2012年9月28日金曜日

Homeland for Gods(神々の故郷)

(49)異星人の残した道路標識 A road sign drawn by aliens and its proof. Sep. 28th 2012 by Hiroshi Hayashi http://youtu.be/KpNuw1761M0 (This is a story about a mystery of a Road Sign in the mountains, not on the beach, not in the ruins. The sign is in the far remoted place in the mountai. First when I found this sign in the mountains, I thought it was a kind of a graffiti, drawn by someoen for fu. But I was wrong. The road sign shows a very important place on the earth for THEM. The Road Sign is highly-calculated by SOMEONE mathemetically. This is the story about it and at the end of this video I am sure that you are also convinced of the fact. An I at last have found THEIR home land. There should be something around here. Hiroshi Hayashi Japan. 別の場所を調べているとき、偶然にもこの道路標識を発見しました。 私は最初、それを何かの落書きと思いました。しかしそれは間違いでした。 たいへん高度に、数学的に計算された標識だったのです。 で、謎は、どうしてそんな標識を山の中に作ったかですね。 で、その中に、二重で囲まれた人を見つけました。 その絵の中に、重大なヒントが隠されているように思いました。 このビデオは、その謎についてのものです。はやし浩司 転作、転用、盗作、流用は厳禁です。どうかお守りください。 よろしくお願いします。 All ideas belong solely to Hiroshi Hayashi, Japan. No one is allowed to use my ideas in this video, for which I need your cooperations. Thank you. (Mystery of Road Sign in the mountains. Aliens' homeland Base 異星人の故郷 神々の故郷 Mysteries of Ancient Civilizations by Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan 古代文明の謎 謎の古代文明 異星人の謎 はやし浩司 謎の異星人 神々の基地 異星人の基地 Aliens' Base on the earth UFO Launch Pad in Bolivia Chille Nazca Peru Mystery of Nazca 浜松 はやし浩司) Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司 ☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆ .  mQQQm             . Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   .QQ ∩ ∩ QQ          . m\ ▽ /m 彡彡ミミ     .  /~~~\  ⌒ ⌒      . みなさん、   o o β        .こんにちは!  (″ ▽ ゛)○   .        =∞=  //  (BW公開教室・まぐまぐプレミアム読者のみなさんへ)    http://hiroshihayashi4.ninja-web.net/ □■□□□□□□□□□□□□□■□ =================  子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 9月 28日 □■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= ★ ★★HTML版★★★ HTML(カラー・写真版)を用意しました。 どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。) ************************ http://bwhayashi2.fc2web.com/page005.html メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに 選ばれました! 【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【今週のBW教室より】2012/07/26 ●年長児のお話作り ●小2児に棒グラフを教える Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 ●Pippi(ぼたんインコ)のしつけ Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 Pippiが、このところ、ものを鋭くかむようになった。 とくに私たちの肩にやってきて、耳たぶをかむ。 これがかなり痛い。 (中には、耳たぶを食いちぎるぼたんインコもいるとか。) 危険度があがった……ということで、ワイフも息子も、Pippiが、肩にあがったとたん、耳たぶをかまれないように、警戒態勢。 注意するようになった。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●無駄な行為  ぼたんインコもそうだし、また乳幼児期の子どもも、そうである。 この時期のインコも子どもも、無駄なことはしない。 何かをするときには、かならず、理由がある。 あるいは、そういう行為をするには、そこに至るプロセスがある。  その理由やプロセスを無視し、いきなり叱っても意味はない。 ないばかりか、かえって症状を悪化させる。  たとえばPippiは、書斎と廊下の間を、何度も行ったり来たりする。 そのとき、ときどき私の手元に戻ってきては、いきなり指を強くかむ。 ギリギリと強くかむ。 これは欲求不満によるもの。 廊下の窓からは、外の景色がよく見える。 そこからはスズメや、ハトが庭で遊んでいる様子が、よく見える。 それを見ると、Pippiは、かなり興奮状態になる。 私の指を強くかむのは、そのとき。 ●耳たぶ  耳たぶをかむという行為にしてもそうだ。 私たちは耳たぶをかまれると、痛いという不快感が先にくる。 冷静に考える余裕はない。 が、よくよく観察すると、Pippiは、それを遊びのつもりでしているのがわかる。 私たちが痛がっているということが、理解できない。 「痛い、痛い」と手でPippiを肩からおろす。 すかさずPippiは肩までやってきて、また耳たぶをかむ。  つまり耳たぶをかむのは、「遊んでほしい」という意思表示。 そのために、耳たぶをかむ。  また私たちが「痛い!」と言って反応するのを、Pippiは、遊んでもらっていると誤解する……ようだ。  だからそういうときは、根気よく、叱るしかない。 強く息を吹きかけながら、「痛いだろ」と強く、にらみつける。 体罰は、もちろんタブー。 体罰を加えても、それが何を意味するのか、Pippiには、理解できない。 (=理解できるはずもない。)  体罰を加えれば、かえって人間を恐れるようになる。 で、それでも耳たぶをかじるようであれば、そのまま鳥かごの中に入れる。 「禁錮、3時間!」とか、何とか私は言う。  で、3時間くらいしたところで、鳥かごから出してやる。 たいていおだやかで、やさしいPippiに、戻っている。 ●人間の子ども  人間の子どもも、同じ。 子どもに何かの症状が出たら、その理由、原因、プロセスをさぐる。 先にも書いたように、「何もない」ということは、こと幼児に関して言えば、ない! かならず、ある!  そうした理由、原因、プロセスを無視して、(しつけ)なるものをしても意味はない。 たとえばこんな例で考えてみよう。 ●「がまんしてください」  X君(年中児・4歳)という子どもがいた。 知的な遅れが目立った。 レッスンの間も、焦点の定まらない目つきで、ボーッとしていた。 先生との応答も、かみ合わなかった。 数の問題を出しても、思いついた数字を口にするだけ。 あとはゲラゲラとわらいこけていた。  そういうX君を母親は見ながら、かなり気をもんだらしい。 が、先生は、こう言った。 「がまんしてください」と。  というのも、この時期、発達曲線は、みな同じではない。 早熟的に発達する子どももいれば、そうでない子どももいる。 大切なことは、その子どもを楽しませること。 「楽しい」という思いが、好奇心を伸す。 学習意欲を育てる。 ●LD児  で、何とか小学校入学前には、それが目立たない子どもになった。 そのままだったら、LD児と診断されたかもしれない。 が、ここからが、よくあるケース。  何か問題のある子どもが、(ふつう)になっても、親は、「よくなった」とは思わない。 それが当たり前と考える。 あるいは中には、「何も効果がなかった」と言う親さえいる。 「2年間、通いましたが、効果がありませでした」と。  数値で表現するのは、適切ではないかもしれない。 が、数値で表現してみると、こうなる。  X君は、平均児を(5)とすると、(3)前後の力しかなかった。 それが入学前に(5ー)になった。 ほかの子どもたちは(6)(7)の能力を示すようになった。 が、親はそれを喜ぶ前に、「うちの子は、やればできるはず」と思うようになった。 とたん、塾づけ。 週に3か所、4時間も通うようになった。 とたん、オーバーヒート。  目をまばたきするチックが現れた。 食後、ときどき嘔吐することもあった。 で、眼科へ連れていくと、「過負担(塾)が原因です」と。 X君が、小学3年生になったときのことだった。 ●徐々に減らす  こういうケースのばあい、おけいこ塾にしても、負担にしても、少しずつ減らすのがよい。 ……というケースは、私は何十例も経験している。 いきなりゼロにすると、あとあと立ち直れなくなる。 「また何かをさせよう」としても、子どもは、拒絶反応に似た症状を示すようになる。  が、X君の母親は、すべてを、や・め・た!  で、しばらくは、穏やかな日々がつづいた。 チックの症状は残ったが、ほかの神経症的な症状は軽くなった。 母親は、喜んだ。 が、同時に、X君は、まったく勉強をしなくなってしまった。 宿題すら、手をつけようとしなくなってしまった。 3年になってから買ったワークブックは、そのままほこりをかぶるようになった。  とたん、母親に今度は、あせりが始まった。 「このままでは、うちの子は、遅れてしまう!」と。  ……ついでに言うと、こうしたケースでは、徐々に、少しずつ負担をふやすのがよい。 が、X君の母親には、それを理解するだけの知的能力がなかった。 過干渉的で、すべてをその母親が取り仕切っていた。 ●学校恐怖症  ジョンソンの学校恐怖症を、この日本で最初に紹介したのは、この私である。 こんなことを自慢しても、どうしようもないが、最近では、不登校イコール、学校恐怖症と考える人が多くなった。 「恐怖症」に準じて考える。  学校恐怖症については、たびたび書いてきた。 原稿を探してみる。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 【子どもが恐怖症になるとき】 ●まさに九死に一生  先日私は、交通事故で、あやうく死にかけた。 九死に一生とは、まさにあのこと。 今、こうして文を書いているのが、不思議なくらいだ。 が、それはそれとして、そのあと、妙な現象が現れた。 夜、自転車に乗っていたのだが、すれ違う自動車が、すべて私に向かって走ってくるように感じた。 私は少し走っては自転車からおり、少し走ってはまた、自転車からおりた。こわかった ……。恐怖症である。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりやすい。たとえば以前、 『学校の怪談』というドラマがはやったことがある。 そのとき「小学校へ行きたくない」と言う園児が続出した。 あるいは私の住む家の近くの湖で水死体があがったことがある。 その直後から、その近くの小学校でも、「こわいから学校へ行きたくない」という子どもが続出した。 これは単なる恐怖心だが、それが高じて、精神面、身体面に影響が出ることがある。 それが恐怖症だが、この恐怖症は子どものばあい、何に対して恐怖心をいだくかによって、ふつう、次の三つに分けて考える。 (1)対人(集団)恐怖症……子ども、特に幼児のばあい、新しい人の出会いや環境に、ある程度の警戒心をもつことは、むしろ正常な反応とみる。 知恵の発達がおくれぎみの子どもや、注意力が欠如している子どもほど、周囲に対して、無警戒、無頓着で、はじめて行ったような場所でも、わがもの顔で騒いだりする。 が、反対にその警戒心が、一定の限度を超えると、人前に出ると、声が出なくなる(失語症)、顔が赤くなる(赤面症)、冷や汗をかく、幼稚園や学校がこわくて行けなくなる(学校恐怖症)などの症状が表れる。 さらに症状がこじれると、外出できない、人と会えない、人と話せないなどの症状が表れることもある。 (2)場面恐怖症……その場面になると、極度の緊張状態になることをいう。 エレベーターに乗れない(閉所恐怖症)、鉄棒に登れない(高所恐怖症)などがある。 これはある子ども(小一男児)のケースだが、毎朝学校へ行く時刻になると、いつもメソメソし始めるという。 親から相談があったので調べてみると、原因はどうやら学校へ行くとちゅうにある、トンネルらしいということがわかった。 その子どもは閉所恐怖症だった。 実は私も子どものころ、暗いトイレでは、こわくて用を足すことができなかった。 それと関係があるかどうかは知らないが、今でも窮屈なトンネルなどに入ったりすると、ぞっとするような恐怖感を覚える。 (3)そのほかの恐怖症……動物や虫をこわがる(動物恐怖症)、死や幽霊、お化けをこわがる、先のとがったものをこわがる(先端恐怖症)などもある。 動物のお面をかぶって見せただけで、ワーッと泣き出す「お面恐怖症」の子どもは、一五人に一人はいる(年中児)。 ただ子どものばあい、恐怖症といってもばくぜんとしたものであり、問いただしてもなかなか原因がわからないことが多い。 また症状も、そのとき出るというよりも、その前後に出ることが多い。 これも私のことだが、私は三〇歳になる少し前、羽田空港で飛行機事故を経験した。 そのためそれ以来、ひどい飛行機恐怖症になってしまった。 何とか飛行機には乗ることはできるが、いつも現地ではひどい不眠症になってしまう。「 生きて帰れるだろうか」という不安が不眠症の原因になる。 また一度恐怖症になると、その恐怖症はそのつど姿を変えていろいろな症状となって表れる。 高所恐怖症になったり、閉所恐怖症になったりする。 脳の中にそういう思考回路ができるためと考えるとわかりやすい。 私のケースでは、幼いころの閉所恐怖症が飛行機恐怖症になり、そして今回の自動車恐怖症となったと考えられる。 ●忘れるのが一番  子ども自身の力でコントロールできないから、恐怖症という。 そのため説教したり、叱っても意味がない。 一般に「心」の問題は、一年単位、二年単位で考える。子どもの立場で、子どもの視点で、子どもの心を考える。無理な誘導や強引な押しつけは、タブー。無理をすればするほど、逆効果。 ますます子どもはものごとをこわがるようになる。 いわば心が熱を出したと思い、できるだけそのことを忘れさせるような環境を用意する。 症状だけをみると、神経症と区別がつきにくい。 私のばあいも、その事故から数日間は、車の速度が五〇キロ前後を超えると、目が回るような状態になってしまった。 「気のせいだ」とはわかっていても、あとで見ると、手のひらがびっしょりと汗をかいていた。 が、少しずつ自分をスピードに慣れさせ、何度も自分に、「こわくない」と言いきかせることで、克服することができた。 いや、今でもときどき、あのときの模様を思い出すと、夜中でも興奮状態になってしまう。 恐怖症というのはそういうもので、自分の理性や道理ではどうにもならない。 そういう前提で、子どもの恐怖症には対処する。 (付記) ●不登校と怠学 不登校は広い意味で、恐怖症(対人恐怖症など)の一つと考えられているが、恐怖症とは区別する。 この不登校のうち、行為障害に近い不登校を怠学という。 うつ病の一つと考える学者もいる。 不安障害(不安神経症)が、その根底にあって、不登校の原因となると考えるとわかりやすい。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●子どもの不登校を防ぐ法(前兆を見落とすな!) 子どもが学校恐怖症になるとき ●四つの段階論  同じ不登校といっても、症状や様子はさまざま(※)。 私の二男はひどい花粉症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。 が、その中でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」(A・M・ジョンソン)、行為障害に近い不登校を「怠学(truancy)」といって区別している。 これらの不登校は、症状と経過から、次の三つの段階に分けて考える(長崎大・中根允文氏)。 心気的時期、登校時パニック時期、自閉的時期。 もう少しわかりやすくすると、 次のようになる。 (1)前兆期……登校時刻の前になると、腹痛、頭痛、脚痛、倦怠感、吐き気、気分の悪さを訴える。 症状は午前中に重く、午後に軽快し、夜になると、「明日は学校へ行く」などと、明るい声で答えたりする。 これを症状の日内変動という。 理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりする。 そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめる」と言い出したりする。 理由となる原因(ターゲット)が、そのつど移動するのが特徴。 (2)パニック期……攻撃的に登校を拒否する。 親が無理に車に乗せようとしたりすると、狂ったように暴れ、それに抵抗する。 が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」などと言ったりすると、一転、症状が消滅する。 ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで歌っていました」と。 (3)自閉期……自分のカラにこもる。 特定の仲間とは遊んだりするが、心の中はいつも緊張状態にあり、ささいなことで激怒したり、暴れたりする(感情障害)。 この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的な不安感をもつ。おののく)の症状を示すこともある。こうした状態が、数か月から数年続く。 ④回復期……断続的に外の世界と接触をもつようになり、登校できるようになる。 週に一日~二日、月に一週~二週登校できるようになり、序々にその期間が長くなる。 (なおこの「回復期」は、私が付け足した。) ●前兆をいかにとらえるか  要はいかに(1)の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとるかということ。 たいていの親はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理をする。 この無理が症状を悪化させ、(2)のパニック期を招く。 この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわよ」と言えば、その後の症状は軽くすむ。 一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の問題は、今の状態をより悪くしないことだけを考える。 なおそうと無理をすればするほど、症状はこじれる。悪化する。  (付記) ※……不登校の態様は、一般に、この日本では、(1)学校生活起因型、(2)遊び非行型、(3)無気力型、(4)不安など情緒混乱型、(5)意図的拒否型、(6)複合型に区分して考えられている。  またその原因については、(1)学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活動など不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、(2)家庭生活起因型(生活環境の変化、親子関係、家庭内不和)、(3)本人起因型(病気など)に区分して考えられている(「日本教育新聞社」まとめ)。 ●学校恐怖症は対人障害の一つ   こうした恐怖症ははやい子どもで、満四~五歳から表れる。 乳幼児期は、主に泣き叫ぶ、睡眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれに対人障害による症状が加わるようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。 集団や人ごみをこわがるなどの対人恐怖症もこの時期に表れる。ここでいう学校恐怖症はあくまでもその一つと考える。 (参考) ●ジョンソンの「学校恐怖症」 「登校拒否」という言葉は、イギリスのI・T・ブロードウィンが、一九三二年に最初に使い、一九四一年にアメリカのA・M・ジョンソンが、「学校恐怖症」と命名したことに始まる。 ジョンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期(3)自閉期の三期に分けて、学校恐怖症を考えた。 私はそれをさらに四期に分け、次のようにした。 症状は、 第一期・不調期登校時刻になると、身体的不調を訴える。 頭痛や腹痛、脚痛、吐き気、気分の悪さ、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感など。 午前中は症状が重く、午後は軽くなり、夕方になると静かに収まってくる。 床につく前に親が、「明日は学校へ行くの?」と聞くと、明るい声で「行く」と答えたりする。 この段階で、親が学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめるから」とか言ったりする。 そこでA君を排除すると、今度は「B君がいじめるから」と言い出したりする。 ターゲット(原因とする人や理由)がそのつど移動するのが特徴である。 第二期・パニック期登校時刻になるとパニック状態になり、はげしく抵抗したり、泣き叫んだりする。親が無理に学校へ連れていこうとすると、狂人のように暴れたりする。 しかしいったん学校へ行かなくてもよいとわかると、一転して今度は別人のように静かで穏やかな表情を見せる。 あまりの変わりように、たいていの親は、「これが同じ子どもか?」と思うことが多い。 第三期・自閉期親が学校へ行かせるのをあきらめ、子どももそれに慣れてくると、子どもは自分の世界に閉じこもるようになる。 暴力、暴言などの攻撃的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。 ただ心の緊張感は残り、親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりすることはある。 気を許した友人とは、限られた場所では遊ぶものの、その範囲や遊びは限定される。 この状態で症状は数か月から数年という単位で、一進一退を繰り返す。 第四期・回復期少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やがて登校できるようになる。 ●学校恐怖症の対処のしかた  第一期で注意しなければならないのは、本文の中でも書いたが、たいていの親はこの段階で、「わがまま」とか「気のせい」とか決めつけ、その前兆症状を見落としてしまうことである。 あるいは子どもの言う理由(ターゲット)に振り回され、もっと奥底にある子どもの(心の問題)を見落としてしまう。 しかしこのタイプの子どもが不登校児になるのは、第二期の対処のまずさによることが多い。 ある母親はトイレの中に逃げ込んだ息子(小一児)を外へ出すため、ドライバーでドアをはずした。 そして泣き叫んで暴れる子どもを無理やり車に乗せると、そのまま学校へ連れていった。 その母親は「このまま不登校児になったらたいへん」という恐怖心から、子どもをはげしく叱り続けた。 が、こうした衝撃は、たった一度でも、それが大きければ大きいほど、子どもの心に取り返しがつかないほど大きなキズを残す。 もしこの段階で、親が、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわね。今日は休んで好きなことをしたら」と言ったら、症状はそれほど重くならなくてすむかもしれない。  また第三期においても、鉄則は、ただ一つ。 なおそうと思わないこと。 私がある母親に、「三か月間は何も言ってはいけません。何もしてはいけません。子どもがしたいようにさせなさい」と言ったときのこと。母親は一度はそれに納得したようだった。しかし一週間もたたないうちに電話がかかってきて、「今日、学校へ連れていってみましたが、やっぱりダメでした」と。 親にすれば一か月どころか、一週間でも長い。 気持ちはわかるが、こういうことを繰り返しているうちに、症状はますますこじれる。  第三期に入ったら、(1)学校は行かねばならないところという呪縛から、親自身が抜けること。 (2)前にも書いたように、今の状態をより悪くしなことだけを考えて、子どもの様子をみる。 (3)最低でも三か月は何も言わない、何もしないこと。子どもが退屈をもてあまし、身をもてあますまで、何も言わない、何もしないこと。 (4)生活態度(部屋や服装)が乱れて、だらしなくなっても、何も言わない、何もしないこと。特に子どもが引きこもる様子を見せたら、そうする。 よく子どもが部屋にいない間に、子どもの部屋の掃除をする親もいるが、こうした行為も避ける。  要は子どものリズムで考えるということ。あるいは子どもの視点で、子どもの立場で考えること。 そういう謙虚な姿勢が、このタイプの子どもの不登校を未然に防ぎ、立ちなおりを早くする。 ●不登校は不利なことばかりではない  一方、こうした不登校児について、不登校を経験した子どもたち側からの調査もなされている。 文部科学省がした「不登校に関する実態調査」(二〇〇一年)によれば、「中学で不登校児だったものの、成人後に『マイナスではなかった』と振り返っている人が、四割もいる」という(不登校はマイナスではないと答えた人、三九%、マイナスだったと答えた人、二四%)。 そして学校へ行かなくなった理由として、 友人関係     ……四五% 教師との関係   ……二一% クラブ・部活動  ……一七% 転向などでなじめず……一四%と、その多くが、学校生活の問題をあげている。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司  この診断表を見てもわかるように、X君は第一期にあった。 つぎのパニック期(第二期)を経て、不登校状態(第三期)になるのは、時間の問題だった。 事実、そのあと、X君は第三期に入り、そのまま不登校児になってしまった。 が、母親は、今でもこう言っている。 「幼児期に無理な学習をさせたのが、原因です」と。  ……というようなケースは、多い。 本当に多い。 言い換えると、教える側の私たちは、そういうことも予想した上で、子どもを指導する。 親を指導する。 で、たいていの親はそれを理解し、何をすべきか、何をしてはいけないかを、判断する。 が、中には、それが判断できない親(母親)もいる。  もしX君の母親が早い段階で、X君の能力を的確に判断していたら……。 X君の母親が、あるところで、満足していたら……。 X君の母親が「やればできるはず」と、X君を追い立てなかったら……。 X君の母親が、少しずつ、子どもの気持ちを確かめながら負担を減らしていたら……。 X君の母親がもう少し知的能力の高い人であったら……。 X君は、不登校児にならなくて、すんだはず。 (こう書くからといって、不登校児がみな、そうであるということではない。 不登校児になるには、様々な原因や理由がある。 もちろん心の病気がからんでいることも多い。 ここで書いているのは、そのうちのひとつに過ぎない。どうか、誤解のないように!) ●不登校  X君の母親が、再びX君を私のところへ連れてきたのは、その数か月のことだった。 それについて書いた原稿も、どこかにあるはず。 なお内容は、少し変えてある。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●親の心   子どもの心に何か問題が起きたとする。 するとたいていの親は、それをなおそうとする。 「まだ何とかなる」「そんなはずはない」と考える。が、原因が自分にあると考える親は、まずいない。 しかも心の問題は外からは見えないため、これまたほんとどの親は、「気のせいだ」「心は気のもちようだ」と軽く考える。 しかしこうした誤解が、やがて悪循環を招き、少しずつだが時間をかけて、にっちもさっちもいかなくなる。  S君(年長児)の症状は、軽いチックではじまった。 そこで母親はそれを何度となくうるさく注意した。が、チックはやがて階段をのぼるようにトントンと悪化した。症状も大きくなり、複数のチックを同時に併発するようになった。 母親はますます子どもを叱った。しかしこれがまずかった。 S君は真夜中に、はげしいけいれん状のチックを繰り返すようになった。一度は救急車まで呼んだ。 しかし親は、自分に原因があるとは決して思わなかった。 R君の母親は、見るからに神経質そうな母親だった。話し方もせっかちで、人の話をまったく聞こうとしなかった。  やがてS君と母親はお決まりの病院めぐり。 あちこちで検査を受けては落胆したり、一抹の希望をもったりした。 S君が幼稚園へ行きたくないと言い出すと、それはますますエスカレートした。が、病院めぐりをすればするほど、S君の症状は悪化した。 母親はあとになってこう言った。 「あのまま不登校児になったらどうしようと、そればかりが心配でした」と。が、結局S君はそのまま不登校児になった。 1年生のときも、2年生のときも、ほとんど学校へは行かなかった。 私にも相談があったので、「3か月は何も言ってはいけません。S君の好きなようにさせなさい」と言ったが、母親にしてみれば、一か月だって長い。 そのつど学校へS君をひっぱっていった。 さらに病院めぐりをするようになると、もう私のアドバイスなど聞かなかった。 こうなると、私としては指導の方法はない。 さらに病院で処方される「わけのわからない薬」を飲むようになると、S君の症状は一時的には快方に向かったが、しかしそれはあくまでも一時的。そのあと薬の反作用で、症状はますますわけのわからないものになっていった。  ……というような話はいくらでもある。 親というのは、結局は行き着くところまで自分で行くしかない。 冷たい言い方だが、これは子育てにまつわる宿命のようなもの。その途中で私のようなものがいくらアドバイスしても、意味がない。指導する側にしてみれば、そういうむなしさがいつもついて回る。これもやはり宿命のようなもの。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●「無知は罪悪である」  こと子育てに関して言うなら、「無知は罪悪である」。 「知らなかった」では、すまされない。 とは書きつつも、みな、どんな親でも最初は「無知」の状態から始める。 それはそれでしかたのないこと。  そこで「勉強」ということになる。 が、構える必要はない。 風通しのよい家庭環境にし、ほかの父母との情報交換ができるようにすればよい。 とくに1~2年、年上の子どもをもつ親たちと親しくなるのがよい。 けっして、殻やカプセルにこもってはいけない。  ……ということで、またまた同じことを書き始めたので、今日はここまで。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親の無知 罪悪論 風通しのよい子育て はやし浩司 不登校児 はやし浩司 ジョンソン 学校恐怖症 はやし浩司 恐怖症 神経症的な症状)2012/07/26 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 休みます。 【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【人来たりて、また去る……ジャン・ダルジー】 ●年長児(長さの勉強)  今日は自分の制作したビデオを見ながら、 こんなふうふに感じました。 「人、来たりて、また去る」(ジャン・ダルジー)と。 そんな私の気持ちを、このビデオを通して、みなさんに お伝えできれば、うれしいです。 はやし浩司 2012/07/27 ●31年ぶりの約束  ちょうど三十一年前の卒業アルバムに、私はこう書いた。「二〇〇一年一月二日、午後一時二分に、(金沢の)石川門の前で君を待つ」と。それを書いたとき、私は半ば冗談のつもりだった。当時の私は二十二歳。ちょうどアーサー・クラーク原作の「二〇〇一年宇宙の旅」という映画が話題になっていたころでもある。私にとっては、三十一年後の自分というのは、宇宙の旅と同じくらい、「ありえない未来」だった。  しかし、その三十一年が過ぎた。一月一日に金沢駅におりたつと、体を突き刺すような冷たい雨が降っていた。「冬の金沢はいつもこうだ」と言うと、女房が体を震わせた。とたん、無数の思い出がどっと頭の中を襲った。話したいことはいっぱいあるはずなのに、言葉にならない。細い路地をいくつか抜けて、やがて近江町市場のアーケード通りに出た。いつもなら海産物を売るおやじの声で、にぎやかなところだ。が、その日は休み。「初売りは五日から」という張り紙が、うらめしい。カニの臭いだけが、強く鼻をついた。  自分の書いたメモが、気になり始めたのは数年前からだった。それまで、アルバムを見ることも、ほとんどなかった。研究室の本棚の前で、精一杯の虚勢をはって、学者然として写真におさまっている自分が、どこかいやだった。しかし二〇〇一年が近づくにつれて、その日が私の心に重くのしかかるようになった。アルバムにメモを書いた日が「入り口」とするなら、その日は「出口」ということか。しかし振り返ってみると、その入り口と出口が、一つのドアでしかない。その間に無数の思い出があるはずなのに、それがない。人生という部屋に入ってみたら、そこがそのまま出口だった。そんな感じで三十一年が過ぎてしまった。  「どうしてあなたは金沢へ来たの?」と女房が聞いた。「…自分に対する責任のようなものだ」と私。あのメモを書いたとき、心のどこかで、「二〇〇一年まで私は生きているだろうか」と思ったのを覚えている。が、その私が生きている。生きてきた。時の流れは、時に美しく、そして時に物悲しい。フランスの詩人、ジャン・ダルジーは、かつてこう歌った。「♪人来たりて、また去る…」と。部分的にしか覚えていないが、続く一節はこうだった。「♪かくして私の、あなたの、彼の、彼女の、そして彼らの人生が流れる。あたかも何ごともなかったかのように…」と。何かをしたようで、結局は、私は何もできなかった。時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。つかむこともできない。握ったと思っても、そのまま指の間から漏れていく。  翌一月二日も、朝からみぞれまじりの激しい雨が降っていた。私たちは兼六園の通りにある茶屋で昼食をとり、そして一時少し前にそこを出た。が、茶屋を出ると、雨がやんでいた。そこから石川門までは、歩いて数分もない。歩いて、私たちは石川門の下に立った。「今、何時だ」と聞くと、女房が時計を見ながら「一時よ…」と。私はもう一度石川門の下で足をふんばってみた。「ここに立っている」という実感がほしかった。学生時代、四年間通り抜けた石川門だ。と、そのとき、橋の中ほどから二人の男が笑いながらやってくるのに気がついた。同時にうしろから声をかける男がいた。それにもう一人…! そのとたん、私の目から、とめどもなく涙があふれ出した。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ジャン・ダルジー) Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【大物タイプvs小粒タイプ】 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 高校2年生のクラス。 4人+1人の生徒が、来ている。 4人は、高校2年生。 残りの1人は、中学3年生。 中学3年生の子ども(女子)は、言うなれば見習い。 高校生の間に座らせることによって、(勉強癖)を、見習う。 もらう。 勉強癖のない子どもには、この方法がもっとも効果的。 『子どもの先生は子ども』 子育てを考える、大鉄則。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●小銭を稼いで、大志を捨てる その4人の高校生のうち、1人(男子)の様子が、少し変化してきた。 近くのファーストフード店で、アルバイトをするようになってからのこと。 教室の月謝を、自分が受け取る(時間給)で割るようになった。 ときどき、ふと、「もったいない」という言葉を使うようになった。 こういう現象を、『小銭を稼いで、大志を捨てる』という。 高校生の間で、よく見られる現象である。 ●弱化の原理  原因は、弱化の原理。 脳の奥深くで、自分を(負の方向)に引く……そんな力が働いている。 たいていは、何か大きなつまずきがあったことなどが原因で、そうなる。 小学校の入試、あるいは中学校の入試で失敗した、など。 それがトラウマとなり、心の奥に潜む。 そのつど顔を出し、その子どもを(負の方向)に引っ張る。 平たく言えば、一度、自信をなくした子どもに、自信を取り戻すのは、容易なことではない。  その子ども(A君とする)のばあいは、何が原因なのかは、私にはわからない。 恐らく本人にも、わかっていない。 それだけに、その子どもから、原因を取り除くのは、むずかしい。 不可能とさえ断言してよい。 ●前向きに進む子ども  4人のうち、その生徒をのぞいて、3人、医師をめざしている。 うち2人は、父親も医師。 もう1人(男子)は、残りの2人の影響を大きく受けた。 くわえてその男子は、スポーツマン。 1年のときから、正選手として活躍している。 インターハイへの出場を、もくろんでいる。  「君も医者になったら?」と言うと、いつも「ぼくは、科学者のほうがいい」と。 が、内心では、医師をめざしている。 ●大志  小銭で、大志を捨てる子どももいれば、大志を大志と意識しないまま、大志に向かって進む子どももいる。 (医師にはることが、大志と、私は書いているのではない。誤解のないように!) 自ら小さくなっていく子どももいれば、自ら大きくなっていく子どももいる。  まずいのは、小銭の計算に振り回されること。 だからといって、小銭を粗末にしてよいと書いているのではない。 小銭にうるさいということは、万事に、ケチで、ため込み屋。 小さな世界で、こじんまりと生きる。 無難で安易な道を選ぶ。 総じてみれば、長男、長女に多い。 生活態度が、防衛的。 「小銭を大切にする」というのは、そういう意味。 ●おとなの世界  おとなの世界は、そういった子どもたちの(結果)ということになる。 さらに50代、60代の人たちは、その(結果)ということになる。 私がいちばん嫌うのは、自分では何もしなかった人が、他人を笑うこと。 他人の失敗を、ことさら大げさに、取りあげる。 「だからあいつは、ダメなんだよ」とか。  昔は、そういう人を「小市民」と呼んだ。 私の知人にもいる。 いつだったか、私にこう言った。 「はやし君、50歳を過ぎたら、生活をコンパクトにしなさいよ」と。  コンパクト?  どうしてこの私がコンパクトに生きなければ、ならないのか? 死ぬまでが人生。 少なくとも、死ぬまで、私たちは生きている。 (……とは書きつつも、「そうかなア?」と迷う部分もないわけではないが……。)  その知人が、何かをした人なら、私も納得する。 しかしその知人は、大きな楽器工場で、生涯、社員として過ごした。 (社員が小市民というわけではない。そうでない人も多い。誤解のないように!) そんな人が、そう言う。 ●親の生き様  大きな子どもにするかどうか。 それを決めるのは、親の生き様による。 学校でもないし、教育でもないし、教師でもない。 ただひとつ気になることはある。  大志を隠しもっている子どもは、同時に広く、世界に目を向けている。 先に書いたインターハイをめざしている子どもは、世界で活躍するスポーツ選手に詳しい。 先日も、こう言った。 「野茂(ピッチャー)は、日本の球団をやめ、アメリカへ渡ったんだよ。 年俸も10分の1になったんだよ。 野茂が、つまりプロ野球の世界に、新しい道を作った」と。  そうでない子どもは、そうでない。 世界が小さい。 話すことといえば、ゲームのことだけ。 「ゲームがなかったら、ぼくは1日で、気が狂う」などと、平気で言ったりする。 そこにあるものを、自分の世界に引き込むだけ。 自分で作ろうとしない。 音楽にしても、聞くだけ。 スポーツにしても、見るだけ。 本にしても、読むだけ。 ゲームにしても、楽しむだけ。  「ゲーム言語を覚えて、自分でゲームで作ってみたら?」と聞いても、「むずかしそうだから、いやだ」と。 万事、自分が安易にできる範囲で、できることとしかしない。 が、これでは、外の世界を見ることができない。 ●損をする人生  つづきとして書きたいことは、山のようにある。 またそれについては、たびたび書いてきた。 が、結論として言えることは、『ケチは人を小さくする』。  が、誤解してはいけない。 (ケチ)と(質素)は、別。 ここでいう(ケチ)というのは、たとえば小銭を惜しんで、自分に投資しない人のことをいう。 ●2つのタイプ  この時期に、子どもたちは、大きく2つの道に分かれていく。 より大きくなっていく子ども。 より小さくなっていく子ども。  特徴としては、より大きくなっていく子どもは・・・、 (1)失敗を楽しむ (2)挑戦的 (3)多芸多才 (4)情報に敏感で、即応していく (5)おおらかで、スケールが大きい (6)受験勉強を肯定的にとらえる 反対に小さくなっていく子どもは・・・ (1)他人の失敗を笑う (2)保守的 (3)趣味が単一化している (4)思考回路が固定化している (5)ケチ (6)社会的に通用しない価値観をもつ ●私たちの問題  結果は・・・と書くまでもない。 こうした生きざまは、40代ごろになると、結果として現れてくる。 50代になると、さらにはっきりしてくる。 で、それはそのまま人生の密度として、はね返ってくる。  ・・・もっとも、人生の密度というのは、その人にはわからない。 10年1律に生きている人でも、「私は濃い人生を送っている」と言う人がいる。 反対に、きわめて密度の濃い人生を送りながら、「さらに・・・」と考えている人もいる。 さらに言えば、人というのは、自分にとって都合の悪い情報を遠ざけようとする傾向がある。  たとえば人生の密度の薄い人は、濃い人を避ける。 自分の人生の(薄さ)を知ることは、不愉快なことでもある。 敗北感が、自己否定につながることもある。 だから避ける。 つまり小さく生きている人は、小さく生きているどうしで集まり、細々と自分をなぐさめあって生きている。 今の私がそうかもしれないし、あなたもそうかもしれない。  どうであれ、その分かれ道は、中学から高校にかけて、やってくる。  言いかえると、そのころ、それまでの(育て方)の(結果)がやってくる。 ●A君  あるとき、A君は、こう言った。 見習いに入ってきた、中学3年生の女子について、「先生、月謝の無駄だよ」と。  その女子は、ほとんど勉強らしい勉強をしなかった。 それでそのクラスに入れた。 私「どうして?」 A「たった1問を解くのに、30分もかかっている・・・」 私「それがその子の力なんだから、しかたないよ」 A「1問で、エエ~と、1500円かア」と。  月謝を時間割にして計算した。 私「あのね、もし、君が自分のことで同じように考えているなら、ぼくの教室をやめてもいいよ」 A「どうして?」 私「ものを習うというのは、何も、知識を得るためだけではない」 A「・・・」 私「あの女の子は、君たちから勉強癖をもらうために、この教室にいるんだよ」 A「勉強なんて、自分ですればいい。ただだから・・・」 私「・・・そうかな? 本当にそうかな?」と。  「A君は、近く私の教室をやめていくだろうな」と感じた。 が、それはA君には言わなかった。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 大きく伸びる子ども 小さくなる子ども ケチな子ども) Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆  はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■ 【BW生・募集中!】  (案内書の請求)    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html  (教室の案内)     http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html ●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。 ■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■ *********************************** このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか? よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に 話していただけませんか? よろしくお願いします。              はやし浩司 *********************************** 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2012年9月27日木曜日

Aliens’ Footprints by Hiroshi Hayashi

【謎の地上絵+三叉の大燭台】Mystery of Strange Line Pictures and Grand Candlesticks ●謎の地上絵 謎の地上絵には、ちゃんとした意味がありました。 しかも異星人によって描かれていました。 その説明と証拠を提示します。 I found very strange Line Pictures in Chili while I was examining the Spot ,called "UFO's Launch Pad in Bolivia. This is the video about the strange pictures on the ground. I thought that they were Line Pictures drawn by people of that district for fu, but I wasu wrong. Soon I found that they were drawn by very intellectual people, or Aliens. Here is an evidence that proves what I am saying here to be true. ボリビアの「UFOの発射台」を調べているとき、群前チリで、奇妙な地上絵を発見しました。世界でもほとんど知られていない地上絵です。最初、私はそれをだれかの落書きと思いましたが、それがとんでもないまちがいであることに気がつきました。確実に、きわめて高度な知的能力をもった人たち、つまり異星人によって描かれたことがわかりました。その証拠をここに提示します。 img802 img801 img800 (異星人の描いた絵 チリの謎の絵 三叉の大燭台 Grand Candlesticks in Peru Great Mystery of Line pictures Chili Mysteries Ancient Civilizations 古代文明 謎の古代文明 ナスカ UFOの発射台 はやし浩司 Hiroshi Hayashi UFO Launch Pad Bolivia 謎の地上絵 地上絵の謎 Hamamatsu Japan Sep 26th 2012 Evidence Aliens line 異星人の証拠 異星人の足跡)

2012年9月26日水曜日

UFO Launch Pad in Bolovia(ボリビアのUFO発射台)

(47)ボリビアの「UFO発射台」(UFO Launch Pad in Bolivia) UFO Launch Pad in Bolivia.(ボリビアのUFO発射台)。 There is a very strange rock, called "Launch Pad for UFO's". This is the short story about it. And I find some Line Pictures, about 660km away from that place. ボリビアに「UFOの発射台」と呼ばれる奇妙な岩がある。それについて調べてみた。 古代文明をつなぐ謎の点と線。今回は、「お遊び」。 http://youtu.be/66l1JaBGQHI (UFOの発射台 ボリビア UFO Launch Pad Bolivia 古代文明 謎の点と線 はやし浩司 Hiroshi Hayashi 謎の地上絵 Launch Pad for UFO UFO 発射台 ボリビア 謎の岩 ミステリー)2012/09/26記 Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司 ★ ★ ★ ☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆ .  mQQQm             . Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……    .QQ ∩ ∩ QQ          . m\ ▽ /m 彡彡ミミ       .  /~~~\  ⌒ ⌒       . みなさん、   o o β       .こんにちは!  (″ ▽ ゛)○    .        =∞=  //  (BW公開教室・まぐまぐプレミアム読者のみなさんへ)    http://hiroshihayashi4.ninja-web.net/ □■□□□□□□□□□□□□□■□ =================  子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 26日 □■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= ★ ★★HTML版★★★ HTML(カラー・写真版)を用意しました。 どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。) ************************ http://bwhayashi2.fc2web.com/page006.html メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに 選ばれました! 【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【年長児にお話作りを教える】  7月23日は、年長児を対象に、「お話しづくり」を学習しました。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【夏休み&いじめ対策】 ●あなたの子どもは、だいじょうぶ? (安心度・チェックテスト) (1)部活、クラブ活動などに、出かけるときの様子       明るい声で元気よく行く・・・3点       いつも同じように出かけて行く・・・2点       どこか暗い雰囲気・・・1点       時間ギリギリまで行こうとしない・・・0点 (2)友だちについての話題をもちかけたとき       あれこれと友だちの様子を楽しそうに話してくれる・・・3点       聞いたことについては、あれこれと話してくれる・・・2点       「うん」「まあまあ」というような、あいまいな返事が多い・・・1点       話したがらないし、聞いても何も答えない・・・0点 (3)夢と希望、それに目的について話題にしたとき       「あれをしたい」「これをしたい」と明確に言う・・・3点       夢や希望はあるようだが、形がはっきりしない・・・2点       毎日が惰性で動いているよう・・・1点       否定的な返事が多く、何をしても自信がなさそう・・・0点 (4)心や体の変調はみられませんか       健康で、ハツラツとし、とくに何もないよう・・・3点       ときどき体の不調を訴えることはある・・・2点       慢性的に、不眠、けん怠感、食欲不振、腹痛を訴える・・・1点       このところ急速に落ち込んできたような印象をもつ・・・0点 (5)「死」「死ぬ」という言葉にどのように反応しますか       そういった言葉を口にしても、笑い飛ばす・・・3点       「死」というものを、自分と切り離して考えている・・・2点       「死」を身近で考えているような雰囲気がある・・・1点       表情が暗くなったり、何を考えているかわからない・・・0点  このテストでは、平均点を10点前後(中学生)に想定しました。 10点以上であれば、あなたの子どもは、それなりに学生生活を前向きにとらえていると考えてください。  なお点数が低いからといって、いじめられているということにはなりません。 思春期というのは、まさに怒涛のごとく(思い)が子どもを襲います。 その中で、子どもは思い、悩み、自分の進むべき道をさがします。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 (家庭の安心度) (1)あなたの子どもには、家庭の中に逃げ場がありますか       決まった逃げ場があり、いつもそこで心を休めている・・・3点       とくに決まった逃げ場はないが、ひとりになることが多い・・・2点       友だちの家に出かけたり、家の外で気晴らしをする・・・1点       夜遊び、外泊をする。あるいは部屋に引きこもる・・・0点 (2)外から返ってきたとき、あなたの子どもは・・・       あなた(親)のいる前でも大きな態度で自分勝手なことをする・・・3点       あなたを見ると、どこかうるさそうな顔をする・・・2点       あなたの姿を見ると、そそくさと、その場を離れる・・・1点       家族との接触をいやがり、話しかけても何も答えない・・・0点 (3)あなたの子どもは、キレやすく、興奮しやすいですか       いつもなごやかな雰囲気で、性格は穏やか・・・3点       生活は平凡で、なにごともなく過ぎていくよう・・・2点       あなた(親)の言葉に敏感に反応し、怒ったりする・・・1点       突発的にキレたり、ときに大声を出し錯乱状態になる・・・0点 (4)子どもの目で見て、あなたの家庭は、どのようですか       静かで落ち着いた家庭・・・3点       不安なことも多いが、自分では平均的と思う・・・2点       よく騒動も起きる。夫婦仲もあまりよくない・・・1点       はげしい夫婦喧嘩やがつづく。家族の心はバラバラ・・・0点 (5)家族旅行などを提案してみたときの様子       子どもの方から、あれこれ希望を出したりする・・・3点       親が行けば、付いてくるといったふう・・・2点       行きたがらない。会話に乗ってこない・・・1点       そういった提案を持ち出す雰囲気さえない・・・0点  小学3年生(ちょうど親離れを始めるじき)を過ぎたら、「家庭は癒しの場」と心得えてください。 子どもはその家庭の中で、羽を伸ばし、疲れた心を癒します。 なお情緒不安というのは、「心の緊張感が取れない状態」を言います。 家庭はその緊張感を緩める場所ということになります。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 【いじめを知る、5つの方法】  いじめられている子どもでも、それを親に伝えるケースは、10%もないと言われています。 ほとんどの子どもは、いじめられてもそれを自分の心の中にしまってしまいます。 いじめの問題のむずかしさは、ここにあります。 (1)子どものことは、子どもの友だちに聞く  あなたの子どもを積極的に家に呼び、いっしょに遊ぶ機会をふやしてみてください。 あるいはほかの親と親しくなり、自分の子どもについて聞くのもよいでしょう。 大切なことは、風通しのよい人間関係をつくること。 情報は、そういったところから、あなたの耳に入ってきます。 (2)先生に対して、聞き上手になること  先生にとっていちばん話しにくいのは、すぐカリカリする母親です。 先生「最近、顔色がよくわりませんが」 母親「うちではふつうです」 先生「成績がさがってきたようですが」 母親「塾では、いい成績を取っています」と。  こういうときは、自分の子どもでも他人の子どもと思い、一歩引き下がる。 自分の子どもを、客観的に見るようにする。 「己の子どもを知るは賢い父親だ」(「ベニスの商人」)と言ったのはシェークスピアですが、それくらい自分の子どものことを知るのは、むずかしい。 「子どものことは私がいちばんよく知っている」と言う親ほど、自分の子どものことを知らないものです。 (3)いちばん近くにいる友だち(?)を疑う  いじめる側の子どもは、急速にあなたの子どもに接近してきます。 「このところA君からの電話が多くなった」とか、「Bさんが、やたらと遊びにくるようになった」というときは、要注意。 接近しながら、こちらの動きをさぐろうとします。 その友だちが家に来たとき、あなたの子どもがうれしそうに振る舞えば、それでよし。 そうでなければ、相手の子どもの動向に注意します。 (4)心が悪魔的になる  抑圧感が慢性的につづくと、子どもの心は悪魔的になります。 イギリスの教育格言にも、『抑圧は悪魔をつくる』というのがあります。 たとえばガイコツや戦争の絵を好んで描くようになったり、「血」「死」「殺」といった言葉に鋭く反応するようになったりします。  この時期、子どもの心は全体的に悪魔的になります。 受験競争が影響していることは言うまでもありません。 が、それ以上に悪魔的になってきたら、何が子どもの心を抑圧しているか、さぐってみてください。 (5)こまかい配慮(相談)が消える  いじめを受けるようになると、その子どもにとっては、それが(すべて)になります。 学校での勉強や成績、宿題、家庭内での問題などは、その子どもにとっては、どうでもよくなってしまうというわけです。 万事に投げやり的になり、抑圧的な症状(急にふさぎ込んだり、ものごとにこだわったり、ふとしたきっかけで暗く沈むなど)があれば、要注意。 この段階になると、神経症的な症状も出てきます。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 【いじめっ子の4タイプ】  いじめっ子には、4タイプがあります。 それぞれの子どもに応じて対処しましょう。 (1)親分タイプ  いじめの中心的な存在で、たいてい親分・子分関係を作ります。 その親分となるタイプです。 暴力的で威圧的な子どもばかりとはかぎりません。 表ではよい子ぶり、勉強や運動面で、よい成績を示す子どもも少なくありません。 知的ないじめ、集団による組織的ないじめが特徴です。 仮面をかぶり、先生の前ではいい子ぶったりします。 「無視」「仲間はずれ」「いじわる」などを主にします。 (2)子分タイプ  このタイプの子どもは、いじめられるのがこわく、いじめのグループに入ることによって、身の安全をはかります。 いじめられていやな思いをした子どもほど、そうなりますが、親分になって友だちをいじめる度胸はありません。 命令に従い、こそこそと隠れていじめを繰り返すという特徴があります。 (3)攻撃型タイプ  このタイプの子どもは、ほかの子どもに恐れられるのが、「自分の顔」と考えます。 いじめ方が暴力的、攻撃的になるのが特徴です。 肩をいからせて歩く、言動が粗放になるなど、ツッパリ症状が出てきます。 存在感が大きく、おおっぴらに、相手に罵声を浴びせかけたり、暴力を振るったりします。 (4)陰湿タイプ  たいていは単独。 女子に多いタイプ。 嫉妬が原因で、相手をいじめます。 もの隠し、悪口など。 「モマシ」という手法もよく使います。 たいていその子どもの近くにいて、陰湿ないじめを執拗に繰り返します。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●もしあなたの子どもに、いじめの心配ができたら……  あなたの子どもが、どうもいじめをするような悪いグループに入っていると感じたら、鉄則はひとつ。 『友を責めるな、行為を責めろ』(イギリスの教育格言)、です。  子どもに、「A君は悪い子だから、つきあってはダメ」と言うのは、子どもに、「友を取るか、親を取るか」の二者択一を迫るようなもの。 子ども自身も相手の子どもから、ますます逃れられなくなってしまいます。 またそのとき、あなたの子どもがあなたを取ればよし。 しかしそうでなければ、あなたと子どもの間には大きな亀裂が入ることになります。  友だちというのは、その子どもにとっては、子どもの人格そのものだからです。 友を捨てろというのは、子どもの人格を否定することに等しい。 たとえいじめっ子でも、です。 あなたが友だちを責めれば責めるほど、あなたの子どもは窮地に立たされることになります。。 そういう状態に子どもを追い込むことは、たいへんまずい、ですね。 ではどうするか。  こういうケースでは、行為を責める。 またその範囲でおさめる。 「友だちからお金を取ることは悪い」「弱い子どもに暴力を振るうのはよくない」「陰に隠れてずるいことをするのは、悪い」とか、など。  コツは、決して友だちの名前を出さないようにすること。 子ども自身に判断させるようにしむける。 そしてあとは時を待つ。……と書くだけだと、イギリスの格言の受け売りで終わってしまいます。 そこで私はもう一歩、この格言を前に進める。そしてこんな格言を作りました。 『行為を責めて、友をほめろ』と。  子どもというのは自分を信じてくれる人の前では、よい自分を見せようとする。 そういう子どもの性質を利用して、まず相手の友だちをほめる。 「あなたの友だちのB君、あの子はユーモアがあっておもしろい子ね」とか。 「あなたの友だちのB君って、いい子ね。このプレゼントをもっていってあげてね」とか。 そういう言葉はあなたの子どもを介して、必ず相手の子どもに伝わる。 そしてそれを知った相手の子どもは、あなたの期待にこたえようと、あなたの前ではよい自分を演ずるようになる。  つまりあなたは相手の子どもを、あなたの子どもを通して遠隔操作するわけですが、これは子育ての中でも高等技術に属します。 ただし一言。  よく「うちの子は悪くない。友だちが悪いだけだ。友だちに誘われただけだ」と言う親がいます。 しかし『類は友を呼ぶ』の諺どおり、こういうケースではまず自分の子どもを疑ってみること。 祭で酒を飲んで補導された中学生がいました。 親は「誘われただけだ」と泣いて弁解していたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。……というようなケースは、よくあります。  自分の子どもを疑うのはつらいことですが、「友が悪い」と思ったら、「原因は自分の子ども」と思うこと。 だからよけいに、友を責めても意味がないということになります。 何でもない格言のようだが、さすが教育先進国イギリス!、と思わせるような、名格言ですね。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●あなたの子どもがいじめを受けていると感じたら (参考) 【滋賀県大津市での、中2男子の自殺問題について考える】 ●強力な負のエネルギー  自殺するには、それなりの強力な負のエネルギーが必要。 「必要」という言い方も変だが、簡単にはできない。 言い換えると、その中学生は、かなり追い込まれていた。 繰り返し襲い来る絶望感の中で、負のエネルギーを増大させていった。 つまりその中学生は、それほどまでに悩み、苦しんでいた。 その結果として、不幸にも、「自殺」という方法を選んだ。 その子どもの、そのときの気持ちを思いやるに、心の痛まない人はいない。 ●大津市での事件  で、テレビやネット、新聞などの報道を読みながら、最初に私はこう思った。 「これはいじめではなく、犯罪行為だ」と。 つまり当初から、教育レベルの問題ではなく、警察レベルの問題である、と。 事実、こうした問題が起きたばあい、アメリカやオーストラリア、それに欧米では、即、警察が介入してくる。 教育制度のちがいも、大きい。 さらに言えば、教育に対する親たちの意識も、ちがう。 ●家出も学校の責任?  たとえば子どもが家出をしたとする。 小学生でも中学生でもよい。 そういうとき、この日本では、親たちはまず学校に連絡する。 担任の電話番号がわかっていれば、担任の教師に電話をする。  一方、欧米では、即、警察に電話する。 学校ではない。 警察である。 欧米の学校では、教師たちは、教室内の事件(学校内ではなく、教室内!)については、その教室の教師が、全責任を負う。 が、生徒が一歩、教室を出れば、教師には、いっさい責任はない。 大病院の医療制度を思い浮かべればよい。 医師は、診察室での行為、治療、助言については、すべての責任を負う。 しかし患者が一歩、診察室の外に出れば、医師は、いっさい関係ない。 患者がどこで何をしようが、関係ない。 欧米、とくにカナダの学校は、そういうシステムになっている。  いわんや学校外での事件については、学校側には、いっさいの責任はない。 何か事件が起きても、責任を問われることはない。 が、この日本では、子どもが家出をしただけでも、親たちは、まず学校に連絡する。 なぜか? この意識のちがいは、大きい。 ●学校は絶対  その中2の男子は、日常的に、いじめを受けていたという。 親たちも、自分の子どもがいじめを受けているのを知っていたという。 子どもも、ときどき「学校へ行きたくない」と漏らしていたという。 学校に対して、何らかの対策を取るよう、相談もしていたという。    が、私はここで最初の疑問にぶつかる。 ただこう書くからといって、けっして、その親を責めているのではない。 が、欧米なら、(少なくともアメリカやオーストラリアなら)、そういう話を親が知ったら、まず子どもをして、学校を休ませる。 もとから「学校とは行かねばならないところ」という意識が薄い。  が、この日本では、事情がかなり異なる。 最近も、こんなことがあった。 ●拒食症  ある子ども(小1女児)が、学校で給食を食べなくなってしまった。 病院へ連れて行くと、「拒食症」と診断された。 神経症的な症状のひとつである。 ジョンソンの学校恐怖症の診断基準に照らし合わせるなら、第1段階。 つまりこうした症状が重なり、それが限界に達したとき、第2段階の「パニック期」に突入する。 たいていそのまま第3期、つまり不登校期に入る。  こういうケースのばあい、原因探しをしても、意味はない。 ともかくも、そのあと医師が出した結論は、こうだった。 「すべてのおけいこごとを、やめなさい」と。 医師は、おけいこごとからくる過負担が、拒食症の原因と考えた。 あるいはそれによって、過負担を少しでも減らし、子どもの心の緊張感をやわらげようとした。  その話を聞いたとき、私は即、こう考えた。 話がアベコベ、と。 「こういうばあい、オーストラリア人の友人ならどうするだろうか」と。 あるいは「息子(アメリカ在住)なら、どうするだろうか」と。  学校という場で、拒食症になったら、原因は学校にある。 おけいこごとは遠因かもしれないが、直接的な原因ではない。 オーストラリアの友人や、私の息子なら、学校を休ませる。 学校に相談するとしても、そのあと。 (PTAが、教師の人事権をもつ国(学校)も多い。)  が、日本人は、「学校とは行かねばならないところ」という大前提で、ものを考える。 子どもに何か神経症的な症状が出ても、「原因は学校にあるはずがない」という大前提で、ものを考える。 (医師のような高学歴者ほど、そのように考える傾向が強い。)  が、中には、この私のように、集団が苦手な子どもだっているはず。 回避性障害や対人恐怖症の子どもだって、いるはず。 そういうことをいっさい無視して、「おけいこごとはすべてやめなさい」は、ない。 実際、その子どもは、そのあと、おけいこごとをすべてやめてしまった。 ●事なかれ主義?  滋賀県大津市での事件を追いかけてみていると、親のみならず、マスコミにも、似たような意識を感ずる。 みな、「学校とは行かねばならないところ」と考えている。 それを大前提に、今回の自殺問題を考えている。 ある新聞は、こう書いている。 「学校側の事なかれ主義ばかりが目立つ」と。  本当にそうか? そう考えてよいのか? 「事なかれ」とは言うが、学校の教師の多忙さは、想像を絶する。 体力の消耗もふつうではない。 活発盛りの子どもを、30~35人も相手にすれば、ふつうの人でも1~2時間でヘトヘトになる。 ●重労働  繰り返す。  学校、とくに小中学校の教師の忙しさは、ふつうではない。 空き時間にしても、文科省のカリキュラム通りに指導していたら、週に2~3時間もない。 (週に、だぞ!) だからどこの中学校でも、今では授業中は、職員室に教師はほとんどいない。  一方、相手は育ち盛りの中学生。 まさに発情期の子どもたち。 そういう子どもたちを相手に、授業をする。 1人や2人ではない。 30~35人! それがいかに重労働であるかは、外の世界の人には、理解できない。 たとえば女性教師のばあい、50歳を過ぎると、たいてい退職していく。 体力的な限界が、理由と考えてよい。 ある小学校の校長は、こう話してくれた。 「たとえば水泳指導がひとつのきっかけになることが多いですね」と。 つまり水泳指導ができなくなったとき、退職していく、と。 ●いじめ  さらに言えば、学校の教師が子どもたちのいじめを把握するのは、現実には不可能。 教師の前でいじめをする子どもはいない。 教師のいないところで、する。 「指導不足」とか、「監督不行届」という言葉も見える。 その上、(いじめ)と(ふざけ)、さらに(遊び)の境界は、きわめてあいまい。 ベテランの教師でも、見分けるのは、不可能。 今回の事件でも、(いじめ)がつぎつぎと発覚しているが、それはあとになってはじめて、わかること。 「そう言えば、いじめがあった」と。  さらに教師が現場へかけつけたとしても、いじめられた子どもが、「いじめられています」などとは、ぜったいに言わない。 仕返しを恐れる。 今回の事件でも、一度は、教師が現場へかけつけている。 そのときの様子について、TBS-iは、こんな記事も載せている。 『……滋賀県大津市で男子生徒が自殺した問題で、自殺の6日前、学校側が別の生徒から「男子生徒がいじめられている」と報告を受けたものの、「けんか」と判断していたことが分かりました。  大津市教育委員会によりますと、男子生徒が自殺した6日前、担任の教師が、「トイレで男子生徒がいじめられている」と別の生徒から連絡を受けました。 教師がトイレにかけつけ男子生徒から話を聞いたところ、男子生徒は「大丈夫」と答えたということです。 学校側はその後、教員らで対応を話し合いましたが、男子生徒と同級生による「けんか」と結論づけたということです。  「いじめであるという認識は持っていなかった。 通報者はそういった形(いじめ)で言ってきたが、当事者に聞いていくなかで、けんかだと判断した」(男子生徒が通っていた中学校の校長)  校長は、「私どもの対応は不十分であったと認めざるを得ない」と述べました』(以上、TBS-iより、2012年7月15日)と。 ●犯罪行為  ……こう書くからといって、いじめた子どもを擁護しているのではない。 いじめは、避けられないと書いているのでもない。 先ほども書いたように、今回の事件は、(いじめ)ではなく、(いじめ)の範囲を超えた、(犯罪)。 「犯罪的な行為」ではなく、「犯罪」。 犯罪そのもの。 責められるべきは、いじめを繰り返した子どもたち。 その監督責任のある、親たち。 刑事罰を受けてもおかしくない。 それをさておいて、「学校は何をしていた!」は、ない。  率直に言えば、学校の責任を追及するにも、限度があるということ。 さらに言えば、こうした(いじめ)の背景には、現在の(学校制度)そのものがもつ、制度的疲労がある。 仮にこうした(いじめ)まで学校側の責任となると、現在の制度と人員では、対処は不可能。 さらにそこまで子どもたちを管理してよいかという問題もある。 ●アメリカでは……  アメリカでは、(ニュージーランドもそうだが)、子どもたちは、1時間ごとに、教室を移動する。 たとえば生物の時間には、生物の教室に、地理の時間には、地理の教室に。 日本でいう担任制度というのは、ない。  その移動時間。 5分しかない。 たったの5分。 だからアメリカでは、終業ベルなると、廊下は、戦場のようなあわただしさになる。 で、私がなぜ「たったの5分しかないのか?」と聞くと、ニュージーランドから来た留学生(当時、大学生)は、こう教えてくれた。 「生徒どうしの接触時間をなくすため」と。  そして子どもたちは、学校の門をくぐったとたん、学校との関係をすべて切る。 門から出たら、親の責任になる。 どんな事故が起きても、親の責任になる。 学校ではなく、親の責任。  これに対して、この日本では、子どもが「行ってきます!」と言って、家を出た瞬間から、学校の責任になる。 法律上は、そうなっている。 たとえば帰校時に、子どもどうしで何かのトラブルがあったとする。 喧嘩なら、喧嘩でもよい。 で、子どもがケガをしたりすると、親は、即、学校に電話する。 中には校長室へ駆け込む親もいる。 「ちゃんと指導してほしい」と。 つまり、ここに無理がある。 ●いじめ  繰り返す。 陰湿ないじめを繰り返し、別の子どもを自殺に追い込んだ子どもは、それなりの刑事罰を受けるべきである。 (もちろんそれを判断するのは、学校ではなく、警察。) もちろんこの年代の子ども(=18歳未満の子ども)は、少年法の適応を受ける。 収監ではなく保護、刑罰ではなく更正教育。 それが少年法の骨子だが、それを逸脱したばあいには、刑事罰の領域に入る。 (少年法は、量刑の軽減を規定しているが、刑事罰までは否定していない。 たとえば、「死刑をもって処断すべき場合は無期刑にしなければならないとする」など。)  今回の事件が、それに相当するかどうかは、今の段階ではわからない。 過去の事例をみると、少年院送致程度で終わる可能性は高い。 しかしそれでは、被害者の親はもちろん、世間一般は、納得しないだろう。 ●法的合理性  ともあれ、すべての責任を学校に求めるのは、現実問題として、合理性に欠ける。 「法的合理性」という言葉を使ってもよい。 学校の教師が、直接的にいじめに加担したとか、教唆したというのであれば、話は別。 さらに言えば、こうした(いじめ)の背景には、抑圧された子どもたちの(ゆがんだ心理状態)がある。  たとえば子どもは受験期にさしかかると、(ちょうどそのころ発情期に重なるのは、まことにもって悲劇的でもあるが)、心が別人のように殺伐としてくる。 加害者と呼ばれる子どもたちにしても、ひょっとしたらそういう社会的環境の犠牲者かもしれない。 (だからといって、こうしたいじめを正当化することはできないが……。)  要するに私が言いたいことは、つぎのこと。  日本人も、もうそろそろ、学校絶対主義、学校万能主義という幻想から、目を覚ますべきときに来ているのではないかということ。 学校といっても、中身は、教師というサラリーマン(サラリーマンが悪いというのではない。誤解のないように!)。 その教師に、神に近い監督義務、指導責任を求めるのは、もとから無理がある。 つまりこれが私が先に書いた、「制度的疲労」ということになる。 ●学校以外の選択肢  さらに言えば、現在のように、学校を離れて道はなく、学校以外に子どもたちの進むべき道に選択肢がないというのは、どう考えてもおかしい。 文科省が、すべての子どもを管理している。 そのほうが異常であることに、親も、マスコミも、そして医療関係者、警察も気づくべきときに来ているのではないのか。  ドイツ(中学校)では、子どもたちはたいてい午前中で授業を終え、あとはそれぞれがクラブに通っている。 サイクリングクラブ、水泳クラブ、各種語学クラブ、科学クラブ、テニスクラブ……などなど。 フランスでも、イタリアでも、そうである。 最近聞いた話では、オランダでも、そうである。 仮に学校で子どもが拒食症になったとしても、「クラブをすべてやめなさい」と言う、アホな医師は、少なくともドイツにはいない。 「学校を休みなさい」とは言うだろうが、「クラブをすべてやめなさい」とは言わない。  もちろん学内での犯罪行為も多いが、あればあったで、即、パトカーが突入してくる。 子ども自身が、学校内部から、警察を呼ぶことも多い。  言うまでもなく、学校は、「教育」をするところ。 病院が病気を治すように、教育をするところ。 それを生活指導から道徳、はては親の教育まで受けもつから、話がおかしくなる。 だから学校の教師は、そのつど責任を問われる。 「何をしていたんだ!」と。 ●方法  何とも言えないやりきれなさを覚えるのは、私だけだろうか。 まず第一に、学校の教師たちも、すべてを背負い込まないで、こう叫んだらどうだろうか。 「すべてを管理することは不可能です」と。 「私たちにもできることと、できないことがあります」と。  第二に、その一方で、親やマスコミも、学校万能主義をそろそろ捨てるべきときにきている。 「何でもかんでも、学校」という考え方には、無理がある。 とくに今回のような犯罪が起きたばあいは、そうである。 監督や対応、指導が不十分と、学校を責めるのは簡単。 しかし現実問題として、そこまで監督、対応、指導するのは、不可能。 そもそもそれだけの「時間」がない。 が、もしそこまで監督、対応、指導せよというのなら、教育権の強化しかない。 専門の担当教師を増員するしかない。 警察官による巡回も、許すしかない。 ほかにたとえば小中学校でも、「自宅待機処分」「登校停止処分」「警察への通報」。 さらには「退学、転校処分」を可能にする、とか。 そういう権限を、学校側に与える。 ●校長の自殺  ……たまたま昨日も、どこかの校長が、自殺した。 理由はまだはっきりしていないが、いじめ問題がからんでいる可能性が高いという。 その一方で、S市では、いじめを苦にして、1人の中学生が飛び降り自殺(?)を試みたというニュースも伝わってきている。  Yahoo・Newsは、つぎのように伝える。 『 S県S市の中学校で、いじめを受けていた男子生徒が校舎から飛び降りて大けがをした問題で、学校側は21日に緊急の保護者会を開きました。  被害生徒が通う中学校の校長は、つぎのように述べている。 「これまでの私たちのいろいろな教育活動が不十分であることから、こういう問題になっている。足元から見つめ直していきたい」  中学校によりますと、保護者会には約400人が出席し、「校長の認識が甘い」などといった批判も相次いだということです。  出席した保護者は、「(学校側は)いじめかどうか、まだはっきりと分かっていなかった感じ」「まだ納得していない保護者もいた」と。  保護者会に出席した被害生徒の母親は、「学校側は事実をすべて話してくれなかった」と不信感をあらわにしています』(以上、Yahoo・Newsより)と。  なおアメリカでは、ホームスクーラーが100万人を超え、今では200万人を超えている。 そうした子どもたちのために、州政府は、ホームスクール児ために教師まで派遣している。 「いいじゃないの、学校なんて。行きたくなければ行かなければ。その分、自分で勉強しなさいね」と。 日本も、そうした制度を考えるべき時期に来ているのでは? つまりそういう意識を、親や教師がもたないかぎり、こうした不幸な事件は、いつまでもつづく。 ●(補記)  たまたま先週のこと。 ある中学生(中1女子)が、こう言った。 「うちのクラスのM君ね、毎日、コンちゃん(=コンドーム)を学校へもってくるよ。今日はね、ラブホテルのポイントカードをもってきて、みんなに見せていた」と。  高校生がコンドームをもっているというのは、よく聞く話。 放課後の部室は、ラブホテルのようと、みな言っている。 しかしそれが今では、さらに低年齢化した。 中学1年生!  私はその翌日、その学校に通報した。 生活指導の教師と、10分ほど、話した。 もちろん学校側の指導を責めたのではない。 責めても、意味はない。 ただこうした生徒が1人でもいると、1~2年後には、多くの子どもたちがその影響を受けることになる。  たとえば市内のX中学校では、毎年、2~3人の女子中学生が、中絶手術を受けているという(X中学生活指導担当教師弁)。 が、この数とて、まさに氷山の一角。 今、この段階で、そのM君(発達心理学の世界では、「アジテーター」(扇動者)と呼ぶ)を、適切に指導することにより、そうした被害者を、少なくすることができる。  ほかにも生徒の家出、外泊、万引きなどなど……。 学校の教師がかかえる問題は、山のようにある。 いじめ問題は、その中のひとつにすぎない。  なお教育評論家のO氏は、今回の滋賀県大津市での中学生の自殺問題に触れ、H大学での講演会で、つぎのように述べたという。 「教育委員会に責任がある」「教師がもっと自由に教育できるようにすべき」(報道)と。 そういう意見もあるだろう。 が、私には、的をはずれているようにしか思えない。 もっとはっきり言えば、トンチンカン。  以上、どこか学校側を擁護するようなエッセーを書いた。 あまりにも学校側ばかりを責める報道ばかりがつづく。 自殺した子どもの立場で考えると、どうしてもそうなる。 その心情は、冒頭にも書いたように、よく理解できる。 が、学校側を責めるだけでは、こうした問題は解決しない。 それを伝えたくて、このエッセーを書いた。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 中学生の自殺 いじめ問題 はやし浩司 いじめによる自殺 学校側の対応 はやし浩司 制度的疲労) 2012/07/22 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●神経症的な症状について (M様へ) http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html  神経症については、このページをご覧下さい。 なお現在は「神経症」という言葉は使わないで、「神経症的な症状」という言葉を使います。 どうかお気をつけください。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 休みます。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆  はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■ 【BW生・募集中!】  (案内書の請求)    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html  (教室の案内)     http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html ●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。 ■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■ *********************************** 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2012年9月25日火曜日

謎の出雲大社(出雲大社の謎)byはやし浩司Mystery of Japan

【謎の出雲大社、出雲大社の謎】byはやし浩司(46号+44号) 【Mystery of Izumo-Taisha、Japan】 http://youtu.be/GDqKoua8p14 Mystery of Izumo-Taisha. In Japan we have two major Shrines, one is Izumo Major Shrine and another one is Ise Major Shrine. This is a video about the both, which are connected to each other closely and intellectually. I hereby in this video they are so with evidence. And moreover, Gods and Buddhism are also closely connected with other ancient civilizations of the world. This is a very important story and then I made this video very preciseky with the at most care. 出雲大社に関する謎です。 出雲大社は、伊勢神宮と密接につながっていました。 そればかりか、出雲大社は、世界の謎の点と線と、密接につながっていました。前回44号につづいて、46号を送ります。 まったく予想外の展開に、驚いています。私自身も、こんな結果になるとは、思っていませんでした。これを「偶然」と片付けるには、無理があります。 どうかご覧の上、ご自身で確認してみてください。 なお転作、盗作、流用は、禁止です。ご理解の上、ご協力ください。 img782 img779 (出雲大社 出雲大社の謎 謎の出雲大社 伊勢神宮 仁徳陵 高野山 比叡山 天台宗 真言宗 謎 ミステリー Mystery of Izumo Taisha Japanese Major shrines Mystery of Japanese old legend Mystery of God in Japan Mystery of ancient civilixations 古代文明 日本の古代文明の謎 謎の日本古代文明 はやし浩司 古代文明 Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan はやし浩司 出雲大社)2012/09/25記 Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司

2012年9月24日月曜日

滋賀県のいじめ問題について

(45号)ナスカの謎(Mysteries in Ancient Civilizations, 謎の点と線) (45)More and more mysteries come out in Nazca, Peru. This is the one. For example there is the Grand Cross in Nazca. In this video I extend the horizontal line to to east, to find what is there. Nowadays only Pyramids in Giza are so well-known, but I am sure that real ancient cultures are not there in Pyramids, but in some ruins near the Pyramids, since the Pyramids are only land-marks. I have found some very sophisticated ruins on the Line from Nazca to Africa. This is the video abou it. ナスカの謎はつきません。今回は大十字架(私は「グランドクロス」と呼んでいますが、その大十字架の横線について調べてみました。 (縦線は、まっすぐテオティワカンにつながっていることは、すでに検証済み。) 何が出てくるか、どうかお楽しみに! ・・・というか、エジプトといえば、ピラミッドだけがよく知られていますが、ピラミッドというのは、ただの標識にすぎません。 本当の古代文化は、ピラミッドにではなく、もっと別のところにあるのではないでしょうか。 このビデオは、それについてのものです。はやし浩司 2012年9月24日 Sep 24th 2012 無断盗作、厳禁でご覧ください。No one is allowed to steal my ideas in any case, for which I need your cooperation. Thank you! http://youtu.be/T3ECKdAHTis (skull in Peru ペルーの頭蓋骨 エジプトのギザ エジプト ナスカ ナスカの大十字架 grand cross in Nazca 謎の十字架 Mystery of Grand Cross in Nazca Hiroshi Hayashi Mysteries of Ancient Civilizaions 謎の古代文明 謎のエジプト文明 ナスカの地上絵 謎の線 Mystery of the Lines in Nazca はやし浩司 古代文明の謎 謎の点と線 Nazca Nasca Teotihuacan Giza) Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司 ☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆ .  mQQQm            . Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……    .QQ ∩ ∩ QQ         . m\ ▽ /m 彡彡ミミ       .  /~~~\  ⌒ ⌒       . みなさん、   o o β        .こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/   .        =∞=  // (奇数月用) (BW公開教室・まぐまぐプレミアム読者のみなさんへ)    http://hiroshihayashi4.ninja-web.net/ □■□□□□□□□□□□□□□■□ =================  子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 9月 24日 □■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= ★ ★★HTML版★★★ HTML(カラー・写真版)を用意しました。 どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。) ************************ http://bwhayashi2.fc2web.com/page007.html メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに 選ばれました! 【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【滋賀県大津市での、中2男子の自殺問題について考える】 ●強力な負のエネルギー  自殺するには、それなりの強力な負のエネルギーが必要。 「必要」という言い方も変だが、簡単にはできない。 言い換えると、その中学生は、かなり追い込まれていた。 繰り返し襲い来る絶望感の中で、負のエネルギーを増大させていった。 つまりその中学生は、それほどまでに悩み、苦しんでいた。 その結果として、不幸にも、「自殺」という方法を選んだ。 その子どもの、そのときの気持ちを思いやるに、心の痛まない人はいない。 ●大津市での事件  で、テレビやネット、新聞などの報道を読みながら、最初に私はこう思った。 「これはいじめではなく、犯罪行為だ」と。 つまり当初から、教育レベルの問題ではなく、警察レベルの問題である、と。 事実、こうした問題が起きたばあい、アメリカやオーストラリア、それに欧米では、即、警察が介入してくる。 教育制度のちがいも、大きい。 さらに言えば、教育に対する親たちの意識も、ちがう。 ●家出も学校の責任?  たとえば子どもが家出をしたとする。 小学生でも中学生でもよい。 そういうとき、この日本では、親たちはまず学校に連絡する。 担任の電話番号がわかっていれば、担任の教師に電話をする。  一方、欧米では、即、警察に電話する。 学校ではない。 警察である。 欧米の学校では、教師たちは、教室内の事件(学校内ではなく、教室内!)については、その教室の教師が、全責任を負う。 が、生徒が一歩、教室を出れば、教師には、いっさい責任はない。 大病院の医療制度を思い浮かべればよい。 医師は、診察室での行為、治療、助言については、すべての責任を負う。 しかし患者が一歩、診察室の外に出れば、医師は、いっさい関係ない。 患者がどこで何をしようが、関係ない。 欧米、とくにカナダの学校は、そういうシステムになっている。  いわんや学校外での事件については、学校側には、いっさいの責任はない。 何か事件が起きても、責任を問われることはない。 が、この日本では、子どもが家出をしただけでも、親たちは、まず学校に連絡する。 なぜか? この意識のちがいは、大きい。 ●学校は絶対  その中2の男子は、日常的に、いじめを受けていたという。 親たちも、自分の子どもがいじめを受けているのを知っていたという。 子どもも、ときどき「学校へ行きたくない」と漏らしていたという。 学校に対して、何らかの対策を取るよう、相談もしていたという。    が、私はここで最初の疑問にぶつかる。 ただこう書くからといって、けっして、その親を責めているのではない。 が、欧米なら、(少なくともアメリカやオーストラリアなら)、そういう話を親が知ったら、まず子どもをして、学校を休ませる。 もとから「学校とは行かねばならないところ」という意識が薄い。  が、この日本では、事情がかなり異なる。 最近も、こんなことがあった。 ●拒食症  ある子ども(小1女児)が、学校で給食を食べなくなってしまった。 病院へ連れて行くと、「拒食症」と診断された。 神経症的な症状のひとつである。 ジョンソンの学校恐怖症の診断基準に照らし合わせるなら、第1段階。 つまりこうした症状が重なり、それが限界に達したとき、第2段階の「パニック期」に突入する。 たいていそのまま第3期、つまり不登校期に入る。  こういうケースのばあい、原因探しをしても、意味はない。 ともかくも、そのあと医師が出した結論は、こうだった。 「すべてのおけいこごとを、やめなさい」と。 医師は、おけいこごとからくる過負担が、拒食症の原因と考えた。 あるいはそれによって、過負担を少しでも減らし、子どもの心の緊張感をやわらげようとした。  その話を聞いたとき、私は即、こう考えた。 話がアベコベ、と。 「こういうばあい、オーストラリア人の友人ならどうするだろうか」と。 あるいは「息子(アメリカ在住)なら、どうするだろうか」と。  学校という場で、拒食症になったら、原因は学校にある。 おけいこごとは遠因かもしれないが、直接的な原因ではない。 オーストラリアの友人や、私の息子なら、学校を休ませる。 学校に相談するとしても、そのあと。 (PTAが、教師の人事権をもつ国(学校)も多い。)  が、日本人は、「学校とは行かねばならないところ」という大前提で、ものを考える。 子どもに何か神経症的な症状が出ても、「原因は学校にあるはずがない」という大前提で、ものを考える。 (医師のような高学歴者ほど、そのように考える傾向が強い。)  が、中には、この私のように、集団が苦手な子どもだっているはず。 回避性障害や対人恐怖症の子どもだって、いるはず。 そういうことをいっさい無視して、「おけいこごとはすべてやめなさい」は、ない。 実際、その子どもは、そのあと、おけいこごとをすべてやめてしまった。 ●事なかれ主義?  滋賀県大津市での事件を追いかけてみていると、親のみならず、マスコミにも、似たような意識を感ずる。 みな、「学校とは行かねばならないところ」と考えている。 それを大前提に、今回の自殺問題を考えている。 ある新聞は、こう書いている。 「学校側の事なかれ主義ばかりが目立つ」と。  本当にそうか? そう考えてよいのか? 「事なかれ」とは言うが、学校の教師の多忙さは、想像を絶する。 体力の消耗もふつうではない。 活発盛りの子どもを、30~35人も相手にすれば、ふつうの人でも1~2時間でヘトヘトになる。 ●重労働  繰り返す。  学校、とくに小中学校の教師の忙しさは、ふつうではない。 空き時間にしても、文科省のカリキュラム通りに指導していたら、週に2~3時間もない。 (週に、だぞ!) だからどこの中学校でも、今では授業中は、職員室に教師はほとんどいない。  一方、相手は育ち盛りの中学生。 まさに発情期の子どもたち。 そういう子どもたちを相手に、授業をする。 1人や2人ではない。 30~35人! それがいかに重労働であるかは、外の世界の人には、理解できない。 たとえば女性教師のばあい、50歳を過ぎると、たいてい退職していく。 体力的な限界が、理由と考えてよい。 ある小学校の校長は、こう話してくれた。 「たとえば水泳指導がひとつのきっかけになることが多いですね」と。 つまり水泳指導ができなくなったとき、退職していく、と。 ●いじめ  さらに言えば、学校の教師が子どもたちのいじめを把握するのは、現実には不可能。 教師の前でいじめをする子どもはいない。 教師のいないところで、する。 「指導不足」とか、「監督不行届」という言葉も見える。 その上、(いじめ)と(ふざけ)、さらに(遊び)の境界は、きわめてあいまい。 ベテランの教師でも、見分けるのは、不可能。 今回の事件でも、(いじめ)がつぎつぎと発覚しているが、それはあとになってはじめて、わかること。 「そう言えば、いじめがあった」と。  さらに教師が現場へかけつけたとしても、いじめられた子どもが、「いじめられています」などとは、ぜったいに言わない。 仕返しを恐れる。 今回の事件でも、一度は、教師が現場へかけつけている。 そのときの様子について、TBS-iは、こんな記事も載せている。 『……滋賀県大津市で男子生徒が自殺した問題で、自殺の6日前、学校側が別の生徒から「男子生徒がいじめられている」と報告を受けたものの、「けんか」と判断していたことが分かりました。  大津市教育委員会によりますと、男子生徒が自殺した6日前、担任の教師が、「トイレで男子生徒がいじめられている」と別の生徒から連絡を受けました。 教師がトイレにかけつけ男子生徒から話を聞いたところ、男子生徒は「大丈夫」と答えたということです。 学校側はその後、教員らで対応を話し合いましたが、男子生徒と同級生による「けんか」と結論づけたということです。  「いじめであるという認識は持っていなかった。 通報者はそういった形(いじめ)で言ってきたが、当事者に聞いていくなかで、けんかだと判断した」(男子生徒が通っていた中学校の校長)  校長は、「私どもの対応は不十分であったと認めざるを得ない」と述べました』(以上、TBS-iより、2012年7月15日)と。 ●犯罪行為  ……こう書くからといって、いじめた子どもを擁護しているのではない。 いじめは、避けられないと書いているのでもない。 先ほども書いたように、今回の事件は、(いじめ)ではなく、(いじめ)の範囲を超えた、(犯罪)。 「犯罪的な行為」ではなく、「犯罪」。 犯罪そのもの。 責められるべきは、いじめを繰り返した子どもたち。 その監督責任のある、親たち。 刑事罰を受けてもおかしくない。 それをさておいて、「学校は何をしていた!」は、ない。  率直に言えば、学校の責任を追及するにも、限度があるということ。 さらに言えば、こうした(いじめ)の背景には、現在の(学校制度)そのものがもつ、制度的疲労がある。 仮にこうした(いじめ)まで学校側の責任となると、現在の制度と人員では、対処は不可能。 さらにそこまで子どもたちを管理してよいかという問題もある。 ●アメリカでは……  アメリカでは、(ニュージーランドもそうだが)、子どもたちは、1時間ごとに、教室を移動する。 たとえば生物の時間には、生物の教室に、地理の時間には、地理の教室に。 日本でいう担任制度というのは、ない。  その移動時間。 5分しかない。 たったの5分。 だからアメリカでは、終業ベルなると、廊下は、戦場のようなあわただしさになる。 で、私がなぜ「たったの5分しかないのか?」と聞くと、ニュージーランドから来た留学生(当時、大学生)は、こう教えてくれた。 「生徒どうしの接触時間をなくすため」と。  そして子どもたちは、学校の門をくぐったとたん、学校との関係をすべて切る。 門から出たら、親の責任になる。 どんな事故が起きても、親の責任になる。 学校ではなく、親の責任。  これに対して、この日本では、子どもが「行ってきます!」と言って、家を出た瞬間から、学校の責任になる。 法律上は、そうなっている。 たとえば帰校時に、子どもどうしで何かのトラブルがあったとする。 喧嘩なら、喧嘩でもよい。 で、子どもがケガをしたりすると、親は、即、学校に電話する。 中には校長室へ駆け込む親もいる。 「ちゃんと指導してほしい」と。 つまり、ここに無理がある。 ●いじめ  繰り返す。 陰湿ないじめを繰り返し、別の子どもを自殺に追い込んだ子どもは、それなりの刑事罰を受けるべきである。 (もちろんそれを判断するのは、学校ではなく、警察。) もちろんこの年代の子ども(=18歳未満の子ども)は、少年法の適応を受ける。 収監ではなく保護、刑罰ではなく更正教育。 それが少年法の骨子だが、それを逸脱したばあいには、刑事罰の領域に入る。 (少年法は、量刑の軽減を規定しているが、刑事罰までは否定していない。 たとえば、「死刑をもって処断すべき場合は無期刑にしなければならないとする」など。)  今回の事件が、それに相当するかどうかは、今の段階ではわからない。 過去の事例をみると、少年院送致程度で終わる可能性は高い。 しかしそれでは、被害者の親はもちろん、世間一般は、納得しないだろう。 ●法的合理性  ともあれ、すべての責任を学校に求めるのは、現実問題として、合理性に欠ける。 「法的合理性」という言葉を使ってもよい。 学校の教師が、直接的にいじめに加担したとか、教唆したというのであれば、話は別。 さらに言えば、こうした(いじめ)の背景には、抑圧された子どもたちの(ゆがんだ心理状態)がある。  たとえば子どもは受験期にさしかかると、(ちょうどそのころ発情期に重なるのは、まことにもって悲劇的でもあるが)、心が別人のように殺伐としてくる。 加害者と呼ばれる子どもたちにしても、ひょっとしたらそういう社会的環境の犠牲者かもしれない。 (だからといって、こうしたいじめを正当化することはできないが……。)  要するに私が言いたいことは、つぎのこと。  日本人も、もうそろそろ、学校絶対主義、学校万能主義という幻想から、目を覚ますべきときに来ているのではないかということ。 学校といっても、中身は、教師というサラリーマン(サラリーマンが悪いというのではない。誤解のないように!)。 その教師に、神に近い監督義務、指導責任を求めるのは、もとから無理がある。 つまりこれが私が先に書いた、「制度的疲労」ということになる。 ●学校以外の選択肢  さらに言えば、現在のように、学校を離れて道はなく、学校以外に子どもたちの進むべき道に選択肢がないというのは、どう考えてもおかしい。 文科省が、すべての子どもを管理している。 そのほうが異常であることに、親も、マスコミも、そして医療関係者、警察も気づくべきときに来ているのではないのか。  ドイツ(中学校)では、子どもたちはたいてい午前中で授業を終え、あとはそれぞれがクラブに通っている。 サイクリングクラブ、水泳クラブ、各種語学クラブ、科学クラブ……などなど。 フランスでも、イタリアでも、そうである。 仮に学校で子どもが拒食症になったとしても、「クラブをすべてやめなさい」と言う、アホな医師は、少なくともドイツにはいない。 「学校を休みなさい」とは言うだろうが、「クラブをすべてやめなさい」とは言わない。  もちろん学内での犯罪行為も多いが、あればあったで、即、パトカーが突入してくる。 子ども自身が、学校内部から、警察を呼ぶことも多い。  言うまでもなく、学校は、「教育」をするところ。 病院が病気を治すように、教育をするところ。 それを生活指導から道徳、はては親の教育まで受けもつから、話がおかしくなる。 だから学校の教師は、そのつど責任を問われる。 「何をしていたんだ!」と。 ●方法  何とも言えないやりきれなさを覚えるのは、私だけだろうか。 まず第一に、学校の教師たちも、すべてを背負い込まないで、こう叫んだらどうだろうか。 「すべてを管理することは不可能です」と。 「私たちにもできることと、できないことがあります」と。  第二に、その一方で、親やマスコミも、学校万能主義をそろそろ捨てるべきときにきている。 「何でもかんでも、学校」という考え方には、無理がある。 とくに今回のような犯罪が起きたばあいは、そうである。 監督や対応、指導が不十分と、学校を責めるのは簡単。 しかし現実問題として、そこまで監督、対応、指導するのは、不可能。 そもそもそれだけの「時間」がない。 が、もしそこまで監督、対応、指導せよというのなら、教育権の強化しかない。 専門の担当教師を増員するしかない。 警察官による巡回も、許すしかない。 ほかにたとえば小中学校でも、「自宅待機処分」「登校停止処分」「警察への通報」。 さらには「退学、転校処分」を可能にする、とか。 そういう権限を、学校側に与える。 ●校長の自殺  ……たまたま昨日も、どこかの校長が、自殺した。 理由はまだはっきりしていないが、いじめ問題がからんでいる可能性が高いという。 その一方で、S市では、いじめを苦にして、1人の中学生が飛び降り自殺(?)を試みたというニュースも伝わってきている。  Yahoo・Newsは、つぎのように伝える。 『 S県S市の中学校で、いじめを受けていた男子生徒が校舎から飛び降りて大けがをした問題で、学校側は21日に緊急の保護者会を開きました。  被害生徒が通う中学校の校長は、つぎのように述べている。 「これまでの私たちのいろいろな教育活動が不十分であることから、こういう問題になっている。足元から見つめ直していきたい」  中学校によりますと、保護者会には約400人が出席し、「校長の認識が甘い」などといった批判も相次いだということです。  出席した保護者は、「(学校側は)いじめかどうか、まだはっきりと分かっていなかった感じ」「まだ納得していない保護者もいた」と。  保護者会に出席した被害生徒の母親は、「学校側は事実をすべて話してくれなかった」と不信感をあらわにしています』(以上、Yahoo・Newsより)と。  なおアメリカでは、ホームスクーラーが100万人を超え、今では200万人を超えている。 そうした子どもたちのために、州政府は、ホームスクール児ために教師まで派遣している。 「いいじゃないの、学校なんて。行きたくなければ行かなければ。その分、自分で勉強しなさいね」と。 日本も、そうした制度を考えるべき時期に来ているのでは? つまりそういう意識を、親や教師がもたないかぎり、こうした不幸な事件は、いつまでもつづく。 ●(補記)  たまたま先週のこと。 ある中学生(中1女子)が、こう言った。 「うちのクラスのM君ね、毎日、コンちゃん(=コンドーム)を学校へもってくるよ。今日はね、ラブホテルのポイントカードをもってきて、みんなに見せていた」と。  高校生がコンドームをもっているというのは、よく聞く話。 放課後の部室は、ラブホテルのようと、みな言っている。 しかしそれが今では、さらに低年齢化した。 中学1年生!  私はその翌日、その学校に通報した。 生活指導の教師と、10分ほど、話した。 もちろん学校側の指導を責めたのではない。 責めても、意味はない。 ただこうした生徒が1人でもいると、1~2年後には、多くの子どもたちがその影響を受けることになる。  たとえば市内のX中学校では、毎年、2~3人の女子中学生が、中絶手術を受けているという(X中学生活指導担当教師弁)。 が、この数とて、まさに氷山の一角。 今、この段階で、そのM君(発達心理学の世界では、「アジテーター」(扇動者)と呼ぶ)を、適切に指導することにより、そうした被害者を、少なくすることができる。  ほかにも生徒の家出、外泊、万引きなどなど……。 学校の教師がかかえる問題は、山のようにある。 いじめ問題は、その中のひとつにすぎない。  なお教育評論家のO氏は、今回の滋賀県大津市での中学生の自殺問題に触れ、H大学での講演会で、つぎのように述べたという。 「教育委員会に責任がある」「教師がもっと自由に教育できるようにすべき」(報道)と。 そういう意見もあるだろう。 が、私には、的をはずれているようにしか思えない。 もっとはっきり言えば、トンチンカン。  以上、どこか学校側を擁護するようなエッセーを書いた。 あまりにも学校側ばかりを責める報道ばかりがつづく。 自殺した子どもの立場で考えると、どうしてもそうなる。 その心情は、冒頭にも書いたように、よく理解できる。 が、学校側を責めるだけでは、こうした問題は解決しない。 それを伝えたくて、このエッセーを書いた。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 中学生の自殺 いじめ問題 はやし浩司 いじめによる自殺 学校側の対応 はやし浩司 制度的疲労) 2012/07/22 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【平坦化する人の心】 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 久しぶりに、市内(浜松市肴町→田町)の繁華街を歩いてみた。 JR浜松駅から、5~10分の距離である。 大通りから、中通へ。 その間に、車がやっと入れるほどの小通りもある。 が、驚いた。 「テナント募集」の看板が、あちこちにかかげられていた。 シャッターを下ろした店も多い。 荒れた姿をさらしている空き店舗もあった。 夜逃げでもしたか。 そんな感じだった。 さらに……。 すでに更地になり、駐車場になっているところもあった。 「こんなひどい状況とは知らなかった」と私。 「ひどいわね」とワイフ。 店だけではない。 目を少し上に向けると、空き室の張り紙をしたビルも目立つ。 「市内で、30%が空き室になっている」という話は聞いていた。 が、実感としては、50%。 いったい、この日本はどうなってしまったのか? この浜松は、どうなってしまったのか? Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●文化の「根」  町の活気を維持するのは、商店主たちである。 地元で、店を構える商店主たちである。 デパートやスーパー、それに大型店ではない。 サラリーマンとして働く、店員たちには、「根」をおろす力はない。 商店主たちである。 商店主たちが、その地域に「根」をおろし、ついで「文化」の花を咲かせる。 この「根」こそが大切。  が、その商店主たちが、どんどんと姿を消している。 シャッター街を例にあげるまでもない。 客にとっては、買い物のしやすい街になるかもしれない。 明るく広い店内。 冷暖房もきいている。 目が合えば、「いらっしゃいませ」とていねいに、おじぎもしてくれる。 が、何か、おかしい。 何か、足りない。 何かが、欠けている。 その欠けた部分が、「地域文化」ということになる。 ●祭り  祭りを例にあげて考えてみよう。 たとえばこの浜松市には、凧(たこ)祭りという、東海地方では最大級の祭りがある。 毎年40~50万人の見物客が集まる。 この凧祭りは別として、ほかにも、いろいろな祭りがある。 が、どれもパッとしない。 言うなれば、お役人が企画したような官製の祭り。 中には、「サンバ祭り」というのもある。 ブラジルのカーニバルを、ミニチュア化したような祭りである。    が、私ですら、見に行ったことがない。 それにもし私のワイフが、その祭りに参加すると言ったら、……というか、参加しない。 ハンカチより小さな水着を身に着け、街中を歩く。 スケベな連中には楽しい祭りかもしれない。 しかしそんな祭りに、「根」など、生えるわけがない。  ほかにも、「がんこ祭り」というのもある。 全国から、踊り好きの人たちが集まり、それぞれの踊りを披露する。 が、これも官製。 この祭りにも、「根」がない。 「がんこ」というのは、浜松弁で、「大きい」とか、「強い」とかを意味する。  「根」が生えるためには、その地域の、「下」からの盛りあがりが重要。 近所の人たちが集まり、踊りの練習をする。 その練習の輪が大きくなって、町内の人たち全体が動く。 それが「祭り」となっていく。 その原動力となるのが、「根」。 ●平坦化  かくして祭りでさえも、平坦化した。 凧祭りにしても、役人による規制、規制、また規制で、今ではまったくおもしろくない。 昔の凧祭りを知っている人なら、なおさらそう思うだろう。 今では、それぞれの町内が発行するワッペンを購入し、ちょうちんをもたないと、道路を歩くことさえできない。 練り(行進)にしても、世話役が先導し、コースそのものが決められている。 だれかが笛を吹いたら行進し、まただれかが笛を吹いたら、停止する。  が、40年前はちがった。 それぞれの町内の練り隊が、随所で衝突した。 怒号と罵声が飛び交い、人の湯気があたりを包んだ。 そのあと、救急車が、何台も狂ったように走り回った。 そのころの祭りを、「犬」にたとえるなら、現在の祭りは、「ウサギ」。 さらにそれ以前の祭りは、「野獣」だった……という。 ●季節感  こうして文化そのものが、平坦化した。 ついでに季節感も平坦化した。 先ほども、ワイフとこんな話をした。 「ぼくたちは、寿司といっても、正月しか食べられなかった」と。  が、今はちがう。 毎日でも食べられる。 それに冬場でも、スイカが食べられる。 夏場でも、ミカンが食べられる。 ●人間関係  ついでに言えば、人間関係も、平坦化した。 親戚づきあい、近所づきあい、それに親子関係など。 そうした現象を、多くの人は、「都会的」という言葉を使って、説明する。 「進歩」とか、「近代化」とかいう言葉を使う人もいる。 が、都会的って、何?  日本人は、戦後のあの高度成長期の流れの中で、自ら「根」を切ってしまった。 「都会的」という言葉の中で、自分を見失ってしまった。 それを「善」とするあまり、大切なもの、大切にしなければならないもの、それまで大切にしてきたものを、切り捨ててしまった。 たとえば親子関係にしても、今では、子どもの方が親に向かって、「縁を切る時代」になった。 『親の恩も遺産次第』という言葉も聞かれる。 想像で書いているのではない。 R25がした調査結果を、もう一度ここで読んでみてほしい。 この調査結果には、考えさせられた。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 **********以下、R25の調査結果より*********** R25が首都圏・愛知・大阪に住む25歳から34歳の男性300人に実施したアンケートでは、「社会人になって(就職した後)、親からお小遣いをもらったことはありますか?」の問いに対し、「今も継続的にもらっている」が3%、「今もたまにもらっている」が11.3%、「以前にもらったことはあるが、今はもらっていない」が30%、「もらったことはない」が55.7%となっている。  「今も継続的にもらっている」「今もたまにもらっている」と回答した人に「どれくらいの頻度で、お小遣いをもらっていますか?」と聞いたところ、最も多かったのは「月に1回程度」(27.9%)。以下、「4~6カ月に1回程度」(23.3%)、「2~3カ月に1回程度」(18.6%)、「7~12カ月に1回程度」(18.6%)となっており、わずか1名ながら「毎週もらう」との回答もあった。 「1回にもらう金額」については「1万円以上~2万円未満」が最も多く44.2%。 以下、「1万円未満」(27.9%)、「2万円以上~3万円未満」(18.6%)と、3万円未満との回答が合計90.7%を占めているが、なかには「7万円以上~10万円未満」(4.7%)、10万円以上(2.3%)とかなり親に依存している人も。 ちなみに、親から援助してもらったお金をどのように使っているのかというと「食費」(48.8%)や「交際費」(44.2%)「レジャー費」(37.2%)といった回答が多かった。  このように、社会人になっても親の財布をアテにして生計を維持している若者は少なからず存在する模様。 なんだか情けないような気もするが、彼らにも彼らなりの言い分があるようだ。 ★「時々もらうものに対しては、親が子どもに威厳を保ちたいような感情があるので、喜んでもらっている感じです」(34歳男性) ★「社会人たるもの、必要な資金は自分で調達するべきだが、親の好意に甘えるのも時には必要。親もそれで喜んでくれるのであればなおさら」(28歳男性) ★「こちらから欲しいと言って貰う訳ではないし、これはこれでいいかと」(26歳男性) ★「極力避けたいが、キャッシングとか利用するよりはいいかなと思う」(34歳男性) ★「家族によって違うとは思うが、援助したりされたりすることで繋がりを持っていたいと思う」(26歳男性) ★「ちゃんと働いていて、さらに親から貰えるならいいと思う。使われなかったものは多くの場合、遺産として自分のところに最終的に入ってくるので、いつもらうのかという話」(29歳男性)  とくに多かったのは金銭の授受によって、別々に暮らす親子のつながりが生まれるという意見。 実際、援助することに喜びを感じる親は少なくないため、仕送りを受け取ることが親孝行になるとの考えもあるようだ。  また、仕送りではなく、別の形で親から資金援助を受ける人も少なくない。 例えば人生の節目である結婚に際し、費用を親・親族から援助してもらった人は75.8%。 援助額の平均は196.9万円となっている(ゼクシィ「結婚トレンド調査2011」より)。 また、新居を建てる際には54%の人が親・親族からの資金援助を受けており、そのうち1500万円以上の援助を受けた割合は11.4%にも上る(SUUMO「住居に関するアンケート2011」より)。 **********以上、R25の調査結果より*********** Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●若者たちの言い分  若者たちには若者たちの言い分というものがある。 「お金をもらってやるのが、親孝行」とか、「どうせ遺産でもらうのだから」とか、など。 上述(★)印のところを、もう一度、読んでみてほしい。 現在、親子の関係も、ここまで平坦化している。 ……と書いても、これは脳のCPUの問題。 平坦化した時代に、平坦化した人間関係しか知らない人に、平坦化を説明しても、意味はない。 理解すらできない。 それが(当たり前)という世界に生きている。 が、その一方で、みながみな、そうええはない。 ここ1週間、私は2組の親子に出会った。 実に温もりのある、2組の親子である。 (1) 歯科医院    その歯科医院には、大先生と呼ばれる70歳前後の医師と、30歳前後の医師がいる。 大先生は、父親、30歳前後の意思は、その娘。 受け付けは、その大先生の三女が受け持っている。 その間を行き来し、看護師をしているのが、母親。 家族経営。  みなが、実に楽しそう。 和気あいあいといった雰囲気。 (2) 日本料理店    その店は、明治以来の店という。 何代目かは知らないが、現在は、60歳前後の父親が経営している。 家族は、上から長女、長男、二女。 長男は、京都での長い修行を終え、最近、その店で父親を手伝うようになったという。  私とワイフが行くと、長女と次女、それに母親が、その店を手伝っていた。 小さな日本料理店だったが、そうした団結心は、そのまま料理に表現されていた。 端に並べるような目立たない器(うつわ)ですら、ピアピカに磨かれていた。  少なくはなったが、そういう形で、親子関係を大切にしている家族もある。 ●孤独死  話はぐんと暗くなる。  この先、孤独死、無縁死は、当たり前。 私たちの世代は、まだよいほう。 2050年……つまり今から、38年後。 逆算すると、後期高齢者と言われるのが、75歳。 75-38=37歳。 現在、37歳の人たちが、75歳前後になるころの話である。 そのころになると、老人1人に対して、実労働者は、たったの1・2人になるという。 いろいろ対策は考えられてはいるが、そうなったら、介護制度そのものが崩壊する。 (すでに崩壊し始めているが……。)  が、そんな状況でも、社会に(温もり)があれば、まだよい。 温もりが、人と人をつなぐ。 たとえ孤独死であっても、無縁死であっても、心安らかに死を迎えることができる。 が、そうでなければ、そうでない。 つまり平坦社会においては、結局はそれに苦しむのは、その人、当人ということになる。 ●教室で  今夜、高校生たちと、こんな会話をした。  「ぼくが子どものころは、親父は店先で、客と将棋を指していた」と。 高「仕事は?」 私「客を待たせていたよ」 高「待っていてくれたの?」 私「そうだ。そこへ別の客が来ると、その客まで、将棋に加わった」 高「怒らなかったの?」 私「怒る人はいなかったね」と。  私の実家は、自転車屋だった。 道路へ自転車を並べても、怒る人はいなかった。 道路そのものが、仕事の場であり、ついでに言えば、子どもの遊び場だった。 が、今は、ちがう。 どうちがうかは、みなさん、ご存知の通り。  こんな話をすると、1人の生徒が、こう言った。 「じゃあ、先生、将棋をしてみようよ」と。 ●殺風景な光景  その前に、こんな話もした。 繁華街の一角には、大手進学塾のビルがいくつか並んでいた。 外からのぞくと、スーツに身を包んだ社員たちが、パソコンを相手に、何やら仕事をしていた。 隣の部屋が、学生たちの談話室になっていた。 そこでは4~5人ずつくらいのグループに分かれ、学生たちが何やら話しこんでいた。 全部で、40~50人くらいは、いただろうか。  見るからに殺風景な光景だった。 味も素っ気もない……。 すべてが事務的。 そんな光景だった。  その話をしたときのことだった。 1人の生徒が、こう言った。 「じゃあ、先生、将棋をしてみようよ」と。  一瞬迷ったが、私は、こう答えた。 「そうだな……。塾で、将棋かア……。いいねエ」と。 ●時間的パラドックス    私は将棋盤を持ち出すと、1人の生徒と将棋を始めた。 私「時間的パラドックスという言葉があるよ」 高「何、それ?」 私「いいか、こうして将棋を指して、時間を無駄にするだろ」 高「うん、無駄だ……」 私「ところがね、そういう時間のほうが、あとあと記憶の中に、長く残るというわけ」 高「思い出にもなるしね」 私「そう、それを時間的パラドックスという」と。  高校生たちは、恐らく、私のところで勉強したことは、すべて忘れる。 が、将棋を指したことは忘れない。 無駄にした時間ほど、無駄にならない(?)。 ●温もり  温もりというのは、心のすき間から生まれる。 去年、オーストラリアへ行ったときのこと。 こんなことがあった。  メルボルン市(オーストラリア)で、オーバーランド号という列車に乗った。 アデレード行きの長距離列車である。 で、その列車が、メルボルンから1時間半ほどのところにある、ジーロンという町 に着いた。 予定より、20分も早く着いた。 そのとき車内アナウンスが流れた。 「20分早く着いた。ここで客が17人乗ることになっている。 その客を待つ」と。  しばらくすると、何人かの客が、プラットフォームを歩いていくのが見えた。 それがその17人の客だった。 その直後、また車内アナウンス。 「客が乗ったので、出発します」と。  ご存知のように、日本では、ぜったいにありえない光景である。 私はその「不完全さ」に、たまらないほどの「温もり」を覚えた。 ●温もり  この先、ここでいう平坦化は、ますます進むだろう。 すべてがさらに合理的、事務的になる。 よい例が、ファーストフードの店。 客は、空腹感を満たすことだけを考え、店に入る。 店員との人間関係など、結びようがない。 店員にしても、定期的に、店から店へと移動していく。  さらにそれが進んだのが、新幹線の駅であり、空港ということになる。 それらしいサービスもしてくれるが、そのサービスそのものが、平坦化している。 冷たい。 どこまでも冷たい。  だから……先に書いた歯科医院へ入ったとき。 先に書いた日本料理店へ入ったとき。 私は言いようのない、温もりを覚えた。 ●進む平坦化  個人商店が、つぎつぎと姿を消す。 もともと大型店には、勝ち目はない。 年中無休。 夜、9時まで営業。 宣伝の仕方まで、戦略的。 組織的。  が、その一方で、社会はさらに平坦化する。 人々の心も平坦化する。 教育の世界とて、例外ではない。 この静岡県でも、たとえば子どもが学校でケガをしたとする。  そのとき首から上のケガは、教師が一度、かならず医院へ連れていくことになっている。 そのあと、その子どもといっしょに家庭まで行き、ケガの説明をすることになっている。 それがマニュアル化されている。 私が子どものころには、そんなケガは日常茶飯事。 教師はもちろん、親たちも、何も問題にしなかった。  心のすき間が、ますます小さく、ぎこちないものになっている。 ●すき間を大切に  平坦化を防ぐためには、心のすき間を広くする。 もっとわかりやすく言えば、(いいかげんさ)を大切にする。 またそれを許容する、心の度量を広くする。  ……とは言いつつも、生徒の1人と将棋を指しながら、こうも考えた。  「10年来のつきあいのある生徒だからいいようなものの、もしこれが進学塾だったら、即、クビだろうな」と。 「学校の教師でも、クビになるかもしれない」とも。 「教師が授業中に、生徒と将棋を指して、サボっていた」とか、何とか。  ……しかしそれにしても、どうして日本の社会は、こうまでギスギスになってしまったのか。 余裕がないというか、余裕を認めない。 認めないばかりか、余裕のある人を、異端視する。 排斥する。  その結果が今。  駅前には、また別の大きなデパートができた。 もうひとつ、別の大きなデパートも建設中。 この先すぐ、シャッターを下ろす商店は、ますますふえるはず。 地域の根は切られ、社会はますます殺伐としたものになる。 人の心も、ますます殺伐としたものになる。 (浜松市の行政担当のみなさんへ)  「町の活性化」という言葉をよく耳にする。 しかし町の活性化は、個人の商店主によって生み出される。 また個人の商店主を忘れて、町の活性化はない。  その個人商店主たちを生かさないで、何が町の活性化? 私も、その個人商店の出身だが、私が知るかぎり、行政による保護、補助など、聞いたことがない。 受けたことがない。 考えてみれば、行政そのものが、平坦化している。 すべてが事務的になってきている。 それについては、また別の機会に考えてみたい。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 平坦化 地域文化 平坦化 個人商店主 個人事業 地域文化の根 はやし浩司 大型店 シャッター街) 2012/07/22 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 休みます。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆  はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■ 【BW生・募集中!】  (案内書の請求)    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html  (教室の案内)     http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html ●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。 ■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■ *********************************** このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか? よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に 話していただけませんか? よろしくお願いします。              はやし浩司 *********************************** ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■   まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは…… 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(45)Mystery in Nazca

(45号)ナスカの謎(Mysteries in Ancient Civilizations, 謎の点と線) (45)More and more mysteries come out in Nazca, Peru. This is the one. For example there is the Grand Cross in Nazca. In this video I extend the horizontal line to to east, to find what is there. Nowadays only Pyramids in Giza are so well-known, but I am sure that real ancient cultures are not there in Pyramids, but in some ruins near the Pyramids, since the Pyramids are only land-marks. I have found some very sophisticated ruins on the Line from Nazca to Africa. This is the video abou it. ナスカの謎はつきません。今回は大十字架(私は「グランドクロス」と呼んでいますが、その大十字架の横線について調べてみました。 (縦線は、まっすぐテオティワカンにつながっていることは、すでに検証済み。) 何が出てくるか、どうかお楽しみに! ・・・というか、エジプトといえば、ピラミッドだけがよく知られていますが、ピラミッドというのは、ただの標識にすぎません。 本当の古代文化は、ピラミッドにではなく、もっと別のところにあるのではないでしょうか。 このビデオは、それについてのものです。はやし浩司 2012年9月24日 Sep 24th 2012 無断盗作、厳禁でご覧ください。No one is allowed to steal my ideas in any case, for which I need your cooperation. Thank you! http://youtu.be/T3ECKdAHTis (skull in Peru ペルーの頭蓋骨 エジプトのギザ エジプト ナスカ ナスカの大十字架 grand cross in Nazca 謎の十字架 Mystery of Grand Cross in Nazca Hiroshi Hayashi Mysteries of Ancient Civilizaions 謎の古代文明 謎のエジプト文明 ナスカの地上絵 謎の線 Mystery of the Lines in Nazca はやし浩司 古代文明の謎 謎の点と線 Nazca Nasca Teotihuacan Giza)

2012年9月23日日曜日

The Story of Japanese old legend about the God was true.

(44)天照大神は実在した!(Japanese Gods were existed!) 天照大神は実際に存在した。・・・決して意図的に私の目的のために誘導したのではなく、私もこういう結果になるとは、予想もしていませんでした。 作り話では、ここまで位置を正確に決めることはできません。 (私自身は、今回こうして「事実」を知るまで、天照大神を信じていませんでした。) 仁徳陵をはさんで、九州の高千穂と恵那山が、90度の角度で一直線につながったとき、私はたいへん驚きました。 そのあと、私は日本の神々が、けっして空想上の存在ではなかったということを知りました。 In Japan we have Shintoism, in which they expalin that this world was created by Gods but I did not believe the story. Here is a short video which explains about Japanese Shintoism, which is true, I am sure now and you may, too. This is very surprising and it brings me an unexpected result. img779 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 http://youtu.be/VhYZxlddCUI (日本の神 天照大神 存在の証明 日本の神教 神道 伊勢神宮の謎 謎の神 謎の天照大神 恵那山 高千穂 天岩戸 謎の点と線 日本の古代文明 高野山の謎 比叡山の謎 謎の高野山 謎の比叡山 亀ヶ岡土偶 遮光器土偶 仁徳陵 謎の仁徳陵 はやし浩司 Hiroshi Hayashi Japanese shintoism Shintoism Mystery of Shintoism Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan 真言宗 天台宗 謎の宗教)2012/09/23記 Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司

2012年9月22日土曜日

(43)Mystery of Tomb Mounds in Saito-city, Japan

(43)謎の西都市、謎の古墳群(Mystery of Saito-city, Japan)2012/09/22記 (43)This is a short story of Saito-city Tomb Mounds in Japan. The Tomb Mounds are closely connected with other ancient civilizations, as well as Nintoku Tomb Mound, Osaka, Japan. Here is the evidence, (43)宮崎県の西都市にある古墳群は、仁徳陵のみならず、世界の古代文明と密接につながっていました。ここにその証拠を提示します。 http://youtu.be/ubCNtk2tN6I (資料) img778 (西都市 古墳群 謎の古墳群 謎の西都市 西都市の古墳群 ミステリー 西都市のミステリー 西都市の謎 Saito-city Mystery of Ancient civilizations Miyazaki Tomb mounds in 古墳群の謎を解く 仁徳陵との関係 謎の点と線 Mystery of Japan Saito-city はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ) Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司

(42+41)ナスカの地上絵の謎

(42+41)【ナスカ平原の謎】(線は何のため? 地上絵は何のため?) Mystery of Lines and Line Pictures in Nazca. What for did they draw such lines and pictures? Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 Mystery of Lines in Nazca. What are the Lines there? This is the video which explains what they are. The important thing is that you use your own common sense and think things with the common sense. Then you will be able to see what you you can't see before. Open your mindand accept the facts lying in front of you. ナスカの線、地上絵は何なのか。何のためにあるのか。それを説明します。 さあ、あなたも心を開き、そこにある事実を受け入れてみませんか。最初は勇気がいりますが、そうすれば、それまで見えなかったものが、見えてくるようになります。 ナスカの線は、天体観測のためのものなどではありません。それをこのビデオの中で説明します。どこのだれが、10キロもの長い線を引いて、春分や夏至の日を知ろうとするものですか? ものごとは常識で考えましょう。 また地上絵は、目的地を示す、絵文字と考えています。まだ例は少ないですが、やがてそれも明らかになるでしょう。 Sep 20th 2012 Japan (42+41) (資料) img769 img770 img771 img772 (Nazca line pictures ナスカ 地上絵 線の謎 Nazca Palenque Monte Alban Teotihuacan Mystery of Lines in Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan はやし浩司 浜松 Answer to the questions line pictures ペルー 絵文字 目的地を示す絵文字 常識的古代文明論 謎の古代文明 Ancient Civilizations Nasca Nasuka 2012/09/21記) Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司

2012年9月21日金曜日

What are the Lines and Line Pictures in Nazca?

(41)【ナスカ平原の謎】(線は何のため? 地上絵は何のため?) Mystery of Lines and Line Pictures in Nazca. What for did they draw such lines and pictures? Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 (41)Mystery of Lines in Nazca. What are the Lines there? This is the video which explains what they are. The important thing is that you use your own common sense and think things with the common sense. Then you will be able to see what you you can't see before. Open your mindand accept the facts lying in front of you. ナスカの線、地上絵は何なのか。何のためにあるのか。それを説明します。 さあ、あなたも心を開き、そこにある事実を受け入れてみませんか。最初は勇気がいりますが、そうすれば、それまで見えなかったものが、見えてくるようになります。 ナスカの線は、天体観測のためのものなどではありません。それをこのビデオの中で説明します。どこのだれが、10キロもの長い線を引いて、春分や夏至の日を知ろうとするものですか? ものごとは常識で考えましょう。 また地上絵は、目的地を示す、絵文字と考えています。まだ例は少ないですが、やがてそれも明らかになるでしょう。 Sep 20th 2012 Japan (資料) img769 img770 img771 img772 (Nazca line pictures ナスカ 地上絵 線の謎 Nazca Palenque Monte Alban Teotihuacan Mystery of Lines in Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan はやし浩司 浜松 Answer to the questions line pictures ペルー 絵文字 目的地を示す絵文字 常識的古代文明論 謎の古代文明 Ancient Civilizations Nasca Nasuka 2012/09/21記) Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司

子育て相談(2例)

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(″ ▽ ゛)○   .        =∞=  //  (BW公開教室・まぐまぐプレミアム読者のみなさんへ)    http://hiroshihayashi4.ninja-web.net/ □■□□□□□□□□□□□□□■□ =================  子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年9月21日 □■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= ★ ★★HTML版★★★ HTML(カラー・写真版)を用意しました。 どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。) ************************ http://bwhayashi2.fc2web.com/page008.html メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに 選ばれました! 【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【子育て相談・2例】 ●17日、18日に、掲示板の方で、子育て相談を2例受けた。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 [投稿日時]2012年 7月18日(水) [題名]5歳娘の行動のこと [投稿者]MK 先生はじめまして。 年中5歳娘のことで相談をさせて下さい。 娘は一人っ子です。今年の4月から初めて保育園に通園し始めました。 引っ付き虫だった娘は、当然4月は「ママ、さみしいよー」と泣きながら通園してました。 私の姿が見えなくなると友達とニコニコあそんでたみたいです。 5、6月は「ママが帰るとさみしいよー」と、少しぐずって言ってましたが、だんだん泣かないで通園できていました。 7月に入ってからまた泣きながらの通園がはじまりました。 帰宅後、「ママ、○○はオシッコでるから、お水飲まない」と言ったり、今オシッコ行ったから寝てる時はおもらししないよね?、と聞いたり、もらしたらどうしよう・・・、今○○がこれ触った手でお友達触ってもどうにもならない?  大丈夫?、と先の心配ばかりしています。 いつもと少し違うなと感じ始めました。 いつ手洗ったりトイレいったらいいかわからない・・・と。 「夏は暑いから汗でるからたくさんお水飲んで大丈夫よ。 おもらししたって大丈夫だよ、心配ないよー」と、その都度言いました。 ちなみに一度もおもらしした事はないです。 保育園のお友達がもらしたのを見て心配になったのかなと思いましたが、それもなさそうです。 とにかく色んな事が心配になってきたみたいで、担任の先生に相談しました。 娘の保育園は年長10人位年中児、6人の縦割りクラスです。 先生も娘のことを気にかけて下さりました。 年長さんや年中さんなので自主性を求めるために少しずつ「手洗ってきなさい、トイレ行ってきて下さい・・・」を言うのを減らしてきました。 だからまだ3か月しか園生活していない娘さんは不安になったのではないかな、とのことでした。 実際、先生が○○ちゃんは言った方がいい?、と尋ねられたところ、娘はそっちがいいと答えたそうです。 それから少し落ち着くかな、と思ってましたが、それに加えて手を洗わないと心配と言い出したり、床触ったから洗ってくるといいだしたりします。 「耳の所触ったけどお友達触ってもどうにもならない?」と、すべてが不安になりだしました。 「大丈夫大丈夫それ位で皆どうもならないよー」と、私が言いますが、心配不安の様子。 おとといは、朝から着替える時、頭から服を被った時に、よだれがついたから着替える!!」、大丈夫よと言ってもカーっとなって我を通すだけです。 足で踏んだから汚いからこの服は洗って!!と言ったり、なだめようと抱っこしようとしたら、「ママ汚いの触ったから今は触らないで・・・」と。 さすがにこの言葉に私は泣きたくなりました。 主人が帰ってきても「パパお仕事して洋服汚れてるけど、抱っこしたからパジャマ着替える・・・」とか。 手におえない位にグズることがありどうしようもなくなってしまいます。 抱きしめたくても汚れてる、と言われたりしてできない時はどうしたら良いでしょうか? 娘の気が済むようにあれもこれも着替えを気の済むようさせるべきですか? どうしたらイイかわからない時があります。 時折、自分の手が床に付かないように手を挙げてるような時もあります。 通園時、靴のテープも朝は触りたがらなくて困りました。 お迎えの時は自分で履いてました。 保育園ではお利口にしすぎてるのかな?、と先生がおっしゃってました。 自宅ではママが困ると分かるからチョット気に食わないと行動づるのかなともおっしゃってました。 3か月通園して廻りの子は慣れてるから何でも出来るし指示されないと不安になるし張りつめた気持ちが破裂してしまったのかな。。。 かんしゃく時、私には気に食わないと、足で弱めに蹴ったりもしてきました。 先生、抱きたくても触れない時、着替えると泣き喚く時とかどのように対処したらよいでしょうか? 汚れを気にし過ぎないで今までの娘に戻るにはどうしたらよいでしょうか? これまで寝るとき保育園に行くときなど「、ママ大好き~。チユとしたりギュっとだきしめたりしてました。 昨夜も添い寝してると娘からチユとしてきました。 ホント難しいです。 どういう時に機嫌損ねるか分からないし対処できない時もあって・・・。 先生ニコニコの気にし過ぎない娘にまた戻れるようになれますか。 宜しくお願い致します。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 [題名]3歳児(男児)が荒れはじめました [投稿者]高齢出産の母 (以下、KRさん) 4か月前から3歳半の息子が少しずつ荒れ始めました。 先生がお書きになっている幼児の神経症の症状がいくつもみられます。 明るく活発で無鉄砲な反面、利口で神経質な性質の子供です。 緊張しやすいですが、直接的な態度には表しません。 幼稚園入園や海外滞在、おむつトレーニングなどが重なり、荒れた行動→方々から感情的に叱られることも多々あり、神経が疲労してしまったのかと思います。 幼稚園では真面目な児童のようです(過剰適応気味)。 母親の私自身は長く精神不安をかかえており、父親はストレス状態にあり、息子には不安定な家庭環境を与えてしまいました。 自我がめばえてからは本人の主張が強いあまりに、私は言いなりになっていることが多く、甘えの欲求にも応えようとしてきました。 父親は筋違いの厳格さなどもあり、ちぐはぐな躾だったのかもしれません。 息子は好奇心が旺盛で、人と関わりたい、注目を集めたい、褒められたい、などの欲求が強く、最近では自分の欲求が満たされなかったり、自分の思う通りに相手が動いてくれないと、かんしゃくを起したり、暴力で訴えたりします。 神経が衰弱しているため、ストレスは避けたいところですが、自己形成の時期であるため思い通りにさせてはいけないと、ジレンマに陥っています。 大切な年齢ですので、ぜひ先生からアドバイスをいただきたく存じます。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【はやし浩司より、MKさん、KRさんへ】  回答が長くなりそうなので、掲示板ではなく、BLOGのほうで、書いてみたいと思います。 今しばらくお待ちください。 明日(7月20日朝)は、時間ができそうなので、そのとき考えてみます。 ともに「神経症的な症状」ですね。 基本的には、不安先行型の子育て、心配先行型の子育てが、基本的な原因と考えてください。 母親自身の「心」をそっくりそのまま受け継いでしまっているというわけです。 つまり「何をしても心配だ」式の子育てを、恐らく妊娠時からしてしまったというわけです。 そういう点で、「基本的信頼関係」の構築に、失敗したとみます。  で、こうした神経症的な症状を見せる子ども(チック~夜尿症~潔癖症など)は、珍しくありません。 私がどこかの小学校で調査した、調査結果もありますので、また明日にでも、BLOGのほうで紹介します。  では、今日は、これで失礼します。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【雑感・あれこれ】(2012年7月18日記) ●梅雨明け  昨日(7月17日)、梅雨が明けた。 長くつづいた曇り空が、一転、澄んだ青空に変わった。 気温は、30度前後。 自転車で走る。 半時間も走ると、全身がさわやかな汗に包まれる。 家に入る。 頭から水をかぶり、扇風機に当たる。 その爽快感がたまらない。 ●台風  台風X号が、九州の西を北上している。 気象庁の天気図を見る。 どうやら北朝鮮へ。 ピョンヤンの直撃コース。 台風から伸びる雨雲が、すでに朝鮮半島を覆っている。 が、こう書くからといって、北朝鮮のことを心配しているのではない。 「かわいそうだ」とは、思うが、そこまで。  降らなければ大干ばつ。 降れば大洪水。 今度の台風が、金正恩政権の命取りになるかもしれない。 問題は、そのあと。 静かに崩壊してくれれば、それでよい。 そうでなければ、そうでない。 それを思うと、気分が重くなる。 ●懇談会  今朝、父母懇談会をもった。 その中で、こう言った。 「受験競争を子どもに強いることは、虐待です」と。  昔、ベッドから引きずり出されていた子ども(小5男児)がいた。 その子どもは、毎日、5ページ、問題集を解くことになっていた。 その日のノルマ(問題集)をしていないと、引きずり出された。 話を聞くと、母親はこう言った。 「父親は、毎晩夜遅く帰ってきます。午前1時とか、2時になることもあります。そのあと息子の問題集をチェックし、ノルマを果たしていないと、息子をベッドから引きずり出し、勉強をさせています」と。  これを「虐待」と言わずして、何と言う?  が、親たちには、その意識はない。 「子どものため」と、思い込んでいる。 子どものためと思いながら、子どもを虐待している。  当然、子どもの心はゆがむ。 傷つく。 最近の研究によれば、脳(扁桃核)に、本当に傷がつくという。 目に見える物理的な傷である。 子どもの心も、親から離れる。  ……という話は、すでにどこかで書いた。 懇談会では、その話をした。 「受験競争は避けては通れない道かもしれませんが、やり方をまちがえないように!」と。 ●眠い  今、この文章を、歯科医院の待合室で書いている。 私が5人目だったが、今、2人が、診療室に入っている。 たった今、85歳前後の女性が、診療室から出てきた。 骨と皮だけ。 ガリガリにやせている。 動作も鈍い。  よい医師を見つけるのは、たいへんむずかしい。 よい友だちを見つけるのと同じくらい、むずかしい。 方法がないわけではない。 その地域の、信頼のおける友人か、知人に聞くとよい。 年配の人であればあるほど、よい。  で、この医院の名前は、金原歯科医院。 浜松市の鴨江町にある。 (元裁判所前。一本、道を入ったところにあるので、通りからは見えません。そのあたりでお聞きになると、よいでしょう。予約制ではなく、たいてい1回の治療で、すべて終わります。) 今日で、3度目。 「いい医院」と確信がもてたので、実名をここに書く。 (今まで、30年以上通ったK医院は、去年の終わりごろ、廃業した。)  みなさんも、もし歯科医院選びで迷ったら、金原歯科医院にしてみてはどうでしょうか。 私はこの目と、歯で、しっかりとそれを確かめました。 私が保証します。 ●イノシシ  このところカメラをいつも、ぶらさげている。 どこへ行くにも、ぶらさげている。 パナソニックのGF5。 すごいカメラ。 が、すご過ぎる。  その瞬間、ふつうの写真を撮るのがむずかしい。 あれこれと操作している間に、シャッターチャンスを逃してしまう。  そこで今夜、車の中で、(ふつうの写真)が撮れるように設定しなおした。 「できれば、UFOを撮りたい」と。  が、山荘の入り口を入ったところで、ワイフがふつうでない声を張りあげた。 「すわっ、UFOか!」と思った。 が、見ると、車のライトに照らされて、イノシシの子ども。 4頭!  手に構えていたカメラをそちらに向け、シャッターを切る。 このタイミングのよさ。 ややピンボケだが、そこそこの写真が撮れた。 「UFOのほうが、よかった」と私。 ●タヌキ  イノシシの話をしていたら、ワイフがこう言った。 「昨日、うち(浜松市内の自宅)の庭をタヌキが歩いていたってエ」と。 私「タヌキ?」 ワ「そう、S(息子)が、見たってエ」 私「ネコの見まちがいじゃあないのか?」 ワ「タヌキだってエ……」と。  ハクビシンは毎年、やってくる。 子連れでやってくる。 ほかにイタチも出る。 ヘビもいる。 サルも出る。 アライグマも出たことがある。  リスは、いつもいる。 野鳥については、フクロウをはじめ、キツツキも出る。 スズメはもちろん、ホウジロ、ウグイス、メジロ……。 ツグミ、ムクドリ、ヒヨドリ、山鳩、サギ、モズ……など。 ほかに名前のわからない鳥、数種類。 我が家は自然動物園のよう?  一方、山荘のほうでは、これまた別の野鳥がやってくる。 私が好きなのは、ホトトギス。 ほかにもあるが、ここには書ききれない。 そう言えば、キジを見かけなくなった。 ウズラも、ここ数年、見ていない。 コジュケイは、健在。 ときどき、チョットコイ、チョットコイと大きな声を張りあげる。  が、今夜はイノシシ。 こういうことがあるから、山の生活は楽しい。 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 金原歯科医院 鴨江 元裁判所前) Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 【子育て相談】(幼児の神経症的な症状について) Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●7月19日のBW幼児教室(年中児、小2児、小3児クラス)  勉強は楽しもう! 楽しく学ぶ子は、よく学ぶ、ですよ! (1)年中児(お話作り) (2)小2児(棒グラフ) (3)小3児(棒グラフ) Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 [投稿日時]2012年 7月18日(水) [題名]5歳娘の行動のこと [投稿者]MK 先生はじめまして。 年中5歳娘のことで相談をさせて下さい。 娘は一人っ子です。今年の4月から初めて保育園に通園し始めました。 引っ付き虫だった娘は、当然4月は「ママ、さみしいよー」と泣きながら通園していました。 私の姿が見えなくなると友達とニコニコあそんでいたみたいです。 5、6月は「ママが帰るとさみしいよ~」と、少しぐずって言っていましたが、だんだん泣かないで通園できていました。 7月に入ってからまた泣きながらの通園がはじまりました。 帰宅後、「ママ、○○はオシッコでるから、お水飲まない」と言ったり、今オシッコ行ったから寝てる時はおもらししないよね?、と聞いたり、もらしたらどうしよう・・・、今○○がこれ触った手でお友達触ってもどうにもならない?  大丈夫?、と先の心配ばかりしています。 いつもと少し違うなと感じ始めました。 いつ手を洗ったりトイレいったらいいかわからない・・・と。 「夏は暑いから汗でるから、たくさんお水飲んで大丈夫よ。 おもらししたって大丈夫だよ、心配ないよー」と、その都度言いました。 ちなみに一度もおもらしした事はないです。 保育園のお友達がもらしたのを見て心配になったのかなと思いましたが、それもなさそうです。 とにかく色んな事が心配になってきたみたいで、担任の先生に相談しました。 娘の保育園は、年長10人位年中児6人の、縦割りクラスです。 先生も娘のことを気にかけて下さりました。 年長さんや年中さんなので、自主性を求めるために、少しずつ「手洗ってきなさい、トイレ行ってきて下さい・・・」を言うのを減らしてきました。 だからまだ3か月しか園生活していない娘さんは、不安になったのではないかな、とのことでした。 実際、先生が○○ちゃんは行った方がいい?、と尋ねられたところ、娘はそっちがいいと答えたそうです。 それから少し落ち着くかな、と思っていましたが、それに加えて手を洗わないと心配と言い出したり、床触ったから洗ってくると言いだしたりします。 「耳の所触ったけどお友達触ってもどうにもならない?」と、すべてが不安になりだしました。 「大丈夫大丈夫、それ位で皆どうもならないよ~」と、私が言いますが、心配不安の様子。 おとといは、朝から着替える時、頭から服を被った時に、よだれがついたから着替える!!」、大丈夫よと言ってもカーっとなって我を通すだけです。 足で踏んだから汚いからこの服は洗って!!と言ったり、なだめようと抱っこしようとしたら、「ママ汚いの触ったから今は触らないで・・・」と。 さすがにこの言葉に私は泣きたくなりました。 主人が帰ってきても「パパお仕事して洋服汚れてるけど、抱っこしたからパジャマ着替える・・・」とか。 手におえない位にグズることがあり、どうしようもなくなってしまいます。 抱きしめたくても汚れている、と言われたりしてできない時はどうしたら良いでしょうか? 娘の気が済むように、あれもこれも着替えを気の済むようさせるべきですか? どうしたらよいかわからない時があります。 時折、自分の手が床に付かないように手を挙げてるような時もあります。 通園時、靴のテープも朝は触りたがらなくて困りました。 お迎えの時は自分で履いてました。 保育園ではお利口にしすぎてるのかな?、と先生がおっしゃってました。 自宅ではママが困ると分かるから、チョット気に食わないと行動するのかなともおっしゃってました。 3か月通園して廻りの子は慣れているから何でも出来るし、指示されないと不安になるし、張りつめた気持ちが破裂してしまったのかな。。。 かんしゃく時、私には気に食わないと、足で弱めに蹴ったりもしてきました。 先生、抱きたくても触れない時、着替えると泣き喚く時とか、どのように対処したらよいでしょうか? 汚れを気にし過ぎないで今までの娘に戻るにはどうしたらよいでしょうか? これまで寝るとき保育園に行くときなど、「ママ大好き~。チユとしたりギュっとだきしめたりしていました。 昨夜も添い寝していると、娘からチユとしてきました。 ホント難しいです。 どういう時に機嫌損ねるか分からないし対処できない時もあって・・・。 先生ニコニコの気にし過ぎない娘にまた戻れるようになれますか。 宜しくお願い致します。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 [題名]3歳児(男児)が荒れはじめました [投稿者]高齢出産の母 (以下、KRさん) 4か月前から3歳半の息子が少しずつ荒れ始めました。 先生がお書きになっている幼児の神経症の症状がいくつもみられます。 明るく活発で無鉄砲な反面、利口で神経質な性質の子供です。 緊張しやすいですが、直接的な態度には表しません。 幼稚園入園や海外滞在、おむつトレーニングなどが重なり、荒れた行動→方々から感情的に叱られることも多々あり、神経が疲労してしまったのかと思います。 幼稚園では真面目な児童のようです(過剰適応気味)。 母親の私自身は長く精神不安をかかえており、父親はストレス状態にあり、息子には不安定な家庭環境を与えてしまいました。 自我がめばえてからは本人の主張が強いあまりに、私は言いなりになっていることが多く、甘えの欲求にも応えようとしてきました。 父親は筋違いの厳格さなどもあり、ちぐはぐな躾だったのかもしれません。 息子は好奇心が旺盛で、人と関わりたい、注目を集めたい、褒められたい、などの欲求が強く、最近では自分の欲求が満たされなかったり、自分の思う通りに相手が動いてくれないと、かんしゃくを起したり、暴力で訴えたりします。 神経が衰弱しているため、ストレスは避けたいところですが、自己形成の時期であるため思い通りにさせてはいけないと、ジレンマに陥っています。 大切な年齢ですので、ぜひ先生からアドバイスをいただきたく存じます。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【はやし浩司より、MKさん、KRさんへ】  回答が長くなりそうなので、掲示板ではなく、BLOGのほうで、私の考えを書いてみたいと思います。 今しばらくお待ちください。 明日(7月20日朝)は、時間ができそうなので、そのとき考えてみます。 ともに「神経症的な症状」ですね。 基本的には、不安先行型の子育て、心配先行型の子育てが、基本的な原因と考えてください。 母親自身の「心」をそっくりそのまま受け継いでしまっているというわけです。 つまり「何をしても心配だ」式の子育てを、恐らく妊娠時からしてしまったというわけです。 そういう点で、「基本的信頼関係」の構築に、失敗したとみます。  で、こうした神経症的な症状を見せる子ども(チック~夜尿症~潔癖症など)は、珍しくありません。 私がどこかの小学校で調査した、調査結果もありますので、また明日にでも、BLOGのほうで紹介します。  では、今日は、これで失礼します。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 ●神経症的な症状  子どもの神経症的な症状(以下、神経症)を考えるとき、第一に重要なことは、つぎのことです。 (1) 子どもは家族の代表    子どもに何かの症状(神経症にかぎらない)が現れると、親は、子どもだけを見て、子どもをなおそうとする。 しかし反省すべきは、親自身ということになる。 親の育児観、育児姿勢、育児態度。 『子どもは家族の代表』というのが、今では常識的な考え方になっています。 つまり子どもの問題は、家族の問題というわけです。  ……と書くと、たいへんの親は、「私は問題ない」「私はふつう」と答えます。 が、この「私は……」というのが、曲者。 本当に「私」がわかっている親は、(親にかぎらないが)、ほとんどいない。 反対に言うと、「私のことは自分がいちばんよく知っている」と言う親ほど、自分のことがわかっていない。  で、親は、常に自分を「善」とし、原因を外の世界に向かって求める。 「幼稚園が悪い」「先生が悪い」と。 「~~があったから、こうなった」「~~があったから、こうなった」と。  しかし先にも書いたように、子どもが神経症になる背景には、親の育児観が大きく影響している。 心配先行型、不安先行型、さらには子どもの側からみて、愛情飢餓など。 母子間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子どもは常に不安と心配の渦の中で、もがくようになる。 母子分離不安も、そのひとつ。 親の姿が見えなくなっただけで、ギャーと錯乱状態になって、親のあとを追いかけたりする。 (あるいは極度な不安状態になり、オドオドする。)  親は「私は子どもを愛している」などと言うが、たとえば、母親がたった3日間、病院に入院しただけで、母子分離不安になった子どもがいる。 遊園地で迷子になっただけで、母子分離不安になった子どもがいる。  原因はさまざまであり、「いつの間にか、そうなってしまった」というケースも多い。 (2) 二番底論    神経症は、それにつづく別の症状をともなうことが多い。 ジョンソンの学校恐怖症論によれば、不登校に先立つ前兆症状として現れることもある。 つまり「なおそう」と思わないこと。 「今の状況を、より悪くしないこと」だけを考えて、対処する。 なおそうと考え、(治そうでも直そうもよいが)、無理をすればするほど、「まだ前の方がよかった……」ということを繰り返しながら、症状は悪化する。  とくに神経症は、不登校の前兆として現れることが多い。 原因のわからない腹痛、下痢、頭痛、ぐずりなどが慢性的につづいたら、要注意。 「家庭は憩いの場」と考え、こまごまとしたしつけなどは、控える。  またひとつの症状が、別の症状を引き起こすということも多い。 ふつう神経症では、複数の症状が、同時進行の形で現れる。 (チック、夜尿症、潔癖症、不潔嫌悪症……など。)  これを私は、「二番底」と呼んでいる。 が、そこで止まるわけではない。 対処の仕方によっては、三番底、四番底へと向かう。 子どもの問題には、すべて、この二番底、三番底……がある。 「今が、最悪」とは思わないこと。 (3) 症状は半年単位でみる    神経症は、環境を改善したからといって、すぐ消えるわけではない。 半年単位で様子を見る。 チックにしても、症状が消えるまでに、半年はかかる。 おとなになってからも残ることがある。 クセとして定着するからである。 (どこかの知事が目をまばたきしたり、有名なタレントが不自然に首を振るのは、原因はチックと考えてよい。)  ほかの神経症にしても、……たとえば頻尿症、夜尿症にしても、ばあいによっては、1~2年かかることもある。  こうした神経症は、脳内ホルモンのバランスが崩れて起こることが多い。 さらに潔癖症、不潔嫌悪症(手洗いグセ)などは、「こだわり」とみる。 小児うつ病と診断されることもある。 叱って治るような問題ではない。 自然治癒力により改善されるまでには、数か月~かかる。    子どもの心の問題は、総じて、そういう視点で考える。 なお九州大学の吉田敬子氏は、「うつ病の種は、乳幼児期に作られる」と説く。 「この時期に、母子間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、おとなになってから、うつ病を発症しやすい」と。  「何をしても許される」「何をしても許す」というたがいの信頼関係が、子どもの心の発育には、絶対条件ということになる。 「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味。  つぎの相談は、愛情飢餓により、神経症を発症した例である。 Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【子どもの心の奥にあるもの】(2008年10月21日記) Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 よく誤解されるが、情緒不安というのは、情緒が不安定になることではない。 (心の緊張感)がとれないことを、情緒不安という。 心が緊張しているとき、不安や心配ごとがあると、心は一気に不安定になる。 結果として情緒は不安定になる。 つまり情緒不安というのは、(心の緊張感)がとれない、その結果として現れる症状をいう。 子どもの情緒不安を感じたら、まず、心の緊張感が、いつ、どのように発生し、どのように作用しているかを、観察する。 慢性化すれば、神経症(症状は千差万別)を発症するようになる。 疑惑症、嫌悪症、潔癖症なども、そのひとつ。 対処法としては、(心の緊張感)をほぐすことを第一に考える。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 【AKさんより、はやし浩司へ】  6歳の娘と、4歳の息子がいます。6歳の娘についての、相談です。 長女はいい子で優しく素直な子です。神経質で、きっちりしている(言いつけを守る)ところもあります。 5歳くらいまで母子分離不安が強く近所で多数の子供たちと遊ぶと、うちの子はなかなか私から離れず、みんなの中に入って行くのを尻込みするタイプでした。 何か心にストレスを感じるとすぐ身体症状が出る子で、幼稚園入園後半年で円形脱毛になり、年長に上がった時に神経因性頻尿になりました。 いずれもたくさん構ってあげたりスキンシップや気分転換させると自然に治りました。  今困っている症状は、手を洗っても汚れがついている気がする。 その手で蛇口を触れない(蛇口をずっと長いこと洗います)。 手に触れるものや口に入れるもの全てにおいて清潔か、触っても大丈夫かの確認を何度もする。 チック(目をぱちぱちする)です。 手洗いに関しては、私が指摘したせいか本人も自覚してしまってつらがっています。 手洗いの際私が手を包み込んで一緒に洗うと、ましなようです。  弟の方はマイペースで長女のようにきっちりせず、のびのびしています。 母親に対する独占欲が強く長女といつも私を取り合う感じです。 3歳頃まで泣きひきつけがひどく、あまり泣かせないようにしてきたからか、長女は我慢をすることも多かったと思います。 次男出産後1年半は保育所に預けていました。  私自身にも問題があります。 一度火がつくと自分でもコントロールできない程激しく叱ってしまうのです。 私の母親が普段は優しく愛情深いのですが、怒るとすごくこわく、いわゆるヒステリータイプで、毎日夫婦喧嘩の声(母の怒った声)に子供の頃から心が休まらない家庭でした。 母の顔色を伺いながら生きてきた自分を考え、自分は絶対そんな思いは子供にさせまいと思い続けて母親になりましたが、時々自分の中に母親の影をみることがあります。  特に生理前などはイライラが強く、子供にきつく怒ってしまいます。 その度に自己嫌悪に陥り反省し、よし明日からはとがんばるのですが、1ヶ月くらいたったある日それまでの努力を自分で台無しにするような怒り方をして、また反省し繰り返しです。 こんな自分も嫌です。 どうにかして治したいのですが。 夫に私がきつく怒りすぎて子供が萎縮していると指摘を受けました。  今回長女の強迫的な行動におろおろし、いろいろ調べたところ、はやし先生の相談者に対するアドバイスを読み、今まで長女は繊細であれこれ困ったことが起きるなと思っていたのは、すべて私が原因だったのでは?、と思いました。 長女に対して今最大限のスキンシップをはかるようにしていますが、このまま続けて行けば良くなるでしょうか?  ひどい時は10分おきくらいに、「足を触ったかもしれないけどその手を舐めたかもしれないけど大丈夫?」といった質問を繰り返したり、手洗い場で「洗っても洗っても汚れてるみたいな気がする」と泣いている娘をみると、早く治してあげたくて受診させたほうがいいのかと悩んでいます。  主人は自分の実家で気分転換させたら?、といいます。(主人の実家は長女びいきで行くといつも娘の表情が穏やかでわがまま言い放題、のびのびしています。) 先生、どうか返答は遅くても構いません。 是非アドバイスをお願いします。 私自身はメールアドレスを持っていないので主人の名前で出しています。 (相談者・AK)  【はやし浩司よりAKさんへ】  まずAKさん、あなた自身の心が、なぜいつも緊張状態にあるかを、静かに観察してみてください。 いつもピリピリしているというようであれば、そのもとになっている、原因をさぐります。 (こういうケースでは、親の方が、神経症的な症状を示していることが多いです。 ピリピリとした育児姿勢、過干渉、過関心など。 親がそういう状態で、どうして子どもの神経症がなおるかということになります。)  私の印象では、AKさん自身が、心を開けない人のように思います。 他人の前に出ると、緊張してしまうとか、(結果的に疲れやすい)、仮面をかぶってしまうとか、そういう状態ではないかと思います。  さらにその原因はといえば、AKさん自身の母子関係にあります。 AKさんと、AKさんの母親との関係です。 AKさん自身も、子どものころ、(いい子)ぶることで、いつも自分をごまかしていた。 現在のあなたの長女のように、です。  で、相談の件ですが、年齢的に、つまり2歳下の弟がいるということですから、長女は、まだ人見知り、後追いのはげしかったころ、下の弟が生まれたことになります。 下の弟が生まれたことによって、大きな愛情の変化を感じたと思われます。 対処の仕方を誤ると、赤ちゃん返りという症状が生まれます。  長女は、現在も、その(赤ちゃん返り)の流れの中にあると思ってください。  子どもというのは、環境の変化にはたいへんタフですが、愛情の変化には、敏感に反応します。 親は「平等にかわいがっている」と言いますが、子どもには、そういった論理は通用しません。 あなたの夫が、ある日突然、愛人を家に連れ込んできたようなばあいを、想像してみてください。  もうおわかりかと思いますが、長女は、慢性的な愛情飢餓状態にあると考えて対処します。 濃密なスキンシップ、添い寝、手つなぎなど、こまめに実行してみてください。 ポイントは、『求めてきたときが、与えどき』です。  長女のほうから、スキンシップを求めてきたようなときは、すかさず、(すかさず、です)、それに応じてあげます。 「あとでね……」「忙しいから……」は、禁句です。 ほんの数分、応じてあげるだけで、子どもは、落ちつくはずです。  ほかに食生活にこころがけてみてください。 CA、MG、Kの多い食生活(=海産物中心の献立)にするだけでも、かなり効果があります。 (薬物に頼るのは、この時期、勧めません。) とくにCAの多い食生活を大切にしてみてください。 市販の子ども用錠剤なども、効果的です。 (薬局へ行くと、高価な錠剤を勧めますが、安いものもあります。 安いのでも効果は同じです。服用量を注意して、与えます。) 私自身も、心の緊張感がほぐれないときは、CAの錠剤をバリバリと口の中で割ってのんだりしています。 ほかにハーブ系の錠剤をのむこともあります。 (子どもに与える量については、専門家とよく相談してください。)  偏食、とくに白砂糖の多い食品は、避けます。 (家庭では、精製してない黒砂糖を料理に使うとよいでしょう。) 家庭生活の要(かなめ)は、子どもの側からみて、(心の休まる)環境です。 長女は、おそらく外の世界(幼稚園など)では、いい子ぶることで、自分の立場を保持しているはずです。 つまりそれだけ神経疲れを起こしやすいということです。 ですからその反動として、家の中で、ぞんざいな態度、横柄な態度を見せるかもしれませんが、そこは許してやってください。 「うちの子は、外でがんばっているから、家の中ではこうなのだ」と、です。  6歳ともなると、(家)は、(しつけの場)ではなく、(憩いの場)とならなくてはいけません。 疲れた心を休める場所です。 手洗いグセについては、『暖かい無視』に心がけます。 心の緊張感(わだかまり、こだわり)がほぐれてくれば、自然になおります。 親がカリカリすればするほど、逆効果です。 なお子どもの神経症については、私のHP→(ここが子育て最前線)→(子ども診断)→(神経症)に収録してありますから、参考にしてください。 http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html で、問題は、AKさん、あなた自身です。  遠くは、あなたとあなたの母親との関係にまで、原因がさかのぼります。 あなた自身が、全幅に、あなたの母親に受け入れてもらえなかった……。 それが今、あなたの対人関係(もちろん子どもに対しても)に、影響を与えています。 さみしがり屋で孤独なくせに、しかし集団の中に入っていくと、すぐ神経づかれを起こしてしまう、と。 他人を信ずることができない……つまり、他人に心を開くことができない。 自分をつくってしまう。ありのままをさらけ出すことができない、など。 (あるいは何かの原因で、長女を愛することができないのかもしれませんね。 「長女を愛しなければならない」「しかしどうも好きになれない」と、AKさん自身が、心の中で葛藤しているということも考えられます。 あなた自身も、親に愛されていなかった……。 その世代連鎖が、今もつづいている可能性も否定できません。)  ともかくも、こうした緊張感が、ちょっとしたきっかけで、爆発してしまう。 長女に対して、です。  症状としては、AKさん自身が、(うつ病質)であると考えられますが、専門的な判断は、ドクターにしてもらってください。 同時にAKさん自身も、CAの多い食生活に心がけてみてください。 ほとんどの親は、子どもに、ふつうでない症状が現れると、子どもに原因を求め、子どもを治そうとか、直そうとか考えます。 しかし子どもは、(家族の代表)でしかありません。 幸いなことに、AKさんは、今、それに気づきつつあります。 つまりすでに問題は、半分以上、解決したということです。  あとは、長女のよいところだけを見て、長女といっしょに、もう一度人生を楽しむつもりで、子育てをすればよいでしょう。 あるいはもうそろそろ長女から離れ、あなた自身が自分でしたいことをすべき時期に来ているかもしれません。 夫の実家でめんどうをみてくれるというのですから、そういう場をうまく利用して、あなたはあなたで、好き勝手なことをすればよいのです。  また、子どもを愛せないなら愛せないで、気負うことはありません。 実際そうした母親は、7~10%はいます。 まず、あるがままの、自然体で、子どもに接することを大切にします。 「親だから……」と気負ってはいけないということです。 (メールによれば、AKさんは、かなり親意識の強い方のようですから……。) 子どもの「友」になることだけを考えて対処します。  どうであるにせよ、症状としては、この時期、たいへん多いですから、あまり深刻に考えないこと。 ただし環境を改善したとしても、すぐには症状は消えません。 あせらないこと。チックにしても、家庭環境が改善されても、ばあいによっては、そのあと、数年つづくこともあります。 (手洗いグセは、比較的早く、症状は消えます。) 詳しくは、「はやし浩司 神経症」「はやし浩司 手洗いグセ」で、検索してみてください。 またAKさん自身の問題は、「はやし浩司 基本的信頼関係」が、参考になると思います。 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi 子どもの神経症 手洗いグセ はやし浩司 不潔嫌悪症 潔癖症 はやし浩司 神経症的な症状)  Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 ●神経症  子どもの側に立って、考える……これが大鉄則です。 子どもが手を洗ったら、それを「おかしい」と思うのではなく、「そうね」と理解してあげる。 子どもが納得するまで、子どもに手を洗わせる。 あるいは親もいっしょに、手を洗う。 「あなた、おかしいわよ」と、無理にやめさせても意味はない。 かえって症状を悪化させる。  先にも書いたように、こうした情緒不安症状は、心の緊張感が取れないことに起因する。 従って、家庭での指導の第一は、「心の緊張感をほぐすこと」。 やりたいようにさせ、温かい無視に徹する。 過関心、過干渉は、タブー。 子どもの側から見て、親の視線を感じないようにする。 親の姿を見て、どこかへ逃げていくようであれば、最悪の家庭環境と考えてよい。  保育園や幼稚園での生活が、神経疲労を起こしているようなら、ときにはズル休みもしながら、心の調整をする。 いやがって泣く子どもを、無理矢理バスに押し込めるような行為は、「虐待」と考えてよい。 (日本人には、そういう意識はないが……。) カナダでは、保育時間も親が決める。 オーストラリアでは、週3回(たとえば月・水・金だけ)という幼稚園もある。 またアメリカでは、公立小学校でも、4歳児から預かるところが多い。 世界の幼児教育は、もっとフレキシブル。  「ズル休みをしながら、適当に行けばいい」などと私が言うと、多くの親は驚くが、それこそまさに世界の非常識。 もう少し気楽に考えてもよいのではないか。 たとえば40年前には、1~2年保育が主流だった。 5%の子どもは幼稚園へ行かないで、小学校へ入学していった。 現在のように、3~4年保育が主流になったのは、ごく最近のこと。 その分だけ、子どもの学力が向上したという話は聞いていない。 (少し過激な意見で、ごめん!) ●親の意識  まず親の意識改革をする。 方法は簡単。 もっと気楽に! 肩の力を抜く!  子どもの症状もさることながら、母親たちの対処の仕方を読んでいると、私のほうまで気が滅入ってきます。 子どものやりたいようにさせ、いっしょにつきあってやる。 あとはハハハと笑ってすます。  たとえばよくある夜尿症にしても、子どもはそういうものと考え、やりたいようにさせる。 「漏らしても無視。漏らさなかったら、ほめる」です。 あとはあきらめる。 で、子どもというのは不思議なもので、親があきらめたとたん、いつの間にか、夜尿症がなおってしまう。  それをカリカリと、夜中に起こしてトイレへ連れて行くようなことをするから、かえって症状が長引いてしまう。 子どもも、ますます神経質になる。 ●心の緊張感を取る  子どもの行為にいちいちカリカリしないこと。 そのかわり、先に書いた、「絶対的な安心感」で、子どもを包む。 添い寝、手つなぎ、抱っこ、いっしょの入浴など……。 まさに根気比べということになります。  今では、心の緊張感をほぐすためのよい薬もあります。 小児科で相談すれば、処方してもらえますが、この時期は、あまりお勧めしません。 とくに脳内ホルモンをいじる薬物は、お勧めしません。 子ども自身がもつ自然治癒力を大切にします。 と、同時に、もう一度、「子どもは家族の代表」という言葉を、思い浮かべてください。 まず何よりも重要なのか、家庭環境の見直しです。  私のHPのどこかに、「ママ診断」がありますから、どうか一度、自己診断をしてみてください。  で、最後に一言。  とは書きつつも、子どもの神経症は、珍しくありません。 つまり心の病気です。 が、あまり深刻に考えないこと。 ほとんどの子どもが一度は経験する、はしかのようなものです。 「いつの間にかなおってしまった」というのが、神経症(神経症的な症状)です。 (軽いものでは、指しゃぶり、髪いじりなどがあります。 ざっと数えただけでも、下の表ほども、いろいろな症状があります。) 「自己形成」という言葉が出てきましたが、この問題とは、まったく異質のものです。 切り離して考えてください。  全体的には、園の先生に相談しながら、そのつど反省すべき点は反省しながら対処していけばよいかと思います。 (参考までに) ●ママ診断 http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page288.html ●神経症(子どもの神経症的な症状) http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html img152 img153 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 子どもの神経症 神経症的な症状 潔癖症 不潔嫌悪症ほか) Hiroshi Hayashi+++++++July. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 休みます。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆  はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■ 【BW生・募集中!】  (案内書の請求)    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html  (教室の案内)     http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html ●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。 ■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■ *********************************** このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか? よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に 話していただけませんか? よろしくお願いします。              はやし浩司 *********************************** ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■   まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは…… http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                       .   *※※ .※※  ***※ .*※※…※}※**    . **++ ※)) . {※}※※ / . ※*… /mQQQm .**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye! .  = | QQ ∩ ∩ QQ    .       m\ ▽ /m~= ○ .       ○ ~~~\\// .================================= .みなさん、次号で、またお会いしましょう! .=================================

2012年9月20日木曜日

釈迦の謎(40)Mystery of Buddha(Firuzabad)

(40回目)Mystery of Firuzabad, Iran. フィルザバードの謎 Firuzabad is closely connected with Buddha'a Lines to each other. This is the story about Firuzabad, Dunhuang and Lumbini. And more surprisingly Bamiyan is located between Dunhuang and Firuzabad http://youtu.be/O7w-4Hhz7fI (資料) img768 (+39)クロスポイントのひとつに焦点をあて、その謎に迫ってみました。 重要なクロスポイントですが、とくに何かの遺跡があるというわけではありません。 しかし調べてみると、まったく予期していなかった、重大な事実がわかりました。 謎の古代文明、39回目は、そのクロスポイントについてです。 I choose one of the Cross Point, which is very important, but has no such ruins as we see in Egypt or Dunhuang. But soon I find there are very serious mysteries hidden under the Cross point. This is the video which shows the mystery and at the same time this is to prove what I have been talking to be correct. このビデオによって、私が今まで述べてきたことが正しかったことが証明されました。 まさに驚きの連続です。 なお転載、盗用、流用、引用は固くお断りします。 Firuzabad Bamiyan Dams in Bamiyan Dunhuang Mystery of Ancient Civilizations フィルザバード 古代文明 古代文明の謎 謎の古代文明 クロスポイントの謎 釈迦の謎 Mystery of Buddha the routes to Major Spots Mysteries and Lines Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan はやし浩司 浜松市 謎の点と線 Lumbini Mohenjo-daro Giza Aliens'Map Ancient Cultures Dunhuang はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 2012/09/20記) H

2012年9月19日水曜日

Route to Buddha (謎のクロスポイント)

【Mystery of the Cross Point (Route to Buddha) by Hiroshi Hayashi】  (謎のクロス・ポイント、釈迦への道)  クロス・ポイントには、重大な謎が隠されていた。 今回は、私のほうから、遺跡の発見を試みてみました。 もちろん未知の遺跡です。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 クロスポイントのひとつに焦点をあて、その謎に迫ってみました。 重要なクロスポイントですが、とくに何かの遺跡があるというわけではありません。 しかし調べてみると、まったく予期していなかった、重大な事実がわかりました。 謎の古代文明、39回目は、そのクロスポイントについてです。 I choose one of the Cross Point, which is very important, but has no such ruins as we see in Egypt or Dunhuang. But soon I find there are very serious mysteries hidden under the Cross point. This is the video which shows the mystery and at the same time this is to prove what I have been talking to be correct. このビデオによって、私が今まで述べてきたことが正しかったことが証明されました。 まさに驚きの連続です。 なお転載、盗用、流用、引用は固くお断りします。 (Address) http://youtu.be/XZR11F5iC30 img767 (古代文明 古代文明の謎 謎の古代文明 クロスポイントの謎 釈迦の謎 Mystery of Buddha the routes to Major Spots Mysteries and Lines Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan はやし浩司 浜松市 謎の点と線 Lumbini Mohenjo-daro Giza Aliens'Map 異星人との知恵比べ Ancient Cultures Dunhuang はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 2012/09/19記) Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司

2012年9月18日火曜日

How can Aliens fix the Spot to go?どうやって異星人たちは位置を決めたか

【異星人たちは、どうやって位置を決めたか】(38回目) Mysteries of Ancient Civilizations How can they know the Spot to go? Here is the answer. Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 Two Limes make one Spot. One is the Line which shows mainly the direction (so-called "Direction Line" , and another Line shows mainly where to stop. That is to say that so-called "Stop Line" fixes the Spot. This is the video which explains about the two Lines, which wrok in combination and show the Spot. Aliens are very clever! 2本の線が1つの点を決めます。古代文明を築いた異星人たちは、この2本の線を使って、位置を決め、また目的の場所へ行くことができました。 1本は主に方向を示し、もう1本は、「ストップ・ライン」です。 今まで調べた、すべての場所が、どれもこの2本の直線で場所が決まりました。 Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 http://youtu.be/YVq-7GkkOoQ Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 (古代文明 謎の古代文明 古代文明の謎 異星人の地図 異星人 宇宙人 謎の点と線 Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan Mysteries of Ancient Civilizations Mystery of two lines Stop Line Direction Line 方向を示す線 停止を意味する線 古代文明の謎解き Mystery of Lines and Spots Sep 18th 2012 Japan はやし浩司 Hiroshi Hayashi) 2012/09/18記 Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司

2012年9月17日月曜日

What kind of May they use in outer Space

【異星人の地図】Aliens' Map (37)

(Mysteries of Ancient Civilizations by Hiroshi Hayashi, Hamamatsu

What sort of Map do Aliens use on this earth? I have checked angles of directions and I have found there are so many 60 degrees (or 30, 90 or their combinations). Then I come to know they are using a different Map that we, humans, use. This is a video about the Alien's Map, which would help you understand how they choose the places to go. Hiroshi Hayashi Japan Sep. 17th 2012

異星人たちはどんな地図を使っているか。
その謎に迫ってみました。
つまり謎の点を線でつないでいくと、30度、60度、90度が、たいへん多く現れてきます。
それで私は正20面体を疑ってみたわけです。
正20面体は、球体をおおうことができる最多面体です。(あとはサッカーボールのような多面体です。)
で、浮かび上がったのが、ここで示すような地図です。
この先、さらに古代遺跡を線でつなげば、正体はもっとはっきりとしてくると考えられます。
はやし浩司が考える地図モデルを紹介します。
たいへん合理的な地図です。

All ideas and copies are reserved as copyrights by Hiroshi Hayashi, Japan and no one is allowed to use my ideas without my permission, for which I thnak you very much.流用、盗用、転用を固く禁じます。はやし浩司Hiroshi Hayashi Japan



http://youtu.be/PgG4FEuExDw

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

異星人の地図 正20面体 正二十面体 エイリアン エイリアンの地図 ET 宇宙人 宇宙人の地図 はやし浩司 Hiroshi Hayashi Aliens' Map Alien Alien's Map map Hiroshi Hayashi Mysteries of Ancient Civilizations 古代文明 古代文明の謎 謎の古代文明 はやし浩司 謎の点と線 地図 古代地図 Mystery of Ancient Map はやし浩司 Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan Sep 17th 2012 Ancient culture UFO 航路

Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2012++++++はやし浩司・林浩司


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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2012年 9月 17日
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【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【UFO2】

●エネルギー

 ……しかし、この爆発的なエネルギーはどこから生まれてくるのか。
つい先日まで、私はUFOについてものを書くということ自体に、嫌気すら覚えていた。
その私が、何かに取りつかれたように、今、こうして文章を叩いている。

……で、この話とは別に、私には、こんな奇妙な体験がある。
それについて書く前に、この話に出てくる、DK君について書いておく。

DK君は、現在、オーストラリアのM大学で、教授職級の地位にいる。
そのDK君が、この2月に日本へ、娘さんといっしょに、来た。
そしてあの日のことについて、話し合った。
DK君も、あの日のことをよく覚えていた。
そしてその話になると、「ヒロシは、その話をよくするが、たしかに、あの日のことは、
理解できない」と言った。

●不可解な体験

当時の私たちは、UFOについて、ほとんど興味はなかった。
知識もなかった。
(アダムスキー型のUFOについては、俗説程度には、知っていたが……。)
いわんや、それがUFO現象と関係あるなどとは、思ってもみなかった。
「アダプション(誘拐)」という言葉にしても、それを耳にしたのは、それから10年以上もたってからのことである。

●不可解な体験

が、私には、こんな不可解な体験がある。

結婚したとき、ワイフにだけは打ち明けたが、こうしてものに書くのははじめて。
だからといって、前もって断っておくが、これはウソではない。
ここにはウソは書かない。
こういう話は、書けば書いたで、私の評論家としての資質が疑われる。
「頭がおかしい」と思う人だっているかもしれない。
事実、「林君も自分の仕事を考えたら、そういうことは人には言わないほうがよいよ」とアドバイスしてくれた人もいる。
それはわかっているが、しかしあえて書く。

●オーストラリアで

 オーストラリアに留学していたときのこと。
あと一か月ほどで、日本へ帰るというときのことだった。
オーストラリアの暑い夏も、終わりに近づいていた。
私は友人のDK君にビーチハウス(海の別荘)で、最後の休暇を過ごしていた。
ビーチハウスは、ローンという港町の手前、一〇キロくらいのところにあった。
避暑地として有名なところで、そのあたりには、「グレートオーシャンロード」という名前の街道沿いに、無数の別荘が点在していた。

 ある日のこと。
DK君の母親が、サンドイッチを作ってくれた。
私とDK君は、そのサンドイッチをもって、ピクニックにでかけた。
「ビクトリア州の最南端にある、オッツウェイ岬(Cape Otway)に行こう」ということになった。
時刻は忘れたが、朝、ほどよい時刻に出かけたと思う。
あともう少しで、オッツウェイ岬というところで、ちょうど昼食時になったのを覚えている。
小高い山の中に入って、私たちは車の上に座って、そのサンドウィッチを食べた。

 そこからオッツウェイ岬までは、車で半時間もかからなかったと思う。
彼らがいうブッシュ(やぶ=雑木林)を抜けてしばらく走ったら、オッツウェイ岬だった。

 私たちは岬へつくと、百メートルくらい先に灯台が見える位置に車を止めた。
そして車の外へ出ると、岬の先のほうへと向かって歩き出した。
そのときのこと。
どちらが言ったわけではないが、「記念に大地に接吻をしよう」ということになった。
背丈の短い雑草が、点々と生えているような殺風景な岬だった。
ほかに見えるものといえば、灯台だけだった。
たしか、「オッツウェイ岬」「オーストラリア、最南端」というような表示だけは、どこかにあったように思う。
私たちは地面に正座してひざまずくと、そのまま体を前に倒した。
そして地面に顔をあてたのだが、そこで記憶がとだえた。

 気がつくと、ちょうど私が顔を地面から離すところだった。
横を見ると、DK君も地面から顔を離すところだった。
私とDK君は、そのまま車に戻り、帰り道を急いだ。
ほとんど会話はなかったと思う。

 そのオッツウェイ岬からは、舗装された道がつづいていた。
そしてほどなく、アポロベイという港町に着いた。
港町といっても、波止場が並ぶ、小さな避暑地である。
私たちはそのひとつのレストランに入って、ピザを食べた。
日はとっくに暮れていた。
まっ暗といったほうが正確かもしれない。

 この話はここで終わるが、それからほぼ一週間後のこと。
そのとき私とDK君は、DK君の両親の住むジーロンの町の家にきていた。
そこで、ベッドに入って寝る前に、私はDK君に、こう切り出した。胸の中でモヤモヤしているものを、吐き出したかった。

 「DK、どうしてもわからないことがある……」
 「何だ、ヒロシ?」
 「いいか、DK、あの日ぼくたちは昼食を食べたあと、オッツウェイ岬に向かったね」
 「そうだ」
 「サンドイッチを食べたあと、すぐオッツウェイ岬に向かった。時間にすれば、30分もかからなかったと思う」
 「そんなものだな、ヒロシ」
 「でね、DK、そのオッツウェイ岬で、同時に二人とも眠ってしまった。そんな感じだった。あるいは眠ったのではないかもしれない。同時に地面に顔をつけ、同時に地面から顔を離した。覚えているだろ?」
 「覚えている……」
 「それでだ。ぼくたちは、オッツウェイ岬から帰ってきた。そしてあのアポロベイの町で、夕食を食べた。ぼくはそれがおかしいと思う」
 「……?」
 「だってそうだろ。オッツウェイ岬から、アポロベイまで、どんなにゆっくりと走っても、一時間はかからない。が、アポロベイへ着いたときには、あたりはまっ暗だった。時刻にすれば、夜の7時にはなっていた。ぼくたちは、同時にあの岬で眠ってしまったのだろうか」と。

 昼過ぎにオッツウェイ岬に着いたとしても、午後1時か2時だったと思う。
それ以上、遅い時刻ではなかった。
が、そこからアポロベイまで、一時間はかからない。
距離にしても、30キロくらいしかない。
が、アポロベイに着いたときには、もうとっぷりと日が暮れていた! 
どう考えても、その間の数時間、時間がとんでいる!

 私はその話をDK君にしながら、背筋がどこかぞっとするのを感じた。
DK君も同じように感じたらしい。
さかんに、ベッドの上で、首をかしげていた。

 そのオッツウェイ岬が、UFOの有名な出没地であることは、それから数年たって、聞いた。
DK君が、そのあたりで行方不明になったセスナ機の事件や、UFOが撮影された写真などを、そのつど届けてくれた。
一枚は、あるカメラマンが海に向けてとったもので、そこには、ハバが数100メートルもあるような巨大なUFOが写っていた。
ただしそのカメラマンのコメントによると、写真をとったときには、それに気づかなかったという。

 さらにそれから5、6年近くたって、私たちと同じような経験をした人の話が、マスコミで伝えられるようになった。
いわゆる、「誘拐」(アブダクション)というのである。
私はあの日のあの経験がそれだとは思いたくないが、どうしてもあの日のできごとを、合理的に説明することができない。

簡単に言えば、私とDK君は、地面に顔をつけた瞬間、不覚にも眠ってしまったということになる。
そして同時に、何らかのきっかけで起きたということになる。
しかも数時間も! 
夏の暑い日である。

しかし現実にそんなことがあるだろうか。
私はその前にも、そのあとにも、一度だって、何の記憶もないまま、瞬間に眠ってしまったことなど、ない。
電車やバスの中でもない。寝つきは悪いほうではないが、しかし瞬間に眠ってしまったようなことは、一度もない。

 私とDK君は、UFOに誘拐されたのか?

 今になってもときどきDK君と、こんな話をする。
「ぼくたちは、宇宙人に体を検査されたのかもね」と。
考えるだけで、ぞっとするような話だが……。

●再びUFO

 ワイフとUFOを見たときの話は、前にも書いた。
繰り返すが、私たちがあの夜見たものは、絶対に飛行機とか、そういうものではない。
それに「この世のもの」でもない。
飛び去るとき、あたかも透明になるかのように、つまりそのまま夜空に溶け込むかのようにして消えていった。
飛行機のように、遠ざかりながら消えたのではない。

 私はワイフとその夜、散歩をしていた。
そのことは前に書いたとおりである。
その原稿につけ加えるなら、現れるときも、考えてみれば不可解な現れ方だった。
これについても、前に書いたとおりである。
この点については、ワイフも同意見である。
つまり最初、私もワイフも、丸い窓らしきものが並んで飛んでいるのに気づいた。
そのときは、黒い輪郭(りんかく)には気づかなかった。
が、しばらくすると、その窓を取り囲むように、ブーメラン型の黒いシルエットが浮かびあがってきた。
そのときは、夜空に目が慣れてきたために、そう見えたのだと思ったが、今から思うと、空から浮かびあがってきたのかもしれない。

●造反したのは、E・ミシェル博士だけではなかった!

月表面のみならず、この地球上でも、またその間の宇宙空間においてでさえも、今までにぼうだいな数の、UFO目撃例がある。
しかしどういうわけか、NASAは、それらすべてを否定している。

UFOに関する情報は、NASAの中でも、極秘中の極秘、最高度のトップ・シークレット扱いということは、容易に推察できる。
が、今回、E・ミシェル博士は、あえて、その暴露戦術に、うって出た。
が、ほかにも、いた。

「月面に9番目に人類として足跡を残した、宇宙飛行士のジョン・アームストロングは、
月でのUFOの存在について、こう語った。
『もし君が(UFOが)存在しないと思うなら、勝ち目のない勝負をしているようなものだ』と。

また同じく宇宙飛行士のユージン・サーナンは、『UFOは、どこか他の文明から来たと信じている』といっている」(以上、「月の先住者」)と。

E・ミシェル博士自身の言葉も、収録してある。

「月での6番目の人類となった宇宙飛行士、エドワード・ミッチェル(本書では、「ミチェル」となっている)は、UFOについて、こう述べている。
『UFOに関して、あとわからないのは、どこからやってきたのか、ということだけだ』」と。

 私は、月での不可思議現象を、ひとつずつ、検証してみたい。
が、その中でも、とくに私の注意をひいてやまないのが、『オニール橋』である。
私は子どものころ、(小学3年生前後ではあなかったかと思うが、記憶は定かではない)、何かの博覧会で、そのオニール橋について知った。

 そこには大きなパネルで、月のクレーターからクレーターにまたがってかかる、巨大な岩石のアーチが描かれていた。
見た感じは、大きな洞窟のような感じだった。
子どもが泥で作る、橋のようなものを想像すればよい。
が、そのオニール橋はその後、その場所から、こつ然と姿を消す。
一説によれば、巨大なUFOが、2つのクレーターの山の上にまたがって、着陸していたということだが、真偽のほどはわからない。

「月の先住者」のなかにも、そのオニール橋に触れた箇所がある。
それをそのまま紹介する。

「……そのころのもっとも驚くべき記事は、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の科学部門編集者であった、ジョン・オニール氏が、1954年に危難の海に、巨大な橋のような建築物が見えると発表したときだった。

 おもしろいことには、他の著名な天文学者にも各自の望遠鏡で、その橋らしきものが確認されたことだった。
ある者は、その橋は全長12マイル(約20キロ)にも達するといった。

 はたしてその(橋)が建築物であったのか、それとも単に自然のなせる技だったのだろ
うか。
英国の有名な天文学者である、H・P・ウィルキンス博士(英国天文学協会、月面課主任)は、BBCのラジオ番組の中で、『(橋)らしきものは、建造物のようだ』(『UFOの陰謀』、ドナルド・キーホー、1975)と発言した。

 さらにその番組で、『建造物とは具体的にどういうことなのですか』と質問され、『つまり、それは技術的に作られたものだということです』と答えている。

 そしてその(橋)は地面に影を落としていて、外観もふつうの(橋)のようだと付け加えた。
またこの月の権威者は、『橋の下に太陽光が差し込んでいるのさえ、よく見える』と述べ、人々をびっくりさせた。

 このラジオ番組の中で、ウィルキンス博士は、この(橋)が、『自然にできたものである』とは一度も言わないばかりか、『人工のものらしい』と、何度も述べたのだった。

 危機の海自体、かつて何度もよく観察され、研究されつくした場所だけに、以前この(橋)が存在しなかったことは事実である。
そればかりか、この(橋)は近年になって、他の惑星の人類(?)によって建設された可能性が大となった。

 他にも、たくさん、知的生物によって、四角形、あるいは三角形の壁状のものや、ドームのようなものでさえ造られつづけ、どこからともなく現れては消えた……」(同書、P17~18)と。

 現在の今、そのオニール橋なるものは、存在しない。
また1954年に発見されたというのだから、私が、満7歳のときのことである。
私がどこかの博覧会で、その橋の想像図を見たのは、その直後のことということになる。

●月は、巨大なUFO?

 「月の先住者」(ドン・ウィルソン著・たま出版)には、明らかなまちがいも多い。
しかしおもしろい。
懸命に事実に近づこうという姿勢が、30年を経て、私の心に強く響く。

要するに、月には、謎が多いということ。
そしてその謎を集約していくと、月は、巨大なUFOということになる、ということ。

 繰り返す。

 私が子どものころには、月の危難の海というところに、オニール橋というのがあった。
オニール(ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙の科学部長であったJ・J・オニー
ル)という科学者が発見したから、「オニール橋」というようになった(1953年7月)。
どこかの科学博覧会に行ったら、その想像図まで展示してあった。
一つの峰からつぎの峰にまたがるような、端から橋まで、20キロもあるような橋だったという。

 が、そんな橋が、月の上にあること自体、おかしなことだった。
しかもそんな橋が、それまで発見されなかったことも、おかしなことだった。
それまでに、無数の天文学者が、望遠鏡で月をのぞいていたはずである。

 しかし、最大の謎は、その後まもなく、そのオニール橋が、その場所から消えたということ。
なぜか。
その本によれば、あくまでも、その本によればの話だが、それは巨大なUFOだったという。

 そこでインターネットを使って、オニール橋を調べてみた。
ヤフーの検索エンジンを使って、「月 オニール」で検索してみると、いくつか出てきた。
結局、オニール橋は、一部の研究者の「見まちがい」ということで、公式には処理されているようだ。(残念!)

 私自身は、信じているとかいないとかいうレベルを超えて、UFOの存在は、確信している。
ワイフと私は、巨大なUFOを目撃している。
私たちが見たのは、幅が数キロもあるような巨大なものだった。
だからオニール橋が、巨大なUFOだったとしても、驚かない。

●ロマン

 しかしこういうのを、私たちの世界では、「ロマン」という。
つまり、「夢物語」。
だからといって、どうということもないし、また何ができるということでもない。
またそれを基盤に、何かをすることもない。
ただの夢物語。
しかし心地よい夢を誘うには、この種の話が、一番。おもしろい。
楽しい。
それはちょうど、子どもたちが、かぐや姫の話を聞いて、夜の空に、ファンタジックな夢をはせるのと同じようなものではないか。

 興味のある人は、その本を読んでみるとよい。
しかしあまりハマらないように! UFOの情報は、インターネットで簡単に手に入るが、そのほとんどのサイトは、どこかの狂信的なグループ(カルト)が、運営している。
じゅうぶん注意されたい。

●UFO

また少し前には、この日本の国会議員たちが、「UFO」という言葉を、よく口にした。
国会という、公式の場でも、この問題が取りあげられたこともある(07年12月)。

一応、政府見解は、「存在しない」。
が、一部の議員たちは、「信じている」、「いると思う」などと発言している。

こうした一連の発言は、日本が打ちあげた月探査衛星「かぐや」と、どこかでつながっているのではないだろうか?
つまり「かぐや」は、とんでもない映像を地球へ送り届けてきた(?)。

「とんでもない」というのは、「ありえない」という意味であり、私はそれがUFOであっても、少しも、おかしいとは思わない。

アポロ宇宙船で、月の裏側に回ったある宇宙飛行士は、こう言ったという。

「まるでラッシュ・アワーのように、UFOが飛び交っている!」と。
ラッシュアワー!

●私の空想

 月の内部には、巨大な空間がある。
その中心部では、プラズマの人工太陽が、さんさんと輝いている。
月の内側に住む住人たちは、地球人の私たちと同じような生活をしている。

 一見、荒唐無稽(むけい)のような話だが、こうした説を信じている人は多い。
科学者の中にも、いる。
先に書いた、オニール橋の話にしてもそうだ。
「あった」ということよりも、「消えた」。
そういう話を聞くと、月へのロマンが、かぎりなく、ふくらむ。

 月の住人たちは、どこから来たのか?
 月の住人たちは、何をしているのか?
 月の住人たちは、地球人の私たちを、どうしようとしているのか?

 あの月をくりぬいて住むほどの宇宙人だから、かなり頭のよい人たちとみてよい。
私たち人間より、ひょっとしたら、何千年も、何万年も進化しているかもしれない。
あのUFOにしても、光速に近いスピードで、宇宙空間を自由自在に動き回っているという。
私が見たUFOにしても、空にそのまま溶け込むかのようにして、消えていった……。

 「かぐや」は、どんな映像を送ってきたのか? 
その一部は、インターネット上でも公開されているが、どれも高・高度からのものでしかない。
私(=私たち)が見たいのは、もっと低高度で撮った、倍率の高い写真である。
 
 そこには、月に住む住人たちの、その直接的な証拠が写っているかもしれない。

●月の不思議

 私自身もこんな発見をしている。
月の南極の写真を見ていたときのこと。
ちょうど南極付近に、きれいな円形の二つのクレーターがある。
「きれいな」と書いたが、実際には、真円である。
まるでコンパスで描いたような真円である。

 そこで二つのクレーターの直径を調べてみた。
パソコンの画面上での測定なので、その点は不正確かもしれないが、それでも、一方は、3・2センチ。
もう一方も、3・2センチ! 
実際の直径は、数一〇キロはあるのもかもしれない。
しかしその大きさが、ピタリと一致した!

 しかしこんなことが、実際、ありえるのだろうか。

 もともとこのあたりには、人工的な構造物がたくさん見られ、UFO研究家の間でも、よく話題になるところである。
実際、その二つのクレーターの周囲には、これまた謎に満ちた影がたくさん写っている。

 そこでさらに調べてみると……というのも、おかしな言い方だが、ともかくも、あちこちのサイトを開いてみると、こうした構造物があるのは、月だけではないことがわかった。
火星はもちろん、水星や、金星にもある。エウロパやエロスにもある。
つまりいたるところにある。

 こうした写真は、アメリカのNASAから漏れ出たものである。
一説によると、月だけでも、NASAは、数10万枚の写真をもっているという。
公開されているのは、そのうちの数パーセントにすぎないという。
しかも、何かつごうの悪い写真は、修整されたりしているという。
しかし、クレーターまでは、消せない。
それが、ここに書いた、二つのクレーターである。

(写真に興味のある人は、私のホームページから、(右下・ビデオであいさつ)→(動画コーナー)へと進んでみてほしい。一覧表の中から、月のクレーターを選んでクリックすれば、その写真を見ていただける。)

●下からの視点、上からの視点

 地球上にいて、それこそ地上のカビのような存在でしかない私。
その私がはいつくばって東洋医学の勉強をした。その私が、天を見あげながら、「ひょっとしたら……」と考える。

 一方、宇宙には、すでに無数のエイリアンたちがいて、惑星間を回りながら、好き勝手なことをしている。
中には、月そのものが、巨大なUFOだと主張する科学者さえいる。

 もちろん私は、宇宙から地球を見ることはできない。
しかし頭の中で想像することはできる。
そしてこれはあくまで、その想像によるものだが、もし私がエイリアンなら、人間の改造など、何でもない。
それこそ、朝飯前? 
小学生が電池をつないで、モーターを回すくらい簡単なことだ。

 この二つの視点……つまり下から天をみあげる視点と、天から人間を見る視点の二つが、合体したとき、何となく、この問題の謎が解けるような気がする。
「この問題」というのは、まさに「人間に、約5500年前に起きた変化」ということになる。

 その5500年前を境に、先に書いたように、人間は、飛躍的に進化する。
新石器時代から、有史時代へ。
しかもその変化は、メチャメチャ。
その一つが、少し前に書いた、『黄帝内経』である。
黄帝というのは、司馬遷の「史記」の冒頭を飾る、中国の聖王だが、だからといって、黄帝内経が、黄帝の時代に書かれたものと言っているのではない。

 中国では古来より、過去の偉人になぞらえて、自説を権威づけするという手法が、一般的になされてきた。
黄帝内経も、そうして経緯で生まれたと考えるのは、自然なことでもある。
しかし同時期、メソポタミアで起きたことが、そののち、アッシリア物語として記録され、さらにそれが母体となって旧約聖書が生まれている。
黄帝内経が、黄帝とまったく関係がないとは、私には、どうしても思われない。

●秋の夜のロマン

 あるとき、何らかの理由で、人間が、エイリアンたちによって、改造された。
今でいう、遺伝子工学を使った方法だったかもしれない。

 そして人間は、原始人から、今でいう人間に改造された。
理由はわからない。
あるいはエイリアンの気まぐれだったかもしれない。
とりあえずエイリアンたちが選んだ原始人は黄河流域に住んでいた原始人と、チグリス川、ユーフラテス川流域に住んでいた原始人である。

 改造された原始人は、もうつぎの世代には、今でいう現代人とほとんど違わない知的能力をもつようになった。
そこでエイリアンたちは、人間を教育することにした。言葉を教え、文字を教えた。
証拠がないわけではない。

 中国に残る甲骨文字と、メソポタミアに残る楔形(くさびがた)文字は、たいへんよく似ている。
形だけではない。

 中国では、「帝」を、「*」(この形に似た甲骨文字)と書き、今でも「di」と発音する。
「天から来た、神」という意味である。
一方、メソポタミアでは、「神」を、同じく、「*」(この形に似た楔形文字)と書き、「dingir(ディンギル)」と発音した。
星という意味と、神という意味である。
メソポタミアでは、神(エホバ)は、星から来たと信じられていた。
(詳しくは、私が書いた本「目で見る漢方診断」(飛鳥新社)を読んでいただきたい。)

 つまり黄河文明でも、メソポタミア文明でも、神は「*」。
発音も、同じだったということ。
が、これだけではない。言葉の使い方まで、同じだった。

 古代中国では、「帝堯(ぎょう)」「帝舜(しゅん)」というように、「位」を、先につけて呼ぶならわしがあった。
(今では、反対に「~~帝」とあとにつける。)メソポタミアでも、「dingir ~~」というように、先につけて呼んでいた。
(英語国などでも、位名を先に言う。)

 こうして今に見る人間が生まれたわけだが、それがはたして人間にとって幸福なことだったのかどうかということになると、私にも、よくわからない。

 知的な意味では、たしかに人間は飛躍的に進化した。
しかしここでも、「だからどうなの?」という部分がない。
ないまま進化してしまった。
それはたとえて言うなら、まさにそこらのサルに知恵だけ与えたようなものである。

 わかりやすく言えば、原始的で未発達な脳の部分と、高度に知的な脳の部分が、同居することになってしまった。
人間は、そのとたん、きわめてアンバランスな生物になってしまった。
人間がもつ、諸悪の根源は、すべてここにある?

 ……これが私の考える、大ロマンである。
もちろん、ロマン。
SF(科学空想)。
しかしそんなことを考えながら天の星々を見ていると、不思議な気分に襲われる。
どんどんと自分が小さくなっていく一方で、それとは反比例して、どんどんと自分が大きくなっていく。
「人間は宇宙のカビ」と思う一方で、「人間は宇宙の創造主」と思う。
相矛盾した自分が、かぎりなく自分の中で、ウズを巻く。

●心配

が、心配なことも、ないわけではない。
UFOが公然と語られるようになり、それを操縦する宇宙人の存在が明らかになるということは、それだけ人類滅亡の危機が迫っていることを示す。

いつだったかこれについて詳しく書いたことがあるが、人類に希望があるかぎり、宇宙人は、人類の前に姿を現すことはない。
しかしその希望がなくなったとき、宇宙人は、自らの姿を、私たち地球人の前に現すであろう。
そのことは、宇宙人という外惑星人に視点を置いてみるとわかる。
近い将来、絶滅するとわかっている地球人に対して、どうして自分たちの存在を隠さなければならないのか。

言うまでもなく、地球温暖化(Global Warming)の問題は、それほどまでに深刻になりつつあるということ。
2100年までに、地球の平均気温は、4~6度も上昇するというが、しかし気温上昇が、2100年で止まるわけではない。

仮にここで今、化石燃料の使用を停止したところで、その後も、不測の事態がさらなる不の事態を招き、地球の平均気温は、さらに上昇する。
2200年までに、さらに4~6度(この数字とて、控えめなものだが……)上昇すると考えるのは、甘い。
一説によると、その後、地球の平均気温は、二次曲線的に上昇し、最終的には、400度
Cにまで上昇するという。

私が「地球火星化」という言葉を使うのは、そのためである。
そう、まさに地球は、火星化する。
が、本当にこわいのは、火星化ではない。
そこに至る過程。
人間は、生き残るために、壮絶なバトルを繰り返すはず。
暴動、略奪、戦争……と。
静かに絶滅するということは、ありえない。
そのバトルが、こわい。
そこはまさに、地獄絵図にさらに無数の地獄絵図を重ねたような世界になるはず。
それがこわい。

エドガー・ミシェル博士の告白を、「希望」ととるか、それとも「絶望」ととるか。
とても残念なことだが、私は、「絶望」ととる。

●宇宙人

宇宙人の存在が、ここまで確定的に断言されると、つぎに私たちは、こう考える。
「では、現在、エイリアンたちは、どこに住んでいるか」「またどんな生き物なのか」と。

これについては、すでに多くの研究家たちが、つぎのような推論をくだしている。

(1)彼らは、月などの衛星内部をくりぬいて、その中に居住している。

ほかにも、火星や木星の衛星が考えられている。
火星や木星の衛星かもしれない。
地球へ自由にやってくることからもわかるように、彼らは、すでに地球上の細菌やウィルスに対して、免疫性をもっているか、あるいは人間の兄弟的存在であると考えてよい。

地球上で二足歩行できるということであれば、彼らが住む居住空間の重力は、この地球とほとんど変わらないということになる。
少なくとも、無重力状態ではないらしい。

(2)地球よりは弱い重力の世界で、そこは薄暗い空間である。

巨大な目と瞳をもっているということから、(あくまでも人間と比較しての話だが……)、かなり暗い空間に住んでいるものと想像される。
恐らく地球の夜程度の光があれば、あたかも私たちが日中に、景色を見るように、夜の景色を見ることができるはず。
反対に、日中は、光がまぶしくて、何も見えないかもしれない。
そのため眼球に直接張りつける、黒いサン・スクリーンのようなものを、装着している。

また頭が巨大であることから、人間のように、母体の産道を通り抜けて生まれるタイプの生物ではないらしい。
恐らく体外受精による、人工胎盤によって育成されるタイプの生物と考えてよい。

(3)性格はきわめて温厚で、平和的である。

エドガー・ミシェル博士も述べているように、「もし彼らが人類に対して敵対的であるなら、人類は、とっくの昔に絶滅していただろう」ということになる。
またそうであるからこそ、彼らもまた、ここまで進化するまで、存在することができた。
仮に人間のように、好戦的で、挑発的であったとしたら、宇宙人といえども、その進化の過程で、戦争を繰りかえし、絶滅していたはずである。

が、これから先のことはわからない。
「このまま地球人を生かしておいたら、人類どころか、地球そのものが、火星化してしまう」とわかれば、宇宙人のほうも、遠慮していないだろう。
私の印象では、この太陽系の中で、彼らの食糧を生産できるのは、この地球だけということになる。
地球が火星化すれば、彼らとて、絶滅の危機に直面することになる。

彼らが公然とその姿を、地球人の前にさらけ出したとき、すなわちそのときこそが、地球人の最期ということになる。

●人間と宇宙人

 さらに問題がつづく。

私はかねてから、こう書いてきた。
「宇宙人がおおっぴらに、人間の前に姿を現すのは、人類最期のときである」と。
宇宙人にしても、自ら身を隠す必要がある間は、身を隠す。
少なくとも、存在を明らかにする必要がないときは、身を隠す。
あえて地球人である人間を、混乱させる必要はない。

それは自然動物園を守る、管理者の心理に共通する。
動物園内の動物は、できるだけそっとしておいてやるのがよい。
自然動物保護の世界には、『暖かい無視』という言葉さえある。
あれこれ人間が手出しするのは、最低限がよいという意味である。

しかしもし動物園の中が混乱し始めたとしたらどうだろうか。
動物たちがともに殺しあったり、施設を勝手に破壊し始めたとしたら……。
当然のことながら、自然動物園の管理者たちは、園の中に割って入り、動物たちを隔離したり、保護したりするだろう。

それだけではない。

宇宙人にしても、この地球が、太陽系の中でも、食糧が確保できるゆいいつの惑星と考えてよい。
一説によれば、宇宙人たちは、海草を中心とする、ヨード系の食物を口にしていると言われている。
地球の温暖化が進んで、そうした食物の確保がむずかしくなるということになれば、彼らにとっても、重大問題ということになる。
だまって見過ごすわけにはいかない。

●どこに住んでいるか?

 月は空洞だった。
ロシアの2人の科学者が言い出したことだが、この月空洞説に、UFO基地説に重ね合わせてみると、今まで合点のいかなかったことが、頭の中ですっきりする。
ジグソーパズルをしていて、コマがぴったり重なったときのような気分である。

一方、宇宙人にしても、月の内部ほど、快適な居住空間はない。

重力は、地球の6分の1、あるいは場所によっては、それ以下。
(だから穴を掘るのも、楽?)
太陽からの有害な放射線は、月の厚い岩石が防いでくれる。
一見荒唐無稽な話に聞こえるかもしれないが、考えれば考えるほど、つじつまが合ってくる。

事実、アポロ飛行士の中には、月のクレーターの間から出入りするUFOを目撃した人もいるという。
さらに太古の昔、チベットには、天に使者に連れられて、月の内部の世界を見たという伝説まで残っている。
私たちが今に見る、絵曼荼羅は、その月の内部の世界を表現したものだと説く研究家もいる。

今の段階では、すべて風説ということになっているがUFOの存在が確認され、宇宙人の存在が確認されれば、そのひとつひとつが、人類の歴史をひっくり返すような(事実)となって、表に出てくる。
アメリカのNASAが心配するまでもなく、人間に与える衝撃には、はかりしれないものがある。

●人類は、宇宙人の子孫なのか?

 前にも取り上げたが、あの黄帝内経には、「地球の大気」についても書いている部分もある。
「地球は球である」「地球は虚空の宇宙を回転しながら浮かんでいる」という記述にも出会った。
(詳しくは、私のHP上で紹介。「目で見る漢方診断」を参照。)

宇宙人がそこにいたとするなら、当然のことながら、私たちは常に、宇宙人の監視と
指導を受けてきたと考えるのが、自然である。
(そうでないと考えるのは、その数百倍も、不自然である。)

「指導」といっても、直接的な会話によるものもあっただろうが、もう少し高度な立場では、たとえば遺伝子操作による人間の改造も、考えられる。
直接人間の脳みその中に、情報チップを埋め込むという方法も、あるだろう。
「将来的にはそういう方法も可能になる」と、あのホーキング博士も書いている。

●超高度な文明?

宇宙人がもっている技術力は、人間のそれをはるかに超えたものと考えるのが自然である。
すでに数十世紀にわたって、このあたりの宇宙を自由に航行していたであろうということ。
それだけでも、彼らのものすごさがわかる。
私とワイフが目撃した巨大なUFOしても、頭上にきたあとは、猛スピードで、東の空に消えていった。
まるで空に溶け込むかのように、だ。

人間が乗っている飛行機とは、比べものにならない。

一方、今、私たちが最先端の技術として手にしている、コンピュータ技術、遺伝子工学、宇宙工学などにしても、この半世紀の歴史しかない。
おそらく宇宙人の目に映る人間は、チンパンジーか何かのようではないか。
宇宙人がその気にさえなったら、人類など、部屋の中のハエを殺虫剤で殺すほど簡単に、殺してしまうかもしれない。

●なぜ、今なのか?

しかしなぜ、今なのか?
5500年前から人類にかかわってきたとしても、彼らはけっして、その姿をおおっぴらに、私たちの前に現すことはなかった。
が、なぜ、今なのか?

E・ミッシェル博士は「さらに重大な開示が予定されている」と述べている。
言葉通りに解釈すれば、もっとはっきりとした証拠なり事実が示されるということになる。
だとすると、さらに「なぜ、今なのか?」という疑問が膨らんでくる。

が、今さら、言うまでもない。
この問題は、地球温暖化と、深くかかわりあっている。
現在考えられている対策がすべて実行されたとしても、2100年までには、日本の気温についてだけをみても、4~5度も上昇するという。

中には、「たった4~5度?」と思う人もいるかもしれないが、4~5度もあがれば、真冬でも、現在の夏のような気候になる。
地球温暖化の影響は、赤道付近よりも、南北の極地方、また季節で言えば、寒い冬のほうに、より大きく現れる。

が、そこで地球温暖化が止まるわけではない。
2100年以後も、また2200年以後も、つづく。
2300年以後もつづく。

そのとき、地球は、どうなっているか?

地球温暖化の問題よりも、私は人類の精神の荒廃のほうを危惧する。
自暴自棄になった人々が、それこそどんなことをしでかすようになるか、
私はそれを心配する。
それこそ先に書いた地獄絵図そのままの世界が、そのまま具現化される。

●宇宙人の視点で……

そんなとき、もしあなたが宇宙人なら、どうするだろうか?
それをだまって見ているだろうか。
それとも、人間の世界に、積極的に介入していくだろうか。

人間の私が、自分たちの心理状態を基本に、彼らの心を推し量るのは正しくない。
彼らは、私たち人間とはまったくちがった、思考回路をもっている。
感情の中身もちがうだろう。
精神構造もちがうだろう。
ひょっとしたら、人間がもっているような、喜怒哀楽の感情はないかもしれない。
あるいは反対に、たいへん愛情深く、慈愛に満ちた生物かもしれない。

ひょっとしたら、旧約聖書の中に出てくる、「ソドムとゴモラ」のように、
一気に、人間を焼き払ってしまうかもしれない。

が、反対に、ひょっとしたら人間の愚かさを指摘し、人間を指導し、さらには地球温暖化防止のための知識を分け与えてくれるかもしれない。
が、そこまで期待できるかどうかというと、それはむずかしい。
反対の立場で、「私たち人間は、生き延びる価値があるかどうか」ということを考えみれば、それがわかる。

あるいは、あなたならどうだろうか。
だれかに、「あなたは生き延びる価値があるかどうか」と聞かれたら、あなたは何と答えるだろうか。

●宇宙人の限界

が、宇宙人が、全知全能かというと、私は、そうは思わない。
絶対的な(数)、つまり人口そのものが少ないということも考えられる。
あるいは、宇宙人と呼ばれる(人)は、実は(人)ではない可能性もある。

もっとメカニックな、つまり人間が手にした人工知能のかたまりのようであるかもしれない。

……と書くと、「あのグレイは何か?」と思う人もいるかもしれない。
あのグレイ(本物かどうかは別として)、どこか人間的な体をしている。
しかしあのグレイをもって、宇宙人とするには、少し、無理がある。
私は、親分格の宇宙人は、もっと別の場所にいるのではないかと思っている。
別の場所にいて、グレイのような手下を、ロボットのようにして使っている?

つまりこのあたりに、宇宙人のもつ力の限界がある。
「なぜ人間の前に姿を現さないのか?」という問題にしても、単純に考えれば、「それができないから」ということになる。
その(できない)部分が、そのまま彼らの(限界)ということになる。

●事実の一端

E・ミシェル博士のような人の発言を聞いて、私は、ほっとしている。
「いつか、そういう人が現れて、真実を語ってくれるだろう」とは思っていた。
しかしその一方で、「私が生きている間に、それをしてくれるだろうか」という不安もあった。

「間に合った」という言い方は、どこかおかしいかもしれないが、間に合った。
あの夜以来、ずっと私とワイフは考えてきた。
ときどき「夢だった」と、自分にそう思い込ませようとしたこともある。
しかし私たちの結論は、いつも同じだった。
「見たものは、見た」。

そこで私はいつしか、「自分が死ぬまでに、あの夜見たUFOの正体を知りたい」と思うようになった。
E・ミシェル博士の発言は、その一端を、私につかませてくれたことになる。
「私は、やはり、見たのだ」と。

●心の準備

この先、E・ミシェル博士が語っているように、「さらに重大な(serious)な発表」がつづくかどうか、今の私にはわからない。
しかしそれよりも重要なことは、そういう発表があるという前提で、私たち自身が、それに備えて、心の準備をしておくということ。

これは映画の中の話ではない。
現実の話である。

もし宇宙人の存在が確実になったとしたら、宗教はもちろん、歴史すらも、その根底からひっくり返ることになる。
そうした混乱に、人間は、どう対処したらよいのか。
また対処できるだけの度量はあるのか。
これはあくまでも仮定の話だが、仮に、(あくまでも仮に)、あのイエス・キリストですら、宇宙人とかかわりをもっていたとしたら、それだけで、キリスト教そのものが、ひっくり返ってしまう。

「今までの歴史は何だったのか」ということにもなるだろう。
あるいは今の今、神に救いを求めている人もいるはず。
そういう人たちは、信仰の基盤を、根元から破壊されてしまうことにもなりかねない。
この問題だけは、「宇宙人がいます」「はい、そうですか」というレベルで片づけられるような、単純なものではない。

夏の夜、あなたも、あの月を見ながら、そんなことを考えてみるとよい。
そこには、とてつもないほど壮大なロマンが隠されている。
プラス謎が隠されている。

●BT氏の話について補足

 BT氏とは、何度も会っている。
一度は大きな地図を床に置き、あのUFOが、どちらの方向から飛んできたかを検証してことがある。
結果、私とワイフが見たUFOは、正確に真西から真東へ、飛んで行ったことがわかった。
一方、BT氏と弟氏が見たUFOは、正確に真東から真西へ、飛んで行ったことがわかった。
ともに、地球を真横に横切っていったことになる。

 共通点は言うまでもなく、真夜中だったということ。
が、これは常識と考えてよい。
カメラをいじったことがある人なら、みな知っている。
レンズの口径は大きければ大きいほど、多くの光をとらえる。
もしグレイのような巨大な目(瞳)をもっていたとしたら、この地球上の日中の光には耐えられないだろう。
言い換えると、私たち地球人には夜でも、彼らにしてみれば、昼のようなもの。
だから「夜」ということになる。

 「観光旅行?」をするには、地球の夜の方がよいということになる。

●目的?

 BT氏は、「一度、UFOに乗せてもらいたい」と言う。
そう言いながら、私にこう聞いた。
「はやしさんは、何を望むのですか」と。

 が、私には、何かをしてほしいという気持ちは、まったくない。
ただ得体の知れない、不可解なものを見た。
その正体を知りたい。
それだけ。

 もしあのような不可解なものを、そのまま受け入れてしまえば、私の中にある(合理=ロジック)が、総崩れとなってしまう。
幽霊やあの世や、占いやまじないを信ずる人たちと、同じレベルになってしまう。
が、それは私自身を否定することになる。
この世で何が恐ろしいかと言えば、自己否定ほど、恐ろしいものはない。
人生も晩年になってそれをすれば、自分の人生そのものを否定するに等しい。

 が、見たものは見た。
見たものは見たのであって、どうしようもない。
その見たものが何であるか、それに納得したい。

●カルト化

 ただひとつ注意しておきたい。
今、現在、UFOを本尊にし、無数のカルト教団が生まれつつある。
勉強会開いたり、観察会を開いたりしている。
さらに未知の惑星や、未知の宇宙人に自分たちを結びつけ、その(教え?)を宣伝したりしている。

 しかし私はそういったものには、まったく興味がない。
関心もない。
むしろ私の考えは、逆。
宇宙人にもいろいろあるのかもしれない。
しかし私は、仮にそういったものが近くに降りてきたとしても、近づかないほうがよい……と思う。
動力源として、原子力エネルギーのようなものを使っている可能性は、じゅうぶん、ある。
UFOに手で触れたとたん、あの世行き……ということも、考えられなくはない。
実際、そういう例も、いくつか報告されている。
だから私はワイフには、こう言っている。

 「UFOを近くに見たら、まず逃げろ!」と。
「10にひとつでも、危険を感じたら、逃げろ!」と。
UFOといても、神でもないし、仏でもない。
私たちを善なる世界へ導く救世主と考えるのは、たいへん危険なことでもある。

●九州へ

 天気予報が気になる。
九州地方では、大雨がつづいている。
NHKのまとめによると、14日午前3時現在、すでに20人の人が死亡、7人の人が行方不明になっている。
今朝もワイフは、ホテルに電話を入れていた。
で、今のところ、電車も、高速バスも、予定通り運行しているとのこと。
ホテルもだいじょうぶらしい。

 長い前置きになったが、私とワイフは、九州に向かう。
HS氏に会う。
会って、私たちが見たものが何であるかを確かめる。

●浜松駅

 この数日と打って変わった、快晴。
「梅雨は終わったのかしら?」とワイフ。
が、そんなはずはない。

 予定より40分ほど早く、駅に着いた。
待合室で、列車を待つ。
11時37分発、ひかり名古屋行。
名古屋で、博多行に乗り換え。

●アリゾナ州フェニックスに現れたUFO

 メールを開くと、読者の人より、メールが届いていた。
「はやし先生の見たUFOは、これではないですか?」と。
アドレスをクリックすると、アリゾナ州フェニックスで現れたUFOの画像が現れた。
巨大なUFOで、町全体をおおうほどのUFOだった。
そのUFOについては、私も聞き知っている。
どこかのテレビ局が、以前、報道していた。

 CNNは、つぎのように書いている。

『PHOENIX (CNN)
When it appeared in the Arizona sky on the night of March 13, it was witnessed by hundreds of people.
フェニック(CNN)
それがアリゾナの空に、3月13日(1997)に現れたとき、それは何100人もの人たちによって、目撃された。

Neither researchers nor witnesses have yet figured out what Arizonans saw in the event now dubbed "the Phoenix Lights.
「フェニクスの光」と呼ばれる、その事件で、研究者も、目撃者も、アリゾナの人たちが見たものが何であるか、わからないでいる。

" But that hasn't stopped them from trying to puzzle it out.

Tim Ley and his family are among the hundreds of witnesses who have come forward to talk about the Phoenix Lights.
ティムと彼の家族は、何100人もの目撃者だが、フェニックスの光について、つぎのように述べている。

They first saw the lights while looking north from their Phoenix home.
彼らはフェニックスの家から、北の方角を見ているとき、その光を見た』と。

 以下、その事件についていろいろ書かれている。
が、ここで重要なことは、UFOではなく、「光の列」であったこと。
ブーメランというより「V字」(CNN)形に並んでいたこと。
さらの光と光の間は、透けていたこと。
またこの地域は、アメリカ軍の秘密軍事基地と近く、ほかにも正体不明の飛行物体が、しばしば目撃されていること。

 で、日本でも、この事件は報道された。
その中では、目撃者の話として、低高度を飛行するV字型のUFOが、紹介されていた。
窓らしき円の中には、人影すら見えたと証言する人もいた。

 が、私とワイフが見たUFOとは、どうもそれとはちがうような気がする。
そのひとつが、「そこまで巨大ではなかった」(ワイフ)ということ。
それに光らしいものは、発していなかった。
フェニックスの「光」には、物体感がない。
CNNの報道にもあるように、「フェニックスの光」にすぎない。

 もっとも、そのあと真上に来たときのこと。
これは私たちが見たUFOについてだが、急に速度をあげ、そのまま透明になって消えていった。
そのことを思い起こせば、光と光の間が透けて見えたとしても、おかしくない。
ありえるということになる。

 が、疑問が残る。

 フェニックスの光は、サーチライトのような光を灯していた。
地球上の乗り物なら、そういうライトをつけることもあるだろう。
飛行機や自動車を思い浮かべればよい。
しかしUFOには、そういったライトは、必要ない。
UFOが光って見えるのは、それはあくまでもなにかの結果であって、目的ではない。
フェニックスで、何やら不可思議なことが起きたのは事実だが、そのときのUFO(?)は、私たちが見たUFOとは、やはりちがうように思う。
つまり「アッ、これだ!」という、的中感が、起きてこない。

 前にも書いたが、私たちが見たUFOにしても、BT氏兄弟、さらに今回HS氏が見たUFOにしても、私たちの真上に来たとたん、逃げるようにして、姿を消している。
UFO側が、人目につくのを避けている。
共通して、そんな印象をもった。

 そんなUFOが、こうこうとライトなど並べて、夜空を飾るだろうか?

●京都

 たった今、新幹線は、京都を出た。
先ほどまで、私とワイフは、週刊誌を読んでいた。
私が「週刊文春」、ワイフが「週刊ポスト」。
私は、認知症度テストという記事が気になった。
それを使って、自己診断してみた。
このところ何かにつけ、自信が薄れていく。

 結果は……というか、そのテストは、だれか別の人にしてもらうものだそうだ。
自己診断テストではない。

●大川隆法(週刊文春・7・19号)

 内容については、週刊文春に取ってもらう。
が、週刊文春は、大川隆法の性の儀式についての暴露記事を載せている。
信者の若い女性を、「あなたは~~の生まれ変わり」だとか何とか言って、そうした儀式に誘っていたという。

 幸福の科学にかぎらず、カルト教団と呼ばれる宗教団体には、この種の醜聞が、いつもついて回る。
UFOとて、例外ではない。
接し方をまちがえると、そのままカルト化する。

●日本人は賢くなったか?

 人間の賢さは、「自ら考える力」で決まる。

 よく誤解されるが、知識や情報が多いからといって、賢い人ということにはならない。反対に、いくら知識や情報があっても、バカな人はバカ。
映画『フォレストガンプ』の中でも、フォレストの母はこう言っている。「バカなことをする人をバカというのよ。(頭じゃ、ないのよ)」と。

 そういう視点で、もう一度、日本人について考えてみる。日本人は、賢くなったか、と。

 今、高校生でも、将来を考えて、毎日本を読んだり、勉強している子どもは、10%もいない。
文部科学省国立教育政策研究所の行った調査によると、「宿題や授業でしか本は読まない」と答えた子ども(小、中、高校)は、全体では18%だが、高校生は33%であった。
また「教科書より厚い本を読んだことがない」も、全体では16%だが、高校生では23%であった(全国小学4年生以上高校2年生までの2~120人について調査。02年)。

 わかりやすく言えば、小学生ほど、よく本を読み、中学生、高校生になると、本を読まなくなるということ。

一見何でもないような現象に見えるかもしれないが、「では、高校生とはいったい、何か」ということになってしまう。
より高度な勉強をするから高校生というのではないのか。
が、実態は、その逆。

毎日くだらない情報を、携帯端末で交換しているのが、高校生ということになる。
そう言い切るのは正しくないが、しかし実態は、そんなところと考えてよい。
大半の高校生は、毎日4~5時間はテレビを見たり、ゲームをしたりして時間をつぶしている。
6~7時間と答えた子どももいた
(筆者、01年、浜松市内の高校生10人について調査)。

 その結果というわけではないが、最近の高校生は、まさにノーブレイン(知能なし)という状態になっている。
知識や情報に振りまわされているだけ。自ら考えるということができない。
政治問題や社会問題など、問いかけただけで、「ダサイ!」と、はねのけられてしまう。

 もちろん本を読んだからといって、賢くなるというわけではない。
それ以上に大切なことは、いかにして問題意識をもつか、だ。
その問題意識がなければ、本を読んでも、それもただの情報で終わってしまう。
よい例が、ゲームの攻略本だ。

もともとウソにウソを塗り固めたような本だから、いくら読んでも、それこそまさにムダな情報。
先日、私も、子どもたち(小学6年生)の前で、こう話してやった。

 「栗の葉に、近くに落ちている松の葉包み、それを手で握って、ローローヤヤ、カカカ、バーバーと呪文を唱えれば、親から小遣いが、いつもの10倍もらえる」と。

 中には子どもたちは真剣なまなざしで、私の呪文をノートに書きとめようとした子どももいた。
が、そのうち一人が、「先生、反対に読むと、バ・カ・ヤ・ローだ」と。

 そこでいかにして、子どもに問題意識をもたせるか、である。が、この問題について考える前に、こういうこともある。

●ロボット化

 ノーブレインの状態になると、その人間は、いわゆるロボット化する。
ひとつの例が、カルト教団の信者たちである。
彼らは思想を注入してもらうかわりに、自ら考えることを放棄してしまう。
ある信者とこんな会話をしたことがある。

私が「あなたがたも、少しは指導者の言うことを疑ってみてはどうですか。ひょっとしたら、あなたがたは、利用されているだけかもしれませんよ」と。
するとその男性(60歳)はこう言った。

「○○先生は、万巻の書物を読んで、仏の境界(きょうがい)に入られた方だ。
教えにまちがいはない」と。

 同じような例は、あのポケモン現象のときに、子どもたちの世界でも起きた。
それはブームとかいうような生やさしいものではなかった。
毎日子どもたちは、ポケモンの名前をつらねただけの、まったく意味のない歌(「ポケモン言えるかな」)を、狂ったように歌っていた。
そしてお菓子でも持ち物でも、黄色いピカチューの絵がついているだけで、それを狂ったように買い求めていた。

私はこのポケンモン現象の中に、たまたまカルトとの共通性を見出した。そして『ポケモンカルト』(三一書房)という本を書いた。

●カルト教団

 このロボット化でこわいのは、脳のCPU(中央演算装置)が狂うため、本人にはその自覚がないこと。
カルト教団の信者も、またポケモンに夢中になる子どもも、なぜ自分がそうなのかということがわからないまま、たいていは「自分は正しいことをしているのだ」と思い込まされていく。
醜い商魂に操られていく。
そしてその結果として、それこそ愚にもつかないようなことを、平気でするようになる。

 こうした状態を防ぐためにも、私たちはいつも問題意識をもたねばならない。
あなたの子どもについて言うなら、これはいつかあなたの子どもがカルト教団の餌食にしないためでもある。
ノーブレインというのは、それ自体がひとつの思考回路で、いつなんどき、その回路の中
に、カルト思想が入り込まないともかぎらない。

で、たまたまあのポケモンブームのころ、アメリカのサンディエゴ郊外で、「ハイアーソース」という名前のカルト教団の信者たち39人が、集団自殺をするという事件が起きた(1997年3月)。
残された声明文には、「ヘール・ポップすい星とともに現れる宇宙船とランデブーして、あの世へ旅立つ」と書いてあったという。
SF的というよりは、UFO的。

 常識で考えればバカげた思想だが、ノーブレインの状態になると、それすらもわからなくなる。
つまりそういう人を、「バカな人」という。

 いかにして問題意識をもつか。

 これは私のばあいだが、私はいつも、自分の頭の中で、その日に考えるテーマを決める。教育問題であることが多いが、政治問題や社会問題も多い。
たいていは身近なことで、「おかしいぞ」と思ったことをテーマにするようにしている。

 そこで改めて問う。
「日本人は賢くなったか」と。

 で、その結論だが、答は、「ノー」。日本人は知識と情報の氾濫の中で、ますます自分を見失いつつある。
ますます愚かになりつつある。

そのことは、今の子どもたちの世界を見ればわかる。子どもたちの「質」は、この30年、確かに悪くなった。
ひとつの例というわけではないが、30年前の幼児は、「おとなになったら、何になりたい」と聞くと、「幼稚園の先生」とか、「野球の選手」と答えていた。
しかし今の子どもはちがう。

「魔法使い」とか、「超能力者」とか、答える。
バブル経済のころは、「私、おとなになったら、土地もちの人(男)と結婚する」と言っていた女の子(小4)や、「宗教団体の教祖になる」と言っていた男の子(小5)もいた。
が、そのときよりも、今のほうが、さらに悪くなっているように思う。

 UFO問題を取りあげるときは、それがどこかでカルト化していないか。
それを常に疑ってみる必要がある。

●神と宇宙人

 宇宙人が神であっても、神が宇宙人であっても、私は驚かない。
もともと私は無神論者。
が、まったくの無神論かというと、そうでもない。
子どものころから、結構、信心深いところがある。
60歳ごろまで、法事はきちんとしてきたし、初詣も欠かしたことがない。
仏典も読むし聖書も読む。

 よく「キリストは宇宙人だった」と説く人がいる。
こんなことをキリスト教徒の前で口にしたら、それだけで袋田叩きにあうだろう。
しかし私も、そう思う。
つまりキリストも宇宙人だった、と。

が、宇宙人そのものではなく、宇宙人により遺伝子操作され生まれた人間、と。
似たような話に、「かぐや姫」の話がある。
かぐや姫も、赤ん坊の段階で、地球に送り込まれている。
(あくまでも、おとぎ話のひとつだが……。)
宇宙人がいるとしても、この地上に、直接立つことは、むずかしい。
地球の重力が大きいというよりは、一度無重力に慣れてしまうと、肉体そのものが重力に対応できなくなってしまう。

 だから地球に使者を送るとしても、途中からではなく、赤ん坊の段階から送る。
またそうしないと、地球の環境に慣れることはむずかしい。

 が、宗教というのは、(教え)に基づいてするもの。
(儀式)ではない。
その視点を見失うと、UFO問題は、そのままカルト化する。
あるいは、すでにカルト化している?

●神と宇宙人

 UFO問題とキリスト教。
とくに旧約聖書と結びつける人は多い。
それもそのはず。
キリスト教でいう神は謎だらけだが、その神を宇宙人に結びつけると、謎のほとんどがスンナリと解決してしまう。

 が、ここにひとつの落とし穴がある。
新約聖書はともかくも、旧約聖書は、最初から最後まで、首尾一貫して終末論を説いている。
この終末論が、人類滅亡論に結びつきやすい。
言うまでもなく、カルト教団と呼ばれる宗教団体は、強迫と希望を、いつもペアにして私たちに迫ってくる。
地獄論と天国論でもよい。
バチ論と功徳論でもよい。
「この信仰を信じた者だけが救われる」と教えながら、「信仰をやめたら地獄へ落ちる」と。
さらに付け足せば、人々の心が不安になったときこそ、カルト教団の出番。
心が不安になると、そこにスキが生まれる。
そのスキをついて、カルト教団が入り込む。

 今は、その不安の時代。
震災、原発事故、経済の停滞、そして地球温暖化。
まさに『右を見ても、左を見ても……』という状態。

 こういうとき、UFO教団(?)が、急速に勢力を拡大する。
それがもつであろう、神以上のパワーを信じて……。

●ぼたんインコのピッピ

 が、問題は、宇宙人という宇宙を自由に行き来する高度な生命体が、人間など、相手にするだろうかということ。
仮に相手にするとするなら、理由は何か。
目的は何か。

 ……と考えながら、家で私を待つ、ぼたんインコのピッピを思い浮かべている。
たいへん利口な鳥で、育て方の本には、こうある。

「……カゴに入れておくとしても、24時間が限度です。1日、数回、数時間は放鳥し、自由に遊ばせてください」と。

 そのピッピは、私の家しか知らない。
私の家が、ピッピの知る世界。
もちろん家の外には出さないから、森の木や、川の水を知らない。
いわんや新幹線のことも知らないし、それで私たち夫婦が、1000キロも離れた九州へ向かっていることも知らない。

 ピッピはよく窓際の棚に止まり、外の世界をながめている。
ハトやヒヨドリが近づいてくると、右や左に飛び回り、大きな声で、懸命に何かを訴えている。

 が、ピッピは、そのまま私たち人間の姿でもある。
私たち人間は地球という小さな世界に、カビのようにへばりついている。
宇宙といっても、地上からのぞく、小さな天空のみ。
私たち人間を、ぼたんインコにたとえるなら、宇宙人たちは、新幹線に乗って旅行をする人間のようなもの。
もとから相手にならない。
……というか、私が宇宙人なら、人間など、もとから相手にしない。
相手にしてもしかたない。

 が、もし相手にすることがあるとするなら、その人間が自分たちにとって脅威となったときである。
たとえばこんな話が漏れ伝わってきている。

 何でもあのソ連(旧ロシア)は、月面上で核実験をしようとしたことがあるという。
(アメリカのアポロ13号も、小型の核兵器を積んでいたという話もある。)
が、そうしたロケットにかぎって、途中で行方不明になったり、原因不明の事故を起こしたりしている。
前に書いた『月の先住者』を読めば、その理由は、簡単にわかるはず。

●採決

 そういうふうに考えていくと、UFOに乗って地球へやってくる宇宙人たちが、人間に対して好意的かどうかということになると、それは疑わしい。
少なくとももし私が宇宙人なら、人間を敵性生物ととらえるだろう。
マムシとかピラニア、あるいはワニとかサメ……?

 ひとつの惑星には、1種類の知的生物しか住めないという法則もある(ホーキング博士)。
2種類以上になると、優劣をかけ、やがて最終戦争が始まる。
では、宇宙ではどうか。
生活圏の広さにもよるだろう。
しかし生活圏が狭く、利害が対立するようなことになると、やはり最終戦争ということになる。

 仮に共存するとしても、どちらか一方が徹底的に優位になる、どちらか一方が、徹底的に隷属的になる。

 が、知的生物が、複数のばあいはどうか。
映画『スターウォーズ』に出てくる酒場を思い浮かべればよい。
私は種類が多ければ多いほど、共存はむずかしいと思う。
とくに人間のような、貪欲で、強欲な生物なら、なおさら。
こんな小さな、狭い地球の上ですら、(それをよく知っているはすなのに)、戦争ばかり繰り返している。

 で、こんな想定をしてみる。

 あなたは宇宙会議のメンバーである。
何万という星々から、何千という種類の宇宙人が集まっている。
そこである日、こんな会議が行われた。
「地球人を、仲間として迎えるかどうか」と。
もろもろの意見が出されたあと、いよいよ採決という段階になった。

「賛成か反対か」と。

 反対が多数のばあいは、人間は抹殺される。
あるいは脳細胞そのものに手を加えられ、ごくふつうの動物(獣)としての生活だけを許されるようになる。

 ……かなりSF小説ぽくなってきたが、そういう視点で、一度、私たち人間を外の世界からながめてみるのも、悪くない。

●日田市

 高速バスは日田インターチェンジをおりた。
その直前、低い雨雲が急に厚くなったと思った瞬間、見たこともないような大雨が降り始めた。
ドドーッ、ドドーッと。
そのたびに、バスが大きく揺れた。

 バスは、予定より、20分遅れで日田市に入った。
今夜は駅前のソシエというホテルに泊まる。

 ……新幹線の中でおかしな眠り方をした。
そのせいか、ひどくはないが、頭が割れるように痛い。
だいじょうぶかな?

●日田市・花門(かもん)

 HS氏は、ホテル・ソシアの、道路をはさんだ真ん前で、割烹を経営していた。
「花門」。
私とワイフは、そこで夕食をごちそうになった。
夕食と言っても、食べたこともないような懐石料理。
その美しさとおいしさに、驚いた。
ワイフは、「こんなすてきな料理、食べたことがない」と何度も言った。
が、その言葉には偽りはない。
ワイフの別名は、石部金子。
「石部金吉」にちなんで、私がそういうニックネームをつけた。
ワイフには、「おじょうず」という言葉がない。
若いころから、クソまじめ、
クソ正直。
「クソ」を10個くらい並べても、まだ足りない。
そういう女性である。
そのワイフが、そう言った。

 日田市の花門。
JR日田駅から、歩いて数分。

 食事のあと、HS氏の家族全員(妻、娘さん2人、息子氏、それにHS氏の友人のKS氏)が、その場へ案内してくれた。
花門の裏手。
40~50メートル、裏通りへ入ったところ。
HS氏は、「ここでこのように見ました」と説明してくれた。
発泡スチロールで作った模型を使って、その飛び方を説明してくれた。

 なごやかな一瞬。
ほっとするような一瞬。
「来てよかった」と、私は何度も思った。

 そこには、あの夜、私たちが見たものが、「あった」!
それがうれしかった。

 そのとき私が受け取ったメモをそのまま、ここに掲載する。

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●新発見

 HS氏は、こう言った。
「ブーメラン型といっても、左右対称ではなく、右側が長かったです」と。

 事実というのは、恐ろしい。
私は、自分の書いたイラストにしても、NASAが発表した火星上空のUFOにしても、(NASAはUFOとは言っていないが)、そのときは、気づかなかった。
が、よく見ると、左右が非対称になっているのがわかる。
見る方角にもよるが、たしかに「右側のほうが、長い」。

 事実というのは、そういうもの。
知れば知るほど、つじつまが合ってくる。
ジグソーパズルのように、コマがそれまでのすき間を、きれいに埋めてくれる。

●方向

 もう7、8年になるだろうか。
私たち夫婦と、BT氏は、一枚の地図を広げ、たがいに見たUFOが、どちらの方角から、どちらの方向へ飛んで行ったかを検証したことがある。

 どこかの料亭で、何かの料理を食べながら、それをした。
その結果、

(1) 私たち夫婦が見たUFOは、正確に真西から、真東に向かって飛んで行った。
(2) BT氏が見たUFOは、これまた正確に真東から、真西に向かって飛んで行った。

 みなで地図の上に、定規を使って線を描いてみた。
が、意図的にそうしたわけではないのだが、2本の線は、きれいな平行線を描いた。
しかも緯度線に沿って、きれいな平行線を描いた。

 当時の私たちは、こう思った。
「UFOも、緯度に沿って飛行するのだ」と。

 が、今回のHS氏の話によれば、UFOは、真南から真北に向かって飛んでいったという。
これはどうしたことだろう。

 そこで調べてみると、あるサイトには、こうあった。

『…… 共振電磁場もフォース・フィールドと同様に、宇宙塵が船体に衝突するのを防ぐのに役立っているという。
 結局、UFOは、自分自身で磁気エネルギー(スカラーエネルギー)を使って人工の共振電磁場を作り、地球の空を飛ぶ場合は地球の共振電磁場と共振させて反重力を作り出し、地磁気の線に沿って飛行していることがわかる』(徹底検索・堀進氏BLOG)と。

 ここにいくつか聞きなれない言葉が出てくる。
またここに書いてあることがすべて、科学的に証明されたわけではない。
しかし「地磁気の線に沿って、飛行しているのがわかる」とある。
わかりやすく言えば、帆船が風を利用して航海するように、UFOは、地球の磁場を利用して航行している。

 それを信ずるか信じないかは別として、(というのも、私自身はよくわからないので)、しかしこの内容は、私たちが見たUFOの飛行ルートを、そのまま説明している。
正確に言えば、私たちとBT氏が見たUFOは、地磁気の線に対して直角に飛行した。
HS氏が見たUFOは、地磁気の線に対して平行に飛んだ。

●窓

 私とワイフが見たUFOには、窓らしきものはあった。
大きな、真円形の窓である。
薄い橙色の光を放っていた。

 つぎにBT氏の見たUFOには、窓はなかった。
「窓らしきものはなかった」と、BT氏は証言している。

 これに対して、HS氏は、窓らしきものはあった、と。
しかしその窓は閉じていたのか、機体本体と同じような色をしていたという。
「窓枠も見えた」という。
その窓枠も、同じ色をしていたという。

 で、私たち3人の話を総合すると、こうなる。
あの夜、私たちが見たUFOには、窓はあった。
その窓は開いていた。
BT氏とHS氏が見たUFOの窓は閉まっていた。

 私とHS氏の話は、窓(窓らしきもの?)があったという点で、一致する。
HS氏とBT氏の話は、窓が開いていなかった(光が出ていなかった)という点で一致する。
つまりここでも、(私の話)→(HS氏の話)→(BT氏の話)は、それぞれ連続性をもって一致する。

●KW氏

 割烹「花門」では、3時間余りを過ごした。
その間、HS氏の親友という、KW氏(60歳、日田市市議会元議員)という人と、話した。
KW氏自身は、UFOを見ていない。
しかし宇宙人の存在は、信じている。
会話の中に、「ニビル(惑星)」「シュメール」という言葉は、よく出てきた。
仏典の謎についても、話してくれた。
話がはずんだ。

 で、私は私たちが見たUFOの話をした。
前もって、HS氏から、話を聞いていたらしく、私たちの会話に、すんなりと入ってくれた。
またHS氏の二女も、小学2年生のときに、やはり家の裏で、UFOを目撃したことがあるという。
まだ明るい日中で、それはまぶしいほどまでの光を放ち、空を横切っていったという。

 私たちは食事をしながら、昨日(7月16日)にUPした、動画(YOUTUBE)を、みなに披露した。

http://www.youtube.com/watch?v=0Fziv16u8vo&list=UU2fHPR-NxuYGd1oMOGXLwFA&index=1&feature=plcp

●HS氏のメモ

 花門……『季節料理・花門』
 亭主……橋本 晃
 住所……大分県日田市元町78番
 電話……0937-22-1337

 本物の日本料理がどういうものであるかを知りたかったら、花門へ行ってみるとよい。
息子氏は、京都の割烹で修行したという。
HS氏の割烹を手伝っている。

 そのHS氏が私にメモを残してくれた。
先に書いたことと繰り返しになるが、もう一度、確認しておく。

○目撃したのは、2012年6月20日、22時29分(携帯電話の記録より)。
○音は無音。
○色は白だけど、白ではない。
○右の方が長く、左のほうが短い。
○窓(?)の周囲には、窓枠があった。
○窓の数は、9個前後(左側4個、右側5個)。これはHS氏が残したメモによる。
○UFOは、真南から真北の方向に向かって飛んで行った。

P1000213

P1000208

 また当日の夜HS氏は、携帯電話で2度、UFOを撮影している。
が、あとで見たら、1枚しか撮影できていなかったという。

 その写真が、これ(1)。
真っ黒で、何も写っていないかのように見える。
そこで画像処理してみると、最上部に、何か写っているのがわかった(2)。
写真というよりは、模様。
それが何を意味するかは、後日の判断に任せる。

(1)
DVC00001

(2)
SDの中身

橋本氏から預かったSDの中に写り込んでいた模様

●新山口

 新幹線のぞみは、たった今、新山口を出た。
教え子の1人が、この町のどこかの病院でドクターをしている。
列車が走りだしたとき、ふと、そんなことを思い出した。
またこの町かどうかは知らないが、恩師の田丸謙二先生は、東大を退官したあと、この山口市の東京理科大学で、理学部長をしていた。
「76歳まで働かされた」と言っていた。

 76歳!

 若いときには、知る由もなかった。
しかしこの年齢になると、年齢ごとのきびしさが、実感としてわかるようになる。
60歳には60歳のきびしさがある。
65歳には65歳のきびしさがある。
その延長線上に、70歳があり、76歳がある。
すべてが一次関数、もしくはゆるい二次関数のグラフを描きながら、老後に向かう。
簡単な数学である。

私「田丸先生は、76歳まで働いたんだって!」
ワ「よくがんばったわね」
私「ぼくも、そう思う。76歳で働くということがどういうことか、そのきびしさも、よくわかる」と。

 ……5~6列先に2歳前後の女児が乗っている。
その子どもが、キャッキャッと騒いでいる。
独り言を間断なく、しゃべっている。
時折、何やらダダをこねている。
あとの客は、葬式の参列者のように、静かに黙りこくっている。

●帰路

 九州から遠ざかるにつれ、UFO問題もまた、自分の頭から切り離されていく。
脳の隅に追いやられていく。
ワイフの口からも、「UFO」という言葉が出てこなくなった。
それもそのはず。
この話には、結論がない。
私たちは「見た」。
それだけの話である。
前にも書いたように、「だからどうなの?」という部分がない。
「どうしたいの?」という部分もない。

 おそらく、あのUFOにしても、二度と見ることはないだろう。
「見たい」と思っても、空のどこを、どのように探せばよいのか。
その方法も知らないし、手段もない。
(BT氏は、念力を送れば見られるというようなことを言う。
しかし私には、その念力もない。)

が、「私も見ました」という連絡は、この先もあるかもしれない。
そのときは、そのとき。
そのときはまた、その人に会い、その人の目の中に入って、あのUFOを見る。

 ただ誤解がないようにしておきたいことがある。
私たちが見たいのは、あのUFOだけ。
ほかのUFOには、興味がない。

 割烹『花門』では、HS氏の息子氏が、こんな話もしてくれた。
何でも阿蘇山の噴火口へ、UFOが入って行ったという。
噴火口からその奥へ、飛び込んで行き、そのまま消えてしまったという。
それを20人近い人たちが目撃したという。
阿蘇山周辺では、それが大きな話題になっているという。

 太陽の中にさえ、平気で入っていくUFOもあるとか。
そういう話も聞いているので、私は驚かない。
が、興味もない。

しかし、もし私がその20人の中の1人だったら、どうだろうか。
私なら1人1人の証言を集め、こうしてしっかりとした記録として残すことを考えたかもしれない。

 ともあれ、今の私には、そこまでワクを広げる時間はない。
ほかにも書きたいことは、山のようにある。
UFO問題は、その中の一部にすぎない。
だからあえて耳を閉じる。
興味をもたないようにする。

●結論

 今回のUFO検証旅行は、これでおしまい。
要するに、ロマン。
夢。
懐疑的な見方をすれば、オーストラリアのUFO研究団体が書いているように、「私たちは神秘を愛し、その謎を解くのを愛する」の一語に尽きる。
「推理番組と同じ」とも。

 そう、推理番組。
それ以上でもなければ、それ以下でもない。
 
 あとの判断は、読者諸氏に任せる。
ただし一言。
引用した文章の真偽のほどは別として、私がここに書いたことは、私が知りえた範囲の内という条件つきだが、すべて「事実」である。

 ……ワイフは、列車の中の電光ニュースを読んでいる。
「九州から東北の各地では、気温が35度だってエ!」と。
ワイフの頭の中からも、UFOが消え始めているようだ。
私も先ほどから、明日からの仕事の段取りを考えている。

 ……列車は、たった今、京都に着いたところ。
2012年7月17日。
時刻は、午後1時13分。

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