2010年11月30日火曜日

*At GD Hotel in Hamamatsu

●浜松・GDホテルに一泊

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今夜は、浜松・GDホテルに一泊。
12階のスカイラウジで書き始める。

窓が大きく開け、その向こうにはアクト・タワー。
眼下はもちろん、浜松市街。
すばらしい。
無数の星々が、漆黒の絨毯(じゅうたん)に撒き散らされたかのよう。
それが地上でまばたきもせず、銀色に光っている。
都会的な、きらびやかさ。
静寂と孤独。
それらが、みごとに溶け合わさっている。
まるで無数の宝石のよう。
その美しさに、しばし見とれる。

たった今、ピアノの弾き語りが終わったところ。
女性がいくつかのクリスマスソングを歌った。
ピアノの白いふたを音もなく閉じ、ゆっくりとした
足取りで、ラウンジを出て行った。

うしろの席で、7、8人の客が、会話ごとに
ゲラゲラ、ガハハハと笑っている。
その笑い声が、何と場違いなことよ。

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●気分転換

 このホテルへ来る前に、義兄の家に立ち寄った。
途中の店で買ったケーキを、義兄たちと4人で分けて食べた。
「今夜はGDホテルに泊まります」と言うと、「いいねえ」と。

浜松市内でも1、2を争う高級ホテル。……だった。
が、朝食付きのみなら、1人1泊5000円前後で泊まれる。
朝食なしなら、4000円前後(じゃらん経由)。
気分転換には、もってこい。
それに今日は、ささやかだが、雑誌社から原稿料が入った。
それでその気になった。

 ジジイの私がこう言うのもへんだが、……本当にへんだが、
久々に、おとなのムードを味わった。

●偏頭痛
 
 で、昨夜は最悪だった。
真夜中に、偏頭痛。
寝る前に食べたぜんざいが、悪かった(?)。
1時間ほど四転八転したあと、Z(偏頭痛薬)を2つに割ってのむ。
ワイフがふとんの下に、座布団を2枚重ねてくれた。
頭を高くしてくれた。
それがよかった。
30分もすると、痛みがスーッと消えていった。

 こういう見分け方が正しいのかどうか、知らない。
しかし風邪による頭痛は、眠っている間は忘れる。
偏頭痛は、眠っていても痛い。
それに偏頭痛をがまんして眠っていると、悪夢の連続。
悪夢といっても、不気味な悪夢。
昨夜は、目のない女性が、顔から青い血を流しながら、そこに立っていた。
今、思い出しても、ゾッとする。
 
●沽券(こけん)

 そんなわけで今日は、一日、家の中でのんびりしているつもりだった。
言うなれば病後。
11月28日、日曜日。
午前中に、電子マガジンの12月号を完成させる。
(結構、たいへんな作業だったぞ!)
午後は、軽い昼寝。
3時過ぎになって、運動もかねてワイフと2人で、大通りから佐鳴湖、
佐鳴湖から大平台団地と、ぐるりとこのあたりを一周した。
そのときワイフが、こう言った。
「今夜は、どこかへ行かない?」と。

 こういうときワイフの提案を断ると、あとがこわい。
……というか、私にも夫としての沽券(こけん)がある。
言うなれば、メンツ。
ケチなことを言うと、嫌われる。
若いころから、そういう点では気をつかう。
「どこか、ホテルに泊まろうか」と。
そう答えると、ワイフはうれしそうに笑った。

●浜松GDホテル

 浜松GDホテルには、大浴場はない。
もちろん温泉もない。
そういう楽しみはない。

若いころはよく来た。
何かにつけ、よく来た。
「GDホテルで……」と、名前を口にするだけで、ステータス。
気分がよかった。

 で、そのころは、TDさんという人が、このホテルを経営していた。
2人のお嬢さんがいたが、私の教え子ということもあった。
が、一度、倒産。
理由はよく知らないが、改築費でつまずいたと、だれかから聞いた。
そのあと、このホテルは、別の経営者の手に渡った。

 そういうこともあって、このホテルに、星をつけることはできない。
あまりにも、おこがましい。

●縁

 40年以上も住んでいると、人の世の浮き沈みがよくわかる。
「おごれる者、久しからず」とも言う。
が、その一方で、大成した人もいる。
入れ替わり立ち替わり……というか、そういう人が出てきては、また消える。
人口60万人とも、80万人ともいわれる浜松だが、たいていの人とは、
どこかでつながっている。
縁がある。
「あの人がねえ」という会話が、このところ多くなった。

 たとえば目の前には、TKというホテルもある。
そのホテルの子どもたち(兄と妹)も、私の教え子。
親たちも、よく知っている。
私が浜松へ来たころには、小さな旅館風のホテルだった。
GDホテルの陰に隠れて、目立たなかった。
が、今は、全国にチェーン・ホテルを展開している。

●浮き沈み

 こうして振り返ってみると、「歴史」とは何か、
そこまで考えてしまう。
たとえば江戸時代。
あの時代にも、浮き沈みはあったはず。
今よりは、スローテンポだったかもしれない。
今は、10~20年単位で、ものごとが変化する。
江戸時代には、それが100年単位だったかもしれない。
どうであるにせよ、そうした(変化)は、私たちに何を残したのか。
だからといって、そうした変化が無駄というのではない。
その逆。
その結果として、今の私たちがいる。
それを歴史という。

●万年倦怠期

 ところで先に、「沽券(こけん)」という言葉を使った。
「値打ち、品位、体面」という意味である。
が、60歳を過ぎた夫婦には、もうひとつ別の意味が生まれる。
過ごし方をまちがえると、「万年倦怠(けんたい)期」。
人生そのものが、どんよりとした鉛色のモヤに包まれてしまう。
だからあえて、こうして機会を見つけて、外に出る。
雰囲気を変える。

 夫婦の倦怠をどう防ぐか。
これも老後のひとつのテーマということになる。

●気力

 それに健康というのは、気力の問題。
病気に遠慮していると、ますます病気ぽくなってしまう。
そこで多少の不調程度なら、無視して行動に出る。
体を動かす。
今朝の私がそうだった。

 朝は偏頭痛に苦しんだ。
静養するかどうかは、そのときの判断。
「もうだいじょうぶ」と判断したら、あとは思い切って外へ飛び出す。
気力が病気を治してくれる。

●離婚

 オーストラリアの友人の息子が、先週、離婚した。
結婚してまだ数年。
子ども(孫)ができたばかりだった。
つい先日のメールでは、孫の写真を送ってくれた。
理由はいろいろ書いてあった。
それについては、ここには書けない。
が、これも「浮き沈み」のひとつ。
(離婚したからといって、沈んだことにはならないが……。)

 つまり、生きていく過程では、いろいろある。
私たち夫婦も、何度か離婚の危機にさらされた。
とくに今年の夏には、あぶなかった。
が、基本的には、私はワイフなしでは生きていかれない。
ワイフも、私なしでは生きていかれない。
そのつど、たがいにあきらめ、よりを戻す。

 が、若い夫婦のばあい、たがいの密着度がそれほど強くない。
積み重ねられた思い出も少ない。
そのため「あきらめる」という力が働かない。
だから簡単に離婚する。

●ホテル、旅館業界

 ところでホテル、旅館業界は、大不況のまっただ中。
そのため料金のダンピングが、はげしい。
利用者である私たちにとっては、うれしい。
が、その分、このところサービスの低下が、目立ってきた。
とくに料理が悪くなってきた。

 先週泊まった、焼津のSKホテルも、そのひとつ。
目玉はカニ一杯。
それだけ。
あとはスーパーで売っているような刺身と天ぷら。
それらをそれらしく並べて、それでおしまい。
料理らしい料理は、何もなかった。

 つまり「安かろう、悪かろう」が目立ってきた。
つまりホテル、旅館業界は今、底なしの悪循環の世界に入りつつある。
このままでは良質のホテルや旅館まで、つぶれてしまう。

●加齢臭

 部屋に戻ってから、風呂に入った。
私にとっては、2日ぶりの風呂。
このところ鼻水が出た。
「風邪かもしれない?」と思っているうちに、2日が過ぎた。
それで2日ぶり。

 一説によると、55歳前後から、加齢臭が始まるという。
この加齢臭のこわいところは、自分ではわからないこと。
そのため55歳を過ぎたら、毎晩、風呂に入るのがよい。
60歳を過ぎたら、なおさら。

 よく子ども(生徒)たちは、私にこう言う。
「先生は、ジジ臭い」と。
ヘアートニックなどの匂いを言うこともあるが、本当にジジ臭いのかも。
風呂の中でタオルをゆすぐと、体の垢(あか)が、プラプカと湯面に上ってきた。

●北朝鮮

 こうして何でもない一日は終わった。
ワイフは、ベッドからテレビのニュースを観ている。
心配なのは(?)、朝鮮半島。
しかしあの金xxは、戦争など、しない。
その度胸もない。
ありもしない外国の脅威を作りあげ、それでもって
国内を引き締めているだけ。
そのためにアメリカや韓国が利用されているだけ。

 で、今日の午後5時半。
中国が重大発表(?)なるものを行った。
内容は「12月はじめに、6か国協議を開く」というもの。

 バ~カ!

 日米韓は、即座に反応。
「何を今さら」と。
これで中国のメンツは丸つぶれ。
が、問題はなぜ、それがわかっていながら、中国はあえて重大発表
という形で、そんな提案をしたか、だ。
それに先だって、中国政府は各国の高官と協議を重ねていた。
それを通して、その雰囲気がわかっていたはず。

 が、テレビに出てきた北朝鮮専門家(?)と言われる人たちは、
トンチンカンな解説を繰り返しすのみ。
「北朝鮮は、本気のようです」
「これ以上、追い詰めない方がいい」と。

 つまり中国は、北朝鮮にせがまれて、そういう提案をしてみただけ。
中国は北朝鮮を失うこと、つまり南北が、韓国とアメリカ主導で統一
されることを、何よりも恐れている。
そんな中国を、6か国協議の議長国にしたのが、そもそものまちがい。
泥棒に、泥棒の管理をかませたようなもの。

 午後11時15分。
ニュースは終わった。
私も寝る。
おやすみ。

●翌朝(11月29日)

 このところ温泉でも、朝風呂は避けている。
どういうわけか、朝風呂に入ると、体力の消耗がはげしい。
ばあいによっては、そのあと、立ちくらみや、めまいがすることがある。

 起きて身支度を整える。
朝食は6時半からという。
時計を見ると、7時半。
そのまま2階の食堂へ。

 が、並べられた料理を見て、がっかり。
割引料金で、1500円弱。
GDホテルには悪いが、こんな朝食で、1500円は高い。
やる気ゼロ、本気ゼロという中身だった。

 私は近くに陳列してある、S社の超大型船外機(たぶん、模型?)を
ながめながら、不満感をなぐさめた。

食堂を出るとき、ワイフはこう言った。
「私たち、目が肥えているから……」と。

 先に書いた、KTホテル(ビジネスホテル)のばあい、1泊3500円前後。
朝食は無料。
品数は少ないが、それでもGDホテルの朝食よりは、よい。

 ……とまあ、悪口を書いてしまった。
しかしホテルにせよ、旅館にせよ、評価は本気度で決まる。
先月泊まった、西浦温泉の竜宮ホテルは、見栄えは質素だったが、
廊下ごとに、茶の香が立ててあった。
そういうのを見て、私たちは「本気度」を知る。

 とても残念なことだが、GDホテルでは、その本気度を
感ずることができなかった。
建物だけは、立派だが……。

●補記

 「今度は、アクトタワーに泊まってみたい」とワイフは言っている。
私も、泊まってみたい。
で、こういうのを「冥土のみやげ」という。
先日、「朝食のみ付き」で、一泊8500円前後という宣伝が新聞に
載っていた。
会員制の大浴場にも、無料で入れるという。
地元にいながら、地元のホテルや旅館のことは、あまり知らない。
死ぬまでに、一度は、堪能(たんのう)しておきたい。


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

2010年11月29日月曜日

*Nov. 29th Magazine

★前号からのつづきです。



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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2010年 11月 29日
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【息子の初フライト】(特集)第2回□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【息子の初フライト】JAL搭乗機

●羽田へ向かう

 これから羽田に向かう。
新幹線に乗って、品川まで。
品川で一泊。
朝イチで、羽田へ。
903便。
午前8時10分離陸
息子の初飛行。
副機長になっての初飛行。
機種はB777-300。
500人乗り。

が、あいにくの悪天候。
目下、台風14号が、沖縄を直撃中。
言い忘れたが、初飛行は、羽田から那覇(沖縄)まで。
明日は「欠航」になるはず。
それでも私たちは、羽田に向かう。
ワイフが、こう言った。
「沖縄へ行けなくてもいいから……」と。
ワイフにはワイフの思いがある。
息子のにおいをかぎたいらしい。
「E(息子)に会えなくてもいいから……」とも。
私はすなおに、同意した。

・・・いつだったか、私は息子に約束した。
「初飛行のときは、飛行機に乗るよ」と。
その約束を、明日実行する。

●搭乗券

 息子が、JALの無料搭乗券を送ってきた。
が、その券では飛行機の予約はできない。
私とワイフは、割高の席を予約した。
往復で、14万円。
ファーストクラス。
(このLCCの時代に、14万円!)
LCC、つまりロー・コスト・キャリアー。
欧米では、ばあいによっては、300~500円で飛行機に乗れるという。
そういう時代に、14万円!

 「高い」と思う前に、私のばあい、
「無事に帰ってこられたら、安い」と考える。
何を隠そう、私は飛行機恐怖症。
一度、飛行機事故に遭ってから、そうなってしまった。
今の今も、欠航になればよいと思う。
同時に、約束は守らねばならないという義務感。
その両者が、心の中で交互に現れては消える。

 本音を言えば、どちらでもよい。
飛行機は好きだが、今年(2010)になってからというもの、一度も空を
見あげていない。
いろいろあった。
加えて飛行機事故のニュースを聞くたびに、ヒャッとする。
そうした状態がこの先、一生、つづく。

もし欠航になったら、羽田見物をする。
羽田でも、国際線が発着するようになったという。
それを見て、明日は、そのまま帰ってくる。

●息子の初飛行

 2010年、10月xx日。
JALに入社した息子が、副機長として、初飛行をする。
羽田から那覇まで。
パイロットの世界では、「初~~」というのは、
そのつど特別な意味をもつ。

 先週、その知らせを受け取るとすぐ、飛行機の予約を入れた。
長い手紙と、10枚近い写真が、それに添えてあった。
訓練につづく訓練で、忙しかったらしい。

●初飛行

 先にも書いたが、2010年の正月以来、ほぼ11か月。
私とワイフは、一度も空を見上げたことがない。
飛行機の話もやめた。
それまでは毎日のように空を見上げていたが・・・。

 正月に事件があった。
どんな事件かは、ここには書きたくない。
一度ハガキを書いたが、返事はなかった。
無視された。
手紙ではなく、ハガキにしたのは、家族の間で秘密を作りたくなかったから。
ともかくも、その事件以来、私は苦しんだ。
ワイフも苦しんだ。

『許して忘れる』という言葉がある。
この言葉は自分以外の人には有効でも、自分に対しては、そうでない。
自分を許して、忘れることはできない。
自己嫌悪と絶望感。
……いろいろあった。

●ケリ

 そんな私がなぜ初飛行に?、と思う人がいるかもしれない。
それにはいろいろ理由がある。
ひとつには、自分の気持ちにケリをつけたかった。

息子が横浜国大を中退して、パイロットになりたいと言ったときのこと。
私は息子に夢を託した。
私も学生時代、パイロットにあこがれた。
仲がよかった先輩が、航空大学へ入学したこともある。

 が、息子が、航空大学に入学し、その夢がかなった。
息子が単独飛行で、浜松上空を横切ったときは、ワイフと二人で、
毛布を2枚つないだほどの大きな旗を作った。
黄色い旗だった。
それをワイフと2人で、空に向かって、振った。
JALに入社して、さらにその夢がかなった。
が、私の夢は、そこまで。

●私の夢

 私たちがその飛行機に乗ることは、昨日になってはじめて連絡した。
同じようにハガキで書いた。
たがいの連絡が途絶えて、10か月以上になる。
が、内緒で乗るというような、卑屈な気持ちはみじんもない。
私には私の夢があった。

息子の操縦する飛行機で、旅をする。
私の代理として、息子が操縦桿を握る。
その夢に終止符を打つために、飛行機に乗る。

私は私で夢をかなえ、あとは静かに、引き下がる。

●子離れ

 が、どうか誤解しないでほしい。
だからといって、息子との関係が壊れているとか、断絶しているとか、
そういうことではない。
(連絡は途絶えているが……。)
ワイフはいつも、こう言っている。
「自然体で考えましょう」と。

 その自然体で考えると、「どうでもよくなってしまった」。
「めんどう」という言い方のほうが、正しい。
親子の関係にも、燃え尽き症候群というのがあるのかもしれない。
その事件をきっかけに、私は燃え尽きてしまった。

 もちろん苦しんだ。
心臓に異変を感ずるほど、心を痛めた。
家にいる長男は、E(息子)を怒鳴りつけてやると暴れた。
私は私で、体中が熱くなり、眠られぬ夜が、何日もつづいた。
しかしそれも一巡すると、ここに書いたように、どうでもよくなってしまった。
もし修復するという気持ちが息子にあったとしたら、11か月というのは、
あまりにも長すぎた。
遅すぎた。

 これも子離れ。

●呪縛

 「今ね、息子や嫁さんに会っても、以前のようにすなおな気持ちで、
いらっしゃいとは言えないよ」と。
ワイフも同じような気持ちらしい。
仮に言えたとしても、そのときはそのときで、終わってしまうだろう。
長つづきしない。
やがて今のような状態に、もどる。

 悲しいというよりは、ワイフの言葉を借りるなら、「そのほうがいい」と。
「息子たちは息子たちで、私たちに構わず、幸福になればいいのよ」と。

 私は逆に、若いころから、濃密すぎるほどの親子関係、親戚関係で苦しんだ。
2年前、実兄と実母をつづいてなくし、やっとその呪縛から解放された。
そんな重圧感は、私たちの世代だけで、終わりにしたい。
もうたくさん。
こりごり。

●だれかがしなければならない仕事?

 息子から長い手紙がきたとき、チケットの予約はした。
メールはたびたび出したが、返事はなかった。
それで今回は、メールを出さなかった。
たぶん、アドレスを変えたせいではないか。
いろいろな文章が頭の中を横切ったが、手紙にはならなかった。
今さら、何をどう書けばよいのか。

 繰り返しになるが、今までもそうだったが、これからも飛行機事故の
ニュースを聞くたびに、心臓が縮むような思いをしなければならない。
危険な職業であることには、ちがいない。
が、私にこう言った人がいた。

「だれかがしなければならい仕事でしょ」と。

 そんな酷な言葉があるだろうか。
もし自分の息子だったら、そんな言葉は出てこないだろう。
たとえば自分の息子が戦場へ行ったとする。
そしてだれかに、「心配だ」と告げたとする。
で、そのだれかが、「だれかがしなければならない仕事でしょ」と。

●夢?

 夢をかなえた?

・・・今にして思えば、やはりあのとき、私は反対すべきだった。
学費の援助を止めるべきだった。
空を飛びたいという気持ちは、よくわかる。
しかし多かれ少なかれ、だれしも一度は、パイロットにあこがれる。
が、空の飛び方は、必ずしもひとつではない。
客となって、空を飛びまわるという方法もある。
またその夢がかなわなかったからといって、負け犬ということでもない。

 たとえばあの毛利氏(宇宙飛行士)は、浜松市で講演をしたとき、こう言った。
「みなさん、夢をもってください」「実現してください」と。
子ども相手の講演会だった。
「みなさん」というのは、子どもたちをさす。

 しかし自分の子どもを宇宙飛行士にしたいと願う親はいない。
もし、あなたの息子が「パイロットになりたい」と言ったら、あなたはどう思うだろうか。
「なりなさい」と言うだろうか。
「危険な仕事」というのは、それをいう。

 今回も、何人かの知人に、「息子が初飛行します」と告げた。
みな「おめでとう」とは言ってくれたが、そこまで。
それ以上のことは言わなかった。
みな、口を閉じてしまった。

●運命

 ともかくも今夜は、品川で一泊する。
早朝便で、羽田から那覇へ飛ぶ。
しかし台風。
台風14号。
このままでは明日、台風は沖縄を直撃する。
私の予想では、当時のフライトは、欠航になるはず。
大型台風のまっ只中へ、着陸を強行するパイロットは、いない。

 そう、何ごとも中途半端はいけない。
直撃なら、直撃でよい。
そのほうが、あきらめがつく。

 しかしこれも運命。
私たちはいつも無数の糸にからまれている。
今は「天候」という糸にからまれている。

●S氏

 ときどきふと、こう考える。
長生きするのも、考えもの、と。
数年前までよく仕事を手伝ってくれた、S氏という男性が亡くなった。
病院で腎透析を受けている最中に、眠るように亡くなったという。
私より、5歳も若かった。

 もし私も5年前に死んでいたら、私の周辺はもっと平和だったかもしれない。
息子たちにも、「いい親父だった」と言われているかもしれない。
それにこの先のことを考えると、私はみなに迷惑をかけることはあっても、
喜ばれることはない。
さみしい人生だが、これも運命。
無数の糸にからまれて作られた、運命。

●ケリ

 先ほど「ケリ」という言葉を使った。
この数年、私はこの言葉をよく使う。
ケリ。
いろいろなケリがある。
とくに人間関係。

 それまでモヤモヤしていたものを清算する。
きれいさっぱりにする。
それがケリ。

 最初にケリをつけたのは、山林。
30年ほど前、1人のオジが、私に山林を売りつけた。
「山師」というのは、イカサマ師の代名詞にもなっている。
オジはその山師だった。
当時としても、相場の6倍以上もの値段で売りつけた。
私はだまされているとはみじんも疑わず、その山林を買った。
間で母が仲介したこともある。

 その山林を昨年、買ったときの値段の10分の1程度で売却した。
株取引の世界でいう、「損切り」。
損をして、フンギリをつける。
いつまでも悶々としているのは、精神にも悪い。
そうでなくても、私の人生は1年ごとに短くなっていく。
 
●人間関係

 つぎに人間関係。
私はいくつかの人間関係にも、ケリをつけた。
まず「一生、つきあうことはない」という思いを、心の中で確認する。
そういう人たちから順に、ケリをつけていく。

 妥協しながら、適当につきあうという方法もないわけではない。
しかしそんな人間関係に、どれほどの意味があるというのか。
というか、私は自分の人生の中で、妥協ばかりして生きてきた。
言いたいことも言わず、したいこともしなかった。
みなによい顔だけを見せて生きてきた。
子どものころから、ずっとそうしてきた。
若いときは、働いてばかりいた。
そんな自分にケリをつける。
そのために人間関係にも、ケリをつける。

 この先、刻一刻と自分の人生は短くなっていく。
無駄にできる時間はない。
それでも私のことを悪く思うようなら、「林浩司(=私)は死んだ」と、
そう思いなおして、あきらめてほしい。

●選択
 
 もうひとつ、ここに書いておきたい。
それが「選択」。
何かの映画に出てきたセリフである。
「私の人生はいつも、選択だった」と。

 いくら私は私と叫んでも、毎日が、その選択。
「私」など、どこにもない。
Aの道へ行くにも、Bの道へ行くにも、選択。
選択を強いられる。
そこでその映画の主人公は、こう叫ぶ。
「もう選択するのは、いやだア!」と。

 この言葉を反対側から解釈すると、「私は私でいたい」という意味になる。
つまり先に書いた、「ケリ」と同じ。
私が言う「運命論」は、その「選択論」に通ずる。
私たちは大きな運命の中で、こまかい選択をしながら生きている。
その選択をするのも、疲れた。

●孤独

 たまたま今朝も書いたが、この先、独居老人ならぬ「無縁老人」が、どんどんと
ふえるという。
私もその1人。

 しかし誤解しないでほしい。
無縁は、たしかに孤独。
しかし「有縁」だからといって、孤独が癒されるということではない。
世界の賢者は、口をそろえてこう言う。
老齢期に入ったら、相手を選び、深く、濃密につきあえ、と。
あるいはこう教えてくれた友人(私と同年齢)もいた。

 「林さん(=私)、酒を飲むと孤独が癒されるといいますがね、あれはウソですよ。
そのときは孤独であることを忘れますがね、そのあと、ドカッとその数倍もの
孤独感が襲ってきますよ」と。

 人間関係も同じ。
心の通じない人と、無駄な交際をいくら重ねても、効果は一時的。
そのときは孤独であることを、忘れることはできる。
しかしそのあと、その数倍もの孤独感がまとめて襲ってくる。
私も、そういう経験を、すでに何度かしている。

●親子関係

 そこで問題。
よき親子関係には、孤独を癒す力があるか否か。
答は当然、「YES」ということになる。
人は、その親子関係を作るために、子育てをする。
が、このことには二面性がある。

 私は私の親に対して、よい息子(娘)であったかどうかという一面。
もうひとつは、私という親は、息子(娘)に対して、よい親であったかという一面。
私を中心に、前に親がいて、うしろに子どもがいる。
実際には、よき親子関係を築いている親子など、さがさなければならないほど、少ない。
が、今、子育てに夢中になっている親には、それがわからない。

 「私だけはだいじょうぶ」
「うちの子にかぎって……」と。
幻想に幻想を塗り重ねて、その幻想にしがみついて生きている。
が、子どもが思春期を迎えるあたりから、親子の間に亀裂が入るようになる。
それがそのまま、たいていのばあい、断絶へとつながっていく。

 それともあなたは自分の親とよい人間関係を築いているだろうか。
「私はそうだ」と思う人もいるかもしれない。
が、ひょっとしたら、そう思っているのは、あなただけかもしれない。

●品川のホテルで

 ホテルへ着くと、私はすぐ睡眠導入剤を口に入れた。
睡眠薬ともちがう。
ドクターは、「熟睡剤」と言う。
朝方に効く薬らしい。
早朝覚醒を防ぐ薬という。
それをのむと、明け方までぐっすりと眠られる。
が、午前5時前に目が覚めてしまった。

 ……このつづきは、またあとで。

●宿命的な欠陥

 話はそれる。

 これは現代社会が宿命的にもつ欠陥なのかもしれない。
私たちは古い着物を脱ぎ捨て、ジーンズをはくようになった。
便利で合理的な社会にはなったが、そのかわり、日本人が昔からもっていた温もりを
失ってしまった。

 こんな例が適切かどうかはわからない。
が、こんな例で考えてみる。

 私が子どものころは、町の祭りにしても、旅行会にしても、個々の商店主がそれを
主導した。
どこの町にも、そうした商店街が並んでいた。
近所どうしが、濃密なコミュニティーをつくり、助けあっていた。

 が、今は、大型ショッピングセンターができ、街の商店街を、駆逐してしまった。
こうこうと光り輝く、ショッピングセンター。
山のように積まれたモノ、モノ、モノ。
そこを歩く華やかな人々。
ファッショナブルな商品。 

 しかしそういう世界からは、温もりは生まれない。
わたしはそれを、現代社会が宿命的にもつ「欠陥」と考える。
当然のことながら、親子関係も、大きく変わった。

●私の時代

 何度も書くが、私は結婚する前から、収入の約半分を実家へ、送っていた。
ワイフと結婚するときも、それを条件とした。
当時の若者としては、けっして珍しいことではなかった。
集団就職という言葉も、まだ残っていた。

が、今の若い人たちに、こんな話をしても、だれも信じない。
私の息子たちですら、信じない。
そんなことを口にしようものなら、反対に、「パパは、ぼくたちにも同じことを
しろと言っているのか」と、やり返される。

 実際に、そんなことを言ったことはないが、返事は容易に想像できる。
だから言わない。
言っても、無駄。

 が、今はそれが逆転している。
親が子どものめんどうをみる時代になった。
なったというよりは、私たちが、そういう時代にしてしまった。
飽食と少子化。
ぜいたくと繁栄。
それが拍車をかけた。

●翌、10月29日

 チケットを購入し、今、11番ゲートの出発ロビーにいる。
昨夜のんだ、頭痛薬のせいと思う。
今朝から軽い吐き気。
私はミネラルウォーターを飲む。
ワイフは横でサンドイッチを食べている。

 どうやら飛行機は、定刻どおり離陸するらしい。
うしろ側にモニターがあって、飛行機の発着状況を知らせている。
今のところ「欠航」という文字は見えない。
だいじょうぶかな?
台風14号は、どうなっているのかな?

 B777は、大型飛行機。
その中でもB777-300。
日本では、最大級の飛行機。
ジャンボと呼ばれた747よりも、実際には大きいという。
風にも強いとか。

 しかしこわいものは、こわい。
この体のこわばりが、それを示している。
恐怖症による、こわばり。
体が固まっている!

●ラウンジで

 ワイフが席にもどってきた。
あれこれしゃべったあと、また席を立った。
もどると、私のシャツのシミを拭き始めた。
「白いシャツだと、目立つから……」と。

 「搭乗手続き中」の表示が出た。
那覇行き、903便。
だいじょうぶかなあ……?

●離陸

 飛行機がスポット(駐機場)を離れたとき、熱い涙が何度も、頬を流れた。
同時に息子の子ども時代の姿が、あれこれ脳裏をかすめた。
「走馬灯のように」という言い方もあるが、走馬灯とはちがう。
断片的な様子が、つぎつぎと現れては消えた。

 最初は、息子が私のひざに抱かれて笑っている姿。
生まれたときは、標準体重よりかなり小さな赤ん坊だった。
だから私は息子を、「チビ」とか、「チビ助」とか呼んでいた。
それがそのあと、「ミニ公」となり、「メミ公」というニックネームになった。

 つぎに大きなおむつをつけて、かがんでいる姿。
どこかの田舎のあぜ道で、道端を流れる水をながめている。
オタマジャクシか何かを見つけたのだろう。
息子はその中を、じっと見つめていた。

 そのメミ公が、私の身長を超えたのは、中学生になるころ。
今では180センチを超える大男になった。

 ……先ほど通路を通るとき、私たちを見つけたらしい。
左の席にいた機長が何度も、頭をさげてくれた。
私は思わず、親指を立て、OKサインを出した。

 私は、飛行機が空にあがると、息子が航空大学時代に送ってくれた学生帽を
かぶりなおした。
金糸で、それには「Hiroshi Hayashi」と縫いこんであった。

●白い雲海

 シートベルト着用のサインが消えた。
電子機器の使用が許可された。
私はパソコンを取り出した。
息子は今日から飛行時間を重ね、つぎは機長職をめざす。
いや、息子のことだから、それまでおとなしくしているとは思わない。
何かをするだろう。

 どうであれ、おそらく私はそれまでは生きていないかもしれない。
窓の外には白い雲海が広がっていた。
まぶしいほどの雲海。
台風14号の影響か、見渡す限り、雲海また雲海。
息子は毎日、こんな世界を見ながら仕事をするのだろうか。

●B777-300

 だれだったか、こう言った。
「これからは飛行機のパイロットも、バスの運転手も同じだよ」と。
しかしB777-300に乗ったら、そういう考えは吹き飛ぶ。
風格そのものがちがう。
飛行機は飛行機だが、B777-300は、さすがに大きい。
新幹線の1車両(普通車)は、90人(5人がけx18列)。
その約5~6倍の大きさということになる。
それだけの大きさの飛行機が、機長と副機長という2人の技術だけで飛ぶ。

 国際線は何10回も利用させてもらったが、そんな目で見たことは、今回が
はじめて。
それに、ここまでくるのに、つまり航空大学校に入学してから、5年半。
ANAに入社した大学の同期は、すでに1~2年前から、副機長として
飛んでいるという。

 パイロットという仕事は、そこまでの段階がたいへん。
またそのつど、感動がある。

 はじめてフライトしたとき。
はじめて単独飛行をしたとき。
はじめて双発機を飛ばしたとき。
はじめて計器飛行をしたとき。
はじめて夜間飛行をしたとき。
いつも「はじめて……」がつく。
今回は、副機長。
はじめての副機長。

●JAL

 飛行機に乗るなら、JALがよい。
けっしてひいきで書いているのではない。
訓練のきびしさそのものが、ちがう。
先ほど航空大学校の話を書いたが、卒業生でもJALに入社できたのは、3名だけ。
ANAも3名だけ。
そのあと、カルフォルニアのNAPA、下地島(しもじしま)での訓練とつづいた。

 外国のパイロットは、そこまでの訓練はしない。
退役した空軍パイロットが、そのまま民間航空機のパイロットになったりする。
会社自体は現在、ガタガタの状態。
しかしパイロットだけは、ちがう。
あるいはパイロットは全世界、同じと考えたら、大きなまちがい。
息子の訓練ぶりの話を聞きながら、私は幾度となく、そう確信した。

 みなさん、飛行機はJALにしなさい!
多少、料金が割高でも、JALにしなさい!
命は、料金で計算してはいけない。
たとえば中国の航空会社は、少しの悪天候でも、つぎつぎと欠航する。
夜間飛行(=計器飛行)もロクのできないようなパイロットが、国際線を
操縦している。
数年前、韓国の釜山で墜落した飛行機もそうだった。
パイロットには夜間飛行の経験がなかったという。
だからそうなる。

●アナウンス

 先ほど、息子がフライトの案内をした。
早口で、ややオーストラリア英語なまり(単語の末尾をカットするような英語)でも
話した。

 この原稿は息子にあとで送るため、気がついた点を書いてみたい。

(1)もう少し、低い声で、ゆっくりと話したらよい。
(2)「タービュランス(乱気流)」という単語が、聞きづらかった。
(3)こうした案内は、「Ladies & Gentlemen」ではじめ、必ず終わりに、「Thank you」
でしめくくる。

 早口だと、乗客が不安になる?
静かで落ち着いた口調だと、もっと安心する。
とくに今日は、台風14号の上空を飛ぶ。

●沖縄

 いつもそうだが、飛行機恐怖症といっても、飛行機に乗っている間は、だいじょうぶ。
離陸前、着陸時に緊張する。
それに先方の出先で不眠症になってしまう。
今回も、おとといの夜くらいから不眠症に悩まされた。

 今夜は沖縄でも、ハイクラスのホテルに泊まる。
ワイフが料金を心配していたが、私はこう言った。
「14万円もかけていくんだぞ。ビジネスホテルには泊まれない」と。

 1泊2日の旅行(?)だが、行きたいところは決まっている。
数か月前、沖縄に行ってきた義兄が、「こことここは行ってこい」と、あれこれ
教えてくれた。
そのひとつが、水族館。
ほかにショーを見せながら夕食を食べさせてくれるところがあるそうだ。
ワイフは、そこへ行きたいと言っている。

●オーストラリア

 飛行機に乗る前は、「家族もろとも、あの世行き」と考えていた。
しかしまだまだ死ねない。
やりたいことが山のようにある。
それにまだ若い。 
ハハハ。
まだ若い。

 ……今、ふと、オーストラリアに向かって旅だったときのことを思い出した。
離陸するとすぐ、BGMが流れ始めた。
その曲が、「♪アラウンド・ザ・ワールド」だった。
私はその曲を耳にしたとき、誇らしくて、胸が張り裂けそうになった。
1970年の3月。
大阪万博の始まる直前。
その日、私はオーストラリアのメルボルンへと旅立った。

 ……しかしどうしてそんなことを思い出したのだろう。
あのときもJALだった。
機種はDC-8。
香港、マニラと、2度も給油を重ねた。
つばさの赤い日の丸を見ながら、私は心底、日本人であることを誇らしく思った。

●台風

 再び息子が案内した。
「台風の上を通過するから、シートベルトを10分ほど着用するように」と。
とたん、飛行機が揺れ始めた。

 息子は英語で、「about ten minutes」と言ったが、こういうときオーストラリア
人なら、「approximately ten minutes言うのになあ」と思った。
どうでもよいことだが……。

息子はアデレードのフリンダース大学で、8か月を過ごしている。
オーストラリアなまりでは、「about」も、「アビャウツ」というような発音をする。
どうでもよいことだが、息子の英語は、どこか日本語英語臭い。
いつだったか、そんな英語で管制官に通ずるのかと聞いたことがある。
それに答えて、息子はこう言った。
「へたに外国なまりの英語を話すと、かえって通じないよ」と。

 そう言えば、こんな笑い話がある。

 たまたま息子が単独飛行を成功させたときのこと。
録音テープが送られてきた。
息子と管制官とのやり取りが録音されていた。
そのときたまたま二男の嫁(アメリカ人)と妹(アメリカ人)が私の家にいた。
そのテープを2人が何度も聴いてくれた。
が、そのあとこう言った。
「何を言っているか、まったくわからない」と。

 私には、よくわかる英語だったが……。

 息子も、こうした機内では、思い切って、オーストラリアなまりでもよいから、
外国調の英語を話したほうがよい。
そのほうが外人の乗客たちは安心する。

 ……こういう飛行機の中では、いろいろな思いがつぎからつぎへと出てきては消える。
やっと少し、気持ちが落ち着いてきた。
イヤフォンを取り出して、音楽を聴く。

●思い出

 あれから40年。
またそんなことを考え始めた。
羽田からシドニーまで。
往復の料金が、42、3万円の時代だった。
大卒の初任給がやっと5万円を超えた時代である。

 このところいつもそうだが、こうして過去のある時点を思い浮かべると、
その間の記憶がカットされてしまう。
あのときが「入り口」なら、今は「出口」。
部屋に入ったと思ったとたん、出口。
過去のできごとを思い出すたびに、そうなる。

 「これが私の人生だった」と、またまたジジ臭いことを考えてしまう。
白い雲海をながめていると、人生の終着点が近いことを知る。
ワイフには話さなかったが、今朝も、起きたとき足がもつれた。
自分の足なのに、その足に自信がもてなくなった。
40年前には、考えもしなかったことだ。

●機内で

 右横にワイフ。
いろいろあったが、機内で「死ぬときもいっしょだね」と言うと、うれしそうに、
「そうね」と言ってくれた。
がんこで、カタブツで、男勝りのワイフだが、はじめてそう言った。

 が、総合点をつけるなら、ほどほどの合格点。
何よりも健康で、ここまでやってこられた。
たいしたぜいたくはできなかったが、いくつかの夢は実現できた。
山荘をもったのも、そのひとつ。
やり残したことがあるとすれば、……というか、後悔しているのは、何人かの友と、
生き別れたこと。
とくにオーストラリア人のP君。
一度、謝罪の長い手紙を書いたが、返事はなかった。
そのままになってしまった。

 P君は生きているだろうか。
元気だろうか。

 ……どうして今、そんなことを考えるのだろう?
白い雲海が、どこまでもつづく白い雲海が、私をして天国にいるような気分にさせる。

●息子へ 

 私は約束を果たした。
同時に私のかわりに、私の夢をかなえてくれた、お前に感謝する。
長い年月だった。
あの山本さんと夢を語りあってから、43年。
山本さんは、JALの副機長として、ニューデリー沖の墜落事故で帰らぬ人となった。
いつか、お前も、インドへ飛ぶことがあるだろう。
そのときは、そこで最高の着陸をしてみてほしい。
最高の着陸だ。

 いつかお前が言ったように、そよ風に乗るように、着地音もなく静かに着陸。
逆噴射が止まったとき、飛行機は滑るようにランウェイを走り始める。
そんな着陸だ。
楽しみにしている。

●気流

 やはり気流がかなり悪いようだ。
下を向いてパソコンにキーボードを叩いていると、目が回るような感じになる。
飛行機はガタガタと小刻みに揺れている。
先ほどのアナウンスによれば、ちょうど今ごろ、台風の真上を通過中とのこと。
体では感じないが、かなり上下にも揺れているらしい。

 もうすぐ飛行機は那覇空港に到着。
電子機器の使用は禁止になった。
では、またあとで……。

●10月30日、那覇空港出発ロビー

 昨日は、那覇空港を出ると、そのまま沖縄観光に回った。
タクシーの運転手と、交渉。
貸し切りにして、1時間3000円見当という。
私は首里城。
ワイフはひめゆりの塔を希望した。

 ひめゆりの塔を先に回った。
それに気をよくしたのか、タクシーの運転手は、あちこちの戦争記念館を回り始めた。
旧海軍司令部壕、沖縄平和祈念資料館などなど。
かなりの反戦運動家とみた。
アメリカ軍の残虐行為、横暴さを、あれこれ話した。
「自粛なんてとんでもない。大規模なデモをしたりすると、その直後から、アメリカは
わざと大型の戦闘機を地上スレスレに飛ばすんだよ」と。

 沖縄の現状は、沖縄へ来てみないとわからない。
いかに沖縄が、日本人(ヤマトンチュー)の犠牲になっているか、それがよくわかる。
……というか、4時間近く運転手の話を聞いているうちに、私はすっかり洗脳されて
しまったようだ。

 「沖縄戦は悲惨なものだったかもしれませんが、問題は、ではなぜそこまで悲惨なもの
になったか、です。ぼくは、そこまでアメリカ軍を追い込んだ日本軍にも責任があると
思います」と。
運転手はさらに気をよくして、「そうだ、そうだ」と言った。
沖縄では、「反日」という言葉を使えない。
「反米」という。
しかしその実態は、「反日」と考えてよい。

 中国人や韓国人が内にかかえる、反日感情とどこか似ている。
「私たちは日本人」という意識が、本土の日本人より、はるかに希薄。
1人のタクシーの運転手だけの話で、そう決めてしまうのは危険なことかもしれない。
が、私は、そう感じた。


(次号へつづく)


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2010年11月28日日曜日

*Be calm, Korea!

●韓国よ、北朝鮮など、相手にするな!
한국은 냉정하게 되어라!

+++++++++++++++++++++

末期の独裁国家。
崩壊寸前。
そんな国が、ありもしない脅威をかきたて、国民の不満を外にそらそうとしている。

あんな国を本気で相手にしてはいけない。
その価値もない。

それとも韓国は、あんな国と心中するつもりなのか。
ここで北朝鮮の挑発に乗れば、それこそ北朝鮮の思うつぼ。
まんまとワナにはまるだけ。

あの独裁者は、それを利用して体制の引き締めにかかる。
その口実にする。

北朝鮮にしても、戦争をする気などない。
その力もない。
戦争をすれば廃墟になることを、彼らもよく承知している。
彼らが求めているのは、独裁政治の継続。
つまり「身の保全」。

貴君たちは、「アメリカが助けてくれる」と思っているかもしれない。
しかしアメリカは、そんな甘い国ではない。
お人好しの国でもない。
ドルを防衛するために、軍事を虚勢の道具に使っているだけ。

ここは冷静になって、中国を攻めたらよい。
北朝鮮ではなく、中国。
国際世論の中で、中国の非合理性を際だたせる。
それでもって中国を追いつめる。
中国さえその気になれば、北朝鮮は、1日ももたない。
一方、中国が支えているかぎり、北朝鮮は安泰。

つい30分前、中国は「重要情報を発表」なるものを発表した。
(11月28日、17:30)。
中身は、「12月中旬に、6か国協議を開く」というもの。
が、こういうのを茶番劇という。

中国は、北朝鮮が、韓国とアメリカに飲み込まれるのがこわいだけ。
北朝鮮を失うのを恐れているだけ。
繰り返すが、中国さえその気になれば、北朝鮮問題は1日で解決する。

6か国協議など、いまさら何度繰り返しても、意味はない。

韓国よ、戦争をしてはいけない。
北朝鮮を無視しろ。
必要最小限の反撃だけをし、それですませ。
相手は、世界の最貧国だぞ。

世界の良識に訴えれば、中国が動く。
中国が動けば、北朝鮮は、崩壊する。
それを待ってからでも遅くない。
ここで下手に手を出せば、あの独裁者はそれを利用するだけ。
さらに国内を引き締めるだけ。
独裁政権を延命させるだけ。

戦争というのは、始めるのは簡単。
が、一度始めたら最後。
終えるのには、その何倍ものエネルギーが必要。

なお北朝鮮では、戦勝気分が盛りあがっているという。
だったら、したようにさせておけ。
日本には、『負けるが勝ち』という諺がある。
負けたフリをして、相手をいい気分にさせておけ。

「勝ったか、負けたか」ということになれば、
すでに韓国は、あらゆる面で、勝っている。
今さら、何を恐れるのか。
何を失うのか。
ここで戦争を始めれば、今までの苦労が水の泡になる。
泥沼のゲリラ戦にでもなれば、それこそ韓国経済は崩壊する。
今だって、あぶない。
それを貴君たちが知らないはずがない。
だから戦争など、ぜったいにしてはいけない。

貴君たちは気がついていないかもしれない。
が、私たち日本人から見ると、韓国も北朝鮮も同じ。
驚くほど、貴君たちは思考回路が似ている。
たとえば貴君たちが竹島(独島)でしていることを、
北朝鮮が、貴君たちにしている。
「東海(日本海)」という呼称問題にしてもそうだ。
ささいなことにこだわって、大局を見る目を失っている。

どうか、ここは冷静に。
あんな狂った国を、本気で相手にしてはいけない。

+++++++++++++++++++++

조선 일보 편집부 귀중

【朝鮮日報・ソウル本社編集部御中】조선 일보 편집부 귀중

●韓国・朝鮮日報・東京=辛貞録(シン・ジョンロク)氏へ

●勝手に日本人の心を翻訳しないでほしい!

조선 일보 편집부 귀중

일본인의 마음을, 여하튼 마음대로 번역하지 원한다.

++++++++++++++++++++

朝鮮日報・11月28日付けの記事を読んで、
またまた驚いた。
見出しには、こうある。
『北朝鮮砲撃:「韓国軍は意外と弱い」』と。
あたかも産経新聞がそう報じたかのように、
(というより、産経新聞がそう報じたと)、
書いてある。

しかし産経新聞のどこを読んでも、そんな
ことは一行も書いてない。
念のため、産経新聞がどう報じたか、朝鮮
日報の記事の中から、そのまま拾ってみる。
みなさんも注意深く、読んでみてほしい。

조선 일보 11 월 28 일자 기사를 읽고, 또 다시 놀랐다.
제목은 이렇게이다.
'북한 포격 : "한국군은 의외로 약한"'와 마치 산케이 신문이
이렇게 보도했다 것처럼 (라기보다, 산케이 신문이 이렇게 보도했다고)
써있다.

그러나 산케이 신문의 어디를 읽어도, 그런 것은 일행도 백지.
그냥, 산케이 신문이 어떻게 보도했는지, 조선 일보의 기사 중에서
그대로 주워 본다.
여러분도 주의깊게 읽어 보면 좋겠다.

++++++++++++++++++++

+++++++以下、朝鮮日報の記事より+++++++++

 産経新聞は26日付で、「韓国、自走砲の半数故障」「最前線弱体化、国防相が引責」という内容の記事を掲載した。

 産経新聞ソウル支局の黒田勝弘支局長はこの記事で、「北朝鮮軍はロケット砲まで動員したが、韓国軍の長距離砲は半分が故障などの理由で十分な反撃ができなかった」「周辺の海岸一帯に軍団規模の兵力数万人を配備している北朝鮮に対し、韓国軍は海兵隊約5000人など旅団規模で、しかも縮小計画が進められていた」などと、現地の状況について紹介した。

 黒田氏は、「南北間で衝突が繰り返されてきた最前線であるにもかかわらず、韓国軍の戦力低下が明らかになった」という趣旨の指摘も行った。

 さらに、「韓国軍の最大の問題点は、今回の砲撃が(哨戒艦『天安』が沈没した)最前線で起こったにもかかわらず、相手の攻撃に対する備えが改善されていなかった点」と前置きした上で、このように最近になって韓国軍の戦力が低下していることについて、韓国国内では、「太陽政策を行った金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)両政権の10年間に急速に(戦力低下が)進んだ」との見方が支配的と話している。

 一方、毎日新聞は砲撃が行われた23日の平壌の様子について、現地に滞在していたある在日朝鮮人の発言を引用して紹介した。北京発のこの記事で同紙は、「先制攻撃を受けたため、それに厳しく反撃し、大勝利を得た、と(北朝鮮では)誰もが口にしている」と報じている。
東京=辛貞録(シン・ジョンロク)特派員

+++++++以上、朝鮮日報の記事より+++++++++

●敵意のねつ造

 産経新聞の記事を読んでもらえただろうか。
「韓国軍は意外と弱い」などという、どこか蔑視的な表現はどこにもない。
「韓国軍は意外と弱い」と感じているのは、特派員自身ということになる。

 自分自身(=特派員自身)が意外と弱いと思っているので、「相手(=日本)も、
そう思っているにちがいない」と思い込む。
思い込んだ上で、「日本人は、韓国軍は意外と弱いと思っている」という記事を書く。

こういうのを心理学の世界では、「投影」という言葉を使って説明する。
たとえばあなたがAさんならAさんを嫌っているとする。
そういうとき自分を正当化するために、Aさんが私を嫌っていると先に思い込む。
思い込んだ上で、「私がAさんを嫌いなのは、Aさんが私を嫌っているから」と
決めつける。

 先月(2010年10月)は、「日本各紙は打倒韓国をめざし、云々」という
記事が載った。
そこで調べてみたが、産経新聞も経済新聞も、そのほかの大新聞も、「打倒韓国」などと
いう言葉はどこにも使っていないことがわかった。
筆者自身(=私自身)が、しっかりと調べたから、まちがいない。

 このときも記者個人の被害妄想が、「打倒韓国」という言葉を生みだした。
が、韓国国内の読者には、それがわからない。
「日本人は、韓国は意外と弱いと思っている」とか、あるいは、「打倒韓国をめざして
韓国に挑戦してきている」とか思う。
思った上で、「日本人め!」と、なる。
これは一特派員の妄想では、すまない話である。

●2007年の11月に書いた原稿より

+++++++++++++++++++

こうした妄想による日本人の心のねつ造は
今に始まったことではない。
2007年の11月に書いた原稿を、そのまま
再掲載する。

+++++++++++++++++++

●日韓関係(Japan and Korea)

Even in the small column in a newspaper we can feel their hostility against Japan. According to the Chuo-N, the leading Korean Newspaper, Japanese companies have united together to fight agaist Korea but all of them is false, written with persecution mania. You will know what it is if you read this:

 この原稿がマガジンで配信されるころには、韓国では、新大統領が誕生しているはず。現在の予想では、ハンナラ党の、I氏が最有力候補だが、何が起こるかわからないのが韓国。先の金大中前大統領も、現在のN大統領も、ハプニング的に、大統領になった。

 が、ハンナラ党のI氏だから、日韓関係が改善すると考えるのは、早計である。韓国人の対日感情には、常に、2面性がある。(あこがれ)と(憎しみ)、この2つが同時にウズを巻いている。そのつど、このどちらかが、表に顔を出す。

 たとえばつぎのコラムを読んでみてほしい。これは韓国の中央N報(12月11日版)に載った記事である。経済記事だが、中央N報という、韓国第一の新聞社でも、こうした記事を堂々と掲載している。

++++++++++以下、転載

日本経済産業新聞は、最近、日本の半導体メーカーのある幹部の発言を引用、「機密費波紋でS星が“経営空白”危機に陥った」と報道した。この新聞はまた、他の半導体市場分析家の話を引用し「新製品の買い替え時期が早い半導体特性上、投資延期は致命的損失はもちろん、国際競争から追い出される原因となる」と分析した。

同新聞は今回の事態を通じて日本の半導体メーカーが起死回生するチャンスに期待していると報道した。日本の半導体メーカーのある関係者は「(S星を除いた)主要半導体会社が大幅の赤字に苦しんでいるが、S星の投資が延期になればDRAM半導体需給が一時的に支障を来たし、価格上昇の要因となることがある」と述べた。

S星追い討ちのための連合戦線を形成した日本半導体メーカーが「相手の不幸は私の幸せ」という本音を表したのだ。

米国調査会社であるアイサプライによるとDRAMはS星電子が今年の7~9月、世界市場シェア27・7%で1位となった。現在DRAMは供給過剰状態で、一部主力製品は1個当たり0・8~0・9ドルで6年ぶりに1ドルを下回っている。

日本で「S星叩き」はあちこちで目撃されている。日本のoh my newsは「S星が揺れるだけで終わるのか、それとも完全に崩れるのか。日本でも注目してみる価値は十分ありそうだ。」と報道した。

産経新聞は先月、S星電子が日本家電製品市場から一部撤収すると「安物というイメージから脱することができなかった」と報道している。

S星に対する虚偽の主張が書かれた本も出回っており「S星電子は国内で営業利益の87・2%をあげ、国外は12・8%にすぎない」と主張した。国外市場で安く売りながら国内市場で利益を搾取しているという、事実とは正反対に歪曲した内容を記している。

++++++++++以上、転載

 私は、この記事を読んだあと、「日本経済産業新聞」の中で、ほんとうにそんなことを書いているのか、たしかめてみた。

 まず、「日本経済産業新聞」というのは、「日経産業新聞」のことであることがわかった。しかしここ数日分の記事にざっと目を通してみたが、私が読んだ範囲では、その記事は、見あたらなかった。

 それはそれとして、この記事を、もう一度、整理してみよう。

(1) 機密費波紋でS星が“経営空白”危機に陥った」と報道した。
(2) この新聞はまた、他の半導体市場分析家の話を引用し「新製品の買い替え時期が早い半導体特性上、投資延期は致命的損失はもちろん、国際競争から追い出される原因となる」と分析した。

 朝鮮N報という大新聞社が、S星という一会社の、そのまた一商品について、ここまで肩入れした記事を書くということのおかしさ、最初に、それに気づいてほしい。

 その上で、この記事を読みなおしてみる。が、この日本側の記事は、当然のことを、客観的に書いただけで、どこにも反韓的なニュアンスは、ない。

 が、つづくつぎの部分では、「同新聞は今回の事態を通じて日本の半導体メーカーが起死回生するチャンスに期待していると報道した」とある。やや反韓的かな思えなくもないが、「決死回生」は、オーバー。ここ数年、シェアこそ、韓国製、台湾製に押されているが、死んでいるわけではない。

 むしろ、(3)。「(S星を除いた)主要半導体会社が大幅の赤字に苦しんでいるが、S星の投資が延期になればDRAM半導体需給が一時的に支障を来たし、価格上昇の要因となることがある」と、価格上昇を心配していると、韓国側にむしろ好意的な意見を述べている。さらに言えば、日本側は、価格の高騰を心配しているのであって、それを喜んでいるのではない。

 が、ここから先、例によって例のごとく、韓国独特の(ひがみ節)が始まる。ウソと被害妄想、それらがごちゃまぜになる。

(4)S星追い討ちのための連合戦線を形成した日本半導体メーカーが「相手の不幸は私の幸せ」という本音を表したのだ、と。

 「相手の不幸は、私の幸せ」とは、日本側は、だれも言っていない。(そう思う人はいるかもしれないが……。)「本音」というのは、そのまま、彼ら自身の「妄想」と考えてよい。

 そしてその妄想を、「S星たたき」と結びつける。いわく、

(5) 日本で「S星叩き」はあちこちで目撃されている。日本のoh my newsは「S星が揺れるだけで終わるのか、それとも完全に崩れるのか。日本でも注目してみる価値は十分ありそうだ。」と報道した。

 「ohmynews」の記事を読んでも、みなさんもわかるように、どこにも、「S星叩き」のニュアンスはない。どうしてこの記事が、S星叩きになるのか? 「ohmynews」は、ただ「S星が揺れるだけで終わるのか、それとも完全に崩れるのか。日本でも注目してみる価値は十分ありそうだ」と書いているだけである。

 が、さらに、こうつづける。

(6) 産経新聞は先月、S星電子が日本家電製品市場から一部撤収すると、「安物というイメージから脱することができなかった」と報道している。 

 この部分については、私はこの記事を読んだ記憶がある。しかしこれについても、何も日本の消費者が、韓国製品を閉め出したというわけではない。この記事で気になるのは、「一部撤収すると」という部分。勝手に、「一部」という文言を、加筆している。

 私が読んだ記事では、「家電製品市場から全面撤退」とあった。それが「一部撤収すると」となる。この記事を読んだ韓国の一般市民たちは、あたかも日本人が、撤収したのを喜んでいるかのような印象を受けるだろう。つまり、それこそが、朝鮮N報のねらいということになる。

 が、最大のウソは、つぎの部分。

(7) S星追い討ちのための連合戦線を形成した日本半導体メーカー

 自意識も、ここまで過剰になると、「?」。とてもついていけない。日本が、「 S星追い討ちのための連合戦線を形成した」だと!

 悲しいかな、韓国の製造器機のほとんどは、(一説によれば、携帯電話にしても、80%)、日本製である。つまり韓国は、この日本から製造器機を輸入し、それでもって、いろいろな製品を製造している。輸出している。半導体にしても、日本は、現在は、台湾やマレーシアに生産拠点を移し、そこで生産している。

 いつ日本は、「 S星追い討ちのための連合戦線を形成した」のか? 記事の根拠は、どこにあるのか。それこそまさに、カルテル。事実なら、大事件!

仮にそうであっても、そんなことを口にする人はいない。被害妄想も、ここにきわまれりといった感じすらもつ。繰りかえすが、韓国の一会社の、一製品を、追い討ちするために、連合戦線を形成しなければならないほど、日本の企業連合は、まだ落ちぶれていない。さらに、まだある。

(8)S星に対する虚偽の主張が書かれた本も出回っており「S星電子は国内で営業利益の87.2%をあげ、国外は12.8%にすぎない」と主張した。国外市場で安く売りながら国内市場で利益を搾取しているという、事実とは正反対に歪曲した内容を記している。

 この「87・2%」「12・8%」という数字は、朝鮮N報(05年、5月18日付)に出ていた数字で、ウソでも何でもない。「事実とは正反対に歪曲した内容を記している」というくらいなら、朝鮮N報のほうへ、抗議でも何でもしたらよい。

 つまり韓国の国策企業は、韓国内で高く売り、利益をあげている。一方、外国では安く売り、シェアを伸ばしている。

 たとえば自動車にしても、現在、韓国製の自動車は、アメリカなどでは、ダンピング価格で売られている。一方、韓国国内では、ここにあげた数字程度の利益幅を見込んで売られている。たとえば韓国の「グレンジャー」(現代自動車)は、韓国内では、480万円前後で売られている。同じ車が、アメリカでは、300万円前後。価格差は、全体的に、100~150万円程度となっている。

 こういう記事を分析してみると、韓国の人たちが日本人の私たちのもつ憎悪の念には、相当なものがあるということがわかる。この憎悪の念は、私が韓国に渡った1967年以来、ほとんど変わっていない。

 だから仮にハンナラ党のI氏が大統領になったところで、彼らの反日姿勢がすぐに変化するとは、とても思われない。現在のN大統領ほどではないにしても、日本人の私たちとしては、警戒したらよい。

 がんばれ、日本! 負けるな、日本! しばらく新大統領が、どのような行動に出るか、様子を見て、このつづきを書いてみたい。

●東京=辛貞録(シン・ジョンロク)特派員へ

 どうか「事実」を韓国へ報道してほしい。
貴君たちが日本を嫌い、日本に、はげしいライバル心をもっているのは、よく理解できる。
が、だからといって、日本人の私たちが、貴君たちに同じような感情をもっているという
前提で、このようなウソ記事を、捏造しないでほしい。

 被害者意識と妄想。
嫉妬と羨望。
こういったものが、貴君たちの心をかなりゆがめている。
そのひとつが、貴君の母国が打ち上げた、気象衛星。
それを報道するとき、貴君たちは、自社の新聞に何と書いた?
覚えているか?
『これで日本の世話にならなくてすむ』と。

 今までさんざん世話になっておきながら、こんな書き方はない。
日本流に言えば、「一言、礼があってもおかしくない」。
どうして貴君たちは、すなおな気持ちで、「今まで、日本のみなさん、ありがとう」
と書けないのか。
その(書けない)部分、つまりなぜ書けないかを、もう少していねいに、分析して
みてほしい。
貴君たちのゆがんだ精神構造が、そこに浮かびあがってくるのがわかるはず。

 今回の記事もまた同じ。
産経新聞の記者も、また私たち日本人のだれも、「韓国軍は意外と弱い」などとは、
思っていない。
不意打ちをくらえば、どこの国の軍隊だって、同じような結果を出すだろう。
そのことは産経新聞の記事の中でも、説明しているではないか。
むしろ客観的に、戦局の分析を行いながら、「しかたのないこと」というニュアンスで
記事を書いている。
「周辺の海岸一帯に軍団規模の兵力数万人を配備している北朝鮮に対し、韓国軍は
海兵隊約5000人など旅団規模で、しかも縮小計画が進められていた」と。

 貴君のような特派員がこの日本にいて、韓国の人たちの反日感情をかきたてて
いることを、たいへん残念に思う。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov.2010+++++++++はやし浩司

*What is the higest education






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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●『ファミリス』(子育てQ&A)静岡県教育委員会発行雑誌(全教育機関配布)

 静岡県教育委員会の発行している雑誌に、『ファミリス』という雑誌がある。
各県で、それぞれの雑誌を発行しているが、その中でもこの雑誌は、群を抜いて
充実している。
編集者の意気込みというか、本気度が、1ページごとにぎっしりと詰まっている。

 大手の出版社は、つぎつぎとこの分野からの撤退をしている。
「教育の総合雑誌は売れない」が、定説になって久しい。
それだけに『ファミリス』の存在は、光る。

 その『ファミリス』と私のつきあいは、もう10年以上になる。
ときどき原稿を書かせてもらっている。
今は、巻末の『子育てQ&A』。
雑誌の世界のことはよく知らないが、HPでは、Q&Aコーナーへのアクセスが
いちばん多い。

 そのQ&Aの原稿を、おととい書きあげた。
2011年1月号用の原稿である。
短い原稿だが、私にとっては、真剣勝負。
まさに真剣勝負。

 静岡県では学校配布となっている。
職員室もしくはそういった場所に、置いてある。
ぜひ、一度、手にとって読んでみてほしい。

++++++++++++++++++++++++++

 以下、今までに書いた原稿を、掲載します。
私の真剣みを感じていただければ、うれしいです。
『ファミリス』の購読申し込みは、各学校の
担任の先生に。

++++++++++++++++++++++++++

●1月号事例

相談(1)小学2年生の母から

 子どもがまだ幼児のころに離婚したのですが、離婚したことを子どもに話すタイミング
はいつがいいのか悩んでいます。
「離婚は、あなたが原因ではないよ」ということを伝えたくて、それとなく話すこともあ
るのですが、具体的なことを話すのは、子どもがはっきり聞いてくるまで待つのがいいか、
早い時期に話しておく方がいいのか、どちらがいいのでしょう。


A:今どき「離婚」など、珍しくも何ともありません。くだらない罪悪感など、捨てなさ
い。バカげています。子どもにいちいち理由など、話す必要もありません。いわんや子ど
もに、「原因はあなたではないよ」とは! あなたはあなたで、前向きに、明るくさわやか
に生きていけばよいのです。
 ただし聞かれたときは、ありのままを正直に話します。事実だけを話し、それですませ
ます。父親の悪口、愚痴、自分の正当化は、タブー。あとの判断は、子どもに任せます。
 それよりも大切なことは、父性欠如による、子どもの心のゆがみを、どう防止するか、
です。『母親は子どもを産み育てるが、狩りの仕方を教えるのは父親』(イギリスの教育格
言)です。(1)母子関係の是正と、(2)行動の限界設定を、だれにどのような形で負担
してもらうか、です。子どもの近くに、「父親」と見立てられるような男性を置くのがよい
でしょう。先生やおじ、近所の男性など。子どもはそういう男性を通して、「父親像」を身
につけていきます。けっして、ベタベタの母子関係に溺れてしまってはいけません。
 繰り返しになりますが、あなたが罪悪感をもてばもつほど、子どもの心に暗い影を落と
すことになります。あなたは何も悪いことをしていません。今のあなたにとって大切なこ
とは、『我らが目的は成功することではない。失敗にめげず、前に進むこと』(スティーブ
ンソン・「宝島」の著者)です。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学3年生の父から

 うちの長男は、体重が増えることをすごく気にします。身長はあるのですが、体の線が
細いので、運動もやっているから、もっと食べるようにと言うと、「太るから……」と言っ
たりします。
 また参観会や運動会などでは、たいてい女の子グループに男の子1人だったり、男の子
グループから外れて、女の子グループの方に座っています。太ることを気にするのは、女
の子と仲がいいから? それとも……? 心配です。


A:かなり回りくどい質問ですね。要するに、末尾の「それとも……?」が心配なわけで
すね。そういうあなたにアドバイスできることは、ただひとつ。『許して、忘れる』です。
英語では、「For・give & For・get」と言います。
 この英語をよく見てください。「与えるため&得るため」とも読めます。つまり「子ども
に愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる」という意味です。つまりど
うであれ、またどういう方向に進もうとも、子どもは子ども。あなたの子ども。許して忘
れる。その度量の深さこそが、愛の深さということになります。
 あとは自然の流れに任せます。水にせよ、雲にせよ、流れていくところに流れていきま
す。親のあなたでも、できることには限界があるということです。もちろんだからといっ
て、あなたの子どもが、「それとも……?」に向かっているということではありません。こ
の時期、ホルモン分泌においては、男女、ほとんど差異がありません。私も小学3年生の
とき、人形を抱いて寝ていました。思春期になると、また大きく変化してきます。今しば
らく、様子を見られたらどうでしょうか。
 で、「それとも……?」という状態になったら、この言葉を思い出してください。『許し
て、忘れる』です。人は子どもをもつことで親になりますが、「真の親」になるのはたいへ
んなことです。その道は険しく、苦しい。あなたはその第一歩を踏み出したというわけで
す。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●12月号事例

相談(1)小学3年生の父から

 長男は小学3年生で9歳、二男は保育園の年中で5歳です。
このごろ、寄ると触るとけんかになり、「お兄ちゃんがたたいた!」「○○先にけるからじ
ゃーん!」となります。だいたいは長男の方をいさめて、「弟をたたいちゃだめ」としかる
のですが、これでいいのでしょうか? 上手な対応のしかたを教えてください。


A:『けんかする兄弟ほど、仲がいい』といいます。兄弟げんかも、ある一定のワクの中、
たとえば親の前で、祭りのようにするのであれば、親はよき聞き役に徹します。判断をく
だしたり、罰を与えたりしてはいけません。ただひたすら、聞き役に徹します。
 つまるところ子育ては、「自分探し」です。わかりやすく言えば、あなたは、あなた自身
が受けた子育てを繰り返しているだけです。「私は私の親とはちがう」と思っているかもし
れませんが、中身は同じです。これを心理学の世界では、「世代連鎖」と言います。
 常にあなた自身は、子どものころどうであったかを問いかけてみてください。あなたも
子どものころ、つらい思いや悲しい思いをしたことがあったはず。そういうときあなたは、
あなたの親にどうあってほしかったでしょうか。どう接してほしかったでしょうか。それ
をさぐっていけば、あなたの子どもへの接し方が、自然と定まっていきます。
 いつか私は『兄弟げんかは親の前』という格言を考えました。言い換えると親の前でし
ているようなら、心配しなくてよいということです。無視して、したいようにさせておき
なさい。
 ただし一言。「お兄ちゃんだから・・・」という『ダカラ論』には、注意。問答無用式に相
手を押さえつけるときに、よく使われます。上下意識が強く、権威主義的なものの考え方
をする人ほど、この言葉をよく口にします。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)中学2年生の父から

 勉強もせず部活も熱心にやっているわけではない二男が、「料理人になりたいから、高校
へは行かない」と言い出しました。
 それ以来、夕食の手伝いや自分で料理をしてみたりしていますが、いつまで続くやら・・・。
「バカ言っていないで高校へ行け!」と頭ごなしに反対した方がいいか、「やってみな」と
後押しした方がいいか、どっちでしょうか?


A:親の思うようにならないのが、子育て。私の二男も中学2年生のとき、勉強を放棄。
以来パソコンと遊んでばかりいました。三男は横浜国大をセンター試験2位の成績で入学
はしたものの、3年になるとき中退。 
 私も三井物産という会社をやめ、幼稚園の講師になると言ったとき、母は電話口の向こ
うで泣き崩れてしまいました。「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」と。
 以来、私は、外の世界では自分の職業を隠し、内の世界では、自分のキャリアを隠しま
した。が、もしあのとき、母だけでも私を支えてくれていたら、その後の私の人生は大き
く変わっただろうと思います。
 今のあなたにとって大切なことは、子どもを信ずること。子どもがどんな選択をしても、
子どもを支えること。「パパは、お前を信じている。お前の行くべき道を進め。どんなこと
があっても、応援する」と。
 中学2年生と言えば、自我の同一性を確立する重要な時期です。今、あなたが頭ごなし
に反対すれば、あなたの息子の自我はバラバラになってしまうでしょう。それはたいへん
危険なことです。注意してください。
 なお私の二男は現在、インディアナ州立大学に籍を置き、CERN(スイス量子加速研
究所)のスパコン技術官をしています。三男はJALで副機長(B777)をしています。
 子どもを信ずることは、たいへん苦しいことです。その苦しさは、私も経験しました。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●11月号相談事例

相談(1)小学2年生の母から

 三女が生まれたばかりで手がかかり、上の子にかける時間が減ったためか、長女と二女
のけんかが増えているような気がします。そんなときは、つい長女をしかってしまいます。
 長女は物わかりもよく、親としても頼りにしている面があり、長女ばかりしかってしま
うことが申し訳ない気がします。やはり気持ちを切り替えて、しからないほうがいいので
しょうか?


A:長女はいい子ぶっているだけ。本当は下の妹たちが憎くてならないのですが、それを
表に出すと、自分の立場がなくなってしまう。だから仮面(ペルソナ)をかぶる。こうい
うのを心理学の世界では、「反動形成」といいます。たいへんよくあるケースです。「物わ
かりもよく…」などと思っていると、ますます長女を追い込んでしまうことになりかねま
せん。一度、イプセンの『人形の家』を読んでみたらよいでしょう。
 結論から先に言えば、長女と二女は、慢性的な愛情飢餓状態にあると考えてください。
あなたという親から見れば、3人を平等に育てているつもりかもしれませんが、長女にし
てみれば、3分の1に減らされてしまった。そういう状態です。
 で、こういうケースのばあい、『ダカラ論』を振り回してはいけません。「あなたは長女
だから…」と。あなた自身も親意識(=上下意識)が強く、子どもを上下に分けて考える
傾向があります。つまり長女をしかりやすいというのは、あくまでもその結果と考えてく
ださい。
 これは一般論ですが、兄弟姉妹がたがいに名前で呼び合う兄弟姉妹は仲がよく、「お兄ち
ゃん」「お姉ちゃん」と上下意識をもって呼び合う兄弟姉妹は、仲が悪くなる傾向がありま
す。そういうことも考えながら、まずあなたの心の中に潜む上下意識を消すこと。しかる・
しからないは、そのあとの問題です。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)中学3年生の父から

 いよいよ長男が受験の年ということで、夫婦共々肩に力が入ってしまうのか、さ細なこ
とも受験に結びつけてしまい、あれこれと口を出してしまいます。
 自分が中3のときにどうだったか考えれば、そっと見守るのがいちばんだとはわかって
いるのですが……。受験期の親はどうあるべきか? アドバイスをください。


A:ある父親は事業に失敗。そこで高校生になった娘に、「大学進学はあきらめてくれ」と。
が、この言葉に娘は猛反発。「ちゃんと親としての責任を取れ!」と。
そこで私が割って入ると、その娘はこう言いました。「私は子どものときから勉強しろ、
勉強しろと、そんなことばかり言われてきた。それを今になって、あきらめてくれと、
どうしてそんなことが言えるの!」と。
 内閣府(平成21年)の調査によれば、「将来、どんなことをしてでも親のめんどうをみ
る」と考えている日本の青年は、たったの28%(イギリス66%、アメリカ64%)。
 そこで本題。子育てが終わると同時にやってくるのが、老後。今のあなたは「下」ばか
り見ているから、自分の老後がわからない。長男の受験の心配より、自分の老後の心配を
しなさい。へたに「勉強しろ!」「塾へ行け」などと言おうものなら、あとあと責任を取ら
されますよ。しかも一度大学生として都会へ出すと、まず地元には戻ってこない。中には
「親のために大学へ行ってやる」と豪語する高校生すらいます。感謝の「カ」の字もない。
あとは(独居老人)→(孤独死)。今のままでは、あなたもそうなります。そこで教訓。
長男が、「大学(高校)へ行かせてください」と3度頭をさげるまで、学費など出さない
こと。口も出さないこと。…というのは無理かもしれませんが、そうしたき然とした姿
勢が、かえって親子の絆を太くします。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●10月号相談事例

相談(1)中学1年生の母から

 中学で初めてのテストで思うような結果が出ず、すっかりやる気を失った息子に、「目標
があったからがっかりするんだよ。目標に近づけるようにがんばろう!」と話したところ、
「直前に詰め込むのでなく、毎日がんばるぞ!」と言ってくれたのもつかの間、次の日に
はやっぱりお楽しみが先になって、お勉強は忘れられ……。子どものやる気を長続きさせ
るよい方法は、何かないでしょうか。
(静岡市・HA)


A:『親は海。子どもは船』。こういうときの鉄則は、動揺しないこと。親が動揺すればす
るほど、子どもは不安定になり、落ち着いて勉強に集中できなくなります。目標といって
もこのケースのばあい、それは親の目標であって、子どもの目標ではないということ。親
の目標を子どもに押しつけてはいけません。「目標」という言葉を使って、あなたは子ども
を自分が望む方向に誘導しているだけ。
 中1といえば、すでに思春期。『自我の同一性』の構築を始める大変重要な時期です。子
どもがどういう未来像を描いているか(=自己概念)を知り、それを側面から応援してい
きます。が、たいていのばあい子どもの描く未来像は、親の希望とはちがったものです。
そのためこの先、親子の間で長くて苦しい葛藤がつづきます。つまり子どもは親の夢や希
望をひとつずつ潰しながら、成長していきます。それともあなた自身は、親の希望通りの
「娘」になりましたか。
で、第二の鉄則は、『最後まで子どもを信ずる』です。子どもがどんな道を選ぼうとも、
あなたは子どもを信じます。そして子どもにはこう言います。「お母さんは、あなたがど
んな道を選んでも、あなたを信じていますからね」と。
 子どもはこうして現実の自分を作り上げていく。つまり自我の同一性を確立していきま
す。やる気(自発的行動)はあくまでもその結果として生まれるものです。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
 
相談(2)小学2年生の母から

 毎日、学校から帰ってすぐ遊びに来る子に悩んでいます。遊ぶなら宿題を終えてからに
させたいので、その子と宿題を一緒にさせたり、遊びに来るなら一時間くらい後に来てほ
しいとその子に伝えたこともありますが、わかってくれていないようです。
 親御さんは仕事で遅いらしく、なかなか連絡がしにくいです。いい方法はないでしょう
か。
(浜松市・MH)


A:夜、寝る前になってあなたの子どもが、宿題をやっていないと言ったら、あなたはど
うしますか。(1)いっしょに宿題を片づけてやる。(2)「明日、学校で先生に叱られてき
なさい」と言って、寝させる。
 「自由」とは、もともと「自らに由(よ)る」という意味です。子育てについて言えば、
「由らせる」。「自分で考えさせ」「自分で行動させ」「自分で責任をとらせる」です。その
自由が子どもを自立させます。
こういうケースのばあい、言うべきことは言い、あとの判断は子どもに任せます。小2
といえば、その自覚のある子どもは、どんなに忙しくても時間を見つけ、宿題(勉強)
をします。そうでない子どもは、いくら親がお膳立てをしても、つまり時間を作ってあ
げても、宿題をしません。仮に相手の子どもが1時間あとに遊びに来るようになっても、
宿題はしないでしょう。相手の子どもの親に相談しても、無駄です。そういう点では、
あなたの家庭教育はすでに失敗しています(失礼!)。自分の子どもが宿題(勉強)をし
ないことを、相手の子どものせいにしてはいけません。
 過保護ママと依存性ベタベタの子ども。この相談の向こうに見えるのは、そんな母子関
係です。それを是正するためには、心を鬼にして、先の(2)のような親をめざしてくだ
さい。子どもは小3前後を境に、急速に親離れを始めます。今のあなたにとって大切なこ
とは、「いかにうまく子離れするか」です。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●9月号相談事例

相談(1)小学2年生の父から
 小学2年生の息子に「目標に向かってがんばれる力をつけたい」という思いから、小
3の誕生日までにクリアできそうな課題を設けてがんばらせようかと思っています。課
題をクリアできれば、ごほうびは何でも欲しい物を買ってあげるつもりです。
 でも妻から、「ごほうびがないとやる気が出ない子にならない?」と言われて、止め
た方がいいかと迷っています。こういうやり方は、いけないのでしょうか?


A:完全に的はずれです(失礼!)。動機付けの三悪に、無理、比較、条件があります。
「課題をクリアできれば…」は、この中の条件ということになります。よくあるのは、
「100点を取ったら、小遣いをあげる」というもの。
 条件のこわいところは、年齢とともにエスカレートしやすいこと。小学生のときは、
1000円のほうびでも、高校生になると、10万円になります。
 さらに進むと、条件なしでは、何もしなくなります。物欲と結びつくと、さらにやっ
かいなことになります。それが必要だから、それを求めるのではなく、物欲を満足させ
るために、それを求めるようになります。脳の中で、ニコチン中毒と同じようなメカニ
ズムが働くようになります。
で、問題は「課題」の中身ということになります。もしそれが個人的なものであれば、
「自分のためにする」を徹します。勉強であれば、なおさらです。「勉強は自分のた
めに、自分でするもの」と。 
 大切なのは、達成感です。「できた!」という実感が、子どもを前向きに引っ張って
いきます。
「何でも欲しい物を買ってあげる」? 愚かな育児観は捨てなさい(失礼!)。あの
バートランド・ラッセルは、こう書いています。『限度をわきまえた親のみが、真の
家族の喜びを与えられる』と。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学4年生の父から

 小学4年生の長男のことで相談します。
 私の仕事が忙しく、なかなか相手をしてやれないまま過ごしてしまったのがいけなか
ったのか、遊びといえばひとりでゲームばかり、友達と遊んだり外に遊びに行ったりし
ません。
 先日、「外で遊ばないの?」と聞いたところ、「外で何して遊べばいいの?」と返され
て、がく然としました。このまま、集団で遊ぶ経験もなく成長すると、どんな子になっ
てしまうか不安です。今からできることは、何かないでしょうか?


A:(相手をしてやらなかった)から(ゲームばかりする)と、短絡的に結びつけて考
える必要はありません。あなたは父親として、じゅうぶん、その責任を果たしています。
たしかに最近の子どもは、集団で遊ぶということをしません。が、こうした傾向はすで
に20年以上も前から始まっていることです。
 で、どんな子どもになるかですが、すでにあなたの子どもは大きな流れの中にいます。
その流れの中で、子どもたちはつぎの世界を創りあげていきます。その流れに対しては、
私もあなたも、無力でしかありません。あえて言うなら、つぎの格言が役に立つでしょ
う。『子どもを産み育てるのは母親の役目。狩の仕方を教えるのは父親の役目』(イギリ
スの教育格言)と。
 つまり社会性の養成と、母子関係の是正。この2つがこの時期の父親に与えられた重
要な使命と考えてください。
 なおゲームについてですが、韓国や中国では、ゲーム中毒が問題にならない日があり
ません。そのための矯正プログラムや矯正施設もできています。が、この日本では、野
放し。ゲームを批判しただけで、猛烈な抗議の嵐にさらされます。私自身も経験してい
ます。
 ゲームを許すにしても、ある程度の自制は必要です。時間を決めてさせるとか、ゲー
ムの内容を決めるとかなど。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●8月号相談事例

相談(1)小学2年生の母から

 小学2年生の三男は、1年生ときから、「最後までやり遂げようという意志は認めますが、
行動がほかの子に遅れがち」と、担任の先生に面談で言われます。では、実際にどうした
ら早く行動できるようになるのか知りたいです。
 3人兄弟の末っ子で、とてもマイペースな子になってしまったようで、親としてもどう
していいのかわかりません。


A:『欠点を見つけたら、ほめる』です。子どもには、こう言います。「最近、あなたは早
くできるようになったわね。先生も、ほめてくれたわよ」と。欠点を責めれば責めるほど、
子どもは自信をなくします。それが悪循環となって、子どもはますますあなたの望むのと
は、別の方向に進んでしまいます。
 また子どもに何か問題を見つけたら、『子どもは家族の代表』と考えます。子どもの問題
は、家族の問題ということです。先生はたぶん、子どもの緩慢行動を言ったのだと思いま
す。が、こういうケースのばあい、まず疑ってみるべきは、あなた、つまり母親の育児姿
勢です。子どもが生まれたときから、何かにつけ、母親がせっかちで、こまごまとうるさ
いことを言い過ぎた? 「早く、早く」を言い過ぎた? 「根」が深い分だけ、簡単には
なおらない。…と考えて、「うちの子は、まあ、こんなもの」と、子どもの特性を認め、あ
とはあきらめます。『あきらめは悟りの境地』です。子どもというのは、親がカリカリして
いるときは、伸びません。が、親があきらめたとたん、伸び始めます。子ども自身の心が
軽くなるからです。
 どうにもならない問題は、どうにもならない。今は、先生とのリズムが合っていない程
度に考え、あまり深刻に悩まないこと。小学3年生以上になり、自己管理能力が発達して
くると、この種の問題は、自然と解消していきます。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学6年生の母から

 小学6年生になった息子は、自己主張が強くなり、親としてうれしい半面、自分が興味
をもてないこと、(たとえば苦手な教科の復習など)は、頑としてやりません。
「本人の好きなこと、得意なところを伸ばしてやるとよい」とよくアドバイスされますが、
6年生の今からこんなことでは、この先どうなるのだろうと悩みます。


A:「この先どうなるだろう」ということですが、何も変わりません。5年後も、10年後
も、今のままです。あるいはあなたはいったい、あなたの子どもを、どうしたいのですか。
相談を一読して、そこに子離れできない母親の姿を想像してしまいました(失礼!)。
 『本人の好きなこと、得意なところを伸ばして…』は、家庭教育の大原則です。ひとつ
が伸びると、その相乗効果で、ほかの部分(科目)も伸びてきます。大切なことは、子ど
もに一芸をもたせること。「これだけは人には負けない」というのが、一芸です。その一芸
が子どもの心を支え、守ります。将来の職業につながることもあります。
 また6年生という年齢からして、いよいよ自我の同一性の確立の時期に入ったと考えて
ください。「自分はこうあるべきだ」という自己概念と、現実の自分を一致させる時期です。
その構築に失敗すると、心は無防備状態になり、精神的に軟弱な子どもになってしまいま
す。非行にも走りやすくなります。
 また「苦手な科目」というのは、「点数が低い科目」ということでしょうか。もしそうな
ら、その判断は、子どもに任せなさい。親があれこれ言っても、かえって逆効果です。
 子どもというのは、親の夢を一つ一つつぶしながら、成長していくものです。それがわ
かなければ、あなた自身を振り返ってみることです。あなた自身は、優等生だったでしょ
うか。答は、「NO!」のはずです。
 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●7月号相談(Q&A)

相談(1)小学4年生の母から

 最近わが子の親に対する話し方が気になります。たとえば、私が何か「こうしなさい」
と注意すると、「そんな法律がどこにあるの?」などと言ってくるので、ついつい怒ってし
まうこともしばしば……。
 これは反抗期なのでしょうか?


A:思春期最大のテーマは、「同一性の確立」(エリクソン)です。(私はこうでありたい)
という理想の自己像と、(現実の私)、つまり現実自己を、一致させようとします。一致し
た状態を「自我の同一性」と言います。その第一歩が、おとなの優位性の打破です。それ
が「思春期の反抗」と考えてください。
 (悪態)もそのひとつ。「そんな法律がどこにあるの?」と。それを許せということでは
ありません。それができないほどまでに、子どもを抑えてはいけないということです。カ
リカリするのはしかたないとしても、「ああ、うちの子は、今、児童期から青年期へと、脱
皮を始めているのだ」と、一歩退いて子どもを見ます。
 この時期、親意識(とくに「親に向かって何よ!」式の悪玉親意識)が強すぎると、子
どもは親の前では仮面をかぶるようになります。自我の確立に失敗し、非行に走ったり、
親子の間にキレツが入り、親子が断絶するケースも目立ちます。最悪のばあいには、自我
の崩壊……。ナヨナヨとした軟弱な人間になることもあります。
 親には3つの役目があります。(1)ガイドとして子どもの前に立つ。(2)保護者とし
て子どものうしろに立つ。そして3番目が重要ですが、(3)友として子どもの横に立つ、
です。
 悪玉親意識を捨て、子どもの友になるつもりで、子どもの横に立ってみてください。と
たん、肩の荷が軽くなりますよ。
 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学4年生と小学1年生の母から

 長男への接し方で悩んでいます。長男にはどうしても小言を言う機会が多く、下の子は
女の子で要領がよく、注意された長男をからかって、長男を怒らせます。それを見て私が
怒る……の悪循環で、ときどきそんな雰囲気で日々を過ごしている長男がかわいそうにな
ります。
 長男への接し方を変えるアドバイスはないでしょうか。


A:長男、長女に対しては、どうしても不安先行型の子育てになりがちです。「何をしても、
不安」と。それが過干渉になったり、過関心に転じたりします。度を越すと、子どもの心
が萎縮したり、反対に粗放化することもあります。
 あなただけではありません。ほとんどの親がそうです。が、そのリズムは、妊娠したと
きから始まっています。つまり「根」が深いということ。そういう思考回路が、あなたの
脳の中にできあがってしまっています。そのためそのリズムを変えるのは、ほぼ不可能と
考えてください。では、どうするか?
 (1)そういう自分であると知って、仲よくつきあうこと。(2)「あなたはいい子」を
口癖にし、あなた自身の心を作り変えること。
 長男の顔や姿を見たら、本人にはもちろん、父親や長女の前で、題目のようにその言葉
を繰り返してみてください。3~4か月もすると、(それでも早いほうですが……)、あな
たは自然な口調で、それが言えるようになります。そのとき、あなたが今、心配している
問題は解決します。
 大切なことは、「子どもを直そう」と思わないこと。「今より状態を悪くしないこと」。そ
れだけを考えて対処します。この種の問題には、二番底、三番底があります。親は、自分
の子どもがより悪くなって、それ以前の状態が、まだよかったことを知ります。それが「悪
循環」と言われるものです。
 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●5・6月号相談事例

相談(1)小学3年生の母から

 小学3年生になると、友達関係でいろいろあるとは先生から聞いていたのですが、早速
わが子のカラーペンが一式なくなってしまい、とても心配しました。
 悪意からではなく、いたずらかもしれませんが、こういうときは、ただ見守るしかない
のでしょうか? それとも、担任の先生に相談した方がいいのでしょうか?
(焼津市・A)


A:鉄則はただひとつ。『友を責めるな、行為を責めよ』(イギリスの教育格言)です。担任
の先生にこうした事案は、遠慮なく報告したらよいでしょう。しかしそのとき、事実だけ
を客観的に話し、特定の子どもの名前を出したり、批判したりしてはいけません。自分の
判断を加えていけません。「事実」だけを話します。あとの判断、対処の仕方はプロの先生
に任せます。
 もし相手の子どもの名前がわかっていたら、逆にその子どもをほめてみます。「あの子は
いい子ね」と。あなたの家に招待するのもよいでしょう。あなたがその子どもと友だちに
なるつもりで、間に入ります。子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい
子を演じようとします。逆にそうした性質を利用して、その子どもを、よい友だちに作り
変えてしまいます。
 日本でも昔から『魚心あれば、水心』といいますね。英語にも、『相手は、あなたの思う
ように、あなたのことを思う』というのがあります。心理学の世界では、これを「好意の
返報性」といいます。あなたがその子どもをよい子と思っていると、そうした心は、あな
たの子どもを介してかならず、相手の子どもに伝わります。
 大切なことは、あなたの子どもが気持ちよく、楽しく通学することです。負けるところ
は負け、妥協するところは妥協します。けっしてカリカリしてはいけません。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(2)小学5年生の母から

 わが子のクラスで「いじめがある」とか「騒ぐ子がいて担任の先生が困っている」など
という話を子どもから聞き、親として心配がふくらんでいます。子どもの話だけで判断す
るよりは、懇談会などで直接聞く方がいいと思うのですが、聞き方が難しそうです。
親の心配を伝え、なおかつ先生批判にとられない聞き方は、どうすればいいでしょうか?
(藤枝市・Y)


A:この程度の問題で、動揺しないこと。いじめのない学級はありません。困っていない
先生など、い・ま・せ・ん。もし心配なら、1、2年、年上の子どもをもつ父母に相談し
てみることです。できれば、別の学校の父母に、相談します。たいてい「うちもそうでし
たよ」というような回答をもらって、その場で問題は解決するはずです。
 が、鉄則があります。どんなばあいも、子どもの前で、学校や先生の批判をしたり、悪
口を言ってはいけません。子どもの前では、「あなたの学校はすばらしい」「あの先生は、
最高!」と言います。
 もしあなたが学校や先生を批判したり、さらに悪口を言ったりすると、あなたの子ども
は先生の指示に従わなくなります。これを心理学の世界では、「三角関係」といいます。わ
かりやすく言えば、子どもが「二重拘束」の状態に置かれるということです。子ども自身
が、糸の切れた凧のようになってしまいます。
 教育で何が大切かといって、先生との信頼関係ほど、大切なものはありません。信頼関
係がなければ、教育そのものが、崩壊します。その信頼関係は、向こうからやってくるも
のではありません。親であるあなた自身が、努力で作るものです。
 なお相談といっても、同じクラスの父母に相談するのは、避けてください。あなたの話
しが曲解され、たまにおおげさになることがあります。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

相談(3)小学4年生と小学1年生の母から

 長男への接し方で悩んでいます。長男にはどうしても小言を言う機会が多く、下の子は
女の子で要領がよく、注意された長男をからかって長男を怒らせます。それを見て私が怒
る……の悪循環で、ときどきそんな雰囲気で日々を過ごしている長男がかわいそうになり
ます。
長男への接し方を変えるアドバイスはないでしょうか?
(静岡市・K)


A:心配先行型、不信先行型の子育てがリズムになっています。何をしても、否定的にと
らえてしまう。それに(下の子)との比較も、日常化しているようですね。これは、ま・
ず・い!
 子育てをしていて、「悪循環」を感じたら、思い切って、引きます。つまりあきらめます。
子育ての世界では、『あきらめは、悟りの境地』といいます。(私が考えた格言ですが…。)
「どうにでもなれ!」と、一歩退きますが、だからといって、無視したり、冷淡になれと
いうことではありません。
 愛情でくるんだ、「暖かい無視」です。で、ここが重要ですが、「求めてきたときが与え
どき」と心がけます。長男が助けを求めてきたときは、すかさず、(すかさずです)、それ
に応じてあげます。そしてあとは、最初はうそでもいいですから、「あなたはいい子」を口
ぐせにします。
 何か月も言いつづけていると、やがてあなたの子どもは、あなたの口ぐせどおりの子ど
もになります。つまりこうしてあなた自身の子育てのリズムを作りかえます。
 また(条件)(比較)(無理)は、子育ての3悪です。「勉強したら、~~を買ってあげる」
(条件)、「妹は~~なのに…」(比較)、それに能力を超えた期待をかける(無理)は、タ
ブーです。
 長男は長男、妹は妹。ともに長所だけを見て、それですませます。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 離婚 離婚問題 母親の離婚 子どもへの対処法 はやし浩司 我ら
が目的は 成功することではなく 失敗にめげず前に進むこと 許して忘れる はやし浩
司 forgive and forget forgive& forget for・give & for・get はやし浩司 兄弟げんか 子
どもの喧嘩 子どもの進路 長男 長女 接し方 はやし浩司 思春期の子ども 子供 
ゲームづけの子供 父親の役割 母子関係の是正 子供は家族の代表 子どもは家族の代
表 ファミリス Q&A 静岡県教育委員会発行雑誌 はやし浩司 子どもの苦手な科目
 苦手な勉強 いじめ はやし浩司 いじめの対処 あきらめは悟りの境地)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●はやし浩司 2010-11-19

●静かな朝

 今朝はかなり早い時刻に、目が覚めた。
何か夢を見ていたようだが、思い出せない。
顔に冷気を感じながら、暗闇の中で、あたりを見回す。
朝日はまだのよう。
「何時だろう?」
そんなことを考えながら、あれこれ考える。

●運動

 最初に迷ったのは、運動。
起きて、ルームウォーカーで運動すべきかどうか。
寝ているのも1時間。
運動するのも1時間。
寒い朝でも、20~30分もすれば、汗をかくほど体が暖まる。
それはよくわかっている。
しかしその踏(ふ)ん切りがつかない。
「何時だろう?」
また、そんなことを考えた。
「もう少しで明るくなるはず。そしたら起きよう」と。

 昨夜は、いつもより早く床についた。
10時ごろだったかな……?

●生かされている

 最近、私は、「生きている」のではなく、「生かされている」と思うことが多くなった。
その第一。
今、ここで死ぬわけにはいかない。
病気になることも許されない。
がんばるしかない。
がんばって、仕事をつづけるしかない。
今日、明日と講演がつづく。
怠(なま)けた体では、講演はできない。

 それに私がいちばん恐れるのは、この(流れ)が止ること。
漢方の世界では、『流水は腐らず』という。
これは健康論について言ったものだが、漢方では肉体と精神の健康を区別しない。
肉体と精神の健康は、密接不可分のものと考える。
今の私に必要なのは、「流水」、つまり「日々の緊張感」。
これが止ったら、……というか、そのあと私はどう生きていけばよいのか。
その先が見えない。
まったく見えない。
肉体だけではない。
精神そのものも、ボロボロになってしまう。

 だから生きていくしかない。
仕事をやめるわけにはいかない。
書くのをやめるわけにはいかない。
それが「生かされている」という思いにつながっている。

●二男

 ふと、二男はどうしているだろうと思う。
息子は3人いるが、私がいちばん気にかけたのは、二男だった。
好きだった。
私なりに愛情を、いちばんかけた。
そのこともあるのだろう。
以前、近くのパソコンショップに、MKさんという店員がいた。
歩き方、話し方が、二男にそっくりだった。
もちろん顔つきまで、そっくりだった。
そのこともあって、私とワイフは、いつもその店に行くのが楽しみだった。
MKさんい会うたびに、「よく似ている」と笑いあった。
もちろんそのことは、その店員には言わなかった。

 かわりに、多少値段が高くても、パソコンや関連商品は、その店で買った。
すべてMKさんを通して買った。
MKさんも、私たちによくしてくれた。

 が、MKさんは、そのうち別の店に転勤になってしまった。
そのつど、「今、MKさんは、どちらに?」が、その店でのあいさつ言葉になってしまった。
さみしかった。
わざわざ会いに行こうかと考えたこともある。

 ・・・と、まあ、そんな話を、食事のときワイフとした。
「MKさんは、どの店にいるのかなあ」
「一度、聞いてみたら・・・」と。

 そのときふと、あの正田氏のことを思い出した。
現在の美智子皇后陛下の故父君である。
あるときその正田氏に、食事をしながら、こう聞いたことがある。

「正田さんは、どうしてぼくを(留学生に)選んでくれたのですか?」と。
正田氏はそばを食べる手を休め、一瞬、背筋をのばしてこう言った。
「浩司の『浩(ひろ)』が同じだろ」と。

 私はそのときは、「ナーンダ、そんなことで」と思った。
が、今になってみると、そのときの正田氏の気持ちがよくわかる。

そしてしばらく間をおいて、正田氏はこう言った。「孫にも自由に会えんのだよ」と。

 それについて書いた原稿がある(中日新聞掲載済み)。
正田氏が亡くなる前に書いた原稿である。

++++++++++++++++

「最高の教育」について書いた
原稿です。

++++++++++++++++

最高の教育とは【15】

●私はとんでもない世界に!

 私の留学の世話人になってくれたのが、正田英三郎氏だった。現在の皇后陛下の父君。
このことは前にも書いた。そしてその正田氏のもとで、実務を担当してくれたのが、坂本
Y氏だった。坂本竜馬の直系のひ孫氏と聞いていた。

 私は東京商工会議所の中にあった、日豪経済委員会から奨学金を得た。正田氏はその委
員会の中で、人物交流委員会の委員長をしていた。その東京商工会議所へ遊びに行くたび
に、正田氏は近くのソバ屋へ私を連れて行ってくれた。そんなある日、私は正田氏に、「ど
うして私を(留学生に)選んでくれたのですか」と聞いたことがある。

 正田氏はそばを食べる手を休め、一瞬、背筋をのばしてこう言った。「浩司の『浩(ひろ)』
が同じだろ」と。そしてしばらく間をおいて、こう言った。「孫にも自由に会えんのだよ」
と。

 おかげで私はとんでもない世界に足を踏み入れてしまった。このことも前に書いたこと
だが、私が寝泊まりをすることになったメルボルン大学のインターナショナルハウスは、
各国の王族や皇族の子弟ばかり。

 私の隣人は西ジャワの王子。その隣がモーリシャスの皇太子。さらにマレーシアの大蔵
大臣の息子などなど。毎週金曜日や土曜日の晩餐会には、各国の大使や政治家がやってき
て、夕食を共にした。

 首相や元首相たちはもちろんのこと、その前年には、あのマダム・ガンジーも来た。と
きどき各国からノーベル賞級の研究者がやってきて、数カ月単位で宿泊することもあった。
東京大学から来ていた田丸先生(二〇〇〇年度日本学士院賞受賞)もいたし、井口領事が、
よど号ハイジャック事件(七〇年三月)で北朝鮮へ人質となって行った山村運輸政務次官
を連れてきたこともある。山村氏はあの事件のあと、休暇をとって、メルボルンへ来てい
た。

 が、「慣れ」というのは、こわいものだ。そういう生活をしても、自分がそういう生活を
していることすら忘れてしまう。ほかの学生たちも、そして私も、自分たちが特別の生活
をしていると思ったことはない。意識したこともない。もちろんそれが最高の教育だと思
ったこともない。が、一度だけ、私は自分が最高の教育を受けていると実感したことがあ
る。

●落ちていた五〇セント硬貨 

 ハウスの玄関は長い通路になっていて、その通路の両側にいくつかの花瓶が並べてあっ
た。ある朝のこと、花瓶の一つを見ると、そのふちに五〇セント硬貨がのっていた。だれ
かが落としたものを、別のだれかが拾ってそこへ置いたらしい。

 当時の五〇セントは、今の貨幣価値で八〇〇円くらい。もって行こうと思えば、だれに
でもできた。しかしそのコインは、次の日も、また次の日も、そこにあった。四日後も、
五日後もそこにあった。私はそのコインがそこにあるのを見るたびに、誇らしさで胸がは
りさけそうだった。そのときのことだ。私は「最高の教育を受けている」と実感した。

 帰国後、私は商社に入社したが、その年の夏までに退職。数か月東京にいたあと、この
浜松市へやってきた。以後、社会的にも経済的にも、どん底の生活を強いられた。幼稚園
で働いているという自分の身分すら、高校や大学の同窓生には隠した。しかしそんなとき
でも私を支え、救ってくれたのは、あの五〇セント硬貨だった。

 私は、情緒もそれほど安定していない。精神力も強くない。誘惑にも弱い。そんな私だ
ったが、曲がりなりにも、自分の道を踏みはずさないですんだのは、あの五〇セント硬貨
のおかげだった。私はあの五〇セント硬貨を思い出すことで、いつでも、どこでも、気高
く生きることができた。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 最高の教育 最高の教育とは 正田英三郎)


 Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


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 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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※2010年のマガジンはこれでおしまいです。
 また2011年にお会いしましょう!

          HAPPY NEW YEAR!

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
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まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
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.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m~= ○
.       ○ ~~~\\//
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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    MMMMM
 m | ⌒ ⌒ |
( ̄\q ・ ・ p
 \´(〃 ▽ 〃) /~~
  \  ̄Σ▽乃 ̄\/~~/
   \  :  ξ)
   ┏━━┻━━━━┓
   ┃来年もよろしく┃
┃はやし浩司  ┃
   ┗━━━━━━━┛

*Rebellious Age




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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄MERRY CHRISTMAS!
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      12月   22日号
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●心のゆがみ

++++++++++++++++++

老後を迎えるようになると、
たしかに心がゆがんでくる。
それを私は、現実の問題として、
経験しつつある。

目標の喪失。
生きがいの喪失。
おまけに体調不良、
将来への不安、などなど。
「正常」(?)を支えるだけで、精一杯。

昔、私の住んでいる近所に、隣家に牛乳瓶を
投げつけていた老人がいた。
当時70歳くらいではなかったか。
何が気にくわなかったのかは、わからない。
理由もわからない。

当時の私たちはそういう老人を知り、
「何て、愚かな人間なんだ」と思った。
しかし今、そういう気持ちは薄れた。
「そういう気持ち」というのは、「愚かと
非難する気持ち」をいう。

私だって、そのうち隣家に牛乳瓶を
投げつけるようになるかもしれない。
若い人たちから見れば、とんでもないことを
するようになるかもしれない。
今の今でさえ、自分の人格を支えるだけで、
精一杯。
この先、それを支える気力が弱ったら……。
それを考えると、恐ろしい。
恐ろしいというより、不安でならない。

+++++++++++++++++

●小さな希望

 こうした老後を救うのは、小さな希望。
それに夢。
たいしたものでなくてもよい。
それにしがみつく。
しがみついて生きていく。

たとえば今朝も、こんなことがあった。

 ネットであちこちを見ていたら、私の書いた本がオークションにかけられているのを
知った。
『目で見る漢方診断』(飛鳥新社)という本である。

 即決価格は、3500円。
あと1週間も残っているというのに、3500円で買いを出してくれている人がいる
のを知った。

見ると、カバーはなく、ボロボロ。
ふつうなら、200円とか、300円で売買されるような本である。
それが3500円!

 当時の定価は、2300円。
1988年刊行とある。
それを見たとき、胸の中がポーッと温まるのを知った。
ここでいう小さな希望というのは、それをいう。
またそれがあるから、私は明日に向かって生きていくことができる。

 書き忘れたが、私はあの本を最後に、漢方(東洋医学)の世界から、足を洗った。
それまで書庫を埋めていた参考書や資料を、すべて処分した。
1988年というから、22年前のことである。

 が、その本は当初1~2週間をのぞき、まったく売れなくなってしまった。
で、そのまま絶版。
今は、私のHPのほうで、無料で紹介しているのみ。
手元にも、数冊しか残っていない。
それが3500円!

うれしかった。
オークションで買いを入れてくれた方へ、
本当にありがとうございます。

 ……ついでに、AMAZON CO.JPで調べてみたら、6965円(送料別)前後で売買
されているのを知った。

どうして……?
どうして、今になって……?

src="http://farm5.static.flickr.com/4010/5173573713_81ced4f5fa.jpg" width="442"
height="500" alt="img115" />


 少し前、ある大学の教授(鍼灸学)がこう言った。
「あの本は、東洋医学の世界では、3大名著のひとつになっています」と。
そのときは、「?」と思ったまま、終わってしまった。
たぶん私が死んでも、あの本は、もう少し長生きするかもしれない。
小さな小さな希望だが、それがあるから生きていかれる。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 目で見る漢方診断 飛鳥新社 東洋医学)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

【山荘にて】

●置き物

 昨夜遅く、山荘にやってきた。
「近く、山荘を売る」と言い出してから、逆に、山荘へ来る回数がふえた。
そういうものか。
ワイフもどこかさみしそう。

 いろいろな飾り物や置き物は、それぞれ理由をつけて、生徒にあげている。
今にこの山荘も、からっぽになるだろう。
床の間には、掛け軸が3本かかっている。
うち1本は、土佐左近将(温?)光作。(「|口皿」とある)
かなりの値打ちモノらしい。
昔、母がそう言っていた。
これは3月に、Dさんにあげるつもり。
私の教室に14年間も通ってくれた。
「3月に、山荘へ招待するよ」と言ったら、うれしそうに、ウンと言ってくれた。
そのとき、あげるつもり。
(興味をもたないかな?)

 ほかにも石の置き物などが20個あまりあったが、今は数個を残すのみ。
飛行機の模型は、今年になってから、ほとんどを生徒にあげた。
残っているのは、50機あまり。
ミニコプター(トイヘリ)ついては、すでに予約済み。
5年生のA君が、かなり以前から、「ほしい」と言っている。

・・・ということで、実は、この山荘も、村の人たちに寄付しようかと、
ときどき思う。
ワイフは反対しているが、村の人たちに、集会所のような所として
使ってもらうのが、私はいちばんよいと考えている。
そのほうが大切に使ってもらえる。
一度、不動産屋を通して売りに出し、それで売れなければ、(どうせ高い価格では、
売れないだろうし……)、そうする。

●11月12日

 今朝は、7時に起きた。
つづいてワイフも起きた。
今は、時刻は午前8時。
さて、これから作業、開始。
自宅に帰る途中で、DIYショップに寄り、材料を買い集める。
それにどこか途中で、朝食。

 今日も始まった。
今日こそは、「充実した1日だった」と言えるような日にしたい。
がんばろう。

はやし浩司 2010―11-12 土曜日


Hiroshi Hayashi++++++Nov 2010++++++はやし浩司(林浩司)

【幼児期前期(自律期)~幼児期後期(自立期)の幼児】

●Happy Learners learn Best! (楽しく学ぶ子は、伸びる)

BW幼児教育実践教室byはやし浩司

今週は、新しい生徒さんを迎え、ややハメをはずしたレッスンになりました。
自立期~自立期の子どもたちの様子を、ビデオに収めました。
お子さんといっしょにお楽しみください。

なお先週から高画質版にしましたが、15分モノで、UPLOADに30分も
かかってしまいます。
今後もできるだけ高画質版でお届けしたいですが……。
30分は、きびしいですね。

●この時期の子ども

心(情意)と表情の一致を大切にします。
「何を考えているかわからない」というのは、幼児の、(おとなでもそうですが)、
あるべき姿ではありません。

まず思ったことを口に出して言わせる。
それがこの時期の子どもの指導の要(かなめ)です。
このビデオを通して、3~5歳児の伸びやかな姿を見ていただければうれしいです。

(子どもの顔は、おうちの方の許可のあったときのみ、収録しています。
BWの方で、「記念にうちの子のビデオを撮ってほしい」という方は、はやし浩司
まで遠慮なく、お申し付けください。
別カメラで収録、YOUTUBEにUPLOADします。
よい思い出になると思います。)

●灯をともして、引き出す

「勉強は楽しい」という印象作りを大切にします。
そうした基礎が、やがて子どもを前向きに引っ張っていきます。
「教えてやろう」という意識は抑え気味に。
それよりも大切なことは、教える私が楽しむこと。
参観している親たちが楽しむこと。
その(楽しさ)の中に、子どもを巻き込んでいきます。
それが子どもを伸ばすコツです。

子どもには生まれながらに、すでに自ら伸びる芽があります。
それを引き出す。
それが教育ということになります。

そういう意味で、BW子どもクラブ(実験教室)は、皆さんに満足いただける
成果を出しています。

***********************

以下、11月12日(2010)のレッスンより


value="http://www.youtube.com/v/f-RT1gkpU00?hl=ja&fs=1">name="allowFullScreen" value="true">value="always">src="http://www.youtube.com/v/f-RT1gkpU00?hl=ja&fs=1"
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always"
allowfullscreen="true" width="425" height="344">



value="http://www.youtube.com/v/reGZqY3wltM?hl=ja&fs=1">name="allowFullScreen" value="true">value="always">src="http://www.youtube.com/v/reGZqY3wltM?hl=ja&fs=1"
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always"
allowfullscreen="true" width="425" height="344">



value="http://www.youtube.com/v/1fxt3nrY580?hl=ja&fs=1">name="allowFullScreen" value="true">value="always">src="http://www.youtube.com/v/1fxt3nrY580?hl=ja&fs=1"
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always"
allowfullscreen="true" width="425" height="344">



value="http://www.youtube.com/v/9n2AxtqLSSg?hl=ja&fs=1"> name="allowFullScreen" value="true">value="always">src="http://www.youtube.com/v/9n2AxtqLSSg?hl=ja&fs=1"
type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always"
allowfullscreen="true" width="425" height="344">



+++++++++++++++++++++++++++++

●YOUTUBE埋め込み版(↑)がご覧なれない方は、

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
より「BW公開教室」→2010年度版→11月号へとお進みください。

●あるいは、

http://www.youtube.com/watch?v=f-RT1gkpU00

http://www.youtube.com/watch?v=reGZqY3wltM

http://www.youtube.com/watch?v=1fxt3nrY580

http://www.youtube.com/watch?v=9n2AxtqLSSg


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 幼児期前期から幼児期後期の幼児たち 自律期から自立期へ)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●11月14日(日曜日)

++++++++++++++++++++

昨夜は、深夜劇場に足を運んだ。
観た映画は、『マチェーテ』。
マカロニ・ギャング映画。
悪人役を、ロバート・デニーロが演じ、
善人役を、ロバート・ロドリゲスが演じた。
悪人役と善人役が反転したような映画。

星は1つか2つの、★。
有名スターが2人も並んでいた。
(ロバート・デニーロ、スティーブン・セガールほか。)
かなり期待していたが、星はやはり1つか2つ。
2つは無理。
映画から帰ってから、幼児教室の様子をYOUTUBEにアップ。
床についたときには、深夜0時を過ぎていた。

残酷、残忍な殺人シーンがつぎつぎとつづいた。
そのせいか、今朝は、何となく気分が重い。

なお「マチェーテ」というのは、主人公の
名前だそうだ。

++++++++++++++++++++

●経済がおかしい?

 またまたEU発の暗雲が世界を覆い始めている。
経済不安という暗雲。
アイルランドがあぶない。
ギリシャ、ポルトガルがそれにつづく。

またおとといは、アメリカ経済の後退が報じられたとたん、金(ゴールド)などの
貴金属が暴落した。
来週あたりから、じわじわと、その影響が日本にも及んでくるはず。
(あるいは突然?)
2010/11/14朝記

Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●弱い自分vs強い自分(心の卑屈なゆがみについて)2010/11/14

 よい人間関係を結べない人は、攻撃的になったり、依存的になったり、服従的に
なったりする。
もうひとつ同情的になったりするというのもある。
これは心理学の世界では、常識。

「同情的」というのは、「同情を買う」という意味。
わざと弱々しい自分を演じ、他人の同情を買いながら、自分の立場を作る。
老人に多いが、早い人で、50代からそれを演ずる人がいる。
電話などで、今にも死にそうな声で話したりする。

「オバチャンも年をとりましたア~」と。

 するとその周辺に、(それに同情するグループ)が形成される。
たいていは家族ということになる。
近隣の人や親類の人も含まれることがある。
その関係は、保護と依存の関係に似ている。
しかし意図的にその関係を築くという点で、保護と依存の関係とは、一線を引く。
つまりその人は、同情するグループに囲まれて、自分にとって居心地のよい世界を作る。

 たいした病気でもないのに、大げさに騒いでみたり、「命は長くない」と、周囲の人
たちに思わせたりする。

●駅の構内をスタスタ

 ここまで書いて、以前発表した原稿を思い出した。
それをそのまま収録する。
日付は2006年の4月(マガジン版)となっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●子どもや孫とのつきあい

+++++++++++++++++

孫と同居したがる日本人。

が、それは決して、世界の常識ではない。

+++++++++++++++++

 老後になったら、子どもや孫と、どのようにつきあえばよいのか?

 内閣府が、平成12年に調査した、「高齢化問題基礎調査」によれば、子どもや孫とのつ
きあいについて、日本人は、つぎのように考えていることがわかった。

(1)子どもや孫とは、いつもいっしょに、生活ができるほうがよい。

      日本人   …… 43・5%
      アメリカ人 ……  8・7%
      スウェーデン人…… 5・0%

(2)子どもや孫とは、ときどき会って、食事や会話をするのがよい。

日本人   …… 41・8%
      アメリカ人 …… 66・2%
      スウェーデン人……64・6%

 日本人は、欧米人よりも、はるかに「子どもや孫との同居を望んでいる」。それがこの調
査結果からもわかる。一方、欧米人は、老後は老後として、(1)子どもたちの世話にはな
らず、(2)かつ自分たちの生活は生活として、楽しみたいと考えている。

 こんなところにも、日本人の依存性の問題が隠されている。長い歴史の中で、そうなっ
たとも考えられる。

 「老後は、子どもや孫に囲まれて、安楽に暮らしたい」と。

 そうそう、こんな話もある。

 このところ、その女性(48歳)の母親(79歳)の足が、急に弱くなったという。先
日も、実家へ帰って、母親といっしょに、レストランへ行ったのだが、そこでも、その母
親は、みなに抱きかかえられるようにして歩いたという。

 「10メートル足らずの距離を歩くのに、数分もかかったような感じでした」と。

 しかし、である。その娘の女性が、あることで、急用があって、実家に帰ることになっ
た。母親に連絡してから行こうと思ったが、あいにくと、連絡をとる間もなかった。

 で、電車で、駅をおりて、ビックリ!

 何とその母親が、母親の友人2人と、駅の構内をスタスタと歩いていたというのだ! 
「まるで別人かと思うような歩き方でした」と。

 が、驚いたのは、母親のほうだったかもしれない。娘のその女性がそこにいると知ると、
「しまった!」というような顔をして、突然、また、弱々しい歩き方で歩き始めたという。

 その母親は、娘のその女性の同情をかうために、その女性の前では、わざと、病弱で、
あわれな母親を演じていたというわけである。

 こういう例は、多い。本当に、多い。依存性の強い人ほど、そうで、同情をかうために、
半ば無意識のうちにも、そうする。

 しかし、みながみなではない。

 反対に、子どもの前では、虚勢を張る親も、いる。「子どもには心配をかけたくない」と
いう思いから、そうする。

 どこでそう、そうなるのか? どこでどう、そう分かれるのか?

 私などは、いくら疲れていても、ワイフや息子たちの前では、虚勢を張ってみせるほう
だから、反対に、同情をかう親の心が、理解できない。気持ちはわかるが、しかしそれで
よいとは思わない。

 ひょっとしたら、この問題も、冒頭にあげた調査結果で、説明できるのではないか。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●わざところぶ

 こうした心理を、どう表現したらよいのか。
演技性人格障害とまでは言えない。
自分を弱者(多くは病人)に仕立て、同情を買うという点では、「代理ミュンヒハウゼン
症候群」にも似ている。
が、もちろんそれともちがう。

 たとえば私の実兄のばあいには、わざと人前でころんでみせるという習癖があった。
みなが心配して、「どうしたの?」と声をかけてもらうのが、目的だった。
だからころんでも、それなりに安全なところを選んでいた。
たとえば走っている車の前では、ころばなかった。
また人の気配のないところでは、ころばなかった。
瞬間的に人の気配を感ずると、けがをしない程度にころんでみせた。

 自虐的依存性人格障害。
あるいはその反対の、依存的自虐性人格障害でもよい。
しかしこうした傾向は、高齢になればなるほど、より顕著に現れてくる。
つまり多かれ少なかれ、高齢者共通の現象と考えてよい。
わかりやすく言えば、「甘え」。

 2006年に書いた原稿(前述)の女性のばあいは、娘にわざと心配させることに
よって、自分の立場をつくっていた。
……というか、正直に告白するが、これは私の実母の話である。
それを他人の母親のようにして、書いた。
私の実母と実兄は、同居していた。
そのため実兄は、実母の影響をそのまま受けていた。

●老齢期を迎えて

 老齢期をそこに迎えて、いろいろ心理的な変化が自分の中で始まっているのを
感ずる。
この「同情を買う」というのも、そのひとつ。
ふと油断すると、私自身も同じようなことをしているのを知る。
そういう点では、私はあの実母の息子。

 たとえば風邪をひいたとする。
たいした風邪でもないのに、ひどく熱が出ているようなフリをする。
それを見て、ワイフが「どうしたの?」「だいじょうぶ?」と。
が、その瞬間、人の前でころんでみせた、実兄を思い出す。
正気に返る。

 この「同情」のこわいところは、一度、そういう関係、つまり「保護と依存の
関係」ができると、それを打ち破るのが容易ではないということ。
たいていはそのまま、人間関係として定着してしまう。
保護される側は、いつも保護されるべきと考える。
それに応じて、保護する側は、いつもその義務感に追い立てられる。

 が、こうした関係は、実は子どもの世界でもときどき、見られる。
以前書いた原稿を、さらにさがしてみる。
つぎの原稿は、「反抗期の子ども」について書いた原稿である。
少し内容が脱線するが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【反抗期の子ども】

●思春期前夜

++++++++++++++++++

目の前に、2人の小学生がいる。
2人とも、小学4年生。
伸びやかに育っている。
言いたい放題のことを言い、
したい放題のことをしている。
恵まれた子どもたちである。
頭はよい。
作業も早い。

子どもは、小学3年生ごろを境にして、
思春期前夜へと入る。

今日はワークブックの日。
2人も、黙々と、自分のワークブックに
取り組んでいる。
私はこうしてパソコンを相手に、パチパチと
文章を書いている。

このところ新型インフルエンザの流行で、
ほかの子どもたちは、外出禁止。
そのため、今日の生徒は2人だけ。

が、この時期の子どもは、どこかピリピリして
いる。
それだけ精神が緊張していることを示す。

(緊張)と(弛緩)。
それがこの時期の子どもの、精神状態の特徴
ということになる。

++++++++++++++++++

●揺り戻し

この時期の子どもは、あるときは(おとな)に
なり、また別のときは(幼児)になる。
精神的に不安定になる。
私はこの幼児ぽくなる現象を、勝手に、「揺り戻し現象」
とか、「揺り戻し」とか、呼んでいる。

(先日、書店で、ある「子育て本」を読んでいたら、
同じことが書いてあったのには、驚いた。
こうした揺り戻しについて書いたのは、私が最初で、
また私以外に、それについて書いた人を、私は知らない。
著者はどこかのドクターだったが、そのドクターは、
どこでそういう情報を手に入れたのだろう?
余計なことだが……。)

この時期にさしかかるころ、その揺り戻しの振幅が大きくなる。
たとえば、幼児的な扱いをすると不機嫌になる。
が、そうかと思っていると、反対に、自から幼稚ぽくなったりする、など。
が、幼児でもない。
ふとしたきっかけで、生意気な態度をとったりする。
ふてくされたり、キレたりする。
あるときは、幼児に、またあるときはおとなに……。
その振幅の幅が、大きくなる。

が、年齢とともに、やがて振幅は小さくなる。
幼児ぽくなることが少なくなり、やがて思春期へと入っていく。
(独特のあのピリピリとした緊張感は、そのまま残るが……。)

親の側からすると、幼児に扱ってよいのか、
あるいはおとなとして接したらよいのか、わかりにくくなる。
それがこの時期の子どもの特徴ということになる。

●幼児とおとなのはざまで……

 2人の小学生には、その揺り戻しが顕著に現れている。
「典型的な症状だ」と、先ほども、ふと思った。
その特徴を箇条書きにしてみる。

(幼児の部分)(緊張感が弛緩しているとき)
○ プロレスごっこや鬼ごっこをしてやると、ネコの子のようにじゃれたり、
笑って喜んだりする。
○ 機嫌がいいときには、幼稚っぽいしぐさとともに、おとなに甘えたり、
体をすり寄せてきたりする。

(おとなの部分)(心が緊張状態にあるとき)
○ 何かのことで注意したり、まちがいを指摘したりすると、露骨にそれを
嫌い、不機嫌な態度に変わる。
○ おとなとして扱うことを求め、(子どもぽい)遊びなどをすることについて、
敏感に反応し、拒絶したりする。

 が、全体としてみると、1時間の間だけでも、つねに(緊張)と(弛緩)を
繰り返しているのがわかる。

●情緒不安

 よく誤解されるが、情緒が不安定になるから、「情緒不安」というのではない。
精神の緊張状態がとれないから、「情緒不安」という。
精神が緊張している状態へ、不安感や心配ごとが入ると、それを解消
しようとして、精神状態は、一気に、不安定になる。
不機嫌になったり、反対に、カッと怒り出したりする。

つまり「情緒不安」というのは、あくまでもその結果でしかない。
また緊張した状態が、「ピリピリした状態」ということになる。

 そのことは、それだけ触覚が、四方八方に伸びていることを示す。
何を見ても気になる。
こまかいところを見る。
ささいなことを気にする。
そのため、それまで気がつかなかったことについても、気がつくようになる。
そのターゲットになるのが、父親であり、母親ということになる。
学校では、教師ということになる。

●血統空想

 ところであのフロイトは、「血統空想」という言葉を使った。
自分の母親を疑う子どもはいないが、父親を疑う子どもは多い。
「ぼくの(私の)本当の父親は、別にいるはず」と。

 それまでは絶対と思っていた父親や母親が、絶対でないことに気づく。
完ぺきでないことに気づく。
幼児のある時期には、子どもは、「この世のすべてのものは、親によって
作られたもの」と思い込む。
それが思春期前夜に入ると、その幻想が、急速に崩れ始める。

 そこで子どもは、自分がもっている父親像は母親像の修正にとりかかる。

●無謬性

 「親だから、こうであるべき」「こうあってほしい」という(期待)。
つまり親に無謬性(むびゅうせい:一点のミスも欠点もないこと)を求める。
が、その一方で、親が本来的にもつ欠陥にも、気づき始める。
それはそのまま、(怒り)となって子どもを襲う。

子どもは、(期待)と(怒り)の間で、混乱する。

 ある女性(60歳)は、自分の母親(90歳)が、車の中で小便を漏らした
だけで、混乱状態になってしまったという。
それでその母を、強く叱ったという。
その女性にしてみれば、「母親というのは、そういうことをしないもの」と
思い込んでいたようだ。
つまり(小便を漏らす)という行為そのものが、自分が抱く母親像と矛盾して
しまった。
それが(混乱)という精神状態につながった。

 このタイプの女性はかなりマザコンタイプの人の話と考えてよい。
自分の中の混乱を、怒りとして、母親にぶつけていただけということになる。
つまり似たような現象が、思春期前夜の子どもに起こる。

●血統空想

 フロイトが説いた「血統空想」も、似たような現象と考えてよい。
子どもは、完ぺきな父親を期待する。
しかし現実の父親は、その完ぺきさとは、ほど遠い。
頼りがいがなく、だらしない。
不完全さばかりが、気になる。

 そこで子どもは葛藤する。
「父親というのは、完ぺきであるべき」という思いと、現実の父親の受容との
はざまで、もがく。
それがときとして、「ひょっとしたら、あの父親は、ぼくの(私の)本当の
父親ではないかもしれない」という思いにつながる。
それが「血統空想」ということになる。

 このことは生徒としての子どもを見ていても、わかる。
「教えてやろうか」と声をかけると、「いらない!」と言って、それに反発する。
が、その一方で、親には、「あの林(=私)は、教え方がへた」とか言って、
不満を述べたりする。
簡単な問題だから、私が「自分で考えてごらん」と言っても、怒り出す。
ふてくされる。
が、教えてやろうと身を乗り出すと、「ウッセー!」と言って、怒り出す。
目の前の2人の子どもたちも、そうだ。

 私の中に完ぺきさを求めつつ、完ぺきでない私を知ることで、混乱する。
それに反発する。
「反抗期」というのは、それをいう。

そうした子どもの心理が、手に取るように私にはよくわかる。

●親を拒否する子どもたち
 
 言うなればこの時期は、つづく思春期と合わせて、嵐のようなもの。
子どもの立場で考えてみよう。

それまでは親の言うことに従っていれば、それですんだ。
親が、自分の進むべき道を示してくれた。

 が、その親がアテにならなくなる。
親の職業を、客観的に評価するようになる。
そのため、ますます親がアテにならなくなる。

 幼児のころは、「おとなになったら、パパ(ママ)のような人になりたい」
と思っていた子どもでも、この時期になると、「いやだ」と言い出す。
中学生でも、「将来、父親(母親)のようになりたくない」と考えている子どもは、
60%~80%はいる※1。
いろいろな調査結果でも、同じような数字が並ぶ。

●自己の同一性

 この思春期前夜の「混乱」を通して、子どもは、自分のあるべき(顔)を模索する。
そしてそれがやがて、自己の同一性の確立へと、つながっていく。
「私はこうあるべきだ」というのが、(自己概念)。
が、現実の自分がそこにいる。
その現実の自分を、(現実自己)という。

 これら両者が一致した状態を、「自己の同一性」(アイデンティティ)という。
子どもというより、思春期における青少年にとって、最大の関門といえば、
自己の同一性の確立ということになる※2。

 それが確立できれば、それでよし。
そうでなければ、混乱した状態は長くつづく。
30歳を過ぎても、「私さがし」をしている青年は、いくらでもいる。

●動じない

 話を戻す。

 2人の子どもは、相変わらず、黙々と自分に与えられた作業をこなしている。
どこかピリピリしている。
が、そこは暖かい無視。
私の度量を試すような行動も、みられる。
わざと怒らせようとする。
しかし私は動じない。

 生意気な態度。
ぞんざいな言葉。
投げやりな姿勢。
ふてくされた顔。
しかしその間に見せる、あどけない表情。
それがこの時期の子どもの特徴ということになる。

 重要なことは、けっして子どものパースに巻き込まれてはいけないということ。
この時期の子どもは、ギリギリのところまでする。
ギリギリのところまでしながら、その一線を越えることはない。
叱ったり、怒ったりしたら、こちらの負け。
言うべきことは言いながら、あとは暖かい無視で子どもを包む。
 
 嵐はいつまでもつづくわけではない。
やがて収まる。
そのころには、この子どもたちも、立派な青年になっているはず。
2人の子どもの横顔を見ながら、そんなことを考えた。

●補記

 反抗期に反抗期特有の症状を示さないまま、思春期を過ぎた子どもほど、
あとあといろいろな心の問題を起こすことがわかっている。
とくに親が権威主義的で、威圧的だと、子どもは反抗らしい反抗もしないまま、
思春期を過ぎる。
それから生まれる不平、不満、不完全燃焼感は、心の別室に抑圧され、時期をみて、
爆発する。
「こんなオレにしたのは、テメエだろオ!」と。

 「抑圧感」が大きければ大きいほど、爆発力も大きくなる。
(あるいはそのまま一生、爆発することもなく、なよなよした人生を送る子どもも
少なくない。)

 ちょうど昆虫がそのつど殻を脱皮して、成長するように、人間の子どももまた、
そのつど成長の殻を脱皮しながら、成長する。
殻を脱ぐときには脱ぐ。
脱がせるときは、脱がせる。

 そういうことも頭に入れて、子どもは、一歩退いたところから見守る。
それが「暖かい無視」ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 思春期前夜 はやし浩司 思春期 思春期の子供 思春期前夜の
子供 揺り戻し 揺り戻し現象 揺りもどし ゆり戻し ゆりもどし)

(注※1)子どもたちの父親像

 今、「父親を尊敬していない」と考えている中高校生は、55%もいる。
「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は、79%もいる
(「青少年白書」平成10年)。

(注※2)エリクソンの心理発達段階論

エリクソンは、心理社会発達段階について、幼児期から少年期までを、つぎのように
区分した。

(1) 乳児期(信頼関係の構築)
(2) 幼児期前期(自律性の構築)
(3) 幼児期後期(自主性の構築)
(4) 児童期(勤勉性の構築)
(5) 青年期(同一性の確立)
(参考:大村政男「心理学」ナツメ社)

+++++++++++++++++

以下、09年4月に書いた原稿より……

+++++++++++++++++

●子どもの心理発達段階

それぞれの時期に、それぞれの心理社会の構築に失敗すると、
たとえば子どもは、信頼関係の構築に失敗したり(乳児期)、
善悪の判断にうとくなったりする(幼児期前期)。
さらに自主性の構築に失敗すれば、服従的になったり、依存的に
なったりする(幼児期後期)。

実際、これらの心理的発達は4歳前後までに完成されていて、
逆に言うと、4歳前後までの育児が、いかに重要なものであるかが、
これによってわかる。

たとえば「信頼関係」にしても、この時期に構築された信頼関係が
「基本的信頼関係」となって、その後の子ども(=人間)の生き様、
考え方に、大きな影響を与える。
わかりやすく言えば、基本的信頼関係の構築がしっかりできた子ども
(=人間)は、だれに対しても心の開ける子ども(=人間)になり、
そうでなければそうでない。
しかも一度、この時期に信頼関係の構築に失敗すると、その後の修復が、
たいへん難しい。
実際には、不可能と言ってもよい。

自律性や自主性についても、同じようなことが言える。

●無知

しかし世の中には、無知な人も多い。
私が「人間の心の大半は、乳幼児期に形成されます」と言ったときのこと。
その男性(40歳くらい)は、はき捨てるように、こう反論した。
「そんなバカなことがありますか。人間はおとなになってから成長するものです」と。

ほとんどの人は、そう考えている。
それが世間の常識にもなっている。
しかしその男性は、近所でも評判のケチだった。
それに「ためこみ屋」で、部屋という部屋には、モノがぎっしりと詰まっていた。
フロイト説に従えば、2~4歳期の「肛門期」に、何らかの問題があったとみる。

が、恐らくその男性は、「私は私」「自分で考えてそのように行動している」と
思い込んでいるのだろう。
が、実際には、乳幼児期の亡霊に振り回されているにすぎない。
つまりそれに気づくかどうかは、「知識」による。
その知識のない人は、「そんなバカなことがありますか」と言ってはき捨てる。

●心の開けない子ども

さらにこんな例もある。

ある男性は、子どものころから、「愛想のいい子ども」と評されていた。
「明るく、朗らかな子ども」と。
しかしそれは仮面。
その男性は、集団の中にいると、それだけで息が詰まってしまった。
で、家に帰ると、その反動から、疲労感がどっと襲った。

こういうタイプの人は、多い。
集団の中に入ると、かぶらなくてもよい仮面をかぶってしまい、別の
人間を演じてしまう。
自分自身を、すなおな形でさらけ出すことができない。
さらけ出すことに、恐怖感すら覚える。
(実際には、さらけ出さないから、恐怖感を覚えることはないが……。)
いわゆる基本的信頼関係の構築に失敗した人は、そうなる。
心の開けない人になる。

が、その原因はといえば、乳児期における母子関係の不全にある。
信頼関係は、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)の上に、
成り立つ。
「絶対的」というのは、「疑いすらいだかない」という意味。
「私は何をしても許される」という安心感。
親の側からすれば、「子どもが何をしても許す」という包容力。
この両者があいまって、その間に信頼関係が構築される。

●自律性と自主性

子どもの自律性や自主性をはばむ最大の要因はといえば、親の過干渉と過関心が
あげられる。
「自律」というのは、「自らを律する」という意味である。
たとえば、この自律性の構築に失敗すると、子どもは、いわゆる常識はずれな
言動をしやすくなる。

言ってよいことと悪いことに判断ができない。
してよいことと、悪いことの判断ができない、など。

近所の男性(おとな)に向かって、「おじちゃんの鼻の穴は大きいね」と
言った年長児(男児)がいた。
友だちの誕生日に、バッタの死骸を詰めた箱を送った小学生(小3・男児)が
いた。
そういう言動をしながらも、それを「おもしろいこと」という範囲で片づけて
しまう。

また、自主性の構築に失敗すると、服従的になったり、依存的になったりする。
ひとりで遊ぶことができない。
あるいはひとりにしておくと、「退屈」「つまらない」という言葉を連発する。
これに対して、自主性のある子どもは、ひとりで遊ばせても、身の回りから
つぎつぎと新しい遊びを発見したり、発明したりする。

●児童期と青年期

 児童期には、勤勉性の確立、さらに青年期には、同一性の確立へと進んでいく
(エリクソン)。

 勤勉性と同一性の確立については、エリクソンは、別個のものと考えているようだが、
実際には、両者の間には、連続性がある。
子どもは自分のしたいことを発見し、それを夢中になって繰り返す。
それを勤勉性といい、その(したいこと)と、(していること)を一致させながら、
自我の同一性を確立する。

 自我の同一性の確立している子どもは、強い。
どっしりとした落ち着きがある。
誘惑に対しても、強い抵抗力を示す。
が、そうでない子どもは、いわゆる「宙ぶらりん」の状態になる。
心理的にも、たいへん不安定となる。
その結果として、つまりその代償的行動として、さまざまな特異な行動をとる
ことが知られている。

 たとえば(1)攻撃型(突っ張る、暴力、非行)、(2)同情型(わざと弱々しい
自分を演じて、みなの同情をひく)、(3)依存型(だれかに依存する)、(4)服従型
(集団の中で子分として地位を確立する、非行補助)など。
もちろんここにも書いたように、誘惑にも弱くなる。
「タバコを吸ってみないか?」と声をかけられると、「うん」と言って、それに従って
しまう。
断ることによって仲間はずれにされるよりは、そのほうがよいと考えてしまう。

 こうした傾向は、青年期までに一度身につくと、それ以後、修正されたり、訂正された
りということは、まず、ない。
その知識がないなら、なおさらで、その状態は、それこそ死ぬまでつづく。

●幼児と老人

私は母の介護をするようになってはじめて、老人の世界を知った。
が、それまでまったくの無知というわけではなかった。
私自身も祖父母と同居家庭で、生まれ育っている。
しかし老人を、「老人」としてまとめて見ることができるようになったのは、
やはり母の介護をするようになってからである。

センターへ見舞いに行くたびに、あの特殊な世界を、別の目で冷静に観察
することができた。
これは私にとって、大きな収穫だった。
つまりそれまでは、幼児の世界をいつも、過ぎ去りし昔の一部として、
「上」から見ていた。
また私にとっての「幼児」は、青年期を迎えると同時に、終わった。

しかし今度は、「老人」を「下」から見るようになった。
そして自分というものを、その老人につなげることによって、そこに自分の
未来像を見ることができるようになった。
と、同時に、「幼児」から「老人」まで、一本の線でつなぐことができるようになった。

その結果だが、結局は、老人といっても、幼児期の延長線上にある。
さらに言えば、まさに『三つ子の魂、百まで』。
それを知ることができた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●結論

 平たく言えば、こうした同情を買うという一連の行為は、精神的未熟性による
ものと考えてよい。
情緒的欠陥が原因になることもある。
どうであれ、けっして好ましいパーソナリティではないことだけは、確か。
自分の中にそういう「卑屈なゆがみ」を感じたら、それと闘う。
これもまた老後を心豊かに生きるためのコツということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 エリクソンの心理発達段階論 (1) 乳児期(信頼関係の構築)
(2) 幼児期前期(自律性の構築) (3) 幼児期後期(自主性の構築) (4) 児童
期(勤勉性の構築)(5) 青年期(同一性の確立) (はやし浩司 家庭教育 育児 教
育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 反抗期の子ど
も 反抗期の子供) 同情を買う)


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2010年11月27日土曜日

*"Leonie" & Isamu Noguchi

【息子たちへ】

●映画『レオニー(Leonie)』★★★★★

++++++++++++++++++

仕事の帰りに、深夜劇場に足を運んだ。
『レオニー』を観た。
観客は私たち夫婦を含めて、8人前後。
あの広い劇場が、ガラガラ。
「暇つぶし」と覚悟を決め、席に深く
体を沈めた。

が、それがとんでもないまちがいだった。
映画が始まると同時に、心がどんどんと
スクリーンの中に、吸い込まれていった。
レオニー役の女優が、嫁のデニーズに
瓜二つと言ってよいほど、似ていた。
加えてあのアメリカ人独特の、ジェスチャ、
目配りの仕方、反応の表し方などなど。
1カットごとに、デニーズを思い出していた。

が、そうした「ひいき目」を除いても、
星は5つの、★★★★★。
すばらしかった。
泣いた。
涙、ポロポロ。
またポロポロ。
横を見ると、めったに泣かないワイフまで、
ハンカチで顔を何度もぬぐっていた。
よかった。
映画が終わったとき、別の人生を駆け足で
走り抜けたような実感を、ズシリと覚えた。

実話をもとにしているだけに、フィクション
映画にありがちなスキがなかった。
人間の心が複雑にからみあいながらも、
ストーリーが矛盾なく流れていった。

劇場を出るとき、「よかったね」とワイフに
言うと、ワイフも「よかったね」と。
会話はそれだけ。
久々によい映画を観た。

++++++++++++++++++++

●二男

 数日前、二男と電話で話した。
その中で、二男がこう言った。
「ぼくはパパから学んだことが、ひとつある」と。
「何だ?」と聞くと、「パパは、借金はするなと言った。ぼくはそれを守っている。
だからみな周りの人たちは、借金漬けで困っているが、ぼくは借金がない。
だから、ぼくは楽だ」と。

 で、あれこれ私は説明した。

 この資本主義社会の中では、借金は避けて通れない。
またどんな事業を興すにも、個人の力には限界がある。
そこで借金、つまり株式制度というのが生まれた。
アメリカで、それが発展した。

 だから借金をしないのが、よいというのではない。
私も、土地を買ったり、家を建てたりするときには、借金をした。
が、その場合でも、「預金担保」といって、同額のお金を、まず定期預金にする。
その定期預金を担保に、お金を借りるという方法を使った。

 が、個人の立場でいうなら、借金はしないほうがよい。
若いころ、ある経営者が、こう教えてくれた。
その人は当時、浜松市市内で、1、2を争う電気通信企業の社長をしていた。

●生活の安定

 名前をYS氏と言った。
そのYS氏、こう教えてくれた。
「どんなにころんでも、家庭だけは守れ。最低限の収入は確保する。
それができたら、あまったお金と時間を使って暴れろ!」と。

 つまり家庭を維持するための最低限の収入は確保する。
またそれを守る。
冒険するのは、その外でしろ!」と。

 で、私はYS氏の教えを、かなり忠実に守った。
当時私は塾経営を、生活の基盤にしていた。
この仕事のよい点は、生活が安定すること。
単位時間当たりの収入は少ないが、急激な変化というのは、ない。

 それはそれとして、私は別の世界で、別の仕事をした。
翻訳に通訳、代筆に本の編集など。
貿易の手伝いもしたし、もちろん家庭教師や予備校の講師もした。
こうした仕事は、単位時間当たりの収入は多いが、不安定。
仕事が重なれば、徹夜。
なければ、ヒマ。

【アメリカの宗へ】

 誤解しないでほしいのは、「借金が悪」とぼくが言ったのではないということ。
必要なときは、借金もする。
ぼくも一度だけ、10円を借りたことがある。
どうしても電話をかけなければならなくなったときのこと。
10円硬貨をもっていなかった。
それで10円を借りた。
その10円が、ぼくにとっては生涯で、最初で最後の借金。
翌日、その貸してくれた人に、菓子箱をつけて10円、返しに行った。
相手の人は、驚いていたが……。

 ただ「借金をする」イコール、「他人にものを借りる」というのは、
最小限にしたいね。
どこかで人生観につながっている。
自分の時間は、自分のもの。
一瞬一秒、すべて自分のもの。
借金をするということは、その時間を、他人に譲り渡すようなもの。
ひどいばあいには、借金に追われるようになる。
そうなると、自分の時間など、どこかへ吹き飛んでしまう。
ばあいによっては、「家庭」そのものが、危機的な状態に追い込まれる。
つまり生活の基盤がゆらぐ。
それだけは、避けようね。

 どんなに貧しくても、またみずぼらしくても、「家庭(HOME)」だけは、大切に。
他人に譲り渡してはいけない。
家族を路頭に迷わせてはいけない。
つまりそれが「借金をするな」という言葉の意味と考えてほしい。

 ともかく、借金をすると、(たぶん?)、生き様が卑屈になる。
その相手に頭があがらなくなるからね。
自由と独立、プラス、尊厳を守るためにも、借金は避けたほうがいいよ。

 もしどうしてもお金が必要になったときは、ぼくに言いなさい。
無利子で、期限を付けないで、貸すよ。
ただしできるだけぼくと晃子が、元気なうちに、少しずつでもいいから、
返す……という条件は付くけどね。

 で、もう一言。

 支払いは、どんな支払いでも、ぼくは1週間以内にすますようにしている。
いくら相手が「来月でもいい」と言っても、そうしている。
相手を不安にさせないこと。
これはたがいの人間関係を、すがすがしくするためのコツではないかな?
どうか参考にしてほしい。

【浜松の周へ】

 幼児教育のすばらしい点は、楽しいこと。
それに幼児には、「汚れ」がない。
プラス、パワーに満ちあふれている。
今、YOUTUBEで、教室の様子を公開しているが、そうした様子を
ビデオを通して感じてもらえれば、うれしい。

 ぼくもよく気分が落ち込むが、幼児に接したとたん、気分がパッと晴れる。
だから最近は、こう思うようになった。
「ぼくのほうが、助けられている」と。

 幼児教育というと、多くの人は「幼稚教育」と考えている。
が、これはとんでもない誤解。
その奥は深い!
本当に深い!

 ぼくは20代のはじめは、法律を学んだ。
一応法学院にまで進んだ。
また20代から30代にかけては、東洋医学の勉強に没頭した。
同時に40歳前後まで、教材作りを「仕事」としてきた。
ぼくが制作、指導した市販教材は、無数にある。

 で、貴君も知っているように、その間に、カルト教団を相手に、本を5冊
書いた。
これは貴君も知っているように、命がけの闘いだった。
おかげで宗教とは何か。
それを自分なりにつかむことができた。

 そういう過去の経歴の上で、あえて断言する。
「幼児教育は奥が深い」と。
つまりそこに「私」の原点があると考えてほしい。
なぜ「私がここにいて、ここで生きているか」。
その原点がある。

 言うなれば白い箱の上に、さまざまな絵や模様をつけていく。
それが幼児教育ということになる。
もちろん、もとから箱の中にはいっているものもある。
が、それはそれ。

 その絵や模様が、「私」ということになる。
奥が深いというのは、そういう意味。
一生の仕事として、何ら恥じることはない。
ほとんどの人は、その価値にすら、気づいていない。

●教育とは

 数日前、窓の外の景色を見ながら、こんなことを考えた。
「教育とは何か?」と。

 私は自分の頭の中で、こう仮定してみた。
「もし、神様かだれかが、私を20歳のときまで戻してくれると言ったら、
私はそれに従うだろうか」と。
「ただしすべてを、一度、白紙にしたあと、戻す」と。

 しばらく考えてみたが、答はやはり、「NO!」だった。
また同じ人生を歩めと言われても、私にはできない。
またイチからやり直せと言われても、私にはできない。
私はこの40年間で、いろいろなことを学んできた。
けっして楽な道ではなかった。
平坦な道でもなかった。
私はあえて、肩書きや地位には、目もくれなかった。
むしろ背を向けて、生きてきた。
私は私。
どこまでもいっても、私は私。

 こんな生き様は、現代の社会では通用しない。
だからワイフは、よくこう言う。
「あなたは、どうしてあえて苦しい道ばかりを選ぶの?」と。
「組織をうまく利用すれば、もう少し楽な生き方ができたのに」とも。

 が、今になってみると、私は私でよかった。
私は自分の力で、ここまで生きてきた。
だからそれを再び、それを繰り返せと言われても、私にはできない。
つまりここに「教育」の意味がある。

 話がトンと飛躍したので、意味のわからない人も多いかと思う。
つまり私が言いたいのは、私がこの40年間で学んできたもの……知識や知恵、
経験や技能、それをつぎの世代に伝えていくのが、「教育」と。

 もう少しわかりやすく説明しよう。

 仮に今、私が20歳の、あの年齢まで戻ったとしよう。
もしそのとき、そこに「はやし浩司」の記録があり、それを手に入れることが
できたとしよう。
そうであるなら、私はそれをむさぼり読むだろう。
はやし浩司が40年かけて、学んだものを、そのまま自分のものにするだろう。
そうすれば、私は同じ人生を、繰り返さなくてもすむ。
私は、「はやし浩司」を土台に、さらに進んだ「私」をその上に構築することが
できる。
もし、そうなら、つまりそれができるなら、私は「YES!」と答える。
喜んで、20歳の時の私に戻る。

 つまり「教育」とは、何かと聞かれたら、私はこう答える。
つぎの世代の人たちの人生を、2倍、あるいは3倍にするもの、と。

●教育拒否症

 この日本では「教育」という言葉を耳にしただけで、拒絶反応を示す
人は多い。
とくに「教育評論家」という肩書きに、拒絶反応を示す人は多い。
「拒否的態度」と言い替えてもよい。
わかりやすく言えば、「教育」が嫌われている。

 それもそのはず。
「教育」という名のもと、よい思い出をもっている人は、ほとんどいない。
みな、イヤ~ナ思い出ばかり。
私自身が、そうであるから、どうしようもない。
私も「教育評論家」という肩書きをもっている人が、好きではない。
中身がないくせに、偉そうなことばかり言う。
そんなイメージをもっている。

 自己弁解ぽいが、私はいつの間にか、「教育評論家」ということになって
しまった。
雑誌社や新聞社が、最初は、勝手に、そういう肩書きを私につけた。
「肩書きはどうしましょう?」というから、「適当に」と。
そう答えていたら、そうなってしまった。

 しかし私は名刺にも、その肩書きを使ったことはない。
あえて拒絶しなければならないようなことでもないから、今ではそのままに
しているが……。

 話が脱線したが、これは日本人にとっては、悲しむべき現象と考えてよい。
尾崎豊の「♪卒業」に表現されているように、教育を否定するということは、
若い人たちがみな、またイチからの人生を始めることを意味する。

 先人、つまり私たちが今まで積み重ねてきた、知識や知恵、経験や技能、
それらをまたイチから始めることを意味する。
私にたとえて言うなら、私という人間が、再び、頭の中を空っぽにして、
20歳へ戻るようなもの。
もし、そうなら、答は、「NO!」。
その「NO!」と言うような人生を、若い人たちは、自分で始めなければ
ならない。

●若い人たちへ

 どうして君たちは、謙虚になって、先人たちからものを学ばないのか。
マネをせよというのではない。
(「学ぶ」というのは、もとは、「まねる」が語源になっているというが……。)

 もし君たちが、ほんの少しでも、私たち先人の言葉に耳を傾けてくれたら、
そのまま私たちが身につけた、知識や知恵、経験や技能を、そのまま自分の
ものにすることができる。

 失敗を防ぐとか、そういう単純なことではない。
「私」という人間の人生を、ばあいによっては、2倍にも3倍にもして、
生きることができる。
ただ残念なことに、先にも書いたように、日本の「教育」は、おかしい。
どうおかしいかは、みなさんがよく知っている。
以前、私は学校について、「人間選別機関」という言葉を使った。
今でも、その性格は、色濃く残っている。
それに君たちは、苦しめられた。
私も苦しめられた。

 が、それが本当の教育ではない。
たとえば「受験教育」というのは、「教育」という名前を使っているが、
中身は、「指導」、もしくは「訓練」。
そういうものをもって、「教育」と誤解している。
錯覚している。

 では、教育とは何か。
それは先にも書いた。
『つぎの世代の人たちの人生を、2倍、あるいは3倍にするもの』と。

 それに気づいてくれれば、ひょっとしたら、教育に対するものの
考え方が変わるのではないか。
私の意見にも、耳を傾けてくれるのではないか。

「はやし浩司は教育評論家だ」と、どうか、毛嫌いしないでほしい。
またそういう目で私を見ないでほしい。

【息子たちへ】

 今すぐでなくてもいい。
いつか気が向いたら、ぼくが書いたものを読んでみてほしい。
貴君たちが、「パパは仕事ばかりしていた」「つまらない人間」と思っている
のは、よくわかっている。
が、こんなぼくでも、懸命に生きてきた。
無駄なこともしたし、貴君たちには、ずいぶんとつらい思いもさせてしまった。
しかし今、こんなふうに思う。

 何のことはない。
貴君たちはぼくがしてきたことを、繰り返しているだけではないか、と。
同じことをしているだけではないか、と。

 もちろん中身はちがうかもしれない。
ぼくが若いころそうであったように、貴君たちも今、こう考えている。
「ぼくは、親父とはちがう。
親父のようなつまらない人間ではない。
ぼくはぼくの道を歩んでいる。
親父とはちがった人間になる」と。
ぼくも、かつてはそう考えた。

 しかし今、ぼくという人間を客観的に見ると、ぼくはあの親父とどこも
ちがわない。
結局は、ぼくは親父が歩んできた道と同じ道を歩んでいるだけ。
もし若いころ、もっと謙虚になって、親父の話に耳を傾けていたら、ぼくは
自分の人生を、さらに長くすることができたかもしれない。

が、ぼくも若かった。
イチからすべてを始めてしまった。
今から思うと、それが残念でならない。

 ……少しセンチメンタルなことを書いた。
これもあの映画の影響かもしれない。
『レオニー』。
すばらしい映画だった。
機会があったら、貴君たちも観たらよい。

 でね、最後に一言。
これも繰り返しになるが、100年以上も前に、すでにぼく以上に、はるかに
濃密な人生を送った人がいた。
ぼくは、そういう先人たちの残した、知識や知恵、経験や技能を、何も生かして
いない。
それを知ったとき、ズシリとした重みを、心の中で実感した。

 どうか時間を無駄にしないように!
より豊かで、すばらしい人生を送ってほしい。

では、今日も始まった。
ぼくも貴君たちに負けないよう、がんばる。

はやし浩司 2010-11-27、朝記。
山荘にて。

【補記】

 若い人たちは、明治時代というと、遠い昔の時代のように思うかもしれない。
しかし人は年を取れば取るほど、過去のほうが自分に近づいてくるのを知る。

 たとえば20歳の人にとっては、100年前というのは、自分の人生の
5倍も昔ということになる。
しかし50歳の人にとっては、たったの2倍。
63歳の私にとっては、たったの1・58倍。
80歳の老人にとっては、さらにたったの1・25倍。

 つまり明治時代は、「昔」ではなく、ほんのつい「昨日」。
そういうふうにして、自分に近づいてくる。
言い替えると、明治時代そのものが、まだ私の心の中で息づいている。
よく「時代は変わった」と言う人がいる。
しかし何も変わっていない。
それが年を取れば取るほど、よくわかってくる。

 そんなことも考えながら、『レオニー』を観るとよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 レオニー Leonie 映画・レオニー)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●新家族主義

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それはたわいもない話から始まる。
私はあるとき、ふと、こう考えた。
「私が若いときには、親に、仕送りをした。
が、今の若い人たちで、それをしている人は
ほとんどいない」と。

だからといって、それが悪いというのではない。
息子たちに、同じことをしてほしいと願って
いるのでもない。
もし息子たちがそんなことをしたら、即座に
そのお金は返すだろう。

で、たわいもない話というのは、その先。
私は、ふと、こうも考えた。

「考えてみれば、私の生徒たちは、毎月
私にお金をくれるではないか」と。

「教える立場」では、月謝ということになる。
しかし札に名前はついていない。
札は札。
それなりの価値はあるが、ただの紙切れ。
とたん、気が晴れた。
前がパッと明るくなった。

生徒たちは、(実際には、その親たちだが)、
毎月、お金を届けてくれる。
私が40年前にしていたように、毎月、
袋に現金を入れて、私に渡してくれる。
「仕送り」と「支払い」。
言葉はちがうが、中身は同じ。

……というか、その複線として、最近、
生徒たちが、自分の息子や娘、さらには
自分の孫のように感ずることが多くなった。
中には、私の孫そっくりな子どももいる。
そういう子どもが、「先生、これ!」と言って、
お金(月謝)をくれる。
とたん、申し訳ない気分に襲われる。

そこで先に書いた話に戻る。
「考えてみれば、私の生徒たちは、毎月
私にお金をくれるではないか」と。

私は今、生徒という名前の子どもたちに
助けられている。
励まされている。

中には、「実の息子や娘と、生徒はちがう」と
考える人もいるかもしれない。
ならば聞くが、どこがどうちがうというのか?
少なくとも私のばあい、こと孫について言えば、
「かわいさ」という点では、差はない。
めったに会えないこともある。
しかしそれ以上に、私の心のワクが広がった。
「家族」という狭いワクから、一歩、外に出た。
明らかに意識が変わった。
とたん、自分の子とか、他人の子とか、
そういうふうに分けて考えることができなくなった。

私はかつて実家に仕送りをした以上に、生徒たちから
仕送りを受けている。
小遣いいじょうの小遣いをもらっている。
そのお金で、今、生きている。
……生かされている。

で、あえてここで新しい言葉を披露する。
「新家族主義」。
「家族」というワクを超えた、「家族」。
そのワクを超えた家族を大切にする。
それが新家族主義。

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●BLOGタイトル最前線の子育て論byはやし浩司

【BW子どもクラブより】(年中児、4~5歳児クラス)

●今週は、英語を、言葉として教えてみました。

英語教育というと、「会話」の暗記のように考えている人は多いですね。
英語を、「言葉」として教えることは可能なのか。
そんな実験を今週は、してみました。
















2010年11月26日金曜日

*English Lesson for preschool children at BW learning Club japan

●言葉としての英語

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子どもの英語教育というと、
「会話」、つまり「英会話」を意味する。
しかし会話など、外国へ行き、1~2年も
すれば、だれでもできるようになる。
赤ん坊でもできるようになる。

大切なのは、言葉としての英語。
それを今回は、実験的に教えてみた。
「文法」を意識させず、文法を
教える。
言葉として、英語を教える。

対象は、年長児(5~6歳児)。
あわせて大切なことは、子どもたちが
それを楽しむこと。
「英語っておもしろい」と思えば、
しめたもの。
またそれがねらい。
そういう印象が、やがて
子どもを前向きに引っ張り始める。

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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児の英語 幼児の英語教育 言葉としての英語 言葉としての英語教育 はやし浩司 幼児にどう英語を教えるか 幼児英語教室)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

*Amazing Grace

●北朝鮮問題(As to North Korea)

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以前、オーストラリアの国防省にいた
KD君より、メールが届いた。
現在の極東情勢を、客観的、かつ正確
に見抜いている。
たいへん興味深い。

++++++++++++++++

Dear Hiroshi,

Thank you for sending me your article.

原稿を送ってくれて、ありがとう。

North Korea has been planning these sorts of incidents for a long time.
However the USA has been thinking about other things. First they got involved in Iraq and forgot about Asia and then they were worrying about the economic crisis. Now suddenly the USA realizes that the problems in Asia are still there.

北朝鮮は、長い間、この種の事件を計画してきた。
しかしUSAは、ほかのことに気を取られていた。
ひとつはイラク問題。
そのためアジアの問題を忘れていた。
もうひとつは経済危機。
やっと今、USAは、アジアの問題がそこにあることに気がついた。

China does not want Korea to be united. China is happy for North Korea to cause a little bit of trouble. It can use this to bargain with the USA.

中国は、南北朝鮮が統一されることを望んでいない。
中国は、このようなトラブルが起きたことを喜んでいる。
これを利用して、USAとバーゲン(取り引き)をすることができる。

There is no easy solution. As you write, North Korea will self-destruct eventually.

簡単な解決方法はない。
君が書いているように、結果的に、北朝鮮は自己崩壊するだろう。

K,D


Hiroshi Hayashi++++++Nov 2010++++++はやし浩司(林浩司)

【2011年の抱負】

2010年を振り返ってみる。
この1年間を、一歩退いて見直してみる。
するとそこに、私という1人の人間が、
浮かびあがってくる。
そういう自分を改めて、ながめてみる。

何となく生き延びてきた。
しぶとく生き延びてきた。
そんな感じがする。
(少し暗いかな?)

現在(2010年11月末)、私は63歳と1か月。
体のあちこちが、ガタガタしてきた。
同じ姿勢でいると、体がこわばる。
後頭部の神経痛がときどき起こる。
足裏の腱しょう炎が治ったと思ったら、
今度は右肩の腱しょう炎。
これが数か月単位で長引いた。

人というのは、急に死ぬのではない。
もちろんそういう病気もある。
心筋梗塞とか脳梗塞。
そういう病気では、急に死ぬ。
そうでなければ人は、少しずつ「死」に向かって
歩いていく。
つまり健康とは、今までは維持するものだった。
それが今は、健康とは、少しずつ失っていくもの。
この1年間で、それが自分でもよくわかった。

2011年は、そんなわけで、健康との闘いが
テーマになりそう。
失われていく健康を、どう食い止めるか。
・・・というより、ふと油断したようなとき、
病気は、後ろから襲ってくる。
友人のOKさんがそう話してくれた。
OKさんは、現在、血液のがんと闘っている。
私より数歳、若い。

つぎに「流れ」。
連続的な緊張感を、「流れ」という。
東洋医学でも、『流水は腐らず』と教える。
精神も肉体も、流れが止まったとたん、腐り始める。
その「流れ」を、どう維持するか。
連続的な緊張感を、どう維持するか。
具体的には、仕事+活動。
収入を考えた仕事と、まったく収入を考えない活動。
この2つを両立させる。

2010年は、それをうまく両立させることができた。
2011年も、それをつづける。
平たく言えば、「現状維持」。
現状維持ができるだけも、御の字。
そう考えて、それ以上のことは、望まない。
冒険しない。
日々に、平穏を旨とする。

・・・ということで、年齢というのは
私の一側面に過ぎない。
残りの大部分は、2010年のまま。
そう考えて、今までどおり、2011年も
現状維持を第一に考えて、何とか
生き延びてやる。
しぶとく生き延びてやる。
それが2011年の抱負ということになる。


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●限界

++++++++++++++++++

最近、ときどき限界を強く感ずるようになった。
いくらがんばっても、いくらもがいても、
そこにある壁を破ることができない。
どうしてもできない。

「壁」といっても、「心の壁」。
自分で自分を、うまくコントロールできない。
何ごとも悪いほうへ、悪いほうへと考えてしまう。
つまり落ち込む。
それではいけないと、自分に言って聞かせる。
が、別の「私」がそこにいて、勝手に動き回る。
いじけたり、すねたり、ひがんだり・・・。

そういうときふと弱気になる。
神や仏に、すがりたくなる。
数日前も、『♪Amazing Grace』
(アメージング・グレイス)を口ずさんでいたら、
涙がこぼれた。

私は仏教徒というよりは、キリスト教徒。
できるだけ半々くらいにしたいとは
思うが、どうしてもキリスト教のほうに
傾いてしまう。

クリスマスが近いこともある。
このところ毎日、孫へのプレゼントは
何にしようかと悩んでいる。
そのせいか?
私はそういう点では、単細胞。
単純。
それでキリスト教徒?

++++++++++++++++++

●『Amazing Grace』

 英語の「アメージング・グレイス」をどう訳すか。
かなりの英語力のある人でも、むずかしいのではないか。
直訳すれば「驚きの・優雅さ」となる。
が、もちろんそんな意味ではない。
ヒントは、歌詞の最後にある。
「グレイス、終わりなき愛(Unending Love)」とある。
つまり神の包括的な深い愛、それを「グレイス」という。

 これは私の勝手な解釈によるものなので、「?」に思う人も多いだろう。
しかしそういうふうに解釈すると、「アメージング」の意味もわかってくる。
「突然、私は神の深い愛に触れた」と。
だから歌の題名の「Amazing Grace」を訳すとしたら、
「尊き神の深い愛」でよいのではないか。


Hiroshi Hayashi++++++Nov 2010++++++はやし浩司(林浩司)

【理想的な人間とは】

●義兄の夢

 もうひとつ、最近、突飛もないことを考えるようになった。
きっかけは、義兄だった。
義兄がこう言った。
「ぼくね、浩司さん、宇宙人に会ったら、UFOを一隻もらうんだよ。
それに乗ってね、世界中の人たちに平和を説き、世界中から核兵器をなくすんだよ」と。

 ここでいうUFOには、人知をはるかに超えた、能力と技術が備わっている。
たとえば1000台の戦車も、一瞬にして灰にすることができる。

 私も心のどこかで似たようなことを考えたことはある。
しかしそれを打ち消す負の力のほうが強く、それ以上のことは考えなかった。
が、それを義兄が口にした。
驚いた。
「ぼくも同じようなことを考えたことがあります」と。

 しかし宇宙人がいたとしても、私のような人間など、選ばない。
それこそ『気xxx(=mad man)に刃物』ということになりかねない。
世界をメチャメチャにしてしまうかもしれない。

●人選

 宇宙人がいたとする。
その宇宙人が、1人の人間を選ぶとしたら、どんな人間を選ぶだろうか。
当然、神々しい人間ということになるが、狂信的な意味で、神々しい人
というのは、好ましくない。
毎日、朝晩、「神よ」「神よ」と賛美歌だけを歌っているような人では困る。
つまり崇高な哲学観をもった、現実主義的な人でないと困る。

 となると、大学の研究者かということになるが、そういう人でも、これまた困る。
(現実)との接点が弱い。
最近の研究者と言われる人たちは、細分化され、さらに細分化された世界のみ
で、生きようとしている。
専門家としての立場を守ろうとしている。
小さな、そのまた小さな世界のことはよく知っている。
しかしその世界だけのことしか、知らない。
「研究バカ」(失礼!)という言葉も、そんなところから生まれた。

 となると、人間社会の最下層で、苦労をし尽くした人が好ましい。
が、ここでもまた別の問題が生まれてくる。
苦労したといっても、その一方で、その上に熟成された知性と理性がなければならない。
日々の生活に追われ、「ものを考えるヒマもなかった」というような人では困る。

・・・と考えていくと、候補者がいなくなってしまう。

●理想的な人間

 この問題は、実は、きわめて重要な命題を含んでいる。
「どういう人間を、理想的な人間というか」と。
あるいはあなたなら、つまりあなたが宇宙人なら、どんな人間を、人間の
代表として選ぶだろうか。
選んで、こう命令するだろうか。

「君に、UFOを一機あげる。このUFOを思う存分使って、地球を平和な
惑星にしなさい」と。

 もちろん私なら、(私が選ばれることは、ぜったいにないが)、即座に断わる。
私には、独裁者的な性格が潜んでいる。
自分でも、それがよくわかっている。
つまり危険人物。

もし私が好戦的だったら、そのもてる武器によって、人類を破滅に導く
かもしれない。
核兵器どころの話ではない。
小型のブラックホール爆弾や、反重力爆弾によって、惑星どころか、太陽系全体を
消滅させてしまうことも可能。

 となると、1人のリーダーに任すというよりは、国際連合のような組織に、
任せたほうがよい。
世界中から賢人を集めて、その賢人たちに、意思を決定させる。
その決定に従って、忠実な実行者がUFOを操る。
結局は、そういう方法がベストということになる。

●結論

 結論を先に言えば、人間には、まだその資格はないということ。
「その」というのは、宇宙人がもっているような技術をもち、宇宙へ飛び出すような
資格をいう。
むしろ逆。
私が宇宙人なら、人間が宇宙へ飛び出してくるのを、どんな方法を使ってでも、阻止
する。
人間という生物は、実に、危険極まりない。
今の今ですら、そこらのサルが、ライフル銃を撃つようなことを平気でしている。
そんな生物が宇宙へ飛び出してきたら、この宇宙は、どうなるか。
宇宙人だって、それをよく知っている。
(もし、いれば……の話だが。)

 宇宙開発。
それはそれで結構なことだが、同時に2つのことを私たち人間はしなければならない。

(1)個の哲学の確立。
(2)宇宙開発をコントロールする国際機関の確立。

私「ぼくは権力をもったことがないので、よくわからないのですが、権力には、
恐ろしい魔力がありますよ」
兄「魔力ねえ……」
私「それにとりつかれると、ものの考え方が一変します」
兄「なるほど。それはこわいね」
私「そうなんです。いくら高邁(こうまい)な哲学をもっていたとしても、その魔力
の前では、ひとたまりもない」
兄「やっぱり、やめるかなあ」
私「そうですね。やめたほうがいい」と。

 義兄には言わなかったが、ついでに私はこんなことも考えた。

 逆に、あなたが、サルの惑星かどこかに落とされたことを考えてみればよい。
宇宙のどこかに、サルが支配する惑星があったとする。
あなたは、そこへ落とされた。
二度と、地球へは帰れない。

 そこではあなたは神のような存在になる。
あなたは独裁者として君臨する。
何十億匹ものサルの指導者となる。
が、あなたははたしてそんな世界で、満足感を覚えることができるだろうか。

 私は、「できない」と思う。

+++++++++++++++++

今日(11月26日)も始まった。
がんばろう!

みなさん、おはようございます!


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司