TK先生へ
こんばんは。
逆流性胃炎、たいへんですね。
ぼくも一時期なりました。
昨年の初めだったと思います。
そのときドクターは、「老人の仲間入りですね」と言いました。
で、先生の話を聞いていましたので、「これはまずい」と。
かなり注意し、養生しました。
慢性化させると、「まずい」と思ったからです。
今夜は、楽しい話をしましょう。
あの1970年の話です。
あのころの先生は、自信満々で、輝いていた。
「ノーベル賞は?」と聞くと、「いつでも」という感じでした。
「アデレード大学だけでも、3~4人の受賞者がいる」と、先生は驚いていました。
が、同時に、「あんな田舎の大学でも取れるんだから」と。
「論文の引用数など、私の3分の1もないような研究者が、ノーベル賞を取っている」とも。
ぼくも同じように生意気盛りでした。
モヤに包まれた先の見えない未来(W・シェークスピア)でしたが、楽しかった。
1日、1日を、1年のように感じて、生きていました。
そんなとき突然、先生がカレッジへやってきました。
それまでにも東大の教授たち(刑法学の松尾教授ほか)が、ときどきやってきましたが、どうも馬が合わないというか……。
ぼくは、もともとは、理科系の人間でしたから……。
2人で、北大の杉野目先生に手紙を書いたこともありますね。
返事が来なかったので心配していましたが、あとで知ったところによると、杉野目先生は当時、すでに体調を崩しておられたとか。
杉野目先生とは、韓国をいっしょに旅しました。
あの板門店も、です。
毎日、毎晩、先生と議論したのが、遠い昔のようでもあり、夢の中のできごとのようでもあります。
当時の先生は、かなり保守的でした。
「日本はいい国ではありませんか」が、口癖でしたね。
ぼくたちの世代は、70年安保の最中に、学生時代を過ごしましたから、かなり違和感を覚えました。
で、ぼくは何とか先生を説き伏せてやろうと思っていました。
が、今から思うと、とんでもないほど、無謀なことだったと思います。
巨艦に小舟で戦いをいどむようなものでした。
もっともそれを知ったのは、そのあと何十年もしてからですが……。
ひとつ気になっているのは、先生はあのころ、8ミリカメラで写真を撮っておられました。
1コマずつ、です。
「フィルム1本で、何千枚も写真を撮れる」と、自慢しておられたのを覚えています。
で、そのカメラを借り、先生の歩いている姿などを撮った記憶がどこかにあります。
あのころのフィルムは残っていますか。
前々回、鎌倉のご自宅におうかがいしたとき、その話をしようと思っていました。
が、すっかり忘れてしまいました。
で、先日も、鎌倉へおうかがいしたとき、その話をしようと思っていました。
が、そのときもすっかり忘れてしまいました。
というのも、当時のぼくは、写真には興味がありませんでした。
カメラはもっていましたが、めったに使いませんでした。
当時のぼくには、「未来」しかありませんでしたから……。
が、今、ぼくは、過去をこうして懐古しています。
「老人の回顧性」と言います。
回顧性が強くなると、いよいよ老人の仲間入りだそうですね。
ですから努めて懐古しないように心がけています。
「過去を懐古するようになったら、おしまい」と、です。
しかし今夜は、あのころが懐かしくてしかたありません。
時刻は、午前1時を回ったところです。
先生からのメールを読んだ後、眠れなくなってしまいました。
ただ一言、気持ちをお伝えしたくて、このメールを書いています。
「先生は、ひとりぼっちではない」とです。
無数のお弟子さんと、すばらしいお嬢さん家族に恵まれ、みなが力を合わせ、先生を支えています。
「うらやましい」などという言葉は、ぼくはめったに使ったことがありません。
敗北用語だからです。
でも先生に対しては、平気で使うことができます。
ぼくは、先生がうらやましいです。
そうそう昨年(2011)、あのメルボルンへ行ってきました。
パークビルの通りは、昔のままでしたが、大学そのものが印象では2倍ほど大きくなっていたように思います。
前もって友人が手配してくれたこともあり、ぼくとワイフは、ハイテーブルで、食事をすることができました。
ハウスのゲストルームに泊まることができました。
室内も昔のままでした。
ただ学生が200人から300人程度になり、棟(ウイング)がふえていました。
それにぼくたちのころには、男子寮だったのですが、今は女子学生が半分います。
たまたまメルボルン大学の女子ホッケーチームが、優勝したとかで、その女子学生たちといっしょに夕食を食べたりしました。
そのときへんなことを思いましたね。
「この女子学生たちから見たら、ぼくはどうしようもないジー様に見えるだろうな」とです。
1970年当時のぼくは、50歳というと、ありえない未来のように思っていました。
そのぼくも、10月で、65歳になります。
(今はかろうじて64歳ですが……。)
何とか「今」というときを、止めたいと、こうして文を書いています。
が、書いても書いても、「時」は容赦なく、過ぎ去っていきます。
手で空気をつかむようなものです。
その実感すら、ない。
ずっと先生を追いかけてきましたが、この先も追いかけていくでしょう。
たぶん、先生のほうが先にあの世へ行くと思いますが、どうかぼくのことも忘れないでください。
ぼくもつぎの瞬間には、先生のあとを追いかけ、あの世へ行きます。
正直なところ、ぼくは、この世には、あまり未練はありません。
満足感はありません。
あるのは不完全燃焼感だけです。
しかしやるべきことは、やった。
そういう思いは強くあります。
だからよく「いつ死んでもいいや」と思います。
そのときが来たら、いさぎよく、です。
先生が副学長になったときのこと。
先生の研究室へ行くと、先生はこう言いました。
「これから、いい思いをさせてあげるから、少し待っていなさい」と。
「何だろう?」と思って待っていると、理学部の正門に、黒塗りの乗用車がやってきました。
先生は、ぼくを、あの東大の専用車に乗せてくれました。
生涯で、いちばん誇らしく思ったのは、あのときです。
ありがとうございました。
そのあと東京駅で、食事をいっしょにしました。
アボガドなる果物を食べたのは、あのときが初めてです。
今でも、アボガドを食べるたびに、あの夜のことを思い出します。
ともかくも、ぼくは先生のおかげで、こうして道を踏み外すこともなく、無事、自分の人生を歩むことができました。
もし先生という灯台がなかったら、ぼくは今ごろ、商社マンになって死んでいるか、政治家になって投獄されているかのどちらかです。
が、こうして今日も、平穏、無事に、過ごすことができました。
自分の時間を大切に、自分の命を大切に、したいことをしながら生活することができます。
本当にありがたいことだと思います。
感謝しながら、これで眠ります。
布団の中でメールを書きましたので、誤字、脱字が多いかと思います。
お許し下さい。
では、おやすみなさい。
はやし浩司2012/04/25
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
ついでに昨年(2011)、オーストラリアへ行く前に書いた原稿を添付します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【心は、オーストラリアに】
●青春時代
青春時代が、人生の入り口?
青春時代が、人生のスターティング・ポイントと、だれが言ったか。
とんでもない!
これはウソ。
青春時代は、人生のスターティング・ポイントなどではない。
人生のゴールそのもの。
人は青春時代という門をくぐって、おとなの世界に飛び込む。
それはその通りだが、青春時代は、いつも私たちの行く道を照らす。
丘の上に立つ灯台のようなもの。
私たちはその灯台の照らす道に沿って、前に進むだけ。
行けども行けども、その先にあるのは、あの青春時代。
●戦後のあのドサクサ
とくに私は、戦後のあのドサクサの時代に、生まれ育った。
教育の「キ」のない時代だった。
親たちも食べていくだけで精一杯。
貧しいには貧しかった。
少し前のベトナム。
現在のアフガニスタン。
あるいはベトナムやタイでもよい。
そういう国々を見れば、それがわかる。
そういう国々を見ると、私は子どものころの日本を思い出す。
当時の日本と、それほどちがわない。
が、それほどちがわないことは、今になってわかること。
そのときはわからなかった。
貧しいのが当時は、当たり前。
私だけではない。
みな、そうだった。
● 拾ったお金
すべてをあの時代の責任にすることはできない。
しかし私たちは、よい意味で、たくましく、悪い意味で、小ずるかった。
またそうでないと生きていかれなかった。
たとえば道路にお金が落ちていたとする。
そういうお金は、先に見つけた者のもの。
あるいは走って駆け寄り、先に手にした者のもの。
だれが交番などに、届けただろうか。
だから今でも、私は子どもたちにこう教えながら、心のどこかで違和感を覚える。
「拾ったお金は、交番に届けよう」と。
そういう私が、自分の人生の中で、かろうじて、ほんとうにかろうじて、
道を踏み外さなかったのは、あの灯台があったから。
青春時代という、あの灯台があったから。
「私は最高の教育を受けた」という、その誇り。
それが私の道を照らしてくれた。
●1日が1年
ほとんどの宗教は、「聖地」というのをもっている。
心のより所。
冒(おか)してはいけない、神聖な場所。
もし私にも聖地というものがある。
それがまぎれもなく、あのカレッジ。
「241 ローヤル・パレード インターナショナル・ハウス」。
私はそこで、毎日、1日を1年のように長く感じながら生きた。
ある夜のこと。
一日が終わり、ベッドに身を横たえたとき、こう思った。
「まだ、たった3か月しかたっていないのか!」と。
私には、それまでの3か月が、何十年も長く感じた。
けっして、誇張しているのではない。
大げさに書いているのでもない。
本当に、そう感じた。
私は石川県の金沢市にある金沢大学を出た。
そこで私は4年間を過ごした。
が、たった数日で、私は4年分の思い出を作った。
本当にそう感じた。
そしてベッドから天井を見上げ、こう思った。
「まだこんな生活が、9か月も続くのか!」と。
そんな自分が、うれしくてたまらなかった。
●自由
すべてが珍しかった。
まだ日本には、綿棒もバンドエイドもなかった。
買い物にしても、そうだ。
オーストラリア人は、オレンジを袋単位で買っていた。
今では、日本のどこでも見られる光景だが、日本人の私には信じられなかった。
私たちの時代には、一個買いが常識だった。
私たちは、ミカンにせよ、リンゴにせよ、一個、いくらで買っていた。
が、何よりも驚いたのは、男女の関係だった。
大学の構内でも、男女が手をつないで歩き、ときどき抱き合って、接吻をしていた。
金沢大学では、見たこともない光景だった。
すべてが珍しく、すべてが驚きだった。
そのひとつひとつが、私の脳に、強烈な印象を残した。
私はオーストラリアで、生まれてはじめて「自由」というものを知った。
見せかけの自由ではない。
作られた自由でもない。
本物の自由である。
オーストラリアには、それがあった。
同時に、日本には、それがなかった。
その落差には、ものすごいものがあった。
●豊かな生活
オーストラリアは豊かな国だった。
1970年代は、そうだった。
世界でも1、2位を争っていた。
そういうオーストラリアを、オーストラリア人自ら、「ラッキーカントリー」と
呼んでいた。
「それほど働かなくても、豊かな生活ができる」と。
今でこそ、どこの家にもDVDの再生装置があり、大画面で映画を観ることができる。
が、私が友人の家で、映画『アラビアのロレンス』を観たときには、仰天した。
「自宅で、映画を観ている!」と。
当時の日本人には、想像もつかない生活だった。
●ガーデン・シティ
が、それだけではない。
私がいた当時のメルボルン市は、世界でももっとも温暖で、住みやすい都市として
知られていた。
常に偏東風が吹き、夏と冬の気温差も、日本よりはるかに小さかった。
町の3分の1が、公園とも言われていた。
が、3分の1というと、町の中に公園があるというよりは、公園の中に町がある。
そういった感じになる。
だから今でも、メルボルン市のことを、「ガーデン・シティ」という。
車のナンバープレートにも、そう書いてある。
●トロイ・ドナフュー
今回、オーストラリアへ行くのは、そのあと、はじめてではない。
そのあと、何回か行っている。
が、今回はちがう。
意味がちがう。
私は、ワイフを連れていく。
「何だ、そんなことか!」と思う人もいるかもしれない。
しかし私にとっては、聖地。
心の聖地。
友人の取り計らいで、今回は、そのインターナショナル・ハウスに泊まる。
当時は、(現在もそうだろうが)、世界各国からノーベル賞級の学者たちが来ると、
決まってその中にある、ゲストハウスに泊まった。
珍しい人物では、トロイ・ドナフューという映画俳優もいた。
背が高いというより、恐ろしく足の長い男だった。
『ルート66』というテレビ番組に出ていた。
ランチを食べているとき、みながトロイ・ドナフューを見て、こう言った。
「あいつ、トロイ・ドナフューではないか?」と。
そこで仲間の1人が声をかけてみると、「Yes!」と。
彼はあっさりと、それを認めた。
今度は、私がそのゲストハウスに泊まる。
ちょうど42年という歳月を経て、今度は、私がそのゲストハウスに泊まる。
●王子や皇太子
インターナショナル・ハウスは、不思議なカレッジだった。
どのフロアにも、世界中から集まった王子や皇太子たちがいた。
が、慣れというのは、恐ろしい。
私はそこに住んだときから、一度も、彼らの立場を意識したことはない。
相手も、ごくふつうの学生として、私たちと過ごした。
ただ「金持ちだな」と感じたことは、よくある。
中には、いつもパリッとしたスーツを着ていた男もいた。
あるいはいつも、数人の「友」に囲まれていた男もいた。
私はその男の「友」と思っていたが、あとになって、その国の大使館から
派遣された護衛官と知った。
そのことは、別の『世にも不思議な留学記』に書いた。
●私1人、だけ
一方、オーストラリア人たちは、ごくふつうの学生ばかりだった。
それなりに頭のよい学生たちだったが、卒業後の進路は、当時の日本人とは、
それほど違わなかった。
ただ当時から、(今でもそうだが)、日本人がもっているような「大企業意識」
というのは、なかった。
オーストラリアでは、個人プレーが基本。
子どものときから、「独立心」を徹底的に叩き込まれている。
言い忘れたが、カレッジには、200人の学生がいた。
内、100人が、各国からの留学生。
内、100人が、オーストラリア人だった。
日本人の留学生は、私1人だけ。
300万人とも言われたメルボルン市全体でも、私1人だけ。
そういう時代だった。
当時の為替レートは、1ドルが400円。
大卒の初任給がやっと、5万円という時代である。
そのレートで計算してみると、農家の年間収入は、1200万円から1500万円にも
なった。
月額にすると、100~150万円!
日本人の私には、信じられない金額だった。
●北朝鮮
……この話が理解できない人は、こんな計算をしてみればよい。
あの北朝鮮では、労働者の平均給与は、4000~5000ウォンだそうだ。
現在、じゃがいも10キロが、1000~2000ウォン(2011年2月)。
じゃがいもを、20キロ買っただけで、給料が消えてしまう。
その4000ウォンを、アメリカドルに換算すると、実勢レートで、2~3ドルにも
ならない。
日本円で、200~300円。
(月給が、だぞ!)
日本とオーストラリア。
現在の北朝鮮ほどではないが、しかしその間には、はっきりとした「差」があった。
カレッジの一室に、乾燥装置(ビルの1階から最上階まで、いつも温風が、
吹き上がっている)なるものもあった。
それを見たとき、その「差」を強く感じた。
生活の質そのものが、日本人のそれとは、まったく違っていた。
●便器のフタの上で、便!
その一方で、こんな話もある。
コロンボ計画というのが、あった。
アフリカの貧しい国々の学生を、先進国で学ばせるという計画だった。
そのコロンボ計画でハウスに来ていた留学生も、何人かいた。
しかしこの学生が、しばしばトラブルを引き起こした。
たとえば便器のフタの上で大便をする。
大便のあと、便を流さないで、出てくる。
だからトイレには、いつもこう書いてあった。
「Flash after each use(使ったあとは、洗え)!」と。
中には、オーストラリアの生活になじめず、部屋に引きこもってしまうのもいた。
日本も貧しかったが、アフリカの国々は、さらに貧しかった。
●遠くて遠い国
が、そんな私でも、日本がここまで豊かになるとは、夢にも思っていなかった。
当時書いた日記には、こうあった。
「50年たっても、日本はオーストラリアに追いつけないだろう」と。
しかしその日本は、その後20年を待たずして、オーストラリアを追い抜いた。
今度は、その日本を、シンガポールが追い抜いた。……これは余談。
相対的に、オーストラリアの地位はさがった。
今では、オーストラリアへ行っても、私が感じたような「差」を見る人はいない。
日本がオーストラリアぽくなったというよりは、オーストラリアのほうが、
日本ぽくなった。
そんな場面にも、よく出会う。
●修学旅行にオーストラリア
日本人の高校生が、修学旅行で、オーストラリアへ行く。
何百人単位という大人数で行く。
信じられないというより、そういう話を聞くたびに、「本当に、あの国へ?」と
思ってしまう。
私には遠くて、遠い国だった。
今でも、その感覚は残っている。
そう、あのオーストラリアを去るとき、私はこう思った。
「二度と、オーストラリアへ来ることはないだろうな」と。
●グーグル・アース
話はぐんと21世紀の現在に飛ぶ。
最近では、グーグル・アースというサービスを使うと、一瞬にして、世界中、
どこへでも「行く」ことができる。
住所を打ち込めばよい。
するとその地域の家々が、まるで数十メートルの高さから見るように見える。
私はそれを使い始めたとき、一番先に、インターナショナル・ハウスをさがした。
もう4、5年前のことだろうか。
そのときは解像度もそれほどよくなかった。
ぼんやりとした建物でしかなかった。
それでもそれを見たとき、目頭が熱くなり、ついで涙がこぼれた。
で、さらに解像度があがった。
さらに鮮明な画像で、ハウスを見ることができる。
夢の中でしか見ることがなかった、ハウス。
それが今では、居ながらにして、パソコンの世界で見ることができる。
それがよいことなのか、どうかは私にはわからない。
●聖地
こんな簡単に、過去を見ることができるようになると、ありがたみが消えてしまう。
言うなれば、聖地の奥の奥まで、見えてしまう。
だからときどき、こう思う。
「こんなサービスなど、ないほうがいい」と。
夢の中で、探し回るほうが、聖地らしい。
実際、私は若いころ、そういう夢をよく見た。
そこにハウスがあるはずなのだが、なかなかたどりつけない。
やっとたどりついたと思ったら、また別の場所。
そんな夢だった。
……そんなとき、私はいつも夢の中で、涙をこぼしていた。
●決定
私は30歳になる少し前、飛行機事故を経験している。
あのままあの飛行機が、あと100~200メートル先に進んでいたら、
私は死んでいただろう。
そういう事故だった。
以来、飛行機恐怖症になってしまった。
飛行機に乗ることはできるが、旅先で、不眠症になってしまう。
その不眠症に苦しむ。
それもあって、飛行機に乗るのは、特別のばあいだけ。
が、今回はちがう。
その前に、胃ガン検診を受けた。
2センチ大の腫瘍が見つかった。
ドクターは、1~2センチと言った。
で、生体検査。
結果がわかるまで、1週間かかると、ドクターは言った。
その1週間。
いろいろ考えた。
死を身近に感じた。
結果は、シロ。
Group1。
その結果が出たとき、決めた。
ワイフをオーストラリアへ連れていってやろう、と。
●結婚
こんな話もある。
オーストラリアの友人が、こんな内容のメールをくれた。
娘の1人が、結婚することを決意したという。
そのきっかけが、今回の、ニュージーランド地震。
多くの日本人も犠牲になった。
そのとき友人の娘のボーイフレンドも、たまたま仕事で、クライスト・チャーチ
にいた。
かなりあぶなかったらしい。
で、「2人は、結婚することにした」と。
私もそのボーイフレンドに会ったことがある。
それから3年。
別れたり、くっついたり。
それを繰り返していた。
が、その地震で、友人の娘は、本気でそのボーイフレンドを心配したらしい。
俗な言い方をすれば、それで自分の愛を確認したらしい(?)。
友人のメールでは、そこまでは書いてなかった。
しかし私はそう解釈した。
だから返事には、こう書いた。
「ぼくも同じ。ぼくには、2人の気持ちが、よく理解できる」と。
●緊張
しかしやはり緊張してしまう。
どういうわけか、緊張してしまう。
大きな会場で、講演をする前の気分に似ている。
「あれもしなければならない」「これもしなければならない」と。
そんなことばかりを考える。
「飛行機はタクシーより安全」と、人は言う。
しかし私にとって飛行機とは、棺桶のようなもの。
閉ざされた、狭い空間。
金属のかたまり。
それが弾丸にように空を飛ぶ。
今までもそうだった。
が、今回は、ワイフも行く。
だから余計にしっかりと書く。
私は飛行機に乗る前には、かならず、遺書を書く。
遺書を、しっかりと書く。
ひとつだけちがうことがあるとすれば、遺書の相手。
「今度は死ぬときは、いっしょだからね」とワイフに言う。
ワイフはそれを聞いて笑う。
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【人間性vs哲学】
●悪徳ヘルパー
訪問介護は、本当に安全か?
だいじょうぶか?
そう問われたら、大半の人は、「Yes」と答えるだろう。
たしかにそうかもしれない。
今、巷(ちまた)で問題になっている、悪徳ヘルパーは、ほんの一部。
それはわかる。
つまり「一部」ということは「一部」。
が、ゼロではない。
私の知りあいにも、そういう例がある。
この先、日本は高齢者社会になる。
それと並行して、こうした悪徳ヘルパーの問題は、深刻化するはず。
早急に手を打つ必要がある。
とりもなおさず、私たち自身の老後を守るために!
●身内
もっとも悪徳ヘルパーといっても、基本的には、他人。
他人だから、「悪徳」になっても、まだ話はわかる。
しかし身内となると、内情は複雑。
疑う人もいないから、それが発覚することは、まずない。
こんな例が、ある。
……去年、Yさん(女性、享年86歳)が、他界した。
かなりの財産家だった。
それまでは独り住まいで、ときどき近くにいる娘が、様子をみにきていた。
が、いよいよ生活ができなくなったということで、数か月間、その娘の家に身を寄せた後、同じ市内にある特養に入居した。
Yさんは、特養に入居して、ちょうど1年後に、他界した。
で、その間にも娘は、Yさんの家(娘の実家)に自由に出入りしていた。
「掃除」とか「家に風を通す」とか、言っていた。
が、Yさんが他界。
弟氏以下、親戚の人たちが、その家に集まったときには、家の中は、まさにモヌケのカラ。
めぼしいものは、タオル1枚、なくなっていたという。
弟氏は、こう言った。
「母は若いころから、タンス預金派でした。
そうした現金も、1円単位で消えていました」と。
●哲学の問題
ホームヘルパーが安全かどうかと問われたら、あなたはどう答えるだろうか。
あなた自身の問題として、考えてほしい。
言い換えると、今のこの日本で、純粋な人を求めるのは、不可能と考えてよい。
……たとえば、そこに100万円の札束がある。
持っていこうとすれば、自由に持っていくことができる。
だれも見ていない。
持っていっても、だれにもわからない。
そういうとき、あなたなら、どうするだろうか。
100万円という札束でなくても、身の回りの金目のものなら何でもよい。
そういうとき自分の心にブレーキをかけられる人は、どれくらいいるだろうか。
これは人間性の問題ではない。
「人間性」を言うなら、「もっていかない人は、いない」。
だからこれはその人の哲学の問題ということになる。
が、そこまで自分の哲学を完成させるのは、たいへんなこと。
●制度改革
では、どうするか。
方法は、簡単。
「制度」を整備する。
(1) ホームヘルパー制度を、2人制にする。
(人員が足りなければ、監督者を置き、その下で、ホームヘルパーが活動するようにする。)
(2) 月単位での交代制にする。
1人のヘルパーが、長期間、同一老人の世話をするという制度を改める。
が、ご存知の方も多いと思うが、今の制度は、穴(アナ)だらけ。
上記(1)(2)について、明確な規則、規制すらない。
それこそ悪徳ヘルパーにかかったら、いとも簡単に、老人たちはそのまま被害者になってしまう。
ちなみに、私の教室で、6人の中学生(注1生)に聞いてみた(2012年4月24日)。
「だれもいない夜道で、サイフを拾った。
中をみると、10万円入っていた。
そういうとき、あなたはどうするか」と。
「正直に答えろ」と念を押して聞くと、6人とも、こう答えた。
「もらう」「ネコババする」「自分のものにする」と。
これがここで私が言う、「人間性」ということになる。
その人間性は、老いも若きも、男も女も、共通している。
(だからといって、私は性悪説を支持しているわけではない。誤解のないように!)
●哲学
そこで登場するのが、哲学ということになる。
「理性」の登場ということになる。
わかりやすく言えば、思考力。
それがあるかないかで、その人の哲学が決まる。
その哲学を、どう完成させていくかということ。
簡単に言えば、自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取らせる。
それが日々に昇華し、やがてその人の哲学になる。
では、私のばあいは、どうか。
もともと私は邪悪な人間。
自分でもそれがよくわかっている。
だからこうして毎日、精進している。
が、もしそこにある100万円や金品に手をつけたら、それまでの苦労がアワとなって消える。
時間を無駄にする。
それが怖いから、そういったものには、手をつけない。
そうでなくても人生は短い。
回り道をしている暇はない。
わずかなお金やモノで、回り道はしたくない。
仮にここで100万円に手をつければ、それで汚れた心は、どうやって元に戻せばよいのか。
100万円という金品で得た満足感は、同時に、私という人間性に穴を開けてしまう。
その穴を再び埋めるのは、容易なことではない。
が、迷わないわけではない。
迷う。
道路でサイフを拾ったりするたびに、迷う。
それについては、たびたび書いてきた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
以前、こんな原稿を書いた。
2004年ごろ、書いた原稿ではないかと思う。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●善人ぶる
私はいつから、こうまで善人ぶるようになったのか。
とくにそれを強く感ずるのは、講演に招かれたときだ。
講師として、演壇の横にすわり、紹介されるのを待つ。
主催者のあいさつのあと、講師紹介が始まり、そしてそれが終わると、演壇に登る。
そのとき、私は、ふと、「どうして私がここにいるのか」と思う。
善人ぶることなら、だれにだってできる。簡単なことだ。それほど大きな努力はいらない。
さも知っているという顔をして、柔和な笑みを浮かべ、静かにしていればよい。
何かを聞かれても、きれいごとだけを並べていればよい。
しかし本当にむずかしいのは、自分の中の悪と戦うことだ。堕落(だらく)から、身を守ることだ。
あのトルストイも、『読書の輪』の中で、こう書いている。「
善をなすには、努力が必要。
しかし悪を抑制するには、さらにいっそうの努力が必要」と。
前にも書いたが、よいことをするから、善人というわけではない。
悪いことをしないから、善人というわけでもない。
人は、悪と戦って、はじめて善人になる。
たとえば道路に、大金の入っているサイフが落ちていたとする。
一〇〇万円とか二〇〇万円でよい。
まわりにはだれもいない。
あなたがそれをもって帰っても、見つかることは、まず、ない。
しかもあなたは今、お金に窮している。
その日に食べる食事代もない。そういうとき、あなた自分の中の邪悪さと戦うことができるか。
それが、ここでいう「悪と戦う」ということである。
こうした悪と戦う場面は、実は、日常生活の中では、頻繁(ひんぱん)に起こる。そういう意味では、人間はまさに社会的な動物である。
人と会っただけで、いつもそういう立場に立たされる。
そこで大切なことは、まずささいな悪と戦ってみる。
ウソをつかない。ゴミを捨てない。
ルールを守る。
インチキをしない。
そういうささいな戦いを通して、戦い方を身につける。
自分を鍛える。
私のばあい、いちいち考えて行動するのがめんどうだから、自分で教条的に、それを決めて従うようにしている。
たとえばウソにしても、一度ウソをつくと、あとがたいへん。
つじつまを合わせるために、つぎつぎとウソをつかねばならない。
気をめぐらさなければならない。
考える力があったら、もっとほかのことに使いたいという思いもある。
だからウソはつかない。が、それでももし、大金の入ったサイフが落ちていたら……。
そんな「私」を知るひとつの手がかりとして、こんな事件があった。
私が大学三年生のときのこと。
夜、バス停でバスを待っていると、足もとに1000円札が落ちているのに気がついた。
私はとっさに、なぜそうしたかはわからないが、それを足で踏みつけて隠した。
うしろはたまたま交番だった。
私はそのままの姿勢で、じっと立った。
今でもそのときの気持ちをよく覚えているが、私はそれを、何かのワナではないかと思った。
手でつかんだとたん、うしろから警官がやってきて、「逮捕する」とか何とか。
私はつぎつぎとやってくるバスを見送りながら、時間にして、30~40分はそのまま立っていた。
1000円といっても、今でいう、5000円ほどの価値がある。
その上、当時の私は貧乏学生。一度でよいから、あのトンチャン(焼肉)を、腹いっぱい食べてみたいと思っていた。
が、どうしても手をのばしてそれを拾うことができなかった。
私は法科の学生だった。そういう自負心もあった。
だからそのまま立っていた。が、多分、不自然な位置だったと思う。
あとから並んだ人が、けげんそうな顔つきで私をながめながら、横を通り過ぎ、バスに乗り込んでいったのを覚えている。
私は善人か。それとも善人ではないか。そこでこういう話を、中学生にぶつけてみた。
「君たち、交番の前で、5000円を拾ったら、どうする?」と。
6人の中学生がいた。
すると、全員が、「交番に届ける!」と。
そこですかさず、「君たちは、本気か?
きれいごとを言っているだけではないのか?」と聞くと、また「交番へ届ける!」と。
ひとり、「どうせそういうお金は、自分のものになるよ」と。
そこでまた私は考えてしまった。中学生でもわかる論理が、当時の私にはわからなかったのか、と。
いや、頭の中でシミュレーションするのと、実際、そういう立場に立たされるのとでは、受けとめ方はまるでちがう。中学生の言葉をそのまま信ずることもできない。
そこで話を変えて、「1000円だったら、どうする?」「500円だったら、どうする?」と聞いてみた。
すると、「1000円なら、もらってしまうかな」「100円だったら、ぼくのものする」と。どうや
ら、こうした善悪は、金額によって決まるようだ。
……ということは、彼らがもっている論理は、倫理ではない。
それが倫理であるかどうかは、つまりその人の行動規範であるかどうかは、人が見ているとか、見ていないとかいうこととは関係ない。
このケースで言えば、金額の大小ではない。
あくまでも自分の問題なのだ。
たとえばゴミにしても、「大きなゴミは、道路に捨てないが、小さなゴミなら捨てる」というのは、倫理ではない。
たとえガムの食べかすでも、道路へ捨てない。そういうふうに、自分を律する力が、倫理なのだ。
私はしかし、中学生たちが、「1000円なら、拾ってもらってしまうかな」と言ったとき、正直言って、ほっとした。理由は簡単だ。
私はそのあと、うしろの交番に目をやりながら、その1000円札を拾って、すかさず自分のポケットにつっこんだ。
そしてあとは一目散に、その場を走って逃げた。うれしかった。本当にうれしかった。
そして私は今でも、はっきりと思えているが、その1000円で、喫茶店でお茶を飲んだあと、あのトンチャン屋へ足を運んだ。
ライスが100円。
トンチャンが一皿、150円。
それを腹いっぱい食べた。
そんな私が、今、善人ぶって、みなの前に立つ……?
いつか私を講演会で見る人がいたら、ぜひ、このエッセーを思い出してみてほしい。
そしてこう思ってほしい。
「あの、林め、偉そうな顔して、善人ぶっているが、どうしてあんな男が、ここにいるのか?」と。
そう思ってもらったほうが、私にとっては、ずっと気が楽になる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 石川門 交番 バス停)
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
2012年4月25日水曜日
2012年4月24日火曜日
*Why are they so pushing?
【読者の方より、相談】(掲示板より)
●子どもの排便障害
先生、初めまして。
ネットでHPを拝見し、ぜひ聞いていただきたくメールいたしました。
5歳(年長)の息子は1歳6ヶ月頃便秘になり、浣腸をして以来、便が出にくくなりました。
それ以来、誰も本気で話を聞いてくれず、なんとか緩下剤を飲んで一週間に1、2回無理やり出す、という感じです。
しかし、便意があると我慢し、もらしてしまうのです。
ひどい時は一日4枚も汚し、それが3日ぐらい続きます。
幼稚園も忙しく、1歳の娘もおり洗濯の手間や余裕がないのです。
一体、いつまでこんなことが続くかと思うと、我慢しても感情的になってしないます。
息子はオムツがはずれるのが遅く、(娘を妊娠中に悪阻で辛くてトイレットトレーニングがうまくいかなかったのです)、幼稚園年中でやっとおむらしが減っていった感じです。
実は、排便障害の他に年中まで本当に辛い日々でした。
言葉が遅いこともあるのでしょうが、とにかく幼稚園で乱暴で、たたく・かみつく・大声を出す、直りませんでした。
そのことを被害のあったお子さんに謝る私の態度も悪かったらしく、私自身もママたちから嫌われてしまい今でも2、3人の方から無視されています。
友人もおらず、夫にも受け止めてもらえず、時々うつ状態になりながら過ごしてきました。
それでも去年は、区の子ども相談でよく話を聞いてもらえたのですが、今年から担当が代わってしまい突き放された感じです。
私のこの不安定さも悪いとは思いながら、どうすることもできずにおります。
息子の乱暴さは、年長になって驚くほど無くなってきました。
あとは便がちゃんとできれば小学校もそれほど心配ではないのですが。。。
メールでは十分に経過や状況をお伝えできていないとは思いますが、先生の豊富なご経験から是非アドバイスをお願いいたします。よろしくお願い致します。
●はやし浩司より、UNKNOWN様へ
内容からすると、下の子(妹)が生まれてから、便秘以外の、もろもろの症状(幼稚園でのトラブル)が出てきたということになります。
(便秘と、幼稚園でのトラブルは、愛情飢餓という点で原因は同じですが、分けて考えてください。)
で、1歳半とえば、ちょうど年齢的に、フロイトが説く「肛門期」(2~4歳)前後ということになります。
愛情飢餓、不安、不満により、「排泄すること」に、恐怖心をもつようになったということでしょうか。
肛門期に、愛情飢餓問題が重なると、排泄することに恐怖心を抱いたり、喪失感をもつようになります。
だからがまんする。
もう少し突っ込んだ言い方をすると、こうです。
子どもは言いたいこともできない(=心の排泄ができない)、したいこともできない(=行動の排泄ができない)という状態だったということ。
わかりやすく言えば、子どもらしく親に甘えることができなかった(=心を開くことができなかった)ということです。
子どもが便秘症になったのではなく、便秘になるような家庭環境にあったということです。
(過去のことをとやかく言っても、どうしようもありませんが……。)
で、便秘についてですが、便秘も、夜尿症などと同じ、「神経症的な症状」と考え、対処します。
(ただし最近のおむつは、性能がよすぎて、排便のしつけに失敗する親も多いです。
小便をがまんしてしまう子どもは、いくらでもいます。)
基本的には、お子さんは、母親の愛情に飢え、母親との間で、全幅的な信頼関係を築くこともできず、かなり情緒が不安定になっていると考えてください。
(親は平等にかわいがっているつもりかもしれませんが……。)
たとえば「あなたはお兄ちゃんでしょ」式の突き放しをしていませんか。
もろもろの症状は、それが原因と考えてください。
今からでも遅くありませんから、もう一度、100%の愛情を注いでみてください。
100%です。
(妹さんには、かわいそうですが、妹さんは、それで納得するはずです。)
添い寝、手つなぎ、抱っこなどなど。
いとわず、すかさず、濃密にするのが、コツです。
大切なのは、全幅的な安心感を与えることです。
その安心感が、子どもの心を溶かします。
(ただし時間がかかります。
すでに5歳ということですから、半年単位の根気が必要です。)
とは言え、文面からして、すでにヤマを越えているように思います。
今までたいへんで、つらかったことと思いますが、あと一息です。
(将来的には、ケチで、ためこみ屋になるかもしれませんが……。※)
便秘そのものは、小児科のドクターに相談し、それで問題がなければ……つまり、週に2、3度という子どもも、少なくありませんので、おおげさに考えないこと。
(私が現在教えている女子中学生は、週に1度だそうです。)
浣腸はその場の効果はありますが、かえって便秘をひどくしてしまいます。
直腸の感覚を麻痺させてしまいますので……。
それで緩下剤(便秘薬)ということになったのでしょうか。
「1日、4枚も汚す」というのは、緩下剤の量が多すぎる(?)と思います。
子どもに緩下剤を与えるときは、ドクターの指示した量の4分の1前後から始め、様子をみながら量を増減するのが、コツです。
(微妙な調整が必要です。)
おとなのばあいは、腹の具合をみながら、自分で調整したり、残った便も、力を入れて無理にでも排便したりしますが、幼児には、まだそれができません。
どうしても、腸の中に、便が残ってしまいます。
それが「4枚」ということになります。
それよりも、すでになさっていると思いますが、野菜中心の献立にし、食生活の方から攻められるのが正攻法ということになります。
私の息子の1人も、幼児期~少年期、ひどい便秘症でした。
高校生になってからも、浣腸は常備薬でしたが、シャワートイレにしてからは、すっかり治ってしまいました。
詳しくは「はやし浩司 神経症」で一度、検索をかけてみてくださるとよいかと思います。
基本的には、(母子間の愛情)の問題ということです。
便秘になったのも、1歳半ごろ、子どもの側からみて、何か大きな愛情の変化が原因ではなかったかと推察しています。
もっとも濃密な、母子間の愛情を必要とする時期が、0~2歳までの、そのころです。
(この時期に、子どもは母子の間で、基本的信頼関係を構築します。
「はやし浩司 基本的信頼関係」で一度、検索をかけてみてください。)
ともかく、ほとんどの人は、似たような問題をかかえ、苦労しています。
外から見ると、何も問題がないように思えますが……。
(大便という点で、やっかいに感ずるかもしれませんが……。
また大便であるがゆえに、叱る→恐怖心をもつの悪循環で、ますます重症化しやすいです。)
夜尿症のばあいも、そうですが、受け入れてしまえば、何でもありません。
「したいように、しなさい」と、です。
またそうなったとき、不思議なことに、自然と排便障害も消えます。
アドバイスできることは、
(1)愛情飢餓状態の解消
(2)緩下剤の微妙な調整、です。
ともかくも、あと一息です。
よくがんばったと思います。
が、あと一息。
やがてすぐ笑い話になります。
それを信じて、前向きに!
(注※……肛門期の固着について)
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
『……トイレットトレーニングの過剰と失敗は子供のパーソナリティに様々な影響を与える。
例えば、トイレに無理矢理行かせたり、過度にタイミングや清潔さに厳しすぎると、ものを捨てるのを嫌がるようになったりする。
ためこみ屋でけちな性格になることがある。
これは過度なトイレットトレーニングが子供に自分のうんちを溜め込みすぎるのを良しとするためである。
フロイトによると几帳面で節約家で強情になりやすいと言う。
それに肛門期固着は小児性愛の源泉となる事もある。
フロイトは論文で、子供はうんちを幼児やお金に象徴交換して、それを代わりに手に入れたり溜め込んだりするような傾向があると指摘している)。
逆にしつけを疎かにすると、子供はいつでも排便する事が良い事だと思い、お金を湯水のごとく使ったり、不潔のままになったりと、整理する事を学ばなくなってしまう。
これは自分の欲動をトイレットトレーニングを通してコントロールすることを学ばなかったからである。
このような子供は我慢することを知らず、自分の好き勝手に何でもやりたい放題になるとも言われる。
芸術との関連も指摘されている。
肛門期は自分の体内の一部であるうんちを作って対外に排出するという活動を象徴していると言われ、それは創造的活動などと比較される。
また汚いものを排出することとの関連で妄想症が考えられたりもしている』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 幼児の便秘 神経症 神経症的な症状 はやし浩司 便秘症 緩下剤 愛情飢餓 肛門期 排便のしつけ)
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●審判&運命(はやし浩司 2012ー04-24)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
キリスト教の世界には、「審判」という言葉がある。
「最後の審判」とか、言う。
こうした死生観というのは、それ自体が矛盾だらけ。
結果主義というか、総合性がない。
その人の、どの部分を取り、だれがどのように審判するのか。
「終わりの部分」だけを見て、審判というのは、おかしい。
どう考えても、おかしい。
重要なのは、プロセス。
今まで生きてきたという、その過程。
表面的な名誉や地位ではない。
肩書きではない。
飾りではない。
その人がどう生きてきたかという、ドラマ。
中身。
生き様。
それが重要。
中には狂ったように、飾りを求める人がいる。
人生の場を、出世のための競争の場にしている。
その見苦しさ。
おかしさ。
私たちは日々に、そのつど審判を受けている。
その瞬間、瞬間に、すべてが終わり、同時にすべてが始まる。
「最後」といっても、どの時点をもって、「最後」というのか。
だいたい「審判を受ける」という言い方がおかしい。
受ける?
そんなもの受けなくても、自分で判断すればよい。
審判するのも、審判されるのも、「私」。
他人(神でもよいが)に有罪と判断されたから、有罪?
他人(神でもよいが)に無罪と判断されたから、無罪?
もしあの世とやらがあり、そこで神が私を審判することになったら、私はこう言う。
「私は、懸命に生きてきました」と。
「自分の運命と闘いながら、懸命に生きてきました」と。
それをまちがっているというのなら、すべての動物は、地獄行き。
またそれがわからなければ、野に遊ぶ鳥や動物を見ればよい。
みな、それぞれの運命を背負いながら、懸命に生きている。
数日前も、どこかの宗教団体の人たちがやってきて、ワイフにこう言った。
「最後の審判の日が近づいています」と。
まあ、そのときは、そのとき。
そのときになったら、それを受け入れればよい。
少なくとも、祈ったところで、どうこうなるような問題ではない。
で、彼らはこう言ったという。
「信じた者だけが、救われます」と。
ヘ~~~エ!
だったら、あの3・11大震災は、どうなのか。
信じていた人もいただろう。
信じていなかった人もいただろう。
老人や赤ん坊もいた。
そういう人たちに向かって、「審判」という言葉を使うのは、あまりにもむごい。
どこかの宗教団体の人たちには、その(むごさ)が、理解できないらしい。
自分勝手で、閉鎖的。
自己中心的で、近視眼的。
心の扉を開いて、自分の足で、外に出ろ。
ひとりで歩いてみろ。
外は、広いぞ!
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●運命論
運命論については、たびたび書いてきた。
……いつも考えている。
私たちには無数の「糸」がからんでいる。
社会の糸、環境の糸、性格や性質の糸、家族の糸、生い立ちの糸などなど。
最近では、自然の糸というのもある。
そういう「糸」が無数にからんでいる。
そういう糸が、ときとして、自分の進むべき方向を決めてしまう。
いくら「私はあっちへ行きたい」と思っていても、気がついてみると、反対の方向に進んでいる。
それを私は「運命」という。
が、運命に身を任せてはいけない。
どんな糸であるにせよ、私たちはそれと闘う。
ふんばる。
そこから無数のドラマが生まれ、生きる意味もそこから生まれる。
世界の賢人たちの言葉を、拾ってみる。
Few are those who can see with their own eyes and hear with their own hearts.……A・アインシュタイン
(ほとんどの人は、自分の目で見ることができない。自分の心で聞くことができない。)
For example, justice is considered to mean equality, It does mean equality but equality for those who are equal, and not for all. ……アリストテレス
(たとえば、正義は平等のことだと考えられている。たしかに平等のことだが、その平等というのは、平等である人のためのものであって、みなのものではない。)
Happiness is something final and complete in itself, as being the aim and end of all practical activities whatever .... Happiness then we define as the active exercise of the mind in conformity with perfect goodness or virtue.……アリストテレス
(幸福というのは、それが何であれ、すべての実生活の目的であり、結末であるように、それ自体、最終的なものであり、完全なものである。
それ故に、私たちは幸福を、完ぺきな善と美徳に調和した、心の鍛錬と定義する。)
It is not the brains that matter most, but that which guides them---the character, the heart, generous qualities, progressive ideas.……ドストエフスキィ
(問題は脳みそではない。問題は脳みそが導くところの、性格、心、寛容な性質、前向きな思想である。)
I don't suffer from insanity but enjoy every minute of it.……エドガー・アラン・ポー
(私は狂気で苦しまない。それをそのときどきに、私は楽しむ。)
Live simply that other may simply live.……ガンジー
(ほかの人たちが生きるように、単純に生きろ。)
Twenty years from now you will be more disappointed by the things that you didn't do than by the ones you did do. So throw off the bowlines. Sail away from the safe harbor. Catch the trade winds in your sails. Explore. Dream. Discover.……マーク・トゥェイン
(20年後、君は、それまでそうでなかったものや人に、より失望するであろう。
だから網を捨て、安全な港から航海に出ろ。帆で風を受け止め、探検し、夢をもち、発見せよ。)
We must all learn to live together as brothers, or we are all going to perish together as fools.……マーティン・ルーサー・キング
(私たちはみな、兄弟としてともに生きることを学ぶか、愚か者のように、いっしょに滅ぶかのどちらかだ。)
●注入された思想
それにしても失敬な人たちではないか。
自分たちのしていることは、スパムメールと同じ。
頼みもしないのに、勝手にやってきて、「あなたはまちがっている」と。
どうしてそんな厚かましいことが、平気でできるのか。
それがわからなければ、自分のこことして考えてみればよい。
もしあなたが何かの真理(?)を発見したとする。
それはそれで結構なことだが、それでもってどこかの家の門を叩き、こう言う。
「近く、最後の審判が下されます」「信じた者だけが、救われます」と。
「私たちは正しい」と思うのは、その人の勝手。
が、その返す刀で、「あなたはまちがっている」と。
その図々しさに、まずもって自ら気づいたらよい。
同時に、それがその人自身の思想であるならまだしも、どうせ他人に注入された思想。
言うなれば、ロボット。
ロボットになりながら、ロボットになっているという意識さえない。
が、それこそ、「私」の放棄。
その愚かさ。
そのおかしさ。
出世競争に明け暮れ、気がついてみたら、人生も終わっていた。
そういう人たちと、どこがどうちがうというのか。
不完全でもよい。
未熟でもよい。
自分で立ちあがるところに、繰り返すが、生きる意味がある。
ついでに言えば、こういうこと。
それがたとえ他人に理解されなくても、それはそれ。
みな、それぞれの運命と闘いながら懸命に生きている。
そういう人たちは、そういう人たちで、そっとしておいてやることこそ、大切。
それが(やさしさ)ではないのか。
人間が本来的にもつ、(やさしさ)ではないのか。
……と居直りながら、今日も始まった。
どこまでがんばれるかわからないが、がんばるしかない。
ふんばるしかない。
みなさん、おはようございます。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 運命論 審判論)
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●子どもの排便障害
先生、初めまして。
ネットでHPを拝見し、ぜひ聞いていただきたくメールいたしました。
5歳(年長)の息子は1歳6ヶ月頃便秘になり、浣腸をして以来、便が出にくくなりました。
それ以来、誰も本気で話を聞いてくれず、なんとか緩下剤を飲んで一週間に1、2回無理やり出す、という感じです。
しかし、便意があると我慢し、もらしてしまうのです。
ひどい時は一日4枚も汚し、それが3日ぐらい続きます。
幼稚園も忙しく、1歳の娘もおり洗濯の手間や余裕がないのです。
一体、いつまでこんなことが続くかと思うと、我慢しても感情的になってしないます。
息子はオムツがはずれるのが遅く、(娘を妊娠中に悪阻で辛くてトイレットトレーニングがうまくいかなかったのです)、幼稚園年中でやっとおむらしが減っていった感じです。
実は、排便障害の他に年中まで本当に辛い日々でした。
言葉が遅いこともあるのでしょうが、とにかく幼稚園で乱暴で、たたく・かみつく・大声を出す、直りませんでした。
そのことを被害のあったお子さんに謝る私の態度も悪かったらしく、私自身もママたちから嫌われてしまい今でも2、3人の方から無視されています。
友人もおらず、夫にも受け止めてもらえず、時々うつ状態になりながら過ごしてきました。
それでも去年は、区の子ども相談でよく話を聞いてもらえたのですが、今年から担当が代わってしまい突き放された感じです。
私のこの不安定さも悪いとは思いながら、どうすることもできずにおります。
息子の乱暴さは、年長になって驚くほど無くなってきました。
あとは便がちゃんとできれば小学校もそれほど心配ではないのですが。。。
メールでは十分に経過や状況をお伝えできていないとは思いますが、先生の豊富なご経験から是非アドバイスをお願いいたします。よろしくお願い致します。
●はやし浩司より、UNKNOWN様へ
内容からすると、下の子(妹)が生まれてから、便秘以外の、もろもろの症状(幼稚園でのトラブル)が出てきたということになります。
(便秘と、幼稚園でのトラブルは、愛情飢餓という点で原因は同じですが、分けて考えてください。)
で、1歳半とえば、ちょうど年齢的に、フロイトが説く「肛門期」(2~4歳)前後ということになります。
愛情飢餓、不安、不満により、「排泄すること」に、恐怖心をもつようになったということでしょうか。
肛門期に、愛情飢餓問題が重なると、排泄することに恐怖心を抱いたり、喪失感をもつようになります。
だからがまんする。
もう少し突っ込んだ言い方をすると、こうです。
子どもは言いたいこともできない(=心の排泄ができない)、したいこともできない(=行動の排泄ができない)という状態だったということ。
わかりやすく言えば、子どもらしく親に甘えることができなかった(=心を開くことができなかった)ということです。
子どもが便秘症になったのではなく、便秘になるような家庭環境にあったということです。
(過去のことをとやかく言っても、どうしようもありませんが……。)
で、便秘についてですが、便秘も、夜尿症などと同じ、「神経症的な症状」と考え、対処します。
(ただし最近のおむつは、性能がよすぎて、排便のしつけに失敗する親も多いです。
小便をがまんしてしまう子どもは、いくらでもいます。)
基本的には、お子さんは、母親の愛情に飢え、母親との間で、全幅的な信頼関係を築くこともできず、かなり情緒が不安定になっていると考えてください。
(親は平等にかわいがっているつもりかもしれませんが……。)
たとえば「あなたはお兄ちゃんでしょ」式の突き放しをしていませんか。
もろもろの症状は、それが原因と考えてください。
今からでも遅くありませんから、もう一度、100%の愛情を注いでみてください。
100%です。
(妹さんには、かわいそうですが、妹さんは、それで納得するはずです。)
添い寝、手つなぎ、抱っこなどなど。
いとわず、すかさず、濃密にするのが、コツです。
大切なのは、全幅的な安心感を与えることです。
その安心感が、子どもの心を溶かします。
(ただし時間がかかります。
すでに5歳ということですから、半年単位の根気が必要です。)
とは言え、文面からして、すでにヤマを越えているように思います。
今までたいへんで、つらかったことと思いますが、あと一息です。
(将来的には、ケチで、ためこみ屋になるかもしれませんが……。※)
便秘そのものは、小児科のドクターに相談し、それで問題がなければ……つまり、週に2、3度という子どもも、少なくありませんので、おおげさに考えないこと。
(私が現在教えている女子中学生は、週に1度だそうです。)
浣腸はその場の効果はありますが、かえって便秘をひどくしてしまいます。
直腸の感覚を麻痺させてしまいますので……。
それで緩下剤(便秘薬)ということになったのでしょうか。
「1日、4枚も汚す」というのは、緩下剤の量が多すぎる(?)と思います。
子どもに緩下剤を与えるときは、ドクターの指示した量の4分の1前後から始め、様子をみながら量を増減するのが、コツです。
(微妙な調整が必要です。)
おとなのばあいは、腹の具合をみながら、自分で調整したり、残った便も、力を入れて無理にでも排便したりしますが、幼児には、まだそれができません。
どうしても、腸の中に、便が残ってしまいます。
それが「4枚」ということになります。
それよりも、すでになさっていると思いますが、野菜中心の献立にし、食生活の方から攻められるのが正攻法ということになります。
私の息子の1人も、幼児期~少年期、ひどい便秘症でした。
高校生になってからも、浣腸は常備薬でしたが、シャワートイレにしてからは、すっかり治ってしまいました。
詳しくは「はやし浩司 神経症」で一度、検索をかけてみてくださるとよいかと思います。
基本的には、(母子間の愛情)の問題ということです。
便秘になったのも、1歳半ごろ、子どもの側からみて、何か大きな愛情の変化が原因ではなかったかと推察しています。
もっとも濃密な、母子間の愛情を必要とする時期が、0~2歳までの、そのころです。
(この時期に、子どもは母子の間で、基本的信頼関係を構築します。
「はやし浩司 基本的信頼関係」で一度、検索をかけてみてください。)
ともかく、ほとんどの人は、似たような問題をかかえ、苦労しています。
外から見ると、何も問題がないように思えますが……。
(大便という点で、やっかいに感ずるかもしれませんが……。
また大便であるがゆえに、叱る→恐怖心をもつの悪循環で、ますます重症化しやすいです。)
夜尿症のばあいも、そうですが、受け入れてしまえば、何でもありません。
「したいように、しなさい」と、です。
またそうなったとき、不思議なことに、自然と排便障害も消えます。
アドバイスできることは、
(1)愛情飢餓状態の解消
(2)緩下剤の微妙な調整、です。
ともかくも、あと一息です。
よくがんばったと思います。
が、あと一息。
やがてすぐ笑い話になります。
それを信じて、前向きに!
(注※……肛門期の固着について)
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
『……トイレットトレーニングの過剰と失敗は子供のパーソナリティに様々な影響を与える。
例えば、トイレに無理矢理行かせたり、過度にタイミングや清潔さに厳しすぎると、ものを捨てるのを嫌がるようになったりする。
ためこみ屋でけちな性格になることがある。
これは過度なトイレットトレーニングが子供に自分のうんちを溜め込みすぎるのを良しとするためである。
フロイトによると几帳面で節約家で強情になりやすいと言う。
それに肛門期固着は小児性愛の源泉となる事もある。
フロイトは論文で、子供はうんちを幼児やお金に象徴交換して、それを代わりに手に入れたり溜め込んだりするような傾向があると指摘している)。
逆にしつけを疎かにすると、子供はいつでも排便する事が良い事だと思い、お金を湯水のごとく使ったり、不潔のままになったりと、整理する事を学ばなくなってしまう。
これは自分の欲動をトイレットトレーニングを通してコントロールすることを学ばなかったからである。
このような子供は我慢することを知らず、自分の好き勝手に何でもやりたい放題になるとも言われる。
芸術との関連も指摘されている。
肛門期は自分の体内の一部であるうんちを作って対外に排出するという活動を象徴していると言われ、それは創造的活動などと比較される。
また汚いものを排出することとの関連で妄想症が考えられたりもしている』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 幼児の便秘 神経症 神経症的な症状 はやし浩司 便秘症 緩下剤 愛情飢餓 肛門期 排便のしつけ)
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●審判&運命(はやし浩司 2012ー04-24)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
キリスト教の世界には、「審判」という言葉がある。
「最後の審判」とか、言う。
こうした死生観というのは、それ自体が矛盾だらけ。
結果主義というか、総合性がない。
その人の、どの部分を取り、だれがどのように審判するのか。
「終わりの部分」だけを見て、審判というのは、おかしい。
どう考えても、おかしい。
重要なのは、プロセス。
今まで生きてきたという、その過程。
表面的な名誉や地位ではない。
肩書きではない。
飾りではない。
その人がどう生きてきたかという、ドラマ。
中身。
生き様。
それが重要。
中には狂ったように、飾りを求める人がいる。
人生の場を、出世のための競争の場にしている。
その見苦しさ。
おかしさ。
私たちは日々に、そのつど審判を受けている。
その瞬間、瞬間に、すべてが終わり、同時にすべてが始まる。
「最後」といっても、どの時点をもって、「最後」というのか。
だいたい「審判を受ける」という言い方がおかしい。
受ける?
そんなもの受けなくても、自分で判断すればよい。
審判するのも、審判されるのも、「私」。
他人(神でもよいが)に有罪と判断されたから、有罪?
他人(神でもよいが)に無罪と判断されたから、無罪?
もしあの世とやらがあり、そこで神が私を審判することになったら、私はこう言う。
「私は、懸命に生きてきました」と。
「自分の運命と闘いながら、懸命に生きてきました」と。
それをまちがっているというのなら、すべての動物は、地獄行き。
またそれがわからなければ、野に遊ぶ鳥や動物を見ればよい。
みな、それぞれの運命を背負いながら、懸命に生きている。
数日前も、どこかの宗教団体の人たちがやってきて、ワイフにこう言った。
「最後の審判の日が近づいています」と。
まあ、そのときは、そのとき。
そのときになったら、それを受け入れればよい。
少なくとも、祈ったところで、どうこうなるような問題ではない。
で、彼らはこう言ったという。
「信じた者だけが、救われます」と。
ヘ~~~エ!
だったら、あの3・11大震災は、どうなのか。
信じていた人もいただろう。
信じていなかった人もいただろう。
老人や赤ん坊もいた。
そういう人たちに向かって、「審判」という言葉を使うのは、あまりにもむごい。
どこかの宗教団体の人たちには、その(むごさ)が、理解できないらしい。
自分勝手で、閉鎖的。
自己中心的で、近視眼的。
心の扉を開いて、自分の足で、外に出ろ。
ひとりで歩いてみろ。
外は、広いぞ!
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●運命論
運命論については、たびたび書いてきた。
……いつも考えている。
私たちには無数の「糸」がからんでいる。
社会の糸、環境の糸、性格や性質の糸、家族の糸、生い立ちの糸などなど。
最近では、自然の糸というのもある。
そういう「糸」が無数にからんでいる。
そういう糸が、ときとして、自分の進むべき方向を決めてしまう。
いくら「私はあっちへ行きたい」と思っていても、気がついてみると、反対の方向に進んでいる。
それを私は「運命」という。
が、運命に身を任せてはいけない。
どんな糸であるにせよ、私たちはそれと闘う。
ふんばる。
そこから無数のドラマが生まれ、生きる意味もそこから生まれる。
世界の賢人たちの言葉を、拾ってみる。
Few are those who can see with their own eyes and hear with their own hearts.……A・アインシュタイン
(ほとんどの人は、自分の目で見ることができない。自分の心で聞くことができない。)
For example, justice is considered to mean equality, It does mean equality but equality for those who are equal, and not for all. ……アリストテレス
(たとえば、正義は平等のことだと考えられている。たしかに平等のことだが、その平等というのは、平等である人のためのものであって、みなのものではない。)
Happiness is something final and complete in itself, as being the aim and end of all practical activities whatever .... Happiness then we define as the active exercise of the mind in conformity with perfect goodness or virtue.……アリストテレス
(幸福というのは、それが何であれ、すべての実生活の目的であり、結末であるように、それ自体、最終的なものであり、完全なものである。
それ故に、私たちは幸福を、完ぺきな善と美徳に調和した、心の鍛錬と定義する。)
It is not the brains that matter most, but that which guides them---the character, the heart, generous qualities, progressive ideas.……ドストエフスキィ
(問題は脳みそではない。問題は脳みそが導くところの、性格、心、寛容な性質、前向きな思想である。)
I don't suffer from insanity but enjoy every minute of it.……エドガー・アラン・ポー
(私は狂気で苦しまない。それをそのときどきに、私は楽しむ。)
Live simply that other may simply live.……ガンジー
(ほかの人たちが生きるように、単純に生きろ。)
Twenty years from now you will be more disappointed by the things that you didn't do than by the ones you did do. So throw off the bowlines. Sail away from the safe harbor. Catch the trade winds in your sails. Explore. Dream. Discover.……マーク・トゥェイン
(20年後、君は、それまでそうでなかったものや人に、より失望するであろう。
だから網を捨て、安全な港から航海に出ろ。帆で風を受け止め、探検し、夢をもち、発見せよ。)
We must all learn to live together as brothers, or we are all going to perish together as fools.……マーティン・ルーサー・キング
(私たちはみな、兄弟としてともに生きることを学ぶか、愚か者のように、いっしょに滅ぶかのどちらかだ。)
●注入された思想
それにしても失敬な人たちではないか。
自分たちのしていることは、スパムメールと同じ。
頼みもしないのに、勝手にやってきて、「あなたはまちがっている」と。
どうしてそんな厚かましいことが、平気でできるのか。
それがわからなければ、自分のこことして考えてみればよい。
もしあなたが何かの真理(?)を発見したとする。
それはそれで結構なことだが、それでもってどこかの家の門を叩き、こう言う。
「近く、最後の審判が下されます」「信じた者だけが、救われます」と。
「私たちは正しい」と思うのは、その人の勝手。
が、その返す刀で、「あなたはまちがっている」と。
その図々しさに、まずもって自ら気づいたらよい。
同時に、それがその人自身の思想であるならまだしも、どうせ他人に注入された思想。
言うなれば、ロボット。
ロボットになりながら、ロボットになっているという意識さえない。
が、それこそ、「私」の放棄。
その愚かさ。
そのおかしさ。
出世競争に明け暮れ、気がついてみたら、人生も終わっていた。
そういう人たちと、どこがどうちがうというのか。
不完全でもよい。
未熟でもよい。
自分で立ちあがるところに、繰り返すが、生きる意味がある。
ついでに言えば、こういうこと。
それがたとえ他人に理解されなくても、それはそれ。
みな、それぞれの運命と闘いながら懸命に生きている。
そういう人たちは、そういう人たちで、そっとしておいてやることこそ、大切。
それが(やさしさ)ではないのか。
人間が本来的にもつ、(やさしさ)ではないのか。
……と居直りながら、今日も始まった。
どこまでがんばれるかわからないが、がんばるしかない。
ふんばるしかない。
みなさん、おはようございます。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 運命論 審判論)
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
2012年4月23日月曜日
Is South Korea all right?
【韓国・ソウルがぶない?】(改)2012/04/23夜9:00記
北朝鮮政府は、4月23日(本日)の午後だけでも、すでに7回の声明を発表している。
(現在、午後9:00)。
使う言葉も、きわめて過激。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
北朝鮮の動きが、おかしい。
異常。
殺気立っている。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
2012年4月23日、午後に入ってからだけでも、北朝鮮は韓国に対して、7回も、宣戦布告を繰り返している。
いつもと様子がちがう。
おかしい。
それらを並べてみる。
(1)午後1時24分……李明博政権に「聖戦」通告=「特別行動で焦土化」―北朝鮮軍(時事通信)
(2)午後2時2分……北朝鮮 韓国に武力行使を予告=短時間で焦土化(聯合ニュース)
(3)午後3時17分……北朝鮮「韓半島に有事が起きれば李大統領の責任」(中央日報日本語版)
(4)午後5時13分……北朝鮮「対南特別行動を開始する…3、4分で焦土化」(中央日報日本語版)
(5)午後6時8分……韓国への「聖戦」「報復」強調=「全てを吹き飛ばす」―北朝鮮(時事通信)
(6)午後6時43分……北朝鮮軍、韓国・李明博政権に「革命武力の特別行動開始」を通告(フジテレビ系(FNN))
(7)午後7時34分……ネズミ野郎とその根源を焦土化…北が韓国を威嚇(MSN)
現在、手元の時計は、午後8時57分。
これらの記事をつづけて読んで、あなたはどう思うか。
ふつうの常識ある人なら、つぎのように思うはず。
北朝鮮は、韓国(ソウル)を攻撃する。
試用する武器は、核兵器。
今、ソウルは緊急事態、と。
午後2時2分の声明では、こう述べている。
『我が革命武力の特別行動はひとたび開始されれば3、4分、いや、それよりも短い瞬間に、これまであったことのない特異な手段を我々式の方法で、全てのネズミ野郎集団と挑発の根源をせん光のごとく焦土化してしまうことになるであろう』(朝鮮中央テレビ)と。
今朝も書いたが、北朝鮮は、地下トンネルをすでに完成させているとみてよい。
核兵器の運搬手段は、ミサイル(空)だけではない。
空がなければ、地下がある。
北朝鮮の立場で考えれば、当然の帰結ということになる。
今、韓国のソウルがあぶない。
それがわからなければ、もう一度、北朝鮮政府の発表した声明を並べて読んでみたらよい。
【日本政府へ】
北朝鮮は、崩壊の瀬戸際で、最期の悪あがきを始めた。
殺気立っている。
こういうときというのは、針の一刺しで、北朝鮮は爆発する。
ここは音無しの構え。
それこそ、肝要。
何も言うな。
何もするな。
日本の国益第一に考え、お人好し、節介、介入は禁物。
大国意識を捨てる。
慎重に。
ただひたすら慎重に。
日本の国益だけを考え、静かに見守る。
なぜ北朝鮮は、ここまで韓国を威嚇するか。
その理由がわかったら、ただひたすら音無しの構え。
それこそ、肝要。
自衛隊は、すでに警戒態勢に入っていることと思う。
日本海を守るべし。
難民流出に備えるべし。
ノドンに備えるべし。
早ければ、今夜~明日の早朝が、ヤマ。
それ以後だと、北朝鮮の反韓ムードが白けてしまう。
だから今夜が、ヤマ。
日本よ、警戒すべし。
仮に無駄であっても、警戒すべし。
私が書いていることがおかしいと思う人は、つぎのサイトを自分で読み、自分で確かめてみたらよい。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/north_korea/
【追記】
今日までの北朝鮮の動きを、振り返ってみる。
4月20日……北朝鮮が韓国の射撃訓練に警告「直ちに無慈悲な対応打撃を開始する」(MSN)
4月21日……挑発なら韓国占領と警告 ミサイル映像公開で北朝鮮(MSN)
それにつづくのが、今日(23日)午後の一連の声明ということになる。
今、韓国のソウルがあぶない!
2012/04/23夜9:00記
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
北朝鮮政府は、4月23日(本日)の午後だけでも、すでに7回の声明を発表している。
(現在、午後9:00)。
使う言葉も、きわめて過激。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
北朝鮮の動きが、おかしい。
異常。
殺気立っている。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
2012年4月23日、午後に入ってからだけでも、北朝鮮は韓国に対して、7回も、宣戦布告を繰り返している。
いつもと様子がちがう。
おかしい。
それらを並べてみる。
(1)午後1時24分……李明博政権に「聖戦」通告=「特別行動で焦土化」―北朝鮮軍(時事通信)
(2)午後2時2分……北朝鮮 韓国に武力行使を予告=短時間で焦土化(聯合ニュース)
(3)午後3時17分……北朝鮮「韓半島に有事が起きれば李大統領の責任」(中央日報日本語版)
(4)午後5時13分……北朝鮮「対南特別行動を開始する…3、4分で焦土化」(中央日報日本語版)
(5)午後6時8分……韓国への「聖戦」「報復」強調=「全てを吹き飛ばす」―北朝鮮(時事通信)
(6)午後6時43分……北朝鮮軍、韓国・李明博政権に「革命武力の特別行動開始」を通告(フジテレビ系(FNN))
(7)午後7時34分……ネズミ野郎とその根源を焦土化…北が韓国を威嚇(MSN)
現在、手元の時計は、午後8時57分。
これらの記事をつづけて読んで、あなたはどう思うか。
ふつうの常識ある人なら、つぎのように思うはず。
北朝鮮は、韓国(ソウル)を攻撃する。
試用する武器は、核兵器。
今、ソウルは緊急事態、と。
午後2時2分の声明では、こう述べている。
『我が革命武力の特別行動はひとたび開始されれば3、4分、いや、それよりも短い瞬間に、これまであったことのない特異な手段を我々式の方法で、全てのネズミ野郎集団と挑発の根源をせん光のごとく焦土化してしまうことになるであろう』(朝鮮中央テレビ)と。
今朝も書いたが、北朝鮮は、地下トンネルをすでに完成させているとみてよい。
核兵器の運搬手段は、ミサイル(空)だけではない。
空がなければ、地下がある。
北朝鮮の立場で考えれば、当然の帰結ということになる。
今、韓国のソウルがあぶない。
それがわからなければ、もう一度、北朝鮮政府の発表した声明を並べて読んでみたらよい。
【日本政府へ】
北朝鮮は、崩壊の瀬戸際で、最期の悪あがきを始めた。
殺気立っている。
こういうときというのは、針の一刺しで、北朝鮮は爆発する。
ここは音無しの構え。
それこそ、肝要。
何も言うな。
何もするな。
日本の国益第一に考え、お人好し、節介、介入は禁物。
大国意識を捨てる。
慎重に。
ただひたすら慎重に。
日本の国益だけを考え、静かに見守る。
なぜ北朝鮮は、ここまで韓国を威嚇するか。
その理由がわかったら、ただひたすら音無しの構え。
それこそ、肝要。
自衛隊は、すでに警戒態勢に入っていることと思う。
日本海を守るべし。
難民流出に備えるべし。
ノドンに備えるべし。
早ければ、今夜~明日の早朝が、ヤマ。
それ以後だと、北朝鮮の反韓ムードが白けてしまう。
だから今夜が、ヤマ。
日本よ、警戒すべし。
仮に無駄であっても、警戒すべし。
私が書いていることがおかしいと思う人は、つぎのサイトを自分で読み、自分で確かめてみたらよい。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/north_korea/
【追記】
今日までの北朝鮮の動きを、振り返ってみる。
4月20日……北朝鮮が韓国の射撃訓練に警告「直ちに無慈悲な対応打撃を開始する」(MSN)
4月21日……挑発なら韓国占領と警告 ミサイル映像公開で北朝鮮(MSN)
それにつづくのが、今日(23日)午後の一連の声明ということになる。
今、韓国のソウルがあぶない!
2012/04/23夜9:00記
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
Seoul in South Korea is in danger!
【韓国・ソウルはだいじょうぶか?】2012/04/23夜9:00記
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
北朝鮮の動きが、おかしい。
異常。
殺気立っている。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
2012年4月23日、午後に入ってからだけでも、北朝鮮は韓国に対して、7回も、宣戦布告を繰り返している。
いつもと様子がちがう。
おかしい。
それらを並べてみる。
(1)午後1時24分……李明博政権に「聖戦」通告=「特別行動で焦土化」―北朝鮮軍(時事通信)
(2)午後2時2分……北朝鮮 韓国に武力行使を予告=短時間で焦土化(聯合ニュース)
(3)午後3時17分……北朝鮮「韓半島に有事が起きれば李大統領の責任」(中央日報日本語版)
(4)午後5時13分……北朝鮮「対南特別行動を開始する…3、4分で焦土化」(中央日報日本語版)
(5)午後6時8分……韓国への「聖戦」「報復」強調=「全てを吹き飛ばす」―北朝鮮(時事通信)
(6)午後6時43分……北朝鮮軍、韓国・李明博政権に「革命武力の特別行動開始」を通告(フジテレビ系(FNN))
(7)午後7時34分……ネズミ野郎とその根源を焦土化…北が韓国を威嚇(MSN)
現在、手元の時計は、午後8時57分。
これらの記事をつづけて読んで、あなたはどう思うか。
ふつうの常識ある人なら、つぎのように思うはず。
北朝鮮は、韓国(ソウル)を攻撃する。
試用する武器は、核兵器。
今、ソウルは緊急事態、と。
今朝も書いたが、北朝鮮は、地下トンネルをすでに完成させているとみてよい。
核兵器の運搬手段は、ミサイル(空)だけではない。
空がなければ、地下がある。
北朝鮮の立場で考えれば、当然の帰結ということになる。
今、韓国のソウルがあぶない。
それがわからなければ、もう一度、北朝鮮政府の発表した声明を並べて読んでみたらよい。
昨日~今朝にかけての朝鮮政府の声明につづくのが、以上の(1)~(7)である。
【日本政府へ】
北朝鮮は、崩壊の瀬戸際で、最期の悪あがきを始めた。
殺気立っている。
こういうときというのは、針の一刺しで、北朝鮮は爆発する。
ここは音無しの構え。
それこそ、肝要。
何も言うな。
何もするな。
日本の国益第一に考え、お人好し、節介、介入は禁物。
大国意識を捨てる。
慎重に。
ただひたすら慎重に。
日本の国益だけを考え、静かに見守る。
なぜ北朝鮮は、ここまで韓国を威嚇するか。
その理由がわかったら、ただひたすら音無しの構え。
それこそ、肝要。
自衛隊は、すでに警戒態勢に入っていることと思う。
日本海を守るべし。
難民流出に備えるべし。
ノドンに備えるべし。
早ければ、今夜~明日の早朝が、ヤマ。
それ以後だと、北朝鮮の反韓ムードが白けてしまう。
だから今夜が、ヤマ。
日本よ、警戒すべし。
仮に無駄であっても、警戒すべし。
私が書いていることがおかしいと思う人は、つぎのサイトを自分で読み、自分で確かめてみたらよい。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/north_korea/
【追記】
今日までの北朝鮮の動きを、振り返ってみる。
4月20日……北朝鮮が韓国の射撃訓練に警告「直ちに無慈悲な対応打撃を開始する」(MSN)
4月21日……挑発なら韓国占領と警告 ミサイル映像公開で北朝鮮(MSN)
それにつづくのが、今日(23日)午後の一連のニュースということになる。
今、韓国のソウルがあぶない!
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
北朝鮮の動きが、おかしい。
異常。
殺気立っている。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
2012年4月23日、午後に入ってからだけでも、北朝鮮は韓国に対して、7回も、宣戦布告を繰り返している。
いつもと様子がちがう。
おかしい。
それらを並べてみる。
(1)午後1時24分……李明博政権に「聖戦」通告=「特別行動で焦土化」―北朝鮮軍(時事通信)
(2)午後2時2分……北朝鮮 韓国に武力行使を予告=短時間で焦土化(聯合ニュース)
(3)午後3時17分……北朝鮮「韓半島に有事が起きれば李大統領の責任」(中央日報日本語版)
(4)午後5時13分……北朝鮮「対南特別行動を開始する…3、4分で焦土化」(中央日報日本語版)
(5)午後6時8分……韓国への「聖戦」「報復」強調=「全てを吹き飛ばす」―北朝鮮(時事通信)
(6)午後6時43分……北朝鮮軍、韓国・李明博政権に「革命武力の特別行動開始」を通告(フジテレビ系(FNN))
(7)午後7時34分……ネズミ野郎とその根源を焦土化…北が韓国を威嚇(MSN)
現在、手元の時計は、午後8時57分。
これらの記事をつづけて読んで、あなたはどう思うか。
ふつうの常識ある人なら、つぎのように思うはず。
北朝鮮は、韓国(ソウル)を攻撃する。
試用する武器は、核兵器。
今、ソウルは緊急事態、と。
今朝も書いたが、北朝鮮は、地下トンネルをすでに完成させているとみてよい。
核兵器の運搬手段は、ミサイル(空)だけではない。
空がなければ、地下がある。
北朝鮮の立場で考えれば、当然の帰結ということになる。
今、韓国のソウルがあぶない。
それがわからなければ、もう一度、北朝鮮政府の発表した声明を並べて読んでみたらよい。
昨日~今朝にかけての朝鮮政府の声明につづくのが、以上の(1)~(7)である。
【日本政府へ】
北朝鮮は、崩壊の瀬戸際で、最期の悪あがきを始めた。
殺気立っている。
こういうときというのは、針の一刺しで、北朝鮮は爆発する。
ここは音無しの構え。
それこそ、肝要。
何も言うな。
何もするな。
日本の国益第一に考え、お人好し、節介、介入は禁物。
大国意識を捨てる。
慎重に。
ただひたすら慎重に。
日本の国益だけを考え、静かに見守る。
なぜ北朝鮮は、ここまで韓国を威嚇するか。
その理由がわかったら、ただひたすら音無しの構え。
それこそ、肝要。
自衛隊は、すでに警戒態勢に入っていることと思う。
日本海を守るべし。
難民流出に備えるべし。
ノドンに備えるべし。
早ければ、今夜~明日の早朝が、ヤマ。
それ以後だと、北朝鮮の反韓ムードが白けてしまう。
だから今夜が、ヤマ。
日本よ、警戒すべし。
仮に無駄であっても、警戒すべし。
私が書いていることがおかしいと思う人は、つぎのサイトを自分で読み、自分で確かめてみたらよい。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/north_korea/
【追記】
今日までの北朝鮮の動きを、振り返ってみる。
4月20日……北朝鮮が韓国の射撃訓練に警告「直ちに無慈悲な対応打撃を開始する」(MSN)
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それにつづくのが、今日(23日)午後の一連のニュースということになる。
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Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 2012年 5月 2日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
3月2日 第1168号になりました!
★ ★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
* ***********************
*
http://bwhayashi2.fc2web.com/page003.html
★★みなさんのご意見をお聞かせください。★★
(→をクリックして、アンケート用紙へ……)http://form1.fc2.com/form/?id=4749
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●年中児に、お金の数え方、6+4=10、直角について教えてみました。
3月も末。
いくつかたまった教材があったので、今回は、3つのテーマを大急ぎで教えてみました。
あくまでも、「種まき」のつもりです。
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【書くことのすすめ】
●衰退する文章表現力
それがよいことなのか、悪いことなのかというと、悪いことに決まっている。
この日本では、本(文章)を読む人が、どんどんと減っている。
その一方で、コミック(漫画)を読む人は、どんどんと増えている。
今に始まった現象ではない。
原稿を探してみるが、私はすでにそれについて、20年以上前に書いたことがある。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
原稿番号を調べたら、(#406)になっていた。
1999年ごろに書いた原稿ということになる。
それ以前のは、見つからなかった。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(406)
●Nさんの相談より(2)
「こんな丸のつけ方はない」と怒ってきた親がいた。
祖母がいた。
「ハネやハライが、メチャメチャだ。ちゃんと見てほしい」と。
私が子ども(幼児)の書いた文字に、花丸をつけて返したときのことである。
あるいはときどき、市販のワークを自分でやって、見せてくれる子どもがいる。
そういうときも私は同じように、大きな丸をつけ、子どもに返す。
が、それにも抗議。「答がちがっているのに、どうして丸をつけるのか!」と。
(私は子どもの努力に対して、丸をつける。
答の正誤など、どうでもよい。
あるいは子どもを励ますために、丸をつける。)
日本人ほど、「型」にこだわる国民はいない。
よい例が茶道であり華道だ。相撲もそうだ。
最近でこそうるさく言わなくなったが、利き手もそうだ。
「右利きはいいが、左利きはダメ」と。
私の二男は生まれながらにして左利きだったが、小学校に入ると、先生にガンガンと注意された。
書道の先生ということもあった。
そこで私が直接、「左利きを認めてやってほしい」と懇願すると、その先生はこう言った。
「冷蔵庫でもドアでも、右利き用にできているから、なおしたほうがよい」と。
そのため二男は、左右反対の文字や部分的に反転した文字を書くようになってしまった。
書き順どころではない。
文字に対して恐怖心までもつようになり、本をまったく読もうとしなくなってしまった。
近く小学校でも、英語教育が始まる。
その会議が10年ほど前、この浜松市であった。
その会議を傍聴してきたある出版社の編集長が、帰り道、私の家に寄って、こう話してくれた。
「Uは、まず左半分を書いて、次に右半分を書く。
つまり二画と決まりました。
同じようにMとWは四画と決まりました」と。
私はその話を聞いて、驚いた。
英語国にもないような書き順が、この日本にあるとは!
そう言えば私も中学生のとき、英語の文字は、25度傾けて書けと教えられたことがある。
今から思うとバカげた教育だが、しかしこういうことばかりしているから、日本の教育はおもしろくない。
つまらない。
たとえば作文にしても、子どもたちは文を書く楽しみを覚える前に、文字そのものを嫌いになってしまう。
日本のアニメやコミックは、世界一だと言われているが、その背景に、子どもたちの文字嫌いがあるとしたら、喜んでばかりはおられない。
だいたいこのコンピュータの時代に、ハネやハライなど、毛筆時代の亡霊を、こうまでかたくなに守らねばならない理由が、一体どこにあるのか。
「型」と「個性」は、正反対の位置にある。
子どもを型に押し込めようとすればするほど、子どもの個性はつぶれる。
子どもはやる気をなくす。
(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 型枠教育 教育の型 はやし浩司 喜んでばかりはおられない はやし浩司 コミック アニメ 漫画 はやし浩司 山岳民族)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●文章表現力
一方で、最近の若い人たちの書く文章には、独特のものがある。
(けっして、ほめているわけではない。)
主語や述部を省略する。
感情をそのままぶつける。
何に対してそう思うのか、その説明もない。
思考がバラバラに飛び散ってしまい、自分の考えを、文章としてまとめることができない。
つまり「意味不明」。
で、その背景にあるのが、思想のコミック化。
アニメ化でもよい。
たとえば爆弾が破裂する図を描き、それでもって「怒っている」ことを表わす。
そういう表現の仕方は、うまい。
が、言葉として、怒りの様子を表現することができない。
たとえば子どもたちの世界。
二極化が進んでいる。
●文章vsコミック
早い子どもで、すでに小学校へ入学するころには、二極化が始まる。
「本が好きな子ども」「本が嫌いな子ども」と。
それが小学高学年(5、6年生)になると、より、はっきりとしてくる。
「本が好きな子ども」「コミックが好きな子ども」と。
その割合は、1:9くらいではないか。
コミックのほうが好き(=文章になった本は、ほとんど読まない)という子どものほうが、圧倒的に多い。
それが悪いというのではない。
が、そのため、文章表現力が、極端に落ちる。
先に書いたような「意味不明」の文章が、多くなる。
たとえば昨日も街中を歩いていたら、歩道で色紙を売っている人を見かけた。
その1枚に、こんな文章が書いてあった。
『夫婦は、意見のぶつけ愛』と。
一瞬、「うまいこと書くなあ」と思ったが、そこで思考停止。
「どういう意味なのか?」と考えたが、そこまで。
言わんとしていることは、何となくわかる。
「夫婦というのは、たがいに言いたいことを言う。
それを許しあうのが、愛」と。
が、問題は、それにとどまらない。
●書くことの重要性
映画『マーガレット・サッチャー・鉄の女の涙』に中に、こんなセリフが出てくる。
記憶によるものなので、不正確だが、こういうセリフ。
「考えたことを書く。
書いたことは、行動になる。
行動は、習慣になる。
習慣がその人の人格を作る」(記憶)と。
考えるから、人間は人間である(パスカル)。
が、考えるだけでは足りない。
それを書いて文章にする。
書くことによって、論理力を養う。
知性や理性も、それによって磨かれる。
行動の基盤になる。
で、それが習慣となり、長い時間をかけ、その人の人格を作る。
書くことには、そういう意味が含まれる。
が、書かなかったら、思考は堂々巡りする。
それこそ60代になっても、70代になっても、こう言う。
「お前は、男だろが。男らしくしろ!」と。
20代のころ、あるいは10代のころ身につけた常識(?)のまま、そこで進歩が停止する。
事実、このタイプの人は、多い。
特徴をあげてみる。
(1)考え方が、世俗的(=俗っぽい)
(2)意見といっても、だれかの受け売り(=どこかで聞いたような話)
(3)ものの考え方が、直感的で、感情的(=論理性がない)
(4)内容が平べったく、深みがない(=繰り返しが多い)
(5)言葉の使い方が、不正確(=「男的にはねえ……」と言ったりする)
(6)「ダカラ論」が多い(=「男だから……」「日本人だから……」と)
(7)視野が狭い(=視野が狭く、関心のあることしか、話さない)
(8)言葉がつながらない(=「ア~~」「ウ~~」が多い)
が、何よりも大きな特徴は、(9)繊細な会話ができない、など。
料理にたとえるなら、海賊焼きのようなものはできるが、日本料理のようなものは、できない。
(あまりよいたとえではないが……。)
●ものを書こう
ものを書くということは、考えること。
考えなければ、ものを書くことはできない。
言葉は、論理。
その言葉が集まって、文章になる。
その文章をまとめるとき、また考える。
この繰り返しが、その人の論理力を深める。
もうひとつ、ついでに言えば、こういうこと。
ものを書いていると、ときどき、(稀に)、キラリと光るものを見つけるときがある。
それまで知らなかったこと、気がつかなかったこと、など。
荒野の中で、宝石を見つけるようなもの。
私のばあい、それがあるから、文を書くのがやめられない。
……というのは、あくまでも私の個人的な話。
みながみな、そうというわけではないかもしれない。
ともかくも、ものを書こう。
書いて、自分の(考え)を、形にしよう。
パスカル(フランスの哲学者、1623~62)は、『パンセ』の中で、こう書いた。
『人間は不断に学ぶ、唯一の存在である』と。
別のところでは、『思考が人間の偉大さをなす』とも。
この言葉をもじると、こうなる。
「人間は不断に学び、書く、唯一の存在である」と。
さらに言えば、「書くことが、人間の偉大さをなす」とも、
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 言葉 書くことの重要性 はやし浩司 パスカル 思考が人間の偉大さ パンセ はやし浩司 不断に学ぶ)
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●3月19日、山荘に一泊
昨夜遅く、山荘にやってきた。
途中、コンビニで、いくつかのものを買った。
せんべい、チューハイ、それにチョコレート。
山荘に着くと、すでに春の匂い。
たとえ雑草でも、若葉には、若葉の匂いがある。
そう言えば、10日ほど前、ウグイスの初鳴きを聞いた。
が、今朝は、それがない。
どうしたのだろう? ……と思いながら、この文章を書いている。
時は、2012年3月19日、月曜日。
今週は、大きな目標(?)がある。
小学1~2年生たちに、「速度と時速」を教えてみる。
私にとっても、はじめての試み。
そのための教材を午前中に、用意する。
(実際、その教材を使うのは、今週の木曜日からだが……。)
先週、小学6年生の子どもが、速度の計算で悩んでいた。
いろいろ説明してみたが、最後まで納得できなかったよう。
それで今週は、「速度と時速」を教えてみたくなった。
こんな問題だった。
【問】
山に登りました。
頂上までの距離は、12キロ。
行きは、時速4キロ、帰りは、時速6キロで歩きました。
平均時速を求めなさい。
その子どもは、「(平均時速は)5キロ」と答えた。
何度説明しても、「5キロ」と。
そう言い張った。
で、紙に山の絵を描き、「あのね、まずね往復の時間を求めてからね……」と。
が、それでも納得できなかったよう。
そこで今週は、「速度と時速」。
小学1~2年生のころ、その「種」をまいておく。
その種は、やがて子どもの脳の中で、芽を出し、成長する。
学校で、速度や時速について学ぶころには、大きく成長しているはず。
これを称して、「種まき教育」(はやし浩司)という。
大切なことは、子どもを楽しませること。
この先、いろいろな場面で、「速度」とか「時速」とかいう言葉を耳にする。
そのとき子どもがそういった言葉に、前向きに反応するようにすること。
そのために「楽しい」という印象づくりを大切にする。
それが大切。
なお誤解があるといけないので、一言。
私のところでは、算数だけを教えているわけではない。
小学2~3年生になると、国語も教える。
レッスンの前の、10~15分程度を、その時間にあてている。
……といっても、国語については、筆写と作文。
この2つ。
筆写させる文章は、古文から現代文まで。
明治以後の文豪の書いた文章が多い。
が、そういった指導は、YOUTUBEで紹介しても、あまり意味はない。
どうか、誤解のないように。
【答え】
先の平均時速の問題について、正解は、4・8キロ。
往復5時間(行きは3時間、帰りは2時間)で、24キロを歩いたことになる。
だから24÷5=4・8(キロ)。
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【2つの危機】(はやし浩司 2012ー03-20)
(1)日本人のモラル、(2)東南海地震
【福島原発事故】(日本人のモラル)
●大江健三郎氏の「40年」
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
大江健三郎氏は、こう述べた(フランス、「サロン・ド・リーブル」での講演)。
『……私は原爆は、すでに終わった歴史だと思っていたが、被爆の問題は終わっていなかった。今、福島で起こっていることは、40年後に顕在化する』(中日新聞・2012年3月19日)と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●チェルノブイリと福島
「40年」という数字はともかくも、私も、大江健三郎氏の意見に、まったく同感。
そのことは、チェルノブイリの現状を見れば、わかる。
放射性物質にさらされることにより、急性症状が発症する。
が、それよりも恐ろしいのは、「長い潜伏期間中にじわじわと体がむしばまれる、晩発性影響である」(「原発事故」宝島社)。
その症状は、「被爆後数か月か、数年後か、あるいは数十年後かに障害が出る」(同書)と。
遺伝的影響も無視できない。
遺伝的影響は、(1)遺伝子突然変異と、(2)染色体突然変位に、分類される。
そのチェルノブイリで、症状が顕在化し始めたのは、2年後から5年後。
10年後にピークを迎えたという(同書)。
30年近くたった今も、その被害は進行中。
そのとき子どもだった人たちが影響を受け、その被害が、そのまた子どもたちに現れている。
2012年3月20日現在、あの3・11大震災、それにつづく原発事故から、まだ1年しかたっていない。
にもかかわらず、原発事故汚染地帯では、あちこちで早々と安全宣言がなされ、観光客の誘致運動も始まっている。
ノー天気というか、バカげている!
たとえば、南相馬市。
「……南相馬市は、原発から20キロ圏内の(警戒区域)と被爆放射線量が年間20ミリシーベルトに達する恐れのある(計画的避難区域)の、計1万3200人が、強制的に避難させられた。
中心部の20~30キロ圏内は、年間3ミリシーベルトと低く、住んでも問題ないとされ、いずれの区域にも指定されていない。
それでも市の中心部の住民1万3000人あまりは、市外で自主避難をつづけている。
市の人口は、福島事故前の7万1000人から、4万3000人と、3万人近く減った」(中日新聞、3月20日)と。
同日の中日新聞は、市内に店を構える、ある玩具商を紹介している。
その玩具商は、こうこぼしたという。
「商売になんねえ」と。
「子どもたちがいないから、玩具を買ってくれる子どももいない」と。
あのチェルノブイリでは、「本州の(日本の)6割分が汚染された」(同書、P54)という。
半径にして、600キロ。
(福島第一原発から、東京までが約200キロ、浜松市までが420キロ。)
南相馬市では、20~30キロが、基準になっている(?)。
たったの20~30キロ!
●「ウッソー」
先日も、ある中学生がこう言った。
「福島第一原発事故は、まだ何も片づいていないよ」と、私が言うと、「ウッソー(浜松市の方言)」と。
その中学生は、福島第一原発事故は、すでに片づいたものと思い込んでいた。
私「被害が出てくるのは、これからだよ」
中「被害者は、だれもいないわよ」
私「あのね、100万キロワットの原発1機で、年間、広島型原発の約2800発分もの放射性物質を作りだすというよ(瀬尾試算)」
中「……」
私「それが4機……とくに警戒しなければならないのが、4号機。4号機は、プルトニウムを使っていた。それに4号機のプールの中には、4機分全部を集めた分に匹敵する、燃料棒が貯蔵されている。もし4号機のプールが破損したり、倒壊するようなことにでもなれば、この浜松市あたりまで、人は住めなくなるんだよ」と。
この先、何が起こるかわからない。
あれほどの津波は、しばらくはないとしても、福島第一原発の地下には、活断層が何本も走っている。
それが地震を引き起こせば、さらに被害が拡大する。
4号機のプールが破損し、水が抜けただけでも、大惨事を招く。
人が近づくことすら、できなくなる。
半径、100キロとか200キロにも、人が近づけなくなる。
そうなったとき、近くにある福島第二原発や、女川原発、さらには、東海村にある原子炉はどうなるのか。
想像するだけでも、背筋が凍る。
●『今、福島で起こっていることは、40年後に顕在化する』
大江健三郎氏は、こう言っている。
『今、福島で起こっていることは、40年後に顕在化する』と。
つまり被爆被害は、40年後に顕在化する、と。
だったら、少なくとも、ここ10年は、様子を見るべきではないのか。
10年後に、被爆による影響がないとわかった段階で、各地にある原子炉の再開を始めればよい。
が、まだその最中の、これから先、どうなるかわからないような状況の中で、各地の原子炉を再開するなどということは、どう考えても常識をはずれている。
なお、大江健三郎氏は、こうも述べている。
『日本人は、危機を認め、根本的なモラルを持たなければならない』(中日新聞)と。
(1)危機を認める
(2)根本的なモラルを持つ、と。
●危機とモラル
ある友人は、こう言った。
浜松市内で、外科医をしている。
私の教え子でもある。
いわく、「私はね、(福島原発の)あの爆発を見たとき、ああ、これで日本は終わったと思いましたよ」と。
大江健三郎氏がいう、「危機を認める」というのは、それを言う。
が、今のようなモラルでは、その危機を乗り越えることはできない。
ただ、あがくだけ。
もがくだけ。
政府はウソにウソを塗り重ね、一方、国民は、耳障りのよい意見だけを鵜呑みにする。
その相互姿勢は、現在の北朝鮮と、どこもちがわない。
だから大江健三郎氏は、「根本的なモラルをもて」と。
が、新聞では、これ以上の報道はしていない。
これ以上のことは、わからない。
大江健三郎氏が言う、「根本的なモラル」とは、何か。
私流に解釈すれば、資本主義的な物欲文明から決別し、別の価値観を見出すということになる。
大きなテーマだけを与えられたようで、では、どうすればよいのか、今の私にはわからない。
近く大江健三郎氏の意見が、雑誌などに載るだろうから、それを読んだあと、また私なりに考えてみたい。
なおここに書いた友人の外科医は、現在、浜松市と沖縄の間を、頻繁に行き来している。
「沖縄には仕事がある」と言っている。
この春休みも、沖縄で過ごしている。
家族ともども、近く、移住を考えているようだ。
なお、最後に一言。
数日前、こんな記事が報道された。
「福島産の米は、老人ホームなどで、使ってもらう」と。
若い人たちにすれば、老人ホームにいる老人は、そういう人たちに見えるかもしれない。
しかしその老人に近い、私は、この記事を読んで、ゾッとした。
なぜゾッとしたかについては、あえて説明しない。
私は、こういうことを平気で言う日本人、あるいは日本という国に、心底、失望した。
大江健三郎氏が言うところの、根本的なモラルそのものが、狂っている。
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【山岳民族】(日本人は、もともと山岳民族だった?)
●浜松から、寸又峡(すまたきょう)温泉まで
先日、寸又峡温泉へ行ってきた。
浜松からだと、一度、JRの東海道線に乗り、金谷(かなや)まで行く。
そこから大井川鉄道に乗り、千頭(せんず)まで。
さらにバスに乗り、寸又峡温泉まで。
しかしもうひとつ、寸又峡温泉へ行くルートがある。
浜松から山間部を抜け、直接、寸又峡温泉に行くルートである。
その(浜松)(金谷)(寸又峡温泉)を線で結んでみると、ほぼ正三角形になるのがわかる。
距離的には、浜松から山間部を抜け、寸又峡温泉に行ったほうが、近いということになる。
が、山間部は、(昔は)、道路事情も悪く、その分だけ、時間もかかった。
が、今は、道路も整備された。
浜松の人でも、寸又峡温泉へ行くとき、その山間部を通り抜けていく人がいる。
先日も、近くの山の中の道を、寸又峡温泉から迎えに来たバスが走っているのを見た。
そのバスは、寸又峡温泉から、浜松まで、山間部の道路を通ってやってきた。
道理で……というか、あの武田勝頼が、愛知県の長篠(ながしの)までやってきた理由が、それでわかった。
はじめて長篠の合戦場跡を訪れたとき、私はこう思った。
「どうしてこんな山奥へ、武田勝頼は来たのか」と。
武田勝頼は、そこで織田信長の鉄砲部隊と出会い、敗れる。
(注※……長篠の戦いについて。
『長篠の戦い(ながしののたたかい、長篠の合戦・長篠合戦とも)は、天正3年5月21日(ユリウス暦1575年6月29日)、三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍3万8000と武田勝頼軍1万5000との間で勃発した戦い』(ウィキペディア百科事典)。
●美濃地方と飛騨地方
同じようなことだが、岐阜県にも、それがある。
たとえば、岐阜県の美濃地方の山奥(板取村、郡上村)から、飛騨地方(高山、下呂方面)へ行くときは、一度、岐阜市まで出なければならない。
私が子どものころは、そうだった。
が、不思議なことに、美濃地方の山奥と、飛騨地方とは、文化的に類似性が多い。
さらにその先は、富山市へとつながっている。
また反対に、美濃地方の山奥は、福井県の大野市ともつながっている。
今とちがい、昔の人は、歩いて、山越えをした。
またそのほうが、ずっと近かった。
川沿いに道が発達し、さらに海沿いに交通網が整備されたのは、鉄道や自動車が発達してからのこと。
私が驚いたのは、こんなこと。
たとえば岐阜県美濃市の実家から、北陸の福井市や金沢市へ行くときのこと。
私が学生のころの話である。
そのときは、一度、岐阜市まで出る。
そこからJR東海道線に乗り、米原まで行く。
米原からは、北陸本線に乗り換え、福井市や金沢市へ向かう。
が、こんなことをしなくても、昔の人なら、美濃市からさらに山奥へ入り、峠を越えて、福井市へ向かった。
距離的には、ずっと近い。
(ただしこの道は、現在は獣(けもの)道になっていて、猟師でないと越えられないとのこと。)
私は、それを知って、驚いた。
つまり(道のり)でいう距離と、(直線距離)でいう距離。
その両者の実感が、あまりにも、かけ離れていた。
●原発事故
さらにこんなことも。
あの福島第一原発の事故のあと、近くの浜岡原発、さらには、福井県にある、敦賀(つるが)原発のことが、気になった。
もし事故でも起きたら……、と。
そこで距離を測ってみた。
あくまでも地図上での直線距離だが、現在の敦賀市から岐阜市まで、直線距離で、65~70キロしかない(350万分の1の地図上で、1・9センチ)。
名古屋市まで、91キロしかない(同じく、2・6センチ)。
もし敦賀原発が事故を起こしたら、岐阜市はもちろん名古屋市も、避難対象地域になる。
(福島第一原発の事故のときは、西風が幸いした。
が、敦賀原発のときは、西風は命取りになる。)
一方、浜岡原発(御前崎)から浜松までは、たったの35~40キロ(約1センチ)!
風向きにもよるが、東風でも吹いたら、一巻の終わり。
日本地図を、こういう視点でながめるようになったのは、やはりあの福島第一原発の事故が理由だと思う。
それまでは、そういう見方は、あまりしなかった。
実感距離というか、「車で~~時間」「電車で~~時間」と。
それでもって、「近い」「遠い」を判断していた。
で、冒頭の話に戻る。
●山岳民族
日本列島が、オーストラリア大陸のように平地だったら、私たちがもっている距離感覚は、大きくちがっていただろう。
そこに山があるため、その山によって、距離感が狂ってしまった。
……というか、正確な距離感をもてない。
「遠い」と思っていたところが、意外と近かったり、反対に、地図上で「近い」と思っていたところが、意外と遠かったりする。
さて昔の武将たちは、近道、つまり山越えをしながら、合戦を繰り広げていた。
結局、私の言いたいことは、この1点につきる。
またそういう視点がないと、戦国時代のあの時代の人々の動きを、理解することができない。
繰り返しになるが、現在のように、川沿いに一度海に出て、そこから海沿いに移動するという方法は、列車や自動車が発達してからのこと。
それまでの日本人は、山から山へ、歩きながら移動していた。
またそれぞれの地方の文化も、そのルートで、つながっていた。
日本人は、もともとは、山岳民族であった……ということになる。
(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 文化の伝承 山間の道 はやし浩司 山岳民族)
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【東南海地震】
3月17日に、東南海地震について書いた。
その中で、つぎのようなことを書いた。
『……5月21日(月曜日)に、名古屋から東京にかけ、金環食を見ることができるという。
金環食によって、太陽、月、地球が一直線に並ぶ。
そのとき、太陽と月の引力が、地球の地殻に影響を与えることはじゅうぶん、考えられる』と。
ちょうど金環食が観測されるあたりは、東南海地震が予報されている地域と重なる。
(東海地震と南海地震を合わせ、東南海地震という。)
先の、3・11大震災(2011)以来、このあたりの近くも、かなり不安定になってきているのではないか。
事実、その大震災のあと、各地で、その大震災で誘発されと思われる地震が、頻発して起きている。
●心配
ここに書いたことが、まったくのデタラメかというと、どうも、そうでもないようだ。
それを裏付けるような記事が、今日(3月19日)、配信された。
(注※……金環食)
『……いよいよ今年。2012年5月21日の朝。
九州・トカラ列島から福島県南東部にかけた日本の太平洋側の広い地域で、太陽がリング状に欠けて見える珍しい天文現象 金環食(金環日食)が観測できます。
……(中略)……
今回の日食では東京・大阪・名古屋の三大都市圏が金環食帯に入っている上、中心食線(日食帯の中心線)が南関東・静岡・紀伊半島南部などの多数の都市・観光地を通ります。
図鑑で見るような真円のリングが国内で観測できる、またとないチャンス!』(金環食ホームページ)と。
この浜松市と静岡市、それに東京都を結ぶ線上を、金環食の中心食線が通るという!
なお、静岡市では、午前7時32分13秒に通過とか。
太陽や月の引力の力を、けっして過小評価してはいけない。
(注※……東南海地震)
『紀伊半島沖から遠州灘にかけての海域(南海 トラフの東側)で周期的に発生する海溝型地震。規模は毎回 M8・0 前後に達する巨大 地震で、約100年から150年周期で発生している』
『政府の地震調査研究推進本部の予測によると、2010年1月1日からの発生確率は30年以内で 60~70 % 、50年以内で 90 % 程度以上とされている』(ウィキペディア百科事典)と。
東南海地震は、約100年から150年周期で起きているという。
前回は、1944年12月7日。
●TBS-iNEWSより
こんな記事である。
『……長野県栄村の周辺で東日本大震災後に多発した地震は、月の引力などの影響で潮が満ち引きする潮汐(ちょうせき)が引き金で起きたとみられることが、産業技術総合研究所の分析で18日、わかった』(TBS-I News News 3月19日)というのだ。
TBS-I Newsは、こう続ける。
『……長野県栄村で地震で多発、「潮汐」引き金 地殻変動と発生時刻と潮汐のリズムに極めて高い相関があり、大震災による地殻変動と潮汐力が重なって誘発されたとみられる。
産総研の雷興林(らいきょうりん)主任研究員は、大震災以降の約2カ月間に長野県北部で起きたマグニチュード(M)3以上の142回の地震を分析。
栄村で震度6強を観測した大震災翌日の地震(M6・7)を含む全体の約50%が、潮汐と関係していたことを突き止めた。
潮汐は月の引力などによって海面が周期的に上下変動する現象で、地球内部の岩盤も同じ影響で上下に伸縮している。
雷主任研究員によると、潮汐と関係がある地震は世界の約5%で、今回はこの10倍に相当する前例のない高さという。
一連の地震は地盤が下がる干潮や、下がる速度が最大のときに集中して発生。
長野県北部には、マグマから出たガスや液体が岩盤の隙間に高圧でたまっている「流体だまり」が多数あるとみられ、この場所が潮汐力で押されて周囲の岩を破壊、断層を刺激して地震が起きたと推定している』(以上、TBS-I News News 3月19日)と。
●5月21日
5月21日は、はたしてだいじょうぶなのか?
もし東南海地域が、地殻的に不安定であれば、そのあたりで地震が起きても、おかしくない。
(反対に、何も起こらなければ、地殻は安定しているということになる。つまり、今、しばらくは地震は起きないと考えてよい。)
ともあれ、「金環食」と浮かれていると、とんでもないことになる。
私の杞憂で終わればよいが、しかしそういったことも起こりうるという前提で、準備するのは、それほどまちがっていない。
言うまでもなく、東海地震と南海地震が同時に起こるようなことになれば、その規模は、あの3・11大震災の規模に匹敵する。
被害も、相当なものになるはず。
その可能性が、たとえ何万分の1でもあるなら、警戒するに越したことはない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 東南海地震 金環食と東南海地震 東海地震 南海地震)
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●映画『スターウォーズ』(3D)を見る
(60歳以上は、見るのを避けたほうがよい!)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
1978年に、第1作が公開されてから、34年。
昨夜遅く(8:30~11:00PM)、新作『スターウォーズ』(3D版)を見てきた。
見る前から、疲れていたこともある。
が、さすがに、疲れた!
2時間30分の長編。
これでもか、これでもか……と、動きの速いシーンがつづく。
もちろん3D。
意味のない、戦い。
わけのわからない、ゴタク。
理由付け。
王妃とか、ジェダイとか、……まあ、率直に、こんなくだらない映画とは、知らなかった。
途中で、目が痛くなった。
劇場を出ようかと思った。
少なくとも、老人向けの映画ではない。
2時間半の3D映画は、きつい!
この34年間で、映画の世界は大きく変わった。
同時に、それを楽しむ観客の意識も、大きく変わった。
(私の年齢も、プラス34歳になったこともあるが……。)
1978年当時受けた、あの感動は、もうなかった。
年若い……私の年齢から見ると、まるで子どものような少女が王妃(?)。
その王妃が、一国というか、一惑星の命運を握っている(?)。
一方、レザー光線すらもよけてしまう、ジェダイ(?)。
中世のナイト(騎士)をもじったのだろうが、見ているうちに、バカ臭さを覚えてしまった。
ついでに、スカイウォーカー。
年齢的には、7~8歳前後か?
そんな子どもが、「選ばれし子ども」とか?
戦闘機に乗って、活躍する。
そう言えば、そんなような映画が、以前にもあったぞ。
生まれながらにして、仏陀の生まれ変わりとか、何とか。
水戸黄門の三つ葉葵の紋章よろしく、「王妃」と名乗っただけで、みなが頭をさげる。
まさに権威主義。
アメリカ人にも、そういう志向性があったとは、知らなかった。
(あるいは、もともと東洋向け映画?)
ともかくも、いくらボケ防止のためとはいえ、60歳以上の人は、見に行かないほうがよい。
自分でも眼圧があがるのが、よくわかった。
とにかく動きが速すぎる。
目の毒!
(子どもの目にも、よくないのでは……?)
次回は『Battleship』(3D)と考えていたが、そんなわけで、見るのをとりやめた。
今度また似たような映画を見たら、私は失明するかもしれない。
とくに3D映画は、よくない……というより、危険。
安全性が確認されたわけではないという点で、危険。
で、今朝は午前9時に起きた。
が、起きるとすぐ、目薬をたてつづけに、数回、さした。
気のせいか、乱視がひどくなったよう?
そんなわけで、評価、なし。
評価のくだしようが、ない。
期待していただけに、ガッカリ度も大きかった。
(警告)一度、この種の映画が、目に、どのような影響が与えるのか、調べてみる必要があるのではないか。
もし影響があるとするなら、あらかじめ警告文を表示すべきではないのか。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●小1児に、「直角」と「垂直」を教えてみました。
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●暴力映画
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
つぎの原稿は、『バトルロワイヤル』という映画が
話題になったとき書いたもの。
この映画が公開されたのは、2000年だったから、
そのころ書いたものということになる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●暴力映画を考えるとき
●まき散らされたゴミ
ある朝、清掃した海辺に一台のトラックがやってきた。そしてそのトラックが、あたり一面にゴミをまき散らした……。
『Bトル・Rワイヤル』という映画が封切られたとき、私はそんな印象をもった。
どこかの島で、生徒どうしが殺しあうという映画である。
これに対して映倫は、「R15指定」、つまり、一五歳未満の子どもの入場を規制した。
が、主演のB氏は、「入り口でチン毛検査でもするのか」(テレビ報道)とかみついた。
監督のF氏も、「戦前の軍部以下だ」「表現の自由への干渉」(週刊誌)と抗議した。
しかし本当にそうか?
アメリカでは暴力性の強い映画や番組、性的描写の露骨な映画や番組については、民間団体による自主規制を行っている。
【G】 一般映画
【PG】 両親の指導で見る映画
【PG13】13歳以下には不適切な映画で、両親の指導で見る映画
【R】 17歳以下は、おとなか保護者が同伴で見る映画
【NC17】17歳以下は、見るのが禁止されている映画、と。
アメリカでは、こうした規制が1968年から始まっている。
が、この日本では野放し。
先日もビデオショップに行ったら、こんな会話をしている親子がいた。
子(小三くらいの男児)「お母さん、これ見てもいい?」
母「お母さんは見ないからね」
子「ううん、ぼく一人でみるから……」
母「……」と。
見ると、殺人をテーマにしたホラー映画だった。
●野放しの暴力ゲーム
映画だけではない。あるパソコンゲームのカタログにはこうあった。
「アメリカで発売禁止のソフトが、いよいよ日本に上陸!」(SF社)と。
銃器を使って、逃げまどう住人を、見境なく撃ち殺すというゲームである。
もちろんこうした審査を、国がすることは許されない。
民間団体がしなければならない。
が、そのため強制力はない。
つまりそれに従うかどうかは、そのまた先にある、一般の人の理性と良識ということになる。
が、この日本では、これがどうもあやしい。映倫の自主規制はことごとく空
洞化している。
言いかえると、日本にはそれを支えるだけの周囲文化が、まだ育っていない。
先のB氏のような人が、外国政府やT都から、日本やT都を代表する「文化人」として、表彰されている!
海辺に散乱するゴミ。
しかしそれも遠くから見ると、砂浜に咲いた花のように見える。
そういうものを見て、今の子どもたちは、「美しい」と言う。
しかし……、果たして……?
(参考)
●テレビづけの子どもたち
雑誌、「ファミリス」の調査によれば、小学3、4年生で45・7%の子どもが、また小学5、6年生で59・3%の子どもが、それぞれ毎日2時間以上もテレビをみているという。
さらに小学3、4年生で71%の子どもが、また小学5、6年生で83・3%の子どもが、それぞれ毎日1時間以上もテレビゲームをしているという(静岡県内100名の児童について調査・02年)。
また2時間以上テレビゲームをしている子どもも、3、4年生で19・3%、5、6年生で41・7%!
これらのデータから、約6~7割前後の子どもが、毎日3時間程度、テレビを見たり、テレビゲームをしていることがわかる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●こんな事実もある
『2004年6月1日、この映画(R15+)のDVDを借りていた小学6年生の少女が小学校内で同級生を殺すという佐世保小6女児同級生殺害事件があった。
が、この児童は小学3年生からこの小説のファンであり、事件の前にはこの作品の同人小説の創作に夢中であった。
この事件のために、再編集版『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌 REVENGE』の発売が延期となったという』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。
ここに書かれた事実は、重い!
●東京の文化人?
B・たけし氏がどうというのではない。
彼は、タレント兼、俳優の1人に過ぎない。
しかしつぎの話は事実。
たまたま先週、勉強の合間に、B・たけし氏の話になった。
きっかけは忘れた。
で、私はこう聞いた。
「B・たけしのこと、どう思う?」と。
するとそれぞれが、こう答えた。
「気味が悪い人」
「何を言っているか、さっぱり理解できない」と。
好意的に評価している中学生は、ひとりもいなかった。
私はそれを聞き、ほっとした。
が、こうした見方は、けっして中学生だけのものではない。
私とB・たけし氏は、たまたま同年齢。
似たような環境で生まれ育っている。
だが、私もあの人物が、どういう思想の持ち主なのか、さっぱり理解できない。
私とは次元のちがった、つまり崇高な(?)次元でものを考えているのかもしれない。
ともかくも、理解できない。
B・たけし氏の特異なキャラクターは、それ自体は魅力的と思う。
しかしこの日本では、テレビへの露出度だけで、その人の評価は決まってしまう。
B・たけし氏は、その露出度では、ナンバーワン。
が、誤解してはいけない。
「Well-known(よく知られた)人物」と、 「Famous(有名)な人物」とは、区別する。
「Famous」は、「Fame(名声)」の形容詞形。
よく知られているから、それだけの人物と考えるのは、まちがい。
B・たけし氏は、よく知られた人物かもしれないが、「フェイマスな人」ではない。
少なくとも私は評価しない。
(相手も、私など、ゴミ程度にしか考えていないだろうが……。)
が、B・たけし氏は、東京都を代表する文化人であり、フランス政府からは、日本を代表する文化人になっている。
が、そういう話を聞くと、「では、文化とは何か?」と。
そこまで考えてしまう
みなさん、文化って、何ですか?
文化人というのは、どういう人を言うのですか?
東京都のみなさん、教えてください!
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【3月21日、終わって】
●養命酒
寝る前に、養命酒をお湯に溶かして飲む。
それがこのところ、私の日課になっている。
で、今が、そのとき。
ペットボトルに、下から数センチ程度、養命酒を入れる。
その上から、ペットボトルの半分程度まで、お湯を足す。
かなり薄くなっているはずだが、味としては、ちょうどよい。
アルコール度数が14%としても、4%前後にまで下がっているはず。
(養命酒のアルコール度数は、日本酒の16%と、それほど、ちがわないそうだ。)
チビリ、チビリと飲んでいると、そのうち顔が上気してくる。
心臓の鼓動が速くなってくる。
ほどよく酔ったところで、寝床に入れば、そのまま安眠。
●3月21日
今日、21日は、さえない日だった。
とくに収穫なし。
何をやっても、空回り。
時刻的には、もう床に入るころだが、そこで最後の(あがき)。
「このまま寝てなるものか!」と。
で、あちこちのニュースサイトに目を通す。
が、その前に、あくびが出てしまう。
集中力は、ほぼカラッポ。
「カラッポ」というのも、おかしな言い方だが、(エネルギー=ガソリン)にたとえると、そうなる。
ガス欠状態。
カラッポ。
そう言えば、昨日、書店で、2冊、単行本を買った。
ともに北朝鮮関係の本。
1冊は、「金正日と金正恩の正体」(文春新書)。
もう1冊は、居間に置いてある。
その金正恩に権力世襲されたあとも、粛清がつづいているという。
「粛清」というのは、もともとは、「排除」という意味だが、あの北朝鮮では、「殺害」もしくは、「収容所送り」を意味するらしい。
一度、収容所へ送られたら、ほぼ、生きては帰ってこれない。
そのしくみは、江戸時代の日本のそれと同じ。
●拷問
江戸時代には、裁判では、自白が、何よりも重要視された。
そのため江戸時代の拷問には、すさまじいものがあった。
一度、自白のための拷問が始まると、本人が自白するか、あるいは死ぬまで拷問がつづく。
自白か、さもなくば、死か、と。
途中でやめるわけには、いかない。
途中でやめると、幕府の沽券(こけん)に傷がつく。
「拷問してみましたが、自白しませんでした」では、すまない。
同じく北朝鮮の粛清も、これまたすごい。
一度反逆者のレッテルを張られると、裸にされ、冷凍車に吊されて運ばれるという。
P195には、こうある。
「反逆者は、食肉用冷凍車に吊して移送」(同書)と。
いわく「捕まえられた将校、高級軍人らは、衣服をぜんぶはがされ、手と足をしばられ、冷凍車に食用豚肉のように吊されたまま、移送された」(「朝鮮日報」2009年2月29日)と。
当人たちだけではない。
家族、ばあいによっては、一族もろとも。
その数は、金正日の時代だけでも、20万人以上。
金正恩の時代になってからも、かなりの数の人たちが粛清されているという。
あの国は、何かにつけメチャメチャだが、そのメチャメチャにも、メチャメチャという一本の筋(すじ)が通っている。
そのメチャメチャは、今もつづいている。
朝鮮日報によれば、「粛清は、大砲を使ってなされる」※とか。
つまり大砲の砲弾で、髪の毛すら残さないように、殺される、と。
(注※……「朝鮮日報」より)
『北朝鮮の事情に詳しい消息筋が21日語ったところによると、昨年末に金正日(キム・ジョンイル)総書記が急死した後、金正恩(キム・ジョンウン)氏が権力を掌握する中、北朝鮮軍部で前代未聞の「粛清旋風」が巻き起こっており、処刑も大砲を使用するなど残忍なものになっているという』(以上、朝鮮日報)と。
●「ダイアモンド」「銀行・証券、終わらざる危機」(3月17日)
机の横には、週刊「ダイアモンド」誌がある。
まだほとんど読んでいない。
今日の午後になって、「抜けられない国債アリ地獄」(P36)を少し読んだ。
平たく言えば、「裸の王様と化した日本国債」「暴落すれば銀行業界も、一蓮托生」ということ。
サブタイトルの通り。
が、ここまでわかっていても、日本政府は動こうともしない。
いまだにゴタゴタつづき。
政権内部でさえ、足の引っ張りあい。
このつづきは、明日、もう一度よく読みなおしてから、書いてみたい。
●「タイタニック」3D版
近く、映画「タイタニック」3D版が公開されるという。
が、私は見ない。
昨夜、「スターウォーズ」を見て、懲(こ)りた。
目が痛くなった。
老体に、2時間半の3D映画は、きつい。
へたをすれば、失明。
危機感を覚えた。
乱視がひどくなったようで、老眼鏡をかけても、どうも焦点が合わない。
その心配のある人は、見ないほうが、よい。
で、あの「タイタニック」。
若い人たちは、あの映画の中のジャックとローズに、生き様の理想型を見たらしい。
称して「恋愛至上主義」。
タイタニック・シンドロームと、名づけてもよい。
恋愛こそ、すべて。
たった1晩か2晩、ベッドの上で裸でからみあっただけで、それを(生涯の愛)と錯覚する。
またそうした愛にこそ、人生すべての価値が凝縮されていると錯覚する。
が、そんなものは、愛でも何でもない。
脳内ホルモンのなせるワザ。
そんなことなら、そこらのイヌやネコでも、している。
「恋愛」といっても、要するに、「肉欲の追求」。
同じ「愛」という言葉を使うが、仏教で言う「慈悲」、論語で説く「仁」とは、まったく異質のもの。
キリストが説いた「愛」とも異なる。
日本人よ、あんな映画を見て、それを人生の理想型と考えるな!
ハリウッド流のフリーセックス論に、騙されるな!
●おやすみ!
3月21日。
やっと寝る前になって、(らしいこと)が書けた。
ほどよく酔いが回ってきた。
では、おやすみなさい!
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 2012年 5月 2日
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3月2日 第1168号になりました!
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●年中児に、お金の数え方、6+4=10、直角について教えてみました。
3月も末。
いくつかたまった教材があったので、今回は、3つのテーマを大急ぎで教えてみました。
あくまでも、「種まき」のつもりです。
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【書くことのすすめ】
●衰退する文章表現力
それがよいことなのか、悪いことなのかというと、悪いことに決まっている。
この日本では、本(文章)を読む人が、どんどんと減っている。
その一方で、コミック(漫画)を読む人は、どんどんと増えている。
今に始まった現象ではない。
原稿を探してみるが、私はすでにそれについて、20年以上前に書いたことがある。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
原稿番号を調べたら、(#406)になっていた。
1999年ごろに書いた原稿ということになる。
それ以前のは、見つからなかった。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●子育て ONE POINT アドバイス! by はやし浩司(406)
●Nさんの相談より(2)
「こんな丸のつけ方はない」と怒ってきた親がいた。
祖母がいた。
「ハネやハライが、メチャメチャだ。ちゃんと見てほしい」と。
私が子ども(幼児)の書いた文字に、花丸をつけて返したときのことである。
あるいはときどき、市販のワークを自分でやって、見せてくれる子どもがいる。
そういうときも私は同じように、大きな丸をつけ、子どもに返す。
が、それにも抗議。「答がちがっているのに、どうして丸をつけるのか!」と。
(私は子どもの努力に対して、丸をつける。
答の正誤など、どうでもよい。
あるいは子どもを励ますために、丸をつける。)
日本人ほど、「型」にこだわる国民はいない。
よい例が茶道であり華道だ。相撲もそうだ。
最近でこそうるさく言わなくなったが、利き手もそうだ。
「右利きはいいが、左利きはダメ」と。
私の二男は生まれながらにして左利きだったが、小学校に入ると、先生にガンガンと注意された。
書道の先生ということもあった。
そこで私が直接、「左利きを認めてやってほしい」と懇願すると、その先生はこう言った。
「冷蔵庫でもドアでも、右利き用にできているから、なおしたほうがよい」と。
そのため二男は、左右反対の文字や部分的に反転した文字を書くようになってしまった。
書き順どころではない。
文字に対して恐怖心までもつようになり、本をまったく読もうとしなくなってしまった。
近く小学校でも、英語教育が始まる。
その会議が10年ほど前、この浜松市であった。
その会議を傍聴してきたある出版社の編集長が、帰り道、私の家に寄って、こう話してくれた。
「Uは、まず左半分を書いて、次に右半分を書く。
つまり二画と決まりました。
同じようにMとWは四画と決まりました」と。
私はその話を聞いて、驚いた。
英語国にもないような書き順が、この日本にあるとは!
そう言えば私も中学生のとき、英語の文字は、25度傾けて書けと教えられたことがある。
今から思うとバカげた教育だが、しかしこういうことばかりしているから、日本の教育はおもしろくない。
つまらない。
たとえば作文にしても、子どもたちは文を書く楽しみを覚える前に、文字そのものを嫌いになってしまう。
日本のアニメやコミックは、世界一だと言われているが、その背景に、子どもたちの文字嫌いがあるとしたら、喜んでばかりはおられない。
だいたいこのコンピュータの時代に、ハネやハライなど、毛筆時代の亡霊を、こうまでかたくなに守らねばならない理由が、一体どこにあるのか。
「型」と「個性」は、正反対の位置にある。
子どもを型に押し込めようとすればするほど、子どもの個性はつぶれる。
子どもはやる気をなくす。
(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 型枠教育 教育の型 はやし浩司 喜んでばかりはおられない はやし浩司 コミック アニメ 漫画 はやし浩司 山岳民族)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●文章表現力
一方で、最近の若い人たちの書く文章には、独特のものがある。
(けっして、ほめているわけではない。)
主語や述部を省略する。
感情をそのままぶつける。
何に対してそう思うのか、その説明もない。
思考がバラバラに飛び散ってしまい、自分の考えを、文章としてまとめることができない。
つまり「意味不明」。
で、その背景にあるのが、思想のコミック化。
アニメ化でもよい。
たとえば爆弾が破裂する図を描き、それでもって「怒っている」ことを表わす。
そういう表現の仕方は、うまい。
が、言葉として、怒りの様子を表現することができない。
たとえば子どもたちの世界。
二極化が進んでいる。
●文章vsコミック
早い子どもで、すでに小学校へ入学するころには、二極化が始まる。
「本が好きな子ども」「本が嫌いな子ども」と。
それが小学高学年(5、6年生)になると、より、はっきりとしてくる。
「本が好きな子ども」「コミックが好きな子ども」と。
その割合は、1:9くらいではないか。
コミックのほうが好き(=文章になった本は、ほとんど読まない)という子どものほうが、圧倒的に多い。
それが悪いというのではない。
が、そのため、文章表現力が、極端に落ちる。
先に書いたような「意味不明」の文章が、多くなる。
たとえば昨日も街中を歩いていたら、歩道で色紙を売っている人を見かけた。
その1枚に、こんな文章が書いてあった。
『夫婦は、意見のぶつけ愛』と。
一瞬、「うまいこと書くなあ」と思ったが、そこで思考停止。
「どういう意味なのか?」と考えたが、そこまで。
言わんとしていることは、何となくわかる。
「夫婦というのは、たがいに言いたいことを言う。
それを許しあうのが、愛」と。
が、問題は、それにとどまらない。
●書くことの重要性
映画『マーガレット・サッチャー・鉄の女の涙』に中に、こんなセリフが出てくる。
記憶によるものなので、不正確だが、こういうセリフ。
「考えたことを書く。
書いたことは、行動になる。
行動は、習慣になる。
習慣がその人の人格を作る」(記憶)と。
考えるから、人間は人間である(パスカル)。
が、考えるだけでは足りない。
それを書いて文章にする。
書くことによって、論理力を養う。
知性や理性も、それによって磨かれる。
行動の基盤になる。
で、それが習慣となり、長い時間をかけ、その人の人格を作る。
書くことには、そういう意味が含まれる。
が、書かなかったら、思考は堂々巡りする。
それこそ60代になっても、70代になっても、こう言う。
「お前は、男だろが。男らしくしろ!」と。
20代のころ、あるいは10代のころ身につけた常識(?)のまま、そこで進歩が停止する。
事実、このタイプの人は、多い。
特徴をあげてみる。
(1)考え方が、世俗的(=俗っぽい)
(2)意見といっても、だれかの受け売り(=どこかで聞いたような話)
(3)ものの考え方が、直感的で、感情的(=論理性がない)
(4)内容が平べったく、深みがない(=繰り返しが多い)
(5)言葉の使い方が、不正確(=「男的にはねえ……」と言ったりする)
(6)「ダカラ論」が多い(=「男だから……」「日本人だから……」と)
(7)視野が狭い(=視野が狭く、関心のあることしか、話さない)
(8)言葉がつながらない(=「ア~~」「ウ~~」が多い)
が、何よりも大きな特徴は、(9)繊細な会話ができない、など。
料理にたとえるなら、海賊焼きのようなものはできるが、日本料理のようなものは、できない。
(あまりよいたとえではないが……。)
●ものを書こう
ものを書くということは、考えること。
考えなければ、ものを書くことはできない。
言葉は、論理。
その言葉が集まって、文章になる。
その文章をまとめるとき、また考える。
この繰り返しが、その人の論理力を深める。
もうひとつ、ついでに言えば、こういうこと。
ものを書いていると、ときどき、(稀に)、キラリと光るものを見つけるときがある。
それまで知らなかったこと、気がつかなかったこと、など。
荒野の中で、宝石を見つけるようなもの。
私のばあい、それがあるから、文を書くのがやめられない。
……というのは、あくまでも私の個人的な話。
みながみな、そうというわけではないかもしれない。
ともかくも、ものを書こう。
書いて、自分の(考え)を、形にしよう。
パスカル(フランスの哲学者、1623~62)は、『パンセ』の中で、こう書いた。
『人間は不断に学ぶ、唯一の存在である』と。
別のところでは、『思考が人間の偉大さをなす』とも。
この言葉をもじると、こうなる。
「人間は不断に学び、書く、唯一の存在である」と。
さらに言えば、「書くことが、人間の偉大さをなす」とも、
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 言葉 書くことの重要性 はやし浩司 パスカル 思考が人間の偉大さ パンセ はやし浩司 不断に学ぶ)
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●3月19日、山荘に一泊
昨夜遅く、山荘にやってきた。
途中、コンビニで、いくつかのものを買った。
せんべい、チューハイ、それにチョコレート。
山荘に着くと、すでに春の匂い。
たとえ雑草でも、若葉には、若葉の匂いがある。
そう言えば、10日ほど前、ウグイスの初鳴きを聞いた。
が、今朝は、それがない。
どうしたのだろう? ……と思いながら、この文章を書いている。
時は、2012年3月19日、月曜日。
今週は、大きな目標(?)がある。
小学1~2年生たちに、「速度と時速」を教えてみる。
私にとっても、はじめての試み。
そのための教材を午前中に、用意する。
(実際、その教材を使うのは、今週の木曜日からだが……。)
先週、小学6年生の子どもが、速度の計算で悩んでいた。
いろいろ説明してみたが、最後まで納得できなかったよう。
それで今週は、「速度と時速」を教えてみたくなった。
こんな問題だった。
【問】
山に登りました。
頂上までの距離は、12キロ。
行きは、時速4キロ、帰りは、時速6キロで歩きました。
平均時速を求めなさい。
その子どもは、「(平均時速は)5キロ」と答えた。
何度説明しても、「5キロ」と。
そう言い張った。
で、紙に山の絵を描き、「あのね、まずね往復の時間を求めてからね……」と。
が、それでも納得できなかったよう。
そこで今週は、「速度と時速」。
小学1~2年生のころ、その「種」をまいておく。
その種は、やがて子どもの脳の中で、芽を出し、成長する。
学校で、速度や時速について学ぶころには、大きく成長しているはず。
これを称して、「種まき教育」(はやし浩司)という。
大切なことは、子どもを楽しませること。
この先、いろいろな場面で、「速度」とか「時速」とかいう言葉を耳にする。
そのとき子どもがそういった言葉に、前向きに反応するようにすること。
そのために「楽しい」という印象づくりを大切にする。
それが大切。
なお誤解があるといけないので、一言。
私のところでは、算数だけを教えているわけではない。
小学2~3年生になると、国語も教える。
レッスンの前の、10~15分程度を、その時間にあてている。
……といっても、国語については、筆写と作文。
この2つ。
筆写させる文章は、古文から現代文まで。
明治以後の文豪の書いた文章が多い。
が、そういった指導は、YOUTUBEで紹介しても、あまり意味はない。
どうか、誤解のないように。
【答え】
先の平均時速の問題について、正解は、4・8キロ。
往復5時間(行きは3時間、帰りは2時間)で、24キロを歩いたことになる。
だから24÷5=4・8(キロ)。
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【2つの危機】(はやし浩司 2012ー03-20)
(1)日本人のモラル、(2)東南海地震
【福島原発事故】(日本人のモラル)
●大江健三郎氏の「40年」
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
大江健三郎氏は、こう述べた(フランス、「サロン・ド・リーブル」での講演)。
『……私は原爆は、すでに終わった歴史だと思っていたが、被爆の問題は終わっていなかった。今、福島で起こっていることは、40年後に顕在化する』(中日新聞・2012年3月19日)と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●チェルノブイリと福島
「40年」という数字はともかくも、私も、大江健三郎氏の意見に、まったく同感。
そのことは、チェルノブイリの現状を見れば、わかる。
放射性物質にさらされることにより、急性症状が発症する。
が、それよりも恐ろしいのは、「長い潜伏期間中にじわじわと体がむしばまれる、晩発性影響である」(「原発事故」宝島社)。
その症状は、「被爆後数か月か、数年後か、あるいは数十年後かに障害が出る」(同書)と。
遺伝的影響も無視できない。
遺伝的影響は、(1)遺伝子突然変異と、(2)染色体突然変位に、分類される。
そのチェルノブイリで、症状が顕在化し始めたのは、2年後から5年後。
10年後にピークを迎えたという(同書)。
30年近くたった今も、その被害は進行中。
そのとき子どもだった人たちが影響を受け、その被害が、そのまた子どもたちに現れている。
2012年3月20日現在、あの3・11大震災、それにつづく原発事故から、まだ1年しかたっていない。
にもかかわらず、原発事故汚染地帯では、あちこちで早々と安全宣言がなされ、観光客の誘致運動も始まっている。
ノー天気というか、バカげている!
たとえば、南相馬市。
「……南相馬市は、原発から20キロ圏内の(警戒区域)と被爆放射線量が年間20ミリシーベルトに達する恐れのある(計画的避難区域)の、計1万3200人が、強制的に避難させられた。
中心部の20~30キロ圏内は、年間3ミリシーベルトと低く、住んでも問題ないとされ、いずれの区域にも指定されていない。
それでも市の中心部の住民1万3000人あまりは、市外で自主避難をつづけている。
市の人口は、福島事故前の7万1000人から、4万3000人と、3万人近く減った」(中日新聞、3月20日)と。
同日の中日新聞は、市内に店を構える、ある玩具商を紹介している。
その玩具商は、こうこぼしたという。
「商売になんねえ」と。
「子どもたちがいないから、玩具を買ってくれる子どももいない」と。
あのチェルノブイリでは、「本州の(日本の)6割分が汚染された」(同書、P54)という。
半径にして、600キロ。
(福島第一原発から、東京までが約200キロ、浜松市までが420キロ。)
南相馬市では、20~30キロが、基準になっている(?)。
たったの20~30キロ!
●「ウッソー」
先日も、ある中学生がこう言った。
「福島第一原発事故は、まだ何も片づいていないよ」と、私が言うと、「ウッソー(浜松市の方言)」と。
その中学生は、福島第一原発事故は、すでに片づいたものと思い込んでいた。
私「被害が出てくるのは、これからだよ」
中「被害者は、だれもいないわよ」
私「あのね、100万キロワットの原発1機で、年間、広島型原発の約2800発分もの放射性物質を作りだすというよ(瀬尾試算)」
中「……」
私「それが4機……とくに警戒しなければならないのが、4号機。4号機は、プルトニウムを使っていた。それに4号機のプールの中には、4機分全部を集めた分に匹敵する、燃料棒が貯蔵されている。もし4号機のプールが破損したり、倒壊するようなことにでもなれば、この浜松市あたりまで、人は住めなくなるんだよ」と。
この先、何が起こるかわからない。
あれほどの津波は、しばらくはないとしても、福島第一原発の地下には、活断層が何本も走っている。
それが地震を引き起こせば、さらに被害が拡大する。
4号機のプールが破損し、水が抜けただけでも、大惨事を招く。
人が近づくことすら、できなくなる。
半径、100キロとか200キロにも、人が近づけなくなる。
そうなったとき、近くにある福島第二原発や、女川原発、さらには、東海村にある原子炉はどうなるのか。
想像するだけでも、背筋が凍る。
●『今、福島で起こっていることは、40年後に顕在化する』
大江健三郎氏は、こう言っている。
『今、福島で起こっていることは、40年後に顕在化する』と。
つまり被爆被害は、40年後に顕在化する、と。
だったら、少なくとも、ここ10年は、様子を見るべきではないのか。
10年後に、被爆による影響がないとわかった段階で、各地にある原子炉の再開を始めればよい。
が、まだその最中の、これから先、どうなるかわからないような状況の中で、各地の原子炉を再開するなどということは、どう考えても常識をはずれている。
なお、大江健三郎氏は、こうも述べている。
『日本人は、危機を認め、根本的なモラルを持たなければならない』(中日新聞)と。
(1)危機を認める
(2)根本的なモラルを持つ、と。
●危機とモラル
ある友人は、こう言った。
浜松市内で、外科医をしている。
私の教え子でもある。
いわく、「私はね、(福島原発の)あの爆発を見たとき、ああ、これで日本は終わったと思いましたよ」と。
大江健三郎氏がいう、「危機を認める」というのは、それを言う。
が、今のようなモラルでは、その危機を乗り越えることはできない。
ただ、あがくだけ。
もがくだけ。
政府はウソにウソを塗り重ね、一方、国民は、耳障りのよい意見だけを鵜呑みにする。
その相互姿勢は、現在の北朝鮮と、どこもちがわない。
だから大江健三郎氏は、「根本的なモラルをもて」と。
が、新聞では、これ以上の報道はしていない。
これ以上のことは、わからない。
大江健三郎氏が言う、「根本的なモラル」とは、何か。
私流に解釈すれば、資本主義的な物欲文明から決別し、別の価値観を見出すということになる。
大きなテーマだけを与えられたようで、では、どうすればよいのか、今の私にはわからない。
近く大江健三郎氏の意見が、雑誌などに載るだろうから、それを読んだあと、また私なりに考えてみたい。
なおここに書いた友人の外科医は、現在、浜松市と沖縄の間を、頻繁に行き来している。
「沖縄には仕事がある」と言っている。
この春休みも、沖縄で過ごしている。
家族ともども、近く、移住を考えているようだ。
なお、最後に一言。
数日前、こんな記事が報道された。
「福島産の米は、老人ホームなどで、使ってもらう」と。
若い人たちにすれば、老人ホームにいる老人は、そういう人たちに見えるかもしれない。
しかしその老人に近い、私は、この記事を読んで、ゾッとした。
なぜゾッとしたかについては、あえて説明しない。
私は、こういうことを平気で言う日本人、あるいは日本という国に、心底、失望した。
大江健三郎氏が言うところの、根本的なモラルそのものが、狂っている。
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【山岳民族】(日本人は、もともと山岳民族だった?)
●浜松から、寸又峡(すまたきょう)温泉まで
先日、寸又峡温泉へ行ってきた。
浜松からだと、一度、JRの東海道線に乗り、金谷(かなや)まで行く。
そこから大井川鉄道に乗り、千頭(せんず)まで。
さらにバスに乗り、寸又峡温泉まで。
しかしもうひとつ、寸又峡温泉へ行くルートがある。
浜松から山間部を抜け、直接、寸又峡温泉に行くルートである。
その(浜松)(金谷)(寸又峡温泉)を線で結んでみると、ほぼ正三角形になるのがわかる。
距離的には、浜松から山間部を抜け、寸又峡温泉に行ったほうが、近いということになる。
が、山間部は、(昔は)、道路事情も悪く、その分だけ、時間もかかった。
が、今は、道路も整備された。
浜松の人でも、寸又峡温泉へ行くとき、その山間部を通り抜けていく人がいる。
先日も、近くの山の中の道を、寸又峡温泉から迎えに来たバスが走っているのを見た。
そのバスは、寸又峡温泉から、浜松まで、山間部の道路を通ってやってきた。
道理で……というか、あの武田勝頼が、愛知県の長篠(ながしの)までやってきた理由が、それでわかった。
はじめて長篠の合戦場跡を訪れたとき、私はこう思った。
「どうしてこんな山奥へ、武田勝頼は来たのか」と。
武田勝頼は、そこで織田信長の鉄砲部隊と出会い、敗れる。
(注※……長篠の戦いについて。
『長篠の戦い(ながしののたたかい、長篠の合戦・長篠合戦とも)は、天正3年5月21日(ユリウス暦1575年6月29日)、三河国長篠城(現愛知県新城市長篠)をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍3万8000と武田勝頼軍1万5000との間で勃発した戦い』(ウィキペディア百科事典)。
●美濃地方と飛騨地方
同じようなことだが、岐阜県にも、それがある。
たとえば、岐阜県の美濃地方の山奥(板取村、郡上村)から、飛騨地方(高山、下呂方面)へ行くときは、一度、岐阜市まで出なければならない。
私が子どものころは、そうだった。
が、不思議なことに、美濃地方の山奥と、飛騨地方とは、文化的に類似性が多い。
さらにその先は、富山市へとつながっている。
また反対に、美濃地方の山奥は、福井県の大野市ともつながっている。
今とちがい、昔の人は、歩いて、山越えをした。
またそのほうが、ずっと近かった。
川沿いに道が発達し、さらに海沿いに交通網が整備されたのは、鉄道や自動車が発達してからのこと。
私が驚いたのは、こんなこと。
たとえば岐阜県美濃市の実家から、北陸の福井市や金沢市へ行くときのこと。
私が学生のころの話である。
そのときは、一度、岐阜市まで出る。
そこからJR東海道線に乗り、米原まで行く。
米原からは、北陸本線に乗り換え、福井市や金沢市へ向かう。
が、こんなことをしなくても、昔の人なら、美濃市からさらに山奥へ入り、峠を越えて、福井市へ向かった。
距離的には、ずっと近い。
(ただしこの道は、現在は獣(けもの)道になっていて、猟師でないと越えられないとのこと。)
私は、それを知って、驚いた。
つまり(道のり)でいう距離と、(直線距離)でいう距離。
その両者の実感が、あまりにも、かけ離れていた。
●原発事故
さらにこんなことも。
あの福島第一原発の事故のあと、近くの浜岡原発、さらには、福井県にある、敦賀(つるが)原発のことが、気になった。
もし事故でも起きたら……、と。
そこで距離を測ってみた。
あくまでも地図上での直線距離だが、現在の敦賀市から岐阜市まで、直線距離で、65~70キロしかない(350万分の1の地図上で、1・9センチ)。
名古屋市まで、91キロしかない(同じく、2・6センチ)。
もし敦賀原発が事故を起こしたら、岐阜市はもちろん名古屋市も、避難対象地域になる。
(福島第一原発の事故のときは、西風が幸いした。
が、敦賀原発のときは、西風は命取りになる。)
一方、浜岡原発(御前崎)から浜松までは、たったの35~40キロ(約1センチ)!
風向きにもよるが、東風でも吹いたら、一巻の終わり。
日本地図を、こういう視点でながめるようになったのは、やはりあの福島第一原発の事故が理由だと思う。
それまでは、そういう見方は、あまりしなかった。
実感距離というか、「車で~~時間」「電車で~~時間」と。
それでもって、「近い」「遠い」を判断していた。
で、冒頭の話に戻る。
●山岳民族
日本列島が、オーストラリア大陸のように平地だったら、私たちがもっている距離感覚は、大きくちがっていただろう。
そこに山があるため、その山によって、距離感が狂ってしまった。
……というか、正確な距離感をもてない。
「遠い」と思っていたところが、意外と近かったり、反対に、地図上で「近い」と思っていたところが、意外と遠かったりする。
さて昔の武将たちは、近道、つまり山越えをしながら、合戦を繰り広げていた。
結局、私の言いたいことは、この1点につきる。
またそういう視点がないと、戦国時代のあの時代の人々の動きを、理解することができない。
繰り返しになるが、現在のように、川沿いに一度海に出て、そこから海沿いに移動するという方法は、列車や自動車が発達してからのこと。
それまでの日本人は、山から山へ、歩きながら移動していた。
またそれぞれの地方の文化も、そのルートで、つながっていた。
日本人は、もともとは、山岳民族であった……ということになる。
(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 文化の伝承 山間の道 はやし浩司 山岳民族)
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【東南海地震】
3月17日に、東南海地震について書いた。
その中で、つぎのようなことを書いた。
『……5月21日(月曜日)に、名古屋から東京にかけ、金環食を見ることができるという。
金環食によって、太陽、月、地球が一直線に並ぶ。
そのとき、太陽と月の引力が、地球の地殻に影響を与えることはじゅうぶん、考えられる』と。
ちょうど金環食が観測されるあたりは、東南海地震が予報されている地域と重なる。
(東海地震と南海地震を合わせ、東南海地震という。)
先の、3・11大震災(2011)以来、このあたりの近くも、かなり不安定になってきているのではないか。
事実、その大震災のあと、各地で、その大震災で誘発されと思われる地震が、頻発して起きている。
●心配
ここに書いたことが、まったくのデタラメかというと、どうも、そうでもないようだ。
それを裏付けるような記事が、今日(3月19日)、配信された。
(注※……金環食)
『……いよいよ今年。2012年5月21日の朝。
九州・トカラ列島から福島県南東部にかけた日本の太平洋側の広い地域で、太陽がリング状に欠けて見える珍しい天文現象 金環食(金環日食)が観測できます。
……(中略)……
今回の日食では東京・大阪・名古屋の三大都市圏が金環食帯に入っている上、中心食線(日食帯の中心線)が南関東・静岡・紀伊半島南部などの多数の都市・観光地を通ります。
図鑑で見るような真円のリングが国内で観測できる、またとないチャンス!』(金環食ホームページ)と。
この浜松市と静岡市、それに東京都を結ぶ線上を、金環食の中心食線が通るという!
なお、静岡市では、午前7時32分13秒に通過とか。
太陽や月の引力の力を、けっして過小評価してはいけない。
(注※……東南海地震)
『紀伊半島沖から遠州灘にかけての海域(南海 トラフの東側)で周期的に発生する海溝型地震。規模は毎回 M8・0 前後に達する巨大 地震で、約100年から150年周期で発生している』
『政府の地震調査研究推進本部の予測によると、2010年1月1日からの発生確率は30年以内で 60~70 % 、50年以内で 90 % 程度以上とされている』(ウィキペディア百科事典)と。
東南海地震は、約100年から150年周期で起きているという。
前回は、1944年12月7日。
●TBS-iNEWSより
こんな記事である。
『……長野県栄村の周辺で東日本大震災後に多発した地震は、月の引力などの影響で潮が満ち引きする潮汐(ちょうせき)が引き金で起きたとみられることが、産業技術総合研究所の分析で18日、わかった』(TBS-I News News 3月19日)というのだ。
TBS-I Newsは、こう続ける。
『……長野県栄村で地震で多発、「潮汐」引き金 地殻変動と発生時刻と潮汐のリズムに極めて高い相関があり、大震災による地殻変動と潮汐力が重なって誘発されたとみられる。
産総研の雷興林(らいきょうりん)主任研究員は、大震災以降の約2カ月間に長野県北部で起きたマグニチュード(M)3以上の142回の地震を分析。
栄村で震度6強を観測した大震災翌日の地震(M6・7)を含む全体の約50%が、潮汐と関係していたことを突き止めた。
潮汐は月の引力などによって海面が周期的に上下変動する現象で、地球内部の岩盤も同じ影響で上下に伸縮している。
雷主任研究員によると、潮汐と関係がある地震は世界の約5%で、今回はこの10倍に相当する前例のない高さという。
一連の地震は地盤が下がる干潮や、下がる速度が最大のときに集中して発生。
長野県北部には、マグマから出たガスや液体が岩盤の隙間に高圧でたまっている「流体だまり」が多数あるとみられ、この場所が潮汐力で押されて周囲の岩を破壊、断層を刺激して地震が起きたと推定している』(以上、TBS-I News News 3月19日)と。
●5月21日
5月21日は、はたしてだいじょうぶなのか?
もし東南海地域が、地殻的に不安定であれば、そのあたりで地震が起きても、おかしくない。
(反対に、何も起こらなければ、地殻は安定しているということになる。つまり、今、しばらくは地震は起きないと考えてよい。)
ともあれ、「金環食」と浮かれていると、とんでもないことになる。
私の杞憂で終わればよいが、しかしそういったことも起こりうるという前提で、準備するのは、それほどまちがっていない。
言うまでもなく、東海地震と南海地震が同時に起こるようなことになれば、その規模は、あの3・11大震災の規模に匹敵する。
被害も、相当なものになるはず。
その可能性が、たとえ何万分の1でもあるなら、警戒するに越したことはない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 東南海地震 金環食と東南海地震 東海地震 南海地震)
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●映画『スターウォーズ』(3D)を見る
(60歳以上は、見るのを避けたほうがよい!)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
1978年に、第1作が公開されてから、34年。
昨夜遅く(8:30~11:00PM)、新作『スターウォーズ』(3D版)を見てきた。
見る前から、疲れていたこともある。
が、さすがに、疲れた!
2時間30分の長編。
これでもか、これでもか……と、動きの速いシーンがつづく。
もちろん3D。
意味のない、戦い。
わけのわからない、ゴタク。
理由付け。
王妃とか、ジェダイとか、……まあ、率直に、こんなくだらない映画とは、知らなかった。
途中で、目が痛くなった。
劇場を出ようかと思った。
少なくとも、老人向けの映画ではない。
2時間半の3D映画は、きつい!
この34年間で、映画の世界は大きく変わった。
同時に、それを楽しむ観客の意識も、大きく変わった。
(私の年齢も、プラス34歳になったこともあるが……。)
1978年当時受けた、あの感動は、もうなかった。
年若い……私の年齢から見ると、まるで子どものような少女が王妃(?)。
その王妃が、一国というか、一惑星の命運を握っている(?)。
一方、レザー光線すらもよけてしまう、ジェダイ(?)。
中世のナイト(騎士)をもじったのだろうが、見ているうちに、バカ臭さを覚えてしまった。
ついでに、スカイウォーカー。
年齢的には、7~8歳前後か?
そんな子どもが、「選ばれし子ども」とか?
戦闘機に乗って、活躍する。
そう言えば、そんなような映画が、以前にもあったぞ。
生まれながらにして、仏陀の生まれ変わりとか、何とか。
水戸黄門の三つ葉葵の紋章よろしく、「王妃」と名乗っただけで、みなが頭をさげる。
まさに権威主義。
アメリカ人にも、そういう志向性があったとは、知らなかった。
(あるいは、もともと東洋向け映画?)
ともかくも、いくらボケ防止のためとはいえ、60歳以上の人は、見に行かないほうがよい。
自分でも眼圧があがるのが、よくわかった。
とにかく動きが速すぎる。
目の毒!
(子どもの目にも、よくないのでは……?)
次回は『Battleship』(3D)と考えていたが、そんなわけで、見るのをとりやめた。
今度また似たような映画を見たら、私は失明するかもしれない。
とくに3D映画は、よくない……というより、危険。
安全性が確認されたわけではないという点で、危険。
で、今朝は午前9時に起きた。
が、起きるとすぐ、目薬をたてつづけに、数回、さした。
気のせいか、乱視がひどくなったよう?
そんなわけで、評価、なし。
評価のくだしようが、ない。
期待していただけに、ガッカリ度も大きかった。
(警告)一度、この種の映画が、目に、どのような影響が与えるのか、調べてみる必要があるのではないか。
もし影響があるとするなら、あらかじめ警告文を表示すべきではないのか。
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●小1児に、「直角」と「垂直」を教えてみました。
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●暴力映画
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つぎの原稿は、『バトルロワイヤル』という映画が
話題になったとき書いたもの。
この映画が公開されたのは、2000年だったから、
そのころ書いたものということになる。
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●暴力映画を考えるとき
●まき散らされたゴミ
ある朝、清掃した海辺に一台のトラックがやってきた。そしてそのトラックが、あたり一面にゴミをまき散らした……。
『Bトル・Rワイヤル』という映画が封切られたとき、私はそんな印象をもった。
どこかの島で、生徒どうしが殺しあうという映画である。
これに対して映倫は、「R15指定」、つまり、一五歳未満の子どもの入場を規制した。
が、主演のB氏は、「入り口でチン毛検査でもするのか」(テレビ報道)とかみついた。
監督のF氏も、「戦前の軍部以下だ」「表現の自由への干渉」(週刊誌)と抗議した。
しかし本当にそうか?
アメリカでは暴力性の強い映画や番組、性的描写の露骨な映画や番組については、民間団体による自主規制を行っている。
【G】 一般映画
【PG】 両親の指導で見る映画
【PG13】13歳以下には不適切な映画で、両親の指導で見る映画
【R】 17歳以下は、おとなか保護者が同伴で見る映画
【NC17】17歳以下は、見るのが禁止されている映画、と。
アメリカでは、こうした規制が1968年から始まっている。
が、この日本では野放し。
先日もビデオショップに行ったら、こんな会話をしている親子がいた。
子(小三くらいの男児)「お母さん、これ見てもいい?」
母「お母さんは見ないからね」
子「ううん、ぼく一人でみるから……」
母「……」と。
見ると、殺人をテーマにしたホラー映画だった。
●野放しの暴力ゲーム
映画だけではない。あるパソコンゲームのカタログにはこうあった。
「アメリカで発売禁止のソフトが、いよいよ日本に上陸!」(SF社)と。
銃器を使って、逃げまどう住人を、見境なく撃ち殺すというゲームである。
もちろんこうした審査を、国がすることは許されない。
民間団体がしなければならない。
が、そのため強制力はない。
つまりそれに従うかどうかは、そのまた先にある、一般の人の理性と良識ということになる。
が、この日本では、これがどうもあやしい。映倫の自主規制はことごとく空
洞化している。
言いかえると、日本にはそれを支えるだけの周囲文化が、まだ育っていない。
先のB氏のような人が、外国政府やT都から、日本やT都を代表する「文化人」として、表彰されている!
海辺に散乱するゴミ。
しかしそれも遠くから見ると、砂浜に咲いた花のように見える。
そういうものを見て、今の子どもたちは、「美しい」と言う。
しかし……、果たして……?
(参考)
●テレビづけの子どもたち
雑誌、「ファミリス」の調査によれば、小学3、4年生で45・7%の子どもが、また小学5、6年生で59・3%の子どもが、それぞれ毎日2時間以上もテレビをみているという。
さらに小学3、4年生で71%の子どもが、また小学5、6年生で83・3%の子どもが、それぞれ毎日1時間以上もテレビゲームをしているという(静岡県内100名の児童について調査・02年)。
また2時間以上テレビゲームをしている子どもも、3、4年生で19・3%、5、6年生で41・7%!
これらのデータから、約6~7割前後の子どもが、毎日3時間程度、テレビを見たり、テレビゲームをしていることがわかる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●こんな事実もある
『2004年6月1日、この映画(R15+)のDVDを借りていた小学6年生の少女が小学校内で同級生を殺すという佐世保小6女児同級生殺害事件があった。
が、この児童は小学3年生からこの小説のファンであり、事件の前にはこの作品の同人小説の創作に夢中であった。
この事件のために、再編集版『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌 REVENGE』の発売が延期となったという』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。
ここに書かれた事実は、重い!
●東京の文化人?
B・たけし氏がどうというのではない。
彼は、タレント兼、俳優の1人に過ぎない。
しかしつぎの話は事実。
たまたま先週、勉強の合間に、B・たけし氏の話になった。
きっかけは忘れた。
で、私はこう聞いた。
「B・たけしのこと、どう思う?」と。
するとそれぞれが、こう答えた。
「気味が悪い人」
「何を言っているか、さっぱり理解できない」と。
好意的に評価している中学生は、ひとりもいなかった。
私はそれを聞き、ほっとした。
が、こうした見方は、けっして中学生だけのものではない。
私とB・たけし氏は、たまたま同年齢。
似たような環境で生まれ育っている。
だが、私もあの人物が、どういう思想の持ち主なのか、さっぱり理解できない。
私とは次元のちがった、つまり崇高な(?)次元でものを考えているのかもしれない。
ともかくも、理解できない。
B・たけし氏の特異なキャラクターは、それ自体は魅力的と思う。
しかしこの日本では、テレビへの露出度だけで、その人の評価は決まってしまう。
B・たけし氏は、その露出度では、ナンバーワン。
が、誤解してはいけない。
「Well-known(よく知られた)人物」と、 「Famous(有名)な人物」とは、区別する。
「Famous」は、「Fame(名声)」の形容詞形。
よく知られているから、それだけの人物と考えるのは、まちがい。
B・たけし氏は、よく知られた人物かもしれないが、「フェイマスな人」ではない。
少なくとも私は評価しない。
(相手も、私など、ゴミ程度にしか考えていないだろうが……。)
が、B・たけし氏は、東京都を代表する文化人であり、フランス政府からは、日本を代表する文化人になっている。
が、そういう話を聞くと、「では、文化とは何か?」と。
そこまで考えてしまう
みなさん、文化って、何ですか?
文化人というのは、どういう人を言うのですか?
東京都のみなさん、教えてください!
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【3月21日、終わって】
●養命酒
寝る前に、養命酒をお湯に溶かして飲む。
それがこのところ、私の日課になっている。
で、今が、そのとき。
ペットボトルに、下から数センチ程度、養命酒を入れる。
その上から、ペットボトルの半分程度まで、お湯を足す。
かなり薄くなっているはずだが、味としては、ちょうどよい。
アルコール度数が14%としても、4%前後にまで下がっているはず。
(養命酒のアルコール度数は、日本酒の16%と、それほど、ちがわないそうだ。)
チビリ、チビリと飲んでいると、そのうち顔が上気してくる。
心臓の鼓動が速くなってくる。
ほどよく酔ったところで、寝床に入れば、そのまま安眠。
●3月21日
今日、21日は、さえない日だった。
とくに収穫なし。
何をやっても、空回り。
時刻的には、もう床に入るころだが、そこで最後の(あがき)。
「このまま寝てなるものか!」と。
で、あちこちのニュースサイトに目を通す。
が、その前に、あくびが出てしまう。
集中力は、ほぼカラッポ。
「カラッポ」というのも、おかしな言い方だが、(エネルギー=ガソリン)にたとえると、そうなる。
ガス欠状態。
カラッポ。
そう言えば、昨日、書店で、2冊、単行本を買った。
ともに北朝鮮関係の本。
1冊は、「金正日と金正恩の正体」(文春新書)。
もう1冊は、居間に置いてある。
その金正恩に権力世襲されたあとも、粛清がつづいているという。
「粛清」というのは、もともとは、「排除」という意味だが、あの北朝鮮では、「殺害」もしくは、「収容所送り」を意味するらしい。
一度、収容所へ送られたら、ほぼ、生きては帰ってこれない。
そのしくみは、江戸時代の日本のそれと同じ。
●拷問
江戸時代には、裁判では、自白が、何よりも重要視された。
そのため江戸時代の拷問には、すさまじいものがあった。
一度、自白のための拷問が始まると、本人が自白するか、あるいは死ぬまで拷問がつづく。
自白か、さもなくば、死か、と。
途中でやめるわけには、いかない。
途中でやめると、幕府の沽券(こけん)に傷がつく。
「拷問してみましたが、自白しませんでした」では、すまない。
同じく北朝鮮の粛清も、これまたすごい。
一度反逆者のレッテルを張られると、裸にされ、冷凍車に吊されて運ばれるという。
P195には、こうある。
「反逆者は、食肉用冷凍車に吊して移送」(同書)と。
いわく「捕まえられた将校、高級軍人らは、衣服をぜんぶはがされ、手と足をしばられ、冷凍車に食用豚肉のように吊されたまま、移送された」(「朝鮮日報」2009年2月29日)と。
当人たちだけではない。
家族、ばあいによっては、一族もろとも。
その数は、金正日の時代だけでも、20万人以上。
金正恩の時代になってからも、かなりの数の人たちが粛清されているという。
あの国は、何かにつけメチャメチャだが、そのメチャメチャにも、メチャメチャという一本の筋(すじ)が通っている。
そのメチャメチャは、今もつづいている。
朝鮮日報によれば、「粛清は、大砲を使ってなされる」※とか。
つまり大砲の砲弾で、髪の毛すら残さないように、殺される、と。
(注※……「朝鮮日報」より)
『北朝鮮の事情に詳しい消息筋が21日語ったところによると、昨年末に金正日(キム・ジョンイル)総書記が急死した後、金正恩(キム・ジョンウン)氏が権力を掌握する中、北朝鮮軍部で前代未聞の「粛清旋風」が巻き起こっており、処刑も大砲を使用するなど残忍なものになっているという』(以上、朝鮮日報)と。
●「ダイアモンド」「銀行・証券、終わらざる危機」(3月17日)
机の横には、週刊「ダイアモンド」誌がある。
まだほとんど読んでいない。
今日の午後になって、「抜けられない国債アリ地獄」(P36)を少し読んだ。
平たく言えば、「裸の王様と化した日本国債」「暴落すれば銀行業界も、一蓮托生」ということ。
サブタイトルの通り。
が、ここまでわかっていても、日本政府は動こうともしない。
いまだにゴタゴタつづき。
政権内部でさえ、足の引っ張りあい。
このつづきは、明日、もう一度よく読みなおしてから、書いてみたい。
●「タイタニック」3D版
近く、映画「タイタニック」3D版が公開されるという。
が、私は見ない。
昨夜、「スターウォーズ」を見て、懲(こ)りた。
目が痛くなった。
老体に、2時間半の3D映画は、きつい。
へたをすれば、失明。
危機感を覚えた。
乱視がひどくなったようで、老眼鏡をかけても、どうも焦点が合わない。
その心配のある人は、見ないほうが、よい。
で、あの「タイタニック」。
若い人たちは、あの映画の中のジャックとローズに、生き様の理想型を見たらしい。
称して「恋愛至上主義」。
タイタニック・シンドロームと、名づけてもよい。
恋愛こそ、すべて。
たった1晩か2晩、ベッドの上で裸でからみあっただけで、それを(生涯の愛)と錯覚する。
またそうした愛にこそ、人生すべての価値が凝縮されていると錯覚する。
が、そんなものは、愛でも何でもない。
脳内ホルモンのなせるワザ。
そんなことなら、そこらのイヌやネコでも、している。
「恋愛」といっても、要するに、「肉欲の追求」。
同じ「愛」という言葉を使うが、仏教で言う「慈悲」、論語で説く「仁」とは、まったく異質のもの。
キリストが説いた「愛」とも異なる。
日本人よ、あんな映画を見て、それを人生の理想型と考えるな!
ハリウッド流のフリーセックス論に、騙されるな!
●おやすみ!
3月21日。
やっと寝る前になって、(らしいこと)が書けた。
ほどよく酔いが回ってきた。
では、おやすみなさい!
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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今日も終わった+野鳥公園byはやし浩司
【国家破綻】ロイター・NEWSを精読する
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
今日も終わった。
たった今、お茶を口にし、ほっと一息ついた。
時刻は、午後9時40分。
で、今夜、高校生たちと、こんな会話をした。
私がふと、こう言ったときのこと。
「今、多くの大学では、高校で使う教科書より簡単な教科書を使って授業をしている」と。
するとすかさず、Rさん(女子)がこう言った。
「だったら、大学へ行っても無駄じゃん」と。
……そうかもしれない。
合理的に考えれば、そうかもしれない。
しかしこのRさんの論理は、基本的な部分でまちがっている。
「でもね、みんな幸福になりたいと願っているよ。
簡単な英語でも、メールくらいは自分で書きたいと思っている人もいるよ。
英語が苦手な人でも、苦手なりに、がんばる。
そういう人の願いまで、『無駄』と、だれが言えるだろうか。
これは極端な話だけど、君もいつかは老人になる。
寝たきりになるかもしれない。
もしそんなとき、だれかが、『生きていても無駄じゃん』と言ったら、どうする?
君は、それに納得するだろうか」と。
頭のよい子どもである。
すぐ私の言わんとしていることを、理解した。
このつづきは、もう少しあとに書いてみたい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ロイター伝を、精読する
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
ロイター(2012-04-22)は、つぎのように伝える。
日銀の白川総裁が、こう言ったという。
とくに最後の1行が重要。
『ソブリン危機は、前触れなしに顕在化する可能性がある』と。
日銀総裁という人物が、日本を離れ、胸の内を明かしたという点で、このニュースのもつ意味は重い。
ふつう重要人物というのは、国内ではめったに胸の内を明かさない。
「外国」という場で、明かす。
それはともかくも、このニュースを精読するだけで、日本が今、置かれた現状を正確に知ることができる。
精読してみよう。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●【際限ない国債買い入れ、制御不能なインフレ招く=日銀総裁】
ワシントン/東京 21日 ロイター
【注……以下、『かっこ』部は、ロイターの記事。つづく★印は、はやし浩司の感想】
『日銀の白川方明総裁は21日、訪問中のワシントンでフランス銀行主催のパネルディスカッションの参加し、国債への信認が低下することによる金融システム不安を抑えるため中央銀行が際限のない国債買い入れなどを行えば「制御不能なインフレを招く」と警告。
中銀の流動性供給で時間を買える間に財政改革を進める重要性を強調した』(以上ロイター)と。
★白川総裁は、経済学の基礎を述べている。
つまり「中央銀行が、際限のない国債を買い入れれば、インフレを招く」と。
これは当然のこと。
「国債を買う」ということは、その分だけ、札の印刷機を回すことを意味する。
たとえば政府が、1兆円の債務の返済に迫られたとする。
が、手元に現金がない。
そういうとき政府は、中央銀行(日本のばあい、日銀)へ行き、こう頼む。
「1兆円、用立ててくれ」と。
政府からの申し出とあれば、断ることができない。
そこで中央銀行は、1兆円の札を渡す。
渡すと言っても、札束が用意してあるわけではない。
あるのは印刷機。
その印刷機を使って、紙幣を印刷する。
「印刷機を回す」というのは、そういう意味。
で、そのとき政府が発行する借用証書が、「国債」ということになる。
が、札が市中に出回れば出回るほど、札の価値はさがる。
絵画(リトグラフ)を例に考えればよい。
石版刷りの枚数が多ければ多いほど、価値はさがる。
ラーメンにしても、そうだ。
たとえばそれまで500円だったラーメンが、700円になる。
それがインフレ。
日銀総裁が言ったというと、何やらたいへんなことを言ったように思う人もいるかもしれない。
しかしこれは、経済のイロハ。
(そう言えば、最近、市内でラーメンを食べると、1食800~900円だぞ!)
『白川総裁は、欧州金融市場に小康状態をもたらした欧州中央銀行による長期資金供給オペ(LTRO)は、「あくまで『時間を買う』政策に過ぎない」と指摘』(以上ロイター)と。
★EUの金融危機は、基本的には、何も問題は解決していない。
白川日銀総裁は、それを述べた。
「小康状態」というのは、それをいう。
事実、欧州中央銀行は、ギリシャの金融危機問題についても、借金の付け替えをしただけ。
あるいは借金返済の期限を、引き延ばしただけ。
欧州中央銀行が、ギリシャに現金を貸し付け、その現金で、ギリシャは、各国の金融機関に現金を返した。
「長期資金供給オペ」というのは、それをいう。
もちろんその間に、ギリシャ経済が上向けばよい。
が、そうでなければ、そうでない。
欧州中央銀行は、ギリシャに、「時間的余裕を与えたから、その間に立ちなおりなさい」と言った。
それが『時間を買う』の意味。
『市場が落ち着き、かえって財政への危機意識が薄れ、財政赤字拡大から金融システム不安が再燃すれば、「中央銀行が国債担保の流動性供給、あるいは国債買い入れを通じて、最終的に際限のない流動性供給に追い込まれる可能性がある」と警告』(以上ロイター)と。
★が、人間の心というのは、いいかげんなもの。
気が緩んだとたん、再び、怠けてしまう。
ギリシャにしても、そうだ。
「いざとなったら、中央銀行が助けてくれる」と。
こうしてギリシャは、依存心をもってしまう。
が、この依存心が恐い。
保護、依存の関係というのは、一度できると、常に一方的なものになりやすい。
保護する側は、いつも保護する。
依存する側は、いつも依存する。
親子関係にしても、親戚、友人関係にしても、同じ。
さらにそれが慢性化すると、立場が逆転する。
依存する側が、保護する側に、それを要求するようになる。
「ちゃんと、めんどうをみてくれ!」と。
こうして経済の世界でも、『際限のない流動性供給』が生まれる。
つまり資金の垂れ流しが始まる。
『「膨大な通貨供給の帰結は、歴史の教えにしたがえば制御不能なインフレ」と言い切った』(以上ロイター)と。
★で、その結末は悲惨。
古今東西、最終的には、制御不能なインフレを引き起こす。
が、ただのインフレではない。
猛烈なハイパーインフレ。
そのうちこの日本でも、タクシーの初乗りが、1万円になる。
そうなる。
『日本については、「人々が将来の財政状況への不安から支出を抑制し、そのことが低成長と緩やかなデフレの一因になっていると考えられる」と指摘した』(以上ロイター)と。
★その通り。
白川日銀総裁はどうか知らないが、一般庶民は、生活防衛をしなければならない。
が、本来、お金というのは、使ってはじめて意味をもつ。
たとえばあなたが100万円の機械を買ったとする。
その100万円は、(販売会社)→(製造業者)→(部品製造会社)→……と回っていく。
その間にあって、それぞれの会社の社員の給料となって、回っていく。
それが経済を活性化させる。
が、もしその100万円を、あなたがタンス預金にしてしまったとしたら、そうか。
そのお金は、その時点で、まさに(死に金)。
その(死に金)がふえればふえるほど、経済は停滞し、物価がさがる。
それがデフレ。
『総裁はフランス銀行の「フィナンシャル・スタビリティ・レビュー4月号」にも寄稿し、日本で低金利が続いている背景として、「国債利回りが低位安定的に推移すると、その事実自体が国債の安全性評価をさらに高めてその保有動機を強めるように作用する」ためと説明』(以上ロイター)と。
★現在、国債の利回りは、1年モノで、0・11%前後。
5年モノで、0・28%(4月22日現在)。
国債の利率は低ければ低いほど、……というか、逆にその国が安定すればするほど、利率は低くなる。
が、日本のばあいは、どうか。
本当は、中身は、ガタガタ。
……しかし、この日本は、何とかもちこたえている。
なぜか?
言うまでもなく、90%以上、引き受け手は、日本人自身。
言うなれば身内の借金。
親が自分の息子や娘に借金をしている。
そう考えればわかりやすい。
ともかくも、「見かけ上、日本の国債は、安定している」。
それを白川日銀総裁は、こう言った。
『その事実自体が国債の安全性評価をさらに高める』と。
日本国債が、そのために買われやすくなっている、と。
しかしどうして経済界の人たちは、こういう回りくどい、難解な言葉を使うのか。
『保有動機を強めるように作用する』と。
簡単に「みんながほしがるようになる」と言えばよい。
そのほうが、ずっとわかりやすい。
(こういうとき、通訳の人は苦労するだろうな。
私も経験がある。)
『しかし、政府が「自らの支払い能力を超えて借金を重ねることはできない以上、投資家が信用リスクを意識し始める臨界点がどこかに存在する」と警告。
★が、いつまでも、こんな綱渡りがつづくはずがない。
いつか破綻する。
その破綻する限界点を、「臨界点」という。
が、ここで忘れてならないことは、先延ばしにすればするほど、被害も大きくなるということ。
一般家庭の借金を例にあげるまでもない。
しかも臨界点に近づけば近づくほど、累乗的に、借金は、膨(ふく)らむ。
私の友人などは、最初はたった700万円の借金でつまずいた。
それが何と、1年半後には、1億5000万円になっていた。
どうしてそうなったか……というよりも、経済の世界というのは、そういうもの。
『投資家が他の投資家が国債を売却すると予想することが利回りを押し上げる「自己実現的なプロセスがひとたび作動すると、『市場取り付け』に至ってしまう可能性がある」と述べ、そのような「ソブリン危機は、前触れなしに顕在化する可能性がある」と指摘した。
★実にわかりにくい。
要するに白川日銀総裁は、こう言っている。
どこかで火がつくと、それが理由で、国債の利率は上昇する。
だれかが「あぶない」と言い出すと、みなが銀行に押しかける。
が、国債(証券)では、スーパーでものを買うことができない。
当然、現金化しようとする。
それが『取り付け騒ぎ』になる。
国家の危機的状態を、「ソブリン危機」という。
白川日銀総裁は、そうした危機は、何の前触れもなく、突然やってくると述べている。
これも、巷(ちまた)の倒産劇を見ればわかる。
企業というのは、その前日まで、何食わぬ顔をして、営業をつづける。
が、その翌日、いきなり、倒産!、と。
そうなる。
国も、また同じ。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●金庫の中は空っぽ
日本最大の銀行は、郵便局。
日本最大の国債の引き受けても、これまた郵便局。
その郵便局には、現金は、もうない。
自転車操業どころか、幼児の三輪車にもならない。
三輪車操業。
現金で預けた人にしても、また国債購入という形で預けた人にしても、それだけのお金が郵便局にあると思ったら、おおまちがい。
そういうお金は、「財投」という形で、道路建設や会館の建設などなどに、使われている。
が、どこも赤字、赤字の大合唱。
わかりやすく言えば、あなたが銀行(郵便局)へ貸した現金は、すでにその大半が消えている。
どこにもない。
だからもしここで、1人、2人が、10人、20人となり、さらに100人、200人となり、そういう人たちが「金返せ!」と叫んだとたん、日本という国は、破綻する。
まさに今がそのとき。
しかもそのときは、「ある日突然、やってくる」(白川日銀総裁)と。
だから今、私がここで、「自己防衛を始めよう」と叫べば、国家破綻に火をつけることになってしまう。
そんなことはしたくないが、むしろ私には、この「平静さ」こそが、不気味でならない。
「どうしてみな、こうまで平静でいられるのだろう」と。
そんな疑問の念だけを書くにとどめ、この話はここまで。
しかし一言。
預金、国債を現金化し、別の現物資産に交換するなら、今しかない。
余計なお節介かもしれないが……。(はやし浩司 2012-04-22)
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●結果主義
『終わりよければ、すべてよし』という格言がある。
しかし、本当にそうか。
そう考えてよいか。
冒頭に書いた話に戻る。
Rさん(高校女子)は、こう言った。
「大学へ入って、高校で使う教科書より簡単な教科書で勉強するのは、無駄」と。
一見、合理的な意見に見える。
しかしその実、その裏に見え隠れするのは、結果主義。
●無駄
以前、こんなことを言う母親がいた。
自分の息子が高校受験に失敗したときのこと。
「今までの苦労が、すべて無駄になりました」と。
が、本当にそうか。
そう考えてよいのか。
その高校に入ることは、たしかにできなかった。
しかしそれまでに学んだことが、消えたわけではない。
それにその失敗を乗り越え、つぎの成功に結びつけるということはできる。
人生に終わりはない。
始まりもない。
絶えずその瞬間に終わり、また始まる。
●重要なのはプロセス
結果主義のこわいところは、ここにある。
『終わりよければ、すべてよし』というのは、結果主義。
しかしそれを裏から読むと、『終わり悪ければ、すべて悪し』となる。
どこかの仏教系教団の信者が、そう言っていた。
「林さん(=私)、あのキリストは、最期は磔(はりつけ)で死んだのですよ。
キリスト教がまちがっているという、最大の証拠です」と。
が、この意見に納得する人は、少ない。
何も結果だけが、人生ではない。
重要なのは、プロセス。
過程。
最後にどうなったかではなく、それまでどう生きたかということ。
もしそんなことを肯定したら、あなた自身が、自分の人生を否定しなければならなくなる。
私もそうだが、たいしたこともできず、そこそこの人生で終わるはず。
が、それでもまだよいほう。
多くは、挫折と失望を繰り返し、名もなく、財産もなく、この先、孤独死、無縁死を迎える。
推計によると、2050年ごろには、約60%の人がそうなるという。
つまり60%の人が、無縁死、孤独死を迎えるという。
それを「失敗」と呼んでよいのか。
同時に、「私の人生は無駄だった」と結論づけてよいのか。
結果主義者たちは、「無駄」と結論づけるだろう。
が、これは正しくない。
●孤独死、結構
私たちは今、懸命に生きている。
自分と闘っている。
生きる意味や価値は、そこにある。
それ以外には、ない。
あえて言えば、結果など、気にするほうが、おかしい。
はっきり言えば、どうでもよい。
私自身も、孤独死、無縁死を迎えるだろう。
少し前までは、そうであってはいけないと思っていた。
が、今は、その希望(?)も消えた。
反対に、「それもいいではないか」と考えるようになった。
どうせ人は、独りで生まれ、独りで死ぬ。
どうせ人は、裸で生まれ、裸で死ぬ。
「無」から生まれ、「無」に帰る。
(「帰る」ではなく、「還る」でもよい。)
そのかわり、今というときを、燃焼させる。
燃焼させて生きる。
大切なのは、「死」というそのときがどんなものであれ、そのときまでに、自分を完全に燃焼させること。
その充実感さえあれば、たとえ砂漠でのたれ死んでも、「無駄だった」ということにはならない。
さあ、名もなく、名誉もなく、地位もなく、財産もなく、それでいて懸命に生きてきた仲間たちよ、勇気を出して、前に向かって生きて行こう。
世間の馬鹿どもに、「無駄だった」と批評されても、気にすることはない。
私たちは、私たち。
繰り返す。
人生には、終わりもなければ、始まりもない。
大学生になってから、中学の教科書を使って勉強しても、遅すぎるということはない。
老人組になってから、中学の教科書を使って勉強しても、遅すぎるということはない。
……ということで、ここで明確に結論をくだしておく。
結果主義は、まちがっている!
●今日も終わった
……そう言えば、数日前、車を運転しているとき、ワイフがこう言った。
「アッ、ツバメ!」と。
が、私は見なかった。
今朝、そのツバメが我が家の庭先にもやってきた。
小雨降る中、360度の急回転をしながら、小さな虫を追いかけていた。
「まだ寒いのに……」と、私は思った。
私は鳥が大好き。
30歳くらいまで、それもあって、鶏肉(とりにく)が食べることができなかった。
が、今では、庭全体が、野鳥公園のようになっている。
1日中、いろいろな鳥が庭へやってきて、あちこちで遊び回っている。
私には、それが楽しい。
では、おやすみなさい!
2012/04/22
(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 結果主義 プロセス 過程論 はやし浩司)
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
2012年4月22日日曜日
John Carter
●映画『ジョン・カーター』
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
昨日、ワイフと映画『ジョン・カーター』を見てきた。
3D版。
少し前、3D版の『スター・ウォーズ』を見ていたときのこと。
途中で目が痛くなった。
そのとき3D版の映画は、もう見ないと心に誓った。
が、時間的によいのがなくて、結局は、3D版。
3D版の『ジョン・カーター』。
目薬持参の映画鑑賞。
(老人組は、3D版映画は、避けたほうがよい。)
映画そのものは、『スター・ウォーズ』をしのぐ、超大作。
コロシウムの格闘シーンだけでも、『BEN・HUR』並の迫力があった。
が、内容が陳腐(ちんぷ)。
「あの手の映画は、見飽きた」……と書きたいが、どっこい!
私には、ちがった。
原作は、エドガー・バローズの『火星のプリンセス』(1917)。
SF冒険小説。
私は学生時代、SF小説を読みあさった。
当時は「火星モノ」が主流で、そのひとつが、「火星のプリンセス」。
今で言う『ハリー・ポッター』のようなものだった。
その『火星のプリンス』を映画化したのが、今回の『ジョン・カーター』。
が、当時の、つまり私が小説を読んでいた当時の印象とは、かなりちがった。
原作の『火星のプリセンス』に出てきたプリンセス(王女)は、もっと女性的?
ナィーブで、可憐なプリンセスだった。
一方、映画『ジョン・カーター』の中に出てくるプリンセスは、どこかアマゾネス風?
そういった違和感は、随所で覚えた。
ただ、小説の挿絵を彷彿(ほうふつ)させるシーンも、そのまま出てきた。
板のような岩盤に立つジョン・カーター、岩でできた尖塔など。
(先ほど、書庫を探してみた。
ひょっとしたら……と思いながら、さがしてみた。)
が、あの当時に読んだ『火星のプリンセス』は、もうなかった。)
興味深かったのは、あのバイクのような乗り物。
あれなどは、パレンケの石棺に描いてある宇宙船、そっくり。
それを見て、私は思わず、自分の膝(ひざ)を叩いてしまった。

ほかにも火星で発見されている、オーパーツなど。
あちこちにそれを思い起こさせるような建造物が出てきた。
また飛行機にしても、どこかスカイ・フィッシュ風。
私のようなSFファンには、まさに必見の映画。
……ということで、映画としては、星2つの★★。
私のような古典的SFファンには、星4つの★★★★。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●4月22日(2012)日曜日
今朝は小雨。
予定は、夕方まで、なし。
(7時から、高校生を教える。)
朝食前、ウォーキングマシンの上で、運動。
30分、した。
ほどよい汗をかいたところで、朝食。
パンとスープ、それにサラダだけ。
それを食べながら、北朝鮮についての、昨日のニュースを思い出す。
何でも北朝鮮では、現在、餓死者が続出しているという。
(餓死者だぞ!)
黄海南道だけでも、約2万人(中日新聞・2012年4月21日)という※。
3・11大震災の死者、行方不明者に匹敵する人数である。
が、当の独裁者は、ミサイルを打ち上げたり、核実験の準備をしたりしている。
ここまで来ると、「あきれる」を通り越し、「哀れさ」さえ覚えてしまう。
北朝鮮は今まさに、内部から崩壊し始めている。
……2万人の餓死者ということは、その10倍の人たちが、現在、生死の境をさまよっていると考えてよい。
さらにその100倍の人たちが、飢えで苦しんでいるとみてよい。
さらに言えば、こうした飢餓は、つぎの世代にまで深刻な影響を与える。
人心の荒廃ともなれば、さらに深刻。
法と秩序は崩壊し、モラルも崩壊する。
表には出てこないが、その陰では、暴行、略奪、さらには殺人も頻発しているにちがいない。
北朝鮮では、人肉売買も日常化しているという(脱北者談)。
そこは、まさに地獄。
この世の地獄。
「2万人」という数字は、それを意味する。
北朝鮮の独裁者たちよ、少しは自分に恥じろ!
「パンとスープとサラダだけ」とは言うが、こうして朝食を無事食べられることに感謝する。
Good Morning!
(注※……中日新聞の記事より)
『北朝鮮南西部・黄海南道(ファンヘナムド)で、金正日(キムジョンイル)総書記が死去した昨年12月から4月まで、大勢の餓死者が出ていたことが分かった。
総書記死去にともなう100日間の哀悼期間中、経済活動が中断したことなどが大きな原因とされる。
死者数は2万人に上るとの情報があり、新指導者の金正恩(キムジョンウン)第1書記は報告を受け、軍用備蓄米の配布を指示したという。
北朝鮮関係者が明らかにした』(以上、中日新聞)と。
●日本よ、ワナにはまるな!
今の北朝鮮は、たいへん危険。
殺気立っている。
何かささいなきっかけでもあれば、それを口実に、外に向かって戦争をしかけてくる。
とくにこの日本があぶない。
日本、および日本政府は、箝口令(かんこうれい)を敷いてでもよいから、言動に注意したらよい。
「北朝鮮」という名前を出すことすら、禁止。
ここはただひたすら、音無(おとな)しの構え。
穴にこもり、静かア~にしている。
相手は、まともな国ではない。
まともな論理の通ずる国ではない。
加えて、今は、時期が悪い。
弱り目にたたり目。
ほんの小さな一刺しが、爆発につながる。
今、ここで動けば、それこそ北朝鮮の思うつぼ。
そのままワナにはまってしまう。
●人心の荒廃
人心の荒廃……ときどきテレビに、脱北者という人たちが紹介される。
脱北し、現在は、韓国や日本に住んでいる人たちをいう。
そういう人たちが、北朝鮮の現状について語る。
昨日も、どこかの報道番組の中で、そういう人が出てきた。
が、私はその内容よりも、そうした人たちがもつ、(雰囲気)に興味が引かれる。
というのも、どの人たちも、独特の雰囲気をもっている。
ほかの国の人たちにはない、独特の雰囲気をもっている。
どこがどうということは、ここには書けない。
書けないが、優雅さとは、正反対の雰囲気。
知性的、理性的とは、とても言えない。
文化的とは、さらに言えない。
人間と言うよりは、悪い意味で、人間離れしている。
まさに地獄を経験した人たち。
が、そうした雰囲気は、何も脱北者の人たちだけのものではない。
「高官」と呼ばれる人たちにしても、明らかに、私たち日本人がもっている雰囲気とはちがう。
威張っているというよりは、太々しい。
不遜(ふそん)。
謙虚さや、やさしさ、それに穏やかさが、どこにも感じられない。
顔の皮が二重、三重にもなっていて、心と表情が完全に遊離している。
北朝鮮がどうであれ、日本人の私たちは、この先、そういう人たちともつきあっていかねばならない。
が、仮に戦争ともなれば、……?
それを思うと、気が重くなる。
だからここはひたすら、音無しの構え。
日本よ、日本政府よ、ぜったいに相手にしてはいけない。
●謀略
心配なのは、アメリカ。
「核実験の兆候が見られたら、局地攻撃も辞さない」という意見も出てきた。
しかしそれこそ、北朝鮮の思うつぼ。
それを口実に、つまりその報復攻撃として、北朝鮮は、ソウルの地下に隠しもっている核爆弾を爆発させるはず。
世間では、あの地下道は、韓国側に工作兵を送り込むためのものと説明している。
そういう目的でも使うだろうが、実際には、核兵器の輸送道路。
それはすでに完成している。
地下道の使い道は、ひとつだけではない。
また謀略というのは、そういうもの。
相手に見抜かれていたら、謀略にならない。
謀略国家は、さらにその先の謀略を練る。
つまり私が北朝鮮の軍部なら、そうする。
何も、ミサイルだけが、核兵器の運搬手段ではない。
空がだめなら、地下がある。
この日本に対しても、そうだ。
空がだめなら、海がある。
漁船に積んできて、東京湾で爆発させれば、よい。
言い換えるとそのあたりまで警戒して、はじめて警戒。
今、ここでアメリカが局地攻撃をしかければ、その戦禍は、確実にこの日本にも及ぶ。
それをきっかけに、第二次朝鮮動乱が始まる。
戦争そのものは、短期間で終わるだろう。
が、日本経済はそのとき、息の根を断たれる。
●IMF(国際通貨基金)への拠出金
日本政府は、IMFに、600億ドルの拠出金を決めた。
報道によれば、(1)円高対策になる、(2)将来の保険金的色彩が濃いなどとある。
しかしそれにしても、600億ドルとは!
ちなみに、アメリカはゼロ。
国別に今回の拠出国を並べてみる。
日本……600億ドル
イギリス……150億ドル
韓国……150億ドル
オーストラリア……70億ドル
シンガポール……40億ドル
アメリカは財政難を理由に、ゼロ。
ブラジルは、「自国の地位向上が見られない」という理由で、ゼロ。
あのね、IMFというのは、もともとは、ヨーロッパの、ヨーロッパのための機関。
そのことはIMFの理事国メンバーを見ればわかるはず。
日本は、「自国の地位向上」をめざし、600億ドルを拠出した?
が、今の日本に、そんな余裕、どこにある?
600億ドルということは、約5兆円。
日本人1人当たり、5万円(成人人口約1億人として計算)。
もしあなたの家に、町内会の班長が回ってきて、こう言ったとする。
「今度、EUを救済することになりました。
ついては、あなたの家は3人家族ですから、15万円出してください」と。
あなたは何も言わず、「はい」と言って、15万円、差し出すだろうか。
それとも、しぶるだろうか。
が、私なら、はっきりと断る。
ちなみに、IMFの歴代(専務)理事(=理事長、理事国)は、つぎのようになっている。
べルギー(1946)
スウェーデン(1951)
スウェーデン(1956)
フランス(1963)
オランダ(1973)
フランス(1978)
フランス(1987)
ドイツ(2000)
アメリカ(2011)(2か月で退官)
フランス(2011)
これを見てもわかるように、IMFは、国際機関とは、とても言い難い。
さらにウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
日本人としては、たいへん気になる。
『……日本の場合、大口出資国である等の立場から財務官僚が多く出向しており、融資が行われていないにもかかわらず「消費税を上げるべきだ」等のIMFの討議内容の報道がなされる。
これは、IMFの正式発表ではなく、財務官僚が出向者を使いさも、まるで、IMFが全体がその様に述べているかのように見せ、自分たちの都合の良いようにマスコミを通じ国内世論を操作する道具にしている』(以上、ウィキペディア百科事典)と。
そういうIMFに、600億ドル!
財務官僚のメンツを立てるために、600億ドル!
アメリカはもっと、クールだぞ。
ユーロが崩壊すれば、アメリカ・ドルの独壇場。
ユーロは、もとは言えば、アメリカのドルに対抗して生まれたもの。
ユーロの台頭とともに、アメリカのドルは弱体化した。
ついでに日本の円も、脇に追いやられた。
どうして今、そのユーロを助けなければならないのか。
アメリカ人なら、みな、そう考える。
今の日本人に欠けるのは、大局に立った戦略的視野。
それに野生臭。
ドロ臭さ。
結局は、最後にババを引くのは、この日本。
日本人の私たち。
●X社の課長
数日前、X社に席を置く課長氏と話をした。
X社といえば、日本を代表する楽器メーカーである。
その課長氏を、M氏としておく。
そのM氏が、こんな話をしてくれた。
近く、国際的な音楽会を、この浜松市で開くことになったという。
その準備に明け暮れているというが、そのマニュアル作りが、「たいへん!」と。
「今の若い社員はね、行動すべてにマニュアルを作ってやらないと動かないのです」と。
たとえば賓客が浜松駅に着いたとする。
そのときどこでどう迎えるか。
どのようにあいさつをするか。
何人で迎えるか。
どのように自己紹介するか。
どのように車まで案内するか。
車には、どのように乗るか。
どんな話をするか。
どこでどう車からおろすか。
別の班が、どこでどのように迎えるか、などなど。
実は、同じような現象が、中学校でも起きている。
このあたりの中学生の多くは、今、こう考えている。
「進学校へ行くと、勉強で苦労させられるから、行きたくない」と。
ある中学校の校長は、こう話してくれた。
「約60%の子どもは、そうでしょうね」と。
つまり余計なことはしたくない、と。
こういった根性を、私たちは「役人根性」と呼んでいる。
余計なことはしない。
言われたことだけをする。
それが何と、X社という民間会社にも、及んでいるというのだ。
「しかしね、林さん(=私)、会社が悪いというのではないですよ。
出る杭(くい)は叩かれるというでしょ。
へたにがんばるとね、すぐ横ヤリが入るのです。
君だけ、がんばると、ぼくらの立場がなくなる、とね。
だからマニュアルも、そこまでしっかりと作る必要があるのです」と。
似たような話だが、教育の世界にも、万延している。
以前書いた原稿を探してみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●横並び教育
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●教育力
子どもの学力が低下したというよりは、学校のもつ教育力が低下した。
そう考える方が、正しい。
「やるべきことはやります。しかしそれ以上のことはやりません」と。
が、教師を責めてはいけない。
教師自身が、規則、制約で、体中が、がんじがらめに縛られている。
身動きが取れない。
もう40年前の話。
こんなことがあった。
ある小学校(東京都)で、OHP(大型の投影機械)教育を始めた教師がいた。
私の友人の弟氏だった。
小学4年生の教室で、それを使った。
地図を何枚か重ねていくというものだった。
最初は道→川や橋→家→……、と。
当時としては、画期的な教育法だった。
弟氏は、本まで書いた。
が、それに「待った」をかけたのが、ほかならぬその学校の校長だった。
いわく「ひとつのクラスだけが、飛びぬけた教育をするのは、不公平になる」と。
ほかの教室の親たちが騒いだこともある。
「どうしてうちの子どもの教室では、してもらえないのか!」と。
以後、その弟氏は、OHPを使った指導をあきらめてしまった。
ここに書いた友人というのは、当時、主婦と生活社で編集長をしていた、井上清氏である。
この話が事実であることを保証するため、あえて井上清氏の名前をあげさせてもらった。
……今、学校教育に求められているのは、「自由」と「責任」。
この2つが両立しないかぎり、これからも子どもの学力低下は、つづく。
●今日も始まった!
ともあれ、今日も始まった。
すでに時刻は午前11時。
私1人くらいが騒いでも、この世の中、どうにもならない。
またそんな野望(?)など、もうどこにもない。
どうせ負け犬の遠吠え。
自分でも、それがよくわかっている。
が、「吠える業」というのも、あってもよいのではないか。
……とまあ、自分をなぐさめつつ、活動、開始!
がんばろう!
がんばります!
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 IMF はやし浩司 OHP はやし浩司 火星のプリンセス)2012/04/22
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
昨日、ワイフと映画『ジョン・カーター』を見てきた。
3D版。
少し前、3D版の『スター・ウォーズ』を見ていたときのこと。
途中で目が痛くなった。
そのとき3D版の映画は、もう見ないと心に誓った。
が、時間的によいのがなくて、結局は、3D版。
3D版の『ジョン・カーター』。
目薬持参の映画鑑賞。
(老人組は、3D版映画は、避けたほうがよい。)
映画そのものは、『スター・ウォーズ』をしのぐ、超大作。
コロシウムの格闘シーンだけでも、『BEN・HUR』並の迫力があった。
が、内容が陳腐(ちんぷ)。
「あの手の映画は、見飽きた」……と書きたいが、どっこい!
私には、ちがった。
原作は、エドガー・バローズの『火星のプリンセス』(1917)。
SF冒険小説。
私は学生時代、SF小説を読みあさった。
当時は「火星モノ」が主流で、そのひとつが、「火星のプリンセス」。
今で言う『ハリー・ポッター』のようなものだった。
その『火星のプリンス』を映画化したのが、今回の『ジョン・カーター』。
が、当時の、つまり私が小説を読んでいた当時の印象とは、かなりちがった。
原作の『火星のプリセンス』に出てきたプリンセス(王女)は、もっと女性的?
ナィーブで、可憐なプリンセスだった。
一方、映画『ジョン・カーター』の中に出てくるプリンセスは、どこかアマゾネス風?
そういった違和感は、随所で覚えた。
ただ、小説の挿絵を彷彿(ほうふつ)させるシーンも、そのまま出てきた。
板のような岩盤に立つジョン・カーター、岩でできた尖塔など。
(先ほど、書庫を探してみた。
ひょっとしたら……と思いながら、さがしてみた。)
が、あの当時に読んだ『火星のプリンセス』は、もうなかった。)
興味深かったのは、あのバイクのような乗り物。
あれなどは、パレンケの石棺に描いてある宇宙船、そっくり。
それを見て、私は思わず、自分の膝(ひざ)を叩いてしまった。
ほかにも火星で発見されている、オーパーツなど。
あちこちにそれを思い起こさせるような建造物が出てきた。
また飛行機にしても、どこかスカイ・フィッシュ風。
私のようなSFファンには、まさに必見の映画。
……ということで、映画としては、星2つの★★。
私のような古典的SFファンには、星4つの★★★★。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●4月22日(2012)日曜日
今朝は小雨。
予定は、夕方まで、なし。
(7時から、高校生を教える。)
朝食前、ウォーキングマシンの上で、運動。
30分、した。
ほどよい汗をかいたところで、朝食。
パンとスープ、それにサラダだけ。
それを食べながら、北朝鮮についての、昨日のニュースを思い出す。
何でも北朝鮮では、現在、餓死者が続出しているという。
(餓死者だぞ!)
黄海南道だけでも、約2万人(中日新聞・2012年4月21日)という※。
3・11大震災の死者、行方不明者に匹敵する人数である。
が、当の独裁者は、ミサイルを打ち上げたり、核実験の準備をしたりしている。
ここまで来ると、「あきれる」を通り越し、「哀れさ」さえ覚えてしまう。
北朝鮮は今まさに、内部から崩壊し始めている。
……2万人の餓死者ということは、その10倍の人たちが、現在、生死の境をさまよっていると考えてよい。
さらにその100倍の人たちが、飢えで苦しんでいるとみてよい。
さらに言えば、こうした飢餓は、つぎの世代にまで深刻な影響を与える。
人心の荒廃ともなれば、さらに深刻。
法と秩序は崩壊し、モラルも崩壊する。
表には出てこないが、その陰では、暴行、略奪、さらには殺人も頻発しているにちがいない。
北朝鮮では、人肉売買も日常化しているという(脱北者談)。
そこは、まさに地獄。
この世の地獄。
「2万人」という数字は、それを意味する。
北朝鮮の独裁者たちよ、少しは自分に恥じろ!
「パンとスープとサラダだけ」とは言うが、こうして朝食を無事食べられることに感謝する。
Good Morning!
(注※……中日新聞の記事より)
『北朝鮮南西部・黄海南道(ファンヘナムド)で、金正日(キムジョンイル)総書記が死去した昨年12月から4月まで、大勢の餓死者が出ていたことが分かった。
総書記死去にともなう100日間の哀悼期間中、経済活動が中断したことなどが大きな原因とされる。
死者数は2万人に上るとの情報があり、新指導者の金正恩(キムジョンウン)第1書記は報告を受け、軍用備蓄米の配布を指示したという。
北朝鮮関係者が明らかにした』(以上、中日新聞)と。
●日本よ、ワナにはまるな!
今の北朝鮮は、たいへん危険。
殺気立っている。
何かささいなきっかけでもあれば、それを口実に、外に向かって戦争をしかけてくる。
とくにこの日本があぶない。
日本、および日本政府は、箝口令(かんこうれい)を敷いてでもよいから、言動に注意したらよい。
「北朝鮮」という名前を出すことすら、禁止。
ここはただひたすら、音無(おとな)しの構え。
穴にこもり、静かア~にしている。
相手は、まともな国ではない。
まともな論理の通ずる国ではない。
加えて、今は、時期が悪い。
弱り目にたたり目。
ほんの小さな一刺しが、爆発につながる。
今、ここで動けば、それこそ北朝鮮の思うつぼ。
そのままワナにはまってしまう。
●人心の荒廃
人心の荒廃……ときどきテレビに、脱北者という人たちが紹介される。
脱北し、現在は、韓国や日本に住んでいる人たちをいう。
そういう人たちが、北朝鮮の現状について語る。
昨日も、どこかの報道番組の中で、そういう人が出てきた。
が、私はその内容よりも、そうした人たちがもつ、(雰囲気)に興味が引かれる。
というのも、どの人たちも、独特の雰囲気をもっている。
ほかの国の人たちにはない、独特の雰囲気をもっている。
どこがどうということは、ここには書けない。
書けないが、優雅さとは、正反対の雰囲気。
知性的、理性的とは、とても言えない。
文化的とは、さらに言えない。
人間と言うよりは、悪い意味で、人間離れしている。
まさに地獄を経験した人たち。
が、そうした雰囲気は、何も脱北者の人たちだけのものではない。
「高官」と呼ばれる人たちにしても、明らかに、私たち日本人がもっている雰囲気とはちがう。
威張っているというよりは、太々しい。
不遜(ふそん)。
謙虚さや、やさしさ、それに穏やかさが、どこにも感じられない。
顔の皮が二重、三重にもなっていて、心と表情が完全に遊離している。
北朝鮮がどうであれ、日本人の私たちは、この先、そういう人たちともつきあっていかねばならない。
が、仮に戦争ともなれば、……?
それを思うと、気が重くなる。
だからここはひたすら、音無しの構え。
日本よ、日本政府よ、ぜったいに相手にしてはいけない。
●謀略
心配なのは、アメリカ。
「核実験の兆候が見られたら、局地攻撃も辞さない」という意見も出てきた。
しかしそれこそ、北朝鮮の思うつぼ。
それを口実に、つまりその報復攻撃として、北朝鮮は、ソウルの地下に隠しもっている核爆弾を爆発させるはず。
世間では、あの地下道は、韓国側に工作兵を送り込むためのものと説明している。
そういう目的でも使うだろうが、実際には、核兵器の輸送道路。
それはすでに完成している。
地下道の使い道は、ひとつだけではない。
また謀略というのは、そういうもの。
相手に見抜かれていたら、謀略にならない。
謀略国家は、さらにその先の謀略を練る。
つまり私が北朝鮮の軍部なら、そうする。
何も、ミサイルだけが、核兵器の運搬手段ではない。
空がだめなら、地下がある。
この日本に対しても、そうだ。
空がだめなら、海がある。
漁船に積んできて、東京湾で爆発させれば、よい。
言い換えるとそのあたりまで警戒して、はじめて警戒。
今、ここでアメリカが局地攻撃をしかければ、その戦禍は、確実にこの日本にも及ぶ。
それをきっかけに、第二次朝鮮動乱が始まる。
戦争そのものは、短期間で終わるだろう。
が、日本経済はそのとき、息の根を断たれる。
●IMF(国際通貨基金)への拠出金
日本政府は、IMFに、600億ドルの拠出金を決めた。
報道によれば、(1)円高対策になる、(2)将来の保険金的色彩が濃いなどとある。
しかしそれにしても、600億ドルとは!
ちなみに、アメリカはゼロ。
国別に今回の拠出国を並べてみる。
日本……600億ドル
イギリス……150億ドル
韓国……150億ドル
オーストラリア……70億ドル
シンガポール……40億ドル
アメリカは財政難を理由に、ゼロ。
ブラジルは、「自国の地位向上が見られない」という理由で、ゼロ。
あのね、IMFというのは、もともとは、ヨーロッパの、ヨーロッパのための機関。
そのことはIMFの理事国メンバーを見ればわかるはず。
日本は、「自国の地位向上」をめざし、600億ドルを拠出した?
が、今の日本に、そんな余裕、どこにある?
600億ドルということは、約5兆円。
日本人1人当たり、5万円(成人人口約1億人として計算)。
もしあなたの家に、町内会の班長が回ってきて、こう言ったとする。
「今度、EUを救済することになりました。
ついては、あなたの家は3人家族ですから、15万円出してください」と。
あなたは何も言わず、「はい」と言って、15万円、差し出すだろうか。
それとも、しぶるだろうか。
が、私なら、はっきりと断る。
ちなみに、IMFの歴代(専務)理事(=理事長、理事国)は、つぎのようになっている。
べルギー(1946)
スウェーデン(1951)
スウェーデン(1956)
フランス(1963)
オランダ(1973)
フランス(1978)
フランス(1987)
ドイツ(2000)
アメリカ(2011)(2か月で退官)
フランス(2011)
これを見てもわかるように、IMFは、国際機関とは、とても言い難い。
さらにウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
日本人としては、たいへん気になる。
『……日本の場合、大口出資国である等の立場から財務官僚が多く出向しており、融資が行われていないにもかかわらず「消費税を上げるべきだ」等のIMFの討議内容の報道がなされる。
これは、IMFの正式発表ではなく、財務官僚が出向者を使いさも、まるで、IMFが全体がその様に述べているかのように見せ、自分たちの都合の良いようにマスコミを通じ国内世論を操作する道具にしている』(以上、ウィキペディア百科事典)と。
そういうIMFに、600億ドル!
財務官僚のメンツを立てるために、600億ドル!
アメリカはもっと、クールだぞ。
ユーロが崩壊すれば、アメリカ・ドルの独壇場。
ユーロは、もとは言えば、アメリカのドルに対抗して生まれたもの。
ユーロの台頭とともに、アメリカのドルは弱体化した。
ついでに日本の円も、脇に追いやられた。
どうして今、そのユーロを助けなければならないのか。
アメリカ人なら、みな、そう考える。
今の日本人に欠けるのは、大局に立った戦略的視野。
それに野生臭。
ドロ臭さ。
結局は、最後にババを引くのは、この日本。
日本人の私たち。
●X社の課長
数日前、X社に席を置く課長氏と話をした。
X社といえば、日本を代表する楽器メーカーである。
その課長氏を、M氏としておく。
そのM氏が、こんな話をしてくれた。
近く、国際的な音楽会を、この浜松市で開くことになったという。
その準備に明け暮れているというが、そのマニュアル作りが、「たいへん!」と。
「今の若い社員はね、行動すべてにマニュアルを作ってやらないと動かないのです」と。
たとえば賓客が浜松駅に着いたとする。
そのときどこでどう迎えるか。
どのようにあいさつをするか。
何人で迎えるか。
どのように自己紹介するか。
どのように車まで案内するか。
車には、どのように乗るか。
どんな話をするか。
どこでどう車からおろすか。
別の班が、どこでどのように迎えるか、などなど。
実は、同じような現象が、中学校でも起きている。
このあたりの中学生の多くは、今、こう考えている。
「進学校へ行くと、勉強で苦労させられるから、行きたくない」と。
ある中学校の校長は、こう話してくれた。
「約60%の子どもは、そうでしょうね」と。
つまり余計なことはしたくない、と。
こういった根性を、私たちは「役人根性」と呼んでいる。
余計なことはしない。
言われたことだけをする。
それが何と、X社という民間会社にも、及んでいるというのだ。
「しかしね、林さん(=私)、会社が悪いというのではないですよ。
出る杭(くい)は叩かれるというでしょ。
へたにがんばるとね、すぐ横ヤリが入るのです。
君だけ、がんばると、ぼくらの立場がなくなる、とね。
だからマニュアルも、そこまでしっかりと作る必要があるのです」と。
似たような話だが、教育の世界にも、万延している。
以前書いた原稿を探してみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●横並び教育
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●教育力
子どもの学力が低下したというよりは、学校のもつ教育力が低下した。
そう考える方が、正しい。
「やるべきことはやります。しかしそれ以上のことはやりません」と。
が、教師を責めてはいけない。
教師自身が、規則、制約で、体中が、がんじがらめに縛られている。
身動きが取れない。
もう40年前の話。
こんなことがあった。
ある小学校(東京都)で、OHP(大型の投影機械)教育を始めた教師がいた。
私の友人の弟氏だった。
小学4年生の教室で、それを使った。
地図を何枚か重ねていくというものだった。
最初は道→川や橋→家→……、と。
当時としては、画期的な教育法だった。
弟氏は、本まで書いた。
が、それに「待った」をかけたのが、ほかならぬその学校の校長だった。
いわく「ひとつのクラスだけが、飛びぬけた教育をするのは、不公平になる」と。
ほかの教室の親たちが騒いだこともある。
「どうしてうちの子どもの教室では、してもらえないのか!」と。
以後、その弟氏は、OHPを使った指導をあきらめてしまった。
ここに書いた友人というのは、当時、主婦と生活社で編集長をしていた、井上清氏である。
この話が事実であることを保証するため、あえて井上清氏の名前をあげさせてもらった。
……今、学校教育に求められているのは、「自由」と「責任」。
この2つが両立しないかぎり、これからも子どもの学力低下は、つづく。
●今日も始まった!
ともあれ、今日も始まった。
すでに時刻は午前11時。
私1人くらいが騒いでも、この世の中、どうにもならない。
またそんな野望(?)など、もうどこにもない。
どうせ負け犬の遠吠え。
自分でも、それがよくわかっている。
が、「吠える業」というのも、あってもよいのではないか。
……とまあ、自分をなぐさめつつ、活動、開始!
がんばろう!
がんばります!
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 IMF はやし浩司 OHP はやし浩司 火星のプリンセス)2012/04/22
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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