178 Anima headed Man(獣頭人間、鳥頭人間、長頭人間)
○9500キロ離れた、獣頭人間
http://youtu.be/lWayxkf4jjc
Similar animal-headed men lived together
over 9500km in Japan and in Egypt.
This is the story about it.
9500キロも離れた日本とエジプトに、たいへんよく似た獣頭人間が住んでいました。
このビデオは、それについてのものです。
Were they really men or men who created
by aliens by a sort of gene manipulation?
But most possibly it is “Yes!”, since they
alike to easch other over 9500km away.
It is you that make a decision if it is
true or not.
Here I compare pictures of Kitora Tomb
Mound in Japan and Edfu Temple in Egypt.
彼らは本当に人間だったったのか。
それとも遺伝子操作か何かで、創りだされた人なのか。
かなり高い可能性として、答えは、「YES」。
というのも、9500キロも離れた、たがいにたいへんよく似ているからです。
今回は、キトラ古墳の壁画と、エドフ神殿の壁画を、比較してみました。
These facts have been found by me, Hiroshi
hayashi and therefore no one is slowed to use my ideas without my name and
permission, for which I need your cooperation.
これらの事実は、私が発見したことです。
どなたも無断で、転用、流用、盗用できませんので、ご注意ください。
ご協力に感謝します。
はやし浩司
Hiroshi hayashi
Hamamatsu-city, Japan
Jan. 30th 2013
Hiroshi Hayashi+++++Jan.2013+++++はやし浩司・林浩司
○トンカラリン
今朝は、トンカラリン(和水町・なごみちょう)の謎を解いた。
解いたといっても、自分でそう思っているだけかも?
そういう不安は、いつも残る。
しかし解いた。
自分では、そう思っている。
そういう点でも、一度、私のビデオ(No177)を見てほしい。
あとは回数を重ねるだけ。
今朝で、第177号。
『謎の点と線』を積み重ねていく。
どんどんと繰り返す。
やがて線が、輪郭を現す。
そのとき謎が解ける。
○学者説?
それにしても愉快なのが、こんな説。
トンカラリンのトンネルは、信仰的目的のため、とか。
トンネルを入ったり出たりすることで、生死の体験をするという。
韓国や中国には、似たような説がある。
それを引用したらしい。
が、それにしても、奇説(ウィキペディア百科事典)。
筑波大学の教授が、堂々とそういう説を披露するところが、おもしろい。
つまりバカげている。
私の説を、(こじつけ)と笑う前に、自分の説を笑ったらよい。
そんな目的のために、500メートル近いトンネルなど、掘らない。
しかもまだ第3、第4のトンネルがあるかもしれないという。
つまり日本の考古学は、この程度。
地面に這いつくばってばかりいるから、外から見た世界がわからない。
○指定制度
学者の世界は、師弟制度で結ばれている。
文科系はもちろん、理科系も、師弟制度で結ばれている。
学会でも、座長に嫌われたら、以後、研究費はそこで遮断されてしまう。
それが恐ろしいから、(下の学者)は、(上の学者)に何も言えない。
だからインチキが、そのまままかり通る。
少し前、Fという男が、ニセの石器で話題になったことがある。
原稿を探してみる。
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2013++++++はやし浩司
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もぬけのカラだったという(08年5月24日)。
わずかな人骨が、散乱していたにすぎなかったという。
新聞記事によれば、「盗掘によってそうなった」と。
しかし、どこのだれが、人骨など、盗掘するだろうか?
これについては、こんな説がある。
その前に、当時の歴史について、説明しておかねば
ならない。
みなさんも、「壬申(じんしん)の乱」という言葉を、
当時としては、たいへんな大事件であったらしい。
私が書いた原稿を、ここに再掲載してみる。
この中で、とくに注意してほしいことは、キトラ
ということ。
見出しは、こうなっていた。
と。
さす。
もう一度、系譜を整理してみる。
人骨まで盗掘されたというのは、言い換えると、
それほどまでに徹底的に破壊されたということ。
これは世界の常識!
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●驚天動地の発見!
さて日本人も、そろそろ事実を受け入れるべき時期にきているのではないだろうか。これは私の意見というより、日本が今進みつつある大きな流れといってもよい。たとえば2002年のはじめ、日本の天皇ですらはじめて皇室と韓国の関係にふれ、「ゆかり」という言葉を使った。
弓削(ゆげ)皇子は、日本人ではなかったことになってしまう。
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(はくそんこう)の戦い」というのが起きている。
西暦663年のことである。
援軍を送っている。
と言われているが、確かではない。
あった。
ここから先は、関裕二氏の書いた「古代史の秘密を握る
人たち」(PHP)を引用させてもらう。
関裕二氏の書いた本の中には、こうある。
来日している」(同、P83)と。
以下、同書には、つぎのようにある。
「豊璋は、西暦631年に来日、660年に百済がいったん滅亡したのち、王朝復興の機運の高まりの中で、百済の名将、鬼室福信に呼び戻され、擁立される。しかし(豊璋は)、鬼室福信の手腕と名声をねたみ、これを殺し、首を塩漬けにして、自ら王朝の衰弱を招いてしまう。白村江の戦いで百済王朝は、永遠にこの世から姿を消し、豊璋は行方をくらましたままだった」と。
年代を整理してみよう。
631年・・・豊璋、来日
「壁画などにみられる唐の文化的影響が、高松塚古墳ほどには色濃くないことから、遣唐使が日本に帰国(704年)する以前の7世紀末から8世紀初め頃に作られた古墳であると見られている」(ウィキペディア百科事典)と。
つまり西暦600年の末から、西暦700年のはじめである、と。
なっているが、関裕二氏の見解は、少しちがう。
これを裏づける資料としては、つぎのような
ものがある。
肩入れをしたかということ。
計4万人という兵力を送っている。
(当時の4万人だぞ!)
危機を迎える。
答は自然と出てくるのでは?
ならなかった(?)
その結果が、今朝の新聞ということになる(2008年)。
「そうではない」「まちがっている」と、かたくなに、
だけと考えてよい
日本人は、日本のルーツを正しく知ることができる。
これは余計なことかも知れないが・・・。
なおさらにつけ加えるなら、ここに出てくる、「豊璋」
ある(前述、関裕二氏)。
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ここまで書いて、あの「ニセ石器事件」を
思い出した。
日本人の私たちにしてみれば、思い出したくもない
不愉快な事件かもしれない。
あのニセの石器に飛びついたか。
その心理的背景を知るのには、たいへん象徴的な事件
ということになる。
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【ニセ石器事件】
●藤木Sの捏造事件
一方こんなこともある。藤木Sという、これまたえらいインチキな考古学者がいた。彼が発掘したという石器のほとんどが捏造(ねつぞう)によるものだというから、すごい。しかも、だ。そういうインチキをインチキと見抜けず、高校の教科書すら書き換えてしまったというから、これまたすごい。
その会に主席した友人のM氏は帰ってきてから私の家に寄り、こう話してくれた。「韓国人は皆、笑っていたよ。中国や韓国より古い歴史が日本にあるわけがないとね」と。当時の韓国のマスコミは、この捏造事件を大きく取りあげ、「そら見ろ」と言わんばかりに、日本をはげしく攻撃した。M氏は、「これで日本の信用は地に落ちた」と嘆いていた。
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金素雲氏という人から、こんな話を、直接
聞いた。
であった。
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【民族の誇りとは……】
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2002年の1月に、つぎのような原稿を
私はこんな原稿を書いた。
今、改めて、それを読みなおしている。
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1967年の夏。私たちはユネスコの交換学生として、九州の博多からプサンへと渡った。日韓の間にまだ国交のない時代で、私たちはプサン港へ着くと、ブラスバンドで迎えられた。が、歓迎されたのはその日、一日だけ。あとはどこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされた。
私たちを直接指導してくれたのが、金素雲氏だったこともある。韓国を代表する文化学者である。私たちは氏の指導を受けるうち、日本の教科書はまちがってはいないが、しかしすべてを教えていないことを実感した。そしてそんなある日、氏はこんなことを話してくれた。
もちろんこれは一つの説に過ぎない。偶然の一致ということもある。しかし結論から先に言えば、日本史が日本史にこだわっている限り、日本史はいつまでたっても、世界の、あるいはアジアの異端児でしかない。日本も、もう少しワクを広げて、東洋史という観点から日本史を見る必要があるのではないのか。
●藤木新一の捏造事件(先にあげた原稿と重複します)
一方こんなこともある。藤木S一という、これまたえらいインチキな考古学者がいた。彼が発掘したという石器のほとんどが捏造(ねつぞう)によるものだというから、すごい。しかも、だ。そういうインチキをインチキと見抜けず、高校の教科書すら書き換えてしまった人たちがいるというから、これまたすごい。
たまたまその事件が発覚したとき、ユネスコの交換学生の同窓会がソウルであった(1999年終わり)。日本側のOBはともかくも、韓国側のOBは、ほとんどが今、大企業の社長や国会議員をしている。その会に主席した友人のM氏は帰ってきてから私の家に寄り、こう話してくれた。
「韓国人は皆、笑っていたよ。中国や韓国より古い歴史が日本にあるわけがないとね」と。当時の韓国のマスコミは、この捏造事件を大きく取りあげ、「そら見ろ」と言わんばかりに、日本をはげしく攻撃した。M氏は、「これで日本の信用は地に落ちた」と嘆いていた。
●常識と非常識
いや、一度、私が金素雲氏に、「証拠があるか?」と問いただすと、「証拠は仁徳天皇の墓の中にあるでしょう」と笑ったのを思えている。しかし確たる証拠がない以上、やはり風説に過ぎない。これに対して、石器捏造事件のほうは、日本人にしてみれば、信じたい話だった。「石器」という証拠が出てきたのだから、これはたまらない。
事実、石器発掘を村おこしに利用して、祭りまで始めた自治体がある。が、よく考えてみると、これら二つの話は、その底流でつながっているのがわかる。金素雲氏の話してくれたことは、日本以外の、いわば世界の常識。一方、石器捏造は、日本でしか通用しない世界の非常識。世界の常識に背を向ける態度も、同じく世界の非常識にしがみつく態度も、基本的には同じとみてよい。
●お前は日本人のくせに!
しかし私は何も日本の歴史を否定しているわけではない。また日本人かどうかと聞かれれば、私は100%、日本人だ。日本の政治や体制はいつも批判しているが、この日本という国土、文化、人々は、ふつうの人以上に愛している。
このことと、事実は事実として認めるということは別である。えてしてゆがんだ民族意識は、ゆがんだ歴史観に基づく。そしてゆがんだ民族主義は、国が進むべき方向そのものをゆがめる。これは危険な思想といってもよい。
仮に百歩譲って、「日本民族は誇り高い大和民族である」と主張したところで、少なくとも中国の人には通用しない。何といっても、中国には黄帝(司馬遷の「史記」)の時代から5500年の歴史がある。日本の文字はもちろんのこと、文化のほとんどは、その中国からきたものだ。
その中国の人たちが、「中国人こそ、アジアでは最高の民族である」と主張して、日本人を「下」に見るようなことがあったら、あなたはそれに納得するだろうか。民族主義というのは、もともとそのレベルのものでしかない。
●驚天動地の発見!
さて日本人も、そろそろ事実を受け入れるべき時期にきているのではないだろうか。これは私の意見というより、日本が今進みつつある大きな流れといってもよい。たとえば2002年のはじめ、日本の天皇ですらはじめて皇室と韓国の関係にふれ、「ゆかり」という言葉を使った。
京都女子大学の猪熊兼勝教授は、「天文図、四神、十二支の時と方角という貴人に使われる『ローヤルマーク』をいくつも重ねている」とコメントを寄せている。これはどうやらふつうの発掘ではないようだ。それはそれとして、が、ここでもし、「百済王族か、弓削(ゆげ)皇子か」の部分を、「百済王族イコール、弓削(ゆげ)皇子」と解釈したらどうなるか。弓削皇子は、天武天皇の皇子である。だから毎日新聞は、「研究者ら驚天動地」という大見出しを載せた。
●人間を原点に
話はぐんと現実的になるが、私は日本人のルーツが、中国や韓国にあったとしても、驚かない。まただからといって、それで日本人のルーツが否定されたとも思わない。先日愛知万博の会議に出たとき、東大の松井T典教授(宇宙学)は、こう言った。「宇宙から見たら、地球には人間など見えないのだ。あるのは人間を含めた生物圏だけだ」(2000年1月16日、東京)と。
いわんや「私は松前藩の末裔だ」とか「旧前田藩の子孫だ」とか言っても、笑いものになるだけ。日本人は皆、同じ。アジア人は皆、同じ。人間は皆、同じ。ちがうと考えるほうがおかしい。私たちが生きる誇りをもつとしたら、日本人であるからとか、アジア人であるからということではなく、人間であることによる。もっと言えば、パスカルが「パンセ」の中で書いたように、「考える」ことによる。松井教授の言葉を借りるなら、「知的生命体」(同会議)であることによる。
●非常識と常識
そしてそのとき、多くの人はこう言うに違いない。「なぜ日本の考古学者は、藤木S一の捏造という非常識にしがみついたのか。なぜ日本の歴史学者は、東洋史という常識に背を向けたのか」と。繰り返すが一見異質とも思われるこれら二つの事実は、その底流で深く結びついている。(以上、2002年1月記)
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「土を焼いて作った朝鮮半島の「せん」を使った石室を意識した構造で、被葬者は天武天皇の客人だった、百済王昌成(こうだらのこきししょうじょう)ら、渡来人の人物がふさわしいのでは。丘陵の斜面を削り墳丘を築造する立地条件は、高松塚古墳など、ほかの終末期古墳と一致するが、規模が大きく、「せき(=石へんに、専の文字)」を積んだ、特殊な石室をもつ点が特徴だ」と。
この周辺に、あの高松古墳、キトラ古墳もある。(カヅマヤマと、キトラは、距離にして、1・5キロほど。)今回発見された古墳も、まさに百済や高句麗の様式をまねたもの……というより、百済や高句麗の様式そのもの。そこで前園教授は、「被葬者は渡来人か?」と。日本人の墓とするには、あまりにも無理があるからである。
日本の天皇は、「ゆかり」という言葉を使って、当時は、大問題になった。しかしこの事実ひとつだけを見ても、日本の天皇家と、朝鮮半島は、密接に結びついている。どうして日本の聖域の中に、百済からやってきたと思われる渡来人の墓が、こうまであるのか。また天皇陵の様式にしても、どうしてこうまで百済、高句麗の様式と酷似しているのか。
この先のことは私にはわからないが、再び、私は、あの金素雲氏が言った言葉を思い出す。
(はやし浩司,カヅマヤマ古墳,キトラ古墳,百済,高句麗,弓削王子,金素雲,はやし浩司,家庭教育,育児,育児評論,教育評論,幼児教育,子育て,はやし浩司,Hiroshi Hayashi,education ,essayist, writer,Japanese,essayist,キトラ古墳,豊璋,天智天皇,天武天皇,百済新羅,天皇家のルーツ,はやし浩司,壬申の乱,)
(あとがき)
そっくり。
ということ。
何もおかしくない。
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2013++++++はやし浩司
○2013年01月29日へ、タイムスリップ
再び、今日にもどる。
学会の話。
師弟制度の話。
制度としては、便利な制度。
頂点に文科省幹部がいる。
予算を配分するための委員会を開く。
予算を配分する。
予算がなければ、研究ができない。
研究ができなければ、研究者としての命が絶たれる。
万事休す。
だから黙る。
従う。
だれも文科省に背を向けることができない。
ユニークな研究ができない。
つまり、こうして日本は、権威主義に守られる。
権威主義が、日本を支配する。
でないというのなら、私の説と、筑波大学の教授の説とでは、どちらが奇説か。
突飛もないか。
みなさん自身で、判断してみてほしい。
○獣頭人間
獣頭人間は、あちこちに出没した。
日本に残る、稲荷神社の稲荷(キツネ)も、その1人。
が、キトラ古墳の絵を見ると、獣頭人間にも、3種類いたことになる。
明日は、それについて調べてみたい。
その結果は、YOUTUBEに載せる。
では、今日はここまで。
(はやし浩司 2013-01-29)
Hiroshi Hayashi+++++Jan.2013+++++はやし浩司・林浩司
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