【BW幼児教室byはやし浩司】2012年12月~2013年1月
(年長児)
(小1&2)
(冬の学習)
(年長児)
(年長児)
(年長児)
(年少・年中児)
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2013++++++はやし浩司・林浩司
○映画『ルーパー』を観る
昨夜、ブルース・ウイルス主演の『ルーパー』という映画を観てきた。
サイコパス映画。
それなりにおもしろかった。
が、そこまで。
制作費は、あまりかかっていない。
○未来の自分vs過去の自分
そのブルース・ウイルスの妻が、極悪党に殺される。
そこでブルース・ウイルスは、過去に戻り、その極悪党を殺すことを考える。
タイムマシンに乗り、ちょうど30年前の自分に戻る。
30年前の自分に出会う。
SF映画だから、話の内容は、もう少し複雑。
が、その映画の中で、ブルース・ウイルスは、30年前の自分と会話をする。
「愛する妻が殺された。
今のうちに、殺した相手を、殺しておく」と。
殺した相手といっても、まだ子ども。
その子どもがやがて、極悪党になる。
そのブルース・イウルスに対して、もう1人のブルース・ウイルス、つまり30年前の自分は、こう言う。
「オレの知ったことではない。
あんたの妻が殺されたからといって、オレには関係ない」(記憶)と。
わかりやすく言えば、若いブルース・ウイルス(別の俳優)が、未来からやってきた自分(ブルース・ウイルス)に、こう言う。
「オレには、オレの人生がある。オレはオレの人生を生きる」(記憶)と。
言うなれば、未来からやってきた(自分)は、父親以上の父親。
その父親に向かって、そう言う。
○現代の親子関係
私はそのセリフを聞いたとき、現在の若者を象徴しているようで、おもしろいと思った。
つまりカルフォルニア、なかんずく、ハリウッド周辺の親子関係を、そのまま象徴している。
が、それがそのまま現代の日本の姿でもある。
日本の若者たちは、ハリウッド映画の影響を、モロに受けている。
今では、親が子どもと縁を切る時代ではない。
子どものほうが、親と縁を切る。
「2、30年後に、お前(=親)を、許してやる!」と。
そういう捨てゼリフを残して、親を捨てる。
理由にもならない理由をくつける。
自分を正当化する。
「サイコパス」という言葉がある。
最近、よく耳にする。
心の壊れた人間をいう。
どこかサイコパス的。
が、自分でそれに気づくことはない。
万事に要領よく、抜け目がない。
世渡りがうまい。
誠実さを演出するなどということは、朝飯前。
が、こういう人間ほど、この世界では、「出世」する。
アメリカでもトップクラスのビジネスマンのうち、30%前後がそうではないかとさえ言われている。
程度の問題もあるから、正確な数字は出せない。
たとえばこんな考え方をする。
(状況)
殺人をした。
女性を殺した。
金を奪った。
そこへ車に乗った、別の女性がやってきた。
通常の感覚をもっている人なら、そのとき、こう考える。
「しまった! 見られた!」と。
あわてて逃げる。
が、サイコパスは、ちがう。
こう考える。
「いいところへ、車をもってきてくれた。
あの女も殺して、車を奪おう」と。
○親孝行
このタイプの人間には、「孝行」という言葉は、通用しない。
親は、自分のために苦労するのは、当たり前と考える。
学費にしても、そうだ。
学費などというものは、天から降ってくるものと錯覚している。
へたに「孝行」という言葉を口にすると、親に向かってこう言い返す。
「お前は、そういう形で、子どもを拘束するのか!」と。
親孝行を、「拘束」、あるいは「束縛」と、とらえる。
残念ながら、今、この日本では、このタイプの若者が、急速にふえている。
たいはんが、そうではないか。
はげしい受験勉強を経験した子どもほど、そうなる。
具体的なデータはないが、実感として、私はそう思う。
○『ルーパー』
映画『ルーパー』の脚本を書いた人は、かなりサイコパス的。
またあの映画を見て、「当然」「おもしろい」と思った人も、これまたサイコパス的。
「自分のサイコパス度を知るには、いい映画だ」と、私は思った。
まともな神経の持ち主なら、(もともと殺人もしないが)、疑問に思うはず。
思って当然。
自分勝手で、わがまま。
自己中心的。
異常なまでに、自己中心的。
未来からやってきた(自分)に対してですら、冷酷無比。
いろいろなSF映画を観てきたが、そんなわけで、後味が悪かった。
ぞっとするほど、後味が悪かった。
あの映画を観て、何も疑問にもたない人は、注意したらよい。
まさにサイコパス映画。
○SF
で、子育て論。
もしタイムマシンができたとする。
それに乗って、30年前に戻ったとする。
30年前の自分に会ったとする。
……30年前と言えば、36歳。
36歳の「私」に出会ったとする。
そのとき私は、30年前の私に、何を話すだろうか……。
いろいろ考えるが、しかしこれは何もむずかしい話ではない。
私たちは子育てを経験しながら、日常的に、タイムスリップしている。
(30年前の私)というのは、(自分の息子、あるいは娘)ということになる。
「30」という漢字は、「世代」の「世」という漢字の原型になっている。
3本、縦線を引き、横棒を1本入れて、「三十」。
つまり人間は、30年を1サイクルとして、生老病死を繰り返す。
つまり映画『ルーパー』では、2人の(自分)は、親と子。
そういう関係と同じ。
そう言えば、アメリカに住む二男が、36歳。
ちょうど1世代の差があることになる。
(現在、私は66歳。)
○新型パソコン
映画の話は、ここまで。
昨日、新型パソコンが届いた。
すごいパソコンのはず、……だが、今のこころ、その実感はない。
画面の動きがスムーズ(=なめらか)かなという程度。
WINDOW8は、すでに経験済み。
が、中身が、すごい。
メモリーは、32GBも積んでいる。
240GBのSSD起動。
水冷式の冷却装置、などなど。
が、一方で、こんなことも考える。
「これが最後の買い換えかなあ」と。
3年保証をつけたので、69歳までは、安心して使える。
が、69歳。
そのころになったら、別の新しいパソコンを買えばよい……ということになる。
が、そういうふうには、考えられない。
多分、脳みその働きも、さらに悪くなるはず。
パソコンよりも、自分の脳みそのほうが、使い物にならなくなる。
そういう心配が、先立つ。
だからこう思う。
「最後かなあ」と。
○脳みそ
このところ、脳みその働きが悪くなった。
それを、ときどき感ずる。
数字が2、3つ並ぶと、古い方からそのまま忘れてしまう。
たとえば角度を測ったとする。
A線の機首角が、121.5度。
B線の機首角が、76.6度。
間の角は、……(計算機を使って計算)……と計算している間に、先の2つの機首角を忘れてしまう。
おぼろげには覚えているが、(おぼろげ)では、役に立たない。
記録として残すには、正確な数字が必要。
そこで改めて、書きとめたメモを見る。
……つまりこんな作業が、最近、ふえてきた。
ボケ?
アルツハイマー病?
ザワザワとした不安が、いくつか心の中を横切る。
○『謎の韓国』
今朝は、午前9時に起きた。
昨夜は、深夜劇場から帰ってきたあと、ビデオづくり。
『謎の韓国』(160号)。
2013年に入っても、「1日1作」を守っている。
1日に、かならず1本のビデオを作る。
自分で、そう決めている。
で、それが終わったのが、午前2時ごろ。
だから今朝は、午前9時起き。
熟睡感はないが、そのままランニング・マシンへ。
20分間の運動。
汗をかいた。
そのまま遅い朝食。
○こじつけ
多くの人は、私の『謎の点と線』(ビデオ)を観て、こう思うだろう。
「これは単なる、こじつけにすぎない」と。
しかし実際には、逆。
向こうのほうから、謎が解けてくる。
「向こうのほうから」というのは、それほど、苦労しなくても……という意味。
「ここはこだろうな」と思って調べ始めると、思い通りの結果がやってくる。
が、(こじつけ)と言えば、考古学者のお家芸。
文化系の世界というのは、そういうもの。
その一例を、ここにあげる。
たまたま昨日、『八咫烏(やたがらす)』について調べた。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
○考古学者のこじつけ
+++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++
ヤタガラスの三本足の意味には諸説ある。
なお、前述のように記紀には八咫烏が3本足だという記述はなく、後世に中国や朝鮮の三足烏と同一視され、3本足になったともいわれる。
ヤタガラスは元来は八田(八旗、八幡)のことであり、八田は八幡宮を創建し、同系列の神社を全国各地に建てていった秦氏の代表的な姓であることから、「秦氏の名前と天皇(大王家)を裏からあやつる烏のイメージを掛け合わせたもの」とし、神話伝承の類似性から賀茂氏と高句麗王族を結びつけ、秦氏は高句麗王族の血を引くとし、これらの高句麗系渡来人と高句麗の建国神話に登場する三足烏との関連や、その渡来氏族自身の朝鮮半島からの東遷に深いつながりがあると推測する説もある。
+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++
一読してわかるように、こじつけの連続。
感心する。
よくもまあ、こんなアホなことを、こじつけに、こじつけられるものだ。
(太陽を表わす数が、3)→(三つ巴)→(三本足)、などなど。
要するに、考古学というのは、こじつけに始まり、こじつけに終わる。
理科系の科学とは、まったく異質の世界。
そうでないというのなら、少なくも、私がしているように、数学的手法で調べてみたらよい。
が、彼らは信じない。
いくら私が(数字)を並べても、信じない。
数字に対して、拒絶反応すら示す。
「偶然」という言葉を使い、そうした事実を、闇に葬ってしまう。
私に面と向かい、私の説を、「ホラ!(=でたらめなウソ)」と言った、学者もいたぞ!
名前は言わなかったが、横浜のどこかの教授らしい。
○つごうの悪い事実
考古学者たちの(こじつけ)には、悪質なものがある。
自分たちに都合のよい事実は、公表する。
が、自分たちに都合の悪い事実は、隠す。
あえて公表しない。
私はそのことを、益田岩船を調べていたときに感じた。
説明板には、こうあった。
「寸法が、高麗尺になっているから、高麗との関係が指摘されている」(記憶)と。
が、つぎのような事実からは、あえて目をそらす。
(1)益田岩船の底は、地面についていない。
つまりその場に、ドカッと置かれている。
にもかかわらず、「外からもってきたものではない」(案内板)と。
バカめ!
あれほどまでの巨大な岩を、運べるはずがない。
そんなことは百も承知の上で、「外から運んできたものではない」と。
となると、(2)現地で削ったことになる。
が、その削りカスは、どこにもない。
その(ない)ことは、あえて、伏せる。
知らせない。
私は、益田岩船の坂下の部分を、あちこち掘ってみた。
が、割ったはずの岩の破片を、見つけることはできなかった。
考古学者なら、そのあたりまで調べるべき。
破片を見つけてから、「この場で削った」と言えばよい。
それもしないで、「この場で削った」はない。
つまりこれを(こじつけ)と言わずして、何という。
あの岩船は、どこかから、もってきたもの。
もちろん、人間ではない。
人間以外の、それができる人が、外からもってきたもの。
現地へ行き、その場に立つと、それがよくわかる。
……少し頭が熱くなったので、この話は、ここまで。
○那智大社
近く、那智大社で行ってくる。
どうしても調べたいことがある。
内容は、今は話せないが、調べたいことがある。
調べる……というより、確認したい。
○落ち着かない
……ここまで書いたが、どうも気分が落ち着かない。
ソワソワしている。
????
ひとつには、やりたいことが、多すぎる。
あれも、これも……という感じ。
一方、時間がない。
先ほど、ホームページの更新をしたが、それだけで1時間もかかってしまった。
どうしてだろう?
どうしてこんなにも、時が流れていくのが、速いのだろう。
あっという間に昼過ぎになり、夕方になる。
まだ何もしていないのに……。
……ということで、今日の日記はここまで。
これからBLOGに原稿をUPする。
それと明日のマガジンの発行。
もちろん「1日1作」も待っている。
新型パソコンの調整もある。
何から手をつけたらよいのか、よくわからない。
だからソワソワしている。
2013/01/13
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2013++++++はやし浩司・林浩司
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