ以上のことを書くのは、この日本ではタブー。いろいろな団体から、猛烈な抗議が殺到する。
先日もある新聞で、「離婚家庭の子どもは離婚率が高い」というような記事を書いただけでその翌日、一〇本以上の電話が届いた。「離婚についての偏見を助長する」「離婚家庭の子どもがかわいそう」「離婚家庭の子どもは幸せな結婚はできないのか」など。「離婚家庭を差別する発言で許せない」というのもあった。私は何も離婚が悪いとか、離婚家庭の子どもが不幸になると書いたのではない。離婚が離婚として問題になるのは、それにともなう家庭騒動である。この家庭騒動が子どもに深刻な影響を与える。そのことを主に書いた。たいへんデリケートな問題であることは認めるが、しかし事実は事実として、冷静に見なければならない。
●原因に気づくだけでよい
これらの問題は、自分の中に潜む「原因」に気づくだけでも、その半分以上は解決したとみるからである。つまり「私にはそういう問題がある」と気づくだけでも、問題の半分は解決したとみる。それに人間は、チンパンジーとも違う。たとえ自分の家庭が不完全であっても、隣や親類の家族を見ながら、自分の中に「親像」をつくることもできる。ある人は早くに父親をなくしたが、叔父を自分の父親にみたてて、父親像を自分の中につくった。また別の人は、ある作家に傾倒して、その作家の作品を通して、やはり自分の父親像をつくった。
●幸福な家庭を築くために
……と書いたところで、この問題を、子どもの側から考えてみよう。するとこうなる。もしあなたが、あなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築いてほしいと願っているなら、あなたは今、あなたの子どもに、そういう家庭がどういうものであるかを、見せておかねばならない。いや、見せるだけではたりない。しっかりと体にしみこませておく。そういう体験があってはじめて、あなたの子どもは、自分が親になったとき、自然な子育てができるようになる。
と言っても、これは口で言うほど、簡単なことではない。頭の中ではわかっていても、なかなかできない。だからこれはあくまでも、子育てをする上での、一つの努力目標と考えてほしい。
(付記)
●なぜアイは子育てができるか
一般論として、人工飼育された動物は、自分では子育てができない。子育ての「情報」そのものが脳にインプットされていないからである。このことは本文の中に書いたが、そのアイが再び妊娠し、無事出産。そして今、子育てをしているという(二〇〇一年春)。これについて、つまりアイが子育てができる理由について、アイは妊娠したときから、ビデオを見せられたり、ぬいぐるみのチンパンジーを与えられたりして、子育ての練習をしたからだと説明されている(報道)。しかしどうもそうではないようだ。
アイは確かに人工飼育されたチンパンジーだが、人工飼育といっても、アイは人間によって、まさに人間の子どもとして育てられている。アイは人工飼育というワクを超えて、子育ての情報をじゅうぶんに与えられている。それが今、アイが、子育てができる本当の理由ではないのか。
(参考)
●虐待について
社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の五人に一人は、「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の面で夫に不満を感じている母親は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、三倍になっていることがわかった(有効回答五〇〇人・二〇〇〇年)。
また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、虐待の度合を数字で示している。妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの一七項目を作成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどきある……一点」「しばしばある……二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あり」が、有効回答(四九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐待なし」が、六一%であった。この結果からみると、約四〇%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をしているのがわかる。
一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そしてその大半が何らかの形で虐待していることもわかったという(同、総合研究所調査)。「愛情面で自分の母親とのきずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかがえる」とも。
●ふえる虐待
なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、一九九八年までの八年間だけでも、約六倍強にふえていることがわかった。(二〇〇〇年度には、一万七七二五件、前年度の一・五倍。この一〇年間で一六倍。)
虐待の内訳は、相談、通告を受けた六九三二件のうち、身体的暴行が三六七三件(五三%)でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、二一〇九件(三〇・四%)、差別的、攻撃的言動による心理的虐待が六五〇件など。虐待を与える親は、実父が一九一〇件、実母が三八二一件で、全体の八二・七%。また虐待を受けたのは小学生がもっとも多く、二五三七件。三歳から就学前までが、一八六七件、三歳未満が一二三五件で、全体の八一・三%となっている。
Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司
(※2)ミューチュアル・アタッチメント
【新生児の謎】
●人間の脳の大きさは、母体の産道(骨盤)の大きさに比例する
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進化の過程で、人間の脳は、より
大きくなってきた。
350万年前の猿人(アウストラロピテクス) ……約 375cc
190万年前の原人(ホモハビリス) ……約 750cc
150万年前の人間の祖先(ホモエレクゥス) ……約 950cc
25万年前の人間、現代人(ホモサピュエンス)……約1500cc
(現代人の平均的脳容積 ……約1600cc)
(参考、チンパンジーの脳容量……約350~400cc)
(出典:別冊日経サイエンス、「るい・NETWORK」)
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胎児は母体の産道(骨盤の間)をくぐり抜けて、生まれる。
そのときもし胎児の頭の大きさが、産道よりも大きければ、胎児は、母胎の産道をくぐり抜けることができない。
だから『人間の脳の大きさは、母体の産道の大きさに比例する』。
胎児の頭が大きくなればなるほど、母体の産道の直径は大きくなければならない。
もし胎児が産道をくぐり抜けることができなければ、胎児が死ぬか、反対に母親が死ぬかのどちらかになる。
が、反対に、母体の産道が大きくなればなるほど、胎児の頭も大きくなるかといえば、それは言えない。
たとえば人間以外のほかの動物のばあい、頭よりも体のほうが大きい。
またその多くは、2体以上の子どもを出産する。
頭の大きさが問題になることは、ない。
つまりほかの動物のばあい、母体の産道の大きさは、頭というより、体の大きさによって決まる。(その反対でもよいが……)。
が、人間だけは、いびつなまでに、頭だけが大きい。
なぜか?
●頭を大きくするために
人間の脳を、今以上に大きくするためには、母体の産道を大きくするか、胎児そのものを、人工胎盤で育てるしかない。
よくSF映画の中にも、そういうシーンが出てくる。
大きな水槽の中で、胎児が人工飼育(?)されているシーンである。
水槽の中に胎児が浮かび、へその緒は、水槽外の栄養補給装置とつながっている。
この方法であれば、胎児は何の制約も受けず、自分の頭、つまり脳を大きくすることができる。いくら大きくなっても、出産時の問題は起きない。
「あれはSF映画の中の話」と思う人もいるかもしれないが、現在の科学技術だけをもってしても、けっして、不可能ではない。
現在でも、一度体外に取り出した女性の卵子に、人工授精させ、再び母体に戻すという方法は、ごくふつうのこととしてなされている。
あと50~100年もすれば、こうした方法、つまり人工胎盤を用いた育児法が、ごくふつうのこととしてなされるようになるかもしれない。
●2つの問題
が、ここで2つの問題が起きる。
厳密には、3つの問題ということになるが、3つ目は、このつぎに書く。
ひとつは、こうして生まれた子どもは、頭が大きくなった分だけ、つぎの代からは、自然分娩による出産がむずかしくなるだろうということ。
代を重ねれば重ねるほど、むずかしくなるかもしれない。
「ぼくは人工胎盤で生まれたから、ぼくの子どもも、人工胎盤で育てる」と。
そう主張する子どもがふえることも考えられる。
もうひとつの問題は、『頭が大きくなればなるほど、脳の活動は鈍くなる』ということ。
脳というのは、コンピュータの構造に似ている。
とはいうものの、シナプス間の信号伝達は、電気的信号ではなく、化学反応によってなされる。
この(化学反応)という部分で、脳は大きくなればなるほど、信号伝達の速度が遅くなる。
言いかえると、脳は小さければ小さいほど、信号伝達の速度が速い。
このことは昆虫などの小動物を見ればわかる。
こうした小動物は、知的活動は別として、人間には考えられないような速い動きをしてみせる。
つまり頭を大きくすることによって、より高度な知的活動ができるようになる反面、たとえば運動能力をともなう作業的な活動になると、かえって遅くなってしまう可能性がある。
歩くときも、ノソノソとした動きになるかしれない。
ひょっとしたら、頭の反応も鈍くなるかもしれない。
これら2つの問題は、克服できない問題ではない。
が、もうひとつ、深刻な問題がある。
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