2012年11月3日土曜日

85 Mystery of "King Rock" at Yata-yama, Yamatokooriyama, Nara, Japan

【矢田山の王石】(2012年11月02日) 近く大和郡山市矢田にある、「王石」を尋ねてみます。 謎の大石です。 その日記です。 なお各地から、ブーメラン型UFOを見たという報告が届いています。 これはそのエッセーです。 2012年11月3日 併せて、酒船石遺跡についての謎。 世界初の地動説の謎についても、調べました。 はやし浩司 http://youtu.be/pGRk26Tig7E ○矢田山  11月x日、私とワイフは、矢田山へ行くことにした。 正確には、「矢田丘陵」と呼ばれている。 「山」というよりは、低い丘陵地帯になっているらしい。 その矢田山には、「王石」とも、「大石」とも呼ばれる、巨石がある。 ふつうの巨石ではない。 近くにある、矢田寺の住職は、電話でこう話してくれた。 「その昔、……といっても、平安時代のころですがね、その石は天からおりてきたということです。 そのあと仙人がよくその岩の上で、民に説法を繰り返したということです」と。  矢田山……奈良県大和郡山市矢田町の郊外にある山をいう。 近くには、法隆寺もある。 電車の駅でいえば、奈良市からJRでひとつ目の駅。 「うちの寺も、法隆寺と同じころ建てられた寺です」とも。 その住職はまた、こんなことも教えてくれた。 「うちのそばにも、古墳がありますよ。 法隆寺の藤ノ木古墳と、同じころにできた古墳と言われています。 近くに県立工業高校があり、県道をはさんで、その反対側です」と。 私「やはり円墳ですか」 住「そうです。円墳です。でもね、今は盗掘されて、何も残っていません。ときどき、まが玉が発見されるというような話は聞いていますが……」と。 ○予約  その日の朝早く、でかける。 そのまま矢田山へ直行。 矢田山には、もうひとつ別の寺がある。 その寺には、明日にでも、電話を入れるつもり。  その日は、矢田山を探索。 住職の話では、矢田寺から歩いて20分ほどの距離という。 「王石」なるものの正体を、突き止める。 で、そのあと京都に戻り、京都の駅前のホテルで一泊。 翌朝、新幹線で帰ってくる。 そんな計画を立てながら、教室に向かった。 教室の留守番電に、九州の日田市に住む、橋本氏から電話が入っていた。 ○二度目の目撃  「また同じUFOを見ました。 今度は、妻と娘と、3人で見ました。 一応、報告まで」と。  前回、橋本氏から電話があったのは、7月13日ごろ。 「あなたが見たのと同じUFOを見ました。インターネットで検索したら、あなたの書いた新聞記事を見つけました。それであなたに電話しました」と。 電話を受け、その週末に、私とワイフは、九州へ飛んだ。 7月16日(月曜日、2012年)のことだった。 話を聞きたかった。 橋本氏は、模型まで作り、私たちを待っていてくれた。 その橋本からの電話だった。 11月1日、木曜日。  折り返し電話を入れると、橋本氏の妻が出た。 やや興奮した口調だった。 妻「今度はね、私も見ました。娘も見ました。主人が見たのと同じUFOです。……私、目がいいんです。窓の数も、8つ見ることができました」と。 私「それは運がよかったですね。つづけて同じUFOを見るなんて」 妻「ただこの前夫が見たのとちがい、かなり上空を飛んでいきました。ものすごいスピードでした」と。  前回(2012年7月)、橋本氏がUFO……それはまさにブーメラン型のUFOだったが、それを見たときには、UFOは、近くのビル、すれすれの高度を飛んでいたという。 大きさは正確にわからないが、ふつうの旅客機の3倍ほどの大きさだったという(1回目)。  が、今度は、目撃者は、3人! 夫婦と娘さん(30歳)。 まちがいない! ○UFO  UFOを見たことがない人は、徹底的な懐疑論者になりやすい。 「徹底的」というのもおかしな話だが、要するに、否定派。 当然のことである。 一方、実際見たことがある人は、それを起点にして、ものを考える。 それがその人の常識になる。  橋本氏にしても、そうだ。 それまでは、徹底した懐疑論者。 そういった話には、耳を傾けなかった。 娘さんがいるが、その娘さんは、小学生のころ、UFOを目撃している。 それについても父親である橋本氏は、「人には話すな」と強く口止めしていたという。  が、自らが目撃してからは、意識が逆転する。 UFOに対する考え方が、180度、変わる。 それまでの非現実的な話が、現実になる。 それまでの現実的な話が、非現実になる。 ○謎の点と線  橋本氏には仕事が終わってから、電話を入れることにした。 が、そのあと妙な、今まで経験したことがないような意識が、ぼんやりと心の中からわいてきた。 私はワイフにこう言った。 私「何がなんだか、訳がわからなくなってきた……」 ワ「……」 私「ずっと謎の点と線を調べてきただろ。その結果かもしれない」と。  謎の点と線。 たぶんたいていの人は、こう思っているにちがいない。 「あのはやし浩司は、自分に都合のよい事実だけを集め、それを使って持論を組み立てている」と。  が、事実は、まったく逆。 ○喜び  たとえばどこかの点と点を結んだ(線)を調べていたとする。 ある程度は、勘を頼りに調べる。 が、そのとき、そのあと、どういう結果が出るか、それについては先入観をもたない。 先入観をもつと、そのあとの喜びが半減する。 つまりそのあと、角度がドンピシャで決まったりすると、まず驚く。 驚くと同時に、ドンと喜ぶがわき起こってくる。 それはまさに荒野で宝石を見つけたような喜び。 それが、腹の底からわいてくる。 その(喜び)には、格別なものがある。  それが楽しいから、またつぎの謎解きに挑戦する。 ○ジグソーパズル  ここでも誤解してほしくないことがある。 不思議なことに、本当に不思議なことに、謎のまま終わるということは、まずない。 学校で解く数学の問題のように、「解答」が、ちゃんと用意してある。  もちろん例外がないわけではない。 たちえば少し前、エジプトのEdfuの遺跡を調べていたときのこと。 遺跡の前の、模様になった通路が気になった。 3組の平行線と、円で、その通路は描かれていた。 が、どう調べても、線どうしの関連性が浮かびあがってこなかった。 そのときはじめて、ギブ・アップという言葉を使った。 遺跡の中心部、約3分の1と、遺跡の東側の大半が、泥で埋まっていた。 それでは、問題は解けない。 で、ギブ・アップ。    つまり謎といっても、向こう側のほうから答が出てくる。 私はワイフによくこう言う。 「まるでジグソーパズルを解いているような気分」と。  つまりチップ(答)は、必ずある。 最初から、そう、できている。 あえて私のほうが答を用意する必要はない。 あれこれチップを動かしているうちに、それがどこかへ、ピッタリと重なっていく。 けっして自分にとって都合のよい事実だけを集めているわけではない。 ○ブーメラン型UFO  ブーメラン型UFOについての報告例は多い。 写真も何枚か、公表されている。 うち1枚は、橋本氏が見たUFOとそっくりだった。 べつの1枚は、私とワイフが見たUFOとそっくりだった。  ただ橋本氏は、「く」の字型UFOという言葉を使った。 今回、大阪で見たというNR氏は、「へ」の字型UFOという言葉を使った。 「ブーメラン型」というのは、それを知っている外国人から出てきた言葉ということになる。 表現のし方はいろいろだが、形は同じ。  前回も紹介したが、NR氏からのメールをそのまま紹介させてもらう。 ○NR氏より、はやし浩司へ 『はやし浩司さまへ こんばんは お忙しい中を早速のメールありがとうございます。 ケータイ番号は 080-6176-xxxxです。 私の入力ミスだったかもしれません。 UFOの進行方向ですが、地図を見ながら確認しましたが、自宅(泉北高速鉄道光明池駅、府立母子医療センター、関西電力南大阪変電所、光明池、和泉市立球技場の近くです)の上空を渡り鳥のようなスピードで無音で北へ、そしていつの間にか光体の編隊2つが数個の円窓がある「ハ」の字型の1つの機体に変っていて、ある地点から急に東側へ60度ぐらい向きを変えて、しかもスピードを加速するとともにさらに上空へと消えていきました。 (カーブではなかったので生物ではなく機械もんだと感じました)。 自宅上空は関西空港等からの飛行機もよく見ますし、近くに信太山自衛隊演習場からのヘリコプターもよく見ます。 UFOの飛行コースがあるなんて知りませんでした。 「く」は見る側によって「へ」でもあり、新聞記事の絵がすごく印象的です。 今後ともよろしくお願いいたします。』 ○現実離れ    先の話に戻る。  こうしてUFOを追いかけていると、現実がどんどんと遠ざかっていくのがわかる。 ぼんやりとしてくる。 「ここにいる私は、本当に私なのか」とか、「人間とは何なのか」とか、そんなところまで考えてしまう。    ……私は信仰というものを知らない。 現実主義者である。 UFOは別として、ほかの超常現象には、ほとんど興味がない。 その私から、現実感が消えていく。 これは今までにない、不思議な体験である。 だから今、こう思う。  「熱心な信仰者もこうなのかな?」と。  熱心な信仰者……何かのカルトの信者でもよい。 会って日常的な会話をするかぎりは、ごくふつうの人である。 しぐさも様子も、ふつう。 私たちと、どこもちがわない。 が、どこか変。 かみ合わない。 基本的な部分で、ものの考え方が現実離れをすると、そうなる。  今の私は、明らかに、そうなりつつある(?)。 ○夜、9時  橋本氏に電話をする。 大分県の日田市で割烹を営んでいる。 元町の「花門」という割烹である。 その橋本氏にしても、NR氏にしても、こう言った。 「実名を公表してくれてもいい」と。  私はそのつど、どこか遠慮がちに、「どうしましょうか?」と聞く。 実名を出すことに、躊躇(ちゅうちょ)する。 しかしみな、こう言う。 「出してください」と。  が、自分のこととして考えると、よく理解できる。 「見たものは、見た。それがどうして悪いことなのか?」と。 ○山形大学  今朝の新聞(日経新聞・11・1)によると、今度、山形大学が、ナスカ(Nazca)に、研究室を開設するという。 その記事を読んで、一言。 「今ごろ?」「なぜ?」と。  つい先日も、現地に10年近くも住み、研究成果を発表した学者がいた。 結果は、簡単に言えば、あの「線」にしても、冬至&夏至に太陽が昇る方向&沈む方向を示している、と。 何本かの線が、その方向と一致したという。 (以上、記憶によるものなので、内容は不正確。 あまりにもバカバカしい説なので、あえて反論しない。)  また別の学者は、地上絵の近くで見つかったクイ(木の杭)の年代測定から、ナスカの地上絵の成立年を、700年ごろとしたという。 (この話もあまりにもバカバカしい説なので、あえて反論しない。)  山形大学の研究者には悪いが、そんな程度の研究をするために、「研究室」? そんな無駄な予算を使うくらいなら、アメリカの「ブライスの巨人(Brythe Intaglios)」、イギリスの「巨人絵(Cerne Abbas giant)」との共通点を調べたほうがよい。 ともに地上絵だが、作成方法は、同じ。 表層部の黒い土壌を取り除き、その下の明るい土壌を露出させて、描いてある。 素人の私でも、写真を見ただけでわかる。 どうして同じなのか、それを調べたほうがよい。  どこのバカが、たかが夏至や冬至の日の出、日没の方向を知るために、何キロもの長い線を引くか! ものごとは、常識で考えたらよい。  また宇宙から見なければわからないような直線を、木のクイを使ってどうやって描くのか。 中には幅20メートル、長さ10キロの真直線もある。  つまり一度、UFOを目撃したことがある人は、私のような判断が、自然な形でできる。 一方、見たことがない人は、地球という井戸の中でものを考える。 小さな世界の、既存の常識に固執する。 ○ビデオ  ともあれ、「王石」には、何かがある。 あることは、私が作ったビデオを見てもらえば、わかる。 それをここに添付する。  ……で、私はここで確信的に、こう書く。 「何かがあるはず」と。 つまりいつも私の謎解きは、こうして始まる。 「何かがあるはず」と。  そう確信させるのは、……というか、その原動力になっているのは、あのUFOである。 「見たものは見た」という事実。 その事実が、私をしっかりと支える。  もしこの段階で、そうした確信がもてなかったら、私は矢田山などには、行かない。 時間と費用の無駄。 それに労力の無駄。 なお誤解がないように書いておく。  私は矢田山の近くにある寺の住職と話すとき、UFOだとか異星人の話はいっさいしなかった。 「天から(王石が)おりてきた」「仙人」という話は、住職のほうからあった。 私のほうが誘導したわけではない。 が、私は直感した。 「何かあるはず」と。  というのも、オーストラリアにも、こんな伝説がある。 アボリジニーズの間で伝わる説である。 あのエアーズロック(Ululu)は、天からおりてきたというのである。 「落ちた(dropped)」ではない。 「おりてきた(came down)」である。 私はその話を、1970年代、オーストラリアに留学中、何度も耳にした。  この結果、つまり王石の検証結果は、近日中に報告する。 乞うご期待!、ということになる。 ○酒船石遺跡(さかふね・いせき)  同じ明日香村の岡というところに、酒船石遺跡というのがある。 縦5・5メートル。 横3・5メートル。 厚さ、1メートル。 巨石である。 その巨石に、奇妙な模様が彫り込んである。 巨石がそこにあること自体、大きな謎だが、その模様も、また謎。 あの松本清張も、謎解きに挑戦している。 が、どれもトンチンカン。  酒を流し宴会をしたとか、何かの化学物質を、そこで合成したとか、など。 が、私は一見して、方向を示す道路標識とわかった。 一方の頂点の角度が、29度、29度になっているという。 それでピンと来た。  さっそく作業開始。 ……というか、謎は5~10分足らずで解けた。 それぞれの線は、ナスカ(ペルー)、ギザ(エジプト)、プレア・ビヒア(カンボジア)を示していた。 ほかに、クロスポイント(東)、クロスポイント(西)を示している線もあった。 酒船石は、やはり道路標識だった。  ただここからの作業が、めんどう。 どうそれをビデオ化していくか。 また編集、レンダリング(形式変換)、アプロードにも時間がかかる。  で、ここで興味深い事実を発見した。 酒船石は、肝心のテオティワカンを指し示していない。 それよりも古いナスカを指し示している。 (本来なら、ナスカではなく、テオティワカンを指し示すはず。) ということは、酒船石は、ナスカをまだハブ空港としていた時代に、作られた。 これに対して、比較的新しい遺跡では、テオティワカンを指し示すことが多い。  長い間、点と線を調べていると、そんなことまでわかるようになる。 ○仮説  話はそれるが、私は古代文明を、つぎの4段階に分けて考えている。 (1) 南極時代(南極をハブ空港として使っていた時代) (2) ナスカ時代(ナスカをハブ空港として使っていた時代) (3) テオティワカン時代(テオティワカンをハブ空港として使っていた時代) (このときは、テオティワカンからの直接ルートを使っていた。) (4) テオティワカン→北極ルート時代 (一度、北極に集合し、北極から全世界に散った。)  釈迦、キリストの時代には、すでに(4)のテオティワカン→北極ルートは確立していた。 (テオティワカンからの直接ルートも、同時に使われていた。) 酒船石には、ナスカにつながる線はあっても、テオティワカンにつながる線はない。 だから先に書いたように、酒船石は、「酒船石は、ナスカをまだハブ空港としていた時代に、作られた」ということになる。 ○疑問  が、疑問がないわけではない。 酒船石についてで、ある。  仮に「方向」を示すとして、なぜ、わざわざそんなものを作ったか。 もっと楽にできる方法はあったはず。 「地図」という方法もあっただろう。  が、それについては矢田寺の住職が、こう話してくれた。 「王石には、仙人がおりてきて、よく説法をしていたという話です」と。 仙人イコール、異星人と考えると、謎は氷解する。 異星人は、このあたりへやってきて、私たち人間に、何かを伝えようとしていた。 酒船石から矢田寺までは、奈良盆地をはさんで、11キロほどしか離れていない。  私は自分の職業柄、すぐこう考えた。 「教材か何かに、使ったのだろう」と。 またそう考えると、楽しい。 「この線をまっすぐたどると、エジプトのギザというところへ行くぞよ」と。 ともあれ現地へ行けば、また別の何かが発見できるはず。 ○正体  が、あと一歩で、あのUFOの正体をつかめるような気がする。 「気がする」というだけの話だが、頭の中がモヤモヤし始めた。 「彼ら」の居場所も、ほぼつきとめた。 あとはその傍証を固めるだけ。  異星人がいるかいないかということになれば、いるに決まっている。 疑っていない。 あの夜、私とワイフが見たUFOが、その証拠である。 橋本氏が見たUFOが証拠である。 NR氏が見たUFOが証拠である。  言うなれば目的地のわかった、謎探しの探検。 こんな言い方は不謹慎かもしれないが、楽しい。 おもしろい。 で、ワイフはときどき、こう聞く。 「あなたの目的は何?」と。 そのつど私はこう答える。 「正体がわかれば、それでいい。それ以上、何も望まない」と。 2012/11/03朝記 はやし浩司 (はやし浩司 矢田寺 大和郡山市矢田町 酒船石 酒船石遺跡 謎の酒船石遺跡 王石 矢田山 王石 大石 仙人 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ) Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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