2012年10月20日土曜日
○Edfuの謎
【BW教室byはやし浩司】(10月3週目)
○年長児クラス(幼児と笑おう!)
○年中児クラス
○小学2年生クラス」(B)お金儲けごっこ(=経済学入門)
○小学3年生クラス(テスト風景)
Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2012++++++はやし浩司・林浩司
○想像以上の被害(2012/10/20記)
36%と聞いていたが、直近の調査(2012年8月)によれば、その数字は、43%にはねあがった。
福島県下の子どもたちの甲状腺異常は、現在、深刻な状況にある。
原発との因果関係は否定されているが、すでに甲状腺ガン、白血病を発症した子どももいるという。
この先、この数字があがることはあっても、さがることはない。
が、もちろんこの問題は福島県の子どもたちだけの問題ではない。
周辺の各県はもちろん、やがては、東京に住む子どもたちにも影響が出始めると言われている。
この浜松とて、あぶない。
外食産業を中心に、放射能に汚染された食品が、どんどんと流れ込んでいる。
これは風評でもなんでもない。
ウソだと思うなら、ホテルでも旅館でもよい。
近くのファーストフードの店でもよい。
こう聞いてみたらよい。
「ここではどこのお米を使っていますか」と。
たいてい東北地方の米を使っている。
が、産地を言う業者は、まだ良心的なほう。
中には、「国産米です」と言って、逃げてしまう業者も多い。
あのね、みなさん、役人の検査を信用してはいけない。
「ブレンド米」といって、汚染米とそうでない米を混ぜ、放射線量を低く見せかける方法が横行している。
去年、汚染シイタケについて、「(調理するとき)、水で薄めて食べるから、問題ない」(I市役人)と答えていた、どこかのアホ(失礼!)がいた。
いくら水で薄めても、その水ごと食べるのだから、体内に取り込まれる放射性物質の量は同じ。
こういうニュースを聞くたびに、言いようのない無力感に襲われる。
今年(2012)の3月に書いた原稿を、そのまま紹介する。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【日本の危機】(はやし浩司 2012ー03-20)
●日本人のモラル
【福島原発事故】(日本人のモラル)
●大江健三郎氏の「40年」
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
大江健三郎氏は、こう述べた(フランス、「サロン・ド・リーブル」での講演)。
『……私は原爆は、すでに終わった歴史だと思っていたが、被爆の問題は終わっていなかった。
今、福島で起こっていることは、40年後に顕在化する』(中日新聞・2012年3月19日)と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●チェルノブイリと福島
「40年」という数字はともかくも、私も、大江健三郎氏の意見に、まったく同感。
そのことは、チェルノブイリの現状を見れば、わかる。
放射性物質にさらされることにより、急性症状が発症する。
が、それよりも恐ろしいのは、「長い潜伏期間中にじわじわと体がむしばまれる、晩発性影響である」(「原発事故」宝島社)。
その症状は、「被爆後数か月か、数年後か、あるいは数十年後かに障害が出る」(同書)と。
遺伝的影響も無視できない。
遺伝的影響は、(1)遺伝子突然変異と、(2)染色体突然変位に、分類される。
そのチェルノブイリで、症状が顕在化し始めたのは、2年後から5年後。
10年後にピークを迎えたという(同書)。
30年近くたった今も、その被害は進行中。
そのとき子どもだった人たちが影響を受け、その被害が、そのまた子どもたちに現れている。
2012年3月20日現在、あの3・11大震災、それにつづく原発事故から、まだ1年しかたっていない。
にもかかわらず、原発事故汚染地帯では、あちこちで早々と安全宣言がなされ、観光客の誘致運動も始まっている。
ノー天気というか、バカげている!
たとえば、南相馬市。
「……南相馬市は、原発から20キロ圏内の(警戒区域)と被爆放射線量が年間20ミリシーベルトに達する恐れのある(計画的避難区域)の、計1万3200人が、強制的に避難させられた。
中心部の20~30キロ圏内は、年間3ミリシーベルトと低く、住んでも問題ないとされ、いずれの区域にも指定されていない。
それでも市の中心部の住民1万3000人あまりは、市外で自主避難をつづけている。
市の人口は、福島事故前の7万1000人から、4万3000人と、3万人近く減った」(中日新聞、3月20日)と。
同日の中日新聞は、市内に店を構える、ある玩具商を紹介している。
その玩具商は、こうこぼしたという。
「商売になんねえ」と。
「子どもたちがいないから、玩具を買ってくれる子どももいない」と。
あのチェルノブイリでは、「本州の(日本の)6割分が汚染された」(同書、P54)という。
半径にして、600キロ。
(福島第一原発から、東京までが約200キロ、浜松市までが420キロ。)
南相馬市では、20~30キロが、基準になっている(?)。
たったの20~30キロ!
●「ウッソー」
先日も、ある中学生がこう言った。
「福島第一原発事故は、まだ何も片づいていないよ」と、私が言うと、「ウッソー(浜松市の方言)」と。
その中学生は、福島第一原発事故は、すでに片づいたものと思い込んでいた。
私「被害が出てくるのは、これからだよ」
中「被害者は、だれもいないわよ」
私「あのね、100万キロワットの原発1機で、年間、広島型原発の約2800発分もの放射性物質を作りだすというよ(瀬尾試算)」
中「……」
私「それが4機……とくに警戒しなければならないのが、4号機。4号機は、プルトニウムを使っていた。それに4号機のプールの中には、4機分全部を集めた分に匹敵する、燃料棒が貯蔵されている。もし4号機のプールが破損したり、倒壊するようなことにでもなれば、この浜松市あたりまで、人は住めなくなるんだよ」と。
この先、何が起こるかわからない。
あれほどの津波は、しばらくはないとしても、福島第一原発の地下には、活断層が何本も走っている。
それが地震を引き起こせば、さらに被害が拡大する。
4号機のプールが破損し、水が抜けただけでも、大惨事を招く。
人が近づくことすら、できなくなる。
半径、100キロとか200キロにも、人が近づけなくなる。
そうなったとき、近くにある福島第二原発や、女川原発、さらには、東海村にある原子炉はどうなるのか。
想像するだけでも、背筋が凍る。
●『今、福島で起こっていることは、40年後に顕在化する』
大江健三郎氏は、こう言っている。
『今、福島で起こっていることは、40年後に顕在化する』と。
つまり被爆被害は、40年後に顕在化する、と。
だったら、少なくとも、ここ10年は、様子を見るべきではないのか。
10年後に、被爆による影響がないとわかった段階で、各地にある原子炉の再開を始めればよい。
が、まだその最中の、これから先、どうなるかわからないような状況の中で、各地の原子炉を再開するなどということは、どう考えても常識をはずれている。
なお、大江健三郎氏は、こうも述べている。
『日本人は、危機を認め、根本的なモラルを持たなければならない』(中日新聞)と。
(1)危機を認める
(2)根本的なモラルを持つ、と。
●危機とモラル
ある友人は、こう言った。
浜松市内で、外科医をしている。
私の教え子でもある。
いわく、「私はね、(福島原発の)あの爆発を見たとき、ああ、これで日本は終わったと思いましたよ」と。
大江健三郎氏がいう、「危機を認める」というのは、それを言う。
が、今のようなモラルでは、その危機を乗り越えることはできない。
ただ、あがくだけ。
もがくだけ。
政府はウソにウソを塗り重ね、一方、国民は、耳障りのよい意見だけを鵜呑みにする。
その相互姿勢は、現在の北朝鮮と、どこもちがわない。
だから大江健三郎氏は、「根本的なモラルをもて」と。
が、新聞では、これ以上の報道はしていない。
これ以上のことは、わからない。
大江健三郎氏が言う、「根本的なモラル」とは、何か。
私流に解釈すれば、資本主義的な物欲文明から決別し、別の価値観を見出すということになる。
大きなテーマだけを与えられたようで、では、どうすればよいのか、今の私にはわからない。
近く大江健三郎氏の意見が、雑誌などに載るだろうから、それを読んだあと、また私なりに考えてみたい。
なおここに書いた友人の外科医は、現在、浜松市と沖縄の間を、頻繁に行き来している。
「沖縄には仕事がある」と言っている。
この春休みも、沖縄で過ごしている。
家族ともども、近く、移住を考えているようだ。
なお、最後に一言。
数日前、こんな記事が報道された。
「福島産の米は、老人ホームなどで、使ってもらう」と。
若い人たちにすれば、老人ホームにいる老人は、そういう人たちに見えるかもしれない。
しかしその老人に近い、私は、この記事を読んで、ゾッとした。
なぜゾッとしたかについては、あえて説明しない。
私は、こういうことを平気で言う日本人、あるいは日本という国に、心底、失望した。
大江健三郎氏が言うところの、根本的なモラルそのものが、狂っている。
(以上、2012年3月記)
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
○『謎の点と線』
話題を変えよう。
……と書いても、明るい話はあまりない。
(楽しい話は、いくつかあるが……。)
最近は、もっぱら、『古代文明をつなぐ謎の点と線』に没頭している。
昨日は、エジプトのEdfu(イードフ、エドフ、Edfou)について調べた。
広場に描かれた模様(実際には歩道)に、興味をもった。
が、結局、謎は解けなかった。
理由がある。
約3分の1が、土でおおわれていること。
さらにEdfu神殿の周囲には、もっと多くの遺跡が残っているはずだが、それが都市化で埋もれてしまっていること。
つまり謎を解くには、あまりにも情報が少ない。
(多分に弁解がましいが……。)
ここにその模様(図形)を載せておく。
興味のある人は、どうか謎解きに挑戦してみてほしい。
「この模様は何か?」と、考えてみてほしい。
私は昨日制作したビデオの中で、こう書いた。
「これは古代文明のパイロットたちが使った空港ではないか」と。
ヘリポートに似ているから、そう書いた。
が、それだけでは説明できない、不思議な部分もある。
その第一、合理的にできていない。
3組の平行線と曲線が複雑にからみあっている。
ところどころに、理解しがたい標識のようなものが置いてある、など。
で、ビデオは1日1作と決めている。
かなり荒っぽいやり方だが、そういう形で自分にノルマを課している。
この世界で、こんなことを書いているのは私だけ。
仲間もいない。
発表する場もない。
まったくの天涯孤独。
だから1日1作。
○異星人との共存
で、今朝(10月20日)は、その続編を書いてみたい。
題して『異星人との共存』。
Edfuの壁には、人間と異星人との交流の様が、描かれている。
頭の長い異星人、鳥の顔をした異星人、それにライオンの頭をもつ異星人など。
もちろん人間もいる。
そうした人たちが、楽しそうに、仲よく手をつないで踊っている。
言うまでもなく、こうした絵は、空想だけで描けるものではない。
また空想だけでは、「岩の壁に彫ってまで……」というエネルギーはわいてこない。
現実に、そういう異星人がいた。
強烈な印象を、人間に残した。
だから当時の人たちは、彫刻にして残した。
が、これらの写真を見ていると、どうもそれだけではないようだ。
つまりこれらの絵には、もっと別の意味が隠されている。
人間社会を参考に、考えてみればよい。
……たとえばどこかの国の王が、別の国の王を迎えたとする。
そのとき迎えるほうの王は、友好のシンボルとして、様々な趣向をこらすにちがいない。
相手の国の王が喜ぶように、だ。
つまりこうした絵(彫刻)は、その趣向のひとつ。
異星人を喜ばすため、あるいは安心させるために描かれた。
「私たちは、あなたの敵ではありませんよ」と。
常識的に考えれば、そうなる。
○新たなる謎
で、またここで新たなる謎にぶつかる。
Edfuには、ここにも書いたように、頭だけが鳥の、鳥人間の絵が描かれている。
体や手足は、人間である。
一方、Edfuのあちこちには、鳥の彫像が置いてある。
こちらのほうは、羽のはえた鳥そのもの。
足のようはよくわからないが、手はない。
羽である。
カラスの顔にも似ている。
で、問題はその彫像。
だれが何のために置いたか。
Edfuの王か?
答は「No!」。
いくら人間がサルから進化したとしても、自分の城の前に、サルの銅像は置かない。
いくらここは人間の城ということを強調したくても、置かない。
では、客人のためか?
答は「No!」。
反対の立場で考えてみれば、それがわかる。
あなたは鳥人間。
そのあなたが人間の城に招かれた。
そのときその城の前に、ゴリラの銅像が置かれていたら……。
あなたはそれを喜ぶ前に、怒り出すだろう。
「バカにするな!」と。
鳥の彫像というのは、どう考えても、矛盾する。
なぜそんな銅像を造ったか。
またそれをEdfu神殿の前に置いたか。
考えれば考えるほど、謎は深まる。
解釈の仕方はいろいろあるだろう。
中には「はやし浩司の常識は、おかしい」と思っている人もいるはず。
が、今回でビデオも74号を超えた(実際にはすでに、90作以上)。
視点を少し変え、『謎の点と線』に迫ってみたい。
Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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