2012年10月17日水曜日

○異星人的ものの見方、考え方

【最前線の子育て論byはやし浩司(27)】(一般エッセー) 【異星人的人間論】2012/10/17 ○日本  日本は、神の国だった。 そのことは、「謎の点と線」で知った。 あの仁徳陵(大阪府堺市)にしても、(仁徳天皇の墳墓説を唱える人は少数派になってきているが)、きわめて重要な位置にある。 重要な位置にあるだけでなく、それ自体が、エジプトのギザのピラミッドと共通点をもっている。 たとえば、配置のし方など。  詳しくは、つぎのビデオを見てほしい。 私はこの事実を、数学的に証明した。  が、こうした事実をもって、「日本はすばらしい国」と言うつもりは、みじんもない。 (だからといって、そうでないと言っているのでもない。誤解のないように!) たまたまこうした事実、つまり仁徳陵が、この日本にあるというにすぎない。 ○世界の古代文明  世界には、とても人間業(わざ)と思えない、遺跡がある。 廃墟でもよい。 そういうものをさして、たとえばエジプト人は、「これは私たちの先祖が造ったもの」と胸を張る。 しかしあのギザのピラミッドは、残念ながら、エジプト人が造ったものではない。 ないことは、ほかの古代遺跡との関連性をみればわかる。  それについては、たまたま昨夜、仕事から帰ってきたとき、別のビデオを作った。 ギザのピラミッドは、メキシコのテオティワカン、さらにはパキスタンのモヘンジョダロと、密接に関連している。 私を疑う人は多い。 そういうスケプティカルな(懐疑的な)人たちのために、作った。 ガイド用だから、きわめて初歩的な内容になっている。 興味のある人は、つぎのビデオを見てほしい。  仁徳陵にしても、そうだ。 が、だからといって、エジプト人はつまらないとか、日本人はつまらないと書いているのではない。 それらを造った人たちは、人間のもつ英知をはるかに超えている。 ○異星人  回りくどい言い方をやめよう。 こういう話になると、どうしても、回りくどくなる。 だから単刀直入に言う。 こうした遺跡をアレンジした人たちは、人間ではない。 明らかに異星人である。 遠く、外宇宙からやってきた異星人である。  少なくとも太古の昔から、自由に空を飛べた人たちである。 しかもたいへん興味深いことに、「距離」をまったく気にしない人たちである。  たとえば今回、集中的に「謎の点と線」について調べてみた。 が、出てくるのは、「点」と「線」、それに角度だけ。 「距離」は、まったくと言ってよいほど、出てこなかった。 ゆいいつ、最近出てきたのは、日本の阿蘇山、桜島を調べていたとき。 例外である。 というか、はじめて、「等距離」という言葉を私は使った。  つまり異星人は、そういう乗り物を使っていた。 「方向」は重要だが、「距離」は問題ないという乗り物である。 そう、異星人は、瞬時のうちに、数千キロ、ばあいによっては、数万キロを移動することができた。……できる。 ○異星人の視点  今回、いろいろ調べていく間、随所で、大きな壁にぶつかった。 が、そのつど私は異星人の視点でものを考えるようにした。 「こういうとき、異星人なら、どうするだろうか?」と。 とたん、謎がスーッと氷解していくのを覚えた。  ナスカ平原の地上絵にしても、そうだ。 学者たちは、勝手にいろいろな説を唱えている。 あの無数の直線にしても、「夏至の日、冬至の日の太陽の昇る方向だ」とか、何とか。  が、ものごとは、常識で考えたらよい。 どこのバカが、そんなことを知るために、10キロ近い直線を引くか? しかも線の幅は20メートル近くもある。 (詳しくは、ウィキペディア百科事典あたりに目を通してみたらよい。) そんなことをするためなら、庭先に石ころでも置けば、簡単にできる。  ナスカ平原に描かれた直線は、方向を示す直線である。 もし私の説を疑うなら、反対に、それぞれの重要遺跡から線を引いてみればよい。 たとえばオーストラリアのエアーズロックから。 たとえばメキシコのテオティワカンから。 あるいはもう少し小さい、パレンケからでもよい。 ナスカには、そういった直線と、ピタリと重なる直線がある。 ○偶然の一致  こう書くと、こう反論する人たちがいる。 「あれだけたくさんの直線がある。 一本くらい、重なる直線があっても、おかしくない」と。  しかし実際、この(直線合わせ)をしてみると、そうはいかないことがわかる。 直線というのは、そういうもの。 ほんの少し、それこそ角度が1度ちがっただけで、狂いが生ずる。 0・1度でも、狂いが生ずる。 (長くなればなるほど、そうで、途中で狂いが生ずる。) だから「ピタリ」という言葉を使った。 ランダムに引いた直線には、その「ピタリ」がない。 ○方向  で、その直線だが、よく見ると、細長い三角形をしていることが多い。 古い遺跡への直線、つまり古い時代に描かれたものほど、ていねいに描かれている。 一方、新しい遺跡への直線は、(あくまでも「比較的新しい」という意味だが)、雑で、サーッと地面をなぞるようにして描かれている。  が、ここでひとつの問題に私はぶつかった。 どちらが始点で、どちらが先点なのか、と。 というのも、直線には、つねに2方向性がある。 そこで私は、私自身が、飛行物体に乗ったつもりで考えてみた。 とたん、謎が解けた。  太古の昔のパイロットたちは、細くなった部分を始点とし、太くなった部分を、先点とした。 またそうでないと、たとえば10キロ先の先点が見えなくなってしまう。 それについても、ビデオの中で、紹介した。 つぎのビデオがそれである。 (9:00分あたりで、それを説明。)    で、ついでに言えば、ではあの地上絵は何かということになる。 ……というような回りくどい言い方もやめよう。 もちろん、あの地上絵は、行き先のシンボルを描いたものである。 たとえばパレンケへ行く直線の右側には、ハチドリの絵がある。 ハチドリは、メキシコあたりでよく見る鳥である。 その鳥を描いた。  古代のパイロットたちは、ハチドリの絵を右下に確かめながら、パレンケに向かった……。 ○デタラメ論  こうした意見を書き、「異星人」という言葉を使うと、この日本では変人とみなされる。 多くの人たちが、拒否反応を示す。 もし私の言っているようなことを認めると、自己否定の世界に陥ってしまう。 とくに考古学者においては、そうだろう。  たとえばウィキペディア百科事典の中には、こんな記述がある。 ナスカ平原の地上絵の成立時期についてものだが、こうあった。 「平原に残された、杭(木のクイ)から、~~年と測定された」と。  どうして学者というのは、こうまでバカ(失礼!)なのだろう。 あのような地上絵を描くのに、どこのバカが、杭など使うか。 使っても意味はない。 でこぼこの平原に、(実際にも、山あり、谷ありのでこぼこ)、杭など使って描けるような線ではない。 線といっても、真直線である。 宇宙から見て、真直線とわかるような直線である。  私の説をデタラメと思う前に、自分たちの脳みそを疑ってみたらよい。 もっともこうした拒否反応は、今に始まったことではない。 コペルニクスが地動説を唱えたときも、ヴェーゲナーが大陸移動説を唱えたときも、そうだった。 世俗に毒された学者たちは、こうした学者を猛烈に攻撃した。  ときには、何がデタラメなのか、あるいはデタラメでないのか、立ち止まって考えてみる必要がある。 ○世界はひとつ  で、こうして、キリストも釈迦も、そしてあの指導者も、謎の直線でつながってしまった。 結論として言えることは、世界の神々、(日本の神道も含めて)、すべて最初は1点から始まったということ。 つまり、元はひとつ。  だからといって、世界の宗教を否定しているのではない。 誤解のないようにしてほしい。 私が言いたいのは、その逆。 「世界は、ひとつ」ということ。 宗教上の対立で、戦争を起こしたり、民族的なちがいで、いがみあったりするのは、バカげているということ。  先にも書いたが、仁徳陵にしても、(大仙陵というのが正しいが)、たまたま現在、それが日本にあるというにすぎない。 アジアのハブ空港になっている、プレアー・ビヒア(Preah Vihear)にしても、たまたま現在、カンボジアの山奥にあるというにすぎない。 (現在、そのあたりの国境で、カンボジアとタイが軍事的紛争を繰り返している。)  宇宙から見たら、世界はひとつ。 国境も民族も、そして宗教もない。 今回、私が調べている「謎の点と線」には、そういう意味も含まれる。 が、それ自体は悪いことではない。 事実、この3か月間で、私の人生観は、大きく変わった。 ものの見方が、大きく変わった。 ○心配  ただひとつ、心配なことがある。 フランスの謎を調べていたときのこと。 あの聖地ルルドと、イタリアのポンペイが、1本の直線でつながってしまった。 それを見たとき、「?」が、頭の中に充満した。  ルルドは別としても、つまりポンペイとキリスト教とは、まったく関係ない。 ポンペイは、火山の爆発により、滅んだ。 神が滅ぼしたわけではない。 が、頭の中に充満した「?」は、どうすることもできなかった。  飛躍した考えになるかもしれない。 しかし私はこう考えた。 異星人たちは、人間の味方なのか、そうでないのか、と。 あくまでも一説にすぎないが、あのシナイ半島の死海周辺には、強力な核兵器で攻撃された形跡が残っているという。 テクタイトというガラス化した岩石が、その証拠とも言われている。 が、今回、私はその近くで、溶けあい、からみあっている岩石の写真を何枚か見つけた。 明らかに猛烈な熱源にさらされた結果として、そうなった。 そうとしか思えない岩石である。  またオーストラリアのオルガス山(エアーズロックの西、30キロ前後)の山々は、異様にただれた様子を見せている。 まるでアイスクリームが溶けたような状態になっている。 しかもそのオルガス山は、もしふつうの山なら、何ら変哲のない山である。 が、ナスカからも、またプレアー・ビヒアからも、30・0度の角度で、つながっている。 異性人にとっては、きわめて重要な拠点であったことがわかる。  なぜか?  私はオルガス山あたりは、異星人たちの核兵器実験場だったと確信しているが、異性人には、そういう側面もある。 あるいは、異星人といっても、何種類もいるのかもしれないが……。  はたして異星人は人間の味方なのか、それとも、そうでないのか。 ○抹殺  ひとつはっきりとわかったことがある。  異星人は、遺伝子操作でも何でもよいが、それを使い、人間を改造した。 世界の4大文明が、紀元前3500年前後に、同時発生していることを、根拠にしている。 しかし旧約聖書の中に出てくる、ソドムとゴモラの例をあげるまでもなく、ときとして異星人たちは、人間の抹殺を試みている。  モヘンジョダロにしても、そうだ。 いろいろな説があるが、モヘンジョダロは、明らかに核攻撃によって滅んでいる。 その周辺の山々の様子を、グーグル・アースで見れば一目瞭然。 周辺の山々は、同じようにアイスクリームが溶けたようになっている。 不気味というか、それはゾッとするような光景である。  (これについては、ビデオ73号で紹介するつもり。)  教育と抹殺。 異星人たちは、この2つを繰り返してきた。 今回、それがはっきりとわかった。 ○希望  では、異星人たちの目的は何なのか。 つまりは、これが今回の謎解きの最終的な、目標ということになる。 なぜ、彼らはこの地球に出没するのか。 また、その目的は何なのか。  かつてノアは、神にこう問いかけたという。 「(洪水で)人間を滅ぼすくらいなら、どうして最初から完ぺきな人間を創らなかったのか」(説話)と。 それに答えて神はこう言ったという。  「希望を与えるため」と。  つまり人間は努力次第で、神のような人間にもなれる。 それが「希望」と。  異星人の目的がわかれば、私たち人間も、その「希望」を手に入れることができる。……はず。 ひょっとしたら、そこは、とてつもなく広い世界かもしれない。 平和で穏やかで、安らいだ世界かもしれない。 ○審判  が、私はキリスト教的な、「審判」を信じていない。 人間を審判するのは、人間自身。 人間自身がその結論を出す。  が、その一方で、こうも考える。  もし人間が宇宙へ飛び出すようなことがあれば、(すでに飛び出しているが)、異星人はそれを許すだろうか、と。  ロケットといっても、異星人たちから見れば、チャチなおもちゃのようなものかもしれない。 少なくとも、今のところ、そうだ。  一方、私とワイフが目撃したブーメラン型のUFOにしても、幅が1~2キロはあった。 (本当のところ、大きさはわからない。) それが音もなく飛来し、頭上まで来た瞬間、ヒューッと飛び去り、そのまま空に溶け込むかのようにして、消えていった。  技術力でみるなら、人間の飛行機など、とてもかなわない。 が、人間もやがてそういった技術力をもつようになるかもしれない。 時間の問題と言ってもよい。 そういう近未来を知ったとき、異星人は、私たち人間を、どう判断するだろうか。 ○失敗作  人間にはすぐれた面もあるが、その一方で、きわめて愚かな面がある。 原因は、脳の中に潜む「欲望」ということになる。 人間はこの欲望をうまくコントロールできないでいる。 この欲望がさまざまな形で、摩擦を引き起こし、戦争を引き起こす。 地球温暖化(火星化)も、その結果ということになる。  で、もし失敗作かどうかということになれば、人間はまさに失敗作。 知能は高いが、欲望のコントロールがうまくできない。 異星人の立場、(神でもよいが)、そういうことになる。 逆に言えば、欲望をどうコントロールしていくか。  それができなければ、再び、人間は抹殺されるかもしれない。 私が異星人なら、そう考える。  「人間をこれ以上のさばらせておくと、たいへんなことになるぞ」と。  今度は月や火星の領有権を争って、月や火星で戦争を引き起こすようになるかもしれない。 愚かな人間は、いつまでたっても愚かなまま。 5000年近い歴史のある、あの中国をみれば、それがわかるはず。 ○謎の点と線  8月のはじめからつづけている、「謎の点と線」。 謎解きは、まだまだつづく。 ……というか、底なし。 ひとつの謎が解けると、またその向こうに別の謎がある。 この繰り返し。  ときどきこう思う。 「なぜ、こんなことをしているのだろう」と。 自分でもとんでもない世界に、足を踏み入れてしまったような感じがする。  が、残念ながら、この日本では、こういうことを発表しても、相手にされない。 見向きもされない。 そこには、厚い壁がある。 意見を発表する「場」さえない。 「異星人」という言葉を口にしただけで、笑い飛ばされる。  で、実際には、外国からの反応のほうが、多い。 アメリカのどこかの大学では、私のビデオの分析を始めたという。 その中には、数学者も加わったという。 そういう連絡も届いた。  そのきっかけとなったビデオを、このエッセーの最後に紹介する。 みなさんも、その謎解きに挑戦してみてほしい。  2012/10/17記 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 謎の点と線 古代文明をつなぐ謎の点と線) Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2012++++++はやし浩司・林浩司  

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