2011年5月5日木曜日

*My E-Magazine in 2002 by Hiroshi Hayashi

件名:☆★☆子育て最前線の育児論byはやし浩司☆☆H. Hayashi, Japan☆★☆12-1-1

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How to cope with Kids at Home, by Hiroshi Hayashi
  Digital Magazine for Parents who are bringing up Children in the Forefront Line
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★ ★★★★★★★★★★★★★
02-12-1号(147)
★ ★★★★★★★★★★★★★
by はやし浩司(ひろし), Hiroshi Hayashi
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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● 静岡市にて、講演会をもちます。よろしかったら、おいでください。
   03年6月24日(火) アイセル21 午前10時~12時
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「はやし浩司のホームページ」に新しく動画コーナーをつくりました。私の生の声などを収録しました。どうかおいでください。サイト・トップページより、どうぞ!
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q ・・│\\  (( ( ((  //│・・ p
   O ) つ⊆        В⊂ ( フ
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      ___ \____/ ___  一緒に、心の鍋物を食べましょう!
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みなさんへ、いつも、このマガジンを購読してくださり
ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
●Hello, my friends overseas!
From this edition on, my magazine is translated into English
for your convenience. I hope you may enjoy this magazine
in your home country. Hiroshi
Hiroshi Hayashi, Japan
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メニュー
今日のテーマ、「心のメカニズム」(心について考えてみました)

【1】子育てポイント(How to cope with Kids at home)
【2】随筆(Essays)
【3】心のメカニズム(What is mind?)
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  C ・ ・| /▲\
  入" o ") (▼ ▼)
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  / / F| 彡 `─´
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●マガジンのバックナンバーは、
http://www.emaga.com/bn/list.cgi?code=hhayashi2
【1】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

指は便利な計算機

 人間がなぜ十進法を使うようになったかといえば、指が十本だったから。もし人間の指が、三本や四本だったら、三進法や四進法になっていたかもしれない。

 幼児は、ものを計算するとき、指を使う。親が教えるときもあるが、だれに教わるということもなく、使い始めることもある。これは「数」を、「具象化」するためである。たとえば「2+3」は、「○○と○○○」と具体的に図形化し、それを数えて計算する。そういう意味では、計算をするとき、指を使うことは、悪いことではない。むしろ子どもがある程度、ものを数えられるようになったら、指の使い方を教えるとよい。で、そのとき、つぎのような指導をすると、あなたの子どもは、計算に強い子どもになる。

(1) 指を見ないで、数を具象化させる……たとえばあなたが、子どもに「4!」と言い、子どもに、頭の上で、指を4本のばさせる。このとき、子どもに自分の指を見させてはいけない。なれてくると、子どもは、即座に、7とか9をつくることができるようになる。
(2) 早数えの練習をする……「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」から、「イチ、ニ、サン……」、さらには、「イ、ニ、サ……」と、数えられるように練習する。たとえば1から10までを、「イ、ニ、サ、シ、ゴ、ロ、シ、ハ、ク、ジ」と、数えさせる。さらにそれができるようになったら、数を信号化させるとよい。「ピッ、ピッ、ピッ……」と。具体的には、手を早くパンパンと叩かせて、それを数えさせる。
(3) 年長児になったら、指から、今度は、丸を描かせるようにして、計算させる。たとえば「2+3」は、丸を二つと、三つを描かせ、それを数えさせる。少しめんどうだが、めんどうだと思うから、今度は、子どもは頭の中で数え始める。それをねらう。

 なお計算力があるからといって、算数の力があるということにはならない。計算力と、算数の力は、まったく別のものである。計算力は訓練で伸ばすことができるが、数の力を伸ばすのは、容易ではない。

((((⌒((  ヽ
   ヽ│6 6 ρ )
    人 ▽ 人′ ~♪
   ( _) (_ )
    /′ V (ヽ       秋が深まってきました。
   /│田│ 田│ヽ        外出には、とてもすばらしい季節ですね!
   / │ │  │ ヽ

          ⊂▼▼ ⊃
【2】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

老後(2) 

 おととい、Nペイントという、日本でも一、二を争うペンキ会社で、会長をしていたというT氏が、久しぶりに我が家へ寄ってくれた。一五年ぶり? 玄関で会ったとき、「お元気ですか」と言いかけたが、思わず、その言葉がのどの奥に引っ込んでしまった。T氏は、すっかり老人ぽくなってしまっていた。

 居間でしばらく話していると、やがて年齢の話になった。私が「五五歳になりました」と言うと、「いいですねえ、これからですよ」と。私が驚いていると、こうつづけた。「ちょうどバブルのころということもありましてね。私が本当に自分の仕事ができたと思うのは、五六歳から六三歳までのときでした。頭も体も、すこぶる快調で、気持ちよく仕事ができました」と。

 実のところ、私は、自分でも実感できるほど、体の調子がよい。昨日も講演先の小学校で、階段を三段とびにのぼっていたら、あとから追いかけてきた校長が、「足がじょうぶですね」とほめてくれた。「はあ、自転車で鍛えていますから」と答えたが、そのおかげというか、健康には、これといって、不安なところはない。ダイエットしたおかげで、どこか頭の中もスッキリしている。

 私は年配の人が、私に向かって、「若くていいですね」と言うときは、いつもそれを疑ってしまう。「本当にそうかな?」「なぐさめてくれているのかな?」「お世辞かな?」と。五五歳になった私の印象としては、「先が読めない」という不安感のほうが強い。「これからはガンになる確率がぐんと高くなる」とか、「これからはすべてが先細りになる」とか、そんなことばかり考える。よくワイフは、「あなたは、見かけは若々しいけど、中身は老人ぽい」と言うが、本当にその通りだと思う。

 ルソー(フランスの思想家、一七一二~七八)が、『エミール』の中でこう疑問を投げかけている。多分、これを書いたとき、彼も今の私と同じ、五〇歳代だったのだろう。

 「一〇歳では菓子に、二〇歳では恋人に、三〇歳では快楽に、四〇歳では野心に、五〇歳では貪欲に動かされる。人間はいつになったら、英知のみを追うようになるだろうか」と。

 あのルソーですら、「貪欲に動かされる」と。いわんや私をや……と、居なおるわけではないが、五五歳というのは、ちょうど、「そうであってはいけない」「しかしそういう自分も捨てきれない」と、そのハザマで悩む年齢かもしれない。まだ野心の燃えカスのようなものも、心のどこかに残っている?

 T氏はさかんに、「まだまだ、これからですよ」と言ってくれたが、「これから先、何ができるのだろうか」という思いも、また強い。またそういう思いとも戦わねばならない。「貪欲さ」がよくないとはわかっているが、しかしそれがなくなったら、生活の基盤そのものが、あやうくなる。働いて、仕事をして、稼ぎを得て、それで生きていかねばならない。私のばあい、悠々自適(ゆうゆうじてき)の年金生活というわけにはいかない。いわんや「英知のみを追う」などというのは、夢のまた夢。

 そうそうT氏は別れぎわ、こうも言った。「林さんは、いいねえ。道楽が多くて……。私なんぞ、人間関係のウズの中で、自分を支えるだけで精一杯でした」と。しかしこれは、T氏一流の、私への「なぐさめ」と理解した。
(02-11-22)

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●「だれも、私たちの未来を禁止することはできない」
(No one can forbid us the future.)

 そのときはわからなくても、歳をとるとわかるというようなことはよくある。英語とて例外ではない。 

 有名な政治家に、レオン・ガンベッタ(Leon Gambetta、1838-82)がいる。フランスの政治家である。彼は、これまた有名な言葉を残している。それが、
 
 No one can forbid us the future.

 である。

 もともとフランス語だった言葉を、英語に訳したものだから、この英文が正確なものであるかどうか、少し心配なところがある。しかし私はこの言葉の訳に、ずいぶんと悩んだ。直訳すれば、「だれも、私たちの未来を禁止することはできない」ということになるが、しかしそれでは、意味がわからない。

 この文では、「forbid」が、重要なカギを握っているのがわかる。私が知っている意味は、ここに書いた「禁ずる」という意味。そこで念のため、あらためて手元の辞書を調べてみると、やはり「禁ずる、許さない」という意味しかない(大修館書店版の「ジーニアス英和辞書」)。たとえば、「She forbade me to join the party.(彼女は私がその仲間に加わるのを禁じた)」というような使い方をする(同辞書より)。

そんなわけで、私はいつだったか、若いとき、この文をはじめて読んだとき、「どうしてこんな言葉が、それほどまでに有名な言葉なのだろう」と、不思議に思ったのを覚えている。しかし、この文の重要なカギは、実は、「forbid」ではなかった。カギは、だれでも知っている単語の、「future(未来)」のほうにあった。

 「自由」とは何か。好き勝手なことを気ままにすることを、自由と考えている人は多い。しかしこれは誤解。もともと「自由」という言葉(中国語)は、「自らに由(よ)る」という意味である。自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとることをいう。しかしだからといって、それがそのまま英語でいう、「liberty(自由)」のことだと考えるのは正しくない。たとえば英語で「自由」というときは、「自分の意思に従って行動できる人間としての基本的権利」をいう。そこでもう一歩、この考えを押し進めると、「自分の意思に従って行動する」というのは、「自分の未来は、自分で決める」ということであることがわかる。言いかえると、私たちが自分の未来を決めるとき、だれにもさしずされてはいけないということ。またそんな権利はだれにもないということ。もちろん自分の未来を禁止されるなどということは、絶対にあってはいけない。

 そこでもう一度、先の英文を読み返してみると、今度は、スンナリと意味がわかる。つまり「だれも、私たちの未来を禁止することはできない」というのは、たとえばあなたが自分の意思で行動しようとするとき、それを「そうしてはダメだ」と、禁止することは、だれにもできないということ。それがどんな未来であれ、その未来を決めるのは私たち自身である。そしてそれこそが、「自由」の意味だ、と。何でもないような言葉だが、この言葉は一方で、まさに、「自由」の基本原理を説明しているのがわかる。

 私もこの年齢になって、英語でいう「liberty(自由)」の意味が、おぼろげながらわかるようになった。そういう点では、私は若いときから、「自由だ、自由だ」と思ってはきたが、本当のところは、その意味がわかっていなかったことになる。が、このところやっと、自由の意味がわかってきた。と、同時に、はじめて、このガンベッタの言葉の意味がわかるようになった。

 「だれも、私の未来を禁ずることはできない」というのは、もう少しわかりやすく言うと、「私の未来は、自分で決める。それをさまたげる人は、だれもいない」ということになる。「自由論」の一つとして考えてみた。

●本物の「自由」とは何か。みんなでそれを考えてみよう。

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私の料理

 私は、よく自分で料理をする。しかし同じ料理をつくったことがない。いつも何か新しい料理に挑戦する。そしてたいてい、いつも(当然だが……)、失敗する。方法は、こうだ。

 まず仕事の帰り道に、本屋で料理の本を立ち読みする。その種の本は、めったに買わない。そしてその本の中から、「これは!」と思う料理を選ぶ。そしてその作り方を、読んで暗記する。ときどき、本屋を出たところで、紙切れにメモすることはある。

 そして数日内に、(たいていは翌日に)、その料理を、自分で作る。私が選ぶ料理は、まあ、そんなわけで、「とんでもない料理」(ワイフ談)ばかり。日本でもめったにお目にかかれないような日本料理とか、アフリカや中近東の料理とか。先日は、イラン料理をつくったし、つぎにどこの名物料理か忘れたが、「ほうろく鍋」というのも作った。このほうろく鍋のときは、野菜の水分が、底に敷いた塩をまざってしまい、大失敗。塩からくて、とても食べられなかった。

 もちろん定番もある。ニンニクライス、雑炊、ビーフステーキ、チャーハンなど。こまごまとした技術が必要な料理は苦手。おおざっぱに、火を使って作る料理が得意。あるいはその場にある材料を使って、即座に作る。知恵を働かせ、機転をきかせてつくる。昔、『料理の鉄人』というテレビ番組があったが、そんなわけで、あの番組だけは、毎回、欠かさず見た。

 ほかに、ほとんどできあがっているレトルト(パウチ)食品を、もとの原型がわからないほどまでに加工して作ることもある。説明書など、ほとんど、読んだことがない。そうそう私がつくるカレーライスは、絶品だ。最近は、タイ風の味つけに、ココナツミルクを入れる技術を身につけ、山荘などにくる客人などに喜んでもらっている。

 もうひとつの私の料理の特徴は、ほとんど食器を使わないこと。道具もあまり使わない。これはあとで洗うのがめんどうだから。今夜の夕食も、私が作ったが、使った皿は、二枚だけ。あとはフライパンと箸だけ。見るに見かねて、ワイフが、スープを自分で作ったが、それだけ。何品か作るときも、大きな皿に並べて盛りつける。

一応、ワイフはいつも、「おいしい」と言って食べてくれるが、本当のところは、わからない。今夜の料理も、実のところ、名前がつけられないほど、不思議な料理だった。あえて言うなら、タイ風焼きそばシーフードチャーハン。その料理を食べながら、たがいに、「今度、○○というレストランで、△△を食べようね」「北海道のラーメンを食べてみたいね」と、そんな話ばかりしていた。ハハハ。

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話のタネに、……北朝鮮の教育制度

 あの北朝鮮という国は、日本から見ると、何もかもヘンな国だが、教育制度は、日本のそれと、それほど、違わない?

 ただ大学を卒業しても、就職先は、国が決めるという。職業選択の自由はないらしい。以下、重村知計著「北朝鮮データブック」(講談社現代新書)より、おおまかなところを拾ってみる。

● 子どもは満四歳になると、二年制の幼稚園に入る。
● 六歳からは、小学校にあたる、人民学校に入る。
● その人民学校を終えると、六年制の高等中学校に入る。ここまでが義務教育。
● 大学進学は、成績と、出身成分によって左右され、また党幹部の子弟が優先される。とくに金日成総合大学には、党幹部の子弟が優先的に入学する。
● 人民学校では、金日成の革命活動や革命歴史が主要科目になっている。
● 高等中学校でも、同様の科目が主要科目になっていて、これらの科目の成績が悪いと、大学進学はむずかしい。
● 北朝鮮の大学数は、二八〇校で、大学生は、三一万四〇〇〇人。金日成総合大学は、一五の学部に分かれ、学生数は、一万二〇〇〇人。
● 高等中学校六年生の五月に、全国統一の学力試験が行われる。試験の結果と成績は、各道や市、郡別に発表される。この試験の成績に従い、地方教育機関が、それぞれの受験生に対して受験できる大学を決める。
● 北朝鮮の入試競争倍率は、工学部で七倍。医学部では一〇倍になるという。
★大学入試に失敗すると、子どもたちは、自動的に軍隊に入隊することになる。
★大学を卒業すると、職場は地区の党委員会が決定し、個人の職業選択の自由はない。
●党機関や政府機関に勤務できれば、ある程度の生活や住宅が保証される。
● 北朝鮮の学生がもっとも、あこがれる職業は、外交官と貿易商社の社員、だそうだ。

 こういう流れをずっとみていくと、北朝鮮という国が、実に巧みに、体制にとってつごうのよい人間だけを選別しているのがわかる。つまり「教育」と言いながら、その実態は、まさに「人間選別」。しかも党幹部にとっては、何からなにまで、つごうがよいようにできている。よく「北朝鮮は、金正日に独裁国家」というが、実は、その恩恵にあやかり、甘い汁を吸っている党の幹部たちこそが、金正日体制を支えている。

 しかし考えてみれば、この日本だって、北朝鮮と、それほど違わない? この表の中の(★)の部分をのぞけば、日本の教育制度そのものといってもよい。たとえばこの日本では、一度、公務員になれば、あとは死ぬまで身分と収入が保証される。社会のしくみそのものが、何からなにまで、役人と呼ばれる人たちにとって、つごうがよいようにできている。

日本が民主主義国家と思っているのは、日本人だけ。日本を一歩離れてみると、日本の民主主義が、欧米のそれとはまったく異質なものであることがわかる。日本は奈良時代の昔から、まさに官僚主義国家。上から下まで官僚主義国家。が、それが日本人にはわからない? 恐らく北朝鮮の人たちだって、自分たちの国は、民主主義国家だと思っているに違いない。北朝鮮の正式名称は、「朝鮮民主主義人民共和国」。意識というのはそういうもので、その国だけに住んで、外の世界を知らないと、自分たちがどういう意識をもっているかさえわからなくなってしまう。

 話がまたまた過激になってしまったが、あの北朝鮮ほど、戦前の日本の亡霊を引きずっている国はない。戦前の日本、そのものと言ってもよい。あるいはどこがどう違うというのか。で、その日本は、敗戦により、今の民主主義(?)をアメリカから注入されたが、悲しいかな、肝心の日本人自身は、戦前の日本を、いまだかって一度も清算していない。反省もしていない。だからある部分は、民主主義的にはなったが、また別のある部分は、戦前のまま残ってしまった。今に見る官僚主義が、そのひとつということになる。

● 北朝鮮の独裁体制を笑う前に、私たち日本人は、真の民主主義国家をめざそう!

   ξ《《》》
   ξξσσξ
   ξξ~▽~ノξ
   「 ∞∞∩∩
   l/  (・・)     お友だちに記事を転送していただいても構いませんが、
   /  ⊂▼▼⊃      「はやし浩司」のクレジット(署名)だけは
  /    │ ∈         どうか、忘れないでくださいね!
 **********∪ ̄∪          
【3】∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
(特別編集)

心のメカニズム

*****************
少し不謹慎な話で恐縮だが、セックス
をすると、言いようのない快感が、脳
全体をおおうのがわかる。これはセッ
クスという行為によって刺激され、脳
にモルヒネ様の物質が放出されるため
である。しかしこういう快感があるか
ら人は、セックスをする。つまり、種
族を私たちは維持できる。同じように、
よいことをしても、脳の中で、同様の
変化が起きる? それについて考えて
みた。
*****************

 まず、数か月前に私が書いたエッセーを読んでみてほしい。この中で、私は「気持ちよさ」とか、「ここちよさ」という言葉を使って、「正直に生きることの大切さ」について書いてみた。

●常識の心地よさ 

 常識をみがくことは、身のまわりの、ほんのささいなことから始まる。花が美しいと思えば、美しいと思えばよい。青い空が気持ちよいと思えば、気持ちよいと思えばよい。そういう自分に静かに耳を傾けていくと、何が自分にとってここちよく、また何が自分にとって不愉快かがわかるようになる。無理をすることは、ない。道ばたに散ったゴミやポリ袋を美しいと思う人はいない。排気ガスで汚れた空を気持ちよいと思う人はいない。あなたはすでにそれを知っている。それが「常識」だ。

 ためしに他人に親切にしてみるとよい。やさしくしてあげるのもよい。あるいは正直になってみるのもよい。先日、あるレストランへ入ったら、店員が計算をまちがえた。まちがえて五〇円、余計に私につり銭をくれた。道路へ出てからまたレストランへもどり、私がその五〇円を返すと、店員さんはうれしそうに笑った。まわりにいた客も、うれしそうに笑った。そのここちよさは、みんなが知っている。

 反対に、相手を裏切ったり、相手にウソを言ったりするのは、不愉快だ。そのときはそうでなくても、しばらく時間がたつと、人生をムダにしたような嫌悪感に襲われる。実のところ、私は若いとき、そして今でも、平気で人を裏切ったり、ウソをついている。自分では「いけないことだ」と思いつつ、どうしてもそういう自分にブレーキをかけることができない。私の中には、私であって私でない部分が、無数にある。ひねくれたり、いじけたり、つっぱったり……。先日も女房と口論をして、家を飛び出した。で、私はそのあと、電車に飛び乗った。「家になんか帰るものか」とそのときはそう思った。で、その夜は隣町のT市のホテルに泊まるつもりでいた。が、そのとき、私はふと自分の心に耳を傾けてみた。「私は本当に、ホテルに泊まりたいのか」と。答は「ノー」だった。私は自分の家で、自分のふとんの中で、女房の横で寝たかった。だから私は、最終列車で家に帰ってきた。

 今から思うと、家を飛び出し、「女房にさみしい思いをさせてやる」と思ったのは、私であって、私でない部分だ。私には自分にすなおになれない、そういういじけた部分がある。いつ、なぜそういう部分ができたかということは別にしても、私とて、ときおり、そういう私であって私でない部分に振りまわされる。しかしそういう自分とは戦わねばならない。

 あとはこの繰りかえし。ここちよいことをして、「善」を知り、不愉快なことをして、「悪」を知る。いや、知るだけでは足りない。「善」を追求するにも、「悪」を排斥するにも、それなりに戦わねばならない。それは決して楽なことではないが、その戦いこそが、「常識」をみがくこと、そのものと言ってもよい。

●なぜ気持ちよいのか

 少し話が専門的になるが、大脳の中心部(大脳半球の内側面)に、辺縁系(大脳辺縁系)と呼ばれる組織がある。「辺縁系」というのは、このあたりが、間脳や脳梁(のうりょう)を、ちょうど包むようにフチどっていることから、そう名づけられた。

 その辺縁系の中には、認知記憶をつかさどる海馬(かいば)や、動機づけをする帯状回(たいじょうかい)、さらに価値判断をする扁桃体(へんとうたい・扁桃核ともいう)がある。その扁桃体が、どうやら、人間の善悪の感覚をつかさどっているらしいことが、最近の研究でわかってきた。もう少しわかりやすく言うと、大脳(新皮質部)でのさまざまな活動が、扁桃体に信号を送り、それを受けて、扁桃体が、麻薬様の物質を放出する。その結果、脳全体が快感に包まれるというのだ。ここに書いたケースで言えば、私が店員さんに五〇円のお金を渡したことが、扁桃体に信号を送り、その扁桃体が、私の脳の中で、麻薬様の物質を放出したことになる。

 もっとも脳の中でも麻薬様の物質が作られているということは、前から知られていた。そのひとつに、たとえばハリ麻酔がある。体のある特定の部位に刺激を与えると、その刺激が神経を経て、脳に伝えられる。すると脳の中で、その麻薬様物質が放出され、痛みが緩和される。私は二三、四歳のころからこのハリ麻酔に興味をもち、一時は、ある研究所(社団法人)から、「教授」という肩書きをもらったこともある。

 それはそれとして、麻薬様物質としては、現在数十種類ほど発見されている。その麻薬様物質は、大きく分けて、エンドルフィン類と、エンケファリン類の二つに分類される。これらの物質は、いわば脳の中で生産される自家製のモルヒネと思えばよい。こうした物質が放出されることで、その人はここちよい陶酔感を覚えることができる。

 つまりよいことをすると、ここちよい感じがするのは、大脳(新皮質部)が、思考としてそう感ずるのではなく、辺縁系の中にある扁桃体が、大脳からの信号を得て、麻薬様の物質を放出するためと考えられる。少し乱暴な意見に聞こえるかもしれないが、心の働きというのも、こうして、ある程度は、大脳生理学の分野で説明できるようになった。

 で、その辺縁系は、もともとは動物が生きていくための機能をもった原始的な脳と考えられていた。私が学生時代には、だれかからは忘れたが、この部分は意味のない脳だと教えられたこともある。しかしその後の研究で、この辺縁系は、ここにも書いたように、生命維持と種族維持だけではなく、もろもろの心の活動とも、深いかかわりをもっていることがわかってきた。そうなると人間は、「心」を、かなりはやい段階、たとえばきわめて原始的な生物のときからもっていたということになる。ということは、同属である、犬やネコにも「心」があると考えてよい。実際、こんなことがある。

 私は飼い犬のポインター犬を連れて、よく散歩に行く。あの犬というのは、知的なレベルは別としても、情動活動(心の働き)は、人間に劣らずともあると言ってよい。喜怒哀楽の情はもちろんのこと、嫉妬もするし、それにどうやら自尊心もあるらしい。たとえば散歩をしていても、どこかの飼い犬がそれを見つけて、ワンワンとほえたりすると、突然、背筋をピンとのばしたりする。人間風に言えば、「かっこづける」ということになる。そして何か、よいことをしたようなとき、頭をなでてやり、それをほめたりすると、実にうれしそうに、そして誇らしそうな様子を見せる。恐らく、……というより、ほぼまちがいなく、犬の脳の中でも、人間の脳の中の活動と同じことが起きていると考えてよい。つまり大脳(新皮質部)から送られた信号が、辺縁系の扁桃体に送られ、そこで麻薬様の物質が放出されている!

●心の反応を決めるもの

 こう考えていくと、善悪の判断にも、扁桃体が深くかかわっているのではないかということになる。それを裏づける、こんなおもしろい実験がある。

 アメリカのある科学者(ラリー・カーヒル)は、扁桃体を何らかの事情で失ってしまった男性に、つぎのようなナレーションつきのスライドを見せた。そのスライドというのは、ある少年が母親といっしょに歩いているとき、その少年が交通事故にあい、重症を負って、もがき苦しむという内容のものであった。

 そしてラリー・カーヒルは、そのスライドを見せたあと、ちょうど一週間後に再び、その人に病院へ来てもらい、どんなことを覚えているかを質問してみた。

 ふつう健康な人は、それがショッキングであればあるほど、その内容をよく覚えているもの。が、その扁桃体を失ってしまった男性は、スライドを見た直後は、そのショッキングな内容をふつうの人のように覚えていたが、一週間後には、そのショッキングな部分について、ふつうの人のように、とくに覚えているということはなかったというのだ。

 これらの実験から、山元大輔氏は『脳と記憶の謎』(講談社現代新書)の中でつぎのように書いている。

(1)(扁桃体のない男性でも)できごとの記憶、陳述記憶はちゃんと保たれている。
(2)扁桃体がなくても、情動反応はまだ起こる。これはたぶん、大脳皮質がある程度、その働きを、「代行」するためではないか。
(3)しかし情動記憶の保持は、致命的なほど、失われてしまう。

 わかりやすく言えば、ショッキングな場面を見て、ショックを受けるという、私たちが「心の反応」と呼んでいる部分は、扁桃体がつかさどっているということになる。

●心の反応を阻害(そがい)するもの

 こうした事実を、子育ての場で考えると、つぎのように応用できる。つまり子どもの「心」というのも、大脳生理学の分野で説明できるし、それが説明できるということは、「心」は、教育によって、はぐくむことができるということになる。

 そこで少し話がそれるが、こうした脳の機能を阻害するものに、「ストレス」がある。たとえばニューロンの死を引き起こす最大の原因は、アルツハイマー型などの病気は別として、ストレスだと言われている。何かの精神的圧迫感が加わると、副腎皮質から、グルココルチコイドという物質が分泌される。そしてその物質が、ストレッサーから身を守るため、さまざまな反応を体の中で引き起こすことが知られている。

 このストレスが、一時的なものなら問題はないが、それが、長期間にわたって持続的につづくと、グルココルチコイドの濃度があがりっぱなしになって、ニューロンに致命的なダメージを与える。そしてその影響をもっとも強く受けるのが、辺縁系の中の海馬だという(山元大輔氏)。

 もちろんこれだけで、ストレスが、子どもの心をむしばむ結論づけることはできない。あくまでも「それた話」ということになる。しかし子育ての現場では、経験的に、長期間何らかのストレスにさらされた子どもが、心の冷たい子どもになることはよく知られている。イギリスにも、『抑圧は悪魔を生む』という格言がある。この先は、もう一度、いつか機会があれば煮つめてみるが、そういう意味でも、子どもは、心豊かな、かつ穏やかな環境で育てるのがよい。そしてそれが、子どもの心を育てる、「王道」ということになる。

 ついでに、昨年書いたエッセーを、ここに転載しておく。ここまでに書いたことと、少し内容が重複するが、許してほしい。

● 子どもの心が破壊されるとき

 A小学校のA先生(小一担当女性)が、こんな話をしてくれた。「一年生のT君が、トカゲをつかまえてきた。そしてビンの中で飼っていた。そこへH君が、生きているバッタをつかまえてきて、トカゲにエサとして与えた。私はそれを見て、ぞっとした」と。

 A先生が、なぜぞっとしたか、あなたはわかるだろうか。それを説明する前に、私にもこんな経験がある。もう二〇年ほど前のことだが、一人の子ども(年長男児)の上着のポケットを見ると、きれいに玉が並んでいた。私はてっきりビーズ玉か何かと思った。が、その直後、背筋が凍りつくのを覚えた。よく見ると、それは虫の頭だった。その子どもは虫をつかまえると、まず虫にポケットのフチを口でかませる。かんだところで、体をひねって頭をちぎる。ビーズ玉だと思ったのは、その虫の頭だった。また別の日。小さなトカゲを草の中に見つけた子ども(年長男児)がいた。まだ子どもの小さなトカゲだった。「あっ、トカゲ!」と叫んだところまではよかったが、その直後、その子どもはトカゲを足で踏んで、そのままつぶしてしまった!

 原因はいろいろある。貧困(それにともなう家庭騒動)、家庭崩壊(それにともなう愛情不足)、過干渉(子どもの意思を無視して、何でも親が決めてしまう)、過関心(子どもの側からみて息が抜けない家庭環境)など。威圧的(ガミガミと頭ごなしに言う)な家庭環境や、権威主義的(「私は親だから」「あなたは子どもだから」式の問答無用の押しつけ)な子育てが、原因となることもある。要するに、子どもの側から見て、「安らぎを得られない家庭環境」が、その背景にあるとみる。さらに不平や不満、それに心配や不安が日常的に続くと、それが子どもの心を破壊することもある。

イギリスの格言にも、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。抑圧的な環境が長く続くと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、このタイプの子どもは、心のバランス感覚をなくすのが知られている。「バランス感覚」というのは、してよいことと悪いことを、静かに判断する能力のことをいう。これがないと、ものの考え方が先鋭化したり、かたよったりするようになる。昔、こう言った高校生がいた。「地球には人間が多すぎる。核兵器か何かで、人口を半分に減らせばいい。そうすれば、ずっと住みやすくなる」と。そういうようなものの考え方をするが、言いかえると、愛情豊かな家庭環境で、心静かに育った子どもは、ほっとするような温もりのある子どもになる。心もやさしくなる。

 さて冒頭のA先生は、トカゲに驚いたのではない。トカゲを飼っていることに驚いたのでもない。A先生は、生きているバッタをエサとして与えたことに驚いた。A先生はこう言った。「そういう残酷なことが平気でできるということが、信じられませんでした」と。

 このタイプの子どもは、総じて他人に無関心(自分のことにしか興味をもたない)で、無感動(他人の苦しみや悲しみに鈍感)、感情の動き(喜怒哀楽の情)も平坦になる。よく誤解されるが、このタイプの子どもが非行に走りやすいのは、そもそもそういう「芽」があるからではない。非行に対する抵抗力がないからである。悪友に誘われたりすると、そのままスーッと仲間に入ってしまう。ぞっとするようなことをしながら、それにブレーキをかけることができない。だから結果的に、「悪」に染まってしまう。

 そこで一度、あなたの子どもが、どんなものに興味をもち、関心を示すか、観察してみてほしい。子どもらしい動物や乗り物、食べ物や飾りであればよし。しかしそれが、残酷なゲームや、銃や戦争、さらに日常的に乱暴な言葉や行動が目立つというのであれば、家庭教育のあり方をかなり反省したらよい。子どものばあい、「好きな絵をかいてごらん」と言って紙とクレヨンを渡すと、心の中が読める。子どもらしい楽しい絵がかければ、それでよし。しかし心が壊れている子どもは、おとなが見ても、ぞっとするような絵をかく。

 ただし、小学校に入学してからだと、子どもの心を修復するのはたいへん難しい。修復するとしても、四、五歳くらいまで。穏やかで、静かな生活を大切にする。

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ここまでの原稿に関連して、この八月にマガジンで配送した原稿を、送ります。前に読んでくださった方は、とばしてください。

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子育て随筆byはやし浩司
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性善説と性悪説

 胎児は母親の胎内で、過去数十万年の進化の過程を、そのまま繰り返す。ある時期は、魚そっくりのときもあるそうだ。

 同じように、生まれてから、知能の発達とは別に、人間は、「心の進化」を、そのまま繰り返す。……というのは、私の説だが、乳幼児を観察していると、そういうことを思わせる場面に、よく出会う。たとえば生後まもなくの新生児には、喜怒哀楽の情はない。しかし成長するにつれて、さまざまな感情をもつようになる。よく知られた現象に、「天使の微笑み」というのがある。眠っている赤子が、何を思うのか、ニコニコと笑うことがある。こうした「心」の発達を段階的に繰り返しながら、子どもは成長する。

 最近の研究では、こうした心の情動をコントロールしているのが、大脳の辺縁系の中の、扁桃体(へんとうたい)であるということがわかってきた。確かに知的活動(大脳連合野の新新皮質部)と、情動活動は、違う。たとえば一人の幼児を、皆の前でほめたとする。するとその幼児は、こぼれんばかりの笑顔を、顔中に浮かべる。その表情を観察してみると、それは知的な判断がそうさせているというよりは、もっと根源的な、つまり本能的な部分によってそうしていることがわかる。が、それだけではない。

 幼児、なかんずく四~六歳児を観察してみると、人間は、生まれながらにして善人であることがわかる。中に、いろいろ問題のある子どもはいるが、しかしそういう子どもでも、生まれながらにそうであったというよりは、その後の、育て方に問題があってそうなったと考えるのが正しい。子どもというのは、あるべき環境の中で、あるがままに育てれば、絶対に悪い子どもにはならない。(こう断言するのは、勇気がいることだが、あえてそう断言する。)

 こうした幼児の特質を、先の「心の進化」論にあてはめてみると、さらにその特質がよくわかる。

 仮に人間が、生まれながらにして悪人なら……と仮定してみよう。たとえば仲間を殺しても、それを快感に覚えるとか。人に意地悪をしたり、人をいじめても、それを快感に覚えるとか。新生児についていうなら、生まれながらにして、親に向かって、「ババア、早くミルクをよこしやがれ。よこさないとぶっ殺すぞ」と言ったとする。もしそうなら、人間はとっくの昔に、絶滅していたはずである。つまり今、私たちがここに存在するということは、とりもなおさず、私たちが善人であるという証拠ということになる。私はこのことを、アリの動きを観察していて発見した。

 ある夏の暑い日のことだった。私は軒先にできた蜂の巣を落とした。私もワイフも、この一、二年で一度ハチに刺されている。今度ハチに刺されたら、アレルギー反応が起きて、場合によっては、命取りになるかもしれない。それで落とした。殺虫剤をかけて、その巣の中の幼虫を地面に放り出した。そのときのこと。時間にすれば一〇分もたたないうちに、無数の小さなアリが集まってきて、その幼虫を自分たちの巣に運び始めた。

 最初はアリたちはまわりを取り囲んでいただけだが、やがてどこでどういう号令がかかっているのか、アリたちは、一方向に動き出した。するとあの自分の体の数百倍以上はあるハチの幼虫が、動き出したのである!

 私はその光景を見ながら、最初は、アリたちにはそういう行動本能があり、それに従っているだけだと思った。しかしそのうち、自分という人間にあてはめてみたとき、どうもそれだけではないように感じた。

たとえば私たちは夫婦でセックスをする。そのとき本能のままだったら、それは単なる排泄行為に過ぎない。しかし私たちはセックスをしながら、相手を楽しませようと考える。そして相手が楽しんだことを確認しながら、自分も満足する。同じように、私はアリたちにも、同じような作用が働いているのではないかと思った。つまりアリたちは、ただ単に行動本能に従っているだけではなく、「皆と力を合わせて行動する喜び」を感じているのではないか、と。またその喜びがあるからこそ、そういった重労働をすることができる、と。

 この段階で、もし、アリたちがたがいに敵対し、憎みあっていたら、アリはとっくの昔に絶滅していたはずである。言いかえると、アリはアリで、たがいに助けあう楽しみや喜びを感じているに違いない。またそういう感情(?)があるから、そうした単純な、しかも過酷な肉体労働をすることができるのだ、と。

 もう結論は出たようなものだ。人間の性質について、もともと善なのか(性善説)、それとも悪なのか(性悪説)という議論がよくなされる。しかし人間は、もともと「善なる存在」なのである。私たちが今、ここに存在するということが、何よりも、その動かぬ証拠である。繰り返すが、もし私たち人間が生まれながらにして悪なら、私たちはとっくの昔に、恐らくアメーバのような生物にもなれない前に、絶滅していたはずである。

 私たち人間は、そういう意味でも、もっと自分を信じてよい。自分の中の自分を信じてよい。自分と戦う必要はない。自分の中の自分に静かに耳を傾けて、その声を聞き、それに従って行動すればよい。もともと人間は、つまりあらゆる人々は、善人なのである。
(02-8-3)

参考文献……『脳と記憶の謎』山元大輔(講談社現代新書)
      『脳のしくみ』新井康允(日本実業出版社)ほか

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中日新聞に掲載済みの原稿より……

内容が一部重複しますが、お許しください。以前、中日新聞に載せてもらった記事です。
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「抑圧は悪魔を生む」・ゆがむ子どもの心

 イギリスの諺に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。心の抑圧状態が続くと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、この諺ほど、子どもの心にあてはまる諺はない。きびしい勉強の強要など、子どもの能力をこえた過負担が続くと、子どものものの考え方は、まさに悪魔的になる。こんな子ども(小四男児)がいた。

 その子どもは静かで、穏やかな子どもだった。人の目をたいへん気にする子どもで、いつも他人の顔色をうかがっているようなところは、あるにはあった。しかしそれを除けば、ごくふつうの子どもだった。が、ある日私はその子どものノートを見て、びっくりした。何とそこには、血が飛び散ってもがき苦しむ人間の姿が、いっぱい描かれていた! 「命」とか、「殺」とかいう文字もあった。しかも描かれた顔はどれも、口が大きく裂け、そこからは血がタラタラと流れていた。ほかに首のない死体や爆弾など。原因は父親だった。神経質な人で、毎日、二時間以上の学習を、その子どもに義務づけていた。そしてその日のノルマになっているワークブックがしていないと、夜中でもその子どもをベッドの中から引きずり出して、それをさせていた。

 神戸で起きた「淳君殺害事件」は、まだ記憶に新しいが、しかしそれを思わせるような残虐事件は、現場ではいくらでもある。その直後のことだが、浜松市内のある小学校で、こんな事件があった。一人の子ども(小二男児)が、飼っていたウサギを、すべり台の上から落として殺してしまったというのだ。この事件は時期が時期だけに、先生たちの間ではもちろんのこと、親たちの間でも大きな問題になった。ほかに先生の湯飲み茶碗に、スプレーの殺虫剤を入れた子ども(中学生)もいた。牛乳ビンに虫を入れ、それを投げつけて遊んでいた子ども(中学生)もいた。ネコやウサギをおもしろ半分に殺す子どもとなると、いくらでもいる。ほかに、つかまえた虫の頭をもぎとって遊んでいた子ども(幼児)や、飼っていたハトに花火をつけて、殺してしまった子ども(小三男児)もいた。

 親のきびしい過負担や過干渉が日常的に続くと、子どもは自分で考えるという力をなくし、いわゆる常識はずれの子どもになりやすい。異常な自尊心や嫉妬心をもつこともある。そういう症状の子どもが皆、過負担や過干渉でそうなったとは言えない。しかし過負担や過干渉が原因でないとは、もっと言えない。子どもは自分の中にたまった欲求不満を何らかの形で発散させようとする。いじめや家庭内暴力の原因も、結局は、これによって説明できる。一般論として、はげしい受験勉強を通り抜けた子どもほど心が冷たくなることは、よく知られている。合理的で打算的になる。ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あなたの周囲には、心が温かい人もいれば、そうでない人もいる。しかし学歴とは無縁の世界に生きている人ほど、心が温かいということを、あなたは知っている。子どもに「勉強しろ」と怒鳴りつけるのはしかたないとしても、それから生ずる抑圧感が一方で、子どもの心をゆがめる。それを忘れてはならない。

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