【謎の旅】はやし浩司 2012-12-03
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
生きるのも自然体。
死ぬのも、これまた自然体。
長生きしたところで、それがどうだというのか。
早く死んだからといって、それがどうだというのか。
大切なのは、中身。
濃さ。
が、だからといって、長生きが無駄と書いているのではない。
長生きできれば、それでよい。
素直に、ありがとうと感謝すればよい。
そのために健康管理。
運動をつづける。
それはそれですばらしいこと。
が、どうであるにせよ、生きるのも、死ぬのも、私が決めることではない。
生や死は、「私」という意思の、その枠(わく)の外にある。
つまりこればかりは、なるようにしかならない。
どうにもならない。
が、結局は、死ぬ。
最終的には死ぬ。
あがいても、もがいても、無駄。
それよりも大切なことは、「今」を懸命に生きること。
「今」から、懸命に学ぶこと。
結果は、いつもあとから、ついてくる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
○エドフ
今日、エドフ(遺跡、エジプト)について調べた。
ワイフが買い物に行かないかと誘ってくれたが、断った。
寒かった。
そのかわり、私は、書斎にこもった。
このときとばかり、ビデオを1本、作った。
それが「人間は、奴隷だった」。
○5種類の人間
エドフ神殿の壁画には、5種類の人間が描かれている。
(1) 頭が大きく、体が細い、いかにも宇宙人ぽい、異星人。
(2) 頭の長い、長頭人間。
(3) 頭だけが鳥の、鳥頭人間。
(4) 頭が獣(けもの)の、獣人間。
(5) それに私たちに似た、ふつうの人間。
これらの人間には、序列がある。
最上位は、(1)の宇宙人ぽい、異星人。
最下位は、もちろん私たち、人間。
5種類の人間が一列に並んでいる絵がある。
その絵を見て、私はそう判断した。
※(5種類の人間)
○サル(猿)の王国
逆の立場で考えてみる。
つまり異星人の目で、人間や人間の社会ながめてみる。
すると、それまで見えなかったいろいろなものが、見えてくる。
たとえばそこにサルの王国があったとする。
異星人にすれば、この地球は、そんなふうに見えるにちがいない。
地球そのものが、サルの王国。
で、そんなサルの王国に、もし行けと言われたら、あなたならどうするだろうか。
あるいはそのサルの王国の大統領にするから、どうだと言われたら、あなたならどうするだろうか。
相手はサルだから、もちろんレベルは低い。
○バカ
「人間のレベルは低い」と言うと、ムッとする人も多いかと思う。
が、ちょっと待ってほしい。
たとえば幼児でも、バカにすると怒る。
理由は簡単。
自分で、自分がバカと気づいていない。
おとなも、またしかり。
自分で自分がバカとわかっている人はいない。
人は、より賢くなってはじめて、それまでの自分がバカだったとわかる。
幼児でもそうで、私がわざと計算をまちがえたりすると、こう言う。
「あんた、それでも先生?」と。
○バカ(2)
私たち人間全体についても、同じ。
つまり、人間は、自分たちがバカとは思っていない。
バカがバカと気づかないまま、相手に向かって「バカ」と呼んだりする。
サルの王国の中のサルたちにしても、そうだろう。
「人間といっても、俺たちと、そんなにちがわない」と。
事実、それほどちがわない。
人間といっても、サルよりバカなことをしている人間は、いくらでもいる。
○ピッピ
ところで今、こんな経験をしている。
この5月(2012年)に、ぼたんインコを買った。
今では、すっかり家族の一員。
名前を、ピッピという。
そのピッピ、頭がよい。
よいが、思考能力は、ほとんどない。
利口と賢いは、基本的な部分で、意味がちがう。
ここ数日、こんなことがあった。
○だます
昼間に、部屋で放すと、つかまえるのがたいへん。
あれこれ、だましてつかまえるが、2、3度、同じ方法を使うと、4度目がない。
で、1週間ほど前から、こんな方法を使っている。
まずピッピを書斎へ呼びこむ。
呼びこんで、しばらく遊ばせたあと、電気を消す。
雨戸を閉めておくと、一瞬、部屋は真っ暗になる。
そのときピッピをつかまえる。
が、数日前から、ピッピが先を読むようになった。
(1)まず書斎へ入ってこない。
(2)電気を消そうとすると、遠くへ逃げる。
(3)電気を消しても、わずかな光を頼りに、逃げ回る。
で、今日、その方法で、やっとのことで、ピッピをつかまえた。
午前中の、朝食前のことだった。
が、それからがたいへん。
つまりピッピは、私の手を「敵」と思うようになった。
手を見ると、猛烈な勢いでやってきて、手をかむ。
ぼたんインコは、鋭いクチバシをもっている。
ガクッとかまれると、指でも血が出る。
○敵
が、そこは、小鳥。
手は敵でも、それ以外の体は、味方。
顔や肩へやってきて、ときどき水や餌をせがむ。
何かを食べていると、口の中に頭をつっこんでくる。
が、そのとき手を近づけると、即、攻撃態勢。
ガクッとかまれる。
で、私はこう言う。
「あのなあ、お前、手とぼくは、つながっているのだよ」と。
が、ピッピにしてみれば、私の体と手は、別。
体は体。
手は手。
そういうピッピを見ながら、私は、こう思う。
人間によく似ているなあ、と。
つまりバカだなあ、と。
○酒船石
で、数日前、こんな発見をした。
奈良県の明日香村岡というところに、酒船石という岩がある。
その岩には、奇妙な模様が彫り込んである。
その模様には、2つの意味がある。
(1) 線は、それぞれの拠点への方向を示している。
(2) 全体が、北極上空から見た地図になっている。
で、数日前、もうひとつの発見をした。
酒船石にある模様の、それぞれの辺の長さを測ってみた。
この長さで、奈良盆地の拠点、たとえば比叡山、高野山、それに伊勢神宮の各距離を割ってみた。
すると、5か所のうち、4か所で、1・28という数字が出てきた。
(1か所だけ、1・29。)
つまり酒船石の1mm(印刷された紙上)は、実際の距離の1・28キロに相当することがわかった。
これには驚いた。
誤差が、ゼロ!
ほとんど、ゼロ!
が、同時にこう思った。
こんな話を、奈良県の教育委員会の人たちに話しても、信じないだろうな、と。
※(酒船石・追補)
○クロスポイント
ピッピは、自分の小さな世界しか知らない。
顔も手も、同じ肉体の一部ということがわからない。
一方、私の手法で、いくら数字を並べ、説明しても、信じない人は信じない。
たいていは「偶然」という言葉を使い、それで自分の頭を整理してしまう。
「はやしさん、それは偶然の一致だよ」と。
一方、私はこの方法で、すでに2か所の遺跡を発見した。
ひとつは、クロスポイント・NORTH・WEST。
もうひとつは、矢田寺の裏山にある、王石。
ともに、まったく無名。
それまでだれにも知られていなかった。
今も、知られていない。
※(王石)
方法は簡単。
謎の点と線をつないでいくと、やがてある地点に、集中的に線が集まるところが見つかる。
たいてい何本かの線が、東西南北の方向からつながる。
私は「クロスポイント(交差点)」と呼んでいる。
その交差点。
「何かがあるはず」と思いながら、調べていく。
こうして、それまでだれにも知られていなかった遺跡を、探し当てる。
○火山
ついでながら、その一方で、こんなこともある。
3か所の標識が、同時にある1点を指し示す。
が、そこには何もない。
何かあるときは、グーグルアースのばあい、写真が集中しているので、それとわかる。
その写真もない。
で、おかしいと思って調べると、まずまちがいなく、そこには火山がある。
※(南米の基地)
異星人たちは、どういうわけか、火山にこだわる。
……というような印象を、私はかなり当初にもった。
言うまでもなく、……というより、最近は、こう判断している。
「火山が、異星人の基地になっている」と。
日本で言えば、桜島、それに阿蘇山が、その火山になる。
○視野を広める
かなりSF的な発想になる。
が、太古の昔に、空を自由に飛ぶことができたのは、異星人しかいない。
またそういう視点をもたないと、世界の各地に残る遺跡の謎を解くことはできない。
たとえばあのイースター島。
先日もNHKで、イースター島の特集をしていた。
あのモアイ像にしても、人間が作り、人間が運んだ、と。
が、その制作者にしても、イースター島が、ほぼ正確な直角二等辺三角形になっていることには、気がついていない。
さらにその形は、ギザのピラミッドを、45度、斜めの角度から見たのと一致していることには、気がついていない。
これら2つの事実は、私が発見した。
さらに、たとえば先に書いた、クロスポイント・NORTH・WESTには、何本かの直線が残っている。
それらの直線は、私が描いた直線と一致する。
それだけではない。
別の1本は、寸部の狂いなく、釈迦の生誕地のルンビニを指している。
※(正しさの証明)
○理性の力
人間も、自分の世界だけで、ものを考える。
それだけではない。
「自分たちこそ、最高の生き物」と考えている。
が、それはどうか?
人間がもつ最大の欠陥。
言うまでもなく、人間は、欲望の動物。
生存欲(性欲も当然、含まれる)が、それ。
だからこそ、人間は長い時代を生き延びることができたということにもなる。
他者を蹴落としてでも、自分だけは生き延びる。
そうした力は、進化の過程で、自然に身につけた。
が、それが欠陥となる。
が、生存欲そのものが、欠陥というわけではない。
もう一歩、つっこんで考えれば、こうなる。
そういう欲望を、人間は、うまくコントロールできない。
もっと言えば、本来、それをコントロールするはずの「理性の力」が弱い。
人間がもつ欠陥は、この1点に集約される。
○釈迦イコール、異星人
そこで釈迦は、「精進(しょうじん)」という言葉を使った。
わかりやすく言えば、「常に努力し、理性の力を磨け」と。
釈迦イコール、異星人の教えと考えてよい。
ルンビニを指し示す遺跡は、クロスポイント・NORTH・WESTだけではない。
ほかにも2か所、ある。
敦煌から、60度の角のところにルンビニがある。
もう1か所が、フィルザバード。
※(フィルザバード)
なおついでながら、申し添える。
こういうことを書くと、「ただの偶然」とか、「どんな直線でも重なる」とか言う人がいる。
オーストラリアの友人も、そう言った。
が、直線は、点とはちがう。
2本の直線が、数百キロ、数千キロを経て重なるという確率は、ほとんどゼロに等しい。
また重なる直線にしても、ほんの数100分の1度でもちがうと、その先で、ズレてくる。
それを疑うなら、テオティワカン(Teotihuacan)と、エドフ(Edfu)から、ナスカ平原に向かって、2本の直線を引いてみるとよい。
2本の直線は、寸部の狂いもなく、あの大十字架(グランドクロス)と重なる。
が、あれだけ無数の直線があるにもかかわらず、ほかの直線とは、重ならない。
話が脱線したが、釈迦は、人間が根源的にもつ欠陥を、強く戒(いまし)めている。
○生存競争
話を戻す。
ピッピにしても、インコ。
人間と同じように、長い年月、生存競争を勝ち抜いてきた。
だからこそ、今でも、「存在」している。
生存欲が弱ければ、とっくの昔に絶滅している。
この地球は、まさに弱肉強食の世界。
人間とて、例外ではない。
欲望のかたまり。
インコにも知恵があるとするなら、それは欲望を満たすためのもの。
私の手を敵と思うのも、そのひとつ。
ピッピは、自分の自由を奪う私の手を、敵と考えている。
だから私が手を近づけると、即、攻撃態勢に移る。
そこで私は考える。
ピッピは、利口だが、賢くはない、と。
ほんの少しでも、本能をコントロールする力があったら、別の行動を取るはず。
その力こそが、「賢さ」の源泉ということになる。
……私の様子を見て、おとなしくカゴに戻る。
つぎに出してもらうことを考え、人間の指示に従う。
あるいは、あちこちで、あたりかまわず糞をするのを、やめる……。
もっと言えば、自分が部屋の中を飛び回ることで、どれだけ人間に迷惑をかけているか、それを知る。
……どれも、インコには、理解しがたいもの。
インコが、それがわかるほどまで賢くなることは、ない。
死ぬまで、賢くならない。
が、それは同時に、私たち人間の姿でもある。
人間は、利口になった。
しかし同じだけ、賢くなったかというと、それはない。
宇宙的視点で見れば、インコも人間も、同じ。
どこもちがわない。
○老化
方法としては、考えること。
精進とは、つまり、思考力の鍛練にほかならない。
考えて、考えて、考え抜く。
が、その一方で、私は思考力の低下を強く感ずる。
体力の低下と似ている。
何をしても、ミスが多くなった。
今、こうして書いている文章にしてもそうだ。
たった3~4か月、遠ざかっただけで、文章をまとめる力が鈍った。
自分でも、それがよくわかる。
それまでの私は、毎日、5~8時間、パソコンに向かって文章を叩いていた。
が、この3~4か月、私はビデオづくりに専念した。
こんなミスが多い。
たとえば角度を測る。
「137度」という角度が出てくる。
そのときメモに、「173度」と書いてしまう。
○ビデオ
こう書くと驚く人もいるかもしれない。
しかし5分前後の短いビデオを作るのにも、3~4時間はかかる。
そのつど調べなおしたり、書きなおしたりしていると、そうなる。
加えて、レンダリング(画像変換)、アプロード。
たいてい、徹夜。
はじめのころは、毎晩、夜中の3~4時まで、作業を繰り返した。
何しろ私にとっては、ビデオ作りは、未経験の分野。
角度にしても、画面上で、分度器を使って調べていた。
○正体
つまりこの先、私の思考効力は、不可逆的に退化する。
わかりやすく言えば、悪くなる一方。
だから今は、こう考える。
「本当に大切なこと、必要なことだけを書こう」と。
無駄にできる時間は、1秒もない。
毎日の運動にしても、必要だからしている。
が、いつも運動をしながら、同時にこう思う。
「時間がもったいない」と。
と書くと、「では、ビデオはどうなのか?」と聞かれるかもしれない。
しかしそれには大きな目的がある。
ひとつは、あの夜、私とワイフが見たUFOの正体を知りたい。
しかし本当の目的は、神や仏の正体を知りたい。
それがわかれば、人間の正体もわかる。
さらに私の正体もわかる。
○道楽?
バカな謎解き道楽に思う人もいるかもしれない。
一見すると、そう見えるだろう。
それが自分でも、よくわかっている。
が、中身は、もっと深刻。
……というより、シリアス(serious)。
真剣。
昨日もワイフとこんな話をした。
「現在、No.113だけど、No.500くらいになったら、それがわかるかも」と。
だから今は、片っ端から調べている。
無駄とは思っていない。
たとえば今回も、酒船石について調べた。
そのとき役に立ったのは、あの「三叉の大燭台」。
○三叉の大燭台(さんさのだいしょくだい)
※(三叉の大燭台)
あの三叉の大燭台で、点と線の求め方を学んだ。
酒船石も、同じ手法で、点と線を決めている。
が、もしその知識がなかったら、点を決めることもできず、今でも右往左往しているはず。
さらに今回、酒船石の図形と、奈良盆地の図形が一致した。
けっしてあらかじめ、予定していたわけではない。
ふと気がつくと、奈良盆地に、同じ図形があった。
角度も、28・5度と、27・0度と、一致した。
長さについては、誤差ゼロで一致したが、それについては、先に書いたとおり。
※(酒船石・補足版)
だから無駄ということはない。
今まで、何100人、何1000人という学者が懸命になって解き明かそうとした謎が、つぎつぎと解けていく。
そういった学者には申し訳ないが、その爽快感が、たまらない。
楽しい。
ただこうも思う。
「私が生きている間は、だれにも理解されないだろうな」と。
○終わりに
が、鈍った力は、取り戻すしかない。
こうして文章を、叩きだすしかない。
ということで、今夜は、ビデオづくりは、小休止。
こうして今日の日記を書いた。
さて、どうかな?
文章というのは、できたてのときは、「味」はわからない。
しばらく間を置く。
これを私は勝手に、「熟成」と呼んでいる。
その熟成を待たねばならない。
それを待ち、自分の文章を判断する。
他人の目で自分の文章を読み返す。
そのときわかる。
鈍ったかどうか……。
そう言えば、おととい法事の席で、ある男性と会話をした。
隣の席に座っていた。
年齢を聞くと、70歳という。
その男性、ロレツがうまく回らなかった。
話し方もかったるく、反応も鈍かった。
言葉もスラスラと出てこなかった。
大酒飲みに共通して見られる、老化現象である。
が、私は即、こう思った。
「明日は、我が身かな」と。
現在、私は65歳。
運がよければ、70歳まで生きられる。
しかし5年後にああならないという保証は、どこにもない。
微細脳梗塞というのもある。
つまりそういう人を知るたびに、ぼんやりとした恐怖心が心臓を貫く。
今の私は、こう思う。
「今日がだいじょうぶだったから、明日もたぶんだいじょうぶだろうな」と。
つまりその程度の保証しかない。
……実は、今、2本のビデオを作りたい。
1本は、「石垣島の謎」。
もう1本は、「北極の謎」。
どちらにせよ、時間が足りない。
ア~ア、時間がほしい!
時間が足りない!
すでに時刻は、午前0時を回った。
日は替わって、12月03日。
ここでギブアップ。
就寝。
おやすみ!
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【それでも納得できない方へ、ガイダンス用ビデオです】
それでも納得できない人は、つぎのビデオをご覧ください。
世界が、謎の点と線で結ばれているのが、よくわかります。
Hiroshi Hayashi+++++++Dec. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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