2012年10月23日火曜日
77 謎の線 謎の高野山
【77 謎の世界旅行】Mysterious World Tour
Ancient civilizations are connected with mysterious lines and angles. Here are some examples for skeptical people. Please enjoy the tour with me.
古代文明は謎の点と線によって結ばれています。
いくつかの例をお見せします。
疑い深い人は、一度、どうか見てください。
+どうかお楽しみください。
http://youtu.be/Hr38GdF3rFY
○UFO Video
最近見た中では、もっとも信憑性が高いUFOビデオではないかと思います。
(Mysteries of Ancient Civilizations mystery ancient cities mysterious lines of the world Hiroshi Hayashi はやし浩司 Nazca Easter Islamd Giza Teotihuacan Mohenjo-daro Preah Vihear Yonaguni Island Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan Mysterious world tour)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
(10月23日)
○ビデオ制作
ビデオの制作というのは、意外とたいへん。
時間もかかる。
たいてい2~4時間は、かかる。
で、今朝は、ビデオ制作、最短時間に挑戦。
どれだけ早く、ビデオを作ることができるか?
……ということで、午前6時スタート。
で、時計を見たら、午前7時にUPLOAD開始。
約1時間でできたことになる。
といっても、ビデオの長さは、3分間足らず。
「77 謎の世界旅行」というのが、それ。
たった3分間のビデオを作るのに、約1時間!
これでも早いほう。
ずいぶんと荒っぽいビデオになったが、それなりにまとまったと思う。
自画自賛型ビデオ。
どうかお楽しみを。
ついでながら「これは!」と思えるようなYOUTUBEを発見した。
それも併せてどうぞ!
○鳥に笑いはあるか
ぼたんインコの「ピッピタン」を飼うようになって、もう6か月になる。
名前は「ピッピ」から、「ピッピタン」に変わった。
自分で自分を、そう呼ぶようになった。
「ここはぼくの場所」「じゃまするな」というような場面で、ピッピタン、ピッピタンと鳴く。
そのぼたんインコ。
私の書斎でも、好き勝手なことをしている。
やりたいままにさせている。
で、昨日はそのピッピタンを見ながら、こんなことを考えた。
書き忘れたが、ピッピタンは、雄。
「鳥にも笑いはあるか?」と。
○実験
で、いろいろな実験をしてみた。
つまり笑わせようとした。
が、鳥には、表情はない。
羽で顔がおおわれているから、それがわからない。
怒る、泣くは、ある。
安心した様子、懇願する様子、驚く様子はある。
声でそれがわかる。
では、笑いは、どうか?
私は人間の子どもなら笑うだろうな……というようなことを、して見せた。
顔をゆがめて見せたり、指先で踊りを見せたり……。
ベロベロバーも、して見せた。
が、ピッピタンは、きょとんした目つきで、私を見返すだけ。
どこか、あきれ顔。
笑っているふうには、とても見えなかった。
で、そのうち、それをしている自分がバカに思えてきた。
首でも上下に振って、たとえばパパパパとでも鳴いてくれればよいのだが、そういうことはなかった。
で、私の結論。
鳥は笑わない?
そのうち脳内ホルモンの分泌の様子、あるいは脳波の動きを調べることによって、科学的に証明されるかもしれない。
しかし現象的に観察するかぎり、鳥には笑いはない?
○高野山真言宗
高野山は、謎の点と線で見ると、実に不思議な位置にある。
仁徳陵とクロスポイント(ギザ→プレアー・ビヒアを結ぶ線と、赤道との交点)を結んだ直線上にある。
で、以前から、高野山は、マチュピチュや、プレアー・ビヒアと並ぶ、空中寺院ではないかと思っていた。
が、どの人に聞いても、「知らない」「わからない」と。
毎年、高野山詣でをしている信者の人でさえ、そう言う。
そう考えていたら、たまたま高野山・奥の院を紹介した小冊子が手に入った。
その冒頭の一文に、ギョッとした。
司馬遼太郎の碑文というのが紹介されていた。
その2行目に、こうあった。
『山上はふしぎなほどに、平坦である』と。
○ふしぎなほどに、平坦
高野山の地図を見ても、実はそれらしき場所は見つからなかった。
全体がすっぽりと深い森に包まれているといったふう。
もちろんグーグル・アースで見ても、見えるのは山ばかり。
「平坦なはずだがなア……」と、ワイフに何度もこぼした。
が、やはり平坦だった。
しかも「ふしぎなほどに」(司馬遼太郎)。
同じような印象を、マチュピチュ、プレアー・ビヒアを見たときに、私ももった。
「ふしぎなほどに、平坦」と。
もともとは岩石でできたような山を、一度平らにしている。
(岩石だからこそ、また山の形を保つことができる。)
それがいかにたいへんな作業かは……つまり岩石を崩して平らにすることがいかにたいへんな作業かは、私もよく知っている。
現在、使っている山荘は、そのために約6年もかかった。
毎週ユンボを借りてきて、そのユンボで地面を平らにした。
全体では800坪前後の土地だが、平らにできたのは300~400坪程度。
そこに山荘を建てた。
古代には、そのユンボはなかったはず。
手作業であったとするなら、不可能ではないが、ふつうは、しない。
そこまで苦労して、どういう利益があるのか。
またそれだけの労力があったら、別のことに使うだろう。
○無駄
同じことが、あのナスカ平原の地上絵についても言える。
考古学者たちは、あの線(ライン)を、夏至や冬至のとき、太陽の昇る方向を示しているなどと説明している。
バカめ!
はっきりと「バカ!」と、私は断言する。
どこのバカが、そんなことのために、10キロもの長さの線を引くか!
またその程度のことなら、自分の庭先に、石ころでも置けばわかること。
ものごとは、常識で考えたらよい。
で、話を高野山に戻す。
あくまでも「位置的に……」という話だが、高野山を開いたのは、空海ではない。
あるいは空海も、異星人の仲間だったのかもしれない。
少なくとも高野山を開いた「人」は、人間社会を、はるかに超越していた。
高野山という「山」のことは知らないが、それこそ何百トンもあるような岩石を、平気で運べるような人たちである。
そういう人たちが、マチュピチュを開き、プレアー・ビヒアを開いた。
ひょっとしたら、高野山も開いた。
……ということで、今度、ワイフと2人で、高野山へ行ってみることにした。
司馬遼太郎は、どこをどう見て、「ふしぎなほど……」と言ったのか。
それを自分の目で確かめてみたい。
高野山の位置については、下に表示する。
○仁徳陵と高野山
仁徳陵と高野山。
高野山は、「平安初期に空海が開いた」(司馬遼太郎)とされている。
しかし実際には、高野山は、それ以前から、そこにずっとあった。
時系列的にみるなら、高野山が先で、仁徳陵はあと。
驚かないでほしい。
高野山は、開山される前から、「標識(ランド・マーク)」として、そこにあった。
それには理由がある。
ここに示した図の中で、「90度」という部分に注目してほしい。
実は、この「90度」は、仁徳陵を基準にしている。
その仁徳陵を基準点にすると、正確には、「89・7度」。
が、高野山を基準点にすると、「90・0度」になる。
つまりもともとは、高野山が基準点になっていた。
その高野山とクロスポイント(Giza→敦煌→殷虚Yinxuラインと、北極→Preah Vihearを結ぶ線との交点)を結んだ線上に、仁徳陵を建設した。
そう考えると、このエラー(誤差、89・7度)が、説明できる。
空海は、言い伝えによると、8尺(2メートル40センチ)もあるような大男に導かれ、現在の高野山に、本山を開いたという。
そんな大男は、現在でも見つけのはむずかしい。
……一見、荒唐無稽な話にも聞こえるかもしれない。
しかしこういう例は、ほかにもある。
たとえばPreah・VihearとAngkor Wat。
アンコールワットを基準点にして線を引くと、あちこちでエラー(誤差)が出る。
そこで私はプレアー・ビヒアを基準点にした。
つまり寺院としては、アンコールワットは比較にならないほど壮大だが、しかしもともとの基準点ではなかった。
壮大な建設物イコール、基準点ではない。
どちらが先ということは、私にもわからない。
しかしアンコールワットが建設される以前から、基準点として、その山、つまりのちにプレアー・ビヒアとなる山は、すでにあった。
そう考えると、このあたりの謎が、すんなりと理解できる。
これについては、今日のテーマとして、朝食のあとにでも、ゆっくりと考えてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 高野山 謎の高野山 高野山の謎 2012/10/23記)
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