Hiroshi Hayashi++++++March.2010+++++++++はやし浩司
(※4)ホスピタリズム
子どもの依存と、愛着は分けて考える。中には、この2つを混同している人がいる。つまりベタベタと親に甘えることを、依存。全幅に親を信頼し、心を開くのを、愛着という。子どもが依存をもつのは問題だが、愛着をもつのは、大切なこと。
今、親にさえ心を開かない、あるいは開けない子どもがふえている。簡単な診断方法としては、抱いてみればよい。心を開いている子どもは、親に抱かれたとき、完全に力を抜いて、体そのものをべったりと、すりよせてくる。心を開いていない子どもや、開けない子どもは、親に抱かれたとき、体をこわばらせてしまう。抱く側の印象としては、何かしら丸太を抱いているような感じになる。
その抱かれない子どもが、『臨床育児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査によると、4分の1もいるという。原因はいろいろ考えられるが、報告によれば、「抱っこバンドだ」という。
「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど感じなかった『拒否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、4分の1に及ぶことが、『臨床育児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」(中日新聞)と。
報告によれば、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体に回さない」が33%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応が2割前後見られ、調査した六項目の平均で25%に達したという。また保育士らの実感として、「体が固い」「抱いてもフィットしない」などの違和感も、平均で20%の赤ちゃんから報告されたという。さらにこうした傾向の強い赤ちゃんをもつ母親から聞き取り調査をしたところ、「育児から解放されたい」「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」などの意識が強いことがわかったという。また抱かれない子どもを調べたところ、その母親が、この数年、流行している「抱っこバンド」を使っているケースが、東京都内ではとくに目立ったという。
報告した同研究会の松永静子氏(東京中野区)は、「仕事を通じ、(抱かれない子どもが)2~3割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえたのは)、新生児のスキンシップ不足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原因があるのでは」と話している。
子どもは、生後7、8か月ころから、人見知りする時期に入る。一種の恐怖反応といわれているが、この時期を通して、親への愛着を深める。が、この時期、親から子への愛着が不足すると、以後、子どもの情緒はきわめて不安定になる。ホスピタリズムという現象を指摘する学者もいる。いわゆる親の愛情が不足していることが原因で、独得の症状を示すことをいう。だれにも愛想がよくなる、表情が乏しくなる、知恵の発達が遅れ気味になる、など。貧乏ゆすりなどの、独得の症状を示すこともあるという。
一方、冒頭にも書いたように、依存は、この愛着とは区別して考える。依存性があるから、愛着性があるということにはならない。愛着性があるから、依存性があるということにはならない。が、この二つは、よく混同される。そして混同したまま、「子どもが親に依存するのは、大切なことだ」と言う人がいる。
しかし子どもが親に依存性をもつことは、好ましいことではない。依存性が強ければ強いほど、自我の発達が遅れる。人格の「核」形成も遅れる。幼児性(年齢に比して、幼い感じがする)、退行性(目標や規則、約束が守れない)などの症状が出てくる。もともと日本人は、親子でも、たがいの依存性がきわめて強い民族である。依存しあうことが、理想の親子と考えている人もいる。たとえば昔から、日本では、親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子と考える。そして独立心が旺盛で、何でも自立して行動する子どもを、かわいげのない「鬼ッ子」として嫌う。
こうしたどこかゆがんだ子育て観が、日本独特の子育ての柱になっている。言いかえると、よく「日本人は依存型民族だ」と言われるが、そういう民族性の原因は、こうした独特の子育て観にあるとみてよい。もちろんそれがすべて悪いと言うのではない。依存型社会は、ある意味で温もりのある社会である。「もちつもたれつの社会」であり、「互いになれあいの社会」でもある。しかしそれは同時に、世界の常識ではないことも事実で、この日本を一歩外へ出ると。こうした依存性は、まったく通用しない。それこそ生き馬の目を抜くような世界が待っている。そういうことも心のどこかで考えながら、日本人も自分たちの子育てを組み立てる必要があるのではないか。あくまでも一つの意見にすぎないが……。
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Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司
(※5)子どもを愛せない母親
●マターナル・デプリベイション(Maternal Deprivation)(母性愛欠乏)
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乳幼児期の母子関係の不全。
それが後々、さまざまな症状の遠因となることがある。
とくに母子関係の欠如を、「マターナル・デプリベイション」
という。
子どもというのは、心豊かな家庭環境、とくに心豊かな母子関係の
中で、心をはぐくむ。
が、母親側に何かの問題があり、本来あるべき母子関係が
築けなくなることがある。
育児拒否、ネグレクト、育児放棄、母性愛の欠落、虐待、暴行など。
また自分の子どもであっても、子どもを愛せない母親は、
8~10%いる。
こうした母親側の育児姿勢が日常化すると、子どもには独特の
症状が現れるようになる。
ホスピタリズム(施設病)に似た症状を示すと説く学者もいる(後述)。
その第一が、他者との共鳴性の欠落。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、自分より弱い者をいじめたり、
自分より弱い立場にある動物を、虐待したりするようになる。
さらに成人してから、心の病気となって発現することもある。
ネットを使って、そうではないかと思われる症状をもった人を、
参考までに拾ってみた(2チャンネルより)。
もちろんここにあげた人たちの症例が、マターナル・デプリベイション
が原因というわけではない。
その疑いがあると、私が思うだけの話である。
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●心の葛藤
母子関係に悩み、葛藤している人は多い。
「親子だから……」「母親だから……」という『ダカラ論』ほど、あてにならないものはない。
またそういう前提で、この問題を考えてはいけない。
現在、人知れず、母親との関係に苦しんでいる人は多い。
++++++以下、2チャンネル投稿記事より転載+++++++
●症状(1)
【主訴、症状】自分が無価値、無意味だと思う。
漠然と怖い。
超泣く。所構わず突発的に。
睡眠障害(眠剤入れても3時間で目覚める)
母親が死ぬほど怖いし憎い(毒親で現在距離置き中)
【その他質問、追加事項】
抑うつ(っぽいと言われましたが病名はまだ)、過食嘔吐です。
大学に入るまでずっと抑圧された優等生でいざるをえなくて、それでも母親に否定され続けた。
反抗期も持てなく、完璧でないと思っている。
結婚したいヒトがいると言ったら、「これ以上親を不幸にするな」と言われ、
そこらへんくらいから将来を考えると不安になる(ネガティブな未来ばかりを想像して)ようになり 年末に仕事を失敗してから、仕事を拠り所にしていたことだろうことから(カウンセラーの言葉)自分の存在が0になったと思い全く身動きが取れなくなりました。
●症状(2)
【主訴、症状】引き篭もり。対人恐怖症。大声や物音に敏感で、緊張・恐怖・混乱・不安等を感じます。電話に出たり一人で外出できません。
母親からのモラハラと肉体的暴力、学校での虐め、母親の再婚先での連れ子虐待等から立ち直れません。フラッシュバックがよく起きます。
常に焦燥感があります。落ち着きや集中力や記憶力がなく頻繁に苛々しやすい。無心で喋り続ける妙な癖のようなものがある。
「死にたい」というよりも、寧ろ母親が憎くて殺したいと思っています。母親が死ねば解放されると信じていたりして自分でもマズイと思ってます。
普通の悪夢もありますが、憎い人間を殺す夢を見ることが多いです。
中学生の頃より酷くはないですが、フラッシュバックで気持ちが悪くなり、泣き喚いたりヒスっぽい奇声を発することもあります。これはごく稀です。
++++++以上、2チャンネル投稿記事より転載(原文のまま)+++++
●母子関係の重要性
乳幼児期における母子関係の重要性については、何度も書いてきた。
その子どもの基本は、この時期に構築される。
基本的信頼関係もそのひとつ。
基本的信頼関係は、その後の、その人の人間関係に大きな影響を与える。
わかりやすく言えば、基本的信頼関係がしっかりと構築できた子ども(人)は、他人に対して、心が開くことができる。
そうでない子ども(人)は、心が開けなくなる。
(詳しくは、「はやし浩司 基本的信頼関係」で検索。)
が、それだけではない。この時期をのがすと、人間性そのものが欠落した子どもになる。
インドで見つかった、タマラ、アマラの2人のオオカミ少女を、例にあげるまでもない。
これについても、何度も書いてきた。
(詳しくは、「はやし浩司 野生児」で検索。)
さらに最近の研究によれば、人間にも鳥類に似た、刷り込みがあることがわかってきた。
卵からふ化したあと、すぐ二足歩行する鳥類は、最初に見たもの、耳にしたものを、親と思いこむ習性がある。
それを刷り込み(インプリンティング)という。
人間にも、同じような刷り込みがあるという。
0歳から生後7か月くらいまでの間の期間をいう。
この期間を、発達心理学の世界では、「敏感期」と呼んでいる。
が、不幸にして不幸な家庭に育った子どもは、こうした一連の母子関係の構築に失敗する。
●ホスピタリズム(施設病)
生後直後から、何らかの理由で母親の手元を離れ、施設などで育てられた子どもには、独特の症状が現れることは、よく知られている。
こうした一連の症候群をまとめて、「ホスピタリズム(施設病)」という。
(ただしこの言葉は、私が幼児教育の世界に入った、40年前にはすでにあった。
施設、たとえば保育園などに入ったからといって、みながみな、施設病になるわけではない。
当時と現在とでは、保育に対する考え方も大きく変わり、また乳児への接し方も、変わってきた。
ホスピタリズムについても、そういうことがないよう、細心の注意が払われるようになっている。)
ホスピタリズムの具体的な症状としては、「感情の動きが平坦になる、心が冷たい、知育の発達が遅れがちになる、貧乏ゆすりなどのクセがつきやすい」(長畑正道氏)など。
ほかにも、動作がのろい(緩慢行動)、感情表出が不安定、表情が乏しいなどの症状を示す。
これについては、以前、どこかの学校でもたれたシンポジウム用に書いた原稿があるので、それを末尾に添付しておく。
マターナル・デプリベイションでも、似たような症状を示す。
が、もっとも警戒すべき症状としては、人間性の喪失。
冒頭にも書いたように、他者との共鳴性の欠落が第一にあげられる。
わかりやすく言えば、心の温もりを失い、心の冷たい子どもになる。
他人の心の痛みが理解できない。
相手の立場に立って、ものを考えることができない、など。
そのため年齢を重ねるについれて、他人をいじめたり、自分より弱い立場にある人や動物を、虐待したりするようになる。
さらに最近の研究によれば、こうした人間性の獲得にも、「臨界期」があることがわかってきた。
先のオオカミ少女にしても、その後インド政府によって、手厚く保護され、教育をほどこされたが、最後まで、人間らしい心を取り戻すことはなかったという。
つまり臨界期を過ぎてしまうと、それ以後、(取り返し)が、たいへん難しいということ。
このことからも乳幼児期における母子関係が、いかに重要なものであるかがわかる。
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