2011年12月25日日曜日

●映画「山本五十六」  ●はやし浩司 世にも不思議な留学記

●映画『山本五十六』、『世にも不思議な留学記』

●12月25日(風邪?)

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 昨夜、寒い中、がまんしたのがよくなかった。
11時ごろまで、書斎で、あれこれ作業をしていた。
というか、このところ気温センサーが鈍くなったよう(?)。
寒いはずなのに、それほど寒く感じない。
足腰が金属のように冷たくなって、はじめて寒さを感ずる。
昨夜が、そうだった。
「寒い」というより、冷え冷えとした感覚が足の先から腰までやってきて、はじめて外気の冷たさがわかった。
それがわかって、あわてて暖かいはずの布団の中に入った。
が、足の先だけは、なかなか温まらなかった。
足を布団の中でこすりつけたりした。
30分ほど、もがいた。

 ……ということで、今朝は、起きたときからゾクゾクする。
腰が痛い。
のども痛い。
どうやら風邪をひいたらしい。
が、負けてはおられない。

 10分のウォーキングのあと、熱い風呂へ飛び込む。
まだ風邪薬はのんでいないが、あとで葛根湯をのむつもり。

風邪(かぜ)のひき始めは、葛根湯(かこんとう)。
風邪(ふうじゃ)が、体の内部に入り、悪寒がするようになったら、麻黄湯(まおうとう)。
インフエンザのばあいは、張仲景の『傷寒論』(『傷寒雑病論』ともいう)が、参考になる。
後漢時代の医家である。

(注:ただし、張仲景が言う「傷寒・雑病」というのは、チフスやコレラのような伝染病をさすという説もある。
「傷寒」というのは、文字通り、「寒邪に敗れる」を意味する。
それもあって、私は「インフルエンザ説」を唱える。)

 ともあれ、今日は、とくに予定はなし。
家で静かにしている。
ゾクゾク……。
症状が麻黄湯に近くなってきたような感じがする。 

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●「はやし浩司 目で見る漢方診断」

 たった今、ヤフーの検索機能を使って、「はやし浩司 目で見る漢方診断」を検索してみた。
2340件、ヒットした。
そのトップに、「AMAZON COM JP」があった。
それをクリック。
私の本が、AMAZONで、6339円で売られているのを知った。
紹介には、こうあった。

「……状態の悪い本です、カバーがなく、ページに水ぬれ跡がずっとついています。書き込みや線引き、ページの欠落はありませんが、読めればよい方向けです」(わだ古書店)と。

 うれしかった。
ボロボロの中古本が、6339円!
少し状態のよい本になると、7000~9000円で取り引きされている。
現在、その「目で見る漢方診断」は、HPのほうで無料で公開している。
興味のある人は、どうか、そちらを見てほしい。

http://bwtachiyomi.ninja-web.net/page051.html

(私が生きている間の、早いもの勝ち! ……つまり死んだら、HPは、閉鎖になり、公開も終わるという意味。
無料で読むなら、今のうち!)

 おかしなもので、最近は、自分の書いた本を参考にし、ものを書くことがときどきある。
『目で見る漢方診断』にしても、100%、私が書いた本である。
にもかかわらず、同時に2000年前(黄帝の時代になると、5500年前)に、他人によって書かれた本のような感じもする。
自分の本であって、自分の本でない?
その本を書いたころでさえ、遠い遠い昔のような気がする。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 目で見る漢方診断 東洋医学 はやし浩司 東洋医学基礎編 基礎篇 東洋医学基礎篇 黄帝内経 素問)

●映画『山本五十六』

 昨日の午後、映画『山本五十六』を観てきた。
久々に観る、邦画である。
CGの稚拙さは随所に見られたが、星は3つの、★★★。
よかった。
途中、何度か涙がこぼれた。

 ただし悪役の新聞記者の演技が、大げさ。
露骨。
俳優そのものの、脳みそが薄っぺらい。
だから演技に、深みが出てこない。

知的な俳優が、ああいう役をこなせば、すばらしい俳優ということになる。
が、そうでない俳優が、無理に悪役を演ずるから、かえって底が見えてしまう。
現実に、ああまで感情をむき出しにする人がいたら、私たちはその人を「バカ」という。
もし『山本五十六』を観る機会があったら、新聞記者の演技に注目してほしい。
私がここで言っている意味が、わかってもらえるはず。

 で、その山本五十六について、こんな原稿を書いたことがある。
中日新聞に発表させてもらった原稿である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●国によって違う職業観

 職業観というのは、国によって違う。もう30年も前のことだが、私がメルボルン大学
に留学していたときのこと。当時、あの人口300万人と言われたメルボルン市でさえ、
正規の日本人留学生は私1人だけ。(もう1人、Mという女子学生がいたが、彼女は、もと
もとメルボルンに住んでいた日本人。)そのときのこと。

 私が友人の部屋でお茶を飲んでいると、1通の手紙を見つけた。許可をもらって読むと、
「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。

私が喜んで、「外交官ではないか! おめでとう」と言うと、その友人は何を思ったか、そ
の手紙を丸めてポイと捨てた。「アメリカやイギリスなら行きたいが、99%の国は、行き
たくない」と。考えてみればオーストラリアは移民国家。「外国へ出る」という意識が、日
本人のそれとはまったく違っていた。

 さらにある日。フィリッピンからの留学生と話していると、彼はこう言った。「君は日本
へ帰ったら、ジャパニーズ・アーミィ(軍隊)に入るのか」と。私が「いや、今、日本で
は軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の伝統ある軍隊になぜ
入らないのか」と、やんやの非難。

当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になることイコール、そのまま出世コース
ということになっていた。で、私の番。

 私はほかに自慢できるものがなかったこともあり、最初のころは、会う人ごとに、「ぼく
は日本へ帰ったら、M物産という会社に入る。日本ではナンバーワンの商社だ」と言って
いた。が、ある日、1番仲のよかったデニス君が、こう言った。「ヒロシ、もうそんなこと
を言うのはよせ。日本のビジネスマンは、ここでは軽蔑されている」と。彼は「ディスパ
イズ(軽蔑する)」という言葉を使った。

 当時の日本は高度成長期のまっただ中。ほとんどの学生は何も迷わず、銀行マン、商社
マンの道を歩もうとしていた。外交官になるというのは、エリート中のエリートでしかな
かった。この友人の一言で、私の職業観が大きく変わったことは言うまでもない。

 さて今、あなたはどのような職業観をもっているだろうか。あなたというより、あなた
の夫はどのような職業観をもっているだろうか。それがどんなものであるにせよ、ただこ
れだけは言える。

こうした職業観、つまり常識というのは、決して絶対的なものではないということ。時代
によって、それぞれの国によって、そのときどきの「教育」によってつくられるというこ
と。大切なことは、そういうものを通り越した、その先で子どもの将来を考える必要があ
るということ。

私の母は、私が幼稚園教師になると電話で話したとき、電話口の向こうで、オイオイと泣
き崩れてしまった。「浩ちャーン、あんたは道を誤ったア~」と。母は母の時代の常識にそ
ってそう言っただけだが、その一言が私をどん底に叩き落したことは言うまでもない。

しかしあなたとあなたの子どもの間では、こういうことはあってはならない。これからは、
もうそういう時代ではない。あってはならない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 通俗性 はやし浩司 
金権教 はやし浩司 ディスパイズ despise  軽蔑という言葉を使った はやし浩司 山本五十六)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

もう1作。
これも中日新聞で発表済み。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

イソロクはアジアの英雄だった【2】

●自由とは「自らに由る」こと

 オーストラリアには本物の自由があった。自由とは、「自らに由(よ)る」という意味だ。こんなことがあった。

 夏の暑い日のことだった。ハウスの連中が水合戦をしようということになった。で、一人、二、三ドルずつ集めた。消防用の水栓をあけると、二〇ドルの罰金ということになっていた。で、私たちがそのお金を、ハウスの受け付けへもっていくと、窓口の女性は、笑いながら、黙ってそれを受け取ってくれた。

 消防用の水の水圧は、水道の比ではない。まともにくらうと学生でも、体が数メートルは吹っ飛ぶ。私たちはその水合戦を、消防自動車が飛んで来るまで楽しんだ。またこんなこともあった。

 一応ハウスは、女性禁制だった。が、誰もそんなことなど守らない。友人のロスもその朝、ガールフレンドと一緒だった。そこで私たちは、窓とドアから一斉に彼の部屋に飛び込み、ベッド
ごと二人を運び出した。運びだして、ハウスの裏にある公園のまん中まで運んだ。公園といっても、地平線がはるかかなたに見えるほど、広い。

 ロスたちはベッドの上でワーワー叫んでいたが、私たちは無視した。あとで振りかえると、二人は互いの体をシーツでくるんで、公園を走っていた。それを見て、私たちは笑った。公園にいた人たちも笑った。そしてロスたちも笑った。風に舞うシーツが、やたらと白かった。

●「外交官はブタの仕事」

 そしてある日。友人の部屋でお茶を飲んでいると、私は外務省からの手紙をみつけた。許可をもらって読むと、「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。そこで私が「おめでとう」と言うと、彼はその手紙をそのままごみ箱へポイと捨ててしまった。「ブタの仕事だ。アメリカやイギリスなら行きたいが、九九%の国へは行きたくない」と。彼は「ブタ」という言葉を使った。

 あの国はもともと移民国家。「外国へ出る」という意識そのものが、日本人のそれとはまったくちがっていた。同じ公務の仕事というなら、オーストラリア国内のほうがよい、と考えていたようだ。また別の日。

フィリッピンからの留学生が来て、こう言った。「君は日本へ帰ったら、軍隊に入るのか」と。「今、日本では軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の、伝統ある軍隊になぜ入らない」と、やんやの非難。当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になることイコール、出世を意味していた。

 マニラ郊外にマカティと呼ばれる特別居住区があった。軍人の場合、下から二階級昇進するだけで、そのマカティに、家つき、運転手つきの車があてがわれた。またイソロクは、「白人と対等に戦った最初のアジア人」ということで、アジアの学生の間では英雄だった。これには驚いたが、事実は事実だ。日本以外のアジアの国々は、欧米各国の植民地になったという暗い歴史がある。

 そして私の番。ある日、一番仲のよかった友だちが、私にこう言った。「ヒロシ、もうそんなこと言うのはよせ。ここでは、日本人の商社マンは軽蔑されている」と。私はことあるごとに、日本へ帰ったら、M物産という会社に入社することになっていると、言っていた。ほかに自慢するものがなかった。が、国変われば、当然、価値観もちがう。

 私たち戦後生まれの団塊の世代は、就職といえば、迷わず、商社マンや銀行マンの道を選んだ。それが学生として、最良の道だと信じていた。しかしそういう価値観とて、国策の中でつくられたものだった。私は、それを思い知らされた。

 時、まさしく日本は、高度成長へのまっただ中へと、ばく進していた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●山本五十六

 私がいたカレッジには、世界中から学生たちが集まっていた。
アジアからの学生も、70~80人、いた。
が、それらの学生たちは、山本五十六だけは、尊敬していた。
先の原稿の中で書いたことは、事実である。

 東条英機は嫌われていたが、山本五十六は、尊敬されていた。
今でも、「白人と対等に戦った最初のアジア人」と言った相手の名前と顔をよく覚えている。
タン・アー・チュウアン君である。
マレーシアから来ていた留学生だった。
そのタン君について書いた原稿もある。

 それを掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●処刑になったタン君【12】

●日本人にまちがえられたタン君

 私の一番仲のよかった友人に、タン君というのがいた。マレ-シアン中国人で、経済学部に籍をおいていた。

 最初、彼は私とはまったく口をきこうとしなかった。ずっとあとになって理由を聞くと、「ぼくの祖父は、日本兵に殺されたからだ」と教えてくれた。そのタン君。ある日私にこう言った。

 「日本は中国の属国だ」と。そこで私が猛烈に反発すると、「じゃ、お前の名前を、日本語で書いてみろ」と。私が「林浩司」と漢字で書くと、「それ見ろ、中国語じゃないか」と笑った。

 そう、彼はマレーシア国籍をもっていたが、自分では決してマレーシア人とは言わなかった。
「ぼくは中国人だ」といつも言っていた。マレー語もほとんど話さなかった。話さないばかりか、マレー人そのものを、どこかで軽蔑していた。

 日本人が中国人にまちがえられると、たいていの日本人は怒る。しかし中国人が日本人にまちがえられると、もっと怒る。タン君は、自分が日本人にまちがえられるのを、何よりも嫌った。街を歩いているときもそうだった。「お前も日本人か」と聞かれたとき、タン君は、地面を足で蹴飛ばしながら、「ノー(違う)!」と叫んでいた。

 そのタン君には一人のガ-ルフレンドがいた。しかし彼は決して、彼女を私に紹介しようとしなかった。一度ベッドの中で一緒にいるところを見かけたが、すぐ毛布で顔を隠してしまった。が、やがて卒業式が近づいてきた。

 タン君は成績上位者に与えられる、名誉学士号(オナー・ディグリー)を取得していた。そのタン君が、ある日、中華街のレストランで、こう話してくれた。「ヒロシ、ぼくのジェニ-は……」と。喉の奥から絞り出すような声だった。「ジェニ-は四二歳だ。人妻だ。しかも子どもがいる。今、夫から訴えられている」と。

 そう言い終わったとき、彼は緊張のあまり、手をブルブルと震わした。

●赤軍に、そして処刑

 そのタン君と私は、たまたま東大から来ていた田丸謙二教授の部屋で、よく徹夜した。教授の部屋は広く、それにいつも食べ物が豊富にあった。

 田丸教授は、『東大闘争』で疲れたとかで、休暇をもらってメルボルン大学へ来ていた。教授はその後、東大の総長特別補佐、つまり副総長になられたが、タン君がマレ-シアで処刑されたと聞いたときには、ユネスコの国内委員会の委員もしていた。

 この話は確認がとれていないので、もし世界のどこかでタン君が生きているとしたら、それはそれですばらしいことだと思う。しかし私に届いた情報にまちがいがなければ、タン君は、マレ-シアで、一九八〇年ごろ処刑されている。タン君は大学を卒業すると同時に、ジェニ-とクアラルンプ-ルへ駆け落ちし、そこで兄を手伝ってビジネスを始めた。

 しばらくは音信があったが、あるときからプツリと途絶えてしまった。何度か電話をしてみたが、いつも別の人が出て、英語そのものが通じなかった。で、これから先は、偶然、見つけた新聞記事によるものだ。

 その後、タン君は、マレ-シアでは非合法組織である赤軍に身を投じ、逮捕、投獄され、そして処刑されてしまった。遺骨は今、兄の手でシンガポ-ルの墓地に埋葬されているという。

 田丸教授にその話をすると、教授は、「私なら(ユネスコを通して)何とかできたのに……」と、さかんにくやしがっておられた。そうそう私は彼にで会ってからというもの、「私は日本人だ」と言うのをやめた。「私はアジア人だ」と言うようになった。その心は今も私の心の中で生きている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 タン君 タン・アー・チュアン マレーシア 田丸謙二 はやし浩司 世にも不思議な留学記)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

これらの原稿は、以下のところで紹介している。

http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page195.html

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●では、今日は、ここまで

 やはりこれから葛根湯をのんでくる。
そのあとのことはわからないが、しばらく布団の中で横になるつもり。
ワイフは、現在、美容院へ行っている。
ワイフが帰ってくるまで、無事、生きていたい。

 2011/12/25朝記

Hiroshi Hayashi+++++++Dec.2011++++++はやし浩司・林浩司






2011年12月24日土曜日

*Looking back at 2011

●無事、64歳!

 2011年を振り返る。
あれこれ振り返る。
いろいろあった。
あったが、私は無事、64歳になった。
昭和22年(1947年)生まれ。
団塊の世代、第1号。

 先週、10年ぶりに、1人の男が我が家を訪ねてくれた。
突然の訪問だった。
話を聞くと、今は大学を卒業し、浜松の貿易会社に勤務しているという。
OBである。
年中児(幼稚園)から、中学3年まで、私の教室に通ってくれた。
「まだ高校3年生くらいかなと思っていたよ」と告げると、「そんなはずないですよ」「もう10年になりますよ」と言って笑った。

 10年!

 あっという間の10年だった。
と、同時に、こう思った。
「よくもまあ、この10年間、無事だったなあ」と。
その男のことではない。
この私が、無事だったなあ、と。

●2012年

 来年のことは、わからない。
何やら大変な年に、なりそう。
悪い予感がする。

 いちばん心配なのが、日本経済。
EU、中国、アメリカ……。
どのひとつが経済破綻しても、そのまま日本も破綻する。
あるいは日本のほうが、先に破綻するかもしれない。
(私が心配したところで、どうにもならないが……。)

経済の世界には、「イベント・リスク」という言葉がある。
不測の事態(=イベント)による、危険因子(=リスク)をいう。
今回の3・11大震災も、そのひとつ。
今、日本の経済は、薄氷の上を、恐る恐る歩いている。
何か起きたら、おしまい。
そのまま奈落の底へ……。

 私について言えば、今までは無事だった。
しかし2012年のことは、私にもわからない。
無事、来年、65歳を迎えることができるだろうか。

●老人段階論

 退職後の友人たちをみていると、一定のパターンがあるのがわかる。
称して「老人段階論」。

(1) 準備期……老後に向けて、何かの運動(体力づくり)を始める。
(2) 活動期……「何かをしなければ」と言いながら、行動を開始する。
(3) 限界期……突然の病気になったり、仕事が行き詰ったりする。
(4) 葛藤期……老人になることに抵抗し、心理的にはげしく葛藤する。
(5) 受諾期……老人であることを認め、心の整理を始める。

 ほとんどの人が、判を押したように、運動を始めるのは興味深い。
ウォーキング、ランニング、サイクリング、ゴルフ、テニスなどなど。
それまでに下地のできている人は別として、たいていは、長続きしない。
ちょっとした病気や怪我がきっかけで、そのまま休んでしまう。
このとき自分に、「限界」を覚える。

 また自分が老人であることを認めるのは、平均して75歳だそうだ。
それまでは抵抗する。
「私はまだ若い!」と。

●どちらが現実なのか?

 再び、この1年を振り返ってみる。
あれこれ思い出してみる。

……あの3・11大震災は、あまりにも現実離れしていた。
この世のできごととは、思えなかった。
同時に、今の今ですら、こうして無事でいられることが、不思議でならない。
どうして3万人近い人たちが、あっという間に、津波に飲み込まれたのか。
どうして今、私がこうしてここに生きているのか。
どちらが現実なのか。
それを考えていると、心の中がバラバラになってしまう。
 
 だから9か月たった今でも、こう思う。
「あの3・11大震災さえなければ……」「あの原発事故さえなければ……」と。

●2012年

 ともあれ、とにかく生きていくしかない。
あれこれ悩んだところで、どうにもならない。
2012年は2012年。
今日できることは、今日、する。
がんばってする。
その結果として、明日はやってくる。
2012年は、やってくる。

 が、2012年は、先にも書いたように、たいへんな年になりそう。
ロイターは、つぎのように報道している(12月23日)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

……2012年は米国とロシアとフランスで大統領選が行われ、中国ではポスト胡錦濤体制が始動する。欧州はソブリン危機の不透明感が晴れず、民主化の波を受けた中東は政治的動揺が続き、経済の悪化は世界各地でデモなどの混乱を引き起こす可能性がある。足元では、ユーロをめぐる不安が根強く、核開発を続けるイランをイスラエルが軍事攻撃するとの懸念も残ったままだ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 もう少しこの記事を、整理してみる。

(1) 2012年は米国とロシアとフランスで大統領選が行われ、
(2) 中国ではポスト胡錦濤体制が始動する。
(3) 欧州はソブリン危機の不透明感が晴れず、
(4) 民主化の波を受けた中東は政治的動揺が続き、
(5) 経済の悪化は世界各地でデモなどの混乱を引き起こす可能性がある。
(6) 足元では、ユーロをめぐる不安が根強く、
(7) 核開発を続けるイランをイスラエルが軍事攻撃するとの懸念も残ったままだ。

 が、本当に困るのは、以上のことではない。
こうした不安定な状況がつづくと、発展途上国のもならず、先進国においても政情が不安定になること。
ロイターは、つぎのよう結んでいる。

『……中東の紛争やユーロ圏の崩壊といった事態が避けられたとしても、専門家の間では、経済成長の鈍化と失業率の上昇に伴い、先進国でも発展途上国でも社会不安のリスクが増大し、世界中で政治情勢は難しさを増すと指摘する声は多い』と。

 この先、北朝鮮がどう出てくるか。
それもこの日本にとっては、心配の種。

●現状維持

 2012年も、「現状維持」。
それだけで精一杯。
それができれば、御の字。

 健康イコール、運動。
ボケ防止イコール、仕事。
何も望まない。
何も期待しない。
ただひたすら、懸命に、かつまじめにその日を生きる。

 抱負?
そんなもの、あるわけない。
とにかく現状維持。
結果は、あとからついてくる。

2011/12/24
メリークリスマス!


Hiroshi Hayashi+++++++Dec.2011++++++はやし浩司・林浩司


2011年12月23日金曜日

●Mental Meltdown

【性欲の奴隷たち】

●クリ○○ス

 昨日の中学3年生のK君が、こう聞いた。
「先生、この○の中の字は、何?」と。
見ると、そこに、「クリ○○ス」と書いてあった。
即座に、「(ス)(マ)」と答えると、何やら意味ありげな笑みを浮かべた。
それでピンときた。

 この時期の子どもは、24時間のうち、23時間、「SXX」のことを考えている。
(残りの1時間は、眠っている。)
私もそうだったし、あなたもそうだった。
それが悪いというのではない。
それがあるからこそ、私たちは子孫を後世に残すことができる。
しかしその子どもは、自分が性欲の奴隷になっていることには、気づいていない。

●性欲の奴隷

 性欲の奴隷なら、奴隷でもよい。
それに気づいているなら、それでよい。
しかし中学生にかぎらず、おとなの私たちにしても、それに気づいている人は少ない。
「私は私」と思い込みながら、奴隷になっている。
奴隷になりながら、それを「私」と思い込んでいる。
意識というのはそういうもの。

自分で築きあげた意識というのもあるには、ある。
0・01%。
1万分の1もない。
99・99%は、作られた意識。
たとえて言うなら、「私」というのは、タマネギのようなもの。
作られた意識で覆われた、タマネギのようなもの。

 そこで「私」と思っている部分(皮)をどんどんとめくっていく。
「これでもか」「これでもか」とめくっていく。
が、どこまでめくっても、「私」にたどりつくことはない。
「私」というのは、それほどまでに小さく、頼りない。

●「性的エネルギー」(Ribido)

 「性的エネルギー」という言葉を考えたフロイトは、すばらしい。
後にフロイトの弟子のユングは、それを「生的エネルギー」という言葉に置き換える。
どちらであるにせよ、それが生きる原点になっている。

 で、最近の脳科学によれば、そうした原点的な信号が、脳下垂体の下部あたりから発せられていることがわかってきた。
コンピューターのパルス信号のようなものではないかと、私は勝手に想像している。
その信号が、たとえばドーパミン(欲望と快楽を司るホルモン)の分泌を促したりする。
それが生きる原動力となって働く。

さらに今では、私たちが「感情」と称しているものにしても、ホルモン説、つまり脳内ホルモンによって引き起こされるという説は、常識である。
つまり脳内ホルモンを軽く考えてはいけない。

 この脳内ホルモンこそが、人間を裏から操る。

●「私」

 私は鼻先で、「フン」と笑って、その場を去った。
が、それが青春。
この時期の子どもに、「君は性欲の奴隷になっているよ」と諭しても意味はない。
理解することさえ、不可能。
ぜったいに不可能。
その子どもは子どもなりに、それが「私」と思い込んでいる。
思い込みながら、つぎつぎと行動を発展させていく。

 恋愛もあるだろう。
結婚もあるだろう。
育児もあるだろう。
その過程で名誉を求めたり、肩書きを求めたりする。
欲望には際限がない。
富や権力を求め、それなりに苦労もするだろう。
そして最後に、こう思う。
「どうだい、私はすばらしいだろう!」と。

●メタ認知能力

 だからといって、「性的エネルギー」にせよ、「生的エネルギー」を否定してはいけない。
それがあるからこそ、人生も、これまた楽しい。
男が女を求め、女が男を求める。
そこから無数のドラマが生まれる。
そのドラマが、楽しい。

 あえて言うなら、できればその間に一線を引く。
(タマネギの皮)と、(タマネギの芯の私)の間に、一線を引く。
一線を引き、自分を客観的に見る。
これを「メタ認知能力」と言ってよいかどうかは知らない。
しかしこれこそが、まさに「高次(メタ)な認知能力」ということになる。

 大切なことは、性欲の奴隷であるにせよ、その奴隷のまま性欲に溺れてはいけないということ。
常に自分を客観的に、醒(さ)めた目で見る。
そういう自分を見失ってはいけない。

 私は鼻で「フン」と笑ったとき、そう考えた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「精神のメルトダウン」

 昨日、「精神のメルトダウン」という言葉を知った。
外国の社会学者が、何かの評論の中で使っていた。
「日本人は、精神的にもメルトダウンしている」と。

 ナルホド!

 私に欠けるのは、こうした自由な発想。
造語能力。
実にうまい。
的確。
精神的メルトダウン!

 たしかに日本人は、精神的にメルトダウンしてしまっている。
日本語的に表現すれば、「もの言わぬ従順な民」に、なりさがってしまっている。

 自分で考えない。
自分で行動しない。
自分で責任を取らない。

 その前に、そこにある不正、腐敗、矛盾、不公平、不平等に対しても、声をあげようともしない。
「だれかが何とかしてくれるだろう」
「何とかなるだろう」と。

 そしてその返す刀で、「自分だけ、そこそこによければ、それでいい」と、そこにある問題から逃げてしまう。
まさに精神のメルトダウン。
実にうまい表現。
昨日、その言葉に感心した。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●静かな早朝

 人間はいつものを考えるか。
今朝は布団の中で、そんなこと考えた。
時計を見ると、午前6時。
運動するのも、30分。
そのまま横になっているのも、30分。
今朝の私は、怠け者の30分を選んだ。

 周囲はまだ暗かった。
気温は10度前後。
かすかに掛け時計が時を刻む音が聞こえた。
が、それだけ。
静かな朝だった。

2011/12/23朝記


Hiroshi Hayashi+++++++Dec.2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年12月22日木曜日

*Emotional Disturbance of a Child

●12月21日(TSUTAYAにて)

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今夜は久しぶりに、TSUTAYAにやってきた。
車で自宅から、5分ほどの距離。
奥の、左の一角に読書コーナーがある。
400円前後で、コーヒーやココアを飲むこともできる。
そこへ読みたい本を持ち込み、つまり「立ち読み」ならぬ、「座り読み」が、できる。

書籍(雑誌、週刊誌を含む)というのは、そういう商品。
書店は売れなければ、そのまま返本(=返品)できる。
汚れても、折り曲がっても、どうということはない。
出版社へ返本すればよい。
書店にしてみれば、痛くもかゆくもない。
だからこういうサービスができる。

客の私たちにとっては、ありがたいサービス。
新刊書でも何でも、読み放題。
が、その分だけ、心のどこかで何かしらの罪悪感を覚える。
週刊誌2冊で、350+400=750円。
だからこうして、飲みたくもないミルクやコーヒーを買う。

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●二日酔い

 とりあえず……ということでもってきたのが、週刊誌4冊。
(あとで知ったが、「持ち込みは2冊まで」だ、そうだ。

「週刊文春」と「週刊ポスト」を、おおかた読み終える。
あちこちで、カチンときたが、今夜は、あまりそれについては書きたくない。
今日は朝から二日酔い。
昨夜寝る前に、チューハイ(発泡酒)を一杯飲んだのが、悪かった。
アルコールを飲めない私が、酒を飲む……。
このところ、そんなバカなことばかりしている。
そのツケが、今朝、どっと出た。

 今は、できるだけ、精神を安定させたい。

●正面の男

 私とワイフは、喫茶コーナーの一番奥に陣取った。
右横は、黄土色の壁。
背中側は、茶色の壁。
左横に、どこかのネームカードをぶらさげた女性が2人、座っている。
学生なのか、たがいに何やら教えあっている。
左前にも、似たような女性が2人、座っている。
ノートを見ると、大腸の絵が、ミミズのように描いてあった。
看護学校の学生か、何かのだろう。

 得体のわらからないのが、正面、つまりワイフの背中側に座っている男。
作業帽子を深くかぶり、深いえりのついたジャンパーを着ている。
えりは鼻の下まで届き、顔はほとんど見えない。
芸能雑誌を熱心に読んでいる……というより、ときどき、周囲の動きに目を配っている。

 腕時計をしている。
ジーパン。
ジャンパーは、農作業の人が着るような、作業服。
服装とは不似合な、明らかに安物とわかる派手な靴を書いている。
白地に薄い水色の線が、3本。

 「何をしている男だろう……?」と。

 テーブルの上に、i-podを、これみよがしに置いている。
年齢は、……今、顔をあげたが、30歳くらい。
40歳くらいに見えたが、30歳くらい。

●正面の男(2)

 いや、もう1人、いた。
左奥に、小さく体を丸めて、1人の女性がノートに何かを懸命に書き込んでいる。
左前の2人の女性の陰に隠れて、今まで気がつかなかった。
その女性は、本当に勉強しているといったふう。
ただひたすら、ノートに何かを書き込んでいる。

 あとの女性は、勉強というより、おしゃべり。
小声だが、それでも雀がさえずるように、ペチャペチャ、クチャクチャ……。
加えてBGMは、すっかりクリスマス・ムード。
ジャス風のクリスマス・ソングが、ずっと流れている。

 前の男が席を立った。
うしろ姿を見た。
首から頭にかけ、すっかり禿げあがっているのがわかった。
帽子を深くかぶっている理由が、それでわかった。
手にした雑誌を見ると、それには『flick』と書いてあった。

『flick』?
私の知らない雑誌である。
男は、私の住んでいる世界とは、別の世界に住んでいる。
そう思った。

●DVD

 2階が、DVDショップになっている。

私「何か、新しいのを借りたの?」
ワ「メリル・ストリープのと、それに新作を1本、ね」
私「フ~~ン」と。

 ……その男を見ながら、30年前に亡くなった、今井 修氏(実名)のことを思い出した。
そのとき32、3歳だった。
焼酎とタバコを片手に、いつも原稿を書いていた。

 最後に会ったのは、ショッピングセンターの中だった。
一角に小さな椅子が置いてあり、今井 修氏はそこに座っていた。
話しかけても、何も言わなかった。
うつろなまなざしで、宙をぼんやりとながめていた。

 あとでわかったことだが、そのとき、今井 修氏は、ホスピスにいた。
そこを抜け出し、そのショッピングセンターへ来ていた。
今井 修氏が食道がんで亡くなったと知ったのは、それから1か月もたたないときのことだった。
私は、今井 修氏ががんだったということも、またホスピスにいたということも知らなかった。
だからそのときは、今井 修氏の態度に少なからず、ショックを受けた。
冷ややかな態度だった。
「どうして怒っているのだろう?」と。

●死に行く人

 今までに死に行く人を、何人か見かけてきた。
数年前に亡くなった、大学の同窓生のIK君も、そうだった。
亡くなる、ちょうど2か月前ほどに、街中で偶然、会った。
話しかけたが、やはり私を避けた。
やや強引に、私は近くの時計店に誘ったが、迷惑そうだった。

 そのときワイフも横にいた。
ワイフも同じように感じたらしい。
「IKさん、おかしいわね」と。

 IK君は、そのあとしばらくして、病院で亡くなった。
直接の死因は肺炎ということだったが、あとで聞くとそのとき、前立腺がんが大腸に転移していたという。

 前の席に座った男が、どうこうのと書いているのではない。
その男のもつ、どこか暗い雰囲気が、気になった。

●8時半

 ワイフが、こう言った。
「8時半よ……」と。

私「山(=山荘)へ行く?」
ワ「そうね……。頭(=頭痛)治ったの?」
私「うん、まあね……。山でビデオを観るの?」
ワ「時間があればね……」と。

●資料

 週刊ポスト誌(2011年12月23日号・P46)には、こうある。
「職業別官民格差」として、一覧表が載っている。
(かっこ)内は、民間平均。

バス運転手 ……526万円(344万円)
自動車運転手……541万円(234万円)
清掃職員  ……604万円(210万円)
守衛    ……548万円(293万円)
福祉施設職員……574万円(289万円)
幼稚園教諭 ……598万円(330万円)
看護師   ……521万円(427万円)
用務員   ……534万円(274万円)

定年退職金……2452万円(2075万円)

(以上、筆者のほうで、1000の位で四捨五入。)

(注:公務員は「地方公務員給与実態調査結果」(総務省・平成22年)、
民間は、「賃金構造基本統計調査」(厚生労働省・平成22年)による。
「自動車運転手は、公務員は公用車、民間はタクシー。
民間の「清掃職員」は、ビル清掃員をいう。)
 
 週刊ポスト誌は、こう伝える。
「役人という肩書をもつだけで、2倍近い給料を受け取っている」(P47)と。

 ほかにも驚くべき事実が、官僚の発言として紹介されていた。

「……知的水準の低い一般国民から、保険料をまきあげる……」
「官僚の出世の条件は……国民からカネを巻き上げて、省益を拡大させること」(以上、ポスト誌、覆面座談会の席で)と。

 公務員の給料が民間の2倍近くもあるのは、「優秀な人材の確保のため」だそうだ。
また国家公務員と地方公務員の給与格差がほとんどないのは、地方公務員の不満を抑制するためだそうだ(ポスト誌)。
先にあげた官民格差表でいう「公務員」は、地方公務員の給与をいう。

 ……こんな日本が、どうして北朝鮮の悪政を笑うことができるだろうか。

●相談

 たった今、メールを開くと、こんな相談が届いていた。

【韓国在住のKUさん(母親)より、はやし浩司へ】(一部、文字化け)

【 お子さんの年齢(現在の満年齢) 】:満4歳
【 お子さんの性別(男・女) 】:男
【 家族構成・具体的に…… 】:
父母、姉(10歳。精神遅滞)、祖父、祖母

【 お問い合せ内容】

韓国在住の来月満4歳になる男の子の母子分離不安について相談します。

母子分離不安について検索していると、はやしさんのサイトに行き着き、母子分離不安についての解答を拝見させていただきました。
家の事情もあり、もう少し具体的どうしたらいいか知りたく、メールしています。
上の子は10歳ですが、重度の精神遅滞があり、まだ一人で歩けず、話せません。
1歳前後の状態で、オムツをしています。
激しく泣いたり、物をなめたりかんだり、泣いてもなぜ泣いているのかわからなかったり、一緒にいてほしかったり、眠いのに眠れなくて、ないていたり、手がかかります。

下の子が生まれてからも、上のこの障害児保育園(家から遠い)や物理治療などに通うのに私が連れて行って、その間下の子はおじいちゃんかおばあちゃんと一緒にいました。
下の子が2歳になった時、上の子が小学校に就学させたのですが、(韓国では親の判断で入学を遅らせることができる)、小学校の送り迎えや、お昼の食事介助などで手がかかるので、下の子を保育園に入れました。

送るのはおじいちゃんおばあちゃんがしてくれたのですが、あまりにも泣いくので3日ほどで泣くのが耐えられないとやめさせてしまいました。
次の年、満3歳になった時再び送ったのですが、やはりおじいちゃんとおばあちゃんがやめさせてしまいました。
それでも、私があまりにも大変なので、その5月から再び送りました。

今度は時間をやりくりして、私が送りました。
相変わらず泣いていくのですが、保育園の先生の言うとおりがんばって送りました。
2週間ぐらいはお昼ぐらいに帰ってきていました。
しかし、私が顔面神経麻痺にかかってしまい、その後5時まで送っていました。
朝は相変わらず激しく泣いて行き、帰ってくると元気がない、1ヶ月ほど様子を見ていたのですが、「このこまでおかしくなったらどうする?
嫌がる子を保育園に送っていって、後で精神科に通っている子もいっぱいいる」など、周りに言われ心配になり、やめさせました。

先生いわく、おじいちゃんおばあちゃんにとってもかわいがられ、甘やかされて育っているので忍耐力がまだない、とのこと。
園でも「たいくつだ」と先生に言ってばかりで、友達が寄ってきても遊ぼうとしない、お昼寝もしない、そうです。

姉の事もあって、お母さんをお姉ちゃんに取られるという心配もあるのかも、とも。
3ヶ月まえから・u梛:・・ぢ回の美術の習い事を始めたのですが(美術というより友達を作るため)、本来部屋で子供2,3人と先生とでするのですが、子供が離れようとせず、私が部屋の中の隅で座ってみていないといけません(先生の提案で)。
少しずつ、しばらくしたら部屋の外に出て行けるようにはなったのですが、「窓からずっとみていて」とか途中で「お母さんどこ?」と出てきたりします。
友達と遊びたい気持ちがあって、同じ教室の女の子のお世話?をしたり、ゆずってあげたり。
お母さんが一緒で子供と遊ぶ機会があればいいのですが。

最近の韓国は、1歳過ぎから保育園に通う子が多く、公園にいっても遊ぶ子がいなく、習い事なども夕方の時間しかなく(昼間は子もがいないので)、このまま保育園にいかずうちで過ごすのもどうなのか悩んでいます。

月数の少ない48ヶ月までの文化センターなどのクラス(お母さんと一緒にする)はある事はあるので、同い年ではない、小さい子達と混ざってでも、したらいいのかなぁとも考えています(来年は保育園に送らないで)。

家では、「遊ぼう、遊ぼう」と人形遊びやブロックなど私とやりたがります。
一人ではほとんど遊べません。
私もずっととなると疲れて、いやになります。
休日など公園に行っても、別の人がいると遊ばず、「いなくなるまで待ってる」とただ見ています。

うちに来る私の友達などは割りと問題なくいられるのですが、外で会う知らない人やたまにあう人には警戒心丸出しで、「嫌いだ、いやだ、あっち行け」などと言います。
美術の先生にも、です。

朝は上の子を学校に送りに行く時はおじいちゃんかおばあちゃんに見てもらうのですが、おじいちゃんがいるとき(一日おきの仕事をしている)は「お母さん、いってらっしゃい」と送ってくw)€「譴襪里任垢・△、个△舛磴鵑了・蓮◆岼貊錣帽圓・繊廚筏磴い特紊い突茲泙后・發β腓④・覆辰燭里念貊錣僕茲討發いい里任垢・△、个△舛磴鵑・蹐覆い・蕕醗貊錣帽圓・擦泙擦鵝・・w)現状をだらだら書いてしまいましたが、サイトに書いてあるように、対人恐怖症というのもあると思います。

又、スキンシップも「抱っこ、抱っこ」とせがむ時はしてあげているし、十分にしていると思っているのですが、思っている以上に足りないのでしょうか?
上の子も家ではけっこう泣くので、この子もみんながストレスを抱えているようです。
八方塞のように感じて、アドバイスいただけるとうれしいです。
(以上、相談より。)

【はやし浩司より、韓国のKUさんへ】

KU様へ

こんばんは!

現在、出先なので、
あとでゆっくりと返事を書きます。

大切なことは、(現実)と闘うことではなく、(現実)を受け入れることです。
「私は私」と居直ることです。
こと子育てについて言えば、闘っても意味はありません。
居直れば、おのずと、道が前に見えてきます。

あとは静かに、その道(流れ)に身を任せてください。
温かい愛情と、生きていく勇気を見失わずに、ね。

あなたの子どもは、今、あなたに何か尊いことを教えるために、そこにいます。
子どもに教えを乞うてください。

あなたはすばらしい人になれますよ。
どうか、自信をもって、前に進んでください。

またあとで返事を書きます。

はやし浩司

●幼稚園教諭 ……598万円(330万円)

 さきほどあげた「官民格差」で気になったのが、幼稚園教諭の給料。
公立幼稚園の教諭が、598万円。
私立幼稚園の教諭が、330万円。

 本当かな?、と思った。
公立幼稚園の教諭についてではない。
私立幼稚園の教諭についてである。

私が知る範囲では、私立幼稚園の教諭は、330万円も、もらっていない。
月額に換算すると、(12か月で割ると)、27~8万円。
退職金にしても、定年退職時まで勤める教諭は、ほとんどいない。
だから2000万円以上の退職金など、こと私立幼稚園の教諭に関して言えば、ありえない。

 どこの幼稚園(私立)でも、人件費は、削るだけ削っている。
まず未婚の若い教諭を、インターン(見習い)の形で雇う。
結婚と同時に退職……というのが、暗黙の了解事項になっている。

相場では、そういう若いインターンは、月額10数万円程度。
(手取りで、月額14~5万円と聞いている。)
ボーナスを入れても、330万円ということは、ありえない。
どこからこんな数字が出てきたのだろう?

 公立幼稚園のばあい、ありとあらゆる労働者の権利が認められている。
産休で3年間休職したとしても、職場を失うことはない。
さらにたいていの教諭は、最終的には園長に昇格したあと、退職する。

 「幼稚園の先生になるなら、公立の幼稚園」というのは、この世界では常識。
役人の言葉を借りるなら、「知的水準の高い教諭は、公立幼稚園。知的水準の低い教諭は、私立幼稚園」(「週刊ポスト」誌)ということか。

 ……グググーッと怒りがわいてきたが、今夜はここまで。
もちろん一人一人の役人に責任があるわけではない。
責任を感じてほしいと書いているのでもない。
が、このままでは、日本は本当に沈没してしまう。
怒りというより、私は強い危機感を覚える。

●知的水準?

 知的水準とは何か?
あの片山さつき氏は、私の地元で国会議員に当選したあと、東京に戻り、こう言ったという。
「(浜松の)田舎者は、私が土下座すれば、イチコロよ」(雑誌「諸君」)と。

 が、こうした差別意識は、何も片山さつき氏だけのものではない。
ある男は、私にこう言った。
某大銀行の部長職をしていた。
「退職したら、君の故郷のM市にでも行き、市長でもしようかな」と。

 なぜ、人は、こんな愚かなことを言うようになるのか。
そのルーツをずっとたどっていくと、そこにあの「受験競争」が、見え隠れする。
そういう意味では、意識というのは、恐ろしい。
中学生でも、高校生でも、受験競争に勝った(?)とたん、おかしなエリート意識をもち始める。
「勉強ができる人ほど、優秀」と。
返す刀で、「勉強ができないヤツは、劣等」と。

が、それは待ってほしい。
私はこの40年間、受験生と言われる子どもを指導し、側面から観察してきた。
もちろん中には「優秀な子ども」もいる。
しかしそういう子どもほど、最後の最後まで謙虚さを失わない。
推薦で、一流大学の一流学部へと進学していく。
(学校の先生にも、それがわかるから、推薦される。)

 が、すでに小学生のときから、鼻持ちならぬエリート意識をもつ子どもも少なくない。
勉強ができることを鼻にかける。
どうしようもないほどのドラ息子、ドラ娘。
で、ある日私はそんな1人の母親に、こう告げた。
「あのオ~……」と。
すかさずその母親は、私にこう言った。

「あんたは、黙って息子の勉強だけをみてくれればいい。(余計なこと、言うな!)」と。

 これは本当にあった話である。
親は、浜松市内でいくつかのパチンコ店を経営していた。

 そういうことを経験しているから、「知的水準」という言葉を聞くと、バチバチと頭の中で火花が飛び散る。
いろいろ書きたいことは、山のようにある。
あるが、今夜はここまで。
要は、人も謙虚さを見失ったら、おしまい。……ということ。

●もう1人の男

 TSUTAYAで、もう1人、気になった男がいた。
60歳くらいの男だった。
私とワイフがTSUTAYAへ入ったときも、そこにいた。
雑誌を取りに行ったときも、そこにいた。
そのあたりを、ブラブラしていた。
今も、そのあたりにいる。

 本を読む気配もなかった。
手に取って読む雰囲気もなかった。
が、私にはすぐわかった。
その男は、ホームレスの男だった。

 最近、このタイプの大型店で、このタイプのホームレスの男を、よく見かけるようになった。
今日のように、寒い夜は、さらにそうだ。

●KUさんへ(母子分離不安)

 KUさんの子どもを考える。

 KUさんは、母子分離不安を心配している。
症状としては、母子分離不安そのもの。
母親がそばにいないと、極度の不安状態になる。
このとき子どもは、2つのタイプに分かれる。

 ワーッと攻撃的に泣き叫んで、母親の後を追うタイプ。
オドオドとしてしまい、混乱状態になるタイプ。
症状から私は、前者を「プラス型」、後者を「マイナス型」と呼んでいる。

 どちらであるにせよ、子どもの側からみて、「捨てられるのでは?」という恐怖心が、母子分離不安による症状へと結びついていく。
理性ではなく、本能的な部分からの恐怖心であるため、叱ったり説教したりしても意味はない。

 子どもの心というのは、環境の変化に対しては、たいへんタフ。
しかし愛情の変化には、たいへんもろい。
母親が数日、入院しただけで、母子分離不安になってしまったケースがある。
遊園地で一度、迷子になっただけで、母子分離不安になってしまったケースがある。
KUさんのように、……というか、通常のケースとは逆なのだが、下の子が生まれたことによって、上の子が母子分離不安になるケースもある。

 が、KUさんのケースは、もう少し根が深いように考える。

●ユングのシャドウ(影)論

 ユングのシャドウ(影)論をもちだすまでもない。
子どもというのは、親の心をそのまま引き継いでしまう。
たとえば親が、Aさんを内心で嫌っていたりすると、その子どももAさんを嫌うようになる。
Bさんを内心でよい人と思っていたりすると、その子どももBさんのことをよい人と思うようになる。

 こんなことがあった。
もう10年近くも前に書いた原稿に、こんなのがある。
親の心を、そっくりそのまま再現してしまう子どもの話である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2000年ごろ、中日新聞出に発表させてもらった原稿である。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親の心は子どもの心

 一人の母親がきて、私にこう言った。「うちの娘(年長児)が、私が思っていることを、そのまま口にします。こわくてなりません」と。
話を聞くと、こうだ。

お母さんが内心で、同居している義母のことを、「汚い」と思ったとする。
するとその娘が、義母に向かって、「汚いから、あっちへ行っていてよ」と言う。

またお母さんが内心で、突然やってきた客を、「迷惑だ」と思ったとする。
するとその娘が、客に向かって、「こんなとき来るなんて、迷惑でしょ」と言う、など。

 昔から日本でも以心伝心という。心でもって心を伝えるという意味だが、濃密な親子関係にあるときは、それを望むと望まざるとにかかわらず、心は子どもに伝わってしまう。
子どもは子どもで、親の思いや考えを、そっくりそのまま受け継いでしまう。
こんな簡単なテスト法がある。

まず二枚の紙と鉛筆を用意する。そして親子が、別々の場所で、「山、川、家」を描いてみる。そしてそれが終わったら、親子の絵を見比べてみる。
できれば他人の絵とも見比べてみるとよい。
濃密な関係にある親子ほど、実によく似た絵を描く。
二〇~三〇組に一組は、まったく同じ絵を描く。親子というのは、そういうものだ。

 こういう例はほかにもある。
たとえば父親が、「女なんて、奴隷のようなものだ」と思っていたとする。するといつしか息子も、そう思うようになる。
あるいは母親が、「この世の中で一番大切なものは、お金だ」と思っていたとする。
すると、子どももそう思うようになる。
つまり子どもの「心」を作るのは親だ、ということ。親の責任は大きい。

 かく言う私も、岐阜県の田舎町で育ったためか、人一倍、男尊女卑思想が強い。
……強かった。
「女より風呂はあとに入るな」「女は男の仕事に口出しするな」などなど。
いつも「男は……」「女は……」というものの考え方をしていた。
その後、岐阜を離れ、金沢で学生生活を送り、外国へ出て……、という経験の中で、自分を変えることはできたが、自分の中に根づいた「心」を変えるのは、容易なことではなかった。
今でも心のどこかにその亡霊のようなものが残っていて、私を苦しめる。
油断していると、つい口に出てしまう。

 かたい話になってしまったが、こんなこともあった。

先日、新幹線に乗っていたときのこと。
うしろに座った母と娘がこんな会話を始めた。

「Aさんはいいけど、あの人は三〇歳でドクターになった人よ」
「そうね、Bさんは私大卒だから、出世は見込めないわ」
「やっぱりCさんがいいわ。あの人はK大の医学部で講師をしていた人だから」と。

どうやらどこかの大病院の院長を夫にもつ妻とその娘が、結婚相手を物色していたようだが、話の内容はともかくも、私は「いい親子だなあ」と思ってしまった。
呼吸がピタリと合っている。

 だから冒頭の母親に対しても、私はこう言った。
「あなたと娘さんは、すばらしい親子関係にありますね。
せっかくそういう関係にあるのですから、あなたはそれを利用して、娘さんの心づくりを考えたらいい。
あなたのもつ道徳心や、やさしさ、善良さもすべて、あなたの娘さんに、そっくりそのまま伝えることができますよ」と。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●親の不安

 KUさんのケースでは、KUさんが日常的に感じている不安感が、そっくりそのまま子どもに伝わってしまっている。
私はKUさんからのメールを読んだとき、それを最初に感じた。
同時に、もしKUさんの近くに、祖父母がいなかったら、KUさんの子育ては壊れてしまっていたかもしれない。
KUさんの必死さを感ずるが故に、近くに祖父母がいて、KUさんの子育てを支援していることを、私は「よかった」と思った。

 もちろんKUさんは、そうしているだろうが、こうしたケースでは、けっして祖父母と対立してはいけない。
逆に言うと、祖父母と対立するのではなく、協力しあいながら、KUさんが日常的に感じているであろう不安感、心配、孤立感と闘う。
子どもと闘うのではない。
自分と闘う。

 ……と書くのは簡単なこと。
私はKUさんからのメールを読んだとき、私自身も、ズシンと心が重くなってしまった。
「顔面神経麻痺」「八方ふさがり」という言葉が、今のKUさんの心情を、そのまま象徴している。

●許して忘れる
  
 昨夜、ワイフは、DVDを観ていた。
メル・ギブソン主演の『復讐捜査線』というタイトルのDVDだった。

 娘が暗殺された。
刑事役のメル・ギブソンが、その犯人を追いつめていくというストーリーの映画だった。
その中で、こんなことをだれかが言う。

 「子どもがいる悲しみと、子どもがいないさみしさ。あなたはどちらを選ぶか」と。
それに答えて、メル・ギブソンがこう答える。
「子どもがいる悲しみ」と。
記憶によるものなので、まちがっているかもしれない。
が、それには条件がある。
「良好な親子関係」という条件である。

 それがなければ、……というより、多くの親たちは、子どもをもったことを後悔する。
「子どもなんか、産まなければよかった」と。
というのも、親というのは、良好な親子関係がある間は、子どもを「許して忘れる」ことができる。
そうでなければ、そうでない。
親ばかである自分を恥じ、自分を責める。
子どもを「許して忘れる」ことはできる。
しかし自分を「許して忘れる」ことはできない。

 親子関係、つまり子育ての結論は、この一点に集中する。
「良好な親子関係」と。

 メル・ギブソンと娘は、良好な親子関係で結ばれていた。
だからこう答えた。
「子どもがいる悲しみのほうがいい」と。

●親ばか

 「親ばか」という言葉を使った。
親というのは、子どもを許すことはできても、自分を許すことはできない。
親ばかだった自分を恥じる。
責める。
ついでに口を閉じる。

 子どものでき・ふできが問題ではない。
人間性の問題。
世の中には、子どもをだます親は、いくらでもいる。
同時に、親をだます子どもも、また同じほど、いる。
男性や女性をだますのと同じくらい、平気で親をだます。
自分の欲望の追求のために、親を利用する。

 そういう子どもをもった親は、子どもを責める前に、自分を責める。

●明日は、かならずやってくる。

 KUさんのケースでいえば、八方ふさがりでも、何でもない。
袋小路には入ってはいるが、八方ふさがりではない。
大切なことは、自分の子どもだけを見つめ、その「流れ」の中に身を置くこと。
身を置けば、おのずとその先に、道が見えてくる。
いや、見えてこなくても、今日、そして今、この瞬間できることだけを、懸命にする。
明日は、今日の結果として、かならずやってくる。

 世の中、けっして悪い人たちばかりではない。
KUさんが明るく、さわやかに生きていけば、みなもそれに勇気づけられる。
その勇気が希望を生む。
生きる希望を共有することができる。
けっして卑屈になってはいけない。
取り越し苦労や、ヌカ喜びを繰り返してはいけない。
KUさんはKUさんで、ただひたすら前だけを見て、生きていく。
その心が伝わったとき、子どもの心の中からも、不安症状が消える。

●子どもから学ぶ

 どんな家庭も、外から見ると、平和で幸福に見える。
が、問題のない子どもはいない。
問題のない家庭も、これまた、ない。
それぞれがみな、重い十字架を背負い、あえぎながら生きている。

 KUさんがそうというわけではない。
しかし子どもに何か問題が起きると、みな親はこう思う。
「どうして私だけが……」とか、「どうしてうちの子だけが……」と。

 そこで発想を転換してみる。
「子育てというのは、そういうもの」と。
苦労や悲しみは、つきもの。
あって、当たり前。
とたん、気が晴れる。

 大切なことは、子どもから学ぶという姿勢。
子どもが泣いているときも、そうだ。
泣くのを「悪」と決めつけてはいけない。
子どもには子どもなりの理由がある。
「あなたも悲しいのね。お母さんも悲しいのよ」と。
すなおに負けを認め、子どもの立場で、いっしょにものを考える。

●帰る

 TSUTAYAを出た。
車にエンジンをかけると、猛烈な勢いで、窓ガラスから温風が吹き上げてきた。
自動的にフロントガラスの曇りを消す装置が、働いた。
外気は、9度と表示されている。
寒いというより、冷たい。
 
 私たちは一度、家に戻った。
そのまま山荘へ向かう準備を始めた。

●山荘へ

私「KUさんのこと、どう思う?」
ワ「近くに、祖父母がいて、よかったわね」
私「うん、ぼくもそう思う。KUさんひとりでは、たいへんだ」
ワ「夫は、どうしているのかしら?」
私「ぼくも気になっている。でも、夫については、何も書いてない」
ワ「韓国の人かしら?」
私「たぶんね。韓国では、夫婦別称が、当たり前だし……」と。

「KU」というのは、日本名である。

●コンビニ

 途中、コンビニで、遅い夕食を買った。
私は、菓子パン。
ワイフは、日本ソバ。
あと、せんべいなどの菓子類。

 ……それと近く、修善寺(静岡県伊豆半島の温泉地)で、講演をすることになっている。
その講演が終わったら、修善寺温泉に一泊する。
その宿探しを、雑誌でした。
20冊近い、旅行雑誌が出口のところに並んでいた。

 コンビニを出るとき、店員にこう聞いた。

「だめだと思いますが、このページをそこのコピー機で、コピーしてもいいですか」と。
すると店員は、半ばあきれ顔で、「だめです」と。

私「ハハハ、そう言われるとわかっていました。わかっていましたから、聞いてみただけです。ハハハ」と。

 だめに決まっている。
しかしその雑誌だって、売れなければ、返本するだけ。

●母子分離不安

 KUさんが今、いちばん先にすべきことは、(すでにしているかもしれないが)、同じ障害をもつ親同士のネットワークに参加すること。
けっして孤立しないこと。
けっして「私だけが……」と思わないこと。

 どういった障害なのかは、メールだけでは、よくわからない。
が、そういった専門のネットワークもあるはず。
今ではネットを使えば、簡単に検索できる。
韓国のことは知らないが、この日本では、そうした子どもへのケアも、かなり充実してきている。
子どもが進むべき道は、けっして一本ではない。
幸福になる道も、けっして一本ではない。

 あとは前だけを見て、先にも書いたように、明るく、さわやかに生きていく。
結果として、母子分離不安の問題など、吹き飛んでしまう。

 子どもが泣きながら後を追いかけてきたら、KUさんは、やさしく抱いてあげればよい。
あれこれ考えないで、子どもの心になって、子どもと悲しさやさみしさを共有してあげればよい。
それと「甘やかす」ということとは、別。
つまりそうしてあげたからといって、甘やかしたことにはならない。

 「甘やかす」というのは、規律のない生活の中で、欲望に溺れさせることをいう。
甘やかしたから、母子分離不安になるというわけではない。
きびしくしたからといって、母子分離不安が治るわけでもない。

●寝支度

 昼寝をしたこともある。
時計を見ると、時刻は、午前0時を越えていた。
ワイフは寝支度を始めた。

 外はかなり寒いはず。
「明日は、凍っていないだろうか……」と。
水が氷れば、山荘は使い物にならなくなる。

 最後に、KUさんへの返事を書くことにした。

【はやし浩司より、KUさんへ】

 お気づきのように、これは母子分離不安の問題ではありません。
またそんな問題は、何でもありません。
10人の子どものうち、2~3人が経験する、ありふれた問題です。
だからあまり深刻に考えないこと。
自然体で、子どもに接したらよいでしょう。

 それよりも重要なことは、あなたが今、もっているであろう閉塞感、それに基づく、不安や心配を、どうするかということです。
お子さんたちは、それをそっくりそのまま受け継いでいまっています。
『子どもの心は、親の心の鏡』と考えてください。

 ……と、こんなことを書くと、KUさんは、自分で自分を追い込んでしまうかもしれませんね。
そこでこう考えてみてください。
親になることは、子どもをもつことで、だれでもなれます。
しかし「真の親」となると、そうはいかない。
何度も何度も、絶望のどん底へ叩き落とされながら、親はやがて「真の親」へとなっていきます。
私たち夫婦にしても、そうです。
何度も何度も、子育てで行き詰まり、そのつど近くの山に車を走らせ、そこで泣きました。
今でもときどき、泣きます。

 運命がどうのこうのと考える前に、人生も残り少なくなってきました。
だったら、もう運命を受け入れるしかない。
最近は、そう考えるようになりました。
「なるようになれ」というよりは、ありのままをさらけ出して、生きる。
どうもがいたところで、これが私の人生。
完璧な人生、完璧な人間関係、完璧な親子関係など、もとから望むべくもない。
孤独死、無縁死、何でも結構。
人に嫌われようが、悪く思われようが、それも構わない。
生まれが生まれですから……。

 あとは勇気をもち、足を前に一歩、踏み出す、です。
そこにある問題から逃げるのではなく、2人のすばらしいお子さんといっしょに、前を向き、いっしょに歩く。

 なおどうしても母子分離不安が気になるようでしたら、こうします。

(1) 求めてきたときが与えどき……子どもが何かのアクションを求めてきたら、「与えどき」と思い、すかさず、(すかさず、です。1~2秒も間をおかない)、抱いてあげます。
力いっぱい抱くのがコツです。
たいてい数秒~10秒前後で、子どもは安心し、満足します。

(2) 温かい無視
愛情だけは忘れず、そっと距離を置くようにします。
あなたとあなたのお子さんだけのことを考えます。
他人がどうこう言っても気にしないこと。
先にも書きましたが、そうしたところで、「甘やかす」ということにはなりません。
お子さんは、心底、つらいから泣くのです。
わがままとか、そういうふうに考えてはいけません。
「さみしかったのね?」とお子さんをねぎらいながら、愛情を表現してあげてください。
添い寝、抱っこ、いっしょの入浴など、濃密にしてあげてください。
その年齢がくれば、自然と収まってきます。
少なくとも児童期へ入るころには、症状は消えます。

●就寝
 
 山荘ではいつも、枕元で、香を焚くことにしている。
お気に入りは、「オウピアム」。
名前が恐ろしい。
日本語で、「大麻」!

 市販の香で、どこの店でも売っている。
どうか、どうか、誤解のないように。
が、気にはなった。
そこで一度、近くの交番にもっていったことがある。
「こんなのが市販されていますが、だいじょうぶですか?」と。
が、交番の警官は、オウピアムの意味すら、知らなかった。
「調べておきます」と言ったきり、そのままになっている。
それから2年近くになる。
 
 ……どうして「オウピアム」という名前がついているのだろう。
本物の大麻のにおいなど、知る由もない。
常識的に考えれば、においだけ似せて作った、偽物ということになる。
だからときどき「大麻って、こんなにおいなのかなあ」と思う。
(本物だったら、事件になるぞ!)
 
 そうそう、その反対のこともある。
欧米人がみな、驚く。
「日本では、覚せい剤を堂々と売っている!」と。

 英語で「アシド・ミルク(乳酸飲料)」と言えば、「覚せい剤」を意味する。
車の側面などに、「Acid Milk(乳酸飲料)」と書いてある。
それをみて、欧米人は、みな驚く。
 
(枕元でオウピアムの香を焚いているからといって、どうか誤解しないでほしい。)

 では、今夜は、これでおやすみ。
韓国のKUさん、おやすみなさい。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 母子分離不安 よく泣く子ども)


Hiroshi Hayashi+++++++Dec.2011++++++はやし浩司・林浩司

 



 

2011年12月21日水曜日

●浜名湖弁天リゾート・ジ・オーシャンにて

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司   12月  21日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●「浜名湖弁天リゾート・ジ・オーシャン」にて

++++++++++++++++++++++

弁当を買う。
DVDショップで、DVDを借りる。
雑誌「Sapio誌」(小学館)を1冊仕入れる。
「中国・大崩壊」という特集が気に入った。

そのあと一度、家に戻り、そのままジ・オーシャンに。
先ほど電話を入れたら、「今日は、けっこう混んでいます」と。
で、和室で頼んだら、太平洋側ではなく、裏弁天側という。
「裏弁天側なら、和室が空いています」と。

この際、ぜいたくは言わない。
温泉に入れるだけでも、ありがたい。

+++++++++++++++++++++

●雨

 今朝から、土砂降り。
昼ごろになって雨脚(あまあし)が、やや弱くなった。
庭に出てみると、生暖かい南の風。

 私とワイフは、弁当屋に向かった。
600円の弁当でも、ホテルで食べると、おいしい。
言い忘れたが、今回は、1泊朝食。
夕食なし。
料金は6200円+消費税+入湯料とか。
通いなれたホテルだけに、気分も落ち着く。

●無理

 が、いつもそうだが、迷わなかったわけではない。
せっかくの土曜日だから、一日、家の中でのんびりしていたいという気持ちもないわけで
はない。
それに土曜日は、どこへ行っても、混雑している。
ホテルにしても、料金は割高。

 が、そこは思い切って、アクセルを踏む。
この「踏む」という部分で、かなり無理をする。
年を取れば取るほどなおさらで、その(無理)がないと、「一日中、家の中で……」となる。
しかしこれは、まずい。
気力がますます弱くなる。
刺激を求めなくなる。
廊下の入り口に立つと、そうなる。

●老人性無気力症

 老人になると、何ごとにつけ、無気力になる。
フロイトが説いた「性的エネルギー」は、そのままユングの説いた「生的エネルギー」に
一致する。

 性的エネルギーの衰退は、当然、生的エネルギーの衰退と考えてよい。
その生的エネルギーが衰退する。

 だから「アクセルを踏む」となる。
しかしこれは努力の問題というよりは、習慣の問題。
その習慣があればよし。
そうでなければ、そうでない。
それは(運動)に似ている。

 運動することよりも、「運動をする」という習慣が大切。
その習慣をどう作るか。
老後に向け、どう作っていくか。
その習慣作りに失敗すると、あとは死の待合室にまっしぐら!

●中国大崩壊

 中国がおかしい。
……ということは、みな、感じている。
不動産(マンション)価格が、今年に入ってから、暴落に近い値下がりをつづけている。
日本でもそういう事件はあった。
先にマンションを買った住人たちが、価格を下げた業者に対して、暴動を起こしたという。
そんなニュースも伝わってきている。
そのためマンションの売買取引は、「(昼間はあぶないので)、夜になされている」(上海)
とか。

 しかしこれはおかしい。
いくら値下がりしたとはいえ、そのときはそのときで、納得して買ったはず。
あとになって価格がさがったからといって、つまり高いでマンションを買わされたからと
いって、怒るほうがどうかしている。

 私が住んでいるこの団地にしても、買ったときは坪11万5000円だった。
が、あのバブル時代には、坪50万円近くまで、はねあがった。
現在は坪30万円前後で落ち着いている。
つまり中国政府は、ここにきて突然、急ブレーキを踏んだ。
(まだSapio誌を読んでいないが、たぶんそのあたりを切り口にしているはず。)

●R631(28D)、TOSHIBA・ウルトラブック

 今日のお供は、R631。
たいへん気に入っている。
指紋認証が、こんなに便利なものとは、知らなかった。
それに光るキーボードというのも、よい。
スイッチONから、デスクトップ画面が現れ、スタンバイになるまで、10秒前後。
軽くて、持ち運びやすい。
世界イチ、軽くて薄いとか。
まるでふつうのノートのよう。

 今、そのパソコンを、車の中で使っている。
楽しい。
気持ちよい。
指が慣れてきたせいか、キーボードの感触がよい。
今夜はだれにもじゃまされず、思う存分、文章を叩ける。

●大雨注意報

 3時に家を出た。
こういう日は、駐車場の確保に苦労する。
夕方になると、温泉が混雑してくる。
だから3時。
早めのチェックイン。

 バイパスから国道1号線へ抜けるとき、東海道線の線路をまたぐ大橋を渡る。
そのときのこと、車が風で、左右に大きく揺れた。
ワイフは、「台風みたい……」と、2、3度、言った。
見ると、どこかの倉庫を包むビニール・シートが、風に大きくはためいていた。
国道1号線に出てからも、みな、速度を落として走っている。
そういえば現在、大雨注意報、発令中。

 もうすぐ弁天島に到着。

●中国とEU

 風呂から出て、先ほどまで居間のほうでSapio誌を読んでいる。
中国では、不動産価格が、今年に入って20%下落したとある。
「高値づかみした住民が暴動を起こした」という記事も載っていた。
ハイパーインフレも目下、進行中。
おおかたの見方は、予想範囲というか、常識的。
(偉そうなことを書いて、ごめん。このところ私も、経済にかなり明るくなってきた。)

 ただ知らなかったのは、中国がEU経済に深く、関わりこんでいるということ。
Sapio誌によれば、「ギリシャ国債やポルトガル国債、スペイン国債など、危機に直面
するEU各国の国債を、数10億ユーロ単位で大量に保有している」(P8)とか。
具体的な数字は書いてなかったが、「日本の対EU貿易は全体の1割にすぎず、デフォルト
が懸念される欧州国債を保有する金融機関もわずか」(P6)だ、そうだ。
道理で中国は、「助ける」「助ける」を連呼している。
助けなければ、自分があぶない。

 悪魔のシナリオを考えるなら、EUが破産し、中国と韓国が破産し、日本だけ何とか生
き延びる。
……というのは、どうやら無理のようだ。
崩壊度にもよるが、中国が中程度以上の崩壊をすれば、日本経済もそのまま崩壊する。

●世界の荒波

 要するに、今、世界中の銀行が、札を印刷機をフル回転で増刷した。
世界中が、通貨安競争を繰り返した。
その結果が、今。

この際いつまでも優等生ぶらないで、日本も印刷機をフル回転させたらよい……というの
は、暴論だが、このままでは本当に1ドル=50円になってしまう。
ハイパーインフレ、やむなし!
またそれによって、日本の借金も、(仮に物価が2倍になれば)、半分に減る。
……つまりそこまで腹を決めないと、この激流は、乗り切れない。

 とはいっても、やがてそうせざるをえなくなる。
たとえるなら、日本は小さな防波堤で囲まれた一軒家。
世界の荒波は、そのすぐそこまで押し寄せてきている。

●ジ・オーシャン

 ホテルは、2間つづきの広い和室を用意してくれた。
寝室と居間が分かれている。
このホテルの中でも、スィートルーム。
こういう心遣いがうれしい。

 夕食は、もちろん弁当。
ほかに家からもってきた、柿とみかん。
景色がいつもとはちがうので、部屋に入った瞬間、かなりとまどった。
今回は裏弁天側。
いつもはそこにあるはずの太平洋が、今日は見えない。

 ……浜松に来たころには、この裏弁天にあった友人の別荘に寝泊まりしていた。
冬場は、だれも使っていないということだった。
それでその別荘の一部屋を貸してもらった。
そのこともあって、浜松市内に居を構えてからも、夏になると毎週のようにこの裏弁天へ
遊びに来ていた。

東海道線のガードをくぐると、西山貸し船店というボート屋がある。
私と同年齢の主人が、その店を経営していた。
今も、その主人が経営しているという。
2、3年前だったか、その西山氏が、何かのことで新聞に紹介されていた。
なつかしいというより、うれしかった。
そのボート屋でボートを借り、浜名湖へ出た。

 ジ・オーシャン……大理石に覆われたピカピカのホテルではない。
古い旅館をていねいに改装したホテルである。
それだけに居心地がよい。
従業員の人たちも、やる気満点。
随所に本気度が満ち溢れている。
今回は夕食抜きで泊まったが、いつも一流ホテルの客のように、私たちを扱ってくれる。
満足度で評価するなら、文句なしの5つ星の、★★★★★。
今ならキャンペーン中ということで、1泊2食付で、7500円前後で泊まれる。

正確には、1室4名……6510円(1泊2食付)
      1室3名……7035円
      1室2名……7560円
 詳しくは……053-592-1155まで

●年賀状

 今年も年賀状の季節になった。
ときどき文面を考える。
が、年々、簡素なものになってきた。

 今日もこのホテルへ来るまで、遠くの景色を見ながら考えた。
「どうしようか?」と。

 そういえば、すでに喪中の知らせが、何通か届いている。
が、そのたびに、私はこう思う。
「なぜ日本人は、こうまで年賀状にこだわるのか」と。

 5、6年前、私は年賀状廃止宣言をした。
が、そののち、少しずつ復活。
昨年も、X百枚かの年賀状を出した。
もちろん今年、世話になった人には、令状として年賀状を出す。
親しい知人や友人にも出す。
毎年欠かさず年賀状をくれる人にも出す。
しかしそこまで。

 虚礼で出す年賀状ほど、意味のないものはない。
そういう相手からだと、年賀状をもらっても、かえって不愉快になるだけ。

 その年賀状だが、2年ほど前までは減少傾向にあったという。
が、今年になって発行枚数の減少が止まったとか。
しかしその今年。
あの3・11大震災が日本を襲った。
「明けましておめでとうございます」という気分には、どうしてもなれない。
放射線による被害が出てくるのは、これから。
チェルノブイリ事故のばあい、2~5年後から被害が現れ始め、10年後にピークを迎え
たという。

 ともあれ、そういうことも考えながら、文面を考える。
 
2008年……40億2000万枚
2009年……39億5000万枚
2010年……38億2000万枚
2011年……38億2000万枚(財経新聞)

●午後5時2分

 ワイフがこう言った。
「5時で、真っ暗よ」と。
時計を見ると、5時02分。
日が沈むのが、早くなった。

 隣の部屋には、ダブルのベッドが2つ、ゆったりと並べてある。
1つだけでも、自宅のダブルベッドより広い。

……先ほどワイフが「少し頭が痛い」と言った。
私も少し痛い。
若いころは偏頭痛に苦しんだ。
が、ワイフはちがう。
若いころから、頭痛とは無縁だった。
が、このところ急に、体力が衰えてきた。
そんな感じがする。

 ……たった今、ワイフが「寒いわね」と言った。
見るとエアコンが切ってあった。
スイッチを入れ、24度に設定した。

●私流の尺度

 私にとって経済学というのは、もっと直接的なもの。
つまり肌で感ずるもの。

 たとえば今回の一連のEU金融危機についても、30分ごとに入れ替わるニュースを読
んでいても、実感がわかない。
それよりもむしろ株価の動きを見ていたほうがよくわかる。
グラフで示される。
たとえば野村ホールディングズ(野村証券)の株価。

 私は野村ホールディングズの株価を見ながら、EUの動向を探っている。
株価が上がれば、EU経済は快方に向かっている。
下がれば、EU経済は悪化している。
私のような素人があれこれ判断するより、無数のプロたちが集合して出す結論のほうが正
しい。
(ただし私は野村株は、一度ももったことはない。
株は、3・11大震災の1週間前に、すべて売り払った。)

 同じように中国経済をみるときは、100円ショップを見ればよい。
今では大きなゴミ箱まで、100円で買える。
が、もし品数が減ってくれば、中国の中小企業が傾き始めたことを示す。
品質が悪くなり、小物ばかりになってきたら、元高に向かっていることを示す。
(それほど単純でないことは、よくわかっているが……。)

 言うまでもなく、あの100円ショップの商品は、そのほとんどが中国から入ってきて
いる。
私はいつも、「どうしてこんなものが、100円でできるのだろう」と思いながら、買い物
をしている。
それもやがて限界にくる。
そのとき中国は崩壊する。

 ほかにたとえばガソリン価格。

 ガソリンの価格が上がれば、資源の価格が上昇している。
下がれば、下降している、などなど。
おおまかに言えば、原油価格と貴金属価格は連動している。
たとえばガソリン価格が上昇していて、貴金属価格が上昇していないときは、「貴金属は買
い」と判断できる。

●Sapio誌

 Sapio誌は、「中国崩壊」について、つぎのような記事を並べている。

(1)倒産→夜逃げラッシュ、不動産価格の一斉下落で、中国経済崩壊はもはや秒読み。
(2)日経平均株価5000円、冷凍食品が消滅、日本経済&生活は、こう変わる。
(3)来年1月総選挙が分岐点…追い詰められた中国は、台湾併合で覇権の歩を進める
(4)中国は焦っている! TPP日本参加の本質は、日米同盟強化と中国封じ込め
(5)「2歳女児ひき逃げは見殺し」は、氷山の一角! 「冷漠社会」よりこわい「誘拐
(6)多発地帯」
(7)極貧生活者3億人、大卒失業者800万人…世界最悪の格差社会と反格差デモ。
(8)中国GDPを押し上げてきた「金持ち愛人」たちの逆襲。
(9)胡錦濤「共青団」と習近平「太子党」が暗闘中、ほか。
 
 どれもギョーギョーしい記事ばかり。
この雑誌は、何かにつけ、ギョーギョーしい。
信頼性は、あまりない。

●資本主義

 資本主義は、今、大きな曲がり角に来ているのではないか。
またそういう視点で考えると、世界の動きが、より正確に理解できる。
たとえば(資本=マネー)そのものが、ゲーム化している。
神聖な……とまでは言えないが、労働力の対価としてのお金(マネー)が、ばくち(バク
チ)の対象になっている。

1日中働いて、数ドルしか稼げない人もいれば、一昼夜で、数億ドルも稼ぐ人もいる。
ドル、ユーロ、元、円は強いが、そうでない通貨は、そのつどジャンク(ゴミ)になって
しまう。
強い通貨をもった国は繁栄し、弱い通貨をもった国は、ますます貧乏になっていく。

 こんなバカげたことをつづけていたら、世界は本当におしまい。
やがて世界は、メチャメチャになってしまう。
精神的な部分から、破壊されてしまう。

●11月20日

 日本の若者たちで、何がいちばん欠けているかといえば、(たくましさ)。
数日前、高校生と大学生の就職率が発表された。
それを見ても、かなり悪い。
が、仕事がないわけではない。
(きれいな仕事)がないだけで、その気になれば、何だってできるはず。

 タイの若者たちは、先般の大洪水のとき、土嚢の上で屋台を開いていた。
16歳の少女だが、自分でボートを借り、ソーセージを焼いて売っていた。
そういう(たくましさ)が、この日本から消えてしまった。
かわりに、あのトレンディ・ドラマ。

 就職したら、マンション住まい。
車もあり、冷蔵庫も、エアコンもあり……。
そのつど「給料があがったら、金を返す」と言っては、親から金をせびる。
最初からこんな生活をしようと思うから、「就職先がない」となる。

 が、日本国内ではそれでよいとしても、日本を一歩外に出れば、そこは猛獣が行き交う
野獣の世界。
そんな連中を相手に、この先、どうやって日本人は生きていくというのか。

 日本の若者たちよ、仕事先ではなく、仕事をさがせ!

●二日酔い

 今朝は4時30分に目が覚めた。
毎度のこと。
エアコンのサワサワとした乾いた風が、どうも肌に合わない。
温度を23度に設定したが、寒い。
……ということで、午前4時30分、起き。

 頭が痛いのは、昨夜、寝る前に飲んだチューハイのせい。
いつもより多く、飲んだ。
つまり二日酔い。

●仕事

 先に「仕事先ではなく、仕事をさがせ」と書いた。
それについて、追記。

 これはその年齢の若者たちだけの問題ではない。
子どもたちの問題でもある。
さらに言えば、(依存性)の問題でもある。

 子どもたちにしても、仕事、つまり家事をまったくといってよいほど、しない。
親自身がさせない。
「家事をさせなさい」などと言うと、「させることがありません」と。

 掃除は掃除機で、ものの10分足らずですんでしまう。
料理にしても、レトルト食品。
電子レンジに入れて、ポンで終わってしまう。
洗濯は、もちろん全自動。

 だから最近の子どもたちは、(してもらうこと)を、当然と考えている。
が、(すべきこと)がないわけではない。
アメリカ人の友人が、こんな話をしてくれた。

その友人は、浜松市内で英語を教えていたとき、ときどき生徒を自宅へホームスティとし
て招いていた。
そのときのこと。
そのアメリカ人は、こう言った。

 「ヒロシ、日本の子どもたちは、みなスポイルされているよ」と。

 「スポイルされている」というのは、簡単に言えば、「ドラ息子・ドラ娘」という意味。
そこで私が、「君は、どんなところを見て、そう言うのか」と聞いてみた。
するとその友人は、こう話してくれた。

「何もしない。ぼくが料理をしているときも、遊び回っている。
食べた食器は、いつもそのまま。
シャワーを使っても、泡を流さない。
朝起きても、ベッドをなおさない。
何もしない」と。

 そういう子どもが勉強だけして、やがて就職先をさがすようになる。
が、この不況。
おいそれと仕事先が見つかるわけではない。
だからある女子大生は、中日新聞の投書欄にこう書いた。
「就職先を(私たちのために)用意するのは、社会の役目」と。

 私はその投書を読んで、こう思った。
「こんな女子大生が公務員にでもなったら、日本はおしまい」と。

●経営者は1人

 私の教室は、経営者は、私1人だけ。
ワイフが手伝ってくれるから、従業員は1人ということになるが、実際には、家族経営。
だから、それがよくわかる。
「1人」の意味がよくわかる。

 つまり1人の人間が生きていくだけで、精一杯。
もしアルバイトの人を雇ったら、私の教室など、あっという間に閉鎖。
それだけの余力は、どこにもない。

 ……というようなことを、先日も、道路清掃をしている人たちを見たときに考えた。
道路の落ち葉を片づけていた。
清掃車の前後に、旗振りの男女が1人ずつ。
清掃する人、落ち葉を清掃車に詰め込む人、それが4人。
合計で、6人!

 私はそれを見ながら、「6人の人を食べさせていくのは、不可能」と思った。
半ば公的な仕事で、国からそれなりの補助金でも出ればまだ、できる。
しかしそれもなかったら、不可能。

 だいたい落ち葉など、その近所の人たちが清掃すれば、すむはず。
それを6人がかりで、清掃する。
税金の無駄というより、馬鹿げている。

 つまり(仕事)に対する感覚が、完全にズレている。
それがわからなければ、一人(独りでもよい)で生きてみること。
何ができて、何ができないか、すぐわかるはず。
(仕事)の原点は、いつもそこにある。

●雨上がり

 20日になって、雨が上がった。
同じ雨雲だが、空が高い。
車はゆっくりと自宅に向かっている。
頭痛が残っているため、最適のコンディションとは言えない。
文章を書いていても、どうしても暗くなる。

 ……今日の予定。

 アメリカに住む孫に、「石」を送ること。
何でも「石」に興味があるとか。
私の家に来たときも、庭のあちこちを掘っていた。

 ……実は私もちょうどその年齢のころ、石に興味があった。
何かの本の付録についてきた石である。
最近までその石の名前を覚えていたが、忘れた。
黒く、コーヒーの結晶のような石だった。
私は毎日、その石を磨いて遊んでいた。

 あとは昼寝をしてから考える。
やろうと思えば、いくらでもやることはある。
しかしどうも気が進まない。
今日一日は、おとなしくしていよう。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教
育評論 はやし浩司 はやし浩司 ジ・オーシャンズ はやし浩司 2011-11-2
0 浜名湖弁天リゾート・ジ・オーシャン)


Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●老人心理と貪欲さについて(はやし浩司 2011-11-20)
(John Milton's "On Time")

++++++++++++++++++++++

今夜の夕食は、私がインスタント焼きそばと白いご飯。
ワイフが、レトルトの牛丼。
息子が、インスタント・ラーメン。
まことにもって、質素な夕食。……でした。

++++++++++++++++++++++

●運動2単位

 先ほど、ウォーキングマシンの上で30分、歩いた。
時速は6キロ(MAX)。
ダラーと汗をかいたところで、終了。
これで1単位。
(1単位=約30~40分。全身に汗をかく程度を1単位とする。)

●竹やぶ

 自宅の横に、大きな竹やぶがある。
その竹やぶの竹を、草払機で100本ほど、切り倒した。
放っておけば、自宅のほうまで伸びてくる。
壁をこする。

また枯れた竹や葉が、かなり積もっている。
だれかがタバコの吸い殻でも捨てたら、そのまま火事になる。
……ということで、毎年、今の時期になると、竹やぶの竹を切る。

 夏場は、ハチの巣があるので、それはできない。
切るなら、今ごろ。
毎年、それが恒例行事になっている。
で、今日はそのあと、庭の芝生も刈った。
その運動が、ちょうど1単位。

だから今日は、計2単位。
運動の量としては、まずまず。

●半眠状態

 脳みその健康のためには、運動は欠かせない。
とくに私のような低血圧気味の人間には、欠かせない。
運動をする前と、運動したあととでは、脳みその働きはまったくちがう。
ものを書いていると、それがよくわかる。

 が、今は、どこかぼんやりとしている。
集中力というより、(怒り)がわいてこない。
食後ということもあって、脳みそは半眠状態。
平和。
穏やか。
さて本論。

++++++++++++++++++はやし浩司

イギリスの詩人、ミルトンはこう書いている。
『老人が落ち込む、その病気は、貪欲である』と。

私は英語の原文を知らない。
「貪欲」というのは、「greedy」のことか。
卑しい意味で、「greedy」という。
「あなたはgreedyだ」と言われ、それを喜ぶ人はいない。
日本語で言うと、「むさぼる」という意味になる。

++++++++++++++++++はやし浩司

●老人のこだわり

 ある老人が、自宅で倒れた。
たまたま隣人が医師だった。
それでその老人は隣人の家まで、這うようにしてやってきた。
が、ここからが常人には、理解できないところ。

 その医師が「救急車を呼びましょう」と声をかけると、「それだけはやめてくれ」と。
理由を聞くと、「近所に恥ずかしいから」と。

●見栄?

 こうした老人特有の(こだわり)は、あちこちでよく耳にする。
たとえばA氏、82歳。
A氏の妻も、同じく、82歳。
A氏は自宅に住んでいる。
A氏の妻は、有料老人ホームに住んでいる。

 ところが最近、A氏の体調が悪くなってきた。
10年ほど前に、前立腺がんの手術を受けている。
それが再発。
大腸がんを併発した。

 が、A氏は、どんなことがあっても、自宅の雨戸を閉めたまま、あるいは開けたままに
しない。
A氏が自宅にいないときは、A氏の妻が有料老人ホームからタクシーでやってきて、その
時刻になると、雨戸を開けたり、閉めたりしている。

 見栄なのか?
それとも虚栄なのか?

 これらの老人に共通しているのは、自分の弱みを人に知られることを、極度に警戒して
いるということ。
私の母にしても、そうだ。
兄と自転車店を経営していたが、60歳を過ぎてからは、めったに外泊すらしなかった。
店を閉める……ということを、極端にいやがっていた。
たとえば兄が胃潰瘍で入院したときも、医師とかけあって、1週間程度で病院から連れ出
してしまった。

●恥?

 こういう老人特有の心理を、どう理解したらよいのか。
ふつうの常識のある人なら、ケース・バイ・ケースでものを考える。
若い人なら、なおさらであろう。
救急車を呼ぶことを、恥と考える。
自宅や店を閉めることを、恥と考える。

 他人の目の中で生きてきた人ほどそうかもしれない。
が、それだけでは、理解できない。
もうひとつ考えられるのは、そうした老人たちは、そういう目で他人を判断してきたとい
うこと。
たとえば近所の人が救急車で運ばれたりすると、それを喜んだり、笑ったりする。
店を閉めた人についても、そうだ。
あれこれとその家の事情を詮索し、それを世間話にして花を咲かせる。

 低俗な人たちだが、そういう人は、たしかにいる。

●他人の不幸をのぞく人

 義姉の母親が倒れた。
義姉の義母、つまり夫の母親だった。
その母親は2年間ほど、義姉の家にいた。
義姉が介護した。

 そのときのこと。
ある日突然、夫の従姉と従兄の2人が見舞いに来たという。
いろいろ事情があった。
その事情について書くのは、ここでの目的ではない。
簡単に言えば、「来るはずもない2人が来た」(義姉)と。

 義姉はこう言った。
「好奇心というか、物見見物といった感じです。義母が倒れたのが、よほどうれしかった
のでしょうね。それを自分の目で確認するために来たのです」と。

 私にも似たような経験がある。
あるので、そのときの義姉の気持ちがよく理解できた。
世の中には、本当に残念なことだが、他人の不幸を酒の肴(さかな)にして、喜ぶ人がい
る。

●人生の総決算

 老齢期になると、それまで奥に隠し持っていた醜悪な人間性が、そのまま表に出てきて
しまう。
隠そうという意欲そのものが、薄れてくる。
(反対に若いときは、気力で、それをごまかすことができる。)
言うなれば、持病のようなもの。
それがどっと表に出てくる。

 老齢期というのは、そういう意味で、人生の総決算期。
老齢期の人間性を見れば、その人がどういう人生観をもっていたかが、おおよそわかる。
もちろんそれがよいものであれば、よし。
しかしそうでなければ、そうでない。
みなにあきられ、嫌われる。

●では、どうするか

 釈迦は、「精進」という言葉を使った。
「日々に鍛練あるのみ」と。
この鍛練にみによって、自分の人生観を変えることができる。
しかもその時期は、早ければ早いほど、よい。
30歳や40歳を過ぎてからでは、遅い。
50歳では手遅れ。
60歳では、先に隠された人間性のほうが表に出てきてしまう。

 つまり一度できた人間性は、簡単には改まらない。
ゆがんだ心となると、さらにそうだ。
ばあいによっては、(ほとんどがそうだが)、死ぬまでそのまま。

●縁を切る

 あなたの周囲にも、ずる賢い人はいくらでもいる。
小細工に小細工を重ね、善人ぶっている人はいくらでもいる。
ウソをつき、インチキを繰り返す。
大きな悪事こそできないが、平気で人をだます。

実のところ、私のまわりにもそんな人がいた。
が、50歳を過ぎるころから、私は心に決めた。
「縁を切ろう」と。

 そういう人たちとつきあっていても、得るものは何もない。
ないばかりか、しばらくつきあっていると、そういう人たちがもつ、あの独特の毒気に染
まってしまう。
そういう人たちは、そういう人たち同士が集まり、独特の社会を形成している。
そういう社会に取り込まれると、それこそ私やあなたは、酒の肴にされてしまう。

 が、それが本当の被害ではない。
本当の被害は、時間を無駄にすること。
時間を無駄にすること以上の、「損」はない。

●総決算

 「救急車を呼ぶな」と言った老人。
毎日、雨戸をきちんと開けたり閉めたりする老人。
それがその老人たちがもつ人生観の、総決算ということになる。

 ……この話は以前にも書いた。
原稿をさがしてみる。

++++++++++++++++++++

「救急車を呼ぶな」と言った老人。
日付を見ると、2002年となっている。
今から9年前。
その前後に書いた原稿と併せて、再掲載する。

++++++++++++++++++++


●ある退職者


 退職してからも、現役時代の肩書きや地位を引きずって生きている人は多い。とくに「エ
リート」と呼ばれた人ほど、そうだ。そういう人にしてみれば、自分が歩んだ出世コース
そのものが、自分の人生そのものということになる。Y氏(六七歳)もその一人。


 私に会うと、Y氏はこう言った。「君は、学生時代、学生運動か何かをしていたのかね? 
それでまともな仕事につけなかったのかね?」と。


 彼は数年前まで、大手の都市銀行で、部長をしていた。この浜松へは、生まれ故郷とい
うことで、定年と同時に、移り住んできた。彼の父親の残した土地が、あちこちにあった。
そこで私が、「本も書いています」と言うと、「いやあ、こういう時代だから、本を書いて
もダメでしょ。本は売れないでしょ」と。たしかにそうだが、しかしそういうことを面と
向かって言われると、さすがの私でもムッとくる。


 問題は、なぜY氏のような人間が生まれるか、だ。仕事第一主義などという、生やさし
いものではない。彼にしてみれば、人間の価値まで、その仕事で決まるらしい。いや、そ
れ以上に、なぜ、人は、そこまで鼻もちならないエリート意識をもつことができるのか。
自尊心という言葉があるが、その自尊心とも違う。肩書きや地位にしがみつくのは、自尊
心ではない。自尊心というのは、生きる誇りをいう。肩書きや地位とは、関係ない。彼の
ような人間は、戦後の狂った経済社会が生みだした、あわれなゾンビでしかない。


 もっとも彼にしてみれば、過去の肩書きや地位を否定するということは、自分の人生そ
のものを否定することになる。最後は部長になったが、その部長をめざして、どれほど身
を粉にして働いたことか。家庭を犠牲にし、自分を犠牲にしたことか。それはわかるが、「で
は、Y氏は何か?」という部分になると、実のところ何もない。何も浮かんでこない。少
なくとも私には、ただの定年退職者(失礼!)。


 別れぎわ、「今度、また自治会の仕事をよろしくお願いします」と言ったら、こう言った。
「ああ、県や市でできることがあれば、私に一度、連絡してください。私のほうから口を
きいてあげます」と。そうそう、こうも言った。「林君は、カウンセリングもできるのです
か。だったら、国のほうでも、そういう仕事があるはずですから、今度、私のほうで、話
しをしてあげますよ」と。


 おめでたい人というのは、Y氏のような人をいう。が、私は心の中で、Y氏とは、完全
につながりを切った。「何かの仕事の話になっても、(そういうことはありえないが)、断ろ
う」と心に決めた。
(02-12-2)


Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司


●老後


 おととい、Pペイントという、日本でも一、二を争うペンキ会社で、会長をしていたとい
うT氏が、久しぶりに我が家へ寄ってくれた。一五年ぶり? 玄関で会ったとき、「お元気
ですか」と言いかけたが、思わず、その言葉がのどの奥に引っ込んでしまった。T氏は、
すっかり老人ぽくなってしまっていた。


 居間でしばらく話していると、やがて年齢の話になった。私が「五五歳になりました」
と言うと、「いいですねえ、これからですよ」と。私が驚いていると、こうつづけた。「ち
ょうどバブルのころということもありましてね。私が本当に自分の仕事ができたと思うの
は、五六歳から六三歳までのときでした。頭も体も、すこぶる快調で、気持ちよく仕事が
できました」と。


 実のところ、私は、自分でも実感できるほど、体の調子がよい。昨日も講演先の小学校
で、階段を三段とびにのぼっていたら、あとから追いかけてきた校長が、「足がじょうぶで
すね」とほめてくれた。「はあ、自転車で鍛えていますから」と答えたが、そのおかげとい
うか、健康には、これといって、不安なところはない。ダイエットしたおかげで、どこか
頭の中もスッキリしている。


 私は年配の人が、私に向かって、「若くていいですね」と言うときは、いつもそれを疑っ
てしまう。「本当にそうかな?」「なぐさめてくれているのかな?」「お世辞かな?」と。五
五歳になった私の印象としては、「先が読めない」という不安感のほうが強い。「これから
はガンになる確率がぐんと高くなる」とか、「これからはすべてが先細りになる」とか、そ
んなことばかり考える。よくワイフは、「あなたは、見かけは若々しいけど、中身は老人ぽ
い」と言うが、本当にその通りだと思う。


 ルソー(フランスの思想家、一七一二~七八)が、『エミール』の中でこう疑問を投げか
けている。多分、これを書いたとき、彼も今の私と同じ、五〇歳代だったのだろう。


 「一〇歳では菓子に、二〇歳では恋人に、三〇歳では快楽に、四〇歳では野心に、五〇
歳では貪欲に動かされる。人間はいつになったら、英知のみを追うようになるだろうか」
と。


 あのルソーですら、「貪欲に動かされる」と。いわんや私をや……と、居なおるわけでは
ないが、五五歳というのは、ちょうど、「そうであってはいけない」「しかしそういう自分
も捨てきれない」と、そのハザマで悩む年齢かもしれない。まだ野心の燃えカスのような
ものも、心のどこかに残っている?


 T氏はさかんに、「まだまだ、これからですよ」と言ってくれたが、「これから先、何が
できるのだろうか」という思いも、また強い。またそういう思いとも戦わねばならない。「貪
欲さ」がよくないとはわかっているが、しかしそれがなくなったら、生活の基盤そのもの
が、あやうくなる。働いて、仕事をして、稼ぎを得て、それで生きていかねばならない。
私のばあい、悠々自適(ゆうゆうじてき)の年金生活というわけにはいかない。いわんや
「英知のみを追う」などというのは、夢のまた夢。


 そうそうT氏は別れぎわ、こうも言った。「林さんは、いいねえ。道楽が多くて……。私
なんぞ、人間関係のウズの中で、自分を支えるだけで精一杯でした」と。しかしこれは、
T氏一流の、私への「なぐさめ」と理解した。


Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●アンビリーバブル


 世の中には、信じがたい人たちというのは、たしかにいる。ふつうの常識では、考えら
れない人たちである。実は、先日も、こんなことがあった。


 その男性は、現在、八五歳。子どもはいない。大手の自動車会社の研究所で、研究員を
長年したあと、筑波(つくば)の国立研究所で、一〇年ほど研究員をした。そのあと、し
ばらく私立大学の教壇に立ったあと、今は、退職し、年金生活を送っている。が、そのあ
といろいろないきさつがあって、このH市に住んでいる。


 ここまではよくある話だが、実は、その男性は、がんを患っている。もう余命はそれほ
ど、ない。手術も考えたが、年齢が年齢だからという理由で、抗がん剤だけで治療してい
る。が、私が「信じがたい」というのは、そのことではない。その男性は、莫大な資産家
でもある。市内だけでも、大きなビルを、三か所もっている。それに大地主。市の中心部
と郊外に、一〇〇〇坪単位の土地をいくつかもっている。ハンパな金持ちではない。


 が、だ。その男性、今、別の男性(五二歳)と、わずか一〇坪の土地について、民事調
停をしている。本来なら、話しあいでどうにかなった問題だが、関係が、こじれてそうな
った。先日も、その土地をはさんで、二人が道路で、大声で怒鳴りあう喧嘩(けんか)を
していたという。


 私はこの話を聞いて、「へえエ~」と言ったきり、言葉が出なかった。


 もし私ががんを宣告されたら、それだけで意気消沈してしまうだろう。何もできなくな
るだろう。しかも八五歳といえば、私より三〇歳も年上ということになる。そういう人生
の大先輩が、その上、大金持ちが、わずか一〇坪の土地のことで、言い争っている? 人
間の「生」への執着心というか、はっきり言えば、愚かさというか、それが私には信じら
れなかった。あるいは何がそうまで、その男性を、駆り立てるのか?


 ここまで考えて、私はしばらく、あちこちの本を読みなおしてみた。で、最初に目につ
いたのが、ミルトン(一六〇八~七四、イギリスの詩人)の『わめく女』。その中でミルト
ンは、こう書いている。「老人が落ち込む、その病気は、貪欲である」と。これだけを根拠
にするわけではないが、どうも年をとればとるほど、人間的な円熟味がましてくるという
のは、ウソのようだ。中には、退化する人もいる? そういえば、ギリシャのソフォクレ
スも、「老人は再び子ども」という有名な言葉を残している。


 私はこの男性の話を聞いたとき、「老年とは何か」、それを考えてしまった。あるいはこ
ういう人たちは、その年齢になっても、まだ人生は永遠につづくとでも、思っているのだ
ろうか。仮にあの世があるとしても、あの世まで、財産をもっていくことができるとでも
思っているのだろうか。さらに「死」を目前にして、我欲にとりつかれることの虚しさを
覚えないのだろうか。さらにあるいは、老年には老年の、私たちが知る由もない、特別の
心理状態があるのだろうか。


 これは近所の男性(八〇歳)のことだが、こんな話もある。ある夜、隣の家の人に、そ
の男性が「助けにきてほしい」と電話をしてきたという。そこでその隣の人が、その男性
の家にかけつけてみると、その男性は玄関先で倒れていたという。隣の人がそれを見て、「救
急車を呼びましょうか?」と声をかけると、その男性は、こう言ったという。「恥ずかしい
から、それだけはやめてくれ」と。


 この話を聞いたときも、私はわが耳を疑った。その男性は、だれに対して、何を恥ずか
しいと思ったのだろうか。


 さてさて、人はだれしも、老いる。それは避けることのできない未来である。末路と言
ってもよい。そういうとき、どういう心理状態になり、どういう人生観をもつか。私は私
なりに、その準備というわけでもないが、それを知りたいと思っている。で、こういう人
たちが一つの手がかりになるはずのだが、しかし、残念ながら、私には、まったく理解で
きない。冒頭に書いたように、どれだけ、また何回、頭の中で反芻(はんすう)しても、
理解できない。信じられない。つまりアンビリーバブルな話ということになる。この問題
は、ひょっとしたら、私自身がもう少し年をとらねば、わからない問題なのかもしれない。


 ただここで言えることは、老人のなり方をまちがえると、かえってヘンな人間になって
しまうということ。偏屈でがんこになるのならまだしも、邪悪な人間になることもある。
そういう意味では、人間は、死ぬまで、前向きに生きなければならない。うしろを向いた
ときから、その人間は、退化する。釈迦も、「精進(しょうじん)」という言葉を使って、
それを説明した。「死ぬまで精進せよ(前向きに生きろ)」と。
(02-12-4)


●老人が、人生の大家であるというのは、まったくの幻想である。何と醜い老人が多いこ
とか。またこの世の中に、のさばっていることか。……と書いて、私たちはそうであって
はいけない。またそういう老人になってはいけない。一方的に老人を礼さんする人という
のは、その人自身がすでに、その老人の仲間になっているか、前向きに生きるのをやめた
ということを意味する。本当にすばらしい老人というのは、自らが醜いことを知っている
老人である。安易な老人美化論には、注意しよう!


●私の観察では、人間は、早い人で、もう二〇歳くらいから進歩することをやめてしまう。
あるいは三〇歳くらいから、それまでの人生を繰り返すようになる。毎年、毎月、毎日、
同じことを繰り返すことで、そのときどきを、無難に生きようとする。あるいは考えるこ
とをやめてしまう。が、なおさらに、タチが悪いことに、自らを退化させてしまう人もい
る。そういう意味で、人間にとっては、「停滞」は、「退化」を意味する。それはちょうど、
川の流れのようなものではないか。よどんだ水は、腐る。


●自らを輝かせて生きるためには、いつも前向きに生きていかねばならない。恩師は、一
つの方法として、「新しい情報をいつも手に入れることだ」と教えてくれた。また別の恩師
は、「いつもトップクラスの人とつきあうことだ。新しい世界にチャレンジすれば、自然と、
自分が磨かれる」と教えてくれた。方法はいろいろある。山に登るにも、道は必ずしも一
つではない。


●そこで考えてみよう。あなたのまわりには、老人と呼ばれる人がたくさんいる。あなた
自身も、すでにその老人の仲間になっているかもしれない。そういう老人や、あなたは、
今、輝いているか、と。実は、これは私自身の問題でもある。私は今、満五五歳。このと
ころとみに気力が衰えてきたのがわかる。何かわずらわしいことが起きると、それが若い
ころの何倍も気になるようになった。チャレンジ精神も薄れてきたように思う。できるな
らひとり、のんびりと暮らしたいと思うことも多い。つまり私自身、輝きをなくしつつあ
るように思う。


●そこで、考える。どうすればいいのか、と。逃げるわけではないが、この問題は、これ
から先、私にとっては、大きな問題になるような気がする。今は、ここまでしか書けない
が、この問題は、近々、決着をつけなければならないと思っている。


Hiroshi Hayashi+++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●ルソーとミルトン

 ルソーもミルトンも、同じ言葉を使っている。
「貪欲」という言葉である。

(1)まず、ルソー。

 ルソー(フランスの思想家、一七一二~七八)が、『エミール』の中でこう疑問を投げか
けている。
多分、これを書いたとき、五〇歳代だったのだろう。

 「一〇歳では菓子に、二〇歳では恋人に、三〇歳では快楽に、四〇歳では野心に、五〇
歳では貪欲に動かされる。
人間はいつになったら、英知のみを追うようになるだろうか」と。

(2)ミルトン(一六〇八~七四、イギリスの詩人)は、『わめく女』の中で、こう書いて
いる。
「老人が落ち込む、その病気は、貪欲である」と。

 ただしミルトンは、敬虔なキリスト教徒の立場で、「貪欲」という言葉を使っている。
そのことは、ここにあげる「On Time」という詩を読んでもわかる。

 ともあれ年を取れば取るほど、貪欲になっていく老人は多い。
少なくとも、加齢とともに、人は賢くなっていくわけではない。
多くは世俗に巻き込まれ、自分を見失い、強欲になっていく。
それを避けるために、私たちは何をすべきか。
何を準備すべきか。
結局は『精進』という言葉に行き着く。

 それがそのまま、このエッセーの結論ということになる。

●補記(John Miltonの詩より・「On Time」)

ON TIME(予定どおりに)

FLY, envious Time, till thou run out thy race;ねたましい時よ、燃え尽きるまで過ぎ

Call on the lazy leaden-stepping hours,怠惰で、鉛にように重い時を訪ねよ
Whose speed is but the heavy plummet's pace;その速さは、恐ろしく遅い
And glut thyself with what thy womb devours,子宮がむさぼるもので、汝の食欲を満た

Which is no more then what is false and vain,それは失敗でも無駄でもない
And merely mortal dross;ただの死すべき無価値なもの
So little is our loss,失うものは、ほとんどない
So little is thy gain.得るものも、ほとんどない。
For when, as each thing bad thou hast entomb'dなぜなら悪しきものはすべて墓に葬ら

And last of all thy greedy self consumed,汝の貪欲さは、すべて消耗されるから
Then long Eternity shall greet our bliss,そのとき長い永遠が、祝福で私たちを迎える
With an individual kiss;それぞれの接吻で
And Joy shall overtake us, as a flood,喜びが洪水のように、私たちを包み、
When every thing that is sincerely good,誠実でよきものすべてが
And perfectly divine,完ぺきに神々しいものとなる
With truth, and peace, and love, shall ever shine,真実と平和と愛が、永遠に輝く
About the supreme throne神の最高位の王位の上に
Of Him, to whose happy-making sight, alone,そこに見えるのは、幸福な光景のみ
When once our heavenly-guided soul shall climb,ひとたび魂が天に導かれ昇るなら
Then all this earthly grossness quit,地上の世俗は、消え失せる
Attired with stars, we shall for ever sit,星々で飾られ、私たちは永遠にそこに座る
Triumphing over Death, and Chance, and thee, O Time死と運命と汝を乗り越えて。

(注:訳は私が直感的につけたので、かなり不正確。
ミルトンの基本的なものの考え方を知るにはよい。
ミルトンは、こう言っている。

『貪欲にやりたいことを、とことんやってみろ。
自分を燃やし尽くしてみろ。
それは失敗でも、無駄でもない。
やがてそれが無価値であったことがわかれば、
あなたも神の座に座ることができる』と。)

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教
育評論 はやし浩司 「救急車を呼ぶな」 老人の見栄と体裁 貪欲 人格の暴露 人間
性 邪悪な人間性)


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2011年12月20日火曜日

Lesson for Age 4&5 Children "Clock and Time"

●金正日の死


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昨日、金正日の死が発表された(12月20日)。
69歳であったという。
「69歳」。


若い人たちは、この数字をどう見ているかは、
私自身の若いころをさぐってみれば、わかる。
たぶん、「69歳か」で終わってしまうだろう。
それなりの年齢に見えるかもしれない。
つまりいつ死んでもおかしくない年齢、と。


しかし私の現在の年齢と、それほど違わない。
私は64歳。
5歳年上ということになるが、私の年代で、
5年など、何の意味ももたない。
あっという間に過ぎてしまう。


金正日の死を知り、それぞれの人は、それぞれの
受け止め方で、彼の死を考えたにちがいない。
が、私はどういうわけか、「69歳」という
年齢が気になった。


「私も、いつ死んでもおかしくない年齢になったの
だなあ」と。


+++++++++++++++++++


●地面を叩いて泣き叫ぶ人たち


 テレビで、金正日の死の報を聞いた北朝鮮の人たちの姿が報道された。
同時にネットでは、「地面を叩いて泣き叫ぶ人たち」という内容の記事が配信された。
北朝鮮全体が、今、深い悲しみの中にある。
たとえ国によって作られた(悲しみ)であるにせよ、その人たちにとっては、それなりに悲しいのかもしれない。


 が、どこかで違和感を覚えるのは、これはたぶんに国民性の違いによるものだろうが、その姿が、私たち日本人から見ると、大げさだからではないか。
北朝鮮のことはよく知らないが、韓国には昔から、「泣き女」と呼ばれる、それを商売にしている女性がいる。
葬儀の席などで、大声をあげて、ワーワーと泣いて見せる。
大げさに泣けば泣くほど、故人を偲ぶということになるらしい。


葬儀の仕方は、国によってみな違うから、それについてどうこう言うのは、許されない。
どうであるにせよ、今は、そっとしておいてやる。
それが大切。


●様子を見る


 北朝鮮のこれからについては、少なくとも今は、様子を見るしかない。
どういう人たちが、どういう政治を始めるか。
あるいはどう混乱と収拾を繰り返すか。
今のところ、まったくわからない。


 できれば、もう少し国際的な常識の通ずる国になってほしいと思う。
が、これは無理だろう。
その国の人たちがもっている「意識」などというものは、そう簡単には変わらない。


「独裁者」という言葉も、報道の中によく出てくる。
しかし独裁者がいるから、独裁国家があるのではない。
独裁者を支える人たちがいるから、独裁国家が生まれる。
金正日が死んだからといって、その支える人たちまで死んだわけではない。
その(支える人たち)が、この先、同じような思考回路で、同じような政治を始める。
だから基本的には、中身は変わらない。


●38度線以北は、中国の植民地


 中国にとっては、北朝鮮の核兵器など、痛くもかゆくも、何ともない。
そんな中国に、6か国協議の議長を任せたこと自体、そもそものまちがい。
今の今も、その状況は何も変わっていない。


 中国がその気にさえなれば、北朝鮮は1日で、崩壊する。
中国がその気で脅せば、北朝鮮は1日で、核兵器を放棄する。
が、なぜか、中国はそれをしない。


 ……という政治の話は、今朝はここまで。
どうも気分が乗らない。
それよりも驚いたのは、昨日、書店で、本を買ったとき、こんなことがあったこと。
昼の2時ごろだった。
何冊かの本を包装紙に包んでもらっていた。
そのとき店員の若い女性(25歳くらい)に、ふと私が「金正日が死んだそうですよ」と声をかけると、その女性はこう言った。


「だれですか?」と。


 私は「あの金正日です」と、2度、3度言ったが、その女性は、まったく反応しなかった。
「金正日」という名前すら、知らないといったふうだった。
横にワイフも立っていたが、どこかあきれ顔だった。


 私はむしろそういう(現実)のほうに、驚いた。
私の住む世界では、金正日を知らないということ自体、ありえない。
が、知らない人は知らない。
本当に知らない。

が、これも現実。
金正日など知らなくても、何も困らない。
生活できる。
仕事もできる。
大半の人たちにとっては、そうなのかもしれない。


どうであるにせよ、今朝は、政治の話は、やめ。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【年中児に時計を教える】(幼児と笑おう、1、2,3!)











Hiroshi Hayashi+++++++Dec.2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年12月19日月曜日

●夫婦ぶらり旅(関市 シャッター通り)

【岐阜→関市、ぶらり旅】(はやし浩司 2011-12-18)

DSC00105.JPG
(岐阜市「一兆家」)

●映画『ミッション・インポッシブル』(はやし浩司 2011-12-17)

++++++++++++++++++

今日の午後、映画『ミッション・インポッシブル』を観てきた。
土曜日の午後ということもあり、劇場の後半座席は、ほぼ満員。
トム・クルーズの映画は、いつもそう。
いつも、ほぼ満員。
私も、『トップ・ガン』以来、彼の大ファン。

が、映画そのものは、かなりがっかり。
トム・クルーズの大ファンということで、大甘に採点しても、星は3つの、★★★。
道具仕立ても、チャチ。
随所に無理が見られた。
「?」と思うことも、しばしば。
加えて乱闘シーンが、多すぎた。

昔の「スパイ大作戦(IMF…Impossible Mission Force)」は、もっと知的な仕掛けが多かったように記憶している。
それがおもしろかった。
が、今回は、ハラハラドキドキ……の連続。
……というか、そういう製作意図が見え見え。
だからがっかり。
高所恐怖症の私でも、ほとんどハラハラしなかった?

直近の前作は、(名前は忘れた)、あまりにも複雑すぎた。
だれがだれなのかさえ、よくわからなかった。
が、今回は、わかりやすかった。
が、内容的には、IMFというよりは、007風?
主役がジェームズ・ボンドであっても、何もおかしくない。
そんな映画だった。

 そうそうトム・クルーズも年を取った。
ときどき肌が大写しになった。
そのつど、そう思った。

+++++++++++++++++++++

●自転車の免許制には反対

 オーストラリアの話をしよう。

 オーストラリアのメルボルン。
大きな道路には、例外なく、自転車道が用意されている。
広い歩道を、歩道と自転車道に分けている。
狭い歩道になると、道路側に線を引き、そこを自転車道にしている。

 自動車が(主)か、自転車が(主)か、と聞かれれば、自動車が(主)。
それはそうだが、しかし自転車の存在感も大きい。
道路の随所には、「貸自転車」の看板が立っている。
その横には自転車が5~10台、並べてある。
観光客などは、自由にその自転車を利用し、街中を回る。

 きびしいと言えば、規則。
どんな田舎町でも、ヘルメットの着用、前部のライトと、後部の赤いテールランプがないと、自転車を乗ることができない。
つまりそういうことなら、私も納得する。

 が、現在のように、自転車の走る道路もない状態で、免許とは?
免許がどうのこうのというより、私たち日本人は、そこまで管理されてよいのか。
管理を許してよいのか。
そういう問題もある。
今ではこの日本は、どこへ行っても、何をしようとしても、許可、認可、資格、免許……。
息苦しいほどまでに、生活そのものが、がんじがらめになっている。

 そこで、今度は、自転車の免許?
この話を聞いて思い出すのが、自転車の鑑札制度。
自転車の登録制のことを言ったが、当時は「カンサツ」と呼んでいた。
今から50年ほど前のことだった。
自転車にも、車と同じナンバーが取りつけられた。
 
 そのカンサツのついていない自転車は、強制的に、自転車屋でカンサツを取りつけるように指導された。
大きさは、ハガキの半分くらい。
それを後部の泥除けの上に、特殊な器具を使い、取りつけられた。
当時私は、自転車屋の息子だったが、そんな私にさえ、それがバカげて見えた。

 そのバカげたことを、また、政府(官僚)は始めようとしている?
そんな制度を作れば作るほど、天下り先がふえるだけ。
その分だけ、税金がふえるだけ。
「もう、いいかげんにしろ!」と。
私は声を大にして、そう叫びたい。

(付記)
 私が小学生のとき、学校で「自転車の乗り方教室」のようなものがあった。
それに参加すると、学校単位の私製の免許証のようなものがもらえた。

●マナーの問題

 要するに、マナーの問題。
法律の問題ではない。
そのマナーまで、規則で縛ってはいけない。
そうでなくても、この日本は息苦しい。
官僚国家というのは、そういうもの。

日本がもつ異常性は、外国の人と話してみると、それがよくわかる。
オーストラリアでは、役人が政治家にたてつけば、即、クビ。
アメリカでは、公務員の解雇は日常茶飯事。
給料も「コンビニの店員より低い」(アメリカの友人)。
それに比べて、イギリスでは、官僚制度が進んでいる。
が、日本とはくらべものにならない。

 むしろ逆。
規制緩和こそが、日本の社会に活性化をもたらす。

 前にも書いたが、あのタイの大洪水のときのこと(2011年)。
何と積み上げられた土嚢の上で、屋台を開いていた人がいたという。
また職を失った16歳の少女は、舟を借り、その舟の上でソーセージを焼いて売っていたという(報道記事)。
今の日本人に欠けるのは、そういう(たくましさ)。
少なくともこの先、日本が外国で生きていくためには、そういう(たくましさ)が必要。
また日本を一歩外に出れば、そういう(たくましい)連中ばかり。
そういう連中を相手に、日本はこの先、どう戦っていくというのか。

 多少の不完全さは、享受しようではないか。
不完全さは、私自身で補完していこうではないか。
今では、道路に落ちた街路樹の葉ですら、市の外郭団体(=天下り先)の人たちがやってきて、清掃している。

「日本の公務員数は、欧米並み」というのは、真っ赤なウソ!
文科省だけで、天下り先となっている外郭団体が、2000近くもある。
そういう外郭団体の職員は、もちろん公務員としてカウントされていない。
こうした清掃員のような、準公務員を数に入れたら、さらに多くなる。

 道路の落ち葉くらいは、その近所の人たちが清掃すればよい。

●12月18日(岐阜まで、ぶらり旅)

 明けて日曜日。
昼を過ぎて、突然、「どこかへ行こうか?」という話になった。
寒いが、空は青い。
白い雲が美しい。

 「岐阜へ行こうか」と声をかけると、「うん」とワイフ。

 ……若いときから、私たちはいつもそうだった。
夜中でも、よくドライブに出かけた。
一泊旅行もよくした。
私たちはそれを、「ぶらり旅」と呼んでいた。

で、岐阜駅の前にある、岐阜キャッスル・インに予約を入れる。
旅支度(じたく)を整える。
ハナ(犬)の餌を、多めに用意する。
いくつかの事務をすませ、いざ出発!

●豊橋へ

 浜松から岐阜まで行くには、2つの方法がある。
浜松から豊橋までJRで行き、豊橋から岐阜までは名鉄電車で行く。
もうひとつは岐阜まで、JRで行く。
私はいつも豊橋で名鉄電車に乗り換えている。
シートも快適。
今回も、豊橋から名鉄電車に乗り換える。

 その電車の中。
たった今、鷲津駅を通過したところ。
ワイフは家からもってきた新聞に目を通している。
このあたりの紅葉は、今が見ごろ。
遠くの山々が、傾きかけた夕日を浴び、美しく輝いて見える。

●豊橋

 豊橋駅のキオスクで、「週刊アスキー」誌と、「徹底予測2012」(日経BP社)を買う。
その「徹底予測2012」を、先ほどまで読む。
こうした旅の楽しみのひとつが、読書。
電車の規則正しい振動を感じながら、読書する。
私にとっては、至極の時。

 ……ということで、窓の外は、すっかり夕方景色。
橙色の夕日が、真横から注ぎ込んでくる。
家々の壁も橙色。
こうして今日も一日、終わりに近づいてきた。

 名鉄電車は、今、名古屋駅を出て、「こうのみや」という駅に向かっている。
車内にそんなアナウンスが流れた。
どんな字だったかな?
電車の前部の表示板に、「次は、国府宮」と出た。
「国府宮」と書いて、「こうのみや」と読む。
岐阜へ来るのは、1年ぶり。
今年のはじめ、伯父が他界した。

 たった今、右側に、「稲沢総合文化センター」が見えた。
10年ほど前、そこで講演をさせてもらった。
「ほら!」とワイフに声をかけたときには、すでにうしろへと消えていた。

 ……で、岐阜から、その先、どこへ行くか。
大垣、関、板取……。
大垣は近すぎる。
板取は遠すぎる。
関には、刃物会館というのがある。

 岐阜からはバスで、30分ほど(?)。
午後4時37分に、新岐阜駅に着く。
すぐバスに乗れたとしても、関に着くとしても、午後5時過ぎ。
刃物会館は、もう閉まっているかもしれない。

 どうしよう?

 腹も減ってきた。
どこかで何かを食べながら、考えよう。

●岐阜

 岐阜県は私の生まれ故郷。
郷愁感は、あまりない。
とくに母と兄が他界するまでの20年間は、私にとっては苦痛の20年間だった。
今、やっとその苦痛から解放された。
何も考えず、こうして電車に乗っていられる。
むしろ、そちらのほうが不思議。

 仏教の四苦八苦のひとつに、「怨憎会苦(おんぞうえく)」というのがある。
その怨憎会苦を、身をもって体験した。
理由は、今日は書きたくない。
今日は、こうして気楽に岐阜へ行けること。
そのことを、素直に喜びたい。

●関市へ

 ホテルでチェックインをすますと、そのまま岐阜バスの乗り場に向かった。
ワイフが、「岐阜の名物は何?」と聞いた。
歩きながら、何だろうと考えた。
昔からアユ料理とか、そういうのは知っているが、岐阜名物というのは知らない。

 「味噌かつとか、そんなものかなあ……?」と。

 しかしどうして、今、関市に向かっているのか、その理由がわからない。
100%、気まぐれ。
思いつき。
ぶらり旅。

●岐阜から関市へ

 バスに乗ると、雨が降り出した。

私「関には、何か名物があるかもしれない」
ワ「うどんとか、ソバ?」
私「う~ん、そういうものしか思いつかないなあ」
ワ「……」
私「計画性がないというのは、よくないね。時間があれば、板取へ向かったのにね」と。

 バスは学生時代通いなれた道を、ブォーブォーと大きな音をたてながら走っていた。
あたりの様子は、そのころとほとんど変わっていない。
岐阜市は今、不景気のどん底で、もがいている。
この15年、その状態は、そのまま。
それ以前は、既製服の町として栄えた。
が、今は、見る影もない。

……先ほど案内所で、関までの時間を聞いたら、50分と教えてくれた。
50分!
切符を買ってから、それを知った。

 「大垣にすればよかった……」と。

●関の町

 関の町には思い出が多い。
子どものころは、何かにつけ、関まで足を運んだ。
今はシャッター街になってしまったというが、そのころは、私には巨大な都市に見えた。
おもちゃ屋にしても、郷里の美濃町のそれの、何倍も大きかった。

 その関市には、善光寺という天台宗の寺がある。
その善光寺の地下には、「戒壇巡り」という、地下迷路がある。
全国でも地価迷路があるのは、この寺だけと聞いている。
子どものころ、母とその地価迷路に入ったことがある。
壁を手探りで歩きながら先に進む。
そのとき覚えた恐怖感は、今でも忘れない。
私は、それ以前から、閉所恐怖症だった。

●ぶらり旅

 いつか「外出する勇気論」について、書いた。
私の年齢になると、外出すること自体、おっくうになる。
が、それではいけない。

 ワイフはいつもこう言う。
「家にいるのも好き。でも、外出するのも、好き」と。

 私は「外出するのはおっくう。できれば家の中にいたい。しかし外出するたびに、楽しい」と思う。
だから「勇気」。
「外出する勇気論」について、書いた。
外出するときはいつも、それなりの勇気が必要。
その勇気を失ったら、死の待合室にまっしぐら!
こうして外出するのも、私にとっては、必死。

 一方、ワイフは若いときから、行動派。
こうした(ぶらり旅)を、趣味にしている。

●関の町

  それにしても、今回のぶらり旅ほど、目的があいまいなものはない。
それをワイフに話すと、こう言った。
「いいかげんな旅ね」と。

 その関の町。
真っ暗だった。
うわさには聞いていたが、シャッター街は、まさにゴーストタウン。
驚いた。
と、同時に、身が詰まるような、さみしさを覚えた。
脳に刻まれた思い出の一部が、欠け落ちたようなさみしさだった。

 私とワイフは、その通りを歩いたあと、またバス乗り場へ戻った。
戻って、そこから川沿いに、北のほうに向かった。
小学校と高校の恩師が、そのあたりに住んでいた。
小学校のときは、6年生のときの担任。
その先生が、高校生のとき、家庭科の教師として赴任してきた。
言い忘れたが、女性の先生だった。
温厚で、どこまでもやさしかった。
小学校のときは、市原麗子という名前だった。
高校のときは、結婚して、森 麗子という名前だった。
その先生が結婚したとき、みなで先生の家に遊びに行ったのを覚えている。

 が、家は見つからなかった。
暗い夜道で、人通りもなかった。
私とワイフは、そのままもと来た道を通って、バス停まで戻った。

●商店街

 私も商店街で、生まれ育った。
だからというわけでもないが、私は「商売」という仕事そのものが、嫌いだった。
プライドなどというものは、どこにもない。
いつも客にペコペコ、ヘラヘラ。
ペコペコ、頭をさげる。
ヘラヘラ、へつらう。
「商売」というのは、基本的には、だましあい。
売る側と買う側の、だましあい。

 私はいつもそういう印象をもっていた。
だから、嫌いだった。
 
 ……が、そのシャッター街を歩いているとき、そこで店を開いていた人たちの悲鳴が、私には聞こえた。
明日は、今日より悪くなる。
来年は、今年より悪くなる。
それを繰り返しながら、一軒、また一軒と、店はシャッターをおろしていく。
それはたとえて言うなら、真綿で首をしめられるようなもの。
ジワジワ、ジワジワ……、と。

 私の実家もそうだった。
が、客には、そんな姿は見せられない。
精一杯、虚勢を張り、明るい声で、こう叫ぶ。
「いらっしゃいませ!」と。

 以前、こんな原稿を書いた。
この中の『父のうしろ姿』は、中日新聞に載せてもらった。
たいへんな反響があった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

2000年ごろ書いた原稿より。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司 

●貧乏

 私が高校生になるころには、私の家は、まさに火の車。家業は自転車屋だったが、月に、4~5台も売れればよいほう。ときには、数台ということもあった。

 あとはパンク修理で、何とか、その日を食いつないでいた。が、そのパンク修理とて、毎日あったわけではない。一日の大半は、祖父も、父も、兄も、することもなく、店先と奥を行ったりきたりしながら、過ごしていた。

 祖父は、すでに病気がちで、現役から引退していた。祖母は、二階にあった物干し台ですべって腰を打ってからといもの、そのときすでに、寝たきりの状態だった。

 父は、酒を飲みすぎて、すでに肝臓を悪くしていた。兄は、子どものころから、今でいう自閉症で、そのため、母は、兄を、家の中に閉じこめたままにしていた。

 私にとっても、人生の中で、一番、つらい時期だった。

 言い忘れたが、私には、もう1人、姉がいた。5歳年上の姉で、そのときは、G市にある洋裁学校を卒業し、家の中で、縫製の仕事をしていた。稼ぎは、それほど、多くはなかった。

●父の酒乱

 貧乏というのは、慢性疾患に似ている。痛みをともなった慢性疾患である。いつ止(や)むともなしにつづく。が、それだけではない。よどんだ空気、重苦しい空気、それが口をふさぐ。おまけにあの独特の臭い。木にしみこんだ、腐った油の臭い。

 その私は、自転車屋の仕事を、まったく手伝わなかった。手伝おうという気持ちも、起きなかった。すでにそのとき、私の目から見ても、自転車屋という私の家の商売は、もうどうしようもないところまで行ってしまっていた。

 それまでの長いいきさつも、ある。おまけに父は、今でいうアルコール依存症だった。酒を飲まない日には、借りてきた猫の子のように、静かで、おとなしかったが、酒が口に入ると、様子が一変した。

 肝臓を悪くするまで、つまり私が中学3年生くらいまでは、2、3日に一度は、酒を飲み、家の中で暴れた。

 ふつうの暴れ方ではない。食卓のテーブルをひっくり返し、障子やガラス戸を、容赦なくこわした。父が発する大声や、ものをこわす音は、おそらく近所中に聞こえていただろう。が、私は、気にしなかった。

 私の家には、「恥」という言葉すら、もう、なかった。

●大学生に……

 私はいつも母に、こうおどされた。「勉強しなければ、自転車屋を継げ」と。しかしその言葉ほど、私にとっては、恐ろしい言葉はなかった。

 私はいつしか、あの郷里のM町から逃れ出ることだけを考えていた。「ふるさと」という思いは、とっくの昔に消えていた。

 さらに大学入試が近づくと、母は、こう言い出した。「大学は、国立でないと、行くな。お金がない」と。

 それについては、何も母に言われなくても、よくわかっていた。母は、私が、外に出て行くのを、何よりも恐れていた。「地元に残って、私のめんどうをみろ」というようなことまでは言わなかったが、言われなくも、それが私には、よくわかった。

 具体的には、「産んでやった」「育ててやった」「親の恩を忘れるな」と言った。耳にタコができるほど、よく言った。

 その私が、倍率、8・6倍のK大学に合格した。今では考えられないような倍率だが、当時は、どこの国立大学も、同じようなものだった。私たちの世代は、団塊の世代と呼ばれている。中学校でのクラス数も、1学年上が、5、6クラス。私たちの学年からは、11クラスもあった。しかも1クラス、55人前後。まさに寿司詰め!

●仕送りは、1万円だけ

 当時、下宿代が、8~9000円前後だったと思う。4年生のときには、1万2000円になっていた。

 が、実家からの仕送りは、4年間を通して、月に1万円だけ。学費と、足りない分は、アルバイトで稼ぐしかなかった。が、試験期間中になると、そのアルバイトもできなかった。私は、朝と夕に出される下宿の食事だけで、生き延びたこともある。

 その1万円も、母は、「頼母子講(たのもしこう)」と呼ばれた、相互金融救済制度をつかって、工面していた。1万円といっても、当時の大卒の初任給が、4~5万円の時代だった。それなりの高額であったことには、まちがいない。

 こうして私は、大学を卒業するまで、貧乏が当たり前の生活をした。今になってみると、それがよかったのか、悪かったのか……。中には、「若いころに、貧乏を経験しておくといい」と言う人もいるが、その貧乏にも、程度というものがある。それに期間というものがある。

 私のばあい、中学生になるころには、「ジリ貧」を感じていた。ジリジリジリと、家が貧乏になっていくのが、私にも、よくわかった。

 が、父も兄も、なすすべもなく、それに耐えるだけ。祖父は、道楽でオートバイをいじっているだけ。母は母で、おかしな迷信ばかり信じて、そのときすでに私とは、まったく会話がかみあわなかった。今でも家の中には、仏壇のほか、4~5種類の神棚が祭ってある。

 私のばあい、その期間が長すぎた。多情多感なあの思春期という時代にしてみれば、それは「一生」と言えるほど、長すぎた。

●実家への仕送り

 プライド? そんなものは、どこにもなかった。店は、M町という田舎町だったが、その町の中心部にあった。その町の中心部で、父は、先にも書いたように、酒を飲み、大声をあげて、暴れた。

 だれの目にも、私の家が、そういう家であることは、よくわかった。私ができることといえば、居直って生きるだけ。「今だけだ」と、自分を慰めて、生きるだけ。

 私は、そんなわけで、あのM町については、今も、「ふるさと」という思いは、まったく、ない。帰りたいと、思ったこともない。

 ただ私が、ワイフと結婚する前から、収入の約半分を、実家へ仕送りをしていたのは、それをするのが、私の義務と感じていたからにほかならない。「ふるさとを捨てた」という自責の念があったためかもしれない。

 何も、好きこのんで、そうしていたわけではない。

 そういう思いの中で書いたエッセーが、つぎのエッセーである。これは中日新聞に発表した記事だが、ほかの記事とちがって、大きな反響があった。それを紹介する。

++++++++++++++++

●父のうしろ姿

 私の実家は、昔からの自転車屋とはいえ、私が中学生になるころには、斜陽の一途。私の父は、ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと人が変わった。2、3日おきに近所の酒屋で酒を飲み、そして暴れた。大声をあげて、ものを投げつけた。

そんなわけで私には、つらい毎日だった。プライドはズタズタにされた。友人と一緒に学校から帰ってくるときも、家が近づくと、あれこれと口実を作っては、その友人と別れた。父はよく酒を飲んでフラフラと通りを歩いていた。それを友人に見せることは、私にはできなかった。

 その私も52歳。1人、2人と息子を送り出し、今は三男が、高校3年生になった。のんきな子どもだ。受験も押し迫っているというのに、友だちを20人も呼んで、パーティを開くという。「がんばろう会だ」という。

土曜日の午後で、私と女房は、三男のために台所を片づけた。片づけながら、ふと三男にこう聞いた。「お前は、このうちに友だちを呼んでも、恥ずかしくないか」と。

すると三男は、「どうして?」と聞いた。理由など言っても、三男には理解できないだろう。私には私なりのわだかまりがある。私は高校生のとき、そういうことをしたくても、できなかった。友だちの家に行っても、いつも肩身の狭い思いをしていた。

「今度、はやしの家で集まろう」と言われたら、私は何と答えればよいのだ。父が壊した障子のさんや、ふすまの戸を、どうやって隠せばよいのだ。

 私は父をうらんだ。父は私が30歳になる少し前に死んだが、涙は出なかった。母ですら、どこか生き生きとして見えた。ただ姉だけは、さめざめと泣いていた。私にはそれが奇異な感じがした。が、その思いは、私の年齢とともに変わってきた。

40歳を過ぎるころになると、その当時の父の悲しみや苦しみが、理解できるようになった。商売べたの父。いや、父だって必死だった。近くに大型スーパーができたときも、父は「Jストアよりも安いものもあります」と、どこかしら的はずれな広告を、店先のガラス戸に張りつけていた。

「よそで買った自転車でも、パンクの修理をさせていただきます」という広告を張りつけたこともある。しかもそのJストアに自転車を並べていたのが、父の実弟、つまり私の叔父だった。

叔父は父とは違って、商売がうまかった。父は口にこそ出さなかったが、よほどくやしかったのだろう。戦争の後遺症もあった。父はますます酒に溺れていった。

 同じ親でありながら、父親は孤独な存在だ。前を向いて走ることだけを求められる。だからうしろが見えない。見えないから、子どもたちの心がわからない。ある日気がついてみたら、うしろには誰もいない。そんなことも多い。

ただ私のばあい、孤独の耐え方を知っている。父がそれを教えてくれた。客がいない日は、いつも父は丸い火鉢に身をかがめて、暖をとっていた。あるいは油で汚れた作業台に向かって、黙々と何かを書いていた。そのときの父の気持ちを思いやると、今、私が感じている孤独など、何でもない。

 私と女房は、その夜は家を離れることにした。私たちがいないほうが、三男も気が楽だろう。いそいそと身じたくを整えていると、三男がうしろから、ふとこう言った。

「パパ、ありがとう」と。

そのとき私はどこかで、死んだ父が、ニコッと笑ったような気がした。

+++++++++++++++++

 この中で、「叔父が……」という話を書いた。これについて、その叔父の息子、つまり従兄弟(いとこ)から、「Jストアに店を出したのは、父ではない。このぼくだ。(だから父のことを悪く書かないでほしい)」という、抗議の電話をもらった。

 それについては、私は知らなかった。叔父といっても、私にとっては、父親のような存在だったから、悪口を書いたという思いは、私にはなかった。

 それに私は子どものころから、商売というのは、そういうものだと、わかっていた。勝った、負けたは当たり前。負けたからといって、どうと思うこともないし、私は、何とも思わなかった。つまり叔父をうらんだことは、一度も、ない。

 それに勝ったと思ったところで、そんな思いは、長くても、1世代もつづかない。今度は、自分が、だれかに追われる立場になる。あとは、その繰りかえし。

●貧乏という心のキズ

 そんなわけで、私の心には、無数のキズがついている。貧乏という、キズである。そのキズが、具体的に形となって現れているのが、今の私の不安神経症ではないか? いつも何かに追われているという強迫観念、それが、心のどこかにある。

 悪夢も、よく見る。

 たいていはどこかの旅先にいて、そこでバスや電車に乗り遅れるという夢である。あるいはホテルで荷物の整理をしているうちに、刻々と時間だけが過ぎていく。そんな夢である。

 で、おそらく私は、死ぬまで、そういう夢から解放されることはないだろう。だからといって、そういう自分の過去を、うらんでいるというわけではない。そののち、いろいろな人と会った。知りあった。

 そういう経験を通してみると、ほとんどの人が、形や内容こそちがえ、みな、何らかの心のキズをもっている。心のキズをもっていない人はいない。そしてそれぞれの人が、そのキズを背負いながら、懸命に生きている。それがわかった。

 こうした私の過去は、決して私だけのものではない。むしろ、私など、まだ幸福なほうだったかもしれない。

 そのあと、今のワイフに恵まれた。3人の健康な息子たちにも恵まれた。結婚してからは、それほどぜいたくな生活はできなかったが、ほどほどに、自分の人生を楽しむことができた。今も、こうして自分の人生を、思う存分、楽しんでいる。

 が、ひとつだけ言えることは、私がしたような経験は、私、ひとりでたくさん。息子たちには、そういう思いだけは、させたくないということ。今も、そのつもりで、がんばっている。

 そういう私を知ってか知らずか、息子の1人は、よくこう言う。「パパは、何でも、お金で解決しようとする」と。

 私は、そう言われたとき、ふとこう思う。「何を、生意気なことを! 私の気持ちを話したところで、お前たちに、理解できるものか!」と。

 しかしその(思い)を伝えたくて、今朝、このエッセーを書いた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 私の過去 過去 貧乏論 岐阜県関市 関の町 はやし浩司 岐阜県 関 シャッター街 シャッター通り 父のうしろ姿 Jストア Jストアより安い 関市本町通り はやし浩司 森 麗子先生 市原麗子先生)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●再び岐阜の町へ

 関市では、30分ほど、過ごした。
で、そのまま再び、岐阜の町へ。

 「お城が見える」とワイフ。
見ると、山の上に城が見えた。
とたんうしろから、岐阜弁が飛び込んできた。

「やっとかめやなア~、~~しちょったんやけどオ~」と。

 「やっとかめやなア~」というのは、「お久しぶりですね」という意味。
「~~しちょったんやけどオ~」というのは、「~~していたのですが」という意味。

 若いころは、岐阜弁にあこがれた。
私の郷里の美濃町の方言とは比較にならないほど、都会的に聞こえた。
が、今はその岐阜弁も、地方の田舎の言葉に聞こえる。
だからといって遠州弁が都会的というのではない。
東京の人たちが聞くと、かなり田舎の言葉に聞こえるらしい。
いつか、ワイフがそう言っていた。
ワイフは、一時期、東京で仕事をしていたことがある。

●一兆家

 岐阜駅へ着くと、夕食屋をさがした。
ホテルのフロントで聞くと、「郵便局の前の~~家がおいしいですよ」と。
それでそこへ行くと、「本日は休業」の看板。
しかたないので、ぐるりと駅前(名鉄新岐阜駅)のほうに回った。
そこで見つけたのが、「一兆家」というラーメン店。
「ゆず塩らーめん」と書いた看板が、大きく目にとまった。

 温もりのあるレタリングが気に入った。

 で、私はその「ゆず塩らーめん」とネギ丼、ワイフはギョーザとチャーシュー丼を注文。
が、これがおいしかった!
星は文句なしの、5つ星、★★★★★。
私はラーメンの最後の一滴まで、飲み干した。

 場所は、名鉄新岐阜駅から郵便局の方面へ向かった、北側の角。
1号店と2号店が並んで営業している。
私たちが入ったのは、1号店のほうだが、本気度、満点。
店は狭いが、その狭さが、たまらなくノスタルジック。

 代金を払うとき、「おいしかったです」と一声かけると、若い店員は、うれしそうに笑った。

 一兆家、ゆず塩らーめん、ぜひ、一度、ご賞味あれ!
チャーシュー丼も、これまたお勧め。

●岐阜キャッスルイン・ホテル

 実は、以前、このホテルに泊まろうとしたことがある。
若いころで、懐(ふところ)に余裕がなかった。
それでこのホテルに泊まるのを、断念。
そんな思いが、心のどこかに残っていた。
つまり断念したという無念さが、どこかに残っていた。

 が、今夜、その仇討(あだうち)をした。……というほど大げさなものではない。
ないが、このところ、そういうものの考え方をすることが多くなった。

 人生も残り少ない。
やり残したことを、つぎつぎと実行していく。
それが最近の私の生き様にもなっている。

 岐阜キャッスルイン・ホテル。
清潔でモダン。
ビジネスホテルとしては、上級クラス。
満足度、Aaa(ムーディーズ評価法)。

 とくに布団、シーツが清潔。
布団は羽根布団。
枕は低反発。
サラサラとした肌触りで、気持ちよい。
今夜は、よく眠られそう。

(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 一兆家 ゆず塩らーめん 岐阜駅 新岐阜駅)

●団塊の世代

 今日、電車の中で、ワイフとこんな会話をした。

団塊の世代……バイキングでは、いつも食べすぎる。
団塊の世代……拾ったサイフは、自分のもの。(一般論)
団塊の世代……料理屋ではいつも、座席を2人分取る。
団塊の世代……温泉では、1泊する間に、3回、入浴する。
団塊の世代……蟹とエビに、目がない。
団塊の世代……ぜいたくをすることに、罪悪感を覚える。
団塊の世代……負けず嫌いでがんばり屋。

 ほかにもいろいろある。
一言で表現すれば、団塊の世代は、たくましい。

●就寝

 ぶらり旅は、よい運動になる。
今日も、時間にすれば、2~3時間は歩いた。
距離にすれば、10キロ前後か。

 このホテルには、大浴場はない。
残念!
ということで、先ほど、内風呂でゆっくり、体を休めた。
ほどよい睡魔。
ほどよい疲労感。
それにほどよいワインの酔い。

 そろそろ就寝タイム。
ワイフは、洗面所で寝支度をしている。
私は今日最後の、メールチェック。
明日は、朝一で、帰宅。
午前7時にホテルを出れば、9時には、自宅へ戻れるはず。

 ではみなさん、おやすみなさい。

●午前3時起き

 が、午前3時に目が覚めてしまった。
軽い頭痛。
久々の二日酔い(?)。
夕食後に飲んだ、ワイン。
あれがよくなかった。

 しばらくそのままでいると、ワイフが大きく寝返りを打った。
「頭が痛い……」と漏らすと、「私も……」と。

 小瓶で500円前後だった。
「安物のワインは、よくないね」と、私。

 部屋はエアコンで乾燥していた。
のどもガラガラだった。
ワイフは加湿器を取り出し、それに水を入れ、電源をつないだ。

●ラッシュアワー

 しばらく起きていよう……ということで、今、この文章を書いている。
こういうときは、自然体。
自然体がいちばん。

私「明日は、始発で帰ろうか」
ワ「そうねエ」と。

 さっそくネットで時刻表を検索。
始発で帰れば、9時前には、自宅へ戻れる。
それがわかった。

私「5時53分の特急がある」
ワ「まだ暗いうちね……」と。

 名鉄電車は、ラッシュアワーに重なると、たいへん。
東京の山手線程度に、混む。
それを避けなければならない。 
その前に帰るか、そのあとに帰るか。
私たちはその前に帰ることにした。

●GDPで、20位以下
 
 日本が経済大国という話は、遠い昔の話。
現在、1人当たりのGDPでは、世界で17位(2010年)。
2011年(今年)は、20位以下にさがっているという。
全体としては、世界第3位をかろうじてキープしているが、1人当たりでは20位!
今はまだ円高だからいようなもの。
円安に向かえば、さらに順位はさがる。

 わかりやすく言えば、日本という国が、それだけ貧乏になっているということ。
給料はあがらず、(……実際には、さがっている)、経済も活力を失った。
未来も、お先真っ暗。
国の債務(債務負担)も、1000兆円を超えた。
地方の債務も含めると、さらに多くなる。
EUの金融危機が収束したあとは、この日本。
日本が金融危機に、陥る。

●『徹底予測2012』(日経ビジネス)

 『徹底予測2012』(日経ビジネス)に、こんな興味深い一文が載っていた。
いわく「世界経済の勢力図は、産業革命前に戻る」と。

 つづいて、こうある。
「18世紀の産業革命以前、世界のGDPの過半を占めていたのは、中国とインドだった。その後、世界の覇権はイギリス、アメリカへと移ったが、中国とインドが急成長中。2050年には、産業革命前の姿に戻る」(P11)と。

 今、世界はその流れに沿って、動き始めている。
アメリカは別として、イギリス、つまりEUは、この先どうもがいても、衰退する。
とても残念なことだが、この日本は、その前に消えてなくなる。
同誌10Pには、こうある。

 「日本は少子高齢化の最先端を行く」と。
つまりあと10年もすれば、団塊の世代が後期高齢者になる。
そうなれば、1・2人の実労働者が、1人の後期高齢者を支えることになる。
が、そんなことは常識で考えても、不可能。
現在ですらも貧弱な老人福祉だが、それがさらにひどくなる。
……というか、壊滅状態になる。

(データ:2020年には、全世帯の34・4%が、1人暮らしになる。
2025年には、人口の30%超が、65歳以上になる。……以上、『徹底予測2012年』より。)

●老人福祉の不公平

 それにしても最近、目に余るのが、老人福祉の不公平。
福祉を受けられる人は、徹底的に手厚い福祉(=保護)を受けられる。
そうでない人は、そうでない。

 たとえば知人(近所)の隣人は、夫婦2人。
ともに80歳前後だそうだが、ふだんは介護など必要がないほど、元気。
近くの有料老人ホームにも、入居している。
ところがどこでどう介護度をごまかしたのかは知らないが、週2~3回の訪問介護を受けている。

 で、その訪問介護のある日だけ、自宅に戻る。
動けないフリをしている(?)。
午前10時ごろ訪問介護士がやってくる。
掃除、洗濯、料理をすます。
午後3時ごろ、訪問介護士は帰る。
そのころ、その夫婦は外へ出て、庭いじり。
それが終わると、夜は有料老人ホームへ。

 近所の知人は、こう言う。
「ああいう老人がいるのを知ると、矛盾を感じます」と。
つまりその知人の隣人は、訪問介護士を、自宅管理に利用している……ということになる。

 今、こうした不公平が、あちこちで起きている。

●なすすべもなく……

 そこにヒタヒタと押し寄せてくる、大洪水の兆候。
しかし私たちはその現実を、見て見ぬフリをしながら、それをやり過ごそうとしている。
「何とかなるだろう」「どうにかなるだろう」と。
その前に、どうにもならない。
心配したところで、どうにもならない。
この虚脱感、プラス不安感。
それを救うのが「教育」ということになるが、教育というのは、常に20年後をみて組み立てる。
その視点すら、この日本には、ない。

 相も変わらず、従順でおとなしい子どもほど、「いい子」となっている。
相も変わらず、50年前の教育を繰り返している。
それがわからなければ、どうか私のYOUTUBEをのぞいてみてほしい。
(http://bwopenclass.ninja-web.net/page018.html)
小学1年生だって、方程式だって、負の数だって、分数だって、理解できる。
小数だって、対象図形だって、グラフだって、理解できる。
教えられる。

 さらに皮肉なことがある。
私はこうした教育をYOUTUBEで公開しているが、日本人によるアクセス数と同じくらい最近ふえてきたのが、韓国、台湾からのアクセス。
本当は日本人にもっと見てほしい。
が、肝心の日本人は、安穏の上に、あぐらをかいている。
こんな時代になっても、「英語教育は不要」「コンピューター教育は不要」と。
そういう意見ばかりが、ハバをきかせ、大通りをかっ歩している!

 愚痴になるが、(実際、愚痴だが……)、1980年には、日本は電子立国をめざすべきだった。
あのころ先陣を切っていたら、今ごろ日本は、コンピューターの分野で、世界の覇者として君臨していたはず。
が、田中角栄には、その知力はなかった。
列島改造論を唱え、土建業に邁進した。
その結果が今。

 ほとんど車が走らないような林道さえも、オーストラリアのハイウェイ並みに整備されている。
「公」の名をもつ会館は、どこも、超の上に超がつくほど、立派。
豪華。
アメリカのカーネギーホール(ニューヨークにあるMusic Hall)より、豪華。
カーネギーホールは、古ぼけた4~5階建の建物。

作るのは簡単。
建てるのは簡単。
今、地方自治体は、その維持費で苦しんでいる。
なすすべもなく……。

●さて、帰り支度

 今、時刻は、5時17分。
5時53分の始発まで、あと30分と少し。
帰り支度を始める。

 2011年12月19日、朝。
みなさん、おはようございます。

●名鉄電車の中で

 1号車(指定席)の客は、私たち夫婦だけ。
貸し切り電車。
もうすぐ名古屋だが、窓の外は真っ暗。
今日は雨。
これは予想していなかった。

●ぶらり旅

 今回のぶらり旅で印象的だったのは、やはり関市、「関の町」。
うわさには聞いていたが、シャッター街が、これほどまでに凄まじいものとは、知らなかった。
同時に、関市へ入る街道筋の変化。
大型店舗が、ズラリと並んでいた。
浜松で見る、ファースト・フードの店も、すべて並んでいた。
「ガスト」「吉野家」「マック」などの馴染み店のほか、「ジョイフル」「はま寿司」「かつや」「かっぱ寿司」などなど。

 関市としては、苦渋の選択だったかもしれない。
市内の旧商店街を犠牲にし、郊外に大型店を誘致した。
そこに大型店が並べば、周辺の市町村の客も呼び込める。
全体としてみれば、税収はふえる。
しかしこんな状況も、長くはつづかない。

この先、大型店どうしの競争は、さらに熾烈さをます。
全国規模のファースト・フード・チェーン店も、低価格競争で、そのうち何割かが消えるだろうと言われている。
鍵は、いかにサロン風にし、女性客を呼び込めるかという点にあるそうだ(「徹底予測2012」)。
 
 浜松だけに住んでいると、その変化はわからない。
子どものころよく知っていた町へ行くと、その変化がよくわかる。
今回のぶらり旅の成果は、それを肌で感ずることができたこと。

●名古屋

 電車は今、名古屋駅の構内へと進んでいる。
速度を落とし、信号待ちをしているよう。
並行して走る新幹線は、動きを止めている。
たぶん名古屋始発の新幹線なのだろう。

 横のワイフは、目を閉じ、静かに休んでいる。
先ほどまで、「日本が5位に転落?」と驚いていた。
日本の自動車産業は、世界5位(生産台数)に転落する。
それを読んで、驚いていた。

 今にして思うと、1970年代がなつかしい。
あのころは、日本中が輝いていた。
何をやっても、押せ押せムード。
私たち団塊の世代が、その先陣を切った。
が、ここで日本が終わるわけではない。
終わらせてはいけない。

 「では、どうするか?」と。

 今回のEUの金融危機の最中にあっても、スウェーデンやフィンランドは、きわめて安定的な経済運営をしている。
もし日本がモデルにする国があるとすれば、(官僚や役人はいやがるだろうが)、スェーデンやフィンランドということになる。

●行政改革

現在のように、日本が稼ぐ外貨のほとんどが、公務員と準公務員の人件費に消えていくというのは、どう考えても尋常ではない。
もちろんひとりひとりの公務員の人たちに、責任があるというのではない。
しかし行政改革(=官僚制度の是正)は、もう待ったなし。
この先、日本人の平均余命は、2020年以後、毎年1年ずつ上昇していく。
公務員だけが豊かな年金を死ぬまでもらえるというのは、どう考えてもおかしい。
そのおかしさを正さないかぎり、日本に未来はない。 

 さらに言えば、「教育」。
「人材」。
人材教育をどうするか。
 
●ハーバード大学

 先日、私の教え子(女性)が、ハーバード大学へ入ったことを知った。
現在は2つの博士号をものにし、同大学の医学部で、医局をもっているという。
東大や京大では驚かなくなった私だが、「ハーバード」という名前には驚いた。
母親はこう言った。
「あの子は、子どものころから負けん気が強くて……」と。
そう、その「負けん気」を育てるのが、幼児教育ということになる。
(多分に手前味噌的で、申し訳ないが……。)
そのあたりから、日本の教育を見なしていく。

 先に書いたことの繰り返しになるが、総じてみても、日本の子どもたちは、キバを抜かれたような子どもたちばかり。
むしろこの日本では、キバのある子どもを、「できの悪い子」と位置づけてしまう。
こんなこともあった。

もう10年ほど前になるだろうか。
私が「日本ではシャイな子どもほど、いい子となっている」と言ったら、相手のアメリカ人の女性(小学校の校長)は、心底、驚いていた。
「シャイな子ども」は、アメリカでは、AD・HD児や、LD児と並んで、問題児に位置づけられている、と。
小児うつ病の診断基準のひとつにもなっている。

●もうすぐ豊橋

 名残惜しいが、もうすぐ豊橋。
今回の(ぶらり旅)も、これでおしまい。
窓の外は、美しい朝焼け。
茜色のちぎれた雲の間から、黄金色の太陽が輝いている。

 はやし浩司 2011-12-19朝記。

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