【読者の方より、相談】
●離婚後の問題
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
N氏(男性)は、現在、1人の女性(以下、Aさん)と同棲している。
その女性(Aさん)は、1年ほど前、別の男性と離婚。
N氏は、その女性(Aさん)との婚姻届は、まだ出していない。
そのAさんには、元夫の間にできた、1人の子どもがいる。
現在、7歳。
今は、N氏、そのAさん、それに7歳の子どもと、いっしょに暮らしている。
離婚した相手の男性(元夫)は、「2週間に1回1泊2日の面会をさせろ」と言っている。
そのため、Aさんは、元夫にときどき、子どもを会わせている。
が、元夫は、子どもの歓心を買うため、高価なプレゼントを与えたりしている。
歯をみがかせないこともあるという。
N氏としては、こうした関係をできるだけ早く、すっきりしたい、……ということらしい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●N氏よりの相談(原文のまま)
『子供が6歳の時、両親が離婚。
(4歳の時から両親は一言も話さなくなっていたそうです。)
離婚後すぐ私と彼女は知り合って交際するようになり、離婚後半年で私と、彼女、彼女の子供と3人で暮らす様になり、1年がたとうとしています
【 お問い合せ内容(2500字以内で……)それ以上のときは、掲示板(相談コーナー)へお書きください。 】:
いつも子育てにとても参考にさせてもらっています。
上記の様な複雑な状況で3人で生活しています。
同棲して1年で、結婚を考えていますが、以下の様な問題があります。
?結婚の話をすると、夫婦で建てた時の家のローンを、半分払えと言われる可能性が高い為、様子を見ている。
?離婚した時、元夫から「2週間に1回1泊2日の面会をさせろ」と言われており、今はそれを持続している。
離婚直後は嫌がっていたが、子供は父親を今はとても慕っており、面会後「寂しい」と泣くことも時折ある。
父親は面会時はつきっきりで遊んであげていて、とても子供に優しい。
3,4か月に1回はゲームのソフト等、子供が喜ぶ高額なおもちゃを買ってあげている。
離婚前はそこまで遊ぶことも、ゲームを買うこともなかったようです。
?子供は3歳ころまで言葉を話すのが遅く、特殊学校に行っていた。
幼稚園も特殊学級に入れる様言われたが、普通の学校に行った途端、せきを切った様に発語する様になった。
今まだ目を合わせて話せず、又、新しい環境になじむのがとても苦手。
普通だがかなり怖がりで、自分の慣れたもの以外に慣れるのが苦手な子。
彼女と元夫はかなり仲が悪く、話ができないので手紙でやりとりをしています。
彼女が夫に何か提案をしても罵倒する返事しか返ってこないので話し合いをして子育てを協力しあう雰囲気はありません。
(例えば面会時にいつも歯磨きをしていなかったので歯磨きをお願いしたら、お前の育て方が悪いとありました。
元夫は彼女以外の人には人当たりよくしているそうです。)
私は結婚をしたいのですが、例えばバレンタインデーに父親にこったチョコレートをあげようとする等、違いを見せられると冷静であろうとするのですが辛い時があります。
又、私は私なりの教育を考えて実践しています。
例えば何時間でも家でゲームをして良い決まりだったのを、ゲームの時間を決める、本を読まなかった子に、夜寝る前に本を読んで聞かせている等ですが、面会のたびに違う家の、子供にとっては心地良いルールに戻され返ってきたり、2つの家の価値観が違いすぎて子供が困惑している時があります。
できれば結婚後は面会頻度を2カ月に1回、泊りは夏休み、冬休みのみにしたいのですが、子供の心理上はそれがどうなのか、アドバイスを頂ければと想います。
又、父親から遠方になるのに、引っ越ししようかとも考えています。
よろしくお願い致します。
私とその子供との関係は、良い方だと思います。
子供も「今のお父さんと出会えて良かった」と言っている様です。
ただまだ彼に馴染んでもらうには時間がかかると思っていて、待つつもりでいます』(以上、N氏の相談)。
●未練
結婚の仕方は、いろいろある。
同じように離婚の仕方も、これまたいろいろある。
みながみな、(さわやかに)というわけにはいかない。
たいていは、(ドロドロ)。
私の知人(58歳)は、離婚調停で、3年も費やした。
財産分離に時間がかかった。
以前、こう書いたことがある。
「離婚を覚悟するなら、未練を徹底的に消してからにしたらよい」と。
未練が残ると、離婚も、ドロドロしたものになりやすい。
その未練。
その第一が、子どもがいれば、子どもということになる。
離婚したという「敗北感」「屈辱感」「挫折感」「失敗感」、さらに「世間体」や「見栄、メンツ」などなど。
こうしたものが、複雑にからんでくる。
もちろん相手への思い、不本意な別れなどもある。
「未練」というのは、そういう意味でも、一筋縄ではいかない。
●元夫
N氏からの相談を読んでいると、元夫の、その「未練」を強く感ずる。
Aさんの心はともかくも、元夫は、その未練の中でもがいている。
子どもへの思いもあるだろうが、むしろ子どもを理由にし、Aさんとの接触を求めている。
独り残された元夫にすれば、「では、私はどうすればいのだ」ということになる。
相談の内容からすると、Aさんのほうが、やや強引な形で、離婚したという印象をもつ。
そのあたりの心理、つまり元夫の気持ちを理解しないと、今の状態は、しばらくつづく。
が、口で言うほど、これは簡単なことではない。
仏教でも、四苦八苦のひとつに、『怨憎会苦(おんぞうえく)』『愛離別苦(あいりべつく)』をあげている。
人間が人間であるがゆえに、苦しむ(苦)をいう。
まさに身を引き裂くような苦しみをいう。
怨憎会苦について書いた原稿を探してみる。
怨憎会苦の苦しみを、理解してほしい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●怨憎会苦(2008年8月19日付)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●魔性との闘い(怨憎会苦)
(To meet with someone whom you feel hatred is a matter of pain.
In often cases it becomes a heavy burden to torture you.)
仏教には、「怨憎会苦(おんぞうえく)」という言葉がある。
生老病死の四苦に並んで、八苦のひとつになっている。
「いやな人と会う苦しみ」という意味である。
が、ここでいう「怨憎」とは、「魔性をもった人」とも解釈できる。
会うだけで、相手の魔性が、そのままこちらへ伝わってきてしまう。
自分の理性や知性が、こなごなに破壊されてしまう。
そんな危機感すら、覚える。
で、こちらは会いたくないと思うのだが、相手のほうからからんでくる。
からんできては、自分勝手なことを、一方的に言う。
そこで「無視」という方法を選ぶが、それにはものすごいエネルギーを
消耗する。
相手が身内であれば、なおさらである。
A氏の父親が、2年前に他界した。
数億円の財産(主に土地)を残した。
その財産をめぐって、A氏(長男)と、ほかの3人の姉妹が、争った。
毎月のように、ときに毎週のように、言い争う声が近所中に聞こえたという。
A氏夫婦が父親のめんどうをみてきたのだが、それについて姉妹たちは、
「じゅうぶんな介護をしなかった」「親を施設に入れようとした」などと、
言いがかりをつけた。
A氏の父親は、死ぬ直前、かなり認知症が進んでいた。
そういうこともあって、そのつど娘たちに、「この家は、お前にやる」とか、
「あの土地は、お前にやる」とか言った。
娘たちは、その言葉を理由に、「この家は、私のもの」とか、
「あの土地は、私のもの」と騒いだ。
A氏は、美術雑誌に評論を書くような知的な人物である。
一方、娘たちは、そのレベルの女性たちではなかった。
あとになってA氏は、こう言う。
「途中から妹たちの夫まで騒動に加わってきて、『テメエ』『このヤロー』という
話になってしまいました。で、私が、この問題は、私たち兄弟のもので、
あなたには遺産相続権はありません。つまり部外者ですと説明するのですが、
そういう道理すら、通じませんでした」と。
娘の夫の1人は、こう言ったという。
「(義父が)、オレの女房(=妹)に、『あの土地をお前(=妹)にやる』と言った話は、
オレもちゃんと横で聞いた。オレが証人だ」と。
A氏は、姉妹たちに会うたびに、神経をすり減らした。
・・・と書くと、「どこにでもあるような話」と思う人もいるかもしれない。
が、当事者であるA氏が受けた心的な苦痛は、言葉では説明しがたい。
A氏の妻もこう言った。
「(妹の1人から)、嫁(=A氏の妻)が、父親のめんどうをちゃんとみていなかったと
言われたときには、怒れるよりも先に、涙が出てきました」と。
まさに怨憎会苦。
その苦しみは、経験したものでないとわからない。
「家事が何も手につかなくなってしまいました」とも。
「妹たちは、金の亡者になった餓鬼、そのものでした。
そばにいるだけで、自分がつくりあげた文化性が、こなごなに破壊されていくように
感じました。
気がついてみると、自分もその餓鬼になっていました。
とくに次女夫婦がひどかったです。
ペラペラと一方的に自分の意見をまくしたて、こちらの言い分には、まったく耳を
貸そうとさえしませんでした。
次女も、認知症が始まっていたのかもしれません」と。
A氏の経験は、何も特別なものではない。
今の今も、親の遺産相続問題がこじれて、兄弟姉妹が争っているケースとなると、
ゴマンとある。
かりに片づいたとしても、それをきっかけに、兄弟姉妹が絶縁してしまったケースと
なると、もっと多い。
さらに最近では、離婚問題がこじれ、財産分与でもめる元夫婦もふえている。
みな、怨憎会苦の苦しみを、味わっている。
恐らく釈迦の時代にはなかったタイプの「怨憎会苦」と考えてよい。
経典の中には、金銭(マネー)にからんだ話が出ているところもあるが、釈迦の時代には、
貨幣はなかった。
この日本でも、貨幣が一般世間に流通するようになったのは、江戸時代の中ごろと
言われている。
今では、マネーが、怨憎会苦の原因になることが多い。
つまり人間そのものが、マネーの奴隷になりながら、それにすら気がついていない。
では、どうするか?
釈迦は、「精進」という言葉を使った。
日々に精進あるのみ。
つまり常に心の準備を整えておくということ。
そういう場に落とされても、その場に翻弄されないように、自分を強くしておくしかない。
が、それはけっして、むずかしいことではない。
音楽を聴いたり、映画を楽しんだり、文化、芸術に親しんだり・・・。
もちろん本を読んだり、文を書いたり・・・。
自分の世界を、できるだけ広くしておく。
その努力だけは、怠ってはいけない。
そういう素養が基礎としてしっかりしていれば、こうした騒動に巻きこまれても、
「餓鬼」になることはない。
自分を最後のところで、守ることができる。
(これは私の努力目標でもある。)
(2008年8月19日付)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●Aさん(女性)
Aさんにとっても、つらい毎日にちがいない。
本来なら、家庭裁判所で、家事調停を申し込むのがよい。
手続きは簡単で、家庭裁判所に出向き、調停の申し立てをすればよい。
あとは、その日に双方が会い、調停委員の前で、アドバイスを受けながら、結論を出す。
元夫の、子どもとの面会権も、そのとき決めることもできる。
Aさんに落ち度がなければ、子どもの養育費、慰謝料なども請求できる(はず。)
養育費の額などは、相手側の収入などにより、調停委員が査定してくれる。
家事調停で裁決されたことは、本裁判の判決と同じ法的効力をもつ。
たとえば養育費が滞ったばあいなどは、即、執行猶予付きの支払い命令書を相手側に、裁判所名で送付することができる。
……というのが法的手続きということになるが、実際には、「家庭裁判所で……」というケースは、少ない。
離婚というより、離婚に至る経緯の中で、人間関係は、すでにこなごな(=ドロドロ)に破壊されている。
たがいに感情的になっているから、冷静な話し合いも、むずかしい。
●N氏
やはりキーパーソンは、相談者である、N氏自身ということになる。
相手の元夫がそれに応ずるかどうかはわからないが、(私の予想によれば、会うだろうと思うが)、Nさん自身が、相手の元夫と会ってみるのが、いちばんよい。
……というのも、私にも、似たような経験が何度か、あった。
一度は、暴力団がらみの事件に巻き込まれたことがある。
知りあった男性が、「アパートをさがしてほしい」と言った。
そこで知人のアパートを紹介した。
が、その男性が、暴力団の組員だった。
知らなかった。
で、家賃は払わない、ほかの組員たちも同居するようになった……、ということで、アパートの所有者、つまり知人が、責任を取ってほしいと泣きついてきた。
そこで私は、直接、その暴力団の事務所に乗り込むことにした。
あらかじめ電話をかけると、「命が惜しくなかったら、来い」と。
が、私は、子どものころから気が小さいくせに、そういうときになると、肝っ玉が座ってしまう。
私は、単身、その事務所に乗り込んでいった。
……中央にデスクが置いてあり、左右のソファに、それぞれ3~4人ずつの男が座っていた。
生きた心地はしなかった。
が、私は、こう切り出した。
「アパート代の未納分を払い、今月中に、アパートを引き払ってほしい。私の言いたいのはそれだけだ」と。
私はそのとき、30歳前だったと思う。
が、組長の言葉は、意外なものだった。
こう言った。
「お前の度胸に負けた。来るとは思っていなかった。お前の言うとおりにする」と。
●
相手の元夫も、苦しんでいる。
私は、そう感ずる。
相手の元夫も、先に書いた未練の中で、もがいている。
だからNさんが、「会いたい。会って一度、話しあいたい」と言えば、応じてくるはず。
最高の解決策は、Nさんが、相手の元夫に会うこと。
何も隠さず、正々堂々と、誠心誠意、相手の元夫の立場に立って、会う。
相手の元夫の気持ちを聞くだけでも、相手の元夫の心は、収まるはず。
が、それでも話しあいがつかないようであれば、こう提案すればよい。
「私の力ではどうにもならないから、一度、家事調停をしてみませんか」と。
(家事調停の仕方などは、簡易裁判所の窓口へ行けば、ていねに教えてくれる。)
Nさんも、不愉快だろう。
相手の元夫も、もやもやしているだろう。
しかしその間にあって、いちばん苦しんでいるのが、Aさんということになる。
この先、Aさんとの結婚を真剣に考えているなら、Nさんが、間に立つのがいちばん、よい。
●子ども(7歳)のこと
私の印象では、相手の元夫は、子どもには、あまりこだわっていないと思う。
ていねいに話しあえば、相手の元夫も、納得するはず。
つまり相手の元夫が求めているのは、不完全燃焼感というか、敗北感への償い。
「このままでは、あまりにも自分がみじめではないか」と。
が、NさんやSさんも、同じように苦しんでいることがわかれば、またそうした誠意があることがわかれば、相手の元夫も納得するはず。
子どもが、緘黙症を示したのも、離婚劇というより、離婚騒動が原因と考えてよい。
「騒動」が、子どもの心を、つぶした?
あとは、前向きに生きていく。
少し時間がかかるかもしれないが、時間が解決してくれる。
みな、その程度の(キズ)を背負っている。
キズのない人はいない。
「これも人生」「あれも人生」と、割り切る。
私たち夫婦も、そうしている。
いろいろあったし、現在進行形で、今もある。
完ぺきな人生は、ない。
みな、ボロボロ。
だったら、ボロボロを前提として、生きる。
まさに『時は心の癒し人』。
私はいつもそう考えている。
最後に、この正月に書いた、抱負をここに転載する。
その前に……。
勇気を出し、相手の元夫に会ってみること。
それですべてが解決するはず。
相手の元夫の立場で、会う。
「あなたのつらい気持ちもよくわかります」と。
歯磨きくらいのことで、けっして相手の元夫を責めてはいけない。
虫歯になれば、歯科医院へ行けばよい。
高価なプレゼントくらいで、相手を責めてはいけない。
「喜んでいますよ」と。
そう言えばよい。
Nさん、あとは、あなたの勇気だけ。
運命というのは、そういうもの。
逃げ腰になると、運命は、キバをむいて、あなたに襲いかかってきますよ。
(以上、推敲なしで、このまま返信しますので、誤字脱字は、お許し下さい。)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●2012年のはじめに
【生きる目的と意味、そしてその生き様】
(はやし浩司 2012ー01-01)
●前向きに生きる
前向きに生きるということは、簡単に言えば、過去を引きずらないということ。
そのためには、つぎの7つを守る。
(1)失ったものを、嘆かない。
(2)去った人を、追わない。
(3)ないものを、ねだらない。
(4)亡くなった人を、思わない。
(5)過去を、くやまない。
(6)失敗を、気にしない。
(7)自分の不幸を、数えない。
が、それだけでは足りない。
生き様そのものを変える。
自分に対しては、つぎの3つを守る。
(1)あるがままの自分を認める。
(2)負けを認める。
(3)今を原点として、生きる。
人間は、希望さえあれば、生きていくことができる。
が、希望は、だれにでもある。
今、ここに生きている、そのこと自体が、希望。
目が見える、音が聞こえる、風を感ずることができる……それが希望。
人と心を通わせることができる、ものを考えることができる……それが希望。
その希望は、自ら創り出すもの。
待っていても、やってこない。
日々の弛(たゆ)まない鍛練こそが、希望を生む。
肉体の健康、しかり。
精神の健康、しかり。
他人に対しては、つぎの5つを守る。
(1)人を、恨んではいけない。
(2)人を、ねたんではいけない。
(3)人に、ねだったり、甘えてはいけない。
(4)人を、うらやましがってはいけない。
(5)人に、へつらい、自分を裏切ってはいけない。
さらに老後の、しっかりとした設計図をもつ。
そのためには、つぎの4つを守る。
(1)私は私と割り切り、自分を他人と比較しない。
(2)年齢という数字を、気にしない。
(3)最後の最後まで、居直って生きる。
(4)孤独死、無縁死を、恐れない。
あとは日々、平穏を旨とし、取り越し苦労にヌカ喜びをしない。
時の流れの中に身を置き、その流れに身を任す。
命は、そのまま天に任す。
朝、起きたときに、やるべきことがある人は、幸福と思え。
今日1日、今週1週間、今月1か月、今年1年、やるべきことがある人は、幸福と思え。
それを「真の幸福」という。
前向きに生きるというのは、そういうことをいう。
さあ、あなたも勇気を出し、足を一歩、前に踏み出そう。
明るい未来に向かって、まっすぐ歩こう!
『心を解き放てば、体はあとからついてくる』(アメリカの格言)。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●人を恨まない
H・フォスディック(Henry Fosdick)はこう言った。
『Hating people is like burning down your house to kill a rat.
人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。
人を恨んではいけない。
恨めば恨むほど、心が小さくなり、そこでよどむ。
よどんで心が腐る。
だからこう言う。
『人を恨むというのは、ネズミを殺すために、家を燃やすようなものだ』と。
解釈の仕方は、いろいろあるだろう。
しかし簡単に言えば、(ネズミ)は(恨みの念)、(家)は、もちろん(心)をいう。
(人生)でもよい。
ネズミを追い出すために、家に火をつける人はいない。
もったいないというより、バカげている。
人を恨めば、人生を棒に振る。
「人を恨む」というのは、つまりそれくらいバカげている。
が、それでも恨みが消えないときは、どうするか。
●真の自由
過去を引きずったとたん、人生は監獄になる。
が、だれしも、恨み、つらみはある。
失ったことを嘆き、不運を悔やむ。
が、そういうときは、それから逃げてはいけない。
とことん、恨め。
とことん、憎め。
とことん、過去を悔やめ。
身がボロボロになるまで、恨め、憎め、過去を悔やめ。
恨んで恨んで、憎んで憎んで、悔やみたいだけ悔やめ。
自分を燃やし尽くせ。
すべてのエネルギーを燃やし尽くしたとき、あなたはその先に、恐ろしく静かな世界を見る。
それはあなたの魂が解放された、無の世界。
そのときあなたは、はじめて、真の自由を知る。
●運命
今、あなたが苦しんでいるなら、幸いと思え。
あなたが悲しんでいるなら、幸いと思え。
あなたは今、まさに真理のドアを叩いている。
そのドアの向こうでは、真理が、あなたがドアを開いてくれるのを待っている。
息を潜(ひそ)め、静かに待っている。
大切なことは、苦しみや悲しみから、逃れようとしないこと。
逃れようとしたとたん、運命はキバをむいて、あなたに襲いかかってくる。
が、あなたが苦しみや悲しみに、真正面から立ち向かえば、運命はシッポをまいて、向こうから退散していく。
方法は簡単。
あるがままを、そのまま受け入れる。
そこに運命があるなら、その運命をそのまま受け入れる。
書き忘れたが、あなたにはあなたを取り巻く、無数の糸がある。
家族の糸、地域の糸、生い立ちの糸、仕事の糸、才能や能力の糸……。
そういった糸が、ときとして、あなたの進むべき道を決めてしまう。
それを私は、「運命」という。
もちろん闘うことができる運命であれば、それと闘う。
「逃げろ」という意味ではない。
闘う。
ふんばる。
そこに人間の生きる価値があり、美しさがある。
が、どうにもならない運命というものもある。
もしそうであれば、負けを認める。
受け入れる。
とたん、あなたはそこに真理が待っていることを知る。
●2012年01月01日
さあ、ともあれ、2012年は始まった!
友よ、仲間よ、力を合わせて、前に向かって歩こう。
馬鹿は、相手にしない。
愚か者は、相手にしない。
欲望の奴隷となり、道を見失った人間は、相手にしない。
どうせ、その程度の、つまらない人生しか歩めない。
そんな愚劣な人間のために、時間を無駄にしてはいけない。
私たちはそういう人を、憐れんでやろう!
人生は山登りに、似ている。
下から見れば、低い山でも、登ってみると、意外と遠くまで見渡せる。
それと同じ。
あなたが勇気を出し、山に登れば、下にいる人間が、さらに小さく見える。
あなたは前だけを見て、前に向かって進めばよい。
ただひたすら前に向かって、進めばよい。
それですべての問題が、解決する。
(はやし浩司 2012-01-01記)
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司
2012年2月24日金曜日
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