2012年11月19日月曜日

Mystery of Buddha、釈迦の謎、謎の生誕地


【101・釈迦の謎(釈迦の謎の生誕地)】

 


 

http://youtu.be/uPJQUheaLUk

 

○釈迦の謎

 

 今朝は、釈迦の謎について調べた。

以前も、何度か、調べた。

が、釈迦といっても今回は、釈迦の「生まれ」の謎。

「生まれ」については、謎が多い。

場所とか、生まれ年のことではない。

そういったことは、その道のプロに任せておけばよい。

ここでいう「生まれ」というのは、だれがどのようにして、釈迦を釈迦にしたかということ。

 

○フィルザバード

 

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たとえば『謎の点と線』をつないでいくと、奇妙な事実にぶつかる。

たとえばフィルザバード(Firuzabad)。

真円形の美しい形をした都市である。

が、広すぎて、ごく最近まで、その住人たちは、自分たちが円形の町に住んでいることにすら気がつかなかったという。

(以下、「円形都市」とする。)

直径が約2キロ。

そのフィルザバードには、何本かの線が走っている。

道である。

 

道というのは、古代文明の中でも、建物よりも長くそのまま残ることが多い。

一度でき、そこを人が通るようになると、そのまま残る。……残りやすい。

 

その中の一本の道が、円形都市を真一文字に横切るようにし、そしてそのまま釈迦の誕生地にまっすぐつながっている。

「一分の狂いもなく」である。

(「一分」という言い方には問題があるが、別の言い方をすれば、「ズバリ」。)

つまりフィルザバードは、明らかに、釈迦の生誕地を指し示している。

 

○謎の交差点

 

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 もうひとつ、釈迦の生誕地を示している円形がある。

といっても、その円形は、私が発見した。

そのいきさつは、つぎのようである。

 

 まずモヘンジョダロと、北極を結ぶ。

つぎにギザと、敦煌を経て、殷墟(跡)を結ぶ。

その交点をクロスポイント(A)とする。

重要なクロスポイントである。

言うなれば、道しるべ。

この道しるべに従い、四方八方へ、線が走る。

が、そのクロスポイントには、何もない。

遺跡らしいものも、ない。

 

 そこで「何かあるはず」と思い、調べてみると、それが「あった!」。

円形の公園である。

不思議な公園である。

 

(どう不思議かは、ビデオを見てほしい。

このビデオは、けっしてみなさんを裏切らないはず。)

 

その公園にも、同じような道があり、その道を真一文字に延ばすと、やはり「一分の狂いもなく」、ルンビニにつながっている。

 

 それを今朝、まずビデオ化した。

 

○釈迦の謎

 

 となると、ここで大きな謎にぶつかる。

これら2つの地点は、釈迦が生まれる前から、そこにあったはず。

時代的には、ギザのピラミッドがあり、モヘンジョダロがあった時代である。

となると、その時代から、これら2つの地点は、ルンビニを指していたことになる。

もしこのとき、つまり線を延ばしてみたとき、そこに「狂い」が生ずれば、私は、この説を引っ込める。

が、何度も書くが、「一分の狂いもなく」である。

(こういうときは、逆に、ルンビニから、フィルザバード、クロスポイント(A)に、直線を引いてみるとよい。

どうつながるかは、そのとき、よくわかる。)

 

○もうひとつの可能性

 

 あるいは、もうひとつの可能性がある。

フィルザバード、クロスポイント(A)は、釈迦の活躍以後、建設されたという可能性である。

が、フィルザバードはともかくも、クロスポイント(A)は、釈迦が誕生したと思われる以前に、すでにあった。

フィルザバードにしても、ギザ→モヘンジョダロ→プレア・ビヒアを結ぶ線上にある。

「ライン」の中でも、メジャー中のメジャー。

最重要ラインである。

 

 ……フィルザバードが、いつ、どのようにしてできたかを知れば、同時に釈迦が生まれた年を、ある程度特定できるかもしれない。

しかし住人ですら気がつかなかった、円形都市である。

人間わざとは、とても思えない。

つまりそれほどまでに真円に近い都市を築くのは、とても人間わざとは思えない。

 

○計画されていた?

 

 つまり釈迦の誕生は、釈迦が誕生する前から、すでに計画されていた。

ビデオの中では、「arrange(計画)」とか、「planned(計画)」とかいう言葉を使った。

となると、またまた大きな謎が生まれる。

「だれによってか?」と。

 

 ……と、まあ、ここに書くまでもない。

「だれ」というのは、地球を宇宙的視野で見ることができた人。

モヘンジョダロやギザ、さらには敦煌を知っていた人。

またそういった遺跡を、(現在は遺跡だが)、作った人。

釈迦を人間の指導者にしようと、もくろんだ人。

そういう人によって、釈迦は、この世に生み出された。

釈迦は釈迦になった。

 

……と考えざるを得なくなる。

 

○釈迦の教え

 

 こうして考えていくと、釈迦の教えは、(イエス・キリストの教えもそうだろうが)、異星人そのものの考え方を表したものということになる。

またそう判断して、まちがいない。

 

 キリストについても、同じことが言えるはず。

が、キリストの生誕地であるベツレヘムにしても、エルサレムにしても、宇宙的視点で見ると、エジプトのギザと重なってしまう。

釈迦のケースように、点が見つからない。

点が見つからないから、線でつなげない。

たとえばベツレヘムとエルサレムの距離は、長くて7~8キロしかない。

1時間で歩ける距離である。

 

 ついでながらそれを知ったとき、私のワイフは、こう言った。

「そんな狭い世界だったの?」と。

 

 乗り物のない時代の話である。

当時の人たちの行動半径は、そんなものだったかもしれない。

キリストにしても、(その狭い世界)で、真理(神理?)を説いた。

それが世界に広がった。

 

○異星人との対話

 

 異星人は、人間の生活と、深くかかわってきた。

それを今朝、再確認した。

が、それだけではない。

 

 釈迦だけで、(恐らくキリストも)、宗教を広めたわけではない。

釈迦は宗教を開き、それを説いた。

それは事実だが、それを広めたのは釈迦自身ではない。

弟子たちが広めたということも考えられるが、弟子だけの力でも足りない。

つまり、ここで別の作戦部隊が動き出す?

 

 たとえば仏教にしても、アショカ王によるところが大きい。

アショカ王が、仏教を国教とした。

キリスト教は、言うまでもなく、ローマの国教となった。

それ以後、仏教にせよ、キリスト教にせよ、勢力を急拡大させる。

 

 つまり異星人たちは、ときの権力者を、うまく使った(?)。

改宗させるなら、まずトップから……と。

そんな構図も、こうした『謎の点と線』から、浮びあがってくる。

 

○真の支配者

 

 結論を先に言えば、地球の本当の支配者は、人間ではない。

私たちが「異星人」と呼んでいる、宇宙人である。

 

(これについて、オーストラリアの友人は、こう言った。

「地球上に住んでいるなら、エイリアンではないよ」と。

「Alien」というときは、「外星人」をいう。

地球に住んでいるなら、「エイリアン」、つまり「異星人」とは言わない、と。)

 

 ともあれ、人間は、その配下でうごめく、別生物ということになる。

少なくとも、異星人の目から見れば、そうだろう。

繰り返しになるが、異星人が「主」、人間が「従」である。

 

 で、その間を埋めたのが、釈迦であり、キリストであり、それにムハンマドということになる。

 

○一線

 

 で、その証拠というわけでもないが、異星人たちは、しっかりと一線を守っている。

人間と自分たちを、はっきりと区別している。

そのことは、古代遺跡と呼ばれる遺跡を見れば、よくわかる。

 

 ここでいう「区別」というのは、人間は人間として、明らかに下等生物として、「下」に置いていた。

こうした関係は、たとえば人間とサルの関係を知れば、わかる。

 

 私たちが野生のサルを飼いならすとき、餌は与えるが、決してピストルの使い方までは教えない。

教えたら、たいへんなことになる。

それがここでいう「一線」である。

 

 異星人たちは、人間に対してさまざまな工作を行った。

指導もした。

今の今も、それをしている。

が、その一線だけは、しっかりと守っている。

いろいろ教えてはくれるが、そこまで。

ピストルの使い方のようなことは、人間には教えない。

つまり私たち人間は、サル。

異星人にしてみれば、サル同然。

 

○天文学

 

 で、あえて一言。

 

 何が天文学だ!、と。

 

 どこの遺跡でも、学者と呼ばれる人たちの間で共通している言葉は、天文学。

天文観測所。

何かにつけ「天文」という言葉をよく使う。

あのナスカ平原にしても、その流れを受け、こんな説を唱える学者がいる。

「何本かの線は、夏至、冬至のときの太陽の昇る位置、沈む位置と一致しました」と。

 

 バカめ!

(はっきりと「バカ」と、私は書く。)

たかが夏至や冬至の日の、日の出、日没の方向を知るために、平原に何キロ~10キロもの長い線を引く?

しかも宇宙からでしか、それがわからない。

どこのだれが、そんな線を引くか!

 

 ともかくも、何かにつけ、「天文」という言葉をくつける。

「天文」という言葉をつければ、それですむと考えている。

そうかもしれない。

しかし「天文」では、腹はふくれない。

生きていかれない。

何万人もの人たちが、何年もかけ、ピラミッドのような無用の長物ばかり作って、どうなる。

どうする。

あの益田岩船(明日香村)にしても、夏至・冬至説があるのには、驚いた!

 

 つまり一連のピラミッドにしても、本当に天文観測所なら、異星人たちはそれを、人間のために造ったのではない。

自分たちのために、人間を奴隷として使い、それを作った。

目的はわからないが、恐ろしく数学の好きな人たちである。

すべてが数字で動いている。

 

 言い換えると、私たち人間も、そうした一線を知った上で、逆に異星人とつきあう。

過大な期待は禁物。

それに、先日も書いたが、異星人には、人間がもっているような感情はない。

映画『スタートレック』に出てくるスポック博士のような異星人を、想像すればよい。

そういう人たちである。

 

○神と仏

 

 釈迦の生誕地は、ここに書いたように、いろいろな場所からつながっている。

フォルザバード、クロスポイント(A)は、そのうちの2か所に過ぎない。

そうした事実から、私はこう思う。

釈迦は、自分の力だけで釈迦になったのではない。

釈迦には、私たち人間の人知をはるかに超えた力が働いた。

それを「仏」というのなら、それはそれで構わない。

人間の神や仏の向こうに、さらに大きな、宇宙全体を包む神や仏がいたところで、私は驚かない。

 

 が、だからといって誤解しないでほしい。

私は神や仏を否定する者ではない。

むしろ逆。

それがどんな神や仏であったも、構わない。

もし私たちが知っている神や仏の向こうに、さらにそれを統括する神や仏がいるなら、その神や仏を知りたい。

そのために、こうして謎を解いている。

 

 私たちが広大な宇宙を見て、神や仏を感ずるように、異星人たちは、さらに広大な宇宙を見て、神や仏を感じているのかもしれない。

それを異星人は、私たち人間に伝えた。

釈迦やキリスト、ムハンマドを使って、伝えた。

そう考えると、宗教の向こうにあるものが、見えてくる。

つまり仏教も、キリスト教も、イスラム教も、本(もと)はひとつ。

それをバラバラにしてしまったのは、ほかならぬ、私たち人間ということになる。

 

○終わりに

 

 ……ということで、釈迦の生誕地にまつわる謎は、底なしに深い。

人間の歴史そのものに、深く、食いこんでいる。

そのため、もし釈迦の生誕地についての謎が解ければ、宗教の謎そのものも解けるかもしれない。

 

 釈迦やキリストは、だれなのか。

ムハンマドは、だれなのか。

どこから来たのか。

だれによって指導されたのか。

私たち人間に、何を教えようとしているのか。

何が目的なのか。

ついでに将来のこととして、私たちをどうしようとしているのか。

そういった一連の謎が解ける。

 

 つまり釈迦が生まれたとき、すでにフィルザバードの円形都市の中に、ルンビニを示す道はあったのか。

すでにクロスポイント(A)の円の中に、ルンビニを示す道はあったのか。

 

(もうひとつの可能性は、釈迦が生まれたあと、それぞれの地点に道を書いたという可能性もある。

が、もしそうなら、なぜ、そんなことをしたのか。

目的は何か。

そんな謎も生まれる。)

 

 ともかくも久しぶりに今朝は、釈迦の謎に迫ってみた。

大切なことは、問いつづけること。

答は、かならず、向こうからやってくる。

私はそれを信じている。

2012/11/19

 

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Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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