2011年2月26日土曜日

*How can we be alive after 60?

【老後の統合性の確立】2011/02/26記


●ある知人


 先月、1人の知人が他界した。
男性、享年、85歳。
55歳のとき退職し、以後、仕事の経験は、なし。
計算すると、30年間、遊んで暮らしたことになる。
(30年間だぞ!)
中央省庁の出先機関の元副長。


 その知人についての最大の謎。
……と言っても、私がそう思うだけだが、心の問題をどう処理したかということ。
私なら1年どころか、1か月でも、気が変になってしまうだろう。
「遊んで暮らせ」と言われても、私にはできない。
何をどうやって遊べばよいのか。


●時刻表的生活


 そこで近所の人に話を聞くと、その知人について、こう教えてくれた。
「毎日、ふつうでない、規則正しい生活をしていました。
家の裏に100坪あまりの畑をもっていました。
一日中、農作業をしていました」と。


 朝、6時に、雨戸を開ける。
午前10時と3時に、ゴルフの練習。
練習時間は、ピッタシ、30分間。
家の横にネットを張った練習場もある。
夕方6時半に、雨戸を閉める。
庭先にある池の金魚に与える時刻まで、決まっていたという。
その間を縫って、もっぱら農作業。
夏も冬もない。
まさに時刻表的生活。


 このあたりにその知人の特性のようなものが、見え隠れする。
「時刻表的生活」というのは、ふつうの人のふつうの生活ではない。
そうであるからこそ、この30年間遊んで暮らせたのかもしれない。


●仕事
 

 仕事ができる喜びを書きたい。
63歳を過ぎても仕事ができる、その喜びを書きたい。
しかしそれを書くと、そうでない人に申し訳ない。
仕事をしたくても、職場から追い出された人も多い。
喜びを書こうとしても、強いブレーキが働く。
それに私だって、明日のことはわからない。


 もちろん仕事ができるためには、いくつかの条件がある。
健康であること。
職場があること。
その仕事を必要とする人がいること。


しかしこれらは、向こうからやってくるものではない。
こちらから求めるもの。
それなりの努力が必要。
その「努力」という部分が、やがて「喜び」につながる。
けっして軽々しく、「ラッキー!」と言えるようなことではない。


●流れ


 が、仕事があれば、それでよいというものでもない。
仕事から生まれる、緊張感。
それに「流れ」。
もちろん「生きがい」も必要だが、この際、ぜいたくは言っておれない。
「流れ」が、大切。


たとえば東洋医学でも、「流水は腐らず」と教える。
これは肉体の健康法について言ったものだが、精神の健康法としても、
そのまま使える。
週単位、月単位、さらには季節単位、年単位で、生活は流れていく。
その「流れ」が重要。


 が、仕事を失うということは、同時に、その「流れ」が止まることを意味する。
「年金があれば、それでよい」という問題ではない。
(もちろん年金は必要だが、それでは十分でない。)


 もっとも私のばあいは、その年金さえアテにならない。
働くしかない。
働くしかないから、仕事を手放すわけにはいかない。
「私は仕事ができる」と、一方的に喜んでいるわけではない。
その下には、切実な問題が隠されている。
どうか、誤解のないように!


●心の問題


 先に「心の問題」という言葉を書いた。
ほとんどの人は、(私も若いころそうだったが)、「老後」というと、健康問題しか
ないように考えている。
また健康であれば、それでよしと考えている。
(もちろん健康であることは必要だが、それでは十分でない。)


窓のない袋小路に立たされると、「だから、どうなの?」と考えることが多くなる。
「健康だからといって、それがどうなの?」と。
つまりその先が、「心の問題」ということになる。


 ただ誤解してほしくないのは、老人といっても、1人の人間ということ。
けっして半人前になるわけではない。
感性も知性も理性も、若いときのまま。
喜怒哀楽の情も、若いときのまま。
反応は多少鈍くなるが、生きることを、あきらめるようになるわけではない。


 が、世間は、否応(いやおう)なしに、あきらめることを強いてくる。
「あなたも歳だから……」と。
つまり老人は、そのはざまで、もがく。
苦しむ。
それが心の問題ということになる。
 

●金太郎飴人生


 だから老人は、現状を1日延ばしで、人生を先に送ろうとする。
今の私がそうだ。
悠々自適の隠居生活などというものは、夢のまた夢。
またそんな生活に、どれほどの意味があるというのか。
けっして負け惜しみではない。
先に書いた知人を思い浮かべてみればよい。


 この30年間、何がどう変わったというのか。
10年前も同じ。
20年前も同じ。
こういうのを、「金太郎飴人生」という。
つまり、どこで切っても、同じ。


 一方、仕事をしている人にしても、そうだ。
もっとも私の年齢になると、地位や名誉など、まったく興味がない。
関心もない。
仕事といっても、どこかで生きがいにつながっていなければならない。
収入につながれば、さらによい。
……というのが、仕事ということになる。


●老後の統合性


 こうして考えていくと、やはり「老後の統合性」の問題に行き着く。
(人間として、すべきこと)と(現実にしていること)を、一致させていく。
それが「統合性」ということになる。


その統合性の確立に成功した老人は、老後を生き生きと過ごすことができる。
日々に満足し、充足感を覚える。
そうでない老人は、そうでない。
日々に後悔し、明日が来るのを恐れる。


私もこの年齢になってわかったことがある。
孫の世話に庭いじり?
そんな生活はけっして理想の老後ではないということ。
これはそれができない私のひがみでは、ない。
今はわからないかもしれない。
しかしあなたも60歳を過ぎたら、それがわかるはず。


●究極の選択


 が、知人は、30年間、遊んで暮らした。
たまに町内の活動をしたことはあるらしい。
しかしいつも、「お偉い様」。
私も息子の運動会で、来賓席に、その知人が座っているのを見たことがある。
何もせず、じっと座っていた。
が、それでは生活に根をおろすことはできない。
晩年を自分のものにすることはできない。


 さみしくなかったのだろうか?
悶々と悩むことはなかったのだろうか?
窓のない部屋の閉じ込められて、息苦しくなかったのだろうか?


 となると、やはり最初の問題にぶつかってしまう。
その知人は、心の問題をどう処理したかということ。
悩みや苦しみもあっただろう。
さみしい思いやつらい思いもしただろう。
ひょっとしたら、遊びたくて遊んでいたわけではないかもしれない。
が、私には、やはり「遊んで暮らした」としか思えない。


 で、最後に究極の選択。
あなたならどちらを選ぶだろうか。


(1) 年金で、死ぬまで、遊んで暮らす。
(2) 死ぬまで、働きながら暮らす。


 私なら(2)を選ぶ。
(本当は先にも書いたように、選ぶしかないが……。)
仮に年金があったとしても、(2)を選ぶ。


 ……ということで、今朝は20分のランニングから始まった。


今日、健康なら、たぶん明日もだいじょうぶだろう。
今週、健康なら、たぶん来週もだいじょうぶだろう。
今月、健康なら、たぶん来月もだいじょうぶだろう。


が、来年のことはわからない。
だれにもわからない。
ここはがんばるしかない。


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年2月25日金曜日

*Inner Trip

●2月25日

●オーストラリアへ

 やっとB君との話し合いがついた。
メルボルンからアデレードまで、車で行くというB君。
オーバーランド号(大陸横断列車)に乗るという私。
B君の家は、南オーストラリア州とビクトリア州の州境にある、
ボーダータウンというところにある。

 メルボルンでは、インターナショナルハウス(IHカレッジ)に一泊。
市内のホテルにもう一泊。
その翌朝、オーバーランド号に乗ることにした。

 この先、あれこれと準備がたいへん。
オーストラリアは、私にとっては、遠くて遠い国。
今では高校の修学旅行で、オーストラリアへ行く時代になった。
信じられないというより、あの時代の私は何だったのか。
そんなことまで考える。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ターゲット(投射・防衛規制)

 「ターゲット」という言葉は、私が考えた。

 昔、こんなことがあった。
Sさん(高校1年生)は、不登校児だった。
母親に連れられて、私のところへやってきた。
話を聞くと、Sさんは、こう言った。

「同じクラスのXさん(女子)に、意地悪される」と。

 そこで母親は学校の先生と相談し、クラスを変更してもらった。
で、しばらくすると、またSさんは、不登校児になってしまった。
今度は「Yさんが、いじめる」と言い出した。

 で、Sさんのお母さんは、学校側と相談。
再びクラスを変更してもらった。
が、それで問題が解決したわけではない。
Sさんは、今度は、「担任が私を嫌っている」と言い出した。
またまた不登校児になってしまった。

 実際の話はもう少し複雑だったが、大筋は以上の通りである。
私はこのSさんのケースから、「ターゲット」という言葉を思いついた。

●投射

 Sさんは、そのつど、ターゲットを変えた。
最初は、Xさん。
つぎに、Yさん。
そしてさらに、担任へ、と。

 Sさんは基本的には、学校へ行きたくなかった。
それをXさんのせいにしたり、Yさんのせいにしたり、さらには先生のせいにした。
こういうのを心理学では、「投射」という言葉を使って説明する。
本当は、自分が相手を嫌っている。
そのことを正当化するため、相手が自分を嫌っているからと思い込む。
「相手が私を嫌っているから、私は、自分のしたいことができない」と。

 深堀元文氏の「心理学のすべて」には、こうある。
『投射……困難や失敗を他人のせいにしたり、自分の好ましくない欲望を、
他人のものとみなす』と。

 つまり母親も、そして私も、Sさんに振り回されただけ。

 ……という話は、前にも何度も書いた。
で、ここではもう一歩、話を先に進めてみたい。
今朝、ふとんの中で、こんな経験をした。

●怒るという感情は、そのまま

 私はX氏のことを考えていた。
不愉快な男だった。
平気でウソをつく。
口もうまい。
金を借りに来たときも、先に返済計画書を私に見せた。
3か月後から、毎月x万円、1年後から毎月x万円……と、
一覧表になっていた。

 私は人には、お金を貸さない。
そこで私はX氏に、20万円を渡し、「これだけあげるから、勘弁してほしい」と。
が、それっきり。
礼もなければ、あいさつもない。
そのX氏のことを考えていたら、ムラムラと怒りが頭の中に充満してきた。

 そのときのこと。
私はそのX氏と、別のY氏を置き換えてみた。
Y氏もずるい男だった。
浜松へ何度か遊びに来たが、そのつど、別の愛人を連れてきた。
アメリカへ行くときも、「アメリカへ行くから、君の息子を紹介してほしい」と。
そのときも、別の愛人を連れていった。
で、一度、私にこう言ったことがある。
「なあ、林(=私)、今度の彼女の名前は、Sだからな。名前をまちがえるなよ」と。

 するとそこでおもしろい現象が起きた。
起こっている感情は同じなのに、頭の中で、X氏からY氏へ、スルリとターゲット
が置き変わった。
まったく無理がなかった。

 「怒る」という感情はそのまま。
しかしターゲットは、X氏からY氏へ。
X氏のことを考えて怒っていた私が、いつの間にか、今度はY氏を怒っていた。

●八つ当たり

 脳みそというのは、一見複雑怪奇だが、その実、そのメカニズムはシンプル。
単純。
ひとつの反応が起こると、それがそのまま別の場面でもつづいてしまう。

日本語にも、「八つ当たり」という言葉がある。
A氏に対して怒りを覚えていると、それがそのままB氏にまで及んでしまう。
そういうことは、よくある。
「怒り」という感情が先にあるから、理由など、何でもよい。
過去にあったささいなことを理由にあげて、「お前は、あのとき!」と。

 こういうのを八つ当たりという。

 そこでそういうときは、どうしたらよいか。
……といっても、答は簡単。
そのつど頭を切り替えればよい……ということになる。
が、これがむずかしい。
若いときは、それほどむずかしく思ったことはない。
というか、それほど深刻な問題にはならなかった。
そのつど、パッパッと頭を切り換えることができた。

 が、最近はそうではない。
不器用になったというか、切り替えがうまくできない。
ひとつのことで悶々としていると、あらゆることで悶々としてしまう。
感情がそのまま、つぎの場面でも、残ってしまう。
脳のフィードバック機能が、衰えてきたせいとも考えられる。

●フィードバック

 脳内で、ある反応が起こると、すかさずそれを打ち消すための機能が働く。
たとえば何かの脳内ホルモンが分泌されると、それと正反対の脳内ホルモンが
分泌される。
こうして脳は、自分の脳内を、いつもクリアな状態に保とうとする。
これを「フィードバック」という。

 こういう理屈が正しいかどうかは、わからない。
わからないが、加齢とともに、そのフィードバック機能が衰える。
つまり正反対の脳内ホルモンの分泌が衰える。
あるいは反応が鈍くなる。
それが先に書いたような現象につながるのではないか。

つまり「感情の切り替えがうまくできない」。
へたをすれば、脳の中に、もろもろの脳内ホルモンが充満することもある。
何がなんだか、訳が分からなくなる。
そういうこともある。

●脳内観察(インナー・トリップ)

 自分で自分の脳内を観察する。
言うなれば、自分の脳の自己診断ということになる。
最近のパソコンには、そういう機能がついたものがある。
動作がおかしくなったら、自分でそれを診断し、それを是正する。
それと同じように、自分の脳が、自分の脳内を観察する。
考えてみれば、これはおもしろい現象ではないか。

 「ああ、私は怒っている」と、まず自分を知る。
つぎにターゲットを自分で置き換えてみる。
ターゲットが、簡単に置き換わる。
X氏を怒っていたはずなのに、今度はそれがY氏に置き換わる。
「怒り」はそのまま。

 では、反対にこんなことはできないか。
たとえば怒っている最中に、ワイフとの楽しい思い出を思い出してみる。
そうすれば、自分の脳は混乱するはず。
それがおもしろい。

実は、そのとき、それもしてみた。
が、これはうまくいかなかった。
そこで働いたのは、「八つ当たり」。
「怒り」が基本にあるから、楽しい思い出というよりも、ワイフのあら探し
が始まってしまった。
が、これではいけない。
ワイフのことを考えるのを、やめた。

……というように、自分の脳をコントロールすることができる。
自分の脳を相手に、自分で遊ぶことができる。

 今朝、目を覚ましてから起きるまで、ふとんの中で、私はそんな経験をした。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 投射 防衛規制 八つ当たり ターゲット ターゲットの移動 インナー・トリップ)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

*At Irago View Hotel

*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   25日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━¬¬¬¬¬――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page026.html
★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●離婚が悲劇になるとき(10%のニヒリズム)

++++++++++++++++++

離婚というと、夫婦だけの問題と
考える人は多い。
しかしけっして、夫婦だけの問題ではない。
その夫婦を包む、家族の問題でもある。

こんな話を聞いた。

その老夫婦(ともに65歳)には、2人の
息子がいる。
その2人の息子が、相次いでこの数年間の
うちに離婚してしまった。

それぞれに3人ずつの子ども(孫)がいた。
つまり息子たちの離婚によって、その夫婦は
一度に6人の孫を失ったことになる。

こういうケースのばあい、いくら離婚しても、
元夫には、面会権のようなものが残る。
家事調停の場で、そのような取り決めもできる。
「養育費を支払うかわりに、月に1度は元夫と面会
させる」と。
が、家事調停らしい調停もしないまま、
つまり妻の方が、一方的に家を出てしまった。
また2人の息子にしても、この不況下。
養育費を支払う能力はなかった。

こうなると、本当に「失った」という状態になる。
それまでは毎年のように行き来していた家族だったが、
離婚と同時に、縁は切れた。
たがいに相手を罵倒しあうような状態になってしまった。

……この話を聞いたとき、私は、「孫も考えもの」と
思うようになった。
というのも、私にも3人の息子がいる。
うち2人は結婚している。
で、もし離婚ということになれば、孫たちは
元妻側に引き取られることになる。
そうなったとき、ショックは、大きい。

事実、ここに書いた老夫婦は、それ以後、一度に
10年は老(ふ)けてしまったという。
息子たちとの関係も切れてしまったという。

一度は、家族全体(老夫婦+息子たち+孫)の写真を、
誇らしげに年賀状に載せたこともある。
が、それも一時の夢で終わってしまった。
これを悲劇と言わずして、何と言う?

++++++++++++++++++

●10%のニヒリズム

 こういう話を聞くたびに、「10%のニヒリズム」という言葉を思い出す。
どこかの塾の教師が教えてくれた。
つまりいくら全力投球しても、最後の10%だけは、自分のためにとっておけ、と。
100%投球してしまうと、万が一のとき、そのあとがない。

 夫婦はともかくも、親子、親戚、近所づきあいなどなど。
とくに教育の世界では、そうかもしれない。
傷つくのは、いつも一方的に、こちら側だけということになる。
事実、私のばあいも、その子どもに全力投球しながらも、別の心で、つまり10%の
部分で、「この子も、いつか去っていく」と考える。
心の準備を怠らない。
またそれがあるからこそ、「さようなら」「元気でね」と、さわやかに別れることができる。

 一見、ニヒリズムに見えるかもしれない。
しかしこれはこの複雑な社会を楽しく生き延びるためのコツということになる。


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

 
●2011年1月5日(はやし浩司 2011-01-05)

●伊良湖ビューホテルへ

 浜松周辺で、景観第一のホテル言えば、伊良湖ビューホテル。
渥美半島(愛知県)の先端にある。
このホテルに泊まるようになって、もう4、5回目になる。
電車で豊橋まで。
豊橋から迎えのバスで、1時間10分。

 あいにくの曇り空。
どんよりとした灰色の雲が、下のほうまで降りている。
寒いというよりは、冷たい。
冬の冷気が体の芯までしみる。
バスが出る時刻まで、40分ほどあった。
駅構内のパン屋で
コーヒーを飲んで時間をつぶす。

●夢の中の家

 豊橋へ着く直前、私は一軒の家を見て、驚いた。
夢の中にときどき出てくる家、そのものだった。
小高い丘の上にあって、左右対称の形をした家だった。
赤い屋根に白い壁。
玄関は中央にあって、モダンな感じの家だった。

 「おい、夢の中に出てくる家があった!」と声をかけると、ワイフはこう言った。
「その反対じゃ、ないの?」と。

 実は、その通り。
私はこの当たりは何十回となく、電車で往復している。
そのときその家が、何らかの形で、記憶に残った。
記憶したという意識もないまま、記憶に残った。
どう記憶に残ったかも、わからないまま記憶に残った。
しかし残った。
それがときどき、私の夢の中に出てくる。

 つまり夢の中に出てくる家と同じ家を見たのではなく、脳のどこかに記憶された家を、
私は夢の中で見ていた。

●脳内ストレス

 ストレスが慢性化したり、許容限度を超えると、脳内でサイトカインが分泌
される。
脳内ストレスを引き起こす。
症状は、今の「私」。

 食欲が減退し、体が冷える。
性欲も減退するというが、これはもとから減退している。
やる気を失い、何を考えても、憂うつになる。

 「うつ」というのは、「こだわり」をいう。
何かのことでそれにこだわると、そればかりを考える。
取り越し苦労が多くなる。
被害妄想も強くなる。

 ……それではいけないということで、暮れの30日から、こうして
遊び回っている。
自宅で寝たのは、1日だけ。

 言い忘れたが、脳内ストレスを軽く考えてはいけない。
心臓疾患(心筋梗塞)や脳疾患(脳梗塞)の原因となる。
私も一時、心臓の変調を感ずるようになった。
それだけではない。
免疫機能が低下するため、がんを引き起こすこともあるという。

●ワイフ

 そういう私を心配して、……というか、それにかこつけて、ワイフは
私をあちこちへ連れ出す。
昨日は、法多山(はったさん)へ、初詣に行ってきた。
浜松から車で1時間半ほどのところにある。
1月4日に初詣?
去年は、12月末に初詣の先取りをした。
人の混雑は、あまり好きではない。

 ふだんはもの静かな女性だが、ワイフは若いころから行動派。
「趣味は旅行」などと、平気で人に言う。
(旅行というのは、お金がかかるんだぞ!)

私も若いころは、ワイフに負けないほどの行動派だった。
しかしこのところ、「出かけたい」という気力そのものが、弱ってきた。
もしワイフの誘いや励ましがなかったら、今ごろは家の中でゴロゴロしていたはず。

●豊橋

 よその町に来てみると、それがよくわかる。
官民格差というか、「公・官」と結びついた業種は、立派。
結びついていない業種は、みすぼらしい。

 たとえば病院や医院など。
豪華な建物。
つぎに建設業や銀行など。
鉄筋のビル。。
昔は、米屋や酒屋が保護を受けたが、今は自由化された。
タバコ屋もそうだ。
とたん、みな、店を閉めた。

あわれなのは、一般商店。
何の保護もなく、みすぼらしい姿を、さらけ出している。
少し郊外へ行くと、正月の5日というのに、シャッターを下ろしたまま。
そんな商店が、ズラズラと並ぶ。

 ある程度の「格差」なら、まだがまんできる。
しかしここまで格差が広がってしまうと、そうはいかない。
心の下から怒りがわいてくる。
「公・官」が潤い、「民」は、重税であえぐ。
「公・官」は我が世の春を謳歌し、「民」は明日の仕事を心配する。

●被害妄想

 先ほど「被害妄想」という言葉を使った。
不安神経症ともいう。
最近ではパニック障害という。
心配ごとだけが、どんどんと勝手に膨(ふく)らんでいく。
動悸と胸騒ぎ。
体全体がフワフワと宙に浮いたようになる。
その恐怖感は、経験したものでないとわからない。

 が、おかしなもので、そういう状態になると、そういう状態のほうが、
ふつうとなる。
自分がおかしいと思う前に、みながおかしく見える。
が、やがて心が落ち着いてくる。
静かになる。
今度は逆に、「どうしてあんなことを心配したのだろう」となる。

●ハエ

 窓の外に、一匹のハエがいる。
大きな黒いハエで、それが上下、左右に動き回り、もがいている。
何とかして部屋の中に入ろうとしている。
私にはそう見える。

 この寒さ。
明日の朝には、死ぬだろう。
ハエにしてみれば、命がけの闘いということになる。

 ところでこの伊良湖ビューホテルは、東向きの部屋と西向きの部屋に
大きく分かれている。
今日は東向き。
明日は日の出が、部屋から見えるはず。
楽しみ。
で、その東向きの部屋。
眼下に渥美半島が豊橋のほうまでつづいているのがわかる。
通りの明かりが筋となって、遠くまで連なっている。

 ハエと明かり。
おかしな取り合わせだが、私はその2つを見ながら、この原稿を書いている。

●脱水症状

 食事は7時15分から。
たった今、大浴場から戻ったところ。
体中がすっきりした。
ついでに頭の中も。

 ワイフは目の前で、ガラスに顔をつけて外をながめている。
長男は、何かの本を読んでいる。
「何時?」と聞くと、「(6時)半」と、ワイフは言った。

 今日は一日中、ほとんど水を飲まなかった。
そのせいか、現在は、脱水状態。
自分でも、それがよくわかる。
その話をすると、ワイフがコップに水を入れて、もってきてくれた。

●食事から帰る

 食事のとき、ワイフとこんな話をする。
「ぼくたちは、よく今まで(=この年齢まで)、無事で生きてこられたね」と。
ワイフはそれに軽く同意してくれた。

 食欲が満たされると、人間は幸福感を覚えるという。
脳下垂体の一部にそういう機能がある。
反対に空腹になり、血糖値がさがると、イライラしてくる。
神経が過敏になる。

 今が、そういう状態。
つまり満腹感+満足感。

料理はバイキング方式。
このホテルのバイキング料理は、種類が豊富で、質もよい。
ジュース類の飲み物だけは、有料。
残念と言えば、残念。

 が、これはホテル側の判断ミス。
私が支配人なら、ジュース類を無料にする。
甘味料の入ったジュースは、それだけで血糖値をあげる。
食欲を減退させる。
つまりその分だけ、客の食べる料理の量が減る。

 フルーツ類は食べ放題なのだから、どう考えても矛盾している。
ジュースを飲む代わりに、フルーツをかじればよい。

ワ「本当ね。それだけでも感謝しなくちゃあ」
私「だろ。息子たちもみな、それなりに育ったしね」と。

(注:朝食もバイキング方式だったが、朝食の方では、ジュース類は飲み放題
だった。)

●「給料よりも、心の豊かさ」(C新聞・1面コラム)

 昨日、C新聞のコラム(1面)に、こんなエッセーが載っていた。
題して「給料よりも、心の豊かさ」と。
内容は、読まずとも、私にはすぐわかった。
言いたいことも、私にはすぐわかった。
が、読んでみた。

 ……あるサラリーマンが会社をやめ、どこかの島に移住した。
そこで鍼灸師の資格を取り、今はその島で生活している。
収入は何分の1かに減ったが、心豊かな生活を楽しむことができるようになった、と。

 ありきたりの幸福論である。
貧しさや苦労を知らない世代の、たわごとである。
こんなふうに考える人が多くなったら、それこそこの日本は沈没してしまう。
すでに日本は、1人当たりの国民所得で、シンガポールに抜かれている。
2025年までには、韓国にも抜かれると予想されている。
GDPでは、すでに中国に抜かれてしまった。

 タイトルが、『モノよりも、心の豊かさ』というのなら、まだ私も納得する。
しかし今の若い世代は、あの「貧しさ」を知らない。
知らないから、今のままの繁栄が、この先もずっとつづくと錯覚している。
だから平気で、こう言う。

 『給料よりも、心の豊かさ』と。
その記事をまとめたのは、たぶん若い編集者なのだろう。
生活の苦しさを知らないロマンチスト?
あるいは女性?
中高年の編集者なら、こういう記事は書かない。

 たしかにお金では、幸福は買えない。
心の豊かさも買えない。
しかしお金がなくなったら、まちがいなく不幸になる。
心も貧しくなる。
「現実」のもつきびしさが、まるでわかっていない。

●苦労

 私の息子たちにしても、こう言う。
『パパは、仕事ばかりしていて、家族をかまってくれなかった。
家族はバラバラだった』と。

 それはその通りだったかもしれない。
いや、たしかにそうだった。
認める。
しかし私はこう言いたい。
「もっと不幸な家庭を、たくさんのぞいて来い!」と。

 私が子どものころ住んでいた隣の人は、OTさんと言った。
今でも、よく覚えている。
OTさんの家業は、キャラメルを紙を包む仕事。
仕事といっても、内職仕事。
その仕事を朝から夜中までしていた。
2人の子どもがいた。
1人は、私より1級、年上。
その同級生が、家事全体を担当していた。

 そういう苦労を、今の若い人たちは知らない。
知らないから、平気で言う。
「仕事よりも家庭が大切」と。

 が、今のままでは、やがて日本も、あの時代に逆戻り。
すでにそのようになりつつある。
国際経済を戦争にたとえるなら、戦争というのは先手、先手で攻めてこそ、勝てる。
守勢に回ったとたん、負ける。
世界中が血眼(ちまなこ)になって戦争をしているのに、『給料より……』とは!

●日本は貧しい

 またまた愚痴になってしまった。
が、これだけは言える。
苦労を知らないから、感謝の念も生まれない。
今のこの日本の繁栄にしても、自分たちが作り上げたものと錯覚している。

 いつだったか、私が息子の1人に、「戦後の日本は貧しかった」と言ったときのこと。
息子はこう言い返した。
「パパ、そんなのは、自業自得だよ」と。

 しかし今でも日本は、貧しい。
土地も狭い。
農地もない。
資源もない。
あるのは、「日本人」というマンパワーだけ。
そのマンパワーが、パワーを失いつつある。

 公務員が就職人気業種の1位になり、外国へ出たいという若者が
どんどんと減っている。
恋愛ごっこだの、家族ごっこだの、そんな遊びに明け暮れている。
言うなれば、ままごと。
だから義兄は、こう言った。

 「もう一度、日本を貧乏のドン底に叩き落してやればいい。
そうすれば、今の若い人たちも、目が覚めるだろう」と。

 暴論に聞こえるかもしれない。
しかし私は少しも暴論とは思わない。
苦労をしていないから、富や幸福は、「もらうもの」と思っている。
この依存性をぶち壊すには、一度貧乏を、自ら経験させるしかない。

●無事

 が、私たちが「無事で生きてこられたね」というときの「無事」には、もっと
別の意味がある。
たとえばバブル経済のころ、私の教室の周辺だけでも、10教室ほど、幼児教室や
小学生対象の個人塾があった。
しかし今、残っているのは、私の教室だけ。

 また私は学G研という塾連盟のメンバーにもなっていた。
最盛期には、50~60人のメンバーがいた。
アカデミックな雰囲気をもった、すぐれた連盟だった。
が、現在、その中で、生き残っている教室(塾)は、ほとんどない。
私の教室を含めて、1~2教室程度ではないか。
この10年、音信が途絶えてしまったから、詳しくは知らない。

 そういう現実をふまえて、「無事」という言葉を使う。
もっともワイフが「無事」というときは、「健康」をさすことが多い。
「大きな病気をしなかったから、よかった」と、いつも言っている。
そのワイフにしても、0~2歳のころは、やせ細り、「2歳まで生きている
かどうかわからない」と言われていた。

●つぎの世代

 では、どうするか?
どう考えたらよいのか?

 ひとつには教育がある。
教育によって、日本の活力を生み出す。
が、私たちの世代が、つぎの世代に残せるものとしたら、それしかない。
それ以外の部分については、無力でしかない。
はっきり言えば、どうしようもない。

 つぎの世代の世界は、つぎの世代の人たちが作っていく。
「元気」といっても、私たちに残された元気は、もうどれほどもない。
現状を生きるだけで、精一杯。
どうであれ、私たちは、その世界を見ることはないだろう。

●中国人

 ワイフが2度目の入浴から戻ってきた。
濡れたタオルを、物干しに掛けている。
「隣の4部屋くらいは、中国人みたいよ」と。

 前回、秋に来たときも、中国人がたくさん来ていた。
たまたま尖閣諸島付近で、日本の海上保安庁の船と、中国の漁船が衝突したころだった。
中国政府は、日本への観光旅行を中止するなどと言っていた。
が、このホテルには影響はなかった(?)。
そのときも、結構、混雑していた。
ただ回を重ねるごとに、つまり毎年、見るたびに、中国人の態度が大きくなっていく
のには、驚く。
今の今も廊下で、甲高い声をあげて、騒いでいる。
傍若無人。

 このホテルにとっても、また日本全体にとっても、今は、中国サマサマ。
日本のバブル経済がはじけたとき、日本は経済破綻の崖っぷちに立たされた。
その日本経済をかろうじて支えてくれたのが、実は中国だった。
中国の高度成長の波に乗って、日本は何とかもちこたえた。
もし中国からの観光客が来なかったら、このホテルも、経営が成り立たない
だろう。

 ここはじっとがまんのとき。
そのうち静かになるだろう。

●時刻は10時

 時間のたつのは早い。
夕食をとり、2度目の風呂につかって戻ったら、もう10時!
1~2時間という時間が、あっという間に過ぎてしまった。
これはどうしたことか。

 眠りたいという思いと、もっと文を書いていたいという思いが、交互に
現れては消える。
どうしよう?
ワイフと長男は、ベッドの上で、本を読んでいる。

 そう言えば、この1~2日、PSP(ソニーのゲーム機)将棋では、負けてばかり。
集中力がつづかない。
これもサイトカイン(脳内ホルモン)によるものか。
このつづきは、明日の朝、また書く。
この部屋からは、もし天気がよければ、すばらしい朝日が拝めるはず。
では、おやすみ。
1月5日、午後10時。

●午前6時

 時刻は午前6時。
真っ暗闇の中で、パソコンを立ち上げる。
この文を書き始める。

 ……目が覚める前、こんな夢を見ていた。

 私はどこかの(自宅?)にいた。
裏のほうを見ると、雑草の生えた広場になっていて、子どもが何人か遊んでいた。
ワイフは家の中にいて、家事をしていた。
が、そこへ2人の子どもが、家の中に入ってきた。
あとを追いかけるようにして、ブラジル人の母親が入ってきた。
日本語が話せない。
が、どうやら「しばらく子どもを預かってくれ」と言っているようだ。
私とワイフは、2人の子どもを預かることにした。

 夢は、私が何かの遊具を取り出すところで終わった。
そこで目が覚めた。
(自宅?)と言っても、見覚えのない家だった。
古い農家のような家で、土間は、黄色の土がむき出しになっていた。
どうしてそんな夢を見たのだろう。

●1月6日

 今年の日本経済について、どこかの雑誌がその特集を組んでいた。
5~6人ほどの学者や研究者が、その予想を書いていた。
立ち読みだったので、記憶をたどってみる。

(1) 中国のバブル経済が崩壊する。
(2) 日本のインフレが進む(円安になり、1ドルが100円になる。)
(3) 株価があがり、景気がよくなる。
(4) 韓国が「失われた10年に突入する」などなど。

 こうした予想は、例年だと、それほどの幅もなく一致するもの。
が、今年の予想は、みな、バラバラ。
X氏は、景気はよくなると主張し、Y氏は、景気は悪くなるという。
Z氏は、第二、第三のリーマンショックが襲ってくるという。
つまりそれだけ今年の景気は予想がしにくいということらしい。
ひとつの問題として、日本の航空業界を考えてみる。

●J社問題(航空業界)

 J社がかかえる問題は、いくつかある。
ひとつは旧態依然の経営体質。
ひとつはLCC(激安運賃運行)時代への対応。
ひとつはオープンスカイ問題。

 この先、J社が生き残っていこうとすれば、現在のような鎖国状態を政府に維持して
もらう。
国内便専門会社として、国内便だけに徹する。

EUでは、すでにLCCは、日常化している。
わかりやすく言えば、街中の乗り合いバスのような存在になっている。
場合によっては、パリから地方空港まで、300円(日本円で300円だぞ!)で
乗れる時代になった。
客はネットを見ながら、最低料金になったところでチケットを買う。
それをプリントアウトして、空港へかけつける。
そのまま飛行機に乗る。

 そんな芸当が、日本の航空会社にできるだろうか?
とくにJ社にできるだろうか?
プライドばかりが、やたらと強い。
そのプライドをかなぐり捨てて、そこまでLCCに徹することができるだろうか?
できないとするなら、従来どおり、鎖国主義を貫くしかない。
日本の空を細々と飛ぶしかない。
が、それで安泰かというと、そうでもない。

 近く、東京―大阪間が、リニアモーター列車で結ばれる。
新幹線網がさらに充実する。

さらに世界中のLCCが、日本へ参入しつつある。
すでにたとえば札幌から福岡へ行くとき、札幌から仁川(韓国)まで
大韓航空を使い、同じ大韓航空を使って仁川から福岡まで行く。
そんな人がふえている。
そのほうが料金にしても、はるかに安い。

 当の昔に、日本の航空会社は、国際競争力を失っている。
J社はさかんに「黒字になった」とはしゃいでいるが、中身は赤字路線を廃止しただけ。
余剰人員をクビにしただけ。
体質は何も変わっていない。
問題は何も解決していない。

 J社がかかえる問題は、日本経済全体がかかえる問題と考えてよい。
つまりJ社は、日本経済の縮図。

製造会社は海外で活路を見出しているが、航空会社にはそれができない。
できるとすれば、逆に人件費の安いパイロットや客室乗務員を、外国から雇うという
方法がある。
整備は外国の整備会社に任す。
つまり日本の航空会社を、外国の航空会社と同じレベルに置く。
そこからスタートする。
何なら、J社の本店を、タイのバンコクに置けばよい。 

いっそのこと、日本、台湾、韓国、マレーシア、シンガポール、フィリッピンで
共同して、1つの航空会社を作ったらどうか。
そのほうがわかりやすい。

かなり乱暴なJ社再建論だが、大筋ではそれほどまちがっていないと思う。

 ……それにしても、1企業を救済するために、国税を1兆円も使う必要は
本当にあったのだろうか。
国民1人当たり、約1万円。
浜松市の人口は80万人だから、浜松市だけで、80億円。
カルフォルニア州より小さな国に、航空会社が2社。
子会社も含めると、10社以上。

●ロビーで

 先ほどワイフがホテルのアンケート用紙に、意見を書いた。
それには「大満足」とあった。
よかった。

 私はロビーにあった椅子を窓側に向けた。
そこに座り、今、この文を書いている。
眼下には、渥美半島の先が見える。
小さな小山があり、灯台はその小山に隠れて見えない。
先ほど自動車運搬船が、左方面からやってきて、右方面へと消えていった。
空は相変わらず曇り。
鉛色の黒い影を伴った雲が、すぐ上に見える。

 風は強い。
朝、露天風呂に入ったが、風で湯しぶきがあがり、私の顔面を叩きつけた。
波も荒いはずだが、ここから見るかぎり、のどかな冬の海。
幾重にも皺(しわ)になった海面が、ゆっくりと岸へ打ち寄せている。

 「いい正月だったね」と言うと、ワイフは満足そうに笑った。
やりたいことは、すべてした。
そんな満足感が私の心を満たした。

 で、今度の正月を総括すると、こうなる。

「子離れと、居直りの正月」。
やっと子離れができた。
子離れを完成させた。
「これからは私の人生」と。

「居直り」というのは、「私の人生は、こんなもの」と、自分に納得できた。
たいしたことはできなかった。
これからもできないだろう。
あるがままの自分を認め、そのまま残りの人生を生きていく。
つまり、これからは、もうだれにも邪魔されず、自分の人生を生きていく。

 ……2年前、実兄と実母を亡くした
昨年、実家を処分した。
姉との5年闘争にも、ケリをつけた。
そして今年、2011年の1月。
息子たちとも、ケリをつけた。
私は生まれて始めて、「自由」を勝ち取った。
今の私を束縛するものは、何もない。
「私は自由だ!」と。

 もっともワイフに言わせると、「何よ、今ごろ」となる。
「あなたはね、若いころは、どうしようもないマザコンだったのよ。
60歳を過ぎて、やっと子離れできたのよ」と。
先ほども、ここまで書いたことを読み聞かせてやったら、そう言った。

私「でもね、つい昨年まで、ぼくはこう考えていたよ。
もし息子たちの身に何かあれば、家や土地を売ってでも助けてやろうと」
ワ「今どき、そんな親はいないわよ。息子たちだって、そんなこと望んでいないわよ」
私「そうだね。でもね、ぼくはお前と結婚する前から、収入の半分を、
実家へ送っていたよ。息子たちには、そんな気持ちはみじんもないよ」
ワ「今どき、そんな若い人はいないわよ。時代が変わったのよ」
私「そうだね」と。

●常識と意識

 一度心の中にできた常識を変えるのは、容易なことではない。
意識を変えるのは、さらに難しい。
が、私には私の常識があった。
その常識に従って、自分の意識を作りあげた。
私なりの家族像、親像、親子像、家庭像を作りあげた。

 が、時代は変わった。
たしかに変わった。
その変化を知りつつ、その変化に順応できなかった。
できないから、がんこ親父となり、それをワイフや息子たちに押しつけた。
が、そこで猛烈な反発を食らった。
考えてみれば、それだけのこと。

 本当によい正月だった。
2011年1月6日。
伊良湖ビューホテル・ロビーにて。
近く、改装工事に入るという。
それが終わったら、また泊まる予定。
最後に繰り返しになるが、伊良湖ビューホテルほどの景観を備えたホテルは、
そうはない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 2011年正月 伊良湖ビューホテル はやし浩司 2011-01
06)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月7日

++++++++++++++++++

今朝は、運動、なし。
そのこともあって、寒くてしかたない。
先ほどまで、手先は、こたつの中に入れたまま。
今、やっと手を出した。
キーボードを叩き始めた。

いよいよ明日から、仕事始め。
長い休みだった。
それもあって、緊張感が、どうも盛りあがらない。
ワイフは「午後は、映画を観に行こう」と言っている。
運動不足もあって、何となく、体がだるい。
ブルブルと震えたあと、あくびがつづけて出る。

窓の外には、栗の木。
まだ黄色い葉を残して、がんばっている。
この浜松では、今ごろが、「秋」ということになる。
やがて冬のないまま、春を迎える。

+++++++++++++++++++

●折りたたみ式自転車

 3、4日前、折りたたみ式自転車を買った。
値段は1万500円。
定価は1万5000円とか。
新春初売り、目玉商品ということで、その値段で売ってもらった。
安い!

 この自転車なら、車(プリウス)で持ち運べる。
そう考えて、買った。
が、まだ一度も乗っていない。
明日から通勤に乗るつもり。
帰りはワイフの車に積んで帰ればよい。

●「遊びにおいでください」

 日本人は、「遊びにおいでください」という言葉を、あいさつ代わりに使う。
深い意味はない。
あくまでも、「あいさつ」。
年賀状などにも、そう書いてくる人は多い。

 とくに岐阜県の山間地方では、よく使う。
「正月には来てください」
「昼飯を食べていってください」
「またうちに寄ってください」と。

 そう言われた方も、それをよく知っているから、適当に答える。
「ええ、また……」とか、何とか。
そういう言葉を真に受けてはいけない。
「じゃあ、来週にでもおうかがいします」などとでも言おうものなら、さあ、たいへん!
相手の様子や態度が、ガラリと変わることも珍しくない。

 一方、オーストラリア人は、こうした「あいさつ」をしない。
「うちで泊まれ」と言ったら、言葉通り、受け取ればよい。
むしろ断るほうが、失礼。
だからめったにそういう言葉を、使わない。

 で、困るのが私。
相手にそう言われたとき、どこまで本気で考えてよいか、わからないときがある。
迷う。
一方、「口のうまい人」というのは、多い。
相手が本気になる一歩、すれすれの手前で、言葉を切る。
「じゃあ、一度、行こうかなあ」と思い始めた矢先、「じゃあ、さようなら」と。

 こういた言い方を、日本人のやさしさと解釈すべきか。
それともいいかげんさと解釈すべきか。
ただ言えることは、日本人も、欧米化し始めているということ。
言葉を言葉通りに受け取る人が、ふえてきた。
一方、そういうあいまいな言い方をする人が、減ってきた。

 私は、そのほうが、よいと思っている。
たとえばこの浜松では、あまりそういう言い方をしない。
その分だけ、相手の心がよくわかり、つきあいやすい。

 ところで私自身は、そういう言葉を使わない。
あいまいな言い方イコール、ずるい言い方ととらえる。


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【土星の輪(環)】(不思議探検byはやし浩司)

+++++++++++++++++++++++

昨夜、床に就いてから、土星のことを考えた。
土星の輪が気になった。
(本当は「環」と書いて「わ」と読む。以下、「輪」で統一。)
「どうして土星の輪が、輪なのか?」と。
とたん、頭の中が冴えてしまった。

土星の輪が輪であるためには、何らかの力、たとえば
磁場が働いているはず。
その力は、どこでどのようにして生み出されて
いるのか。

また輪なら輪でよい。
どうしてその輪は、レコード盤のようになっているのか。
もちろん厚みはあるはず。
が、宇宙から見ると、紙のように薄い。
土星の大きさに比べると、極薄のパラフィン紙のよう。

あの輪は、小さな岩石でできているという。
それはわかるが、どうして岩石どうしが衝突をしないのか。
衝突を繰り返せば、輪はバラバラになってしまうはず。
小さな岩石というか、衝突を繰り返せば、砂のように
なってもおかしくない。

が、最大の謎は、なぜあの輪には、「筋」があるのか。
しかもその筋は、写真で撮影されるたびに、微妙に
模様を変えている。
(これは写真の取り方にもよるのかもしれないが……。)
どうして筋の模様が変わるのか。

いつもならこういうときは、つまり何か疑問をもったような
ときは、書斎へ入る。
調べる。
しかし昨夜は、寒かった。
私の書斎は、小さなこたつだけ。
床は、アイススケート場の氷のように冷たい。
書斎へ戻る気がしなかった。
そのままがまんした。
眠ってしまった。

++++++++++++++++++++++

●カッシーニ

 土星探査機、カッシーニが、不思議な写真を地球に届けてきた(2009年8月12日)。
それには土星の輪を横切る、謎の物体が移されていた。
輪の大きさから計算しても、巨大な物体と考えてよい。

(Photo1)

width="461" height="316" alt="090811-saturn-equinox-rings-picture_big.jpg">

中央の白い物体が、それである。
いったい、この物体は、何なのか。

 それはさておき、土星の輪の構造について、「AstroArts」サイトは、
つぎのように説明している。

『粒子の大きさを表している。5センチ以下の大きさの粒子が少ない領域が紫、5センチと
1センチ以下の粒子が含まれる領域がそれぞれ緑と青に着色されている。写真で白く写って
いる領域は、粒子があまりに集まっているため電波による撮影ができなかった部分である。
他の画像と合わせて考えると、どうやら土星の環は、どの領域も様々な大きさの粒子が集
まってできていて、大きい物で数メートルになるようだ』(同・サイトより)。

(Photo2)

width="1000" height="750" alt="rings.jpg">

 つまり岩石といっても、大きいので数メートル、5センチ~1センチ程度ということ
らしい(カッシーニの分析による)。
が、土星にまつわる謎は、これだけではない。

たとえば土星の北極付近を流れるジェット気流は、何と六角形になっている。
カルフォルニア工科大学の、サヤナギ・クニオ氏も、「地球の気象現象の規模が数週間程度
であることを考えると、この六角形構造の寿命の長さは特別な現象だ。これは、木星の大
赤斑を形成する不思議な気象条件に匹敵する謎だ」(Livedoor News)と述べている。

 詳しくは……
http://news.livedoor.com/article/detail/4498557/

 が、ここでは土星の輪についての謎に焦点をしぼりたい。

●インターネット

 しかし便利になった。
すばらしく便利になった。
15年前なら、こうした疑問をもったら、図書館へ足を運ばねばならなかった。
が、今は、小さな書斎の中で、瞬時にそれが調べられる。
しかもそれだけではない。

 たまたま火星の写真を見ていたときのこと。
何と、その中に、私とワイフがあの夜見たのと同じ形のUFOが写りこんでいるのを
知った(NAVARサイト)。
驚いた!

http://matome.naver.jp/odai/2128073146356728601/2128081244857809503

(Photo3)

width="1023" height="1023" alt="d88cbd81.jpg">

width="480" height="640" alt="●火星上のUFO.jpg">

 火星の上空に、ブーメラン型のUFOが写っている。
この形は、まさに私たちが、あの夜、見たUFOの形である。
しかも35年近くも、前に!
それについては、地元の中日新聞に記事を書かせてもらった。
またまた話が脱線してしまうが、どうか許してほしい。
そのときの記事の一部をここに掲載する。
イラストは、その夜私たちが見たUFOである。
このUFOと、火星上空を飛ぶ(?)UFOと比べてみてほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(photo4)

width="907" height="1215" alt="img126.jpg">

http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/58300138/
http://www.flickr.com/photos/86343436@N00/58300138/sizes/l/in/photostream/

 こんなことまでわかるから、インターネットは、たまらない!
ぞっとするほど、楽しい!

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●再び土星の輪

 土星の輪は、12本の環と、6本の隙間でできているという。
それぞれに名前がついている。
が、それについて調べていたら、またまたとんでもない写真が、目にとまった。

 同じ「NAVAR」サイトは、土星の輪の上に写る、巨大なUFOの写真を紹介
している。

http://matome.naver.jp/odai/2128073146356728601/2128081197357795203

 いったい、これはどういうことなのか?
この写真の信憑性も問題になるが、土星には、(「土星にも」と書くべきか)、底知れぬ
謎が隠されていることがわかる。

●土星

 土星自体は高速で回転している。
そのため土星は完全な球形ではなく、扁平な形をしている。
そのことと磁場の形成と関係あるかどうかは、私にはわからない。

 なおウィキペディア百科事典は、土星の構造について、つぎのように説明している。

『……土星の内部は木星と似ている。中心に岩石の核があり、その上に液体金属水素の層、
水素分子の層がある。様々な氷も存在している。
土星の内部は高温であり、核では12,000K に達し、土星が太陽から受けているよりも多く
のエネルギーを放出している。
このエネルギーのほとんどは、ケルビン・ヘルムホルツ不安定(重力によるゆっくりとし
た圧縮)により生成されていると考えられているが、それだけで熱生成の全てが説明でき
ているわけではない』と。

 土星の内部では、何か、不思議なことが起きているらしい。
では、土星の輪はどうなのか?

●輪の構造

 土星の輪の構造については、『宇宙ニュース大辞典』が詳しく説明している。

http://kakocha.blog119.fc2.com/blog-entry-45.html

『……最近の望遠鏡や性能のよい双眼鏡を使えば土星の環は容易に観測することができる。
環は土星の赤道から 6,630 km から 120,700 km の距離まで広がっており、シリカや酸化
鉄、氷の粒子などで構成されている。
粒子は細かい塵状のものから、小さな自動車程度の物まで様々である。
土星の環の起源については有力な説が2つある
一つは19世紀にエドゥアール・ロシュが唱えた説で、土星の衛星が土星に近づきすぎて潮
汐力によって破壊されたというものである。
この前提として、破壊された衛星に彗星や小惑星が衝突したとされている。
もう一つはリングの構成物は元々衛星ではなく、土星形成時の星雲の成分がそのまま外に
残った物という説である。
後者で形成された場合、土星の環は数百万年も形状を維持できるほど安定していないため、
この説は今日ではそれほど広くは受け入れられていない。

土星の環は内側から順にD環、C環、B環、A環、F環、G環、E環があり、F環、G環
はよじれた構造をしている。
地球から観察した場合、環の間隙は最も大きなカッシーニの間隙とエンケの間隙のみ見る
ことができるが、ボイジャーは土星の環に何千もの空白区間があることを発見した。
この構造は土星にある多くの衛星の副産物と考えられる。
また、衛星の運動以外では粒子同士の重力的共鳴現象によって環を形作っていると考えら
れる。

環の厚さはその大きさに比べて非常に薄く、特に内側ほど薄い。
各環の中央部の厚さは不明であるが、端部ではC環が約5m、B環が5~20m、A環が10
~30mである。仮に土星本体の直径を10mとして模型を作ったとすると、環の厚さは数μ
m程度となる。
なお、G環の厚さは100km、E環は1万kmと推定されている。

F環は、羊飼い衛星のパンドラとプロメテウスの二つの衛星によって形を維持していると考
えられており、物質密度の高いコアという部分と淡いストランドという部分で構成され、
形状は常に変化している。
2005年9月のカッシーニの観測により、F環のストランドが螺旋状であることが発見され
た。螺旋構造の成因はF環とS/2004 S 6の衝突によると推測されている。

2006年3月、カッシーニによってエンケラドゥス南極付近に噴出孔が発見され、E環はこ
こから放出された物質によって形成されたと考えられている』(以上、『宇宙ニュース大辞
典』より)。

●どうして「輪」なのか。

 土星の輪の構造については、よくわかった。
が、どうして「輪」なのか。

それについても、『宇宙の大辞典サイト』(上述)は、詳しく説明している。

『1980年まで、土星の環の構造は土星の重力のみによって形作られると説明されてきた。
しかし、ボイジャーはB環のなかに暗い放射状の構造を発見した。
これはスポークと呼ばれ、重力による環の軌道運動だけでは説明できない物だった。
この現象は土星の環がほぼ土星の磁気圏内を運動しているため、環を構成している粒子の
電磁相互作用によって生じていると考えられている。
しかしスポークが形成される原因ははっきりと分ってはいない。

カッシーニは2004年7月の土星到着以来、ボイジャーと同等以上の精度で環を撮影したが、
しばらくの間スポークは認められなかった。
2005年9月に、スポークの写真が得られ、四半世紀を経てその存在があらためて確認され
た。スポークは、環の平面が太陽と大きな角度をなす土星の夏・冬には消失し、環の平面
が公転面と重なる土星の春・秋に姿を現すと考えられている』(以上、『宇宙ニュース大辞
典』より)。

●スポーク?

 スポーク?
自転車のスポークと同じように考えてよいのか?
B環の中に、放射状の構造(?)を発見したという。

(Photo5)

width="470" height="485" alt="土星の輪に現れるスポーク">

『……この現象は土星の環がほぼ土星の磁気圏内を運動しているため、環を構成している
粒子の電磁相互作用によって生じていると考えられている。しかしスポークが形成される
原因ははっきりと分ってはいない』(Wapediaより)。
写真の黒い影が、そのスポークと呼ばれる部分である。
そのスポークも、土星の輪の生成に関係がある(?)。

●結論

 結局、私ごときの素人が、とやかく言うような問題ではない。
それが結論ということになる。
この分野の専門家たちが、土星の輪についても、徹底的に研究、分析を行っている。
私がもったような疑問など、この世界では、幼児の戯言(たわごと)のようなもの。
月を見ながら、「どうして月は落ちてこないの?」と。
そうたずねる幼児と同じ。

 ……ということで、この話はここまで。

 それにしても宇宙は謎に満ちている。
あれこもこれも謎だらけ。

 土星の輪にしても、しかり。
これで謎が解けたわけではない。
輪のことを調べていたら、今度は「スポーク」が出てきた。
「UFO」も出てきた。
六角形を描いて回転する、大気の流れまで出てきた。
さらに火星上のUFOまで出てきた。
ふつうの形なら驚かないが、それは明らかにブーメラン型をしていた。
さらに土星の輪の上に並ぶ、巨大なUFOも出てきた。

 まさに何でもござれ!

 ……しかし眠られぬ夜は、こうしてはるかかなたの宇宙に視点を置くとよい。
心が広くなる。
夢見もよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 土星の環 土星の輪 スポーク 土星の輪の謎 土星の環の謎 火星
のUFO)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                      
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m~= ○
.       ○ ~~~\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================

2011年2月24日木曜日

*Kenzi Tamaru says ...

【なぜ私たちは感情をもつのか】

+++++++++++++++

感情とは何か。
感情は、脳の中のどこで、どのようにして
作られるのか。

それがわかれば、反対に、私たちは
自分の感情を、外部からコントロール
できるようになるかもしれない。

田丸謙二先生の最新の論文を読みながら、
それについて考えてみたい。

+++++++++++++++

●感情について

 人間のもつ感情は、大きく喜・怒・哀・楽の4つに分けられるという。
東洋医学では、怒・恐・喜・驚・悲・思・憂(霊枢・本神論篇)に分けて考える。
が、これはおかしい。
こういうふうに現象面だけを見、それを分類して考えるのは、おかしい。

 というのも、人間の脳みそは、基本的には、ON/OFFの構造になっている。
常に無数のON/OFFが繰り返されている。
ということは、感情も、基本的には2つしかないはず。
つまりこれらの感情のうち、2つのみが基本的感情で、残りの感情は、その
バリエーションに過ぎない。
そう考える方が、自然である。
また脳のメカニズムから考えて、そのほうが合理的である。
となると、どれを選ぶか?
どの2つを、基本的な感情として、選ぶか?

●教条主義

 これを教条主義的発想と同列においてよいかは、知らない。
しかしたとえば感情にしても、喜・怒・哀・楽と4つに分けることによって、
あたかもそれ以外の感情はないかのように、思ってしまう。
あるいはその4つに固定されてしまう。
「脳の中には、4つの感情がある」と。
(別に4つでなくても、7つでも8つでもよいが……。)
が、これは正しくない。
またそう考えてはいけない。

 ちなみに教条主義というのは、Yahoo辞書によれば、「状況や現実を無視して、ある
特定の原理・原則に固執する応用のきかない考え方や態度。特にマルクス主義において、
歴史的情勢を無視して、原則論を機械的に適用しようとする公式主義をいう」とある。

 この表記を借りるなら、ものごとは機械的に考えてはいけないということになる。
ときとして私たちはあまりにも常識になっている教条に支配され、それ以外のものの
考え方ができなくなるときがある。
ここに書いた、喜・怒・哀・楽にしても、しかり。
では、感情とは何か?
基本となる2つの感情とは何か?
私は「緊張」と「弛緩」の2つをあげる。

●2つの基本的感情

 ONで「緊張」、OFFで「弛緩」と考えるなら、基本的感情は、「緊張」と「弛緩」
ということになる。

 緊張に属するものは、怒・悲・哀・苦・恐・驚。
弛緩に属するものは、喜・楽。
緊張と弛緩の双方が対立した状態が、憂・鬱・思。

 が、こうして分類するのも、あくまでも便宜上のもの。
分類しても意味はない。
それ自体が、教条的ということになる。

●交感神経vs副交感神経

 感情論を理解するために、ひとつの参考になるのが、交感神経と副交感神経。
そのメカニズム。
わかりやすく言えば、「動け」と命令するのが、交感神経。
「動くな」と命令するのが、副交感神経。
この両者が、バランスよく調整しあったとき、人はスムーズな行動をすることができる。

 交感神経について、Yahoo辞書には、こうある。

「副交感神経とともに、高等脊椎動物の自律神経系を構成する神経。脊柱の両側を走る幹
から出て内臓や血管・消化器・汗腺などに分布。心臓の働きの促進、血管の収縮、胃腸の
働きの抑制、瞳孔の散大などの作用がある」と。

 同じく副交感神経については、こうある。

「自律神経の一。脳部および仙骨部から発し、大部分は迷走神経で、伝達物質としてアセチルコリンを分泌する。交感神経系と拮抗(きっこう)的に働き、心臓に対しては抑制、胃腸に対しては促進の作用をする」と。

 人間の感情にも、これと同じ機能が作用しているのではないか。
つまり「促進」と「抑制」。
先に書いた、「緊張」と「弛緩」と結びつけてみると、「促進」が「緊張」、
「弛緩」が「抑制」ということになる。

●熱帯魚の世界では

 ところで話は変わるが、人間も太古の昔には、魚だったという。
どんな魚だったかは知らないが、水槽の中の熱帯魚と同じ、もしくはそれに近い
生物だったと考えられる。
(魚は魚で進化しているが……。)
その熱帯魚。
基本的には、2つの感情しかないように見える。
(あくまでも、そう見えるだけの話だが……。)

 餌を与えるとき……水中に浮遊しながら、餌を食べる。
このとき熱帯魚の脳の中では、喜・楽の感情が充満していると考えられる。
つまり弛緩状態。

が、何かのショックを感じたとき……水槽の中を、逃げ回る。
このとき熱帯魚の脳の中では、恐・驚・怒の感情は充満していると考えられる。
つまり緊張状態。

●人間の感情

 なぜ私がこんなことを書くか。
それにはひとつ、重要な意味が隠されている。
つまり「人間の感情は、どこでどのようにして生まれるか」という問題。

 が、これについては今では、脳内ホルモン説が定説化している。
つまり人間の感情は、脳内ホルモンによって引き起こされる。

たとえば何かよいことをすると、その信号は大脳から、辺縁系の中にある、
扁桃核(扁桃体)というところに送られる。
すると扁桃核は、モルヒネに似た、エンドロフィン、エンケファリン系の
脳内ホルモンを分泌する。
それが脳内を、陶酔感で満たす。
それが「楽しい」という感情を生み出す。

 が、反対に何かのことで、危機的な状況に陥ったとする。
メカニズムは私には分からないが、脳内で、サイトカイン系の脳内ホルモンが
分泌される。
脳内ストレスは、こうして起こるが、それが「怖い」とか「恐ろしい」とかいう
感情を引き起こす。

●田丸謙二先生

 では、「美」については、どうか?
たまたま昨夜(2・23)、田丸謙二先生が、原稿を送ってくれた。
人間の脳は、どこでどのようにして「美」を判断するかについての論文である。
投稿の日付を見ると、2月21日となっている。
内容もさることながら、88歳を過ぎても、先生はこうした論文を書くことができる。
先生はいつも私に、生きる勇気と希望を与えてくれる。

 先生の論文をそのまま紹介させてもらう。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●脳の科学と芸術

                  田丸謙二

日本化学会の会誌「化学と工業」の二月号に「神経科学から
脳科学へ」から始まり、「脳はなぜ美に魅せられるのか」、『「幸
せ」を感じる脳』など、最近の「脳科学」の進歩や展望について
特集があった。

この15年の間に、それまで動物実験や臨床知
見に限られていた脳の科学が非侵襲的(人体を傷つけず安
全)に、脳の各種の部分が外部に対応してもたらされる変化を
直接に調べることが出来るようになって飛躍的に新しい局面
が開けて来たのである。

 非侵襲的計測法は大別して二つの方法があり、一つは神経
に場がれる電流によって生じる電位を頭皮上から測定する脳
電図に代表される。

また神経電流によって発生する微弱磁場
を、頭の周囲から計測する脳磁図となる。

もう一つの方法は神
経活動によるエネルギー消費を観測する方法であり、脳の局
所の血行動態を観測して脳の働いている部分の活動の大きさ
が計測できる。

 非常に面白いのは、例えば一歳半の赤ん坊の笑顔を見なが
ら幸せ一杯に感じながら働く脳の様子と泣き顔に向かって感じ
る脳とは脳の部分によってはっきりと異なっていることである。

人が快い状態、不快な状態とは脳の部位によって違って働く
のである。更に芸術的にはどのようなものに魅せられるか、難
しい問題を解らないなりに如何にして少しでも科学的に取り扱
うことが出来るようになるのか、少なくとも脳の部分部分での
美に対応する変化が生まれて来るのである。

芸術を科学とし
て取り扱うこれまでには到底考えられなかったことが正に始ま
ろうとしている感じもするが、どれだけのことが生れるのか、こ
れからの大きな問題の一つでもあろう。

  一つの例として挙げられているのはゴッホ(Vincent van
Gogh 1853~1890)だが、彼の生前には1枚しか売れなかった
彼の絵が現在では数十億円もの値段がつけられているほど
の価値となっている。

如何に人や時代によって「美しさ」に魅せ
られるかが大きな問題であることが分かる。

これから脳の科学
が芸術と如何に関連されるか、ゼロからの出発で、正に。

これ
からの問題である。芸術品の価格評価も脳の反映によって決
る可能性もあり得る。

 このような芸術に限らずとも、外部からの影響に対する脳の
部位の対応だけでなく、人類の高度な社会現象や個人の行動
動機に至るまで、充足感、幸福感、危惧感、好奇心、創造生な
どに深くかかわってくる可能性が高いという。
 
 例えば朗らかな時の脳の働きと全く同じ働きをさせるようなこ
とが脳の外側からさせることが出来れば、「うつ病」などの治療
になれないかしら。

数学の難問題を回答できる時の脳の働き
についても同じように働くことが出来れば素晴らしい事になる
かも。

余り素晴らしい事が容易に出来るようになると却ってつ
まらない事になるかも。                        
(2011年2月21日)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●考察

 さっそく私になりにいろいろ考えてみた。
それが先に書いた、「基本感情論」ということになる。
で、先生はたいへん興味深い事実を指摘している。

『非常に面白いのは、例えば一歳半の赤ん坊の笑顔を見なが
ら幸せ一杯に感じながら働く脳の様子と泣き顔に向かって感じ
る脳とは脳の部分によってはっきりと異なっていることである』と。

 たぶん母親の感情についての指摘かと思う。
この記述によれば、

(1)赤ん坊の笑顔を見ているときと、
(2)泣き顔を見ているときとでは、
脳の中でも、活動分野が異なるということ。

 このことから田丸謙二先生は、「芸術を科学として扱う」という可能性に
ついても言及している。
「なるほど」と感心したところで、先に書いた私の感情論へとつながっていった。

●ゴッホの絵

 で、ひとつの例として、田丸謙二先生は、ゴッホの絵をあげている。
ただし私は個人的には、ゴッホの絵は、好きではない。
はげしすぎるというか、ゴッホの絵を見ていると、どうも落ち着かない。
どこか狂人的?
そんな印象すらもつ。
ときどき「どうしてこんな絵が、こうまでもてはやされるのか?」と、
不思議に思うこともある。
話が少し脱線するが、許してほしい。

 ……というか、世俗的な評価というものを、あまり信用していない。
というのも、世俗的評価というのは、個人の評価の集合というよりも、
マスコミ的な洗脳によって作られたもののほうが、多いということ。
そのことは、現代の日本を見れば、よくわかる。
どういう人物が、世俗の世界で評価され、またすばらしい才能と知性をもちながらも、
どういう人が世俗の世界に埋没してしまうか。
それをみれば、よくわかる。

 平たく言えば、この日本では、マスコミの力をうまく使い、有名になったほうが、
勝ち。
それが世俗的評価ということになる。
つまりゴッホも、そうした世俗的評価で作りあげられた画家ではないかということ。
少なくとも、私なら、何億円も出して、あんな絵(失礼!)を、自分の居間には
飾っておかない。
見ている私自身まで、気が変になる。

 ……というふうに考えてみると、その反応は、(2)の泣き顔を見ている
母親の反応と同じことが、私の脳内で起きていることになる。

●再び感情論

 感情も科学で操作されるようになる。
田丸謙二先生は、その可能性について言及している。
それと同じに考えてよいかどうかは、知らないが、最近、私はこんな経験をした。

 胃カメラをのんだときのこと。
胃がんの疑いをかけられた。
が、私は心気症。
その数日前から、心は緊張状態。
最悪のばあいを想像し、食欲も減退した。
ハラハラ…ドキドキ…。

 で、その当日。
胃カメラをのむときは、腕に麻酔注射を打つ。
同時に、のどを通して麻酔薬をのむ。
しばらくすると、脳内が甘い陶酔感で満たされる。
何とも言えない、かったるい状態になる。

 で、検査が終わり、あやしげな箇所の生体を採取。
生体検査へと回された。
そのときのこと。
30分ほどベッドで休んでいるときのこと。
同時に私は、やさしい幸福感に包まれた。
「死」への恐怖は、まったくなかった。
あれほど恐れていたはずの検査だったが、そのときは、安らいだ気分になっていた。

 「感情も科学で操作される」。
今にして思えば、田丸謙二先生の指摘通りということになる。
先生は、こう書いている。

『例えば朗らかな時の脳の働きと全く同じ働きをさせるようなことが脳の外側からさ
せることが出来れば、「うつ病」などの治療になれないかしら』と。

 薬物の力によるのではなく、「外部からの刺激によって、脳内の反応をコントロール
できるのではないか」と。
どこかSF的だが、すでにSFの世界を飛び出し、現実の話になりつつある。
現に脳の一部を電気的に刺激し、脳の中で起きる反応を調べるという方法は、
研究の分野では日常化している。
そういう方法がさらに進歩すれば、感情そのものをコントロールできるように
なるかもしれない。
冒頭に書いたように、脳のメカニズムは意外とシンプル。
ON/OFFの世界。

先生の論文を読んだとき、そう思った。

●感情とは何か

 古今東西の哲学者や科学者が、問うてやまなかった最大かつ、もっとも神秘的な謎。
それが感情論ということになる。
私たちはなぜに、感情をもつのか。
その感情は、どこでどのようにして生まれるのか。

 田丸謙二先生の論文をもとに、私なりにそれについて考えてみた。
このつづきは、もう少し先生の論文を脳の中で消化したあと、書いてみたい。

 2011年2月24日。
今日も始まった。
時刻は午前7時13分。

田丸謙二先生へ、

おはようございます。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 感情論 感情とは 喜怒哀楽 感情の制御 感情のメカニズム 心 
はやし浩司 心はどこにあるのか)


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年2月23日水曜日

*To Mr. R

●2月23日

●30年前の私

++++++++++++++++++

昨日、BW教室の説明会を開いた。
5~6人ずつに分けてしている。
その会でのこと。
こんなことがあった。
私は会が終わるとき、母親の許可を得、
その女の子(年中児)を抱き上げた。
女の子を抱き上げるのは、数年ぶりのこと。

名前をSさんといった。
知るも知らぬもない。
教え子のR君の、(いつも私は、そう呼んでいた)、
娘だった。
R君は、11年近く教えた。
R君の弟も、11年近く、教えた。
R君の妹も、11年近く、教えた。

そういう思いが、どっとその瞬間、私を襲った。
母親が、「Rの妻です」と言ったときの
ことだった。

私「えっ、あのR君?」
母「そうです……」と。

うれしかったというより、心の底から
なつかしさがこみあげてきた。
涙がこぼれそうだった。
そこで言葉が止まってしまった。

私は女の子を抱き上げながら、
「あのR君の子どもかあ!」と。
とたん、30年前にタイムスリップ。
あのころの私がそのまま戻ってきた。
一世代という時の流れが、凝縮して、
目の前を通り過ぎた。

私がもっとも輝いていたころのこと。
R君の母親も、もっとも輝いていた。
私を助けてくれた。
恩もある。

女の子の顔には、R君の母親の面影が色濃く
残っていた。
「お母さん、そっくりだ」と。
そのとき私は、子どものようだった。
自分でも、それがよくわかった。
年甲斐もなく……。
ただただ、なつかしかった。
ただただ、うれしかった。

+++++++++++++++++

●タイムスリップ

 ときどきこんなことを考える。
私はタイムスリップする。
50年前の過去にもどる。
50年前の過去にもどって、50年前の自分に会う。
父に会う。
母に会う。
祖父や祖母に会う。

 が、相手は私だと気づかないだろう。
当時は、タイムスリップという言葉すらなかった。
私はあの町を歩き、自分の実家に行く。
小さな自転車店である。
そこで私は、店に並んだ自転車をすべて買う。
1台3万円としても、50万円もあれば、すべて買える。
当時の自転車は、それくらいの値段だった。
そう、あのころの私は学校から帰ってくると、いつも
母にこう聞いていたという。

「今日、自転車、売れた?」と。

 で、当時の「私」に会ったら、私は何と言うか。

●小学6年生の私

 私は小学6年生か中学1年生。
小学6年生ということにしておこう。
つまりここで私は、2人の自分を想像する。

 小学6年生の私と現在の私。
現在の私が、こう語りかける。
「私は、君の50年後の私だよ」と。
そのとき小学6年生の私は、どう反応するだろうか。
今度は自分の過去をさぐる。
あのころの私は毎日、外で遊んでばかりいた。
腕白だった。
だからたぶん、こう返事するだろう。
「おじさん、あんた、頭がおかしいんじゃない?」と。

 現在の私にそう言われても、それを理解するだけの知識もない。
冷静に考える能力もない。

あなた自身のこととして考えてみたらよい。
ある日、どこか顔は似ているが、しかし見知らぬ老人がやってきた。
やってきて、「私はあなたの未来に私だよ」と。
あなたはどう思うだろうか。
そのときのあなたを想像してみればよい。
たぶんあなたも、そう言うだろう。

「あんた、頭がおかしいんじゃない?」と。

●過去の未来

 が、現在の私だって、それで引き下がらない。
私は小学6年生の私に、こう言う。

「君は少し前まで、ゼロ戦のパイロットにあこがれていただろ?」
「君が好きな人は、あのAMさんだろ?」
「君はバイオリンを習っていたけど、いやだっただろ?」
「それに君は、小学3年生のとき、大阪のオバサンが作ってくれた人形を
抱いて寝ていただろ?」と。

 小学6年生の私は、それを聞いて仰天するにちがいない。
私しか知らない秘密ばかり……。
しかし私がいちばん伝えたいのは、そのことではない。
つまり私が、未来から来た「私」ということではない。
ものの考え方、その道筋を伝えたい。
過去の「私」に、その未来を伝えたい。

「いいか、世の中にはまだ君の知らないことが山のようにある。
君が高校生になるころには、電子計算機というのが世に出てくる。
その電子計算機には、注目した方がいい。
遺伝子工学とか、光合成とか、それに触媒という言葉も出てくる。
やがてすぐ、人間はロケットで月まで行くだろう」と。

 しかしあのころの私なら、きっとこう答えるだろう。
「おじさん、ぼく、そんなことなら、みんな知っているよ」と。
生意気な子どもだった。
自分でも、それがよくわかっている。

●R君の娘

 私はR君の娘を床におろし、「よろしくね」と言ったとき、そこに30年前の
「私」がいることを知った。
そう、あれから30年。
今の仕事を通して、いろいろなことを学んだ。
現在の「私」は、30年前の「私」ではない。
が、そこにいるのは、まぎれもなく、あのR君の娘だ。
顔は、R君の妹、そっくり。
R君の母親、そっくり。

 私は何度も、「あなたのお父さんのことをよく知っているよ」と言いかけた。
しかしそれは言わなかった。
これからゆっくりと、機会を見つけて、それを言えばよい。
時間はたっぷりある。
が、ふと、こうも思った。
「この子が最後だろうな」と。

 R君は、娘の指導を、私に任せてくれた。
しかしその娘がおとなになり、結婚し、子どもをもつころには、「私」は、もう
この世にはいない。
いても、使い物にならない。
そのとき私は92歳。
生きているはずがない。
つんとしたさみしさが、心を貫いた。

 「君のお父さんとはね、このビルの屋上で、石蹴りをして遊んだんだよ。
それに君のおじさんや、おばさんとも、ね」と。

 別れるとき、そう言った。
「またおいでよ!」と声をかけると、うれしそうに笑った。
私の心の中で、ポーッと何かが燃えた。

●時の流れ

 私は過去の「私」に出会った。
過去の「私」に話しかけた。
が、そんなことは、その女の子には、わからない。
わかるはずもない。
まだ4歳か5歳。
何という、はがゆさ。
が、そのはがゆさは、現在の「私」が、12歳の「私」に会ったときに
感ずるはがゆさかもしれない。

 時の流れは、世代を繰り返す。
しかしつぎの世代は、まったく白紙。
いくら「君のお父さんのことは、よく知っているよ」と叫んでも、女の子には、
通じない。
その女の子は女の子で、今、自分の人生を始めたばかり。
私のことなど、まったく知らない。
何という、はがゆさ。
何という、切なさ。

 かわいいというより、すでにその向こうに、あの気品と美しさをたたえていた。
入会書を受け取りながら、母親にこう言った。

「R君のお母さんは、美しい方でした。
今も美しいですが、若いころのお母さんは、息をのむほど美しい方でしたよ」と。
どういうわけか、矢印型の金とプラチナが交互に並んだ、あのネックレスが印象に
残っている。

 私がタイムスリップしたのは、30年前ではなく、ひょっとしたら60年前だった
かもしれない。

R君、元気ですか。
長いつきあいになりますが、よろしく!

はやし浩司記


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司

*Magazin Feb. 23rd

・
・
・
*********************************
 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ |   MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\   /(″ ▽ ゛)\    厂 ̄偶
 ===○=======○====================
 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   23日号
 ================================  
 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━¬¬¬¬¬――――――――――――――
★★★★★★★★★★HTML版★★★★★★★★★★★
マガジンを、カラー版でお楽しみください。(↓)をクリック!

http://bwhayashi2.fc2web.com/page025.html
★メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
★2009年、2010年、連続、カテゴリー部門・人気NO.1に選ばれました。

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子離れ(親意識との決別)(親の依存性vs親の自立)

+++++++++++++++++++++

70歳を過ぎても、子離れできない親がいる。
一方、子どもがまだ中学生なのに、さっさと
子離れしてしまう親もいる。
そのちがいは、何か。
どちらがよいのか。
また子離れするには、どうしたらよいか。

+++++++++++++++++++++

●「なりすまし詐欺(オレオレ詐欺)」

 いまだになりすまし詐欺が跡を絶たないという。
電話一本で、いとも簡単に親たち(祖父母たち)が騙(だま)されてしまう。
この話を、オーストラリアの友人(60歳)に話したら、こう言った。
「オーストラリアでは考えられない」と。

 「もしそういう電話がかかってきたら、オーストラリア人の親なら、こう言うだろうね。
それは私の問題ではない。息子(娘)の問題。私は知らない」と。

 つまりなりすまし詐欺というのは、きわめて日本的な現象ということになる。
その根底で、日本人独特の甘えの構造(=依存性)と、深く絡(から)みあっている。

●「二度と帰ってくるな!」

 10年ほど前だが、こんなTV番組を見た。

 深夜、東京のKB町にレポーターとカメラマンが入った。
2人の中学生らしい女の子をつかまえた。
その女の子たちに、「おうちの人は心配してないの?」と。

 が、その女の子たちは、「心配してないヨ~」と。

 そこでレポーターは何とか女の子たちの自宅の電話番号を聞き出した。
自宅に電話した。
電話に母親らしき女性が出た。
が、その母親らしき女性の言い方に驚いた。
娘たちの外出を心配しているかと思いきや、その逆。
「私には関係ありません!」「放っておいてください!」と。

 そこで女の子(=娘)が電話に出ると、母親らしき女性は、電話口の向こうでこう
叫んだ。
「あんたなんか、二度と家に帰って来るんじゃないわよ。わかったア!」と。

●解放

 親はどこまで子どものめんどうをみるべきか。
その内容と基準、それに程度は、それぞれの家庭によって、みなちがう。
子育ての意識そのものが、ちがう。
夫婦(父親vs母親)によっても、ちがう。

 仮に70歳を過ぎても、ネチネチと子離れできない親を、(10)とする。
一方、子どもが小学生、もしくは中学生のころに、「私は関係ありません」と、
子どもを突き放す親を、(0)とする。
上記、テレビに出てきたような母親をいう。

 が、これは意識の問題。
(10)の親から見れば、(0)のような親がいること自体、信じられない。
(0)の親から見れば、(10)のような親がいること自体、信じられない。
その一方で、ほとんどの親は、自分のもっている意識を、標準と考える。
ほかの親たちも、みな、そうと考える。
しかしそう考えてはいけない。
人、それぞれ。
意識も、それぞれ。

●私たち夫婦のばあい

 私たち夫婦ですら、たがいに意識がちがう。
生まれ育った環境がちがうから、ちがって当然。

 私はネチネチとした、濃密な親子関係のある世界で、生まれ育った。
ワイフは、幼いころ母親を亡くし、父親の手だけで育てられた。
そのため私から見ると、「親子感覚」が希薄。
上記(0)~(10)に基準に当てはめるなら、私は、(7)もしくは(8)。
ワイフは、(3)もしくは(4)。

実際、私のワイフが、3人の息子たちに向かって、「勉強しなさい!」などという
言葉を使って、息子たちの世話を焼いているのを、見たことがない。
息子たちがまだ小学生のころから、学校の宿題にしても、「やりたければやりなさい」
「やりたくなければ、やらなくてもいい」という接し方をしていた。

 ほかにたとえばアメリカに住む孫に対しても、毎月のようにプレゼントを送ったのは
私。
ワイフはただの一度も、自分からは送っていない。

 が、おかしなもので、いつも嫌われるのは、私。
好かれるのは、ワイフ。
どうして……?、と書きたいが、俗世間では、こう言う。
『うるさい親は、嫌われる』と。

●子離れ

 子離れとは、何か?
つまるところ、いつ、どの時点で、「私とは関係ない」と、子どもを突き放すかで、
決まる。
言い替えると、子どもにもっている依存性を断ち切ることを、子離れという。
子離れと、親の自立は、紙で言えば、表と裏。

 私も、さんざん辛酸をなめさせられたあと、やっと、こう思えるようになった。
「勝手にしろ!」「知ったことか!」と。
決別したというのではない。
息子たちを見捨てたというわけでもない。
息子たちに抱いていた、期待感を払拭した。
とたん、心の中が、スーッと軽くなったのを覚えている。
つまりそのとき、私は親として自立した。
……というか、親意識と決別した。

●それまでの私

 それまでの私を総括すると、こうなる。
「いつか、めんどうをみてもらわなければならないときがあるかもしれない」
「息子や息子の嫁たちに、嫌われたくない」
「親として、優位な立場にいたい」と。

 いつもそう考えていた。
が、息子たちにその気がまったくないことを知った。
仮に私が心筋梗塞で倒れたと連絡しても、「ああ、そう?」で終わってしまうだろう。
(だからといって、それが悪いというのではない。
それが現代の若者たちの標準的な意識ということになる。
また私自身も、そういうふうに息子たちを育ててきた。)

そういった息子たちの意識を、はっきりと自覚したとき、息子たちに抱いていた
依存性が消えた。
同時に、そこに私の人生があることを知った。
「私は私の人生を生きる」と。
つまり私は、子育てから、解放された!

●依存性

 体にしみついた依存性と決別するのは、たいへん苦しい。
自己否定から、絶望感、さらには襲い来る孤独感と闘わねばならない。
意識を変えるというのは、並大抵の努力では、できない。

 が、この問題だけは、自分たちの問題。
子どものもっている意識を変えようとしても、無駄。
子どものもっている意識と闘っても、これまた無駄。
親の私たちは、それを認め、受け入れるしかない。

 少し前、「デジタル人間」について書いた。
ドライで合理的。
人間関係ですら、ON/OFFだけで片づけてしまう。
そういう人間をデジタル人間という。
「人情」というものが、通じない。
現代の若者たちが、そうであるなら、私たちはそれに合わせて生きていくしかない。
あるいは相手にしない。

 今の私なら、仮になりすまし詐欺の電話がかかってきても、即座にこう言うだろう。
「それは私の問題ではない。息子(娘)の問題。私は知らない」と。

 子離れについて、別の角度から考えてみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 子離れ論 依存性 子離れ 親の自立 はやし浩司 親子感覚)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●デジタル人間vsアナログ人間(あなたは、どちら?)

+++++++++++++++++++

デジタル人間。
人間関係を、ON/OFFだけで決めてしまう。
つきあうか、つきあわないか、そのつど、スパスパと判断し、行動する。
つきあう価値のある人間とは、つきあう。
つきあう価値のない人間とは、つきあわない。
ドライ、淡泊、計算ずく。
最近の若い人たちの一般的な、考え方。

これに対して、アナログ人間。
ON/OFFの切り替えが苦手。
人間関係が癒着していて、妥協しながらも、相手との関係を維持する。
つきあいたくなくても、嫌われるのを避け、いい人ぶる。
そのつどYES/NOが言えず、ズルズルとあいまいなまま生きる。
人情的、濃密、計算しない。
従来の日本人の一般的な、考え方。

デジタル人間からは、アナログ人間は、ネバネバして見える。
田舎ぽい。
アナログ人間からは、デジタル人間は、サバサバして見える。
都会ぽい。

++++++++++++++++++

●珍現象

 A氏の家に、東京へ出た息子夫婦が、帰ってきた。
孫も2人、連れてきた。
1年半ぶりの帰郷である。

A氏は現在、65歳。
定年まで、地元のバイク会社に勤めた。
現在は、部品管理会社の守衛をしている。
そのA氏が、こう言った。

(1)息子夫婦は、みやげを何も持ってこなかった。
(2)2人の孫の分だけではなく、息子まで、お年玉を請求した。(A氏の妻が、3万円
渡したという。)
(3)正月に来たといっても、嫁は家事をいっさいしない。子ども(孫)を預けて、
同窓会だの、友人宅回りだのと言って、遊んでばかりいた。(A氏の妻が、料理を用意した。)
(4)A氏夫婦は2人の孫を連れて、近くの遊園地へ行ったりした。
(5)みなでレストランで食事をしたが、息子夫婦は、1円も負担しなかった。
そればかりか、帰りの車のガソリン代を、A氏の妻から受け取っていた。

●意識のちがい

 「どうして?」と理由を聞くと、A氏はこう教えてくれた。
「息子夫婦は、生活がギリギリで余裕がないのです」と。

 それもそのはず。
最近の若い人たちは、給料を手にしても、目一杯の生活を始める。
高級マンションに住み、大型の車を乗り回す。
冷蔵庫、レンジ、エアコン、液晶テレビなどなど。
「あって当たり前」の生活をする。

「それに私の方から遊びにおいでと声をかけた手前上、息子夫婦は、お客様です。
嫁さんに家事をさせたら、息子が怒ります」と。

 A氏の息子夫婦を責めても、意味はない。
つまりこの40年間で、日本人の常識が逆転した。

●40年前

 私たちは6畳と4畳のアパートに住んでいた。
車は買ったが、中古のHONDAの小型車だった。
長男が生まれたとき、そうだった。
収入は人並みにあったが、約半額は、毎月実家の母に届けていた。

 盆暮れには、どんなに忙しくても、時間を作って実家詣でをした。
もちろんみやげも、そのつど持っていった。
帰るときには、少なくとも10万円程度の現金を置いてきた。

 ワイフはワイフで、私の実家へ帰ると、家政婦のように働いた。
ときどき家族を連れて、近くの温泉へ行ったりした。
もちろん費用は全額、私が負担した。
が、私たちだけが特殊というわけではない。
それが当時の「常識」だった。

 が、今はちがう。
意識が180度、変わった。
子どもが親の世話をするのではない。
親が子どもの世話をする。
孫の世話をする。
たった40年で、親子の立場が逆転した。
(たったの40年だぞ!)
原因は、何か?
それが冒頭にあげた、デジタル人間の台頭である。

●ドラ息子

 いつごろから、こうなったのか?

 私が最初に強くそれを感じたのは、すでに30年も前のことである。
当時、昔でいう「ドラ息子・ドラ娘」が、急速に増え始めた。
時はちょうど、高度成長期。
それにつづくバブル経済期。
子どもが生まれると、みなが寄ってたかって、蝶よ花よと、子どもに手をかけた。
金をかけた。
時間をかけた。

 その結果、子どもたちは、自分を中心に世界が回っていると錯覚し始めた。
「もらうのが当然」「してもらうのが当然」と。
その結果が、今。
そのときの子どもたちが、今の親たち。

 正月に実家へ帰っても、ただで寝泊まりする。
親に小遣いを渡すのではない。
親から、さらに小遣いをせびる。
先に書いたA氏の息子夫婦のようなケースは、けっして特殊ではない。
が、悲劇はつづく。

●金の切れ目が、縁の切れ目

 子どもが大学へ入ると、親たちは爪に灯をともしながら、学費を送る。
生活費を送る。
しかしそんな苦労など、どこ吹く風。
子どもたちは、遊ぶ。
ただひたすら遊ぶ。
バイトもするが、それはすべて遊興費のため。

 もちろん勉強の「ベ」の字もしない。
愛だの恋だのと、恋愛ゲームに明け暮れる。
で、何とか卒業。
何とか就職。
で、最後には、ある日突然見知らぬ女性を家に連れてきて、「結婚します」と。

 親の意見を求めることもない。
恋愛を、人生の最大の重要事と考える。
またそれが、す・べ・て。

 で、こんな話を聞いた。

 結婚して間もなくのこと。
B氏の息子が、やはり東京から帰ってきた。
突然の帰郷である。
「どうした?」と聞くと、「結婚式をしたい」と。
「どこでやるのか?」と聞くと、「この浜松でしたい」と。

 で、それについて、結婚式の費用を出してくれないかと。
B氏が、「少しなら負担してやってもいい」と答えると、息子は突然、激怒。
こう言い放ったという。
「親なら、結婚式の費用くらい、出してくれてもいいだろ。
この浜松でしてやるのだから!」と。

 それ以後、1年以上になるが、息子からは音信なし!
どこかで結婚式をしたらしいが、B氏夫婦には招待状は来なかったという。

 以上の話を読んで、「この息子はおかしい!」と思ったら、あなたはアナログ人間。
「息子の言い分の方が正しい!」と思ったら、あなたはデジタル人間。
さて、あなたは、どちら?

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 デジタル人間 アナログ人間 どら息子 ドラ息子 親子の絆 はや
し浩司 逆転する親子関係 はやし浩司 ON OFF人間 ON-OFF ON・OF
F人間)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●1月3日(雑感、思いつくまま)


++++++++++++++++


時刻は、午前0時15分。
1月3日になったところ。
昨日(1月2日)は、忙しかった。
原稿を書くヒマもなかった。
一日中、動き回っていた。
で、今。
やっと自分の時間ができた。
ホ~~ッ!
ワイフは隣の部屋で、眠っている。
アルコールが入ると、それこそ
コテンと眠ってしまう。
うらやましい!


++++++++++++++++


●年賀状


 毎年、1月2日には、年賀状の配達はないものと思っていた。
が、今年から、2日にも配達をするようになったらしい。
朝、起きて郵便受けを見ると、年賀状が届いていた。


 で、その年賀状。
私が「少なくなったね」と言うと、ワイフは、「当たり前でしょ」と。
数年前、一度、年賀状廃止宣言なるものをした。
みなに、断わりのハガキを出した。
「これからはインターネットの時代なので・・・」とか、何とか、書いた。


またおととしは、喪中ということで、だれにも出さなかった。
知らない人は年賀状をくれたが、そのままにしてしまった。
それもあって、年賀状の枚数は、ガクンと減った。


40代のころは、800~1000枚にもなった。
年賀状を書くのも、1週間仕事。
私が図柄を描き、ワイフがあて先を書いた。
考えてみれば、そのころが私の人生のピーク?
が、今年は・・・まだ数えてないが、150枚前後(?)。
私が出した年賀状の枚数も、それくらい。
年齢に反比例して、年賀状の枚数も、少なくなっていく。

オー・ヘンリーの「最後の1枚」という短編小説を思い出す。
病弱な少女が、枯れ木に残る最後の1枚に希望を託し、生き延びる。
私も、やがてそうなる。
最後の1枚に、望みを託す。
0枚になったとき、死ぬ。
(あるいは、その逆?)


●休日の過ごし方 

 この数年、休日の過ごし方を変えた。
それまでは予定も立てず、家でゴロゴロしていることが多かった。
が、それは私には向いていない。
私のやり方ではない。
それがわかった。

家の中でじっとしていると、かえってイライラ感がつのってしまう。
だから最近は、休日になったら、遊びまくる。
ヒマを見つけては、外出する。
毎日、どこかの旅館やホテル、山荘に寝泊りする。
「だったら、どこか外国へでも行ってくればいい」と思う人もいるかもしれない。
しかし私は飛行機が苦手。
一度飛行機事故を経験してから、飛行機に乗れなくなってしまった。
いや、乗れなくはないが、いつもひどい緊張感に襲われる。
旅先のホテルでは、一睡もできない。
「帰りの飛行機に乗らなければ・・・」と思うだけで、不安になる。
動悸が始まる。
体が宙に浮いたような状態になる。
こういうのを「飛行機恐怖症」というのか。
症状を、列挙してみる。


(1) 飛行機に乗るのが、怖い。(棺おけに入ったような気分になる。)
(2) みなについて、ぞろぞろと乗ることはできる。(前の客の背中に隠れて乗る。)
(3) 席に着いても落ち着かない。(目を閉じて、じっとしている。)
(4) 体から緊張感が抜けない。(体中がコチコチになる。全身に冷や汗をかく。)
(5) 先方のホテルで眠れない。(睡眠薬をのむ。)


 そんなわけで、特別なばあいをのぞいて、飛行機には乗らない。
時間はかかっても、国内では、列車を利用する。


 こうした恐怖症というのは、それがない人には理解できないものらしい。
「思い過ごし」とか、「気のせい」とか、言う。
しかし怖いものは、怖い。
足が勝手にすくんでしまう。
これは脳の奥深いところで起こる反応。
理性でコントロールできるようなものではない。


 話は脱線したが、そんなわけでこれが私の休日の過ごし方ということになる。
つまり人、それぞれ。
私は私。


●骨董市


おととい(1月1日)は、市内のグランドホテルであった骨董市に行ってきた。
昨日(1月2日)も、市の産業展示館であった、骨董大市に行ってきた。
若いころは骨董が好きで、いろいろなものを買い集めた。
が、今は、売りどき。
もっていても、しかたない。
飾るところもない。


 全部で50店ほど並んでいただろうか。
ワイフとああでもない、こうでもないと言いあいながら回った。


 収穫は、明治時代の教科書。
6冊、買った。
ボロボロの本だった。
ワイフはそれを見て、「一度、消毒したらどう?」と言った。


ついでに私がもっている骨董品の写真を見てもらった。
が、どれも「全国版」とか。
おもしろい言い方だった。
つまり私がもっている骨董品は、東京、京都、大阪のような大都市でしか鑑定できない
という。
だから「全国版」。
「この浜松では鑑定できません。京都へ行ってみたらどうか」と、言われた。
「あるいは美術館でもいい」とも。


私が「ニセモノではありません」と言うと、骨董店の男はこう言った。
「ニセモノでないことは、あなたの顔を見ればわかります」と。
瞬間、意味がわからなかった。
が、そう言われて、そのあとうれしくなった。


 全体としてみると、今、骨董品は底値。
中国からニセモノがどんどんと入り、骨董品の価値がさがってしまった。
一時は100万円を超えたような絵皿でも、今では1~2万円で取り引きされて
いるという。


 時代が変わった。
日本人の趣好が変わった。


●無精髪


 今、髪の毛はボサボサ。
「床屋へ行かなければ」と思いつつ、日を延ばしてしまった。
その結果が、今。
正月というのに、何たるザマ!
「明後日から床屋が始まるから、行って来たら?」とワイフは言う。
が、それもめんどう。
もう少し先延ばしにする。
それまで整髪料で、ごまかす。


・・・しかし私の年齢で、これほどまでに髪の毛がフサフサしているのは珍しい。
白髪も少ないほう。
去年、大学の同窓会に出たら、半数以上が照れ照れのハゲ頭だった。
「床屋へ行かなくてもすむからいいなあ」と思ったが、やはりハゲ頭は」いや。
めんどうでも、髪の毛はあったほうがよい。


●正月


 「正月」という言葉から緊張感が消えた。
私たちが子どものころは、正月というと、一大行事だった。
重大事だった。
が、今はちがう。
のんべんだらりというか、正月といっても、ただの休日。


 たとえばこの山荘周辺の農家の様子も、変わった。
20年前には、どこの家の前にも、門松が並んだ。
が、今は、ほとんど見ない。


 私の家にしても、そう。
今年は1月1日になって、あわてて正月らしくあれこれ飾った。
餅つきも予定していたが、市内に住む友人が、その前日、餅を送ってくれた。
そのため餅つきは、中止。


 先にも書いたように、あちこちで寝泊りしているため、おせち料理もなし。
ワイフが2、3品、用意した。
が、それだけ。
そんなわけでますます緊張感が抜けた。
「こんなことでいいのかなあ」という思いが、心をふさぐ。


●不安神経症(パニック障害)

 このところときどき、不安神経症に陥る。
動悸がはげしくなり、不安感が脳内に充満する。
気分が浮いたような状態になり、落ち着かない。
ささいなことで、イライラする。

 で、私のばあい、そういうときは、自分の胸の内を文章にして叩き出す。
(キーボードを叩くから、「叩き出す」と言う。)
たいてい30分もすると、落ち着いてくる。
心が軽くなる。
反対に、そのままにしておくと、頭の中がモヤモヤしてくる。
症状がひどくなる。

 もっともそういうときに書いた原稿は、外に向かっては発表しない。
言うなれば、ボツ原稿。
どうしても愚痴ぽくなる。
読みたい人もいないだろう。
だから書き終わったら、そのまま削除。
趣味の魚釣りと同じ。
魚を釣っても、また水の中に戻す。

 さてさてやっと眠くなってきた。
時刻は、もうすぐ午前1時。
明日も忙しい。
起きたらすぐ、周辺の草刈をするつもり。
一汗かいて、風呂に入る。
それが楽しみ。

 では、みなさん、おやすみ!
(はやし浩司 2011-01-03)


Hiroshi Hayashi++++++Jan 2011++++++はやし浩司(林浩司)

●初夢

++++++++++++++++++++++

今年の初夢。
見たはずなのだが、よく覚えていない。
どこかの温泉に入っていた?
湯船が2つあったが、ひとつには、
レスラーのような黒人の大男が入っていた。
私たちは隣の部屋にあった、もうひとつの
湯船に入った。
隣の客と肩がこすりあうほどの混みようだった。

あのフロイトも「夢判断」を重要視している。
いろいろな説がある。

時計の夢を見るのは、強迫観念の強い人。
旅先であわてる夢を見るのは、不安神経症(パニック障害)の人。
混浴の夢を見るのは、性的に欲求不満の人。
トイレをさがす夢を見る人は、小便がしたい人、など。
(以上、はやし浩司説)

もう10年近くも前のこと。
1月2日の朝、私はヘビの夢を見た。
昔からヘビの夢を見ると、金運がよくなると言われている。
私は喜んだが、その年は最悪だった。
つまり、こういうのは迷信。

ところで中国では、すでに2000年以上も前から、
夢判断をしていた。
そういう話を知っている人は少ない。
『黄帝内経(こうていだいけい)』という本に、
それがちゃんと載っている。
詳しくは小生の『目で見る漢方診断』(飛鳥新社)を
見てほしい。

http://farm1.static.flickr.com/27/44248065_6d77fe9e35_b.jpg

http://farm1.static.flickr.com/32/44248066_dfea74d843_b.jpg

見方によっては、フロイトの夢判断より、はるかに合理的である。
漢方理論にしっかりと基づいている。

で、目をさましてから、ワイフとこんな話をした。

私「よくさあ、認知症か何かになると、どこどこへ帰りたいと言う人がいるよね」
ワ「みんな、言うみたいよ」
私「ぼくの母は、生まれ故郷のID村に帰りたいと、いつも言っていた」
ワ「そうね」
私「でね、ぼくのばあいだけど、ぼくが老人になり、そういう状態になったら、
どこへ帰りたいと言うだろうか」

ワ「どこ?」
私「お前は、どこだ?」
ワ「砂山の実家かしら?」
私「ああ、あそこならいつでも連れて行ってやるよ」
ワ「新幹線の改札口のあたりよ」
私「ハハハ、それはわかりやすい。新幹線の改札口へ連れて行ってやるよ」

ワ「あなたは、どこなの?」
私「それがね、ぼくのばあい、根無し草だから、とくに帰りたいというところがない」
ワ「この家じゃなくて?」
私「夢の中に出てくるとすれば、それがね、おかしなことに、裏のNKさんの家なんだよ」
ワ「あの大豪邸?」
私「そうなんだよ。あの家なんだよ。ハハハ」と。

ワイフの生まれ故郷(実家)は、今は新幹線の浜松駅、その改札口あたりにあった。
もしこの話を覚えていてくれる人がいたら、JR浜松駅で降り、新幹線の改札口を
通るようなとき、こう思ってほしい。
「ああ、ここがあのはやし浩司の妻の実家のあったところか」と。

が、私のばあいはどこか?
やはり郷里のM町か?
それともこの浜松市か?
よく旅先から家に戻る夢を見る。

そのときは岐阜のほうを目指して帰る。
しかし夢の中に出てくる家は、先にも書いたように、裏のNKさんの大豪邸。
オレンジ色の屋根、白壁の家。

+++++++++++++++++++++

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 夢判断 フロイト 黄帝内経 初夢)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●東亜日報の反日記事

● 동아 일보의 반일 기사

+++++++++++++++++


東亜日報(韓国紙)は、「あきれた日本の新聞」と題して、つぎのような
記事を掲げた。

そのまま紹介する。

++++++++++以下、東亜日報、1月4日記事より++++++2011

国防部が発表した「2010年国防白書」に独島(トクト・日本名竹島)の写真がなかっ
たことについて、日本の産経新聞が昨年12月31日、「日本への配慮ではないかと関心を
呼んでいる」とし、その背景に注目した。

韓日間に独島の領有権問題が起こった08年には、韓国政府が国防白書の表紙に独島を背
景にした大型強襲揚陸艦のカラー写真を載せ、本文にも、海軍艦艇の独島防衛訓練のカラ
ー写真を載せたが、今回は2つの写真が削除されているということだ。2010年度版に
は、独島関連の写真として、島の上空を哨戒飛行する空軍戦闘機の小さな写真1枚だけが
掲載された。

これについて、軍当局は、「ひと言で言って、あきれた」と述べた。軍関係者は、「これま
で表紙に写真が3枚入っていて散漫であるうえ、毎回デザインが同じだという反応もあり、
今回はデザインに変化を与えたのだが、過剰な解釈だ。表紙の写真を抜いただけであり、
独島に対する韓国の確固たる守護意志の内容はすべて含まれている」と反論した。

++++++++++以上、東亜日報、1月4日記事より++++++2011

●検証

 そこで産経新聞を調べてみた。
実際、そのような記事があることがわかった。

++++++++++以下、産経新聞、記事より++++++2011

【ソウル=黒田勝弘】

 韓国国防省は30日、2010年版の国防白書を発表したが、前回の08年版白書の表
紙に掲載されていた竹島(韓国名・独島)の写真が表紙から消えており、日本への配慮で
はないかと関心を呼んでいる。

 韓国では近年、金大中・盧武鉉政権(1998~2008年)時代の対北融和策で北朝
鮮への警戒心が後退。代わって竹島・独島をめぐる日韓の領有権紛争から「独島防衛」が
強調され、マスコミなどはまるで日本が“仮想敵”かのような雰囲気になっていた。

 国防白書(08年版)では表紙に「独島」を背景にした大型強襲揚陸艦のカラー写真が
掲載され、本文でも北朝鮮などによる「局地挑発に対する備え」の項に、海軍艦艇による
「独島防御訓練」のカラー写真が出ていた。

 今年の白書ではこの2枚の写真は削除され、「独島」がらみでは島上空を哨戒飛行する空
軍機の小さな写真1枚だけになった。

 韓国では今年、哨戒艦撃沈事件や延坪島砲撃などで北の軍事的脅威が大問題になり、政
府はこれまでの安保政策の立て直しを迫られている。韓国政府として現実離れした“日本脅
威論”をあおるような写真は不必要と判断したものとみられる。

++++++++++以上、産経新聞、記事より++++++2011

●「日本への配慮ではないかと関心を呼んでいる」

 産経新聞の記事の中で、最大の問題点は、「日本への配慮ではないかと関心を呼んでいる」
という部分。

 いつ、だれが、どこでそのような「関心を呼んだ」のか?
記事には、「黒田勝弘」の記者名がある。
となると、こういう独断的判断を下したのは、黒田勝弘氏自身ということになる。
黒田勝弘氏は、勝手に国防白書を自己流に解釈し、最後に、こう結んだ。

「韓国政府として現実離れした“日本脅威論”をあおるような写真は不必要と判断した
ものとみられる」と。

●韓国側の反発

 これに対して、韓国側は、強く反発した。
それが東亜日報の記事である。

 が、私は黒田勝弘氏のこう言いたい。
「日韓問題は、貴殿が考えているような、底の浅い問題ではない。
韓国の人がもっている反日感情は、そんな甘いものではない。
認識不足もよいところ」と。

 つまり私はこれほどまでに、オメデタイ記事を、そうは知らない。
産経新聞というよりは、黒田勝弘氏の、視野の狭さに驚く。
つまりこの程度のことで、一喜一憂してはいけない。
自己流の解釈を加えて、日韓関係が改善に向かっていると安易に判断してはいけない。
東亜日報が反発して、当然である。

 私も、この記事には、日本側の立場で、あ・き・れ・た!


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【1月5日朝記】(さあ、今日も始まった!)

●目と口

++++++++++++++++++

感情は口に先に表れる。
目は、それにつづく。

わかりやすく言うと、喜怒哀楽、
とくに驚き、笑いは、まず口に現れる。
ついでそれに対して目の動きが追従する。

つまりそれによって、作られた表情か、
本物の表情かを、判断することができる。

……というような話を、若いころ、
何かの本で読んだことがある。

++++++++++++++++++

●日本映画

 日本映画が、全体として、演技ぽいのは、「演技」を意識しているから。
たとえば1人の男が町を歩いている。
そのとき突然、後ろから、だれかに肩を叩かれる。
その瞬間のこと。
その男は、相手の顔を確かめる前に、つまり振り向く前に、目の筋肉が先に緩(ゆる)む。
その状態で振り返る。
相手は男で、彼の友人だった。
(ふつうなら、まず相手を見てから笑う。
笑うとしても、口の方が先に笑う。)

 ……というような「瞬間」を、私たちは見落とさない。
笑顔についても、同じことが言える。

 たとえば1人の女性が、何かのジョークを聞いて笑うようなばあい。
まず口の方が先に反応して、笑う。
目が笑うのは、そのあと。
それが本当の笑い。

 が、日本映画では、あらかじめ用意した表情で、笑う。
こういうときは、こういう表情をしてみせるもの……というような表情で笑う。
たとえて言うなら、ショッピングセンターに立つ売り子のような表情をしてみせる。
ニコニコ笑うが、作り笑い。
どこか不自然。
演技ぽい。
ここでいう「演技」というのは、それをいう。

 こうした稚拙な演技を防ぐゆいいつの方法は、俳優が、その人物になりきること。
その人物の心になりきること。
演技はそのあと、ついてくる。

●孤独は心のがん細胞

 数日前、「孤独は心のがん細胞」という内容の原稿を書いた。
孤独感がつのると、精神状態が変調する。
その先に「死」が見え隠れするようになる。
そのまま自殺してしまう人も少なくない。
だから「孤独は心のがん細胞」。

 ところが、である。
孤独は心のがん細胞だけではなく、肉体のがん細胞であることもわかってきた。
絶望感を味わった人ほど、心臓病、脳卒中、さらにはがんになる人が多いのだそうだ。
理屈としては、納得できる。
絶望感が、体内の免疫機能を減退させる。
孤独感にしても、同じ。
孤独感ほど、強烈なストレスはない。

 私の学生時代の友人も、そう言った。
彼はこの6年、胃がんと闘っている。
「林、がんはね、ストレスが原因で起こるんだよ」と。

 ストレス、イコール、がんということでもないだろう。
しかしストレスは、体によくない。
2008年に、その友人について書いた原稿を、再掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●S君の生き方(Immunocyte & Cytokine)
A cytokine brings the effect that multiple functions, that is, a single cytokine varies in
the condition of the target cell.

+++++++++++++++

昨夜、T県T市に住んでいる、S君と
電話で、1時間ほど、話す。

大学の同窓生である。

彼も、4、5年前、内臓にガンを患い、
現在も、「闘病生活をしている」(同君)
とのこと。

「毎月、いろいろな検査を受けている」
「毎週、リハビリに通っている」
「毎日、いろいろな薬をのんでいる」と。

しかし生き方が、すばらしい。
何ごとにつけ、前向き。

「ぼくはクラシック音楽が好きだから、
チケットはいつも、何枚ももっている」と。

心配して電話をかけたつもりだったが、
かえって私の方が、教えられた。

「なあ、林君、ガンなんて、治せば
いいんだよ。すぐ死ぬというわけでも
ないからね。ていねいに検査を受けていれば、
転移も、それでわかる。わかったとき、対処
すれば、まにあうよ。これで最初のガンから
5年になるから、あと10年は生きられるよ。
これからの10年は、(もうけもの)と
思って生きるよ」と。

「悪いのは、ストレスだよ。ストレスが、
ガンを引き起こすと考えていいよ。
ぼくの周囲でガンになった人を見てもね、
何らかのストレスが引き金になったと
思われるのが、多い。ストレスが免疫細胞の
力を弱めてしまうんだよ。ガン細胞なんて
ものはね、みな、もっているんだよ」とも。

次回の同窓会には出ることを約束して、
電話を切る」

++++++++++++++++

●ストレス

++++++++++++++++

以前、ストレスについて書いた原稿を
さがしてみた。

++++++++++++++++

●ストレス
 
人間関係ほど、わずらわしいものはない。もし人が、そのわずらわしさから解放されたら、
どんなにこの世は、住みやすいことか。いうまでもなく、我々が「ストレス」と呼ぶもの
は、その(わずらわしさ)から、生まれる。

このストレスに対する反応は、二種類ある。攻撃型と、防御型である。これは恐らく、人
間が、原始動物の時代からもっていた、反応ではないか。ためしに地面を這う、ミミズの
頭を、棒か何かで、つついてみるとよい。ミミズは、頭をひっこめる。

同じように、人間も、最初の段階で、攻撃すべきなのか、防御すべきなのか、選択を迫ら
れる。具体的には、副腎髄質からアドレナリンが分泌され、心拍を速くし、脳や筋肉の活
動が高まる。俗に言う、ドキドキした状態になる。

ある程度のストレスは、生活に活力を与える。しかしそのストレッサー(ストレスの原因)
が、その人の処理能力を超えたようなときは、免疫細胞と言われる細胞が、特殊な物質(サ
イトカイン)を放出して、脳内ストレスを引き起こすとされる。

そのため副腎機能の更新ばかりではなく、「食欲不振、性機能の低下、免疫機能の低下、低
体温、胃潰瘍などのさまざまな反応」(新井康允氏)が引き起こされるという。その反応は
「うつ病患者のそれに似ている」(同)とも言われている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 孤独感、絶望感は、ただ単なる感情ではない。
肉体をもむしばむ「がん細胞」ということになる。
こわいのは、脳内ストレス。
年齢的なことはよくわからないが、50歳を過ぎたら、要注意!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ストレス 免疫 免疫機能の低下 免疫機構 サイトカイン 孤独
 強力なストレス はやし浩司 絶望 孤独 心のがん細胞 ガン細胞)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●2つのニュース(はやし浩司 2011-01-05)

++++++++++++++++++++

「?」と思った、2つのニュース。
ひとつは、アメリカのアーカンソー州で起きた、鳥の大量死事件。
もうひとつは、北朝鮮の金xxに関するニュース。

並べて考えてみる。

++++++++++++++++++++

●花火で、鳥が大量死?(Yahooニュースより)

【ニューヨーク山科武司】

 米アーカンソー州で野鳥が大量に死ぬ“事件”が発生した。原因は不明だが、「新年を祝
う花火の音が鳥のストレスを高めた」との見方が出ている。

 CNNなどによると、アーカンソー州中部の人口5000人の町ビーブで、先月31日
の夜から今月1日未明にかけ、ハゴロモカラスやムクドリが約5000羽、1.6キロ四
方の範囲で死んだ。落下してくる鳥のため車の運転は困難となり、住民は傘をさして鳥を
避けたという。

 夜行性の鳥ではなく、なぜ巣から一斉に飛び立って死んだかは不明だ。研究機関で死体
を解剖したが、感染性の病原はなかった。31日夜には同町で新年を迎える花火を打ち上
げており、AP通信は「その音に鳥が驚いたのでは」との見方を紹介している(以上、Y
ahooニュースより。)

●金xxの公開活動(朝鮮日報より)

 統一部は4日、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記による昨年の公開活動が161
回に及んだと明らかにした。ちなみに2009年には159回で、脳卒中で倒れた2008年は97
回だった。

 分野別では工場や企業所など経済部門での視察が63回で最も多く、軍部隊の視察など軍
事部門の現地指導が38回でその次に多かった。さらに公演の観覧28回、中国訪問など対
外活動12回、大学訪問や政治関連行事などが20回だった(以上、朝鮮日報より)。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●思いつくまま

 花火が原因なのか。
それとも何かの伝染病によるものなのか。
しかし私にはこんな経験がある。

 子どものころのこと。
私が住んでいた町では、「川開き」といって、川のそばで毎年、花火大会が催された。
8月1日だったと記憶している。

 で、その直後の、その翌朝のこと。
近くに小倉公園と呼ばれる小さな山がある。
そこを歩いていたとき、無数の小鳥が死んでいるのを見かけた。
無数といっても、点々と、何十羽という数だった。
それを見て、だれかがこう言った。

 「昨夜の花火で驚いて、死んだのだろう」と。

 で、それから30年後。
そのことについて、本に書いた。
『受験に克つ子育て法』(三一書房)という本の中だった。
が、それについて、ある人がこう言った。
「花火で、鳥は死なない」と。

 以来、私はどちらが正しいのか、迷うようになった。
が、今回、アメリカのアーカンソー州で、似たような事件が起きた。
まだ花火と確定されたわけではないが、疑ってみる価値はじゅうぶん、ある。

 人間にとっては「楽しみ」の花火だが、小鳥にとっては、恐怖そのもの。
小鳥だけではない。
私はこの30年近く、犬を飼っているが、犬だっておびえる。

 花火大会イコール、人間の傲慢さの象徴と考えてよい。
人間だけが、地球の住人ではない!
花火が原因とまだ確定したわけではないが、そうであっても、またそうでなくても、
人間の傲慢さの象徴と考えてよい。

●公開活動が161回?

 常識で考えて、161回は、ありえない。
ほぼ2日に1回の割合である。
それがいかにハードなスケジュールであるかは、自分のこととして考えてみると、わかる。

 私は健康なほうだが、1泊旅行をして帰ってきただけで、ヘトヘトになる。
翌日は1日中、横になっていることもある。
いわんや、脳梗塞を経験した人が?
年齢も68歳。

 私は替え玉ではないかと、疑っている。
重要な公開活動については、本人自身がすることもあるだろう。
しかしそれ以外は、替え玉による、公開活動。
そう考えてよい。
以前、やはり何かの本で、金xxには、何人もの替え玉(=影武者)がいると
読んだことがある。
そのときは、身の保全のためにそうしているという話だった。

 それに年に161回もあちこちに出かけていたら、動きがすべてわかってしまう。
これはアメリカの暗殺を恐れる金xxにしては、たいへん、まずい。
あの国は、何からなにまで、ウソで塗り固めている。
こういう話は信じないほうがよい。


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■                      
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m~= ○
.       ○ ~~~\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================

2011年2月22日火曜日

*Feb. 22nd 2011

●今日の反省(2-21)

●チラシ

 帰宅後、こたつに入って、チラシを見る。
東名浜松西インターの近くに、「NG」というパソコンショップがある。
私はいつも、その店を利用させてもらっている。
その店のチラシ。
A3大のチラシに、製品と価格が、ぎっしりと書きこんである。
私のばあい、(私のような人間も多いと思うが)、それを見ているだけで楽しい。

 が、今、ほしいのは、とくにない。
パソコンも、つぎのつぎ待ち。
現在デスクトップに、MCJ社のを使っている。
昨年、買ったばかり。
買い換えるとしても、来年。
だからつぎ(今年の年末)の、つぎ(2012寝年の夏ごろ)。
ノートパソコンは、4~5台、すべて現役中。
あえて言うなら、TOSHIBAのMX/34M。
それがほしい。
価格は、現在、5万9800円(価格ドットコム)。

 あとはカシオのカメラかな?

●日本相撲協会

 ……こんな意味のない文章を書かねばならないほど、私の脳みそは休眠状態。
どうも冴えない。
このところ何を読んでも、また何を考えても、「どうでもいい」と思いが先に立って
しまう。
つまり熱くならない。

 今日も仕事に行く途中、書店に立ち寄った。
何冊か、週刊誌を立ち読みした。
いつもなら、それだけで頭の中がバチバチとショートする。
書きたいことが、頭の中に充満する。
爆発しそうなほど、充満する。
それが今日は、なかった。

 たとえば「週刊現代」。
相撲の八百長問題を大きく、取り上げていた。
当然だろう。
週刊現代は、過去、何回か日本相撲協会に逆告訴されている。
そのたびに証人が証言を翻し、いつも週刊現在側の敗訴。
多額の賠償金まで支払わされている。

 が、八百長は、犯罪ではない。
犯罪ではないから、刑事訴追はできない。
週刊現代も、観客が集団提訴するようなばあいをのぞき、法的な責任を取らせるのは
無理というようなことを書いていた。
私もそう思う。

が、ここでまたまた別の「ウミ」が出てきた。
今度は、相撲賭博。
「賭博」なら刑事犯として、訴追できる。
警察が介入することができる。
日本相撲協会を、叩きのめすことができる。
あの団体は、何からなにまで、ウサン臭い。
悪臭がプンプンと臭う。
相撲賭博、おおいに追及してもらいたい!

 それにしても日本相撲協会の理事たちの人相はよくない。
顔で人を判断してはいけないとは、よく言う。
しかしそれにしても、「よくない」。
私は一片の知性も理性も感じない。

●中東、激変中

 エジプトにつづいて、今度はリビアがおかしくなってきた。
今日の夕刊には、こうある。
「リビア首都にデモ拡大」(中日新聞)と。

 やがてこの日本にも、さまざまな形で影響が波及してくるだろう。
原油価格の上昇程度では、すまない。
そうでなくてもEUには、いくつか、あぶない国がある。
そういうあぶない国の、足下(あしもと)がこける。
それが日本にも、影響する。
へたをすれば、日本の国家破綻(デフォルト)の引き金を引いてしまうかもしれない。

世界の食糧価格(大豆、小麦、トウモロコシ)は、この3年間で、3倍近くにまで
あがっている(2008年比)。
世界的な大インフレが始まっていると見るべき。
理由は言わずと知れた、アメリカのドルの垂れ流し。
日本も同罪。

 先進国はこれくらいの値上げなら、何とか吸収できる。
が、中進国以下は、そうはいかない。
猛烈な物価高と、それにともなう貧困層の増大。
そのエネルギーが、今、中東で爆発した。

●話題

 本来ならここで、話題を変えなければならない。
視野を広くし、別の分野に挑戦しなければならない。
いつも同じテーマで書いていると、脳みそが、固くなる。
視野が狭くなる。
「何かないかな?」ということで、浜松のおいしい店を、頭に思い浮かべる。

 ……といっても、私が住んでいるこの町内周辺のレストラン。
イチ押しは、「かっぱ寿司」。
今夜もそこで食べてかえってきたが、寿司ネタがいつもの倍以上もあったのには、驚いた。
値段も、3月末まで、1皿90円。
おまけに、おいしい。
寿司専門店の寿司もおいしいが、ときどき、生臭い寿司が出てくるときがある。
一度でもそういう寿司が出されると、私のばあい、「つぎ」がない。
そのまま足が遠のいてしまう。

 つぎに、「鐘庵(しょうあん)」。
こじんまりとした日本そば屋だが、おいしい。
桜えびの搔き揚げが、おいしい。
先週は、毎日、3日もつづけて、その鐘庵に通った。
そばもおいしいが、入り口付近にある、静岡おでんも、おいしい。
静岡おでんは、煮込みつゆの色が、独特。
濃い黒色
おでんには、魚粉(さかなこ)と海苔粉(のりこ)をかけて食べる。

 そういう店がつぎつぎと私の家の近辺にできた。

●折伏(しゃくぶく)

 そう言えば数日前、ある宗教団体の信者が、私の家にやってきた。
さかんに私に入信を勧めた。
その宗教団体では、そうした行為を「折伏(しゃくぶく)」と呼んでいる。
「相手を折り伏せる」という意味である。

 しかしもともと信者が信者を折伏するということは、なかったはず。
少なくとも鎌倉時代の昔にはなかったはず。
「折伏」というのは、本来、寺が寺を、乗っ取ることを意味した。
たとえば鎌倉時代になると、鎌倉幕府は、それまでの寺をつぎつぎと、
臨済宗に改宗させていった。
それが「折伏」である。

 これに対して、穏便に説得するという方法もあった。
それを「摂受(しょうじゅ)」と言う。
どちらであるにせよ、それにつづく戦国時代もそうであったが、「民」など、
もとから数に入っていなかった。
「民」、つまり「民の意思」など、問題外。
民、つまり信徒にしても、僧侶の読む経典が変わったところで、
それに対して文句など言えなかった。

 が、今では、信者(民)が、一般の人(民)を折伏する時代になった?
「林さん(=私)も、一度、私たちの座談会に出てみませんか」と、
さかんに言われた。
私は時間がないことを理由に、それを断わった。

 ある賢人いわく、『凡人は宗教を信じ、知識人は宗教を疑う。しかし為政者は
宗教を利用する』と。

●振り込め詐欺

 もうひとつ、事件があった。
これも数日前のこと。
あやしげな電話が息子のところへかかってきた。
「グランの木村です」と、その男は名乗った。
が、その瞬間、「振り込め詐欺」とわかった。
(そういう電話が、私のところへ、よくかかってくる。)
のらりくらりと会話をかわしていると、相手の男もそれに気づいたのか、
突然、「では、いいです。息子さんの携帯電話に電話しますから」と言って、
電話を切ってしまった。

 その少しあと、息子に、「そんな会社の、そんな人を知っているか?」と確かめると、
「知らないよ」と。

で、私はそのまま110番に通報。
私の家の電話機は、ナンバーディスプレイになっている。
相手の番号も、伝えた。

 ……そのあとその電話番号に、何度か電話をしてみた。
が、何度かけても、通話中。
相手は、そういう設定にしているらしい。

 で、私はときどきこう思う。
もし、今の仕事をしていなかったら、私は私立探偵社を経営しているだろうな、と。
やたらと正義感が強く、こういう方面でのカンが働く。
ワイフもそう言う。
「あなたにピッタリの仕事ね」と。

●花粉症

 今日は朝から目がかゆく、クシャミもときどき、つづけざまに出た。
花粉症独特のクシャミである。
「いよいよ始まったか」と。

 毎年、最初の1週間ほどだけ、花粉症の症状が出る。
そのあと、症状は急速に収まる。
今が、がまんのとき。

医院で「花粉注射」というのを、打ってもらう。
あとはシソの葉エキスというのを、のむ。
毎年、それで症状は消える。

 それにしても今年の飛散量は、昨年の10倍とか。
ゾーッ。 
そう言えば、昨日も山荘へ行ってみたが、どの杉の木も、赤茶色の実を、
ぎっしりとつけていた。
不気味な感じがした。

●新製品

 やはり新しいパソコンを買おう。
ノートパソコン。
気分転換には、必要。
ボケ防止のためと思えば、安い。
このままでは、脳みそが腐ってしまう。

i-Podにしようか?
i-Padにしようか?
いろいろ迷ったが、やはりノートパソコンが無難。
いや、カメラのほうがよいかもしれない。
カシオのEX-ZR100。
このカメラはすごい!
値段は現在、3万33790円(価格ドットコム)。
この1月に出たばかりの新製品。
もう少し待てば、値段もさがるはず。

●就眠

 さてさて、床につく時刻になった。
ワイフがいつもの就眠儀式を始めた。
化粧を落とし、血圧を測る。
そのあとパジャマに着替える。

 子どもの世界にも、就眠儀式というのがある。
子どもは、毎晩、同じことを繰り返し、やがて眠りの世界に入る。
英語では、「ベッド・タイム・ゲーム」という。
それと同じ。
ワイフは今、それをしている。

 今夜の私はとくにやることもなし。
頭の中は、ぼんやりしたまま。
私はこのままボケていくのだろうか。
ふと、今、そんな心配が頭の中を横切った。

 では、みなさん、おやすみなさい!

2011年2月21日、夜記。
今日はとくに新しい発見はなし。
体調は、よくなかった。
気分も、よくなかった。
仕事も、まあまあ。
運動も、散歩が1時間だけ。
総合点をつけるなら、10点満点中、3点くらい。
明日はがんばろう。

はやし浩司 2011-02-21夜記


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司