2012年11月5日月曜日
King Rock in Yatadera Temple, Nara, Japan by Hiroshi Hayashi
【矢田山へ・謎の王石】(はやし浩司 2012-11-04)
○動機
矢田山、そしてそのふもとにある矢田寺は、不思議な位置にある。
簡単に言えば、つぎのような位置にある。
(1) 比叡山・延暦寺と、高野山・金剛峯寺の、真中間にある。
(矢田寺ー延暦寺(比叡山)……47・74km)
(矢田寺→金剛峯寺(高野山)……48・83km)
(2) その中間点から、正確に90度の延長線上に、伊勢神宮がある。
(3) その延長線上、直下に、藤ノ木古墳と同時期にできた、別の円墳(割塚古墳)がある。
なお矢田寺の正式寺号は、「金剛山寺(こんごうせんじ)」である。
その名からもわかるように、矢田寺は、高野山金剛峯寺と深いつながりがある。
ただし真中間といっても、矢田寺がそこにあるわけではない。
矢田山の中の一点に、それがある。
で、こうした事実を積み重ねていくと、「何かがそこにある!」ということになる。
つまり矢田山の中の1点に、何かがある!
で、矢田寺の住職に問い合わせると、「あります!」と。
「王石とも、大石とも言う、丸い球体の石です。大きさは、6畳の部屋いっぱいにはいるくらいです」と。
延暦寺と金剛峯寺の中間点は、矢田寺から1キロほど、矢田山に入ったところ。
その王石も、矢田寺から、500メートルほど入ったところ。
距離も一致する。
○11月4日、日曜日
朝、7時49分の新幹線に飛び乗る。
名古屋で近鉄に乗り換え、大和郡山まで。
そこからバスに乗る。
昨日も、矢田寺の住職と話をする。
その訂正。
(1) 王石の上に、仙人がやってきて説法をしたという話は、私の聞きまちがい。
どうしてそんな聞きまちがいをしたのかは、わからない。
住職は壬申の乱のときの話をしてくれた。
そのとき「仙人の話はした覚えはありません」と。
で、王石のことをあれこれ、聞く。
「大きさは6畳の部屋、いっぱいに入るほどの丸い石です。
300~400メートル先から運んできたということですが、人間の力でとても運べるような石ではありません」など。
○証明
王石を見る。
それもひとつの目的だが、もしそこに何かがあれば、私が今まで書いてきたことが正しかったという証明になる。
つまりその(何か)で、私の説の正しさが、証明できる。
今回は、点と線を結んでいくうちに、そこに何かがあると確信した。
つまり起点(Datum Point)。
それがなければ、比叡山も、高野山も、伊勢神宮も、位置が決まらなかったはず。
異星人の立場でそれを考えれば、容易に理解できる。
……あなたは異星人だ。
ある日、あなたは奈良盆地のどこかに降り立った。
あなたはこう考えた。
「ここを拠点(Foothold)にして、人間を指導しよう」と。
が、ここで誤解してはいけないことがある。
比叡山にしても、高野山しても、そのころはまだ、ただの山。
延暦寺や金剛峯寺ができるのは、ずっと、あとのこと。
伊勢神宮にしても、そうだ。
仁徳陵にしても、仁徳天皇が、自分の墓として、それまであった古墳を利用しただけ。
だから今では、「大仙陵古墳」と呼ぶ人のほうが多い。
あれほどまでの数学的に緻密に計算されたつくした墓である。
仮に仁徳陵という名前であったとしても、仁徳天皇当時の人には、その「力」はなかった。
仁徳陵周辺にある3つの古墳の位置は、ギザのピラミッドの位置と、寸部たがわず一致している。
また各ピラミッドをつなぐ線は、それぞれ、世界の要所につながっている。
私が制作したビデオを見てもらえば、それがわかる。
○新幹線→近鉄線
新幹線で名古屋まで。
ほとんど、うたた寝。
名古屋から大阪難波まで。
途中、大和八木で乗り換え。
大和郡山へ。
今、その電車に乗っている。
近鉄線。
ワ「何か、あるんでしょう?」
私「あるに決まっている」
ワ「あればいいわね」
私「あるに決まっている」と。
矢田山には、何か、ある。
あるはず。
矢田寺の住職に確かめているとはいえ、一抹の不安が残る。
観光地にはなっていない。
たとえばそこから11キロ先には、あの酒船石遺跡がある。
が、そういったところには、私は興味がない。
写真にしても、グーグルで検索すれば、いくらでも手に入る。
研究されつくしている。
が、今度の「王石」はちがう。
その近辺の人以外、だれも知らない。
だからおもしろい。
○謎の点と線
あまりにもユニークなのか?
それとも飛んでいるのか?
ふつうYOUTUBEに動画を載せると、賛否両論、さまざまなコメントが寄せられる。
が、今回の『謎の点と線』については、批判的な意見は、ほとんど、ない。
「驚きました」「知りませんでした」「みなで検討してみます」「アクセス数が少ないのが、驚きです」などなど。
それもそのはず。
こうした手法で古代ミステリーに挑戦したのは、この私がはじめて。
ライバルはいない。
手本も見本も、ない。
つまり先駆者。
ユニーク。
が、それだけに道は、険しい。
○グーグル・アース
当初、私はグーグル・アースの使い方を、ほとんど知らなかった。
距離の測り方、角度の測り方すら、知らなかった。
グーグル・アースの画面をそのままファイルに保存できることさえ知らなかった。
私は、一枚一枚、写真に撮り、分度器で角度を測った。
さらに動画の作り方も、不慣れだった。
自分ではわかりやすく作ったつもりだった。
が、見た人から、「意味がわからない」という苦情が、何度か、届いた。
で、昨夜、第85号を超えた。
初期のころの動画と比べると、かなりわかりやすくなったはず。
ただつぎのように言ってきた人がいたのには、驚いた。
「こうした検証は、ただちにやめるべきだ」と。
神の正体を知る……という発想が、その人の逆鱗に触れたらしい。
○もとは、ひとつ。
マイナーな世界でも、神や仏は、ひとつ。
ためしに、敦煌(莫高窟)の仏像と、雲崗の仏像を線でつないでみるとよい。
敦煌側から雲崗に向かって線を引くと、機首角というのが、出てくる。
100分の1の単位まで表示される。
その機首角を正確に守りながら、東へと線を引く。
その線は、どんぴしゃりで、伊勢神宮の内宮へとやってくる。
この作業は正確であればあるほどよい。
つまり敦煌→雲崗→伊勢神宮は、真直線でつながっている。
が、ここで「?」と思う人もいるかもしれない。
敦煌、雲崗にあるのは、石仏。
釈迦像。
伊勢神宮にあるのは、天照大神。
仏と神?
どうしてその両者がつながるのか、と。
しかし敦煌にせよ、雲崗にせよ、はたまた伊勢神宮にせよ、太古の昔には標識しかなかった。
そのあと、その標識を頼りに、石仏が造られ、神社が建立された。
つまりもとは、ひとつ。
世界は、ひとつ。
○メジャー
今度はメジャーな世界。
世界のハブ空港は、言うまでもなくテオティワカン(メキシコ)である。
私が勝手に決めたのではない。
あちこちの遺跡に残る道標をたどっていくと、テオティワカンに線が集中する。
それでテオティワカン、ということになった。
そのテオティワカンからは、何本かの基本線が走っている。
ためしにテオティワカンの参道(死者の大通り)を、まっすぐ北へ延ばしてみるとよい。
これも正確であればあるほど、よい。
その真直線は、寸部の狂いもなく、モヘンジョダロへとつながる。
(同じように、モヘンジョダロの参道は、エジプトのギザにつながる。
参道、つまり道路というのはそういうもの。
一度できると、ほぼそのままの形で、遺跡と同じほど長く残る。
さらに付け足せば、「モヘンジョ・ダロ」は、「死の丘」という意味。
その基本線は、大きく分けて、4本、ある。
地図の上で見て、左から(1)東南アジア仏教ルート(南伝仏教ルート)。
このルートは、日本海を経由し、プレア・ビヒアへつながっている。
(2) 敦煌ルート(北伝仏教ルート)。
釈迦の生誕地である、ルンビニへは、このルートでいく。
敦煌から60度、西に曲がったところに、ルンビニがある。
(3) モヘンジョダロ・ルート(イスラム教ルート)。
モヘンジョダロの時代には、もちろんイスラム教はまだなかった。
ここでは便宜上、イスラム教ルートとする。
(4) ギザ・ルート(キリスト教・イスラム教ルート)。
当初は、テオティワカンから直接それぞれの地域に、異星人たちは往来していた。
が、釈迦、キリストの時代から、一度、北極に行き、そこから各地に、往来していた。
たとえば今回、同じ明日香村にある酒船石を調べた。
ナスカを示す線はあったが、当然あるべきテオティワカンを示す線はなかった。
このことは、あの酒船石は、ナスカをまだハブ空港として使っていた時代に、そこに造られたということを意味する。
それ以後の遺跡には、何らかの形で、かならずといってよいほどテオティワカンを示す表示がある。
ともかくも、私が書きたいことは、つぎのこと。
仏教も、キリスト教も、イスラム教も、もとは、ひとつ。
ものごとは原点に立ち返って考えてみればよい。
世界に、何種類もの神や仏がいること自体、おかしい。
絶対的な「善」が、何種類もあるほうが、おかしい。
矛盾する。
○矢田寺
矢田寺は、「寺」でありながら、参道は、仁徳陵と那智大社をつなぐ線と、真・平行になっている。
また反対側(西)へ行くと、中国の西安へとつながっている。
こうした芸当は、矢田寺を遠く宇宙から見ないとできない。
ナスカの直線にしても、地上で見るかぎり、でこぼこ。
その間にはかなり高低差のある山、谷もある。
が、宇宙から見ると、真直線。
……だれがそんなことをできたかということになれば、答など、改めてここに書くまでもない。
○変人
ただ残念なのは、こういうことをまともに書くと、この日本では変人扱いを受けること。
(たしかに変人かもしれないが……。)
が、どうしてか?
見たこともない神や仏を信ずる人は多い。
が、数学的に証明された事実をつきつけられても、信じようともしない。
そういうとき逆に私はこう思う。
「いったい、人間の脳みそはどうなっているのか?」と。
で、もし本物の神や仏ということになれば、カナダのアルバータ州にある、インディアンヘッドを拝めばよい。
信仰の対象となって、なんら不足ない像である。
なぜなら、あの像こそ、神の中の神(The God of Gods)の描いた絵だからである。
○津
今、電車は、津(駅名)を離れた。
少しずつだが、期待がふくらんでくる。
時間的に余裕があるので、まず、明日香村岡にある、酒船石遺跡、亀石を見る。
そのあと何らかの方法で、矢田寺に向かう。
午後2時に法事があるとか。
住職は、その前と後に、会ってくれるという。
王石は、そこにある。
クロス・ポイントは、矢田寺から1・1キロほど北のところ。
王石も、住職の話では、矢田山(矢田丘陵)に500メートルほど入ったところ。
位置は、一致する。
大きな丸い石で、そこにそれがあること自体、不思議な岩らしい。
わくわく。
楽しみ。
○人生観
ゆるやかな川を渡ったところで、窓の外を見た。
遠くに山脈と言ってよいほどの高い山々が見えてきた。
その昔、このあたりは、原野だったにちがいない。
その広い原野だったところを、(現在は多くが田)、電車が走る。
ワイフはこうした旅行が大好き。
電車に乗っているだけで、ハッピーなどと、言っている。
が、私は実利を伴わない旅行は、好きでない。
つまり「目的」。
目的のない旅は、むしろ苦痛。
これは多分に人生観のちがいによるものらしい。
私は子どものころから貧乏性。
無駄にお金を使ったりすることに、罪悪感を覚える。
それが、今は、「時間」。
無駄に時間を使ったりすると、「しまった」と思う。
が、今回の旅には、この3か月の労力が集約されている。
何かがあれば、無駄ではなかったということになる。
そうでなければ、そうでない。
(実際には、矢田寺が見つかったこと。
その近くに、無名の円墳が見つかったこと。
それだけでも、じゅうぶんと言えば、じゅうぶん。
それだけでも、私の言っていることが正しいという証明になる。)
が、異星人たちは、頭がよい分だけ、(地点)には、こだわる。
(点)と言えるほど、小さな点にこだわる。
(一度、点を決めたあとは、かなり大ざっぱになるが……。)
○異星人の脳みそ
私が推察するところ、異星人には感情というものが、あまりない。
あるいは感情とは無縁の世界に住んでいるのかも?
スタートレックに出てくる、スポック博士のよう。
地球上で、数万、数百万、数千万の人たちが、戦争をしたり、殺されたりしていても、知らぬ顔(?)。
その一方で、うるさいほど、(数学)にこだわる。
(数字)(角度)(形)にこだわる。
この地球について言うなら、(距離)には、無頓着。
頭の中は、12進数、もしくは60進数による数字だらけ。
無意識のうちにも、数字を使い、ものごとを考える。
思考回路がそうなっているらしい。
たとえばこれは私の想像だが、「Yes」「No」と言うときも、異星人たちは、「30%のYes」とか、「60%のNo」とか言っているのではないか。
つまり日本語のような、あいまいな言い方をしない。
「まあ、そういうところ」「適当にやっておきます」「前向きに考えます」「ほぼ、だいじょうぶです」と言うなど。
日本語では、そういう言い方をする。
で、「30%のYes」は、日本で言うなら、「まあ、そんなものでしょうか」に当たる。
だから異星人の学校では、数学が主要科目。
理科は天文学(=数学的な理科)。
社会は確率論(=数学的な社会)。
(これに対して、日本の教育のばあい、理科は、理科的な国語、社会は、社会的な国語と理解するとわかりやすい。
算数の文章題にしても、そうだ。
国語が苦手だと、小学生のばあい、あらゆる科目に影響する。)
○感情
感情に乏しい人たちということは、宗教にも強く現れている。
彼らがおおもとで指導したであろう、釈迦にせよ、イエス・キリストにせよ、はっきり言って、おもしろくない。
クソまじめ。
まじめすぎる。
ユーモアがない。
見るからに冷たい。
(その「冷たさ」に気づいている人は、少ないが……。)
釈迦やキリストが、ゲラゲラ、ワッハハハと笑っているところを、私は見たことがない。
泣いているところも、困っているところも、私は見たことがない。
そういう話を聞いたことがない。
どこか人間離れしている。
感情を超越したのが、神や仏ということになっている。
それはわかるが、それにしても、クール。
異星人にしてみれば、それがふつうかもしれないが、人間はそうでない。
豊かな感情が、人間生活そのものを、うるおい豊かなものにしている。
つまりその部分が、神や仏と、人間のちがい。
が、それがおかしい。
違和感を覚える。
だいたい宗教というのは厳粛なもの……という常識もおかしい。
ついでに教育論。
日本人というのは、「学校教育」という言葉に、独特の先入観をもっている。
寺小屋意識。
小坊主は本山で受ける教育。
それがそのまま日本の教育の基本になった。
だから、どこか暗~イ。
受け身。
(少なくとも、私たちが子どものころは、そうだった。)
どうして笑いながら勉強しては、いけないのか?
どうして遊びながら勉強しては、いけないのか?
○王石(おういし)
時刻は今、午後5時54分。
大和郡山で電車に乗った。
その電車の中。
駅。
大和西大寺(やまと・さいだいじ)。
……こちらの漢字は、むずかしい。
おとといも大和郡山の観光課の人と話したときも、そうだった。
私は「橿原(かしはら)」という字が読めなかった。
だからこう言った。
「木へんに、棒・田、棒・田」と。
すると相手の女性も、私に合わせてくれて、こう言った。
その「ボータ、ボータ電車に乗って、2つ目の駅で降りてください」
「わかりました、ボータ、ボータ電車で、2つ目の駅ですね」と。
○王石
(矢田寺・王石)
王石をしっかりと見てきた。
写真も、30枚ほど、撮った。
期待通りというか、球形の、不思議な岩だった。
大きさは、……写真でそのまま紹介する。
地面に埋まっていることも考えられた。
そこで底部をのぞいてみると、底部も球形だった。
地面との間に、しっかりとしたすき間ができていた。
つまりそこに自然にむき出しになった岩ではなかった。
それを丸く削ったというような岩ではなかった。
ということは、その王石は、どこからか、そこへ持ち運ばれてきた岩ということになる。
が、場所が、不自然。
王石は、矢田寺から歩いて15~20分足らずのところ。
距離にして、500メートル前後。
私が期待していた場所とは、やや離れていた。
が、すかさずワイフが助け船を出してくれた。
「上のほうからころがってきたんじゃない?」と。
私「そう言えば、300メートルほど上にも、丸い岩があるそうだ」
ワ「石切り場のようになっているそうよ」
私「なるほど。それなら理屈が通る」と。
つまりその昔、王石は、矢田山の頂上付近にあった。
それが何らかの理由で、下までころげ落ちてきた……。
ナルホド!
そう考えれば、頭の中がすっきりする。
ずいぶんと自分勝手な解釈だが、王石は、そう考えても不思議ではないほど、丸い形をしていた。
○誤差の補正
が、こういうふうにも考えられる。
冒頭で書いたように、矢田寺ー延暦寺(比叡山)は、47・74km(1)。
矢田寺→金剛峯寺(高野山)は、48・83km(2)。
誤差は、1090メートル。
しかし丸石の位置は、矢田寺から、比叡山よりに約500メートル。
そこで(1)と(2)の距離に、この500メートルで補正してみると、つぎのようになる。
王石→比叡山は、48・24km。
王石→金剛峯寺は、48・33km。
その誤差は、たったの90メートル。
(90メートルだぞ!)
矢田寺ではなく、王石そのものが、延暦寺と金剛峯寺が、真・中間にあることになる。
○ホテルAPA
今夜は京都駅前の、ホテルAPAに一拍。
(正式名は、「アパホテル」。)
11階のペントハウス。
夕食は駅前(北口)の地下街でとった。
そこでのこと。
ニューヨークから来たという3人組のアメリカ人と、友だちになった。
何を食べようかと迷っている様子だったので、あれこれ教えてやった。
ついでに、こんなことも教えてやった。
「どこのお米(ライス)を使っているか、聞いてから食べたらいい」と。
あぶないのは、ブレンド米。
ブレンド米といっても、割合の問題もある。
店で聞いても、そこまで教えてくれるわけではない。
「茨城米と京都米のブレンド」といっても、茨木米が95%、京都米が5%。
そういうことありうる。
……数日前も、私は、Jストアの近くにある、「HM寿司」(回転寿司店)という店へ入った。
その店でも、私は「ここはどこのお米を使っていますか?」と聞いた。
店員は「調べてきます」と言って奥の方へ消えた。
待つこと、5~6分ほど。
わざわざ店長がやってきて、こう言った。
「茨城米と、栃木米、それに秋田米、千葉米のブレンドです」と。
????
いろいろなブレンド米がある。
が、4か所のブレンド米というのは、はじめて。
しかもどれも、フクシマ周辺の米。
こうした米がいかに危険なものであるかは、ネットで調べればすぐわかる。
多くの人たちが、内部告発という形で、農協のデタラメぶりを暴露している。
測定値が高い米は、他県の米とブレンドして、測定値をさげる、など。
(私の意見がおかしいと思うなら、農協は、検査結果を公表したらよい。
それもしないで、何が、安全な米か?
つまり農協という組織は、農業関係者の利益(マネー)を守る団体。
消費者の命を守る団体ではない。)
前にも書いたが、この世界では産地偽装などというものは、あの事故以前から日常茶飯事。
風評被害というが、彼らが言う「被害」というのは、「マネー」の問題。
一方、私たちにとって「被害」というのは、「命」の問題。
今、風評以上の悪質な産地偽装、線量をさげるためのブレンドが、当たり前のようになされているという。
私とワイフは、その寿司屋では、米には手をつけず、ネタとソバだけ食べて、外に出た。
なお、こんなYOUTUBEもあった。
●デマ?
2011年8月付けの日付になっていた。
そのビデオの中で、小学生らしき子どもが、ひとりずつ放射線被害らしきものを告白していた。
鼻血についてのものが、多かった。
3・11大震災から、まだ6か月もたっていない、8月のことである。
そのYOUTUBEに対して、母親らしき女性が、猛反発。
こんなコメントを書いていた。
「こうしたビデオは、デマを広めるから、即刻削除しろ。
私の子どもも小学生だが、そんな子どもは、私の周囲にはいない」と。
しかしそれから1年。
今、43%の子どもの甲状腺に異常が見つかっている。
年齢別、性別にみると、55%前後に異常が見つかっているケースもあるという(2012年10月末)。
この先、子どもを中心に、被害は、どんどんと広がっていく。
遠からず、東京都の子どもたちも、フクシマの子どもたちと同じになる。
こうした意見について、デマと思う人もいるかもしれないが、これはけっしてデマではない。
現実は、デマ以上。
「東京都の50%の子どもが、がんで死ぬだろう」と警告している学者もいる。
だから私は3人組のアメリカ人たちに、こう教えてやった。
「日本政府の検査はアテにならない。レストランでは、どこの米を使っているか、しっかりと聞いてから食べること」と。
悲しいかな、日本人の私が日本政府を信用していない。
農協となると、さらに信用していない。
○京都から浜松へ
朝、6時、起床。
風呂に入り、帰り支度。
そのまま京都駅へ。
……今は、その新幹線の中。
で、今回の目的は、やはり「王石」。
全体に見ると、多面的な球体。
ところどころに、道具で削ったような跡もある。
が、何よりも大きな収穫は、その岩の底部。
底部を、たまたま通りがかった男性と3人で、掘れるだけ掘ってみた。
間を詰めていた小石を取り除いてみた。
が、外から見た範囲では、かなり奥まで、球形を保ったままだった。
ということは、王石は、もとからそこにあった岩を削って丸くしたものではないということ。
もとからそこにあった岩なら、そんなふうに削る必要はない。
また削ったら、その下の地面も、同質の花崗岩ということになる。
その下の地面は、ごくふつうの「土」であった。
ワイフは、「上からころがってきたのでは?」と言ったが、そうとでも言わなければ、なぜその岩がそこにあるか、説明できない。
王石というのは、そういう岩だった。
○酒船石
ついでに酒船石。
コンパスを使って測定してみた。
結果、東西示すと言われている縦線は、左右に、12~3度ほど、ずれていた。
巨大な岩だが、しかし重機を使えば、動かせない岩ではない。
周辺は、かなり開拓されている。
発見されてから、12年もたっていない。
道路を整備するときなどに、少し動かしたのかもしれない。
が、私の説が、それで影響を受けるわけではない。
私は、縦線が、正確に東西を示しているという前提で、線の方向を調べた。
その方向は、ギザ、ナスカ、プレア・ビヒア、東西のクロス・ポイントを、ほぼ正確に示していた。
酒船石は、方向を示す、標識だった。
太古の昔、異星人たちは、その標識を見ながら、そちらの方向へと旅立った。
正確な標識でなくてもよい。
ある程度の高度にあがれば、……たとえば高度100キロとか200キロまであがれば、あとは目視で、その場所に行くことができる。
彼らの使う乗り物、つまりUFOは、そういう乗り物だった。
○割塚古墳(わりつかこふん)
矢田寺から割塚古墳までは歩いた。
かなりの距離だった。
が、その価値はあった。
というのも、グーグル・アースで見ると、小さな円でしかない。
が、実際には、小山。
案内板には、「6世紀ごろ、このあたりに住んでいた豪族が造った」とあった。
盗掘されたので、「割塚」(割れた塚?)という名前になったという。
が、一見してわかるが、小さいといっても、人間が簡単に造れる大きさではない。
二階建ての家の高さを、楽に超える。
中には石版を敷き詰めた、(部屋)まであったという。
が、何といっても、最大の謎は、その位置。
割塚古墳は、伊勢神宮とクロス・ポイントをつないだ直線の、その真下に位置する。
「偶然」という言葉が好きな人は、偶然という言葉を使い、自分の常識を守ろうとするだろう。
しかしそれを計算に入れても、割塚古墳は、とても偶然とは言えない位置にある。
○矢田寺の参道
矢田寺の参道は、一直線ではない。
途中で2か所、曲がっている。
曲がっていたのでは、基準線として使えない。
グーグル・アースで見ると、矢田寺の参道は、西方向に、中国の西安につながっている。
それについて住職にたずねると、こう話してくれた。
「石畳の参道は、ずっとあとになって造られたものです。
曲がっているのはその石畳の参道のほうです。
たぶん、塀に沿って、その中央に造られたためではないかと思います。
もとの参道は、ほら直線です」と。
住職は私たちを参道へ案内し、そこでそう説明してくれた。
つまり坊舎に沿って、塀が造られた。
その塀にそって、つぎに参道が、石畳に造り変えられた。
それで参道が、途中で曲がっているように見えるようになった、と。
○唐の長安
私が「西安」という名前を口に出すと、住職はキリッと顔を緊張させた。
すかさず、「長安ですか!」と。
私も知らなかった。
が、矢田寺(金剛山寺)は、高野山金剛峯寺と深い関係にある。
高野山金剛峯寺は、弘法大師によって開山されている。
その弘法大師は、長安、つまり現在の西安で学んでいる。
つまりこうして(矢田寺の参道→西安(長安)→弘法大師→高野山金剛峯寺→金剛山寺(こんごうせんじ)は、線でつながる。
矢田寺の参道が、中国の西安(長安)をまっすぐ示しているというのは、偶然なのか。
参道の先は、そのまま本堂になっている。
不思議と言えば、不思議。
矢田寺を建立した人は、はるか遠くの西安(長安)の位置を、正確に知っていた!
○終わりに……
こうして私たちの、短い謎解きの旅は終わった。
次回は、那智大社。
もしくは高野山金剛峯寺。
どうしても確認しておきたいことが、いくつかある。
では、今日はここまで!
2012年11月05日、午前8:47分 はやし浩司
(はやし浩司 矢田寺 矢田山 矢田丘陵 比叡山 高野山 延暦寺 金剛峯寺 金剛山寺 長安 はやし浩司 酒船石 奈良 大和郡山 明日香村岡 酒船石遺跡 奈良盆地 矢田寺の王石 割塚古墳 藤ノ木古墳 教育 林 浩司 林浩司 矢田寺 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 はやし浩司 2012/11/05記 )
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