2012年5月6日日曜日
Black Business
【ブラック・ビジネス】(はやし浩司 2012-05-06)
●宝島社
昨夜、床に入ってから、1冊の本を読んだ。
宝島社の『ブラックビジネス』。
表紙には、「知らずにハマる、ブラックビジネス」とある。
宝島社といえば、若いころ、よく足を運んだ。
そのころから、こうした告発本を、多く出版していた。
それもあってか、玄関が、ふつうの出版社とはちがっていた。
どこかの暴力団の襲撃を受けたこともあった。
閉鎖的というか、外部の人が、すぐには中に入れないしくみになっていた。
が、社員の方は、たいへん親切だった。
私が持ち込んだ企画を見ながら、いろいろアドバイスをしてくれた。
出版先を探し、紹介してくれたこともある。
だから……というわけでもないが、今でも「宝島社」という社名を見ると、すぐ手が伸びる。
奥付の住所を見ると、「千代田区1番町25」とある。
それを見ながら、「ああ、あそこが千代田区だったのか」と思う。
道路の反対側に、大火災を起こしたホテルが、当時はまだそのまま残っていた。
また帰るときは、いつも、地下鉄は、「四谷」というところで、乗った。
(たった今、グーグル・アースを使い、会社の場所を調べてみた。
が、当時とは、会社の場所がちがうように思う。
会社が大きくなって、現在の位置に移転したのか。
さらにウィキペディア百科事典を使って調べてみると、1980年代当時は、『赤坂の(株)宝島社、発行は飯田橋の(株)JICC出版局、と別会社になっていた』とある。
私が知っているのは、その「赤坂」のほうだった。
また火災事故を起こしたのは、ホテル・ニュー・ジャパン(千代田区永田町)。
1982年に火災とあるから、私が宝島社に通っていたのは、その前後ということになる。)
話はそれたが、『ブラックビジネス』。
読んで、こう思った。
「よくもまあ、ここまで金に毒された人たちがいるものだ」と。
まさに、あの手この手を使い、人をだます。
しかもこの本のすごいのは、(宝島社という会社はそういう出版社だが)、堂々と実名公を表しているところ。
たとえば「高島易断」。
「インチキすぎる荒稼ぎのトリック」(P41)とある。
●ブラックビジネス
目次を並べてみる。
(1)最新振り込め詐欺事情
(2)悪徳マルチ商法は人生崩壊ゲーム
(3)高齢者をしゃぶりつくす、未公開株詐欺・通貨詐欺・押し売り
(4)”悪徳詐欺師系”占い師が語るスピリチュアル商法の闇
(5)詐欺ビジネスに変化が起きている。
(6)最新の「押し買い」事情
(7)二極化する新興の「闇金融」
(8)危険な罠だらけの競馬情報
(9)「海外投資」欲望のトラップ!
(10)催眠商法の底なし沼
(11)迷惑メール、真の目的とは
(12)被害者増加中! 民間資格商法
(13)問題山積みの開業支援ビジネス
(14)偽造サプリで今のうちに大儲け
(15)でっちあげ募金! 通称「犬詐欺」
(16)要求はどんどん過激に! 「チャイルド・ポルノ」
(17)ママサークルが、怪しい商売の温床に!?
(18)ギャル詐欺、騙されて覚える大人の世界
(19)不動産業界にはびこる、抵抗不能の搾取構造
(20)共犯ヘルパーが増殖中
(21)俺ならこの家狙って、空き巣に入る!
(22)リフォーム業界は”ウソの匠”だらけ
どれも私たちの生活と直結している。
●リフォーム業界
読めば読むほど、まさに人間不信になる。
「リフォーム業界」については、「悪徳業者以外を探すのが難しい」(P111)とある。
私も「リフォーム」をと考えていたので、これは参考になった。
そのリフォーム会社。
リフォーム会社というのは、「建築業」ではないそうだ。
「解体屋」とか「産廃業者」とかが組んで、リフォーム会社を開業しているとか。
正式の図面は引けないから、客にはイラストを示して工事にかかるという。
が、自分では、しない。
工事は、それなりの仕事ができる大工に丸なげ。
たとえば1700万円のリフォームだと、1000万円分くらいが、丸々、会社の取り分。
残りの700万円が、大工に渡される実費。
リフォーム会社にしてみれば、「これほどうまい、儲け話はない」(本書)となる。
●スピチュアル商法
「ブラックビジネス」は、11Pもさいて、「スピリチュアル商法」を解説している。
「数百円の石ころが、数万円の商品に化けるカラクリ」というのもある。
「ただの石を問屋から買い、パワーストーンとして売る」(P47)と。
少し前、A・チャンというタレントが使った商法が、これである。
当の本人は、「事務所の人が勝手にして、私は知らなかった」と弁解しているが、それを信ずる人はいない。
A・チャンは、「A大学」という架空の大学まで設立し、資格商法にまで手を染めている。
ともあれ、騙す方も騙す方だが、ことこのスピリチュアル商法に関して言えば、騙される方も、騙される方。
どうしてこういう馬鹿なものを信ずるのかと言いたいが、それぞれの人には、それぞれの事情というものがある。
本のなかには、占い師に手相をみてもらっている男性の写真も載っていた。
占いといえば、若い女性の趣味のようなものかと思っていたが、どうもそうでもないようだ。
事業に行き詰まった人は、それこそ「藁(わら)にもすがる」。
●若い女性
こうしたブラックビジネスに共通しているのは、「若い女性」。
若い女性が、まず電話口に出る。
客と応対する。
「日本人は、若い女性は安心と、脳の奥まで、刷り込みがなされている」(本書)と
「若い女性が、人を騙すはずがない」と信じている人も多い。
つまりブラックビジネスを展開する、ブラック企業は、若い女性を巧みに利用する。
客(カモ)を、安心させる。
無知ということもある。
(実際、無知だが……。)
それゆえに若い女性は、確信犯的に行動する。
「私はちゃんとしたビジネスをしている」と、信じ切っている。
だから客の方は、騙される。
言いかえると、あやしくない会社ほど、あやしいということ。
若い女性が、ソフトな言い方で電話口に出たら、まず疑ってかかる
それくらいの警戒心は必要。
……そう言えば、銀行にせよ、証券会社にせよ、ブラック企業に含めてもよいのではないか。
やっていることは、まさにブラックビジネス。
現金(マネー)は、神に近いか、悪魔に近いかと問われれば、悪魔のほうに、はるかに近い。
その悪の権現(ごんげん・化身)が、銀行であり、証券会社ということになる。
●老人組みよ、警戒しよう!
ともあれ、我ら、老人組みは、警戒する。
この先、この種のブラックビジネスは、ふえることはあっても、減ることはない。
たとえば闇金融にしても、今では「ソフト闇金融」というのまで横行しているそうだ。
それがどういうものかは、宝島社の「ブラックビジネス」を読んでみたらよい。
それにしてもまあ、よくもここまで考えるものだと、感心する。
……ということで、今朝は、かなり人間不信に陥っている。
ズルイ人間は、どこまでもズルイ。
だから……。
どう生きるか。
どう死ぬか。
もうひとつ加えれば、どう自分を守るか。
老後を生きる、これが3本の柱ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ブラックビジネス ブラック企業 老人組みの生き方)
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 2012年 5月 21日
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【団塊の世代(バブル世代)は、若者の敵?】
●ジジババ老害論
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
少し前、こんな記事を書いた。
「最近、団塊の世代~に対する、若い人たちからの風当たりが強くなってきているのを感じます。
「敵」とか、そんなふうに位置づけられているようです。
(若い人たちは、私たちのことを、「バブル世代」と呼び、経済の繁栄をつぶした世代と考えているようです。)
そんな中、1人の老人(77歳)が、赤信号で横断した男性を注意し、殴り殺されるという事件が起きました」(以上、はやし浩司)と。
私は当然、殴り倒した男性のほうが非難されるべきと思っていた。
が、若者たちの意見は、逆。
「注意した方の老人のほうが悪い」と。
これには驚いた。
驚いて、自分の意見を書いた。
団塊の世代は、若者の敵?。
それについて、多くの人から、(大半が若い人たちからだが)、コメントが届いた。
その中の1つを、そのまま紹介させてもらう。
(ほかにも多くのコメントが届いたが、感情的な意見であったり、あるいは文章として体(てい)をなしていないので、その中の1つを、そのまま紹介させてもらう。)
+++++++++++++++++
(東京・KS氏より)
団塊世代は、年上という理由のみで、偉そうにしています。
若者を見下している!!
注意することは良いことです。
しかし、注意の仕方が悪いです。
団塊世代は敬語を使えないのかね?
「バブル世代は、経済の繁栄をつぶした世代」。
当然でしょう。
事実を認めず、それを若者にぶつける貴方みたいな人がいるから、バブル世代、団塊世代は敵に回されるんです。
勿論全てのバブル、団塊世代の人ではありませんが・・・
また、東京に「大井川」駅は存在しません。
恐らく「大井町」駅の間違いですね。(以上、東京・KS氏より)
++++++++++++++++
●ジジババ老害論
ここに紹介したKS氏の意見は、けっして一部の若者の意見ではない。
おおかたの若者たちが、そう考えている。
60~70%の若者たちが、同じように考えていると理解してよい。
称して、「ジジババ老害論」。
そのときに書いた原稿を、もう一度、再掲載する。
KS氏が言うように、私たち団塊の世代も、反省すべき点があるなら、謙虚に反省する。
私には、そういう視点が欠けているのかもしれない。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
つぎの原稿の日付は、2012年1月20日になっている。
今日は、4月06日だから、3か月前の原稿ということになる。
団塊の世代、および老人組と呼ばれる人たちは、一度、私の原稿をじっくりと読んでみてほしい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
(以下、2012年1月20日に書いた原稿より)
【ジジ・ババ・ゴミ論】はやし浩司 2012-01-20
(六趣輪廻の因縁で、闇路に迷う愚痴人間)
Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●ゴミ?
少し前、「ジジ・ババ・ゴミ論」について書いた。
私が「ゴミ」という言葉を使っているのではない。
若い人たちの書くBLOGに、そう書いてある。
最近の若い人たちの老人論には、辛らつなものが多い。
「老害論」から「ゴミ論」へ。
まさかと思う人がいたら、一度、若い人たちのBLOGに目を通してみるとよい。
それについては、もう何度か書いてきた。
ここでは「なぜ?」について、書いてみたい。
なぜ、私たちはゴミなのか?
●「将来、親のめんどうをみる」
「将来、どんなことをしてでも、親のめんどうをみる」と答える、日本の若い人たちは、世界でも最下位。
総理府、それにつづく内閣府が、数年おきに、同じ調査をしている。
「青少年の意識調査」というのが、それである。
それによれば、つぎのようになっている。
(第8回青年意識調査:内閣府、平成21(2009)年3月)
+++++++++++++++++++++++++++++++++
●年老いた親を養うことについてどう思うか
「どんなことをしてでも親を養う」
イギリス66.0%、
アメリカ63.5%、
フランス50.8%、
韓国35.2%、
日本28.3%
(平成9年、総理府の同調査では、19%。)
日本の若い人たちの意識は、28・3%!
アメリカ人の約半分。
「親孝行は教育の要である。日本人がもつ美徳である」と信じている人は多い。
しかし現実は、かなりきびしい。
今どき、「親孝行」という言葉を使う、若い人は、いない!
●「自分の子どもに老後の面倒をみてもらいたい」と思うか
『そう思う』:
イギリス70.1%、
アメリカ67.5%、
フランス62.3%、
日本47.2%、
韓国41.2%
+++++++++++++++++++++++++++++++++
平たく言えば、現代の若い人たちは、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と考えている。
しかし「経済的に余裕のある若い人」は、ほとんど、いない。
どの人も、目一杯の生活をしている。
結婚当初から、車や家具一式は、当たり前。
中には、(実際、そういう夫婦は多いが)、結婚してからも親からの援助を受けている夫婦もいる。
金融広報中央委員会の調査によれば、現在、貯蓄ゼロ世帯は、23%。
全国約4000万世帯の、23%。
4世帯につき、約1世帯。
さらに生活保護を受ける世帯が、2011年度、最高を記録した。
その数、150万世帯。
++++++++++++++++++++++++++++++
金融広報中央委員会の「家計の金融資産に関する世論調査(2006年)」によれば、
つぎのようになっている。
20代は171万円、
30代は455万円、
40代は812万円、
50代は1154万円、
60代が1601万円、
70歳以上が1432万円。
この調査は「20歳-79歳代の男女10,080人」を対象に調べたもので、
このうち貯蓄を持っているのは全体の、77・1%。
残りの22.9%は貯蓄ゼロ。
貯蓄ゼロの家庭は、年収が300~500万円未満でも21.1%。
500~750万円未満の家庭でも16.2%。
+++++++++++++++++++++++++++++
なお、団塊の世代についてみると、8・1%の世帯が、貯蓄ゼロとなっている(「格差脱出研究所」調べ)。
ただしここに載っている数字にしても、あくまでも、「平均」。
70歳以上だけをみても、中に数億円以上もの金融資産を保有している人たちがいる。
大多数の人は、400~500万円程度と言われている(某経済誌)。
「親のめんどうをみる」と答える、若い人たちの減少。
それと反比例する形で、「ジジ・ババ・ゴミ論」がある。
両者を関連付けるのは、危険なことかもしれない。
しかし無関係とは、これまた言えない。
●祖父母と同居
私自身は、3世代同居家族の中で、生まれ育った。
生まれたときから、祖父母と同居していた。
と言っても、当時は、それがごく平均的な家族であった。
「核家族」という言葉が生まれ、それが主流になってきたのは、1970年以後のこと。
夫婦と、その子どもだけの、「小さな家族」を「核家族」と言った。
当時はそれが珍しかったが、今では、それが主流。
若い人たちが「家族」というときには、そこには、祖父母の姿はない。
現在、祖父母と同居している家族の割合は、つぎのようになっている。
(第8回青年意識調査:内閣府、平成21(2009)年3月)
●「祖父または祖母と同居している」
日本(20.6%)、
韓国(5.8%)、
アメリカ(3.1%)、
フランス(1.5%)、
イギリス(1.1%)
これらの数字を並べて解釈すると、こうなる。
(1) 日本人は、親と同居している家族が、比較的多い(20・6%)。
子どもが生まれれば、3世代同居家族となる。
ただしこれには地域差が大きい。
地方の農村部では、多く、都市部では、少ない。
(2) 老親は、子どもに老後のめんどうをみてもらいたいと考えている(47・2%)。
が、若い人たちには、その意識は薄い。
世界でも、最低レベルとなっている(28・3%)。
(3)「核家族」という家族形態は、欧米化の1態ということが、この数字を見てもわかる。
つまり、家族の欧米化が、現在、急速に進んでいる。
ただし欧米では、各地に「老人村」があるなど、老人対策が充実している。
一方、この日本では、老人対策がなおざりにされたまま、欧米化が進んでしまった。
その結果が、独居老人、さらには孤独死、無縁死の問題ということになる。
●「団塊の世代は敵」?
先日紹介したBLOGの中に、「団塊の世代は敵」と書いてあるのが、あった。
これには驚いた。
私たち団塊の世代は、感謝されこそすれ、「敵」と思われるようなことは、何もしていない。
そのつもりでがんばったわけではないが、現在の日本の繁栄の基礎を作ったのは、私たち。
そういう自負心も、どこかにある。
その私たち団塊の世代が、敵?
こうした感覚を理解するためには、視点を一度、若い人たちの中に置いてみる必要がある。
なぜか?
その理由の第一が、現在の若い人たちは、「貧しさ」を知らない。
生まれたときから、「豊かな生活」がそこにあるのが当たり前……という前提で、育っている。
それは私たちの視点を、逆に、80代、90代の人たちの中に置いてみるとよくわかる。
●「敵」
戦争を体験した人たちは、みな、こう言う。
「日本を守ったのは、俺たち」と。
結果的に日本は敗北し、(守った)という意識は、粉々に破壊された。
しかし「命をかけて」という部分までは、破壊されていない。
が、結果がどうであれ、戦争を体験した人たちが、「命がけで戦った」のは、事実。
で、そういう人たちに、私たち戦後の世代が感謝しているかといえば、それはない。
中には、「自業自得」と、辛らつな言葉を、浴びせかける人もいる。
「勝手に戦争を起こし、ひどいめにあった」と。
もう少し具体的には、こんな事実もある。
私の二男が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。
私はこう思った。
「親父(おやじ=私の実父)が、生きていなくてよかった」と。
もし父が生きていたら、その結婚には、猛烈に反対しただろう。
私の父は、そういう人だった。
まじめで、がんこで、純粋だった。
本気で天皇を崇拝し、神国日本を信じていた。
ある日のこと、こんなことがあった。
私が小学3年生のときのことである。
私が「天皇」と呼び捨てにすると、一度も私に対して怒ったことがない父が、私を殴った。
「陛下と言え!」と。
父はその足で小学校へ怒鳴り込んでいった。
「貴様ら、息子に何を教えているかア」と。
そのときの担任が、N先生。
だから小学3年生のときのことだったということを、よく覚えている。
が、そんな父をだれが批判できるだろうか。
現に今、私たち団塊の世代を評して、「敵」という。
同じように、そういう若い人たちを、私たちはどうして批判できるだろうか。
私たちはいつも、過去を踏み台にして、現在を生きている。
その現在に視点を置き、「自己中心的な、現在中心論」で、ものを考える。
そういう視点で見ると、私たち団塊の世代は、この日本の繁栄を、ぶち壊してしまった。
少なくとも、若い人たちは、そういう目で、私たち、団塊の世代をながめている。
●ゴミ
私たちは、否応なしに、ゴミになりつつある。
またそういうふうに扱われても、抵抗できない。
体力も気力も、とぼしくなってきた。
若い人たちから見ると、私たちの世代は、毎日、遊んでばかりいるように見える。
昔、……といっても、もう30年以上も前のことだが、こう言った高校生がいた。
「老人は、役立たず」と。
当時の私は、この言葉に猛烈に反発した。
……そう言えば、それについて書いた原稿がどこかにあるはず。
探してみる。
日付は2010年2月になっている。
当時、私はひとつの理由として、「受験競争」をあげた。
受験競争を経験した子どもは、総じて、心が冷たくなる。
私はそれを実感として、現場で、今も強く感じている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ジジ・ババ・ゴミ 総理府 内閣府 青年に意識調査 親の面倒 親のめんどう 老後の介護 はやし浩司 団塊の世代 受験と虐待)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
特集【介護と子どもの意識】(2010年2月の原稿より)
●介護と子どもの意識
+++++++++++++++++
介護問題に隠れて、表に出てこないが、
その裏には、子どもたちの意識の変化
がある。
現在、ほとんどの子どもたちは、「経済的に
余裕があれば、親のめんどうをみる」と
考えている(日本)。
しかし経済的に余裕のある人は、いない。
みな、それぞれが精いっぱいの生活を
している。
つまりこの調査結果を裏から読むと、
「めんどうはみない」となる。
が、ことはさらに深刻である。
(めんどう)どころか、(老人への虐待)が、
深刻化している。
10年ほど前に書いた原稿をさがしてみる。
(10年前ですら、そうだったということを
わかってほしい。)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ジジ・ババ受難の時代
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
年々、ジジ・ババへの風当たりが
強くなってきている(?)。
これから先、私たち高齢者予備軍は、
どのように社会とかかわりあって
いったらよいのか。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
私は感じている。ひょっとしたら、あなたも感じている。このところ、年を追うごとに、ジジ・ババへの風当たりが強くなってきている。
若者たちが書くBLOGにしても、「ジジイ」とか「ババア」という言葉を使って、年配者をののしる表現が、最近、目につくようになってきた。
ある交通事故の相談を専門に受けつけるBLOGには、こんな書きこみすらあった。
「先日、枯れ葉マークのジジイの車に追突された。
おかげで、こちらは2週間も入院。そのジジイが、2、3日ごとに見舞いにくるから、たまらねえ。
あんなジジイに、何度も見舞いに来られて、うるさくてしかたねえ。
こっちは、迷惑している」と。
その若者は、バイクに乗っているところを、車で追突されたらしい。
つまりこのところ、老齢者が、ますます、「粗大ゴミ」になってきた。
そんな感じがする。
老人医療費用、介護費用の増大が、若者の目にも、それが「負担」とわかるようになってきた。
加えて、日本では、世代間における価値観の相違が、ますます顕著になってきた。
若者たちは、程度の差こそあれ、上の世代の犠牲になっているという意識をもっている。
これに対して、たとえば私たち団塊の世代は、こう反論する。
「現在の日本の繁栄を築きあげたのは、私たちの世代だ」と。
しかしこれは、ウソ。
団塊の世代の私が、そう言うのだから、まちがいない。
たしかに結果的には、そうなった。
つまりこうした論理は、結果論を正当化するための、身勝手な論理にすぎない。
私も含めて、だれが、「日本のため……」などと思って、がんばってきただろうか。
私たちは私たちで、今までの時代を、「自分のために」、がんばってきた。
結果として日本は繁栄したが、それはあくまでも結果論。
そういう私たちを、若い世代は、鋭く見抜いている。
しかしこれは深刻な問題でもある。
これから先、高齢者はもっとふえる。
やがてすぐ、人口の3分の1以上が、満65歳以上になるとも言われている。
そうなったとき、若者たちは、私たち老齢者を、どういう目で見るだろうか。
そのヒントが、先のBLOGに隠されているように思う。
ジジ・ババは、ゴミ。
ジジ・ババは、臭い。
ジジ・ババは、ムダな人間、と。
そういう意識を若者たちが共通してもつようになったら、私たち高齢者にとって、この日本は、たいへん住みにくい国ということになる。
そのうち老人虐待や老人虐殺が、日常的に起こるようになるかもしれない。
では、どうすればよいのか。
……というより、高齢者のめんどうを、第一にみなければならないのは、実の子どもということになる。
が、その子どもが成人になるころには、たいていの親子関係は、破壊されている。
親たちは気がついていないが、「そら、受験だ」「そら、成績だ」「そら、順位だ」などと言っているうちに、そうなる。
中学生になる前に、ゾッとするほど、心が冷たくなってしまう子どもとなると、ゴマンといる。
反対に、できが悪く(?)、受験とは無縁の世界で育った子どもほど、心が暖かく、親思いになる。
ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あるいはあなた自身のことを考えてみればよい。
「親のめんどうなどみない」と宣言している若者もいる。
「親の恩も遺産次第」と考えている若者は、もっと多い。
たいはんの若者は、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と答えている。
つまり「余裕がなければ、みない」※と。
数年置きに、総理府(内閣府)が調査しているので、そのうち、これについての全国的な調査結果も出てくると思うが、これが現状と考えてよい。
私はこのところ、近くの老人ケア・センターへ行く機会がふえた。
そこでは、30~40人の老人を相手に、4、5人の若い男女が、忙しそうにあれこれと世話をしている。
見た目には、のどかで、のんびりとした世界だが、こんな世界も、いつまでつづくかわからない。
すでに各自治体では、予算不足のため、老人介護のハードルをあげ始めている。
補助金を削減し始めている。
10年後には、もっと、きびしくなる。20年後には、さらにきびしくなる。
単純に計算しても、今は30~40人だが、それが90~120人になる。
そうなったとき、そのときの若者たちは、私たち高齢者を、どのような目で見るだろうか。
またどのように考えるだろうか。
老齢になるまま、その老齢に負け、老人になってはいけない。
ケア・センターでは、老
人たちが、幼稚園の年長児でもしないような簡単なゲームをしたり、手細工をしたりしている。ああいうのを見ていると、「本当に、これでいいのか」と思う。
高齢者は、人生の大先輩なはず。人生経験者のはず。
そういう人たちが、手をたたいて、カラオケで童謡を歌っている!
つまりこれでは、「粗大ゴミ」と呼ばれても、文句は言えない。
また、そうであっては、いけない。
わかりやすく言えば、高齢者は、高齢者としての(存在感)をつくらねばならない。
社会とかかわりをもちながら、その中で、役に立つ高齢者でなければならない。
そういうかかわりあいというか、若者たちとの(かみあい)ができたとき、私たち高齢者は、それなりにの(人間)として認められるようになる。
「私たちが、この日本を繁栄させたのだ」とか、「だれのおかげで、日本がここまで繁栄
できたか、それがわかっているか」とか、そういう高慢な気持ちは、さらさらもっていは
いけない。
私たち高齢者(実際には、高齢者予備軍)は、どこまでも、謙虚に!
姿勢を低くして、若者や社会に対して、自分たちの人生を、還元していく。
その努力を今から、怠ってはいけない。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
古い原稿を再掲載します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●本末転倒の世界
「老人のような役立たずは、はやく死んでしまえばいい」と言った、高校生がいた。
そこで私が、「君だって、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくは、人に迷惑をかけない。
それにそれまでにうんと、お金を稼いでおくからいい」と。
そこでさらに私が、「君は、親のめんどうをみないのか」と聞くと、こう言った。
「それだけのお金を残してくれるなら、めんどうをみる」と。
親の恩も遺産次第というわけだが、今、こういう若者がふえている。
97年、総理府が成人式を迎えた青年を対象に、こんな意識調査をした。
「親の老後のめんどうを、あなたはみるか」と。
それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たったの19%!
この数字がいかに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、60数%。
さらに東南アジアの若者たちの、80~90%という数字と比較してみるとわかる。
しかもこの数字は、その3年前(94年)の数字より、4ポイントもさがっている。
このことからもわかるように、若者たちの「絆の希薄化」は、ますます進行している。
一方、日本では少子化の波を受けて、親たちはますます子どもに手をかけるようになった。
金もかける。
今、東京などの都会へ大学生を一人、出すと、毎月の仕送り額だけでも、平均27万円。
この額は、平均的サラリーマンの年収(1005万円)の、3割強。
だからどこの家でも、子どもが大学へ行くようになると、母親はパートに出て働く。
それこそ爪に灯をともすような生活を強いられる。
が、肝心の大学生は、大学生とは名ばかり。
大学という巨大な遊園地で、遊びまくっている!
先日も京都に住む自分の息子の生活を、見て驚いた母親がいた。
春先だったというが、一日中、電気ストーブはつけっぱなし。
毎月の電話代だけでも、数万円も使っていたという。
もちろん子どもたちにも言い分は、ある。
「幼児のときから、勉強、勉強と言われてきた。
何をいまさら」ということになる。
「親のために、大学へ行ってやる」と豪語する子どもすらいる。
今、行きたい大学で、したい勉強のできる高校生は、10%もいないのではないか。
大半の高校生は、「行ける大学」の「行ける学部」という視点で、大学を選ぶ。
あるいは
ブランドだけで、大学を選ぶ。
だからますます遊ぶ。年に数日、講義に出ただけで卒業できたという学生もいる(新聞の投書)。
こういう話を、幼児をもつ親たちに懇談会の席でしたら、ある母親はこう言った。
「先生、私たち夫婦が、そのドラ息子ドラ娘なんです。
どうしたらよいでしょうか」と。
私の話は、すでに一世代前の話、というわけである。
私があきれていると、その母親は、さらにこう言った。
「今でも、毎月実家から、生活費の援助を受けています。子どものおけいこ塾の費用だけでも、月に4万円もかかります」と。
しかし……。今、こういう親を、誰が笑うことができるだろうか。
(親から大学生への支出額は、平均で年、319万円。
月平均になおすと、約26・6万円。
毎月の仕送り額が、平均約12万円。
そのうち生活費が6万5000円。大学生をかかえる親の平均年収は1005万円。
自宅外通学のばあい、親の27%が借金をし、平均借金額は、182万円。
99年、東京地区私立大学教職員組合連合調査。)
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 親の支出額 学費)
+++++++++++++++
つづいて03年(7年前)に書いた
原稿を添付します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●高齢者への虐待
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
やはり高齢者への虐待が
ふえているという。
これはこれからの世界を
生きる私たちにとっては、
深刻な問題である。
+++++++++++++
医療経済研究機構が、厚生省の委託を受けて調査したところ、全国1万6800か所の介護サービス、病院で、1991事例もの、『高齢者虐待』の実態が、明るみになったという(03年11月~04年1月期)。
わかりやすく言えば、氷山の一角とはいえ、10か所の施設につき、約1例の老人虐待があったということになる。
この調査によると、虐待された高齢者の平均年齢は、81・6歳。うち76%は、女性。
虐待する加害者は、息子で、32%。息子の配偶者が、21%。娘、16%とつづく。
夫が虐待するケースもある(12%)。
息子が虐待する背景には、息子の未婚化、リストラなどによる経済的負担があるという。
これもわかりやすく言えば、息子が、実の母親を虐待するケースが、突出して多いということになる。
で、その虐待にも、いろいろある。
(1)殴る蹴るなどの、身体的虐待
(2)ののしる、無視するなどの、心理的虐待
(3)食事を与えない、介護や世話をしないなどの、放棄、放任
(4)財産を勝手に使うなどの、経済的虐待など。
何ともすさまじい親子関係が思い浮かんでくるが、決して、他人ごとではない。
こうし
た虐待は、これから先、ふえることはあっても、減ることは決してない。
最近の若者のうち、「将来親のめんどうをみる」と考えている人は、5人に1人もいない(総理府、内閣府の調査)。
しかし考えてみれば、おかしなことではないか。
今の若者たちほど、恵まれた環境の中で育っている世代はいない。
飽食とぜいたく、まさにそれらをほしいがままにしている。
本来なら、親に感謝して、何らおかしくない世代である。
が、どこかでその歯車が、狂う。
狂って、それがやがて高齢者虐待へと進む。
私は、その原因の一つとして、子どもの受験競争をあげる。
話はぐんと生々しくなるが、親は子どもに向かって、「勉強しなさい」「成績はどうだったの」「こんなことでは、A高校にはいれないでしょう」と叱る。
しかしその言葉は、まさに「虐待」以外の何ものでもない。
言葉の虐待である。
親は、子どものためと思ってそう言う(本当は、自分の不安や心配を解消するためにそう言うのだが……。)
子どもの側で考えてみれば、それがわかる。
子どもは、学校で苦しんで家へ帰ってくる。
しかしその家は、決して安住と、やすらぎの場ではない。
心もいやされない。むしろ、家にいると、不安や心配が、増幅される。
これはもう、立派な虐待以外のなにものでもない。
しかし親には、その自覚がない。ここにも書いたように、「子どものため」という確信をいだいている。
それはもう、狂信的とさえ言ってもよい。
子どもの心は、その受験期をさかいに、急速に親から離れていく。
しかも決定的と言えるほどまでに、離れていく。
その結果だが……。
あなたの身のまわりを、ゆっくりと見回してみてほしい。
あなたの周辺には、心の暖かい人もいれば、そうでない人もいる。
概してみれば、子どものころ、受験競争と無縁でいた人ほど、今、心の暖かい人であることを、あなたは知るはず。
一方、ガリガリの受験勉強に追われた人ほど、そうでないことを知るはず。
私も、一時期、約20年に渡って、幼稚園の年中児から大学受験をめざした高校3年生まで、連続して教えたことがある。
そういう子どもたちを通してみたとき、子どもの心がその受験期にまたがって、大きく変化するのを、まさに肌で感じることができた。
この時期、つまり受験期を迎えると、子どもの心は急速に変化する。ものの考え方が、ドライで、合理的になる。
はっきり言えば、冷たくなる。まさに「親の恩も、遺産次第」というような考え方を、平気でするようになる。
こうした受験競争がすべての原因だとは思わないが、しかし無縁であるとは、もっと言えない。
つまり高齢者虐待の原因として、じゅうぶん考えてよい原因の一つと考えてよい。
さて、みなさんは、どうか。それでも、あなたは子どもに向かって、「勉強しなさい」と言うだろうか。……言うことができるだろうか。
あなた自身の老後も念頭に置きながら、もう少し長い目で、あなたの子育てをみてみてほしい。
(はやし浩司 老人虐待 高齢者虐待)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
少し古い原稿ですが、以前、中日新聞に
こんな原稿を載せてもらったことがあり
ます。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●抑圧は悪魔を生む
イギリスの諺(ことわざ)に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。
心の抑圧状態が続くと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、この諺ほど、子どもの心にあてはまる諺はない。
きびしい勉強の強要など、子どもの能力をこえた過負担が続くと、子どものものの考え方は、まさに悪魔的になる。こんな子ども(小4男児)がいた。
その子どもは静かで、穏やかな子どもだった。
人の目をたいへん気にする子どもで、いつも他人の顔色をうかがっているようなところは、あるにはあった。
しかしそれを除けば、ごくふつうの子どもだった。
が、ある日私はその子どものノートを見て、びっくりした。
何とそこには、血が飛び散ってもがき苦しむ人間の姿が、いっぱい描かれていた!
「命」とか、「殺」とかいう文字もあった。
しかも描かれた顔はどれも、口が大きく裂け、そこからは血がタラタラと流れていた。
ほかに首のない死体や爆弾など。
原因は父親だった。
神経質な人で、毎日、2時間以上の学習を、その子どもに義務づけていた。
そしてその日のノルマになっているワークブックがしていないと、夜中でもその子どもをベッドの中から引きずり出して、それをさせていた。
神戸で起きた「淳君殺害事件」は、まだ記憶に新しいが、しかしそれを思わせるような
残虐事件は、現場ではいくらでもある。
その直後のことだが、浜松市内のある小学校で、こんな事件があった。
一人の子ども(小二男児)が、飼っていたウサギを、すべり台の上から落として殺してしまったというのだ。
この事件は時期が時期だけに、先生たちの間ではもちろんのこと、親たちの間でも大きな問題になった。
ほかに先生の湯飲み茶碗に、スプレーの殺虫剤を入れた子ども(中学生)もいた。
牛乳ビンに虫を入れ、それを投げつけて遊んでいた子ども(中学生)もいた。
ネコやウサギをおもしろ半分に殺す子どもとなると、いくらでもいる。
ほかに、つかまえた虫の頭をもぎとって遊んでいた子ども(幼児)や、飼っていたハトに花火をつけて、殺してしまった子ども(小3男児)もいた。
親のきびしい過負担や過干渉が日常的に続くと、子どもは自分で考えるという力をなくし、いわゆる常識はずれの子どもになりやすい。
異常な自尊心や嫉妬心をもつこともある。
そういう症状の子どもが皆、過負担や過干渉でそうなったとは言えない。
しかし過負担や過干渉が原因でないとは、もっと言えない。
子どもは自分の中にたまった欲求不満を何らかの形で発散させようとする。
いじめや家庭内暴力の原因も、結局は、これによって説明できる。
一般論として、はげしい受験勉強を通り抜けた子どもほど心が冷たくなることは、よく知られている。合理的で打算的になる。
ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。
あなたの周囲には、心が温かい人もいれば、そうでない人もいる。
しかし学歴とは無縁の世界に生きている人ほど、心が温かいということを、あなたは知っている。
子どもに「勉強しろ」と怒鳴りつけるのはしかたないとしても、それから生ずる抑圧感が一方で、子どもの心をゆがめる。
それを忘れてはならない。
【追記】
受験競争は、たしかに子どもの心を破壊する。
それは事実だが、破壊された子ども、あるいはそのままおとなになった(おとな)が、それに気づくことは、まず、ない。
この問題は、脳のCPU(中央演算装置)にからむ問題だからである。
が、本当の問題は、実は、受験競争にあるのではない。
本当の問題は、「では、なぜ、親たちは、子どもの受験競争に狂奔するか」にある。
なぜか? 理由など、もう改めて言うまでもない。
日本は、明治以後、日本独特の学歴社会をつくりあげた。
学歴のある人は、とことん得をし、そうでない人は、とことん損をした。
こうした不公平を、親たちは、自分たちの日常生活を通して、いやというほど、思い知らされている。だから親たちは、こう言う。
「何だ、かんだと言ってもですねえ……(学歴は、必要です)」と。
つまり子どもの受験競争に狂奔する親とて、その犠牲者にすぎない。
しかし、こんな愚劣な社会は、もう私たちの世代で、終わりにしよう。
意識を変え、制度を変え、そして子どもたちを包む社会を変えよう。
決してむずかしいことではない。おかしいものは、おかしいと思う。
おかしいことは、「おかしい」と言う。
そういう日常的な常識で、ものを考え、行動していけばよい。それで日本は、変る。
少し頭が熱くなったので、この話は、また別の機会に考えてみたい。
しかしこれだけは言える。
あなたが老人になって、いよいよというとき、あなたの息子や娘に虐待されてからでは、
遅いということ。
そのとき、気づいたのでは、遅いということ。
今ここで、心豊かな親子関係とは、どんな関係をいうのか、それを改めて、考えなおしてみよう。
●受験競争の弊害
++++++++++++++++
受験競争の弊害をあげたら、キリがない。
問題は、しかし、受験競争そのものではなく、
それがわかっていても、なお、親たちは
子どもの受験競争に狂奔するか、である。
そのあたりまでメスを入れないと、
この問題がもつ本質的な意味を
理解することはできない。
+++++++++++++++++
精神の完成度は、内面化の充実度で決まる。わかりやすく言えば、いかに、他人の立場で、他人の心情でものを考えられるかということ。
つまり他人への、協調性、共鳴性、同調性、調和性などによって決まる。
言いかえると、「利己」から、「利他」への度合によって決まるということになる。
そういう意味では、依存性の強い人、自分勝手な人、自己中心的な人というのは、それ
だけ精神の完成度が、低いということになる。
さらに言いかえると、このあたりを正確に知ることにより、その人の精神の完成度を知ることができる。
子どもも、同じに考えてよい。
子どもは、成長とともに、肉体的な完成を遂げる。これを「外面化」という。
しかしこれは遺伝子と、発育環境の問題。
それに対して、ここでいう「内面化」というのは、まさに教育の問題ということになる。
が、ここでいくつかの問題にぶつかる。
一つは、内面化を阻害する要因。わかりやすく言えば、精神の完成を、かえってはばんでしまう要因があること。
二つ目に、この内面化に重要な働きをするのが親ということになるが、その親に、内面化の自覚がないこと。
内面化をはばむ要因に、たとえば受験競争がある。
この受験競争は、どこまでも個人的なものであるという点で、「利己的」なものと考えてよい。
子どもにかぎらず、利己的であればあるほど、当然、「利他」から離れる。
そしてその結果として、その子どもの内面化が遅れる。
ばあいによっては、「私」から「私」が離れてしまう、非個性化が始まることがある。
……と決めてかかるのも、危険なことかもしれないが、子どもの受験競争には、そうい
う側面がある。
ないとは、絶対に、言えない。たまに、自己開発、自己鍛錬のために、受験競争をする子どももいるのはいる。
しかしそういう子どもは、例外。
(よく受験塾のパンフなどには、受験競争を美化したり、賛歌したりする言葉が書かれている。
『受験によってみがかれる、君の知性』『栄光への道』『努力こそが、勝利者に、君を導く』など。
それはここでいう例外的な子どもに焦点をあて、受験競争のもつ悪弊を、自己正当化しているだけ。
その証拠に、それだけのきびしさを求める受験塾の経営者や講師が、それだけ人格的に高邁な人たちかというと、それは疑わしい。
疑わしいことは、あなた自身が一番、よく知っている。
こうした受験競争を賛美する美辞麗句に、決して、だまされてはいけない。)
実際、受験競争を経験すると、子どもの心は、大きく変化する。
(1)利己的になる。(「自分さえよければ」というふうに、考える。)
(2)打算的になる。(点数だけで、ものを見るようになる。)
(3)功利的、合理的になる。(ものの考え方が、ドライになる。)
(4)独善的になる。(学んだことが、すべて正しく、それ以外は、無価値と考える。)
(5)追従的、迎合的になる。(よい点を取るには、どうすればよいかだけを考える。)
(6)見栄え、外面を気にする。(中身ではなく、ブランドを求めるようになる。)
(7)人間性の喪失。(弱者、敗者を、劣者として位置づける。)
こうして弊害をあげたら、キリがない。
が、最大の悲劇は、子どもを受験競争にかりたてながら、親に、その自覚がないこと。
親自身が、子どものころ、受験競争をするとことを、絶対的な善であると、徹底的にたたきこまれている。
それ以外の考え方をしたこともなしい、そのため、それ以外の考え方をすることができない。
もっと言えば、親自身が、利己的、打算的、功利的、合理的。さらに独善的、追従的、迎合的。
そういう意味では、日本人の精神的骨格は、きわめて未熟で、未完成であるとみてよい。
いや、ひょっとしたら、昔の日本人のほうが、まだ、完成度が高かったのかもしれない。
今でも、農村地域へ行くと、牧歌的なぬくもりを、人の心の中に感ずることができる。
一方、はげしい受験競争を経験したような、都会に住むエリートと呼ばれる人たちは、どこか心が冷たい。
いつも、他人を利用することだけしか、考えていない? またそうでないと、都会では、生きていかれない?
これも、こう決めてかかるのは、危険なことかもしれない。
しかしこうした印象をもつのは、私だけではない。私のワイフも含め、みな、そう言っている。
子どもを受験競争にかりたてるのは、この日本では、しかたのないこと。
避けてはとおれないこと。
それに今の日本から、受験競争を取りのぞいたら、教育のそのものが、崩壊してしまう。
しかし心のどこかで、こうした弊害を知りながら、かりたてるのと、そうでないとのとでは、大きな違いが出てくる。
一度、私がいう「弊害」を、あなた自身の問題として、あなたの心に問いかけてみてほ
しい。
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●ある母親からの相談(2010年1月7日)
たまたま今朝、こんな相談が届いていた。
埼玉県K市に住んでいる、MSさんという方からの
相談である。
一部を変えて、そのまま紹介させてもらう。
【MSさんからはやし浩司へ】
はじめまして。
毎日先生のブログを読んでいる者です。
私の子供はもう19才と17才になり、子育てという年齢ではなくなっていますが、それでも、何かと心に思うことがあり、子育てのブログを読ませていただいております。
今回、長女の成人式の問題と次女の大学受験のことで、私の気持ちがいっぱいになってし
まい、自分を見失ってしまいそうなので、ご相談しました。
先ず、長女の成人式ですが、着物は娘の好みに合わせレンタルしました。
今時のレンタルは早めの申し込みで、記念写真の撮影は昨年3月に済ませており、夫と私の親にはすでにアルバムを渡しております。
この写真撮影の時、着物を着て帰りましたので、双方の祖父母宅に寄り、振袖姿を披露しました。
ですが、もうすぐ成人式というのに、長女は成人式には出ないと言い出しました。
その時の私のショックは言葉に出来ません。
長女は大学2年で、学費で精一杯の家計ですが、せっかくの成人式なので好きな着物を選ばせ、トータル20万円もしました。
今、思い起こせば、着物を選ぶ時も、写真撮影の時も、娘はずっと不機嫌でした。
私は娘の様子を見ているだけで吐き気がするほど、気分が悪くなってしまいました。
これも、私がそう育ててしまったのだから・・・
しっかりものの長女のこと、何か出席したくないよっぽどの理由があるはず、もうすでに振袖姿は見たし、祖父母にも披露し、アルバムも撮影済み。
何が問題なのか? 長女の成人式だもの、本人の好きにすればいい・・・ と自分に言い聞かせる毎日ですが、なかなか私の気持ちに折り合いが付きません。
これも、許して忘れる・・・でいいのでしょうか?
加えて、次女の大学受験で彼女のストレスが私に向けられ、毎日眼が回りそうです。
不安で不安で仕方ないようです。
私が高卒で、ずっと学歴にコンプレックスを持ち、子供には大学に行ってもらいたいと、小さい頃から学歴が大事と間違って育ててしまったのがいけないのでしょうね。
夫はいうと、我関せずとばかりに、遠巻きにしております。
こんなことで・・・と笑われてしまいそうですが、中学生の時に、長女、次女とも本当に大変な時期があり、頭の固い私が変わらざるを得ない事態となりました。
それから、子育てに自身がなくなり、これは共依存なのか?、と思うようになりました。
何かにつけ、私のしていることに自信がないのです。
何か良いアドバイスがありましたら、よろしくお願いいたします。
【はやし浩司よりMSさんへ】
まず先の「介護と子どもの意識」を読んでみてください。
今のあなたの考え方も、少しは変ると思います。
簡単に言えば、親の私たちは、子どもに対して(幻想)をもちやすいということ。
その幻想を信じ、その幻想にしがみつく。
「私たち親子だけは、だいじょうぶ」と。
しかし実際には、子どもたちの心は、親の私たちから、とっくの昔に離れてしまっているのですね。
親は子どもの将来を心配し、「何とか学歴だけは・・・」と思うかもしれない。
しかし当の本人たちにとっては、それが(ありがた迷惑)というわけです。
いまどき、親に感謝しながら大学へ通っている子どもなど、まずいないと考えてよいでしょう。
それよりも今、大切なのは、自分たちの老後の資金を切り崩さないこと。
あなたにかなりの余裕があれば、話は別ですが・・・。
お嬢さんたちもその年齢ですから、今度は、あなた自身の年齢を振り返ってみてください。
そこにあるのは、(老後)ですよ。
今は、まだ(下)ばかり見ているから、まだ気がついていないかもしれませんが、あと5~10年もすると、あなたも老人の仲間入りです。
では、どうするか。
つい先日、オーストラリアの友人が、メールでこう書いてきました。
「子どもたちには、やりすぎてはいけない。社会人になったら、お(現金)をぜったいに渡してはいけない」と。
同感です。
私もずいぶんとバカなことをしましたが、それで私の子どもたちが、私に感謝しているかというと、まったくそういう(念)はないです。
息子たちを責めているのではありません。
現在、ほとんどの青年、若者たちは、同じような意識をもっています。
だから私の結論は、こうです。
「よしなさい!」です。
娘の晴れ着など、娘が着たくないと言ったら、「あら、そう」ですまし、そんなバカげた儀式のために20万円も浪費しないこと。
親の見栄、メンツのために、20万円も浪費しないこと。
それよりもそのお金は、自分の老後のためにとっておきなさい。
子どもというのはおかしな存在で、そうしてめんどう(?)をみればみるほど、子どもの心は離れていきます。
それを当然と考えます。
20年ほど前になるでしょうか。
ある父親が事業に失敗し、高校3年生の娘に、「大学への進学をあきらめてくれ」と頼んだときのこと。
その娘は、父親にこう言ったそうです。
「借金でも何でもよいからして、責任を取れ!」と。
そこで私がその娘さんに直接話したところ、娘さんはこう言いました。
「今まで、さんざん勉強しろ、勉強しろと言っておきながら、今度は、あきらめろ、と。
私の親は、勝手すぎる」と。
率直に言えば、これは「共依存」の問題ではありません。
あなたはまだ「子離れ」できていない。
つまりは精神的に未熟。
それが問題です。
あなたは子離れし、自分は自分で、好きなことをしなさい。
自分で自分で、自分の人生を見つけるのです。
つまりあなたはあなたで前向きに生きていく・・・。
その点、あなたを(遠巻きにして)見ている、あなたの夫のほうが、正解かもしれません。
ずいぶんときびしいことを書きましたが、そのためにも、前段で書いた部分を、どうか読んでみてください。
私たち自身の老後をどうするか?
お金の使い方も、そこから考えます。
二女の方の学費にしても、子どものほうから頭をさげて頼みに来るまで、待ったらよいでしょう・・・といっても、今さら、手遅れかもしれませんが。
本人に勉強する気がないなら、放っておきなさい。
今のあなたには、それこそ重大な決意を要することかもしれませんが、そこまで割り切らないと、あなた自身が苦しむだけです。
どうせ大学へ入っても、勉強など、しませんよ。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●介護問題と子どもの意識
介護保険は、すでにパンク状態。
政府は税金をあげることだけを考えている。
しかしそれよりも重要なのは、子どもの・・・というよりは、日本人の意識を変えていくこと。
今のままでは、日本の介護制度は、その根底部分から崩れる。
「心」がない。
心がない介護制度など、またそれによってできる施設など、刑務所のようなもの。
「死の待合室」と表現した人もいる。
そんな施設に入れられて、だれがそれを「快適」と思うだろうか。
どうして日本人の心は、こうまで冷たくなってしまったのか?
脳のCPUの問題だから、冷たくなったことにすら、気づいていない。
みな、自分は、(ふつう)と思い込んでいる。
またそれが(あるべき本来の姿)と思い込んでいる。
このおかしさ。
この悲しさ。
ここに転載させてもらった、MSさんのケースは、けっして他人ごとではない。
私たち自身、あなた自身の問題と考えてよい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
最後にもう一作。
ある母親の嘆きを、掲載します。
10年ほど前、中日新聞に掲載してもらった
原稿です。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●親が子育てで行きづまるとき
●私の子育ては何だったの?
ある月刊雑誌(Mom)に、こんな投書が載っていた。
『思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを飼育してきました。
庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。毎日必ず机に向かい、読み書きする姿も見せてきました。
リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食卓も部屋も飾ってきました。
なのにどうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどうがり、努力もせず、マイペースなのでしょう。
旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。
息子は出不精。
娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。
二人とも『自然』になんて、まるで興味なし。
しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなるばかり。
私の子育ては一体、何だったの?
私はどうしたらいいの?
最近は互いのコミュニケーションもとれない状態。
子どもたちとどう接したらいいの?』(K県・五〇歳の女性)と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 私の子育ては何だったの 私の子育てはなんだったの 親子の断絶 はやし浩司 親子の絆が切れるとき)
●親のエゴに振り回される子どもたち
多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。
こんな相談があった。
ある母親からのものだが、こう言った。
「うちの子(小三男児)は毎日、通信講座のプリントを三枚学習することにしていますが、二枚までなら何とかやります。
が、三枚目になると、時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。
どうしたらいいでしょうか」と。
もう少し深刻な例だと、こんなのがある。
これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。「昨日は何とか、二時間だ
け授業を受けました。
が、そのまま保健室へ。何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせたいのですが、どうしたらいいでしょうか」と。
こうしたケースでは、私は「プリントは二枚で終わればいい」「二時間だけ授業を受けて、今日はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。
仮にこれらの子どもが、プリントを三枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「四枚やらせたい」「午後の授業も受けさせたい」と言うようになる。こういう相談も多い。
「何とか、うちの子をC中学へ。それが無理なら、D中学へ」と。
そしてその子どもがC中学に合格しそうだとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」と。要するに親のエゴには際限がないということ。
そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。
●投書の母親へのアドバイス
冒頭の投書に話をもどす。「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も一瞬ドキッとした。
しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエゴ。
もっとはっきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ。
そのつど子どもの
意思や希望を確かめた形跡がどこにもない。
親の独善と独断だけが目立つ。
「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを飼育してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。息子は出不精」と。
この母親のしたことは、何とかプリントを三枚させようとしたあの母親と、どこも違いはしない。
あるいはどこが違うというのか。
●親の役目
親には三つの役目がある。(1)よきガイドとしての親、
(2)よき保護者としての親、
そして(3)よき友としての親の三つの役目である。
この母親はすばらしいガイドであり、保護者だったかもしれないが、(3)の「よき友」としての視点がどこにもない。
とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。
この母親が見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大きなギャップを感ずる。
はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよい「我が家」であったのかどうか。
あるいは子どもたちはそういう「我が家」を望んでいたのかどうか。
結局はこの一点に、問題のすべてが集約される。
が、もう一つ問題が残る。それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエゴに気づいていないということ。
いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしがみついている! 「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉が、それを表している。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 介護問題 子どもの意識 子離れ 子離れできな
い親 私の子育ては何だったの 私の人生は何だったの 私の子育ては、何だったの 親
の悔悟 介護問題 はやし浩司 親のめんどう 親の介護 親の介護問題 内閣府調査 はやし浩司 受験という虐待)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●終わりに(2012年1月20日記)
ジジ・ババ・ゴミ論と、家族意識の変化。
さらには子どもを取り巻く環境と、家族意識の変化。
こうした問題が混然一体となり、この先、ジジ・ババを取り巻く環境は、さらに過酷なものとなる。
それには例外はない。
「社会の大勢」というのは、そういうもの。
いかにあなたが部分的に努力したとしても、子どもたちはやがてその「大勢」に呑み込まれていく。
むしろ、「うちはだいじょうぶ」「うちの子にかぎって」と、高をくくっている親、家族ほど、あぶない。
そういう親ほど、子どもの心の変化に気づいていない。
●では、どうするか
最近の私の結論。
「そういう時流と思い、あきらめ、納得し、受け入れる」。
独居老人、しかたない。
孤独死、無縁死、これまたしかたない。
それ以上に、息子や娘たちには、期待しない。
期待しなければ、失望もない。
だったら、「限度をわきまえる」※。
繰り返しになるが、子どもたちに向かって、「勉強しなさい」と言ってはいけない。
言えば言うほど、責任を取らされる。
その言葉自体が、虐待でもある。
今、親に感謝しながら高校へ通っている子どもは、いない。
ゼロ!
大学生でも、いない。
社会人になってからも、親に車を買わせている子ども(若夫婦)となると、いくらでもいる。
さらには結婚式の費用から、子ども(孫)のおけいこ代まで払わせている子ども(若夫婦)までいる。
が、当の子ども(夫婦)は、感謝などしていない。
「生活が苦しい」と言うことはあっても、感謝などしていない。
だから限度をわきまえる。
(してやること)と(してはいけないこと)の間に、明確な一線を引く。
その一線を引くことに失敗すると、親子関係はバラバラになる。
それが全体として大勢を作り、ここに書いた「ジジ・ババ・ゴミ論」が生まれる。
そう、私たちは、ゴミ。
今は、そういう前提で、自分たちの(現在)、そして(未来)を考えたらよい。
その上で、私たちはどうあるべきか。
若い世代とどうつきあっていくか。
それを考える。
(注※)限度論……バートランド・ラッセル(イギリスのノーベル文学賞受賞者)。
家族崩壊を、とうの昔に経験したイギリスの哲学者である。
いわく、『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要な訓練は施すけれども、けっして程度を越えないことを知っている両親たちのみが家族の真の喜びを与えられる』と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 ジジ・ババ受難時代 ゴミ論 はやし浩司 孤独死 独居老人 無縁老人 日本の子育て 育児論 はやし浩司 子育て限度論)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●春休みも、もうすぐ終わり(はやし浩司 2012-04ー05夜記)
午後になって、畑の畝を2つ、ふやした。
トウモロコシと、インゲンの種を蒔(ま)いた。
ついでにネギが伸び始めたので、化成肥料を撒(ま)いた。
それが終わり、一息ついたころ、ワイフが、「映画を見たい」と言った。
インターネットで調べると、『ドライブ』が、ちょうどよい時刻に始まるのがわかった。
話題作ではないが、おもしろそう。
そそくさと用意し、そのまま車に飛び乗る。
映画館には、10分前に、着いた。
間にあった。
チケットを買い、中に入る。
観客は、15人ほど。
うしろから2列目に座った。
が、これがまずかった。
最後列の男たちは、靴を脱ぎ、足を前の席……つまり私たちの席に足をかけた。
これが、臭いの何のといったら……。
映画が始まるとすぐ、私たちは2列ほど、前の席に移動。
ほっとした。
ポップコーンをほうばった。
しかしそれにしても、臭い足だった!
靴を脱いで足を前の席にかけるという行為そのものが、マナー違反。
臭いとあれば、なおさら。
●3D映画
前回、『スターウォーズ』をみてから、もう10日以上になる。
3D版だった。
途中で目が痛くなった。
はじめての経験だった。
それもあって、以後、映画館へ行くのを控えていた。
私の年齢以上の人は、ああした動きが速い3D版は、見ないほうがよい。
目に悪い。
……ということで、これからは3D版は見ない。
心に決めた。
2D版を選んで見る
動きの速くない映画を見る。
●映画『ドライブ』
映画『ドライブ』は、殺伐とした映画だった。
ロバート・デニーロの『タクシー・ドライバー』を彷彿(ほうふつ)させるような映画だった。
意味のない、殺しあいの映画。
ま、あえて言うなら、扁桃核(へんとうかく)に傷ついた人たちの映画。
幼児期から少年期にかけ、扁桃核に傷がつくと、人間的な温かい心を失うという※。
「すべての精神疾患は、脳内の扁桃核に生ずる傷によって起きる」と説く学者もいる。
最近の脳科学は、そんなことまで説明するようになった。
さらにそれが進むと、いわゆる「サイコパス」※。
「サイコパシー」と言うのが正しい。
日本では、「サイコパス」という。
もしこの世に地獄があるとするなら、ああした世界を「地獄」というのだろう。
最後に若い男が、1人の女性のために命を落とすことになる。
一応、「愛」がテーマになっている?
が、愛といっても、地獄に咲いた花のようなもの。
どうしてアメリカ人は、ああまで肉欲的な「愛」を美化したがるのだろう。
「恋愛」というときの「愛」と、キリスト教で教える「愛」とは、まったく異質のもの。
同じ「LOVE(愛)」という言葉を使うから、話がおかしくなる。
映画の評価は、星1つか2つの、★。
たぶん、1~2週間後には、内容すら忘れてしまうだろう。
印象の薄い映画だった。
(注※……扁桃核、以前書いた原稿より)
『東北大学名誉教授の松沢大樹(80)氏によれば、「すべての精神疾患は、脳内の扁桃核に生ずる傷によって起きる」と結論づけている。
松沢氏によれば、「深刻ないじめによっても、子どもたちの扁桃核に傷は生じている」というのである。
傷といっても、本物の傷。最近は、脳の奥深くを、MRI(磁気共鳴断層撮影)や、PET(ポジトロン断層撮影)などで、映像化して調べることができる。
実際、その(傷)が、こうした機器を使って、撮影されている。
中日新聞の記事をそのまま紹介する(07年3月18日)。
『扁桃核に傷がつくと、愛が憎しみに変わる。
さらに記憶認識系、意志行動系など、およそ心身のあらゆることに影響を与える。
……松沢氏は、念を押すように繰りかえした。
『いじめは、脳を壊す。だからいじめは犯罪行為、れっきとした傷害罪なんです』と。
今、(心)そのものが、大脳生理学の分野で解明されようよしている』と。
(注※……サイコパス、以前書いた原稿より)
『「●サイコパス……私たちはどんな悪人も、少しくらいは良心を持っているだろうと信じていると思います。
しかし、世の中にはそんな考え方が全く通用しない「サイコパス」と呼ばれる人間が存在しているのです」(ここまで「サイコパスとは何か」サイトより転載)と。
この一文が、サイコパスのすべてを語っている。
診断基準として、同サイトは、つぎの7つをあげている。
(1)口達者で、一見、魅力的。
(2)同情を引こうとする。
(3)無責任で問題行動が目立つ。
(4)責められると逆ギレする。
(5)非常によくウソをつく。
(6)感情が浅く、思いやりがない。
(7)衝動的に行動する。
「ウソがうまく、泣いても空涙」。
「言葉はよく知っていても、心に響かない」などが、大きな特徴としてあげられている(同サイト)。
詳しくは、http://www.psy-nd.info/で。
またウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++++
三省堂の大辞林によると「性格が逸脱し、そのために社会を困らせたり自らが悩むもの。
性格異常」とある。
連続強姦殺人犯、シリアルキラー(連続殺人者)や、重度のストーカー、常習的詐欺師・放火魔、カルトの指導者の多くがサイコパスに属すると考えられている。
さらに、窃盗/万引き、ドメスティックバイオレンス、幼児虐待、非行少年グループ、資格を剥奪された弁護士・検察官や医師、テロリスト、組織犯罪の構成員、金のためならなんでもやる人間、悪徳実業家なども当てはまることがある。
サイコパスは社会の捕食者(プレデター)であり、生涯を通じて他人を魅了し、操り、情け容赦なく我が道だけをいき、心を引き裂かれた人や期待を打ち砕かれた人、財産を奪われ尽くした人を後に残して行く。
良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。
その多くは刑務所内にいるが、社会に出ている者もまた多い。
その大部分は殺人を犯すことなく自分たちの業を押しつけてくる。
北米には少なくとも200万人、ニューヨークだけでも10万人のサイコパスがいると、犯罪心理学者ロバート・D・ヘア(en:Robert D. Hareは統計的に見積っている。
++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++++
ついでに「はてなキーワード」の説明文も、掲載する。
『精神病質者の意。
現在サイコパスという言葉は無く、反社会性人格障害(APD)と変更されている。
サイコパスの特徴は極端に自己中心的で、慢性的な嘘つきで後悔や罪悪感が無く、冷淡で共感が無い。
加えて自分の行動に責任が取れない。
多くは脳の前頭葉に問題がある可能性が高く、ホルモン異常と考えられる。
それに加えて幼少時の虐待・生育環境の劣悪が重なり、サイコパスとなる可能性が高い。
8~9割のサイコパスは言語能力を司る認知機能に障害があり、通常左脳で行われる言語処理が右脳で行われている。
一般的にサイコパスとサイコは同じ意味で捉えられている』(以上「はてな・キーワード」より)』と。
●Mr.PC(05月号)
少し前、「Mr.PC」(パソコン雑誌)5月号を買った。
毎号、付録のソフトが、楽しみ。
で、今回はその中の、3Dロゴに挑戦してみた。
意外と簡単にできた。
さっそく、2、3個作ってみた。
あとで、あちこちのページを、その3Dロゴで飾ってみたい。
……といっても、最近、脳みその働きが鈍くなってきたように感ずる。
ミスも多くなった。
つまりパソコンで何かの作業をしていても、ミスが多くなった。
それに新しいソフトが使いこなせるようになるまでに、時間がかかるようになった。
プラス、やっと使いこなせるようになっても、1、2週間もすると、使い方を忘れてしまう。
さらに、最近、こんなことを発見した。
たとえば、30分間、ウォーキングマシンの上で運動をしてからキーボードを叩くのと、何も運動をしないままキーボードを叩くのとでは、感じがまるでちがう。
運動をしてからだと、指先が軽快に動く。
運動をしてないと、ミスタイピングが多くなる。
が、それだけではない。
運動をしてからだと、言葉がスラスラと出てくる。
運動をしてないと、「エ~ト、何だったかな?」というように、迷うことが多い。
若いころは、こんなことは、気にもしなかった。
……だからというわけではないが、今日は、午前中に30分、午後に30分、ウォーキングマシンの上で、汗をかいた。
加えて乗馬マシンの上で15分に運動+畑仕事。
肉体の健康も大切だが、精神の健康も大切。
さらに脳みその健康も大切。
肉体+精神+脳みその健康。
この3つがそろって初めて、「健康」ということになる。
そのカギを握るのが、運動ということになる。
●北朝鮮の人工衛星、光明星1号
まずは、写真を見てほしい。
左から、スプートニック1号(旧ソ連時代のもの)、北朝鮮の光明星1号、それに私のもっているラジオのアンテナ。
その取りつけ部を、拡大し、並べてみた。
で、この写真を見てもわかるように、光明星1号のそれは、衛星のアンテナというよりは、ラジカセのアンテナ。
宇宙で開くような構造にはなっていない。
(スプートニック1号のほうは、複雑なバネ仕掛け(?)になっているのがわかる。)
人工衛星自体もお粗末だが、こういう人工衛星でもって、宇宙開発というところが、おかしい。
恐らく今回予定されている人工衛星も、似たようなものなのだろう。
「カメラは積んでいるかもしれないが……」(韓国紙)、重量が100キロというのは、常識で考えてもおかしい。
最低でも、500キロほどの重さが必要という。
ともあれ、何からなにまで、「?」マークがつくのが、北朝鮮。
が、笑ってはいけない。
あなどってはいけない。
北朝鮮は、すでに5~6個の核兵器をもっているという。
その気にさえなれば、日本の主要都市を全滅させることもできる。
で、私が危惧するシナリオ……。
(1)北朝鮮が、ミサイルを発射する。
(2)軌道をはずれ、失敗する。
(3)日本が、迎撃ミサイルを発射する。
(4)それを口実に、北朝鮮が、日本にミサイルを撃ち込む。
ふつうの常識のある国なら、そんなことはしない。
が、北朝鮮には、そのふつうの常識が通じない。
通じないことは、「光明星1号」の写真を見ても、わかるはず。
こんなおもちゃのような(「週刊現代誌」)人工衛星でもって、「宇宙開発」という。
なお先ほどの朝鮮N報の記事によれば、北朝鮮の潜水艦が、どうやら何かの作戦行動を始めたらしい。
ミサイルも警戒しなければならないが、北朝鮮の動きも、全体として注視する必要がある。
もしどこかの原子力発電所に、ミサイルでなくても、迫撃砲が1発撃ち込まれただけでも、今度こそ日本も、万事休す。
日本は、本当に、終わってしまう。
原子力発電所周辺の、防衛態勢は、万全なのか?
あとになって、「想定外の攻撃でした」などと、言うな!
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 サイコパス 扁桃体 はやし浩司 扁桃核の傷 精神疾患 扁桃核の傷)2012/04/05夜記
Hiroshi Hayashi+++++++April. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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2012年5月5日土曜日
Internet Addicts
●ネット中毒(TBS・News-i)」より
+++++++++++++++++
韓国内のネット中毒患者は、190万人。
悲惨な事件も、毎日のように起きている。
こうしたネット中毒患者のために、救済
施設まである。
かたや、この日本はどうか?
人口比からして、その約3倍の中毒患者
がいてもおかしくない。
約600万人?
そういった隠れ患者は、どこに消えてい
るのか。
まず、TBS-iの報道を紹介する・
+++++++++++++++++
**********以下、TBS-iより(2010-11-18)*******
いわゆる「インターネット中毒」が社会問題化している韓国で、ネットゲームをめぐって14歳の少年が母親を殺害し、自らも命を絶つ事件が起きました。
韓国警察によりますと、プサン市内のマンションの一室で16日、この部屋に住む女性(43)が首を絞められて殺害されているのが見つかりました。
女性の長男で中学3年生の少年(14)がベランダで首を吊って自殺していて、祖母に宛てた遺書には「お母さんとケンカをして許されないことをした」などと書かれていました。
少年は学校を遅刻・欠席しがちなほどネットの戦闘ゲームにのめり込んでいて、事件の前日にはそのことで母親と口論になっていたということです。
韓国政府によると、韓国国内のネット中毒患者はおよそ190万人。今年3月には夫婦そろって「育児ゲーム」にのめり込み、生後3か月の娘を餓死させる事件が起きるなど社会問題化しています。
さらにネット中毒の低年齢化も進んでいて、来年から予防対象を幼児にまで拡大することが決まっています。
**********以上、TBS-iより(2010-11-18)*******
●猛烈な攻撃
この日本では、テレビ・ゲーム、あるいはネットゲームを批判しただけで、猛烈な抗議の嵐にさらされる。
ボロクソに叩かれる。
私も11年前に『ポケモン・カルト』という本を書いた。
が、いまだに、それがつづいている。
興味のある人は、ためしに、「はやし浩司 ポケモンカルト」で検索をかけてみるとよい。
いつも「トンデモ本」のトップにあげられている。
はげしい攻撃の文句もさることながら、どういう人たちが、私を攻撃しているか、どうかそれも知ってほしい。
が、問題は、このことだけではない。
「190万人」という数字である。
人口比からすれば、この日本では、600万人となる。
(日本の人口は、韓国の約3倍。)
そういう人たちは、今、どこで何をしているのか。
何を考えているのか。
日本人だけが特別ということもないだろうし、韓国人だけが特別ということもないはず。
あの事件、つまり光性てんかん事件が起きたとき、全国で数百人の子どもたちが倒れた。
テレビアニメの『ポケモン』を見ていた子どもたちである。
あの事件で不思議なのは、(「謎」と言ってもよいが)、そのあとだれひとり、当該テレビ局に対して、損害賠償、医療費を公(おおやけ)で請求した人がいなかったこと。
裁判にもならなかった。
倒れた子どもたちは闇から闇へと、葬られた。
ついで、あの事件そのものも、闇から闇へと、葬られた。
いったいあの事件は、だれが、どのような形で幕を引いたのか?
実は、今の今もそうである。
数か月前、ある教材社から仕事の依頼があった。
私は引き受けるつもりで、用意していた。
が、そのちょうど1週間後、今度は断ってきた。
いわく「うちもS社(出版社)と取り引きがありまして……」と。
「S社を敵に回したら、仕事もできなくなります」とも。
つまり私が書いた『ポケモン・カルト』が、問題というわけである。
ポケモンは、現在も全盛期。
それはそれで結構なこと。
それが問題というのではない。
私はこの世界は、何かがおかしいと書いている。
それがわからなければ、もう一度、冒頭のあげた記事を読みなおしてみてほしい。
日本の600万人は、どこに隠れているのか?
何をしているのか?
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ポケモンカルト ポケモン・カルト 三一書房 ゲーム中毒 韓国)
(付記)
この問題は、脳のCPU(中央演算装置)がからんでいる。
それだけに、やっかい。
やっかいというのは、中毒患者が自ら、それに気づくということは、まずありえない。
「私は正常」と思い込んでいる。
しかし正常ではない。
正常でないことは、彼らが書く(文章)を読んでみればわかる。
支離滅裂というか、感情をそのまま叩きつけている。
文章というよりも、「文」そのものになっていない。
たとえば……
「お前の子ども……MMMM……ゲームと現実の区別、
ちゃんと、つくのかよ~~~~」(某サイト)と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
2010年の4月に書いた原稿を
添付します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ゲーム脳(ゲーム中毒)
+++++++++++++++++++
この日本では、どうして「ゲーム脳」が
問題にならないのか。
「ゲーム脳」という言葉が悪いなら、
「ゲーム中毒」でもよい。
隣の韓国では、すでに10年以上も前から、
また最近では中国でも、「ゲーム中毒」の
若者たちが、問題になりつつある。
ゲーム中毒の子ども(若者も)を集めた
更正施設や、更正プログラムまで、用意
されている※。
が、この日本では、問題にならない。
「ゲーム脳」という言葉を使って、エッセーを
書いただけで、猛烈な抗議に嵐にさらされる。
ゲームの世界そのものが、カルト化している。
ゲームに日夜夢中になっている子ども(若者)は、
まさにその信者ということになる。
(ためしに、「はやし浩司」で検索してみるとよい。
私を、口汚く中傷しているサイトやBLOGがある。
そのほとんどが、ここでいう「信者」たちである。
私が書いた『ポケモンカルト』(三一書房)などは、
出版してから11年になるが、いまだに叩かれつづ
けている!)
が、日本人だけが特別ということは、ありえない。
日本人の脳みそだけが、韓国人や中国人と、構造が
ちがうということは、ありえない。
今の今も、この日本には、ゲーム中毒の子ども(若者)は、
いる。
日に、何時間も何時間も、ゲームに夢中になっている。
真夜中でも、ゲームに夢中になっている。
が、日本では、そういう子ども(若者)が、どういうわけか、
問題にならない。
考えてみれば、これほどおかしな話はない。
ここでは、別の角度から、「ゲーム脳」について
考えてみたい。
+++++++++++++++++++++++++
●まねる(観察学習)
発達心理学の世界には、「観察学習」という言葉がある。
子どもは、教えられて学ぶことよりも、まわりを観察しながら、自ら学ぶことのほうが多い。
量的に、はるかに多い。
「学習効果」ということを考えるなら、またそのほうがはるかに効果的。
たとえば以前、何かにつけ、ツッパリ始めた子ども(小5男児)がいた。
言動が粗野になり、独特の目つきで、独特の話し方で話すようになった。
「ウッセー」「コノヤロー」と。
紫の地に、金色の刺繍をほどこしたコートを着てきたこともあった。
で、その子どもを、高校生の受験クラスに入れてみた。
高校生の間に座らせて、好きな勉強をさせてみた。
最初は、体をかたくしていたが、週を追うごとに、ぐんぐんと変化していった。
あとで聞いたら、高校生の中の1人を、自分の理想像のように思いようになったらしい。
その高校生は、野球部の部員だった。
その子どもは、日曜日など、こっそりとその試合の応援に出かけたりしていた。
家に帰っても、その高校生の話ばかりするようになった。
これは観察学習というわけではないが、その子どもは、まわりの様子から、多くのものを学んだことになる。
それは「学ぶ」という行為というよりは、「まねる」に近い。
その「まねる」という行為を、「モデリング」という。
●自己認識能力
ものごとは常識で考えよう。
まだ判断力や自己管理能力がじゅうぶん育っていない子どもが、ゲームを相手に、「殺せ!」「やっつけろ!」と叫んで、心によい影響を与えるはずがない。
こんな実験が知られている。
ある一定時間、暴力映画を見せた子どもは、その直後、行動が暴力的になるという(バンデュラ、ほか)。
多くの研究者が、同じような実験結果を報告しているので、今さら改めて説明するまでもない。
つまり子どもというのは、そのつど環境の中で、自分を作っていく。
作られていく。
それもそのはず。
子どもが現実検証能力、つまり自分、あるいは自分と他者との関係、さらには自分の置かれた立場を、客観的に判断できるようになるのは、小学3年生(9歳)以上。
それ以前の子どもには、その能力はない。
たとえば病院や図書館で騒いでいる幼児がいる。
そういう幼児に向かって、「静かにしなさい!」と叱っても、意味はない。
「騒いでいる」「迷惑をかけている」という意識そのものがない。
そういう行為がどういうものかさえ、わかっていない。
叱られたあと静かになるのは、こわいからそうしているだけ。
つまり小学3年生(9歳)以前の子どもに、その判断能力はない。
判断能力がないというよりは、思考力が未熟。
だからこの時期の子どもは、理性や知性を使って「学ぶ」ことよりも、周囲を観察し、それを「まねる」ことによって、自分の思考パターンや行動パターンを
形成していく。
それがモデリングということになる。
●疑わしきは罰する
法律の世界では、『疑わしきは罰せず』という。
が、教育の世界では、『疑わしきは罰する』という。
なんでもあやしいものは、先手先手で、子どもの世界から遠ざける。
安全性が確認されるまで待っていたら、それこそ手遅れになってしまう。
ゲームにしても、しかり。
もちろん中には、良質なソフトもある。
そういうものまで、ひとまとめにして、「反対!」と、私は言っているわけではない。
しかし良質なソフトにまぎれて、悪質なソフトがあるのも事実。
そういう悪質なソフトまで野放しにしては、いけない。
有害とは証明できないかもしれない。
しかし少なくとも、安全と証明されたわけでもない。
だったら、遠ざける。
それくらいの配慮というか、子どもの世界に対する思いやりは、あって当然のことではないか。
……と私は書いている。
●付記
あるBLOGには、こうあった。
「(右脳教育を創始者の)SDも、(ゲームを批判する)はやし浩司も、同じようなもの。
一度、この2人を、バトルさせてみたい」と。
SD氏(2009年死去)は、ゲームは、右脳の刺激になると説いていた。
そのSD氏と私も、同じ、と。
しかし(右脳教育)と(ゲーム脳)とは、どこでどう結びつくのか。
その右脳教育にしても、安全が確認されたわけではない。
むしろ幼児期においては、左脳教育(論理と分析)こそ、重要。
そうでなくても、映像文化に発達とともに、あえて右脳を刺激しなくても、子どもたちは、じゅうぶん過ぎるほどの刺激を受けている。
反対に、今、静かにものを考える子どもが少なくなった。
頭に飛来した情報を、ペラペラと口にする。
しかし中身がない。
薄っぺらい。
子どもたちの世界が、バラエティ番組化している。
「これでいいのか!」と叫んだところで、この話はおしまい。
【補記】
私は、右脳教育には、懐疑的である。
10年以上も前から、そういう趣旨で、原稿を書いてきた。
その気持ちは、いささかもゆらいでいない。
「まちがっている」と言っているのではない。
「あえて必要ない」と言っている。
フォト化とか、直観像とか、いろいろ言われているが、安全が確認されたわけではない。
ある幼児教室の案内書には、こうあった。
「これからは、右脳教育を受けた子どもたちが、ゾロゾロと(東大の)赤門をくぐることになるでしょう」と。
それから10年。
そろそろその結果が出ているはず。
もしSD氏とバトルするようなことがあれば、(天国なら天国でもよいが)、まずそのあたりの資料を出してもらうところから始めたい。
(注※)
●ゲーム脳
+++++++++++++++++
「ゲーム脳」というのは、大脳生理学上の
問題ではない。
「現象」の問題である。
「大脳生理学上、ゲーム脳というのはない」と
説く学者もいる。
その世界では神格化され、「つぎつぎと商品企画
が、もちこまれている」(某雑誌)とか。
結構な話だが、こういう学者は、つぎのような
現象を、どう考えるのだろうか。
産経新聞をそのまま転載させてもらう。
+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++
【産経新聞・10-02-08】
『・・・世界最大となる3億3800万人のインターネット人口を抱える中国で、2400万人の青少年がオンラインゲームやチャットにのめり込む(ネット中毒)に陥っている。中国青少年インターネット協会が8日までに発表した調査結果で明らかになった。
中国のネット人口のうち3分の1は、19歳以下の青少年が占めている。6~29歳の青少年7千人を対象に行われた調査結果によると、ネットに依存している青少年は2007年の9・7%から14%に増加。「ネット中毒」が社会問題化し始めた05年ごろは400万人程度で、4年間で6倍に増えた計算だ。娯楽の少ない発展が遅れている地域に中毒者が多いことも、特徴の一つに挙げられている。
中毒を誘因している一番の原因はオンラインゲームだ。「ネットを通じて何をしているか?」と
の問いに対し、47・9%が「ゲーム」と回答。2位の「アニメや映画、音楽のダウンロード」の23・2%、3位の「チャットで友達を作る」の13・2%を大きく引き離した。
中国では08年11月、人民解放軍北京軍区総医院が策定した「ネット中毒臨床診断基準」を公表し、ネット中毒を「繰り返しネットを使用することで一種の精神障害をきたした状態」と定義
付けた。今回の調査でも、ネット中毒になっていない人の66・5%は「他人を殴るのは間違っている」と答えたのに対し、中毒者は48%にとどまった。
国際情報紙、環球時報(英語版)によると、中国青少年精神保健センターの創設者は「ネット中毒者の40%は、(不注意や衝動的な症状などが出る)注意欠陥・多動性障害といった精神疾患にかかっている」と警鐘を鳴らしている』(以上、産経新聞)。
+++++++++++++以上、産経新聞より++++++++++++++
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ゲーム脳 中国の現状 ゲーム中毒 ネット中毒者 障害 中国のネット中毒者 ゲーム 疑わしきは罰する)
Hiroshi Hayashi++++++April.2010++++++はやし浩司
+++++++++++++++++
韓国内のネット中毒患者は、190万人。
悲惨な事件も、毎日のように起きている。
こうしたネット中毒患者のために、救済
施設まである。
かたや、この日本はどうか?
人口比からして、その約3倍の中毒患者
がいてもおかしくない。
約600万人?
そういった隠れ患者は、どこに消えてい
るのか。
まず、TBS-iの報道を紹介する・
+++++++++++++++++
**********以下、TBS-iより(2010-11-18)*******
いわゆる「インターネット中毒」が社会問題化している韓国で、ネットゲームをめぐって14歳の少年が母親を殺害し、自らも命を絶つ事件が起きました。
韓国警察によりますと、プサン市内のマンションの一室で16日、この部屋に住む女性(43)が首を絞められて殺害されているのが見つかりました。
女性の長男で中学3年生の少年(14)がベランダで首を吊って自殺していて、祖母に宛てた遺書には「お母さんとケンカをして許されないことをした」などと書かれていました。
少年は学校を遅刻・欠席しがちなほどネットの戦闘ゲームにのめり込んでいて、事件の前日にはそのことで母親と口論になっていたということです。
韓国政府によると、韓国国内のネット中毒患者はおよそ190万人。今年3月には夫婦そろって「育児ゲーム」にのめり込み、生後3か月の娘を餓死させる事件が起きるなど社会問題化しています。
さらにネット中毒の低年齢化も進んでいて、来年から予防対象を幼児にまで拡大することが決まっています。
**********以上、TBS-iより(2010-11-18)*******
●猛烈な攻撃
この日本では、テレビ・ゲーム、あるいはネットゲームを批判しただけで、猛烈な抗議の嵐にさらされる。
ボロクソに叩かれる。
私も11年前に『ポケモン・カルト』という本を書いた。
が、いまだに、それがつづいている。
興味のある人は、ためしに、「はやし浩司 ポケモンカルト」で検索をかけてみるとよい。
いつも「トンデモ本」のトップにあげられている。
はげしい攻撃の文句もさることながら、どういう人たちが、私を攻撃しているか、どうかそれも知ってほしい。
が、問題は、このことだけではない。
「190万人」という数字である。
人口比からすれば、この日本では、600万人となる。
(日本の人口は、韓国の約3倍。)
そういう人たちは、今、どこで何をしているのか。
何を考えているのか。
日本人だけが特別ということもないだろうし、韓国人だけが特別ということもないはず。
あの事件、つまり光性てんかん事件が起きたとき、全国で数百人の子どもたちが倒れた。
テレビアニメの『ポケモン』を見ていた子どもたちである。
あの事件で不思議なのは、(「謎」と言ってもよいが)、そのあとだれひとり、当該テレビ局に対して、損害賠償、医療費を公(おおやけ)で請求した人がいなかったこと。
裁判にもならなかった。
倒れた子どもたちは闇から闇へと、葬られた。
ついで、あの事件そのものも、闇から闇へと、葬られた。
いったいあの事件は、だれが、どのような形で幕を引いたのか?
実は、今の今もそうである。
数か月前、ある教材社から仕事の依頼があった。
私は引き受けるつもりで、用意していた。
が、そのちょうど1週間後、今度は断ってきた。
いわく「うちもS社(出版社)と取り引きがありまして……」と。
「S社を敵に回したら、仕事もできなくなります」とも。
つまり私が書いた『ポケモン・カルト』が、問題というわけである。
ポケモンは、現在も全盛期。
それはそれで結構なこと。
それが問題というのではない。
私はこの世界は、何かがおかしいと書いている。
それがわからなければ、もう一度、冒頭のあげた記事を読みなおしてみてほしい。
日本の600万人は、どこに隠れているのか?
何をしているのか?
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ポケモンカルト ポケモン・カルト 三一書房 ゲーム中毒 韓国)
(付記)
この問題は、脳のCPU(中央演算装置)がからんでいる。
それだけに、やっかい。
やっかいというのは、中毒患者が自ら、それに気づくということは、まずありえない。
「私は正常」と思い込んでいる。
しかし正常ではない。
正常でないことは、彼らが書く(文章)を読んでみればわかる。
支離滅裂というか、感情をそのまま叩きつけている。
文章というよりも、「文」そのものになっていない。
たとえば……
「お前の子ども……MMMM……ゲームと現実の区別、
ちゃんと、つくのかよ~~~~」(某サイト)と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
2010年の4月に書いた原稿を
添付します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ゲーム脳(ゲーム中毒)
+++++++++++++++++++
この日本では、どうして「ゲーム脳」が
問題にならないのか。
「ゲーム脳」という言葉が悪いなら、
「ゲーム中毒」でもよい。
隣の韓国では、すでに10年以上も前から、
また最近では中国でも、「ゲーム中毒」の
若者たちが、問題になりつつある。
ゲーム中毒の子ども(若者も)を集めた
更正施設や、更正プログラムまで、用意
されている※。
が、この日本では、問題にならない。
「ゲーム脳」という言葉を使って、エッセーを
書いただけで、猛烈な抗議に嵐にさらされる。
ゲームの世界そのものが、カルト化している。
ゲームに日夜夢中になっている子ども(若者)は、
まさにその信者ということになる。
(ためしに、「はやし浩司」で検索してみるとよい。
私を、口汚く中傷しているサイトやBLOGがある。
そのほとんどが、ここでいう「信者」たちである。
私が書いた『ポケモンカルト』(三一書房)などは、
出版してから11年になるが、いまだに叩かれつづ
けている!)
が、日本人だけが特別ということは、ありえない。
日本人の脳みそだけが、韓国人や中国人と、構造が
ちがうということは、ありえない。
今の今も、この日本には、ゲーム中毒の子ども(若者)は、
いる。
日に、何時間も何時間も、ゲームに夢中になっている。
真夜中でも、ゲームに夢中になっている。
が、日本では、そういう子ども(若者)が、どういうわけか、
問題にならない。
考えてみれば、これほどおかしな話はない。
ここでは、別の角度から、「ゲーム脳」について
考えてみたい。
+++++++++++++++++++++++++
●まねる(観察学習)
発達心理学の世界には、「観察学習」という言葉がある。
子どもは、教えられて学ぶことよりも、まわりを観察しながら、自ら学ぶことのほうが多い。
量的に、はるかに多い。
「学習効果」ということを考えるなら、またそのほうがはるかに効果的。
たとえば以前、何かにつけ、ツッパリ始めた子ども(小5男児)がいた。
言動が粗野になり、独特の目つきで、独特の話し方で話すようになった。
「ウッセー」「コノヤロー」と。
紫の地に、金色の刺繍をほどこしたコートを着てきたこともあった。
で、その子どもを、高校生の受験クラスに入れてみた。
高校生の間に座らせて、好きな勉強をさせてみた。
最初は、体をかたくしていたが、週を追うごとに、ぐんぐんと変化していった。
あとで聞いたら、高校生の中の1人を、自分の理想像のように思いようになったらしい。
その高校生は、野球部の部員だった。
その子どもは、日曜日など、こっそりとその試合の応援に出かけたりしていた。
家に帰っても、その高校生の話ばかりするようになった。
これは観察学習というわけではないが、その子どもは、まわりの様子から、多くのものを学んだことになる。
それは「学ぶ」という行為というよりは、「まねる」に近い。
その「まねる」という行為を、「モデリング」という。
●自己認識能力
ものごとは常識で考えよう。
まだ判断力や自己管理能力がじゅうぶん育っていない子どもが、ゲームを相手に、「殺せ!」「やっつけろ!」と叫んで、心によい影響を与えるはずがない。
こんな実験が知られている。
ある一定時間、暴力映画を見せた子どもは、その直後、行動が暴力的になるという(バンデュラ、ほか)。
多くの研究者が、同じような実験結果を報告しているので、今さら改めて説明するまでもない。
つまり子どもというのは、そのつど環境の中で、自分を作っていく。
作られていく。
それもそのはず。
子どもが現実検証能力、つまり自分、あるいは自分と他者との関係、さらには自分の置かれた立場を、客観的に判断できるようになるのは、小学3年生(9歳)以上。
それ以前の子どもには、その能力はない。
たとえば病院や図書館で騒いでいる幼児がいる。
そういう幼児に向かって、「静かにしなさい!」と叱っても、意味はない。
「騒いでいる」「迷惑をかけている」という意識そのものがない。
そういう行為がどういうものかさえ、わかっていない。
叱られたあと静かになるのは、こわいからそうしているだけ。
つまり小学3年生(9歳)以前の子どもに、その判断能力はない。
判断能力がないというよりは、思考力が未熟。
だからこの時期の子どもは、理性や知性を使って「学ぶ」ことよりも、周囲を観察し、それを「まねる」ことによって、自分の思考パターンや行動パターンを
形成していく。
それがモデリングということになる。
●疑わしきは罰する
法律の世界では、『疑わしきは罰せず』という。
が、教育の世界では、『疑わしきは罰する』という。
なんでもあやしいものは、先手先手で、子どもの世界から遠ざける。
安全性が確認されるまで待っていたら、それこそ手遅れになってしまう。
ゲームにしても、しかり。
もちろん中には、良質なソフトもある。
そういうものまで、ひとまとめにして、「反対!」と、私は言っているわけではない。
しかし良質なソフトにまぎれて、悪質なソフトがあるのも事実。
そういう悪質なソフトまで野放しにしては、いけない。
有害とは証明できないかもしれない。
しかし少なくとも、安全と証明されたわけでもない。
だったら、遠ざける。
それくらいの配慮というか、子どもの世界に対する思いやりは、あって当然のことではないか。
……と私は書いている。
●付記
あるBLOGには、こうあった。
「(右脳教育を創始者の)SDも、(ゲームを批判する)はやし浩司も、同じようなもの。
一度、この2人を、バトルさせてみたい」と。
SD氏(2009年死去)は、ゲームは、右脳の刺激になると説いていた。
そのSD氏と私も、同じ、と。
しかし(右脳教育)と(ゲーム脳)とは、どこでどう結びつくのか。
その右脳教育にしても、安全が確認されたわけではない。
むしろ幼児期においては、左脳教育(論理と分析)こそ、重要。
そうでなくても、映像文化に発達とともに、あえて右脳を刺激しなくても、子どもたちは、じゅうぶん過ぎるほどの刺激を受けている。
反対に、今、静かにものを考える子どもが少なくなった。
頭に飛来した情報を、ペラペラと口にする。
しかし中身がない。
薄っぺらい。
子どもたちの世界が、バラエティ番組化している。
「これでいいのか!」と叫んだところで、この話はおしまい。
【補記】
私は、右脳教育には、懐疑的である。
10年以上も前から、そういう趣旨で、原稿を書いてきた。
その気持ちは、いささかもゆらいでいない。
「まちがっている」と言っているのではない。
「あえて必要ない」と言っている。
フォト化とか、直観像とか、いろいろ言われているが、安全が確認されたわけではない。
ある幼児教室の案内書には、こうあった。
「これからは、右脳教育を受けた子どもたちが、ゾロゾロと(東大の)赤門をくぐることになるでしょう」と。
それから10年。
そろそろその結果が出ているはず。
もしSD氏とバトルするようなことがあれば、(天国なら天国でもよいが)、まずそのあたりの資料を出してもらうところから始めたい。
(注※)
●ゲーム脳
+++++++++++++++++
「ゲーム脳」というのは、大脳生理学上の
問題ではない。
「現象」の問題である。
「大脳生理学上、ゲーム脳というのはない」と
説く学者もいる。
その世界では神格化され、「つぎつぎと商品企画
が、もちこまれている」(某雑誌)とか。
結構な話だが、こういう学者は、つぎのような
現象を、どう考えるのだろうか。
産経新聞をそのまま転載させてもらう。
+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++
【産経新聞・10-02-08】
『・・・世界最大となる3億3800万人のインターネット人口を抱える中国で、2400万人の青少年がオンラインゲームやチャットにのめり込む(ネット中毒)に陥っている。中国青少年インターネット協会が8日までに発表した調査結果で明らかになった。
中国のネット人口のうち3分の1は、19歳以下の青少年が占めている。6~29歳の青少年7千人を対象に行われた調査結果によると、ネットに依存している青少年は2007年の9・7%から14%に増加。「ネット中毒」が社会問題化し始めた05年ごろは400万人程度で、4年間で6倍に増えた計算だ。娯楽の少ない発展が遅れている地域に中毒者が多いことも、特徴の一つに挙げられている。
中毒を誘因している一番の原因はオンラインゲームだ。「ネットを通じて何をしているか?」と
の問いに対し、47・9%が「ゲーム」と回答。2位の「アニメや映画、音楽のダウンロード」の23・2%、3位の「チャットで友達を作る」の13・2%を大きく引き離した。
中国では08年11月、人民解放軍北京軍区総医院が策定した「ネット中毒臨床診断基準」を公表し、ネット中毒を「繰り返しネットを使用することで一種の精神障害をきたした状態」と定義
付けた。今回の調査でも、ネット中毒になっていない人の66・5%は「他人を殴るのは間違っている」と答えたのに対し、中毒者は48%にとどまった。
国際情報紙、環球時報(英語版)によると、中国青少年精神保健センターの創設者は「ネット中毒者の40%は、(不注意や衝動的な症状などが出る)注意欠陥・多動性障害といった精神疾患にかかっている」と警鐘を鳴らしている』(以上、産経新聞)。
+++++++++++++以上、産経新聞より++++++++++++++
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ゲーム脳 中国の現状 ゲーム中毒 ネット中毒者 障害 中国のネット中毒者 ゲーム 疑わしきは罰する)
Hiroshi Hayashi++++++April.2010++++++はやし浩司
Are games safe for children?
【ゲームははたして、安全か?】
●子どもとゲーム
(Children & their TV Games)
TV games apparently affect children badly. The English Government has submitted a report,
regarding TV games and its possible dangerousness to children.)
+++++++++++++++++
「ゲームは安全だ」と、がんばっている、愚か者どもよ、
少しは、世界に目を開き、世界の人の意見を聞け!
イギリス政府は、つぎのような報告書を提出した。
まず、それをそのまま紹介する。
+++++++++++++++++
【ロンドン27日・時事通信】
イギリス政府は3月27日(2008)、ビデオゲームやインターネットが、子どもに及ぼす影響に関する報告書を公表、産業界や家庭と協力して対策に取り組む方針を明らかにした。
ゲームのパッケージに「子どもの健康を害する恐れがある」といった警告文が印刷される可能性もありそうだ。
報告書は政府の委託を受けた臨床心理学者が作成。
ゲームによって子供は暴力に対して鈍感になるなどと結論づけた。
また、英国では性と極端な暴力描写を含むゲームについてのみ、年齢制限が設けられているが、制限の拡大を求めた。(ヤフー・ニュースより抜粋)
+++++++++++++++++
この日本でも、「ゲーム脳」という言葉を使って、その危険性を説いた教授がいた。
が、その直後から、その教授のところには、抗議の嵐!
どうして?
一方、「ゲーム脳というのは、ない」「安全です」と説く教授も現れた。
こちらの教授は、ゲームの世界では、今、神様のような存在になっている。
どうして?
危険か、危険でないか、そんなことは、ゲームに夢中になっている子どもを見れば、わかる。
(もちろんゲームの内容にもよるが……。)
明らかに、どこかヘン。
おかしい。
様子もおかしいが、目つきもおかしい。
そうなる。
あるいはあなた自身が、あのテレビゲームをしてみればよい。
数分もしないうちに、頭の中がクラクラしてくるはず。
「殺せ!」「やっつけろ!」と騒ぐ子どもは、まだよいほう。
ほとんどは、無表情のまま。
無表情のまま、うつろな目つきで、指先だけを動かしている。
隣の韓国では、その中毒性が問題になり、各学校に、カウンセラーまで配置される状況になっ
ている。
(知っているか?)
が、この日本では、野放し! まったくの野放し!
私が書いた「ポケモン・カルト」(三一書房)にしても、書いてから9年にもなるのに、いまだに、抗議の書き込みがあとを絶たない。
どうして?
いったい、この日本は、どうなっているのだ!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ゲーム脳 子どもとゲーム 子供とゲーム ゲームの問題性 テレビゲーム はやし浩司 ゲームの危険性 子ども脳 ポケモンカルト はやし浩司 ポケモン・カルト)
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【ゲーム中毒の子どもたち】
●韓国のネット中毒(ゲーム脳)
+++++++++++++++
相変わらず韓国では、ネット中毒
患者による、悲惨な事件がつづいて
いる。
今朝の時事通信も、こんなニュースを
伝えている。
しかしこういうニュースが話題になるだけ、
韓国社会は健全と考えてよい。
この日本では、ニュースにもならない。
なぜか?
そのヒントは、このニュースの末尾に
ある。
よく目を凝らして読んでみてほしい。
++++++++++++++++
********以下、韓国・より**********
【ソウル時事】
韓国南部の釜山で最近、オンラインゲームのやり過ぎをとがめられたことに激高した中学3年の少年が、母親を絞殺し、自らも命を絶つ事件が起きた。
ネット先進国といわれる韓国では、青少年の「ゲーム中毒」が深刻な社会問題となっており、対策が求められている。
韓国メディアによると、少年は幼いころからオンラインゲームにのめり込み、銃や剣を使うゲームを好んでいた。
母親を殺害後、「コンピューターのことでお母さんとけんかをし、興奮してしまった」との遺書を残し、首をつった。
同国では今年2月にも20代の男性が同様の理由で母親を殺害している。
行政安全省傘下の情報化振興院によれば、同国青少年(9~19歳)の12.8%に当たる93万8000人が「ネット中毒」で、このうちの大部分が「オンラインゲーム中毒」とされる。
ゲームをしないと禁断症状が現れ、日常生活への支障がある状態で、アルコールや幻覚剤の中毒と症状が近いという。
学力が低下し、社会に適応できなくなるほか、釜山の事件のように暴力性の高いゲームをやり過ぎ、実際の暴力に及ぶ例もある。
背景には激烈な受験戦争のストレスもあるといわれる。
同院は、ゲーム中毒のまん延は国家的損失とみなし、小中高校への訪問相談や、ゲーム禁止のキャンプなどの対策に取り組んでいる。
午前0~6時の青少年のオンラインゲームを禁じる法改正案も国会に提出された。
しかし、有力な輸出産業であるゲーム業界の反対もあり、立法化に至っておらず、有効な対策をなかなか打ち出せていない。
********以上、韓国・より**********
●禁断症状
時事通信は、「行政安全省傘下の情報化振興院によれば、同国青少年(9~19歳)の12.8%に当たる93万8000人が「ネット中毒」で、このうちの大部分が「オンラインゲーム中毒」とされる」と伝えている。
が、この日本では、ゲームを批判しただけで、熱心なゲーマーから嵐のような抗議を受ける。
どう受けるかは、「ゲーム脳」という言葉を最初に使った、某教授も告白している。
その一方で、「ゲーム脳などというのはありません」と主張した某教授のところには、仕事が殺到し、今ではこの世界では、カリスマ的な存在になっている。
その韓国。
数字が具体的に表示されている。
「……同国青少年(9~19歳)の12.8%に当たる93万8000人がネット中毒」と。
どの程度のレベルを「ネット中毒」と診断してよいのか。
その診断基準はあるのか。
そういった問題点もある。
さらに「パソコン中毒」「携帯電話中毒」とどう区別するのか。
そういった問題点もある。
またゲームといっても、内容はざまざま。
将棋のようなゲームもあれば、スピードを競う、ドライブゲームのようなものもある。
問題になっているのは、「少年は幼いころからオンラインゲームにのめり込み、銃や剣を使うゲームを好んでいた」(時事通信)ということらしい。
が、健全なゲーム(?)だからといって、安心できない。
TBS-iは、こんなニュースも報道している。
**********以下、TBS-iより(2010-11-18)*******
……韓国政府によると、韓国国内のネット中毒患者はおよそ190万人。今年3月には夫婦そろって「育児ゲーム」にのめり込み、生後3か月の娘を餓死させる事件が起きるなど社会問題化しています。
さらにネット中毒の低年齢化も進んでいて、来年から予防対象を幼児にまで拡大することが決まっています。
**********以上、TBS-iより(2010-11-18)*******
「夫婦そろって、育児ゲームにのめりこみ……」と。
「育児ゲームなら問題ないのでは?」という常識は、この世界では、通用しない。
●禁断症状
ゲーム漬けの子どもに、特異な症状が現れることは、教育界では常識。
ほかの子どもたちと比較してみると、それがよくわかる。
「どこかおかしい?」「どこかへん?」という症状に併せて、一度ゲームをさせると、今度は一転、別人のようになってしまう。
その「落差」が、ここでいう「特異な症状」ということになる。
「どこかおかしい?」というのは、たとえばゲームをしていないときは、
(1)ボーッとした表情で何を考えているかわからない。
(2)突発的に、ふつうでない行動に走る。
(3)ものの考え方が衝動的、ゲーム的になる。が、ひとたびゲームをはじめると、
(4)別人のように無表情になり、能面的になる。
(5)何時間もゲームをつづける、など。
もちろん
(6)他者との良好な人間関係が結べなくなる。
そうした子どもについては、たびたび書いてきた。
で、禁断症状についてもたびたび書いてきた。
たとえば携帯電話症候群というのもある。
これは子どもにかぎらない。
おとなでも、さらに家庭の主婦でも、携帯電話を片時も離さない人は多い。
『弁当を忘れても、携帯電話は忘れない』と、そういう人は、よくそう言う。
そういう人から携帯電話を奪ったら……。
やはりここでいう禁断症状が現れる。
中には落ち着いて仕事ができなくなる人も多い。
●ゲーム業界
『……有力な輸出産業であるゲーム業界の反対もあり、立法化に至っておらず、有効な対策
をなかなか打ち出せていない』と。
少し前、「ゲーマーの世界がカルト化している」と書いたことがある。
こうした記事を書くと、すかさず反応(コメントや書き込み)が入る。
「このオッサン……頭がおかしいんじゃないの。
ゲームと現実の区別くらい、つくヨ~~。
テメエの息子たちは、大丈夫なのかヨ~~」と。
こうした批判は、ネットのあちこちに書き込まれているから、興味のある人は、検索をかけてみたらよい。
「はやし浩司」で検索してみれば、100~150番目あたりから、急速にそういった批判が目にとまるようになる。
が、問題は、「ゲーム業界」。
韓国でさえ、こうした「ゲーム業界の力」が働いている。
いわんやこの日本をや……と書きたいが、この日本では、不思議なことに、本当に不思議なことに、「ゲーム中毒」すら話題にならない。
現実はむしろ逆で、あのポケモンにしても、ゲーマーの世界では、「子どもの夢」と位置づけられている。
言い替えると、それだけゲーム業界の「力」が、韓国とは比較にならないほど強いと考えてよい。
日本人の脳みそだけ、ほかのアジア人とはちがうということは、ありえない。
●脳のCPU(中央演算装置)
話はぐんと脱線するが、私はこんな経験をしている。
私が子どものころは、まだ馬に引かれた馬車が、通りを歩いていた。
車も走っていたが、どこか遠慮がちだった。
町中で、庭のある家は、ほとんどなかった。
つまり道路が私たちの遊び場であり、おとなにとっては、職場だった。
私の実家は小さな自転車屋だったが、道路があったおかげで、それなりに仕事ができた。
道路に大きく自転車を並べても、文句を言う人はいなかった。
が、車社会の発展とともに、道路の性格は大きく変わった。
その結果が「現在」ということになる。
とくに歩道のない旧街道のような通りは、悲惨である。
店という店は、総じてシャッターを下ろした。
私の近所にも、「雄踏(ゆうとう)街道」と呼ばれる昔からの街道がある。
が、その街道で今でも商売をつづけている商店は、ほとんどない。
この問題と脳のCPUとどう関係があるか?
つまり今の若い人たちに、「道路の性格は変わった」という話をしても、恐らく理解できないだろうということ。
昔から道路というものは、そういうものだったと思っているにちがいない。
またそういう前提で、ものを考える。
だから道路に植木鉢をひとつ置いただけでも、「じゃま」と、それを排除してしまう。
こうしたズレが積み重なって、「狂い」となる。
あまりよいたとえではないことはわかっている。
たまたまこの原稿を書いているとき、ふと「道路」の話が横切った。
それで書いたが、しかし人は、ある日突然、狂うわけではない。
徐々に少しずつ、時間をかけて狂う。
もちろんたいはんの子どもは、(おとなも)、現実とゲームの世界を区別できる。
が、中には、その区別ができなくなる子どもが、現れる。
それをどう防ぐか。
それが問題と、私は書いている。
++++++++++++++++
古い原稿だが、2003~5年に
かけて書いた原稿を紹介します。
++++++++++++++++
【ゲーム脳】
++++++++++++++++++++
「ゲーム脳はあるのか、それともないのか?」
これについての記事を、「毎日JP」より、抜粋
してみる。
++++++++++++++++++++
●火付け役は、、森昭雄・日本大教授(脳神経科学)。
曰く、
『・・・「15年間、ゲームを毎日7時間やってきた大学生は無表情で、約束が100%守れない」「ゲームは慣れてくると大脳の前頭前野をほとんど使わない。
前頭前野が発達しないとすぐキレる」
森教授は02年、「ゲーム脳」仮説を提唱した。テレビゲームをしている時には脳波の中のベータ波が低下し、認知症に似た状態になると指摘。
その状態が続くと前頭前野の機能が衰えると警告した。
単純明快なストーリーはマスコミに乗って広がり、暴力的な描写に眉(まゆ)をひそめる教育関係者や、ゲームをやめさせたい親に支持された』(毎日JPより)と。
これに対して、「森教授の意見には、学術的な裏付けがない」と批判する人も多い。
『・・・森教授は一般向けの本や講演を通して仮説を広めてきた。
本来、仮説は他の科学者が同じ条件で試すことで初めて科学的な検証を受けるが、その材料となる論文はいまだに発表されていない。
手法にも批判がある。森教授は自ら開発した簡易型脳波計による計測で仮説を組み立てたが、複雑で繊細な脳機能をその手法でとらえるのは不可能、というのが専門家の共通した見方だ』(毎日JPより)と。
●利潤追求の世界
こうした批判を尻目に、ゲーム業界は、大盛況。
その先頭に立たされているのが(?)、東北大加齢医学研究所の川島隆太教授(脳機能イメージング)。
ここで注意しなければならないのは、川島隆太教授自身は、「加齢医学」が専門。
その研究に基づいて、
『・・・認知症の高齢者16人に半年以上学習療法を受けてもらった結果、認知機能テストの成績が上がったと報告。
何もしなかった16人の成績が低下傾向だったことから「認知機能改善に効果がある」と考察した』(2003年)(毎日JPより)と。
これにゲーム業界が飛びついた(?)。
『・・・こうした成果を企業が応用したのが、脳を鍛えるという意味の「脳トレ」だ。06年の流行語となり、川島教授の似顔絵が登場する任天堂のゲームソフト「脳を鍛える大人のDSトレーニング」は、続編も含め1000万本以上を売り上げた』(毎日JPより)と。
こうして今やこの日本は、上も下も、「脳トレ」ブーム。
「1000万本」という数字は、そのほんの一部でしかない。
もちろん批判もある。
『・・・ ただ、脳トレの過熱を心配する声もある。日本神経科学学会会長の津本忠治・理化学研究所脳科学総合研究センターユニットリーダーは、「川島氏の研究は科学的な手続きを踏んでいるが、認知機能の改善が本当に学習療法だけによるかはさらなる研究が必要だ。『改善した』という部分だけが拡大解釈され広がることで、計算さえやれば認知症にならないと思い込む人が出てくるかもしれない」と話す』(毎日Jより)と。
●三つ巴の論争
現在、「ゲーム脳支持派の森教授vsゲーム脳否定派の川島教授」という構図ができあがってしまっている。
しかし実際には、この両教授が、ゲーム脳を間に、対立しているわけではない。
森教授は、「ゲームばかりしていると、危ない」という警鐘を鳴らした。
一方川島教授は、ここにも書いたように、「老人の認知機能」が専門。
その立場で、「脳トレは(ボケ防止には)効果がある」と、自説を発表した。
が、一方、教育の世界には、『疑わしきは罰する』という原則がある。
(私が考えた原則だが・・・。)
完全に安全が確認されるまで、あやしげなものは、子どもの世界からは遠ざけたほうがよい。
事実、私は1日に何時間もゲームばかりしている子どもを、よく知っている。
中には、真夜中に突然起きあがって、ゲームをしている子どももいる。
もともとおかしいから、そうするのか、あるいはゲームばかりしているから、おかしいのか?
それは私にもわからないが、このタイプの子どもは、どこか、おかしい。
そういう印象を与える子どもは、少なくない。
(1)突発的に感情的な行動を繰り返す。
(2)日中、空をぼんやりと見つめるような愚鈍性が現れる、など。
「ゲーム脳」があるかないかという論争はさておき、その(おかしさ)を見たら、だれだって、こう思うにちがいない。
「ゲームは本当に安全なのか?」と。
そうでなくても、「殺せ!」「つぶせ!」「やっつけろ!」と、心の中で叫びながらするゲームが、子どもの心の発育に、よい影響を与えるはずがない。
ものごとは常識で考えたらよい。
(もちろんゲームといっても、内容によるが・・・。)
仮に百歩譲っても、認知症患者に効果があるからといって、子どもや、若い人たちにも効果があるとはかぎらない。
●脳トレへの疑問
私も脳トレなるものを、さまざまな場面で経験している。
それなりに楽しんでいる。
しかし子どもの知能因子という分野で考えるなら、脳トレで扱っている部分は、きわめて狭い世界での訓練にすぎない。
たとえば教育の世界でいう「知的教育」というのは、広大な原野。
脳トレというのは、その広大な原野を見ないで、手元の草花の見分け方をしているようなもの。
あまりよいたとえではないかもしれないが、少なくとも、脳トレというのは、「だからそれがどうしたの?」という部分につながっていかない。
仮にある種の訓練を受けて、それまで使っていなかった脳が活性化されたとする。
それはそれで結構なことだが、「だからといって、それがどうしたの?」となる。
もう少し具体的に書いてみたい。
たとえば脳トレで、つぎのような問題が出たとする。
+++++++++++++
【問】□には、ある共通の漢字が入る。それは何か。
□草、□問
+++++++++++++
答は※だが、こうした訓練を重ねたからといって、それがどうしたの?、となる。
というのも、私はこうして今、文章を書いているが、こうした訓練は、常に、しかも一文ごとにしている。
的確な言葉を使って、わかりやすくものを書く。
的確な言葉をさがすのは、ほんとうに難しい。
さらにそれを文章にし、文章どうしをつなげるのは、ほんとうに難しい。
つまりこうした脳トレを繰り返したところで、(よい文章)が書けるようになるとは、かぎらない。
・・・書けるようになるとも、思わない。
それ以上に重要なことは、本を読むこと。
文章を自分で書くこと。
つまり本を読んだり、文章を書くことが、先に書いた「広大な原野」ということになる。
(※の答は、「質」。)
●疑わしきは罰する
子どもの世界では、疑わしきは罰する。
先手、先手で、そうする。
以前、ゲーム脳について書いた原稿をさがしてみた。
5年前(05年9月)に書いた原稿が見つかった。
それをそのま、手を加えないで、再掲載する。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【ゲーム脳】(05年9月の原稿より)
++++++++++++++++++++++
ゲームばかりしていると、脳ミソがおかしくなるぞ!
+++++++++++++++++++++++
最近、急に脚光を浴びてきた話題に、「ゲーム脳」がある。
ゲームづけになった脳ミソを「ゲーム脳」いう。
このタイプの脳ミソには、特異的な特徴がみられるという。
しかし、「ゲーム脳」とは、何か。NEWS WEB JAPANは、つぎのように報道している(05年8月11日)。
『脳の中で、約35%をしめる前頭葉の中に、前頭前野(人間の拳程の大きさで、記憶、感情、集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分)という、さまざまな命令を身体全体に出す司令塔がある。
この司令塔が、ゲームや携帯メール、過激な映画やビデオ、テレビなどに熱中しすぎると働かなくなり、いわゆる「ゲーム脳」と呼ばれる状態になるという。
それを科学的に証明したのが、東北大のK教授と、日大大学院のM教授である』(以上、NEWS WEB JAPAN※)。
つまりゲーム脳になると、管理能力全般にわたって、影響が出てくるというわけである。
このゲーム脳については、すでに、さまざまな分野で話題になっているから、ここでは、省略する。要するに、子どもは、ゲームづけにしてはいけないということ。
が、私がここで書きたいのは、そのことではない。
この日本では、(世界でもそうかもしれないが)、ゲームを批判したり、批評したりすると、ものすごい抗議が殺到するということ。上記のK教授のもとにも、「多くのいやがらせが、殺到している」(同)という。
考えてみれば、これは、おかしなことではないか。たかがゲームではないか(失礼!)。
どうしてそのゲームのもつ問題性を指摘しただけで、抗議の嵐が、わき起こるのか?
K教授らは、「ゲームばかりしていると、脳に悪い影響を与えますよ」と、むしろ親切心から、そう警告している。それに対して、(いやがらせ)とは!
実は、同じことを私も経験している。5、6年前に、私は「ポケモンカルト」(三一書房)という本を書いた。
そのときも、私のところのみならず、出版社にも、抗議の嵐が殺到した。名古屋市にあるCラジオ局では、1週間にわたって、私の書いた本をネタに、賛否両論の討論会をつづけたという。
が、私が驚いたのは、抗議そのものではない。
そうした抗議をしてきた人のほとんどが、子どもや親ではなく、20代前後の若者、それも男性たちであったということ。
どうして、20代前後の若者たちが、子どものゲームを批評しただけで、抗議をしてくるのか?
出版社の編集部に届いた抗議文の中には、日本を代表する、パソコン雑誌の編集部の男性からのもあった。
「子どもたちの夢を奪うのか!」
「幼児教育をしながら、子どもの夢が理解できないのか!」
「ゲームを楽しむのは、子どもの権利だ!」とか何とか。
私の本の中の、ささいな誤字や脱字、どうでもよいような誤記を指摘してきたのも多かった。
「貴様は、こんな文字も書けないのに、偉そうなことを言うな」とか、「もっと、ポケモンを勉強してからものを書け」とか、など。
(誤字、脱字については、いくら推敲しても、残るもの。
100%、誤字、脱字のない本などない。その本の原稿も、一度、プロの推敲家の目を経ていたのだが……。)
反論しようにも、どう反論したらよいかわからない。
そんな低レベルの抗議である。で、そのときは、「そういうふうに考える人もいるんだなあ」という程度で、私はすませた。
で、今回も、K教授らのもとに、「いやがらせが、殺到している」(同)という。
これはいったい、どういう現象なのか? どう考えたらよいのか?
一つ考えられることは、ゲームに夢中になっている、ゲーマーたちが、横のつながりをもちつつ、カルト化しているのではないかということ。
ゲームを批判されるということは、ゲームに夢中になっている自分たちが批判されるのと同じ……と、彼らは、とらえるらしい(?)。
おかしな論理だが、そう考えると、彼らの心理状態が理解できる。
実は、カルト教団の信者たちも、同じような症状を示す。
自分たちが属する教団が批判されたりすると、あたかも自分という個人が批判されたかのように、それに猛烈に反発したりする。
教団イコール、自分という一体感が、きわめて強い。
あのポケモン全盛期のときも、こんなことがあった。
私が、子どもたちの前で、ふと一言、「ピカチューのどこがかわいいの?」ともらしたときのこと。子どもたちは、その一言で、ヒステリー状態になってしまった。
ギャーと、悲鳴とも怒号ともわからないような声をあげる子どもさえいた。
そういう意味でも、ゲーム脳となった脳ミソをもった人たちと、カルト教団の信者たちとの間には、共通点が多い。
たとえばゲームにハマっている子どもを見ていると、どこか狂信的。
現実と空想の世界の区別すら、できなくなる子どもさえいる。
たまごっちの中の生き物(?)が死んだだけで、ワーワーと大泣きした子ども(小1女児)もいた。
これから先、ゲーム脳の問題は、さらに大きく、マスコミなどでも、とりあげられるようになるだろう。これからも注意深く、監視していきたい。
ところで、今日の(韓国)の新聞によれば、テレビゲームを50時間もしていて、死んでしまった若者がいるそうだ。
たかがゲームと、軽くみることはできない。
注※……K教授は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)と、ファンクショナルMRI(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置で、実際にゲームを使い、数十人を測定した。
そして、2001年に世界に先駆けて、「テレビゲームは前頭前野をまったく発達させることはなく、長時間のテレビゲームをすることによって、脳に悪影響を及ぼす」という実験結果をイギリスで発表した。
この実験結果が発表された後に、ある海外のゲーム・ソフトウェア団体は「非常に狭い見識に基づいたもの」というコメントを発表し、教授の元には多くの嫌がらせも殺到したという(NEWS WEB JAPANの記事より)。
(はやし浩司 ゲーム ゲームの功罪 ゲーム脳 ゲームの危険性)
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●ゲーム脳(2)
【M君、小3のケース】
M君の姉(小5)が、ある日、こう言った。
「うちの弟、夜中でも、起きて、ゲームをしている!」と。
M君の姉とM君(小3)は、同じ部屋で寝ている。
二段ベッドになっていて、上が、姉。
下が、M君。そのM君が、「真夜中に、ガバッと起きて、ゲームを始める。
そのまま朝まで、していることもある」(姉の言葉)と。
M君には、特異な症状が見られた。
祖父が、その少し前、なくなった。その通夜の席でのこと。
M君は、たくさん集まった親類の人たちの間で、ギャーギャーと笑い声で、はしゃいでいたという。
「まるで、パーティでもしているかのようだった」(姉の言葉)と。
祖父は、人一倍、M君をかわいがっていた。
その祖父がなくなったのだから、M君は、さみしがっても、よいはず。
しかし、「はしゃいでいた」と。
私はその話を聞いて、M君はM君なりに、悲しさをごまかしていたのだろうと思った。
しかし別の事件が、そのすぐあとに起きた。
M君が、近くの家の庭に勝手に入り込み、その家で飼っていた犬に、腕をかまれて、大けがをしたというのだ。
その家の人の話では、「庭には人が入れないように、柵がしてあったのですが、M君は、その柵の下から、庭へもぐりこんだようです」とのこと。
こうした一連の行為の原因が、すべてゲームにあるとは思わないが、しかしないとも、言い切れない。こんなことがあった。
M君の姉から、真夜中にゲームをしているという話を聞いた母親が、M君から、ゲームを取りあげてしまった。
その直後のこと。M君は狂ったように、家の中で暴れ、最後は、自分の頭をガラス戸にぶつけ、そのガラス戸を割ってしまったという。
もちろんM君も、額と頬を切り、病院で、10針前後も、縫ってもらうほどのけがをしたという。
そのあまりの異常さに気づいて、しばらくしてから、M君の母親が、私のところに相談にやってきた。
私は、日曜日にときどき、M君を教えるという形で、M君を観察させてもらうことにした。
そのときもまだ、腕や顔に、生々しい、傷のあとが、のこっていた。
そのM君には、いくつかの特徴が見られた。
(1)まるで脳の中の情報が、乱舞しているかのように、話している話題が、めまぐるしく変化した。
時計の話をしていたかと思うと、突然、カレンダーの話になるなど。
(2)感情の起伏がはげしく、突然、落ちこんだかと思うと、パッと元気になって、ギャーと騒ぐ。
イスをゴトゴト動かしたり、机を意味もなく、バタンとたたいて見せたりする。
(3)頭の回転ははやい。しばらくぼんやりとしていたかと思うと、あっという間に、計算問題(割り算)をすませてしまう。
そして「終わったから、帰る」などと言って、あと片づけを始める。
(4)もちろんゲームの話になると、目の色が変わる。
彼がそのとき夢中になっていたのは、N社のGボーイというゲームである。
そのゲーム機器を手にしたとたん、顔つきが能面のように無表情になる。
ゲームをしている間は、目がトロンとし、死んだ、魚の目のようになる。
M君の姉の話では、ひとたびゲームを始めると、そのままの状態で、2~3時間はつづけるそうである。
長いときは、5時間とか、6時間もしているという。
(同じころ、12時間もゲームをしていたという中学生の話を聞いたことがある。)
以前、「脳が乱舞する子ども」という原稿を書いた(中日新聞発表済み)。
それをここに紹介する。もう4、5年前に書いた原稿だが、状況は改善されるどころか、悪化している。
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●子どもの脳が乱舞するとき
●収拾がつかなくなる子ども
「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、
ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。
ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立!
そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。
多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学2、3年になると、症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。30年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ10年、急速にふえた。小1児で、10人に2人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。
●崩壊する学級
「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答えた先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。
「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、「1名以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、90%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(75%)、「友だちをたたく」(66%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(52%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。
●「荒れ」から「新しい荒れ」へ
昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。
「新しい荒れ」とい言葉を使う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。
日教組が98年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」(14%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)と続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「かなり感ずる」「やや感ずる」という先生が、60%(同調査)もいるそうだ。
●原因の一つはイメージ文化?
こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊家庭は少なくなった。
むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。
「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。
●ゲームは右脳ばかり刺激する
こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができない。
浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。
テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。
学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊をあげる。
(付記)
●ふえる学級崩壊
学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。99年1月になされた日教組と全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告されている。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海道や東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りにされた」(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」とも。
北海道のある地方都市で、小学一年生70名について調査したところ、
授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……19人
教師の指示を行動に移せない ……17人
何も言わず教室の外に出て行く ……9人、など(同大会)。
●心を病む教師たち
こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在籍する約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93年度から4年間は毎年210人から220人程度で推移していたが、97年度は、261人。さらに98年度は355人にふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・99年)。
この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、96年度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。
この数字は全休職者の約五二%にあたる。(全国データでは、97年度は休職者が4171人で、精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ状態が約半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者などの対人関係のストレスによるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。
●その対策
現在全国の21自治体では、学級崩壊が問題化している小学1年クラスについて、クラスを1クラス30人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策をとっている(共同通信社まとめ)。
また小学6年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的には、小学1、2年について、新潟県と秋田県がいずれも1クラスを30人に、香川県では40人いるクラスを、2人担任制にし、今後5年間でこの上限を36人まで引きさげる予定だという。
福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小1でクラスが30~36人のばあいでも、もう1人教員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部の小学校では、6年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的に導入している。大分県では、中学1年と3年の英語の授業を、1クラス20人程度で実施している(01年度調べ)。
(はやし浩司 キレる子供 子ども 新しい荒れ 学級崩壊 心を病む教師)
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●失行
近年、「失行」という言葉が、よく聞かれるようになった。
96年に、ドイツのシュルツという医師が使い始めた言葉だという。
失行というのは、本人が、わかっているのに、できない状態をいう。
たとえば風呂から出たとき、パジャマに着がえなさいと、だれかが言ったとする。
本人も、「風呂から出たら、パジャマに着がえなければならない」と、理解している。
しかし風呂から出ると、手当たり次第に、そこらにある衣服を身につけてしまう。
原因は、脳のどこかに何らかのダメージがあるためとされる。
それはさておき、人間が何かの行動をするとき、脳から、同時に別々の信号が発せられるという。行動命令と抑制命令である。
たとえば腕を上下させるときも、腕を上下させろという命令と、その動きを抑制する命令の二つが、同時に発せられる。
だから人間は、(あらゆる動物も)、スムーズな行動(=運動行為)ができる。
行動命令だけだと、まるでカミソリでスパスパとものを切るような動きになる。
抑制命令が強すぎると、行動そのものが、鈍くなり、動作も緩慢になる。
精神状態も、同じように考えられないだろうか。
たとえば何かのことで、カッと頭に血がのぼるようなときがある。
激怒した状態を思い浮かべればよい。
そのとき、同時に、「怒るな」という命令も、働く。
激怒するのを、精神の行動命令とするなら、「怒るな」と命令するのは、精神の抑制命令ということになる。
この「失行」についても、精神の行動命令と、抑制命令という考え方を当てはめると、それなりに、よく理解できる。
たとえば母親が、子どもに向かって、「テーブルの上のお菓子は、食べてはだめ」「それ
は、これから来る、お客さんのためのもの」と話したとする。
そのとき子どもは、「わかった」と言って、その場を去る。
が、母親の姿が見えなくなったとたん、子どもは、テーブルのところへもどってきて、その菓子を食べてしまう。
それを知って、母親は、子どもを、こう叱る。
「どうして、食べたの! 食べてはだめと言ったでしょ!」と。
このとき、子どもは、頭の中では「食べてはだめ」ということを理解していた。
しかし精神の抑制命令が弱く、精神の行動命令を、抑制することができなかった。
だから子どもは、菓子を食べてしまった。
……実は、こうした精神のコントロールをしているのが、前頭連合野と言われている。
そしてこの前頭連合野の働きが、何らかの損傷を受けると、その人は、自分で自分を管理できなくなってしまう。
いわゆるここでいう「失行」という現象が、起きる。
前述のWEB NEWSの記事によれば、「(前頭連合野は)記憶、感情、集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分」とある。
どれ一つをとっても、良好な人間関係を維持するためには、不可欠な働きばかりである。
一説によれば、ゲーム脳の子どもの脳は、この前頭連合野が、「スカスカの状態」になっているそうである。
言うまでもなく、脳には、そのときどきの発達の段階で、「適齢期」というものがある。
その適齢期に、それ相当の、それにふさわしい発達をしておかないと、あとで補充したり、修正したりするということができなくなる。
ここにあげた、感情のコントロール、集団におけるコミュニケーション、創造性な学習能力といったものも、ある時期、適切な指導があってはじめて、子どもは、身につけることができる。
その時期に、ゲーム脳に示されるように、脳の中でもある特異な部分だけが、異常に刺激されることによって、脳のほかの部分の発達が阻害されるであろうことは、門外漢の私にさえ、容易に推察できる。
それが「スカスカの脳」ということになる。
これから先も、この「ゲーム脳」については、注目していきたい。
(補記)大脳生理学の研究に先行して、教育の世界では、現象として、子どもの問題を、先にとらえることは、よくある。
たとえば現在よく話題になる、AD・HD児についても、そういった症状をもつ子どもは、すでに40~50年前から、指摘されていた。
私も、幼児に接するようになって36年になるが、36年前の私でさえ、そういった症状をもった子どもを、ほかの子どもたちと区別することができた。
当時は、もちろん、AD・HD児という言葉はなかった。
診断基準もなかった。だから、「活発型の遅進児」とか、「多動性のある子ども」とか、そう呼んでいた。
「多動児」という言葉が、雑誌などに現れるようになったのは、私が30歳前後のことだから、今から、約30年前ということになる。
ゲーム脳についても、最近は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)や、ファンクショナルMRI(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置などの進歩により、脳の活動そのものを知ることによって、その正体が、明らかにされつつある。
しかし現象としては、今に始まったことではない。私が書いた、「脳が乱舞する子ども」というのは、そういう特異な現象をとりあげた記事である。
(はやし浩司 脳が乱舞する子ども 子供 ゲーム脳 前頭連合野 管理能力 脳に損傷
のある子ども 子供 失行 ドイツ シュルツ 医師 行動命令 抑制命令 はやし浩司
家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし
浩司 ゲーム脳 森教授 川島教授 韓国のゲーム中毒)
Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司
【韓国・朝鮮日報紙の記事より】(はやし浩司 2012-05-05)
●子どもとゲーム脳
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
どういうわけか、この日本では、「子どものゲーム」が、
ほとんど問題にならない。
……というか、話題にもならない。
が、隣の韓国では、ゲーム中毒の子どもが続出し、その
更正施設まである。
日本人と韓国人の脳の構造は、ちがうのか。
が、それはない。
つまり(ちがい)があると考えるほうが、おかしい。
ちがわないとするなら、どうしてこの日本では、「ゲーム」が、
問題にならないのか。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●朝鮮日報紙
このほど朝鮮日報紙が、たいへん骨太の記事を掲載した。
読みごたえのある長編の論文である。
ひとつひとつを吟味していたら、何日もかかるかもしれない。
が、どの一部を取りあげても、かなり衝撃的な内容である。
私たち日本人も、この論文のもつ重大性を、しっかりと認識しなければならない。
じっくりと読んでみたい。
(資料)以下、韓国朝鮮日報紙から転載**********************
【1】
幼児期のゲーム中毒は、脳の正常な発達を阻害する。嘉泉医科大学のキム・ヨンボ教授は「人が頻繁に通る道路が先に舗装されるのと同じで、発達が旺盛な幼児の脳も、刺激を多く受ける部分が特に発達する。幼児期にゲーム中毒に陥ると、脳が視覚的な刺激だけに集中するようになり、嗅覚や触覚などほかの感覚処理能力が低下する」と指摘する。
2010年には米国アイオワ州立大学の研究チームが「1日2時間以上ビデオゲームで遊ぶ子どもは、注意欠陥・多動性障害(ADHD)を発症する可能性が2倍高くなる」と発表した。同研究チームは「子どもがゲームに集中するのは、画面が目まぐるしく切り替わるのが原因」と指摘し、ゲームに熱中する子どもたちは学校の授業をつまらないと感じるようになると説明した。また「ゲームに集中すると、休みなく押し寄せる刺激に脳が適応するようになる。たばこによって、がんを発病する危険性が高まるように、ゲームによってADHDを発症する可能性が高まる」とも説明した。
さらに問題なのは、ゲーム中毒に陥って脳が損傷すると、中毒になる前の正常な状態に戻るのが困難という点だ。韓国科学技術研究院(KIST)脳科学研究所のシン・ヒソプ所長は「麻薬中毒者は治療を受けると、ひとまず正常な行動を取るが、再び麻薬に接すると、一般の人に比べ麻薬に対する欲求がかなり強くなる。ゲーム中毒もこの症状と同じ」と指摘した。
国内外でさまざまな議論があるものの、日本の脳神経科学者、森昭雄・日本大学教授は『ゲーム脳の恐怖』という著書で「脳の神経回路は通常、10歳以前に形成されるが、幼児期にビデオゲームばかりやっていると、ゲームをやめることができなくなる」という論理を展開した。同教授は「幼児期に形成された脳の神経回路のせいで、ゲームをやめることができず、ゲーム機を見ただけで自然に手が動くようになる。ゲームをする年齢は中学生以降、できれば大学生になってからが望ましい」と主張している。
【2】
午後2時。目を覚ますと窓の外が明るい。すぐにパソコンの前に座る。電源を入れっぱなしのパソコンのチャットウィンドウに友人たちが残したメッセージを読みながら、ゲームトーク(音声メッセージをやり取りできるプログラム)を立ち上げ、ヘッドフォンををセットする。長い言葉は必要なかった。
「よく寝たか。ゲームを始めよう」
いつアクセスしても、友人10人ほどがログインしている。私の『スタークラフト』(オンラインゲームの一種)の通算戦績は10万戦7万5000勝。この世界で私を知らない人はいない。かなり実力のある友人たちと2対2で対戦した。私はいつものごとく「ザーグ」(「プロトス」「テラン」と共にスタークラフトの3種族の一つ)を選択し、仲間はプロトスを選んだ。相手も同じ種族を配置する。私は兵力を減らしてドローン(ワーカー)を増やす「12ドローン」という戦略を準備し、偵察したところ、相手は兵力を強化する「9ドローン」の戦略を使っていることが分かった。
ヘッドフォンのマイクで仲間に序盤の戦闘を避けるよう伝えると、防御に専念した。12ドローン戦略は、序盤の防御さえうまく行えば、絶対に9ドローン戦略に勝てる。頭の中には数百、数千パターンの状況に対応する戦略が思い浮かぶ。思ったより時間がかかったが、9分40秒で無難に勝利した。
何時間経過したのか分からない。空腹を感じ、中華料理店にチャジャン麺(ジャージャー麺、日本のラーメンのように庶民的な食事メニュー)とチャンポン、そして焼き餃子を注文した。いつの間にか、暴食した後に眠る習慣がついた。きょうも14時間ほどゲームをしたようだ。普段もこのくらいはプレーしている。
私はこの4年間、親に学費を負担してもらい江原道の大学に籍を置き、小遣いをもらって生活している。だが、大学に行った日数は1カ月に満たない。4年の間、勉強するために親が借りてくれた部屋でゲームばかりしていたことを告げたら、親は何と言うだろうか。不安が募り、暴食しなければ眠れなかった。いつの間にか、70キロ後半だった体重は113キロにまで増えた。
ゲームの世界では、まさに戦績が序列だ。年齢が上でも、ゲームが下手なら敬意を払うことはしない。強い人が指揮を執ってこそ勝てるからだ。ゲーム仲間の中には工場や飲食店で時々働く人もいるが、皆私と似たような状況だ。
【3】
科学者たちは最近、ゲーム中毒に陥った子どもたちの脳が麻薬中毒の脳の状態と同じで、認知能力や感情をコントロールする機能が大幅に低下するという事実を明らかにした。このような子どもたちはさらに暴力的になり、ひどいケースでは注意欠陥・多動性障害(ADHD)のような精神疾患を発症することもあるという。ゲームが子どもたちの脳を破壊しているというわけだ。
ビデオゲームが子どもたちに有害かどうかという問題は、世界中で絶えず議論されている。ゲームが子どもたちの創意・工夫能力や運動能力を発達させるという肯定論もあるが、子どもの脳がゲームによって破壊されるという反対論も根強い。2010年にはこのような議論が米国の最高裁にまで持ち込まれたが、「児童の脳に長期的に悪影響を及ぼすという科学的な証拠がない」との理由でで結論は出なかった。
だが昨年11月、科学専門誌「ネイチャー」が発行する精神医学専門誌「トランスレーショナル・サイキアトリー」に、ゲーム中毒に陥った青少年の脳は麻薬中毒の脳の状態に似ているとの研究結果が掲載され、状況は一変した。ビデオゲームが子どもたちの脳に変化を及ぼすという事実が、科学的に初めて立証されたのだ。
ベルギー・ゲント大学のシモン・クーン博士による国際共同研究チームは、ベルギー、英国、ドイツ、フランス、アイルランドで14歳以下の少年少女154人の脳を撮影し分析を行った。その結果、ゲームで遊ぶ時間が調査対象の平均値(1週間に9時間)を上回る少年少女の脳は、左側の線条体が非常に大きくなっていた。この部分は、脳の中でも快楽に関わる部分で、麻薬中毒に陥ると肥大化することが分かっている。
先日、中国・上海精神健康センターは、オンライン科学誌「公共科学図書館(PLoS)ワン」に、ゲームに熱中するインターネット中毒者の脳で、白質の損傷が確認されたと発表した。白質とは、感情処理や注意・集中、意思決定、認識コントロールなどをつかさどる領域を結ぶ神経線維で、コカインのような麻薬を常習的に乱用すると、この部分が損傷する。
韓国でも09年に同様の研究結果が発表された。盆唐ソウル大学付属病院のキム・サンウン教授(核医学科)は、ゲーム中毒者の脳について、コカイン中毒者と同様の異常が認められることを明らかにした。脳の眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ=前頭葉のうち眼球周辺の一部分)の機能に異変が生じるという。キム教授は「眼窩前頭皮質は、合理的な意思決定や衝動性のコントロールと密接に関わっている領域。ゲーム中毒や麻薬中毒に陥った人は、この部分に異変が生じ、将来のことについて考えることができず目先の利益だけを追求するようになる」と説明した。
ゲーム中毒によって脳が変化すると、行動にも変化が現れる。嘉泉医科大学のキム・ヨンボ教授は「前頭葉は仮想と現実を区別し、刺激を自制する働きを担う。ゲームによる短期的な快楽・刺激が大幅に増えれば、前頭葉が正常に反応しなくなり、その結果、我慢できず深く物事を考えずに行動するADHDを発症する恐れがある」と指摘する。昨年12月には、ドイツのボン大学の研究チームが「生物心理学」誌に掲載した論文で、1週間に平均15時間、1人称シューティングゲーム(ゲームの中の主人公になりきり、的を狙って銃を発射するゲーム)を行った場合、前頭葉中部の活動がゲームをしない人に比べて弱まることが確認されたと発表した。前頭葉中部は、恐怖や攻撃性をコントロールする部分だ。ゲームの影響で脳が暴力に対して鈍感になることが、立証されたわけだ。
韓国国内の脳科学者たちは「ゲーム中毒は一方的に規制したところで根本的な解決は困難だ。政府とゲーム業界が一丸となって、暴力的なゲームが子どもたちの脳に与える影響について研究し、解決策を見いださなければならない」と口をそろえた。
【4】
ソウルに住む主婦イ・ジャヨンさん(35)=仮名=は、タブレット型パソコン「iPad」に夢中の娘ヘインちゃん(3)に絵本を与えたとき、とても驚いた。ヘインちゃんが絵本を指でタッチし、ドラッグするなど、「iPad」を操作するように扱っていたからだ。さらに、「iPad」のように画面が変わるなどの反応がないことに気づくといら立ち、絵本を投げつけて泣き叫んだ。
イさんが子どもに「iPad」を与えたのは教育的な目的からだった。ハングル教育用アプリケーションのクイズゲームなどを利用し、ハングルを楽しく覚えさせようと思ったのだ。ヘインちゃんは一日に何時間もハングルの勉強に集中し、IT(情報技術)機器を上手に使いこなすなど、最初は成功したかのように見えた。外出するときも来客時にも、「iPad」で静かに勉強する娘を、イさんはえらいと感心していた。
しかし数カ月後、事態の深刻さに気づき始めた。同年代の友人が遊びに来ても、ほかの子どもたちが人形やおもちゃのロボットで遊んでいても、ヘインちゃんは「iPad」に夢中だった。初めは目を輝かせていたハングルの学習も進展がなく、同年代の子どもたちに比べ言語駆使能力も遅れを取るようになった。最近イさんは、ヘインちゃんから「iPad」を取り上げるために毎日が「戦争」だ。イさんは「一瞬の間違った考え方が子どもをだめにしてしまったのではないかと思うと、とてもつらい」と話した。
スマートフォンやタブレット型パソコン、携帯ゲーム機などが広く一般家庭に普及し、子どもたちの周囲にはゲームがあふれている。言葉を学び、同世代の子どもたちとの集団生活を学ばなければならない幼児が「ゆりかご」からゲーム中毒の危険にさらされている。初めてゲーム機に触れるときから時間制限などの管理をきちんと行っていればゲーム中毒を防ぐことはできるが、保護者がゲーム中毒の深刻さを知らずに放置していると、子どもたちは文字を読んだり、言葉を習うよりも前からゲームの画面が与える面白さに目がくらみ、ゲーム中毒への道を歩み始める。
カトリック大学ソウル聖母病院のキム・デジン教授は「ゲームをすると、楽しみや快楽を与えるホルモン、ドーパミンの量が増加し、脳がこれに作用することで、ゲーム以外の楽しみを感じられなくなってしまう。そして、大人になってからも本能であるかのようにゲームを求めてしまう危険性がある」と話した。専門家たちは、ゲームを始める時期をできるだけ遅らせることが望ましいと話す。しかし実際に、ゲームに初めて触れる年齢は下がり続けている。
幼児用ゲームの内容が暴力的だったり、扇情的ではないからといって安心してはいけない。インターネット夢希望広場のイ・ヒョンチョセンター長は「美しく穏やかそうなゲームが最も危険だと考えるべきだ。実際に幼いゲーム中毒者の場合は『子ども用』ゲームから始まって、次第に暴力性や扇情性が強いゲームに移行するケースが多い」と話した。
あまり認識されていないが、幼児・小児期のゲーム中毒が青少年になってから深刻化するケースも多い。今年中学校2年のチョ君(14)の母親は「10年前に戻ることができれば…」と毎日後悔している。4歳のときからコンピューターを上手に使いこなしていたチョ君は、共働きの親が放置している間に、メイプルストーリー、スタークラフトのような、中毒性の強いゲームに没頭するようになった。そのためチョ君の父親がパソコンに暗証番号を設定し使えないようにすると、今度はインターネットカフェに出掛けるようになった。チョ君のゲーム中毒で離婚の危機にまで追い詰められた母親は、勤めていた会社を辞めてチョ君の治療に専念するという。母親は「一人でゲームをさせるというのは、子どもに刃物を持たせるのと同じくらい危険なことだと今になって分かった」と話した。
【5】
ギョンス(仮名)=ソウル市江西区加陽洞=は今年4歳だが、言葉をうまく話せない。「水」「お菓子」「ママ」のような短い単語を発するだけで、うまく文章にして話せない。実際、ギョンスの一日の生活の中では言葉があまり必要ない。同年代の友だちとも遊ばず、家に親戚や客が来ても見向きもしない。
ギョンスは1歳を過ぎたばかりのときからゲーム機で遊び始めた。有名なインターネットカフェの運営を手掛ける母親は、結婚後に夫と不和になり、パソコンに没頭するようになった。ギョンスにはゲーム機を与え、一人で遊ばせた。ギョンスは今、オンラインゲームもスマートフォンのゲームも自由に操作する。言葉を覚えるよりも、同世代の友人と過ごすよりも、ゲームに没頭した。母親がゲーム中毒に陥ったギョンスの深刻な症状に気づいたときには、時すでに遅しだった。ゲームを取り上げようとすると泣き叫び、母親をたたくなど、ギョンスは乱暴な行動も見せた。
一日中ゲームに没頭していたギョンスの脳は、世の中との間に壁を作ってしまった。言葉を学び、社会性を身に付け、人間らしい性格を育み、素質を啓発すべきギョンスの脳には、ゲーム以外の何も入り込むことはできなかった。
子どもが喜んで遊ぶからと、深く考えずにゲーム機を与える親、IT機器を上手に使いこなす子どもを「IT神童」と勘違いする親、ゲームでもほかの子に負けてはならないとライバル意識の強い親たちが「幼児ゲーム中毒」の悪影響に頭を抱えている。パソコン、ゲーム機、スマートフォンが各家庭にあふれている昨今、幼い子どものゲーム中毒をめぐり親子げんかをしたことがない家庭はほとんどないだろう。
特に、ゲームに初めて触れる年齢が年々下がっており、ゲーム中毒が韓国の子どもたちに及ぼす影響が次第に増大している。また、幼い子どもほどゲームをする時間が長くなっているのも実情だ。
昨年ゲーム等級委員会が行った実態調査によると、ゲームに初めて触れた平均年齢は2009年の5歳から、昨年は4.8歳へと低下し、1週間にゲームを利用する平均回数も、3-7歳の幼児・児童(3.7回)が、9-18歳の青少年(3回)より多いことが分かった。また、1週間に7回以上ゲームをする幼児・児童も13.5%と、青少年(11.4%)に比べ多かった。チャンセム精神科相談センターの関係者は「病院を訪れる幼児のゲーム中毒者が毎年30%程度増加している」と話した。
ゲーム中毒は、視力・成長発達障害など身体的問題を引き起こすが、最も恐ろしいのは、幼児の脳を破壊してしまうという点(こと)だ。
関東大学明知病院神経精神科のキム・ヒョンス教授は「3-6歳児の脳の発達過程では、脳梁(左右の大脳半球を接続する部分)が著しく発達し、高次的な判断力、思考力、注意集中力と関連する前頭葉が急速に成長する時期。幼児期のゲーム中毒は前頭葉の機能に相当な影響を及ぼし、脳の非正常的発達を招く恐れがある」と警告した。
さらに中毒性も幼児の方が強いと指摘する。ディディム・クリニック(ソウル市蘆原区)のチェ・サンチョル院長は「幼児期のゲーム中毒は、成長過程でいつでも再発する可能性があると言えるほど中毒性が強く、精神健康の問題を引き起こす可能性もある」と警告した。
**************************以上、韓国朝鮮日報紙から転載
●子どもとゲーム
(Children & their TV Games)
TV games apparently affect children badly. The English Government has submitted a report,
regarding TV games and its possible dangerousness to children.)
+++++++++++++++++
「ゲームは安全だ」と、がんばっている、愚か者どもよ、
少しは、世界に目を開き、世界の人の意見を聞け!
イギリス政府は、つぎのような報告書を提出した。
まず、それをそのまま紹介する。
+++++++++++++++++
【ロンドン27日・時事通信】
イギリス政府は3月27日(2008)、ビデオゲームやインターネットが、子どもに及ぼす影響に関する報告書を公表、産業界や家庭と協力して対策に取り組む方針を明らかにした。
ゲームのパッケージに「子どもの健康を害する恐れがある」といった警告文が印刷される可能性もありそうだ。
報告書は政府の委託を受けた臨床心理学者が作成。
ゲームによって子供は暴力に対して鈍感になるなどと結論づけた。
また、英国では性と極端な暴力描写を含むゲームについてのみ、年齢制限が設けられているが、制限の拡大を求めた。(ヤフー・ニュースより抜粋)
+++++++++++++++++
この日本でも、「ゲーム脳」という言葉を使って、その危険性を説いた教授がいた。
が、その直後から、その教授のところには、抗議の嵐!
どうして?
一方、「ゲーム脳というのは、ない」「安全です」と説く教授も現れた。
こちらの教授は、ゲームの世界では、今、神様のような存在になっている。
どうして?
危険か、危険でないか、そんなことは、ゲームに夢中になっている子どもを見れば、わかる。
(もちろんゲームの内容にもよるが……。)
明らかに、どこかヘン。
おかしい。
様子もおかしいが、目つきもおかしい。
そうなる。
あるいはあなた自身が、あのテレビゲームをしてみればよい。
数分もしないうちに、頭の中がクラクラしてくるはず。
「殺せ!」「やっつけろ!」と騒ぐ子どもは、まだよいほう。
ほとんどは、無表情のまま。
無表情のまま、うつろな目つきで、指先だけを動かしている。
隣の韓国では、その中毒性が問題になり、各学校に、カウンセラーまで配置される状況になっ
ている。
(知っているか?)
が、この日本では、野放し! まったくの野放し!
私が書いた「ポケモン・カルト」(三一書房)にしても、書いてから9年にもなるのに、いまだに、抗議の書き込みがあとを絶たない。
どうして?
いったい、この日本は、どうなっているのだ!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ゲーム脳 子どもとゲーム 子供とゲーム ゲームの問題性 テレビゲーム はやし浩司 ゲームの危険性 子ども脳 ポケモンカルト はやし浩司 ポケモン・カルト)
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【ゲーム中毒の子どもたち】
●韓国のネット中毒(ゲーム脳)
+++++++++++++++
相変わらず韓国では、ネット中毒
患者による、悲惨な事件がつづいて
いる。
今朝の時事通信も、こんなニュースを
伝えている。
しかしこういうニュースが話題になるだけ、
韓国社会は健全と考えてよい。
この日本では、ニュースにもならない。
なぜか?
そのヒントは、このニュースの末尾に
ある。
よく目を凝らして読んでみてほしい。
++++++++++++++++
********以下、韓国・より**********
【ソウル時事】
韓国南部の釜山で最近、オンラインゲームのやり過ぎをとがめられたことに激高した中学3年の少年が、母親を絞殺し、自らも命を絶つ事件が起きた。
ネット先進国といわれる韓国では、青少年の「ゲーム中毒」が深刻な社会問題となっており、対策が求められている。
韓国メディアによると、少年は幼いころからオンラインゲームにのめり込み、銃や剣を使うゲームを好んでいた。
母親を殺害後、「コンピューターのことでお母さんとけんかをし、興奮してしまった」との遺書を残し、首をつった。
同国では今年2月にも20代の男性が同様の理由で母親を殺害している。
行政安全省傘下の情報化振興院によれば、同国青少年(9~19歳)の12.8%に当たる93万8000人が「ネット中毒」で、このうちの大部分が「オンラインゲーム中毒」とされる。
ゲームをしないと禁断症状が現れ、日常生活への支障がある状態で、アルコールや幻覚剤の中毒と症状が近いという。
学力が低下し、社会に適応できなくなるほか、釜山の事件のように暴力性の高いゲームをやり過ぎ、実際の暴力に及ぶ例もある。
背景には激烈な受験戦争のストレスもあるといわれる。
同院は、ゲーム中毒のまん延は国家的損失とみなし、小中高校への訪問相談や、ゲーム禁止のキャンプなどの対策に取り組んでいる。
午前0~6時の青少年のオンラインゲームを禁じる法改正案も国会に提出された。
しかし、有力な輸出産業であるゲーム業界の反対もあり、立法化に至っておらず、有効な対策をなかなか打ち出せていない。
********以上、韓国・より**********
●禁断症状
時事通信は、「行政安全省傘下の情報化振興院によれば、同国青少年(9~19歳)の12.8%に当たる93万8000人が「ネット中毒」で、このうちの大部分が「オンラインゲーム中毒」とされる」と伝えている。
が、この日本では、ゲームを批判しただけで、熱心なゲーマーから嵐のような抗議を受ける。
どう受けるかは、「ゲーム脳」という言葉を最初に使った、某教授も告白している。
その一方で、「ゲーム脳などというのはありません」と主張した某教授のところには、仕事が殺到し、今ではこの世界では、カリスマ的な存在になっている。
その韓国。
数字が具体的に表示されている。
「……同国青少年(9~19歳)の12.8%に当たる93万8000人がネット中毒」と。
どの程度のレベルを「ネット中毒」と診断してよいのか。
その診断基準はあるのか。
そういった問題点もある。
さらに「パソコン中毒」「携帯電話中毒」とどう区別するのか。
そういった問題点もある。
またゲームといっても、内容はざまざま。
将棋のようなゲームもあれば、スピードを競う、ドライブゲームのようなものもある。
問題になっているのは、「少年は幼いころからオンラインゲームにのめり込み、銃や剣を使うゲームを好んでいた」(時事通信)ということらしい。
が、健全なゲーム(?)だからといって、安心できない。
TBS-iは、こんなニュースも報道している。
**********以下、TBS-iより(2010-11-18)*******
……韓国政府によると、韓国国内のネット中毒患者はおよそ190万人。今年3月には夫婦そろって「育児ゲーム」にのめり込み、生後3か月の娘を餓死させる事件が起きるなど社会問題化しています。
さらにネット中毒の低年齢化も進んでいて、来年から予防対象を幼児にまで拡大することが決まっています。
**********以上、TBS-iより(2010-11-18)*******
「夫婦そろって、育児ゲームにのめりこみ……」と。
「育児ゲームなら問題ないのでは?」という常識は、この世界では、通用しない。
●禁断症状
ゲーム漬けの子どもに、特異な症状が現れることは、教育界では常識。
ほかの子どもたちと比較してみると、それがよくわかる。
「どこかおかしい?」「どこかへん?」という症状に併せて、一度ゲームをさせると、今度は一転、別人のようになってしまう。
その「落差」が、ここでいう「特異な症状」ということになる。
「どこかおかしい?」というのは、たとえばゲームをしていないときは、
(1)ボーッとした表情で何を考えているかわからない。
(2)突発的に、ふつうでない行動に走る。
(3)ものの考え方が衝動的、ゲーム的になる。が、ひとたびゲームをはじめると、
(4)別人のように無表情になり、能面的になる。
(5)何時間もゲームをつづける、など。
もちろん
(6)他者との良好な人間関係が結べなくなる。
そうした子どもについては、たびたび書いてきた。
で、禁断症状についてもたびたび書いてきた。
たとえば携帯電話症候群というのもある。
これは子どもにかぎらない。
おとなでも、さらに家庭の主婦でも、携帯電話を片時も離さない人は多い。
『弁当を忘れても、携帯電話は忘れない』と、そういう人は、よくそう言う。
そういう人から携帯電話を奪ったら……。
やはりここでいう禁断症状が現れる。
中には落ち着いて仕事ができなくなる人も多い。
●ゲーム業界
『……有力な輸出産業であるゲーム業界の反対もあり、立法化に至っておらず、有効な対策
をなかなか打ち出せていない』と。
少し前、「ゲーマーの世界がカルト化している」と書いたことがある。
こうした記事を書くと、すかさず反応(コメントや書き込み)が入る。
「このオッサン……頭がおかしいんじゃないの。
ゲームと現実の区別くらい、つくヨ~~。
テメエの息子たちは、大丈夫なのかヨ~~」と。
こうした批判は、ネットのあちこちに書き込まれているから、興味のある人は、検索をかけてみたらよい。
「はやし浩司」で検索してみれば、100~150番目あたりから、急速にそういった批判が目にとまるようになる。
が、問題は、「ゲーム業界」。
韓国でさえ、こうした「ゲーム業界の力」が働いている。
いわんやこの日本をや……と書きたいが、この日本では、不思議なことに、本当に不思議なことに、「ゲーム中毒」すら話題にならない。
現実はむしろ逆で、あのポケモンにしても、ゲーマーの世界では、「子どもの夢」と位置づけられている。
言い替えると、それだけゲーム業界の「力」が、韓国とは比較にならないほど強いと考えてよい。
日本人の脳みそだけ、ほかのアジア人とはちがうということは、ありえない。
●脳のCPU(中央演算装置)
話はぐんと脱線するが、私はこんな経験をしている。
私が子どものころは、まだ馬に引かれた馬車が、通りを歩いていた。
車も走っていたが、どこか遠慮がちだった。
町中で、庭のある家は、ほとんどなかった。
つまり道路が私たちの遊び場であり、おとなにとっては、職場だった。
私の実家は小さな自転車屋だったが、道路があったおかげで、それなりに仕事ができた。
道路に大きく自転車を並べても、文句を言う人はいなかった。
が、車社会の発展とともに、道路の性格は大きく変わった。
その結果が「現在」ということになる。
とくに歩道のない旧街道のような通りは、悲惨である。
店という店は、総じてシャッターを下ろした。
私の近所にも、「雄踏(ゆうとう)街道」と呼ばれる昔からの街道がある。
が、その街道で今でも商売をつづけている商店は、ほとんどない。
この問題と脳のCPUとどう関係があるか?
つまり今の若い人たちに、「道路の性格は変わった」という話をしても、恐らく理解できないだろうということ。
昔から道路というものは、そういうものだったと思っているにちがいない。
またそういう前提で、ものを考える。
だから道路に植木鉢をひとつ置いただけでも、「じゃま」と、それを排除してしまう。
こうしたズレが積み重なって、「狂い」となる。
あまりよいたとえではないことはわかっている。
たまたまこの原稿を書いているとき、ふと「道路」の話が横切った。
それで書いたが、しかし人は、ある日突然、狂うわけではない。
徐々に少しずつ、時間をかけて狂う。
もちろんたいはんの子どもは、(おとなも)、現実とゲームの世界を区別できる。
が、中には、その区別ができなくなる子どもが、現れる。
それをどう防ぐか。
それが問題と、私は書いている。
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古い原稿だが、2003~5年に
かけて書いた原稿を紹介します。
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【ゲーム脳】
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「ゲーム脳はあるのか、それともないのか?」
これについての記事を、「毎日JP」より、抜粋
してみる。
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●火付け役は、、森昭雄・日本大教授(脳神経科学)。
曰く、
『・・・「15年間、ゲームを毎日7時間やってきた大学生は無表情で、約束が100%守れない」「ゲームは慣れてくると大脳の前頭前野をほとんど使わない。
前頭前野が発達しないとすぐキレる」
森教授は02年、「ゲーム脳」仮説を提唱した。テレビゲームをしている時には脳波の中のベータ波が低下し、認知症に似た状態になると指摘。
その状態が続くと前頭前野の機能が衰えると警告した。
単純明快なストーリーはマスコミに乗って広がり、暴力的な描写に眉(まゆ)をひそめる教育関係者や、ゲームをやめさせたい親に支持された』(毎日JPより)と。
これに対して、「森教授の意見には、学術的な裏付けがない」と批判する人も多い。
『・・・森教授は一般向けの本や講演を通して仮説を広めてきた。
本来、仮説は他の科学者が同じ条件で試すことで初めて科学的な検証を受けるが、その材料となる論文はいまだに発表されていない。
手法にも批判がある。森教授は自ら開発した簡易型脳波計による計測で仮説を組み立てたが、複雑で繊細な脳機能をその手法でとらえるのは不可能、というのが専門家の共通した見方だ』(毎日JPより)と。
●利潤追求の世界
こうした批判を尻目に、ゲーム業界は、大盛況。
その先頭に立たされているのが(?)、東北大加齢医学研究所の川島隆太教授(脳機能イメージング)。
ここで注意しなければならないのは、川島隆太教授自身は、「加齢医学」が専門。
その研究に基づいて、
『・・・認知症の高齢者16人に半年以上学習療法を受けてもらった結果、認知機能テストの成績が上がったと報告。
何もしなかった16人の成績が低下傾向だったことから「認知機能改善に効果がある」と考察した』(2003年)(毎日JPより)と。
これにゲーム業界が飛びついた(?)。
『・・・こうした成果を企業が応用したのが、脳を鍛えるという意味の「脳トレ」だ。06年の流行語となり、川島教授の似顔絵が登場する任天堂のゲームソフト「脳を鍛える大人のDSトレーニング」は、続編も含め1000万本以上を売り上げた』(毎日JPより)と。
こうして今やこの日本は、上も下も、「脳トレ」ブーム。
「1000万本」という数字は、そのほんの一部でしかない。
もちろん批判もある。
『・・・ ただ、脳トレの過熱を心配する声もある。日本神経科学学会会長の津本忠治・理化学研究所脳科学総合研究センターユニットリーダーは、「川島氏の研究は科学的な手続きを踏んでいるが、認知機能の改善が本当に学習療法だけによるかはさらなる研究が必要だ。『改善した』という部分だけが拡大解釈され広がることで、計算さえやれば認知症にならないと思い込む人が出てくるかもしれない」と話す』(毎日Jより)と。
●三つ巴の論争
現在、「ゲーム脳支持派の森教授vsゲーム脳否定派の川島教授」という構図ができあがってしまっている。
しかし実際には、この両教授が、ゲーム脳を間に、対立しているわけではない。
森教授は、「ゲームばかりしていると、危ない」という警鐘を鳴らした。
一方川島教授は、ここにも書いたように、「老人の認知機能」が専門。
その立場で、「脳トレは(ボケ防止には)効果がある」と、自説を発表した。
が、一方、教育の世界には、『疑わしきは罰する』という原則がある。
(私が考えた原則だが・・・。)
完全に安全が確認されるまで、あやしげなものは、子どもの世界からは遠ざけたほうがよい。
事実、私は1日に何時間もゲームばかりしている子どもを、よく知っている。
中には、真夜中に突然起きあがって、ゲームをしている子どももいる。
もともとおかしいから、そうするのか、あるいはゲームばかりしているから、おかしいのか?
それは私にもわからないが、このタイプの子どもは、どこか、おかしい。
そういう印象を与える子どもは、少なくない。
(1)突発的に感情的な行動を繰り返す。
(2)日中、空をぼんやりと見つめるような愚鈍性が現れる、など。
「ゲーム脳」があるかないかという論争はさておき、その(おかしさ)を見たら、だれだって、こう思うにちがいない。
「ゲームは本当に安全なのか?」と。
そうでなくても、「殺せ!」「つぶせ!」「やっつけろ!」と、心の中で叫びながらするゲームが、子どもの心の発育に、よい影響を与えるはずがない。
ものごとは常識で考えたらよい。
(もちろんゲームといっても、内容によるが・・・。)
仮に百歩譲っても、認知症患者に効果があるからといって、子どもや、若い人たちにも効果があるとはかぎらない。
●脳トレへの疑問
私も脳トレなるものを、さまざまな場面で経験している。
それなりに楽しんでいる。
しかし子どもの知能因子という分野で考えるなら、脳トレで扱っている部分は、きわめて狭い世界での訓練にすぎない。
たとえば教育の世界でいう「知的教育」というのは、広大な原野。
脳トレというのは、その広大な原野を見ないで、手元の草花の見分け方をしているようなもの。
あまりよいたとえではないかもしれないが、少なくとも、脳トレというのは、「だからそれがどうしたの?」という部分につながっていかない。
仮にある種の訓練を受けて、それまで使っていなかった脳が活性化されたとする。
それはそれで結構なことだが、「だからといって、それがどうしたの?」となる。
もう少し具体的に書いてみたい。
たとえば脳トレで、つぎのような問題が出たとする。
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【問】□には、ある共通の漢字が入る。それは何か。
□草、□問
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答は※だが、こうした訓練を重ねたからといって、それがどうしたの?、となる。
というのも、私はこうして今、文章を書いているが、こうした訓練は、常に、しかも一文ごとにしている。
的確な言葉を使って、わかりやすくものを書く。
的確な言葉をさがすのは、ほんとうに難しい。
さらにそれを文章にし、文章どうしをつなげるのは、ほんとうに難しい。
つまりこうした脳トレを繰り返したところで、(よい文章)が書けるようになるとは、かぎらない。
・・・書けるようになるとも、思わない。
それ以上に重要なことは、本を読むこと。
文章を自分で書くこと。
つまり本を読んだり、文章を書くことが、先に書いた「広大な原野」ということになる。
(※の答は、「質」。)
●疑わしきは罰する
子どもの世界では、疑わしきは罰する。
先手、先手で、そうする。
以前、ゲーム脳について書いた原稿をさがしてみた。
5年前(05年9月)に書いた原稿が見つかった。
それをそのま、手を加えないで、再掲載する。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【ゲーム脳】(05年9月の原稿より)
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ゲームばかりしていると、脳ミソがおかしくなるぞ!
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最近、急に脚光を浴びてきた話題に、「ゲーム脳」がある。
ゲームづけになった脳ミソを「ゲーム脳」いう。
このタイプの脳ミソには、特異的な特徴がみられるという。
しかし、「ゲーム脳」とは、何か。NEWS WEB JAPANは、つぎのように報道している(05年8月11日)。
『脳の中で、約35%をしめる前頭葉の中に、前頭前野(人間の拳程の大きさで、記憶、感情、集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分)という、さまざまな命令を身体全体に出す司令塔がある。
この司令塔が、ゲームや携帯メール、過激な映画やビデオ、テレビなどに熱中しすぎると働かなくなり、いわゆる「ゲーム脳」と呼ばれる状態になるという。
それを科学的に証明したのが、東北大のK教授と、日大大学院のM教授である』(以上、NEWS WEB JAPAN※)。
つまりゲーム脳になると、管理能力全般にわたって、影響が出てくるというわけである。
このゲーム脳については、すでに、さまざまな分野で話題になっているから、ここでは、省略する。要するに、子どもは、ゲームづけにしてはいけないということ。
が、私がここで書きたいのは、そのことではない。
この日本では、(世界でもそうかもしれないが)、ゲームを批判したり、批評したりすると、ものすごい抗議が殺到するということ。上記のK教授のもとにも、「多くのいやがらせが、殺到している」(同)という。
考えてみれば、これは、おかしなことではないか。たかがゲームではないか(失礼!)。
どうしてそのゲームのもつ問題性を指摘しただけで、抗議の嵐が、わき起こるのか?
K教授らは、「ゲームばかりしていると、脳に悪い影響を与えますよ」と、むしろ親切心から、そう警告している。それに対して、(いやがらせ)とは!
実は、同じことを私も経験している。5、6年前に、私は「ポケモンカルト」(三一書房)という本を書いた。
そのときも、私のところのみならず、出版社にも、抗議の嵐が殺到した。名古屋市にあるCラジオ局では、1週間にわたって、私の書いた本をネタに、賛否両論の討論会をつづけたという。
が、私が驚いたのは、抗議そのものではない。
そうした抗議をしてきた人のほとんどが、子どもや親ではなく、20代前後の若者、それも男性たちであったということ。
どうして、20代前後の若者たちが、子どものゲームを批評しただけで、抗議をしてくるのか?
出版社の編集部に届いた抗議文の中には、日本を代表する、パソコン雑誌の編集部の男性からのもあった。
「子どもたちの夢を奪うのか!」
「幼児教育をしながら、子どもの夢が理解できないのか!」
「ゲームを楽しむのは、子どもの権利だ!」とか何とか。
私の本の中の、ささいな誤字や脱字、どうでもよいような誤記を指摘してきたのも多かった。
「貴様は、こんな文字も書けないのに、偉そうなことを言うな」とか、「もっと、ポケモンを勉強してからものを書け」とか、など。
(誤字、脱字については、いくら推敲しても、残るもの。
100%、誤字、脱字のない本などない。その本の原稿も、一度、プロの推敲家の目を経ていたのだが……。)
反論しようにも、どう反論したらよいかわからない。
そんな低レベルの抗議である。で、そのときは、「そういうふうに考える人もいるんだなあ」という程度で、私はすませた。
で、今回も、K教授らのもとに、「いやがらせが、殺到している」(同)という。
これはいったい、どういう現象なのか? どう考えたらよいのか?
一つ考えられることは、ゲームに夢中になっている、ゲーマーたちが、横のつながりをもちつつ、カルト化しているのではないかということ。
ゲームを批判されるということは、ゲームに夢中になっている自分たちが批判されるのと同じ……と、彼らは、とらえるらしい(?)。
おかしな論理だが、そう考えると、彼らの心理状態が理解できる。
実は、カルト教団の信者たちも、同じような症状を示す。
自分たちが属する教団が批判されたりすると、あたかも自分という個人が批判されたかのように、それに猛烈に反発したりする。
教団イコール、自分という一体感が、きわめて強い。
あのポケモン全盛期のときも、こんなことがあった。
私が、子どもたちの前で、ふと一言、「ピカチューのどこがかわいいの?」ともらしたときのこと。子どもたちは、その一言で、ヒステリー状態になってしまった。
ギャーと、悲鳴とも怒号ともわからないような声をあげる子どもさえいた。
そういう意味でも、ゲーム脳となった脳ミソをもった人たちと、カルト教団の信者たちとの間には、共通点が多い。
たとえばゲームにハマっている子どもを見ていると、どこか狂信的。
現実と空想の世界の区別すら、できなくなる子どもさえいる。
たまごっちの中の生き物(?)が死んだだけで、ワーワーと大泣きした子ども(小1女児)もいた。
これから先、ゲーム脳の問題は、さらに大きく、マスコミなどでも、とりあげられるようになるだろう。これからも注意深く、監視していきたい。
ところで、今日の(韓国)の新聞によれば、テレビゲームを50時間もしていて、死んでしまった若者がいるそうだ。
たかがゲームと、軽くみることはできない。
注※……K教授は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)と、ファンクショナルMRI(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置で、実際にゲームを使い、数十人を測定した。
そして、2001年に世界に先駆けて、「テレビゲームは前頭前野をまったく発達させることはなく、長時間のテレビゲームをすることによって、脳に悪影響を及ぼす」という実験結果をイギリスで発表した。
この実験結果が発表された後に、ある海外のゲーム・ソフトウェア団体は「非常に狭い見識に基づいたもの」というコメントを発表し、教授の元には多くの嫌がらせも殺到したという(NEWS WEB JAPANの記事より)。
(はやし浩司 ゲーム ゲームの功罪 ゲーム脳 ゲームの危険性)
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●ゲーム脳(2)
【M君、小3のケース】
M君の姉(小5)が、ある日、こう言った。
「うちの弟、夜中でも、起きて、ゲームをしている!」と。
M君の姉とM君(小3)は、同じ部屋で寝ている。
二段ベッドになっていて、上が、姉。
下が、M君。そのM君が、「真夜中に、ガバッと起きて、ゲームを始める。
そのまま朝まで、していることもある」(姉の言葉)と。
M君には、特異な症状が見られた。
祖父が、その少し前、なくなった。その通夜の席でのこと。
M君は、たくさん集まった親類の人たちの間で、ギャーギャーと笑い声で、はしゃいでいたという。
「まるで、パーティでもしているかのようだった」(姉の言葉)と。
祖父は、人一倍、M君をかわいがっていた。
その祖父がなくなったのだから、M君は、さみしがっても、よいはず。
しかし、「はしゃいでいた」と。
私はその話を聞いて、M君はM君なりに、悲しさをごまかしていたのだろうと思った。
しかし別の事件が、そのすぐあとに起きた。
M君が、近くの家の庭に勝手に入り込み、その家で飼っていた犬に、腕をかまれて、大けがをしたというのだ。
その家の人の話では、「庭には人が入れないように、柵がしてあったのですが、M君は、その柵の下から、庭へもぐりこんだようです」とのこと。
こうした一連の行為の原因が、すべてゲームにあるとは思わないが、しかしないとも、言い切れない。こんなことがあった。
M君の姉から、真夜中にゲームをしているという話を聞いた母親が、M君から、ゲームを取りあげてしまった。
その直後のこと。M君は狂ったように、家の中で暴れ、最後は、自分の頭をガラス戸にぶつけ、そのガラス戸を割ってしまったという。
もちろんM君も、額と頬を切り、病院で、10針前後も、縫ってもらうほどのけがをしたという。
そのあまりの異常さに気づいて、しばらくしてから、M君の母親が、私のところに相談にやってきた。
私は、日曜日にときどき、M君を教えるという形で、M君を観察させてもらうことにした。
そのときもまだ、腕や顔に、生々しい、傷のあとが、のこっていた。
そのM君には、いくつかの特徴が見られた。
(1)まるで脳の中の情報が、乱舞しているかのように、話している話題が、めまぐるしく変化した。
時計の話をしていたかと思うと、突然、カレンダーの話になるなど。
(2)感情の起伏がはげしく、突然、落ちこんだかと思うと、パッと元気になって、ギャーと騒ぐ。
イスをゴトゴト動かしたり、机を意味もなく、バタンとたたいて見せたりする。
(3)頭の回転ははやい。しばらくぼんやりとしていたかと思うと、あっという間に、計算問題(割り算)をすませてしまう。
そして「終わったから、帰る」などと言って、あと片づけを始める。
(4)もちろんゲームの話になると、目の色が変わる。
彼がそのとき夢中になっていたのは、N社のGボーイというゲームである。
そのゲーム機器を手にしたとたん、顔つきが能面のように無表情になる。
ゲームをしている間は、目がトロンとし、死んだ、魚の目のようになる。
M君の姉の話では、ひとたびゲームを始めると、そのままの状態で、2~3時間はつづけるそうである。
長いときは、5時間とか、6時間もしているという。
(同じころ、12時間もゲームをしていたという中学生の話を聞いたことがある。)
以前、「脳が乱舞する子ども」という原稿を書いた(中日新聞発表済み)。
それをここに紹介する。もう4、5年前に書いた原稿だが、状況は改善されるどころか、悪化している。
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●子どもの脳が乱舞するとき
●収拾がつかなくなる子ども
「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、
ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。
ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立!
そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。
多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学2、3年になると、症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。30年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ10年、急速にふえた。小1児で、10人に2人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。
●崩壊する学級
「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答えた先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。
「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、「1名以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、90%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(75%)、「友だちをたたく」(66%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(52%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。
●「荒れ」から「新しい荒れ」へ
昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。
「新しい荒れ」とい言葉を使う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。
日教組が98年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」(14%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)と続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「かなり感ずる」「やや感ずる」という先生が、60%(同調査)もいるそうだ。
●原因の一つはイメージ文化?
こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊家庭は少なくなった。
むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。
「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。
●ゲームは右脳ばかり刺激する
こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができない。
浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。
テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。
学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊をあげる。
(付記)
●ふえる学級崩壊
学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。99年1月になされた日教組と全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告されている。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海道や東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りにされた」(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」とも。
北海道のある地方都市で、小学一年生70名について調査したところ、
授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……19人
教師の指示を行動に移せない ……17人
何も言わず教室の外に出て行く ……9人、など(同大会)。
●心を病む教師たち
こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在籍する約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93年度から4年間は毎年210人から220人程度で推移していたが、97年度は、261人。さらに98年度は355人にふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・99年)。
この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、96年度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。
この数字は全休職者の約五二%にあたる。(全国データでは、97年度は休職者が4171人で、精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ状態が約半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者などの対人関係のストレスによるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。
●その対策
現在全国の21自治体では、学級崩壊が問題化している小学1年クラスについて、クラスを1クラス30人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策をとっている(共同通信社まとめ)。
また小学6年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的には、小学1、2年について、新潟県と秋田県がいずれも1クラスを30人に、香川県では40人いるクラスを、2人担任制にし、今後5年間でこの上限を36人まで引きさげる予定だという。
福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小1でクラスが30~36人のばあいでも、もう1人教員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部の小学校では、6年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的に導入している。大分県では、中学1年と3年の英語の授業を、1クラス20人程度で実施している(01年度調べ)。
(はやし浩司 キレる子供 子ども 新しい荒れ 学級崩壊 心を病む教師)
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●失行
近年、「失行」という言葉が、よく聞かれるようになった。
96年に、ドイツのシュルツという医師が使い始めた言葉だという。
失行というのは、本人が、わかっているのに、できない状態をいう。
たとえば風呂から出たとき、パジャマに着がえなさいと、だれかが言ったとする。
本人も、「風呂から出たら、パジャマに着がえなければならない」と、理解している。
しかし風呂から出ると、手当たり次第に、そこらにある衣服を身につけてしまう。
原因は、脳のどこかに何らかのダメージがあるためとされる。
それはさておき、人間が何かの行動をするとき、脳から、同時に別々の信号が発せられるという。行動命令と抑制命令である。
たとえば腕を上下させるときも、腕を上下させろという命令と、その動きを抑制する命令の二つが、同時に発せられる。
だから人間は、(あらゆる動物も)、スムーズな行動(=運動行為)ができる。
行動命令だけだと、まるでカミソリでスパスパとものを切るような動きになる。
抑制命令が強すぎると、行動そのものが、鈍くなり、動作も緩慢になる。
精神状態も、同じように考えられないだろうか。
たとえば何かのことで、カッと頭に血がのぼるようなときがある。
激怒した状態を思い浮かべればよい。
そのとき、同時に、「怒るな」という命令も、働く。
激怒するのを、精神の行動命令とするなら、「怒るな」と命令するのは、精神の抑制命令ということになる。
この「失行」についても、精神の行動命令と、抑制命令という考え方を当てはめると、それなりに、よく理解できる。
たとえば母親が、子どもに向かって、「テーブルの上のお菓子は、食べてはだめ」「それ
は、これから来る、お客さんのためのもの」と話したとする。
そのとき子どもは、「わかった」と言って、その場を去る。
が、母親の姿が見えなくなったとたん、子どもは、テーブルのところへもどってきて、その菓子を食べてしまう。
それを知って、母親は、子どもを、こう叱る。
「どうして、食べたの! 食べてはだめと言ったでしょ!」と。
このとき、子どもは、頭の中では「食べてはだめ」ということを理解していた。
しかし精神の抑制命令が弱く、精神の行動命令を、抑制することができなかった。
だから子どもは、菓子を食べてしまった。
……実は、こうした精神のコントロールをしているのが、前頭連合野と言われている。
そしてこの前頭連合野の働きが、何らかの損傷を受けると、その人は、自分で自分を管理できなくなってしまう。
いわゆるここでいう「失行」という現象が、起きる。
前述のWEB NEWSの記事によれば、「(前頭連合野は)記憶、感情、集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分」とある。
どれ一つをとっても、良好な人間関係を維持するためには、不可欠な働きばかりである。
一説によれば、ゲーム脳の子どもの脳は、この前頭連合野が、「スカスカの状態」になっているそうである。
言うまでもなく、脳には、そのときどきの発達の段階で、「適齢期」というものがある。
その適齢期に、それ相当の、それにふさわしい発達をしておかないと、あとで補充したり、修正したりするということができなくなる。
ここにあげた、感情のコントロール、集団におけるコミュニケーション、創造性な学習能力といったものも、ある時期、適切な指導があってはじめて、子どもは、身につけることができる。
その時期に、ゲーム脳に示されるように、脳の中でもある特異な部分だけが、異常に刺激されることによって、脳のほかの部分の発達が阻害されるであろうことは、門外漢の私にさえ、容易に推察できる。
それが「スカスカの脳」ということになる。
これから先も、この「ゲーム脳」については、注目していきたい。
(補記)大脳生理学の研究に先行して、教育の世界では、現象として、子どもの問題を、先にとらえることは、よくある。
たとえば現在よく話題になる、AD・HD児についても、そういった症状をもつ子どもは、すでに40~50年前から、指摘されていた。
私も、幼児に接するようになって36年になるが、36年前の私でさえ、そういった症状をもった子どもを、ほかの子どもたちと区別することができた。
当時は、もちろん、AD・HD児という言葉はなかった。
診断基準もなかった。だから、「活発型の遅進児」とか、「多動性のある子ども」とか、そう呼んでいた。
「多動児」という言葉が、雑誌などに現れるようになったのは、私が30歳前後のことだから、今から、約30年前ということになる。
ゲーム脳についても、最近は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)や、ファンクショナルMRI(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置などの進歩により、脳の活動そのものを知ることによって、その正体が、明らかにされつつある。
しかし現象としては、今に始まったことではない。私が書いた、「脳が乱舞する子ども」というのは、そういう特異な現象をとりあげた記事である。
(はやし浩司 脳が乱舞する子ども 子供 ゲーム脳 前頭連合野 管理能力 脳に損傷
のある子ども 子供 失行 ドイツ シュルツ 医師 行動命令 抑制命令 はやし浩司
家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし
浩司 ゲーム脳 森教授 川島教授 韓国のゲーム中毒)
Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司
【韓国・朝鮮日報紙の記事より】(はやし浩司 2012-05-05)
●子どもとゲーム脳
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
どういうわけか、この日本では、「子どものゲーム」が、
ほとんど問題にならない。
……というか、話題にもならない。
が、隣の韓国では、ゲーム中毒の子どもが続出し、その
更正施設まである。
日本人と韓国人の脳の構造は、ちがうのか。
が、それはない。
つまり(ちがい)があると考えるほうが、おかしい。
ちがわないとするなら、どうしてこの日本では、「ゲーム」が、
問題にならないのか。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●朝鮮日報紙
このほど朝鮮日報紙が、たいへん骨太の記事を掲載した。
読みごたえのある長編の論文である。
ひとつひとつを吟味していたら、何日もかかるかもしれない。
が、どの一部を取りあげても、かなり衝撃的な内容である。
私たち日本人も、この論文のもつ重大性を、しっかりと認識しなければならない。
じっくりと読んでみたい。
(資料)以下、韓国朝鮮日報紙から転載**********************
【1】
幼児期のゲーム中毒は、脳の正常な発達を阻害する。嘉泉医科大学のキム・ヨンボ教授は「人が頻繁に通る道路が先に舗装されるのと同じで、発達が旺盛な幼児の脳も、刺激を多く受ける部分が特に発達する。幼児期にゲーム中毒に陥ると、脳が視覚的な刺激だけに集中するようになり、嗅覚や触覚などほかの感覚処理能力が低下する」と指摘する。
2010年には米国アイオワ州立大学の研究チームが「1日2時間以上ビデオゲームで遊ぶ子どもは、注意欠陥・多動性障害(ADHD)を発症する可能性が2倍高くなる」と発表した。同研究チームは「子どもがゲームに集中するのは、画面が目まぐるしく切り替わるのが原因」と指摘し、ゲームに熱中する子どもたちは学校の授業をつまらないと感じるようになると説明した。また「ゲームに集中すると、休みなく押し寄せる刺激に脳が適応するようになる。たばこによって、がんを発病する危険性が高まるように、ゲームによってADHDを発症する可能性が高まる」とも説明した。
さらに問題なのは、ゲーム中毒に陥って脳が損傷すると、中毒になる前の正常な状態に戻るのが困難という点だ。韓国科学技術研究院(KIST)脳科学研究所のシン・ヒソプ所長は「麻薬中毒者は治療を受けると、ひとまず正常な行動を取るが、再び麻薬に接すると、一般の人に比べ麻薬に対する欲求がかなり強くなる。ゲーム中毒もこの症状と同じ」と指摘した。
国内外でさまざまな議論があるものの、日本の脳神経科学者、森昭雄・日本大学教授は『ゲーム脳の恐怖』という著書で「脳の神経回路は通常、10歳以前に形成されるが、幼児期にビデオゲームばかりやっていると、ゲームをやめることができなくなる」という論理を展開した。同教授は「幼児期に形成された脳の神経回路のせいで、ゲームをやめることができず、ゲーム機を見ただけで自然に手が動くようになる。ゲームをする年齢は中学生以降、できれば大学生になってからが望ましい」と主張している。
【2】
午後2時。目を覚ますと窓の外が明るい。すぐにパソコンの前に座る。電源を入れっぱなしのパソコンのチャットウィンドウに友人たちが残したメッセージを読みながら、ゲームトーク(音声メッセージをやり取りできるプログラム)を立ち上げ、ヘッドフォンををセットする。長い言葉は必要なかった。
「よく寝たか。ゲームを始めよう」
いつアクセスしても、友人10人ほどがログインしている。私の『スタークラフト』(オンラインゲームの一種)の通算戦績は10万戦7万5000勝。この世界で私を知らない人はいない。かなり実力のある友人たちと2対2で対戦した。私はいつものごとく「ザーグ」(「プロトス」「テラン」と共にスタークラフトの3種族の一つ)を選択し、仲間はプロトスを選んだ。相手も同じ種族を配置する。私は兵力を減らしてドローン(ワーカー)を増やす「12ドローン」という戦略を準備し、偵察したところ、相手は兵力を強化する「9ドローン」の戦略を使っていることが分かった。
ヘッドフォンのマイクで仲間に序盤の戦闘を避けるよう伝えると、防御に専念した。12ドローン戦略は、序盤の防御さえうまく行えば、絶対に9ドローン戦略に勝てる。頭の中には数百、数千パターンの状況に対応する戦略が思い浮かぶ。思ったより時間がかかったが、9分40秒で無難に勝利した。
何時間経過したのか分からない。空腹を感じ、中華料理店にチャジャン麺(ジャージャー麺、日本のラーメンのように庶民的な食事メニュー)とチャンポン、そして焼き餃子を注文した。いつの間にか、暴食した後に眠る習慣がついた。きょうも14時間ほどゲームをしたようだ。普段もこのくらいはプレーしている。
私はこの4年間、親に学費を負担してもらい江原道の大学に籍を置き、小遣いをもらって生活している。だが、大学に行った日数は1カ月に満たない。4年の間、勉強するために親が借りてくれた部屋でゲームばかりしていたことを告げたら、親は何と言うだろうか。不安が募り、暴食しなければ眠れなかった。いつの間にか、70キロ後半だった体重は113キロにまで増えた。
ゲームの世界では、まさに戦績が序列だ。年齢が上でも、ゲームが下手なら敬意を払うことはしない。強い人が指揮を執ってこそ勝てるからだ。ゲーム仲間の中には工場や飲食店で時々働く人もいるが、皆私と似たような状況だ。
【3】
科学者たちは最近、ゲーム中毒に陥った子どもたちの脳が麻薬中毒の脳の状態と同じで、認知能力や感情をコントロールする機能が大幅に低下するという事実を明らかにした。このような子どもたちはさらに暴力的になり、ひどいケースでは注意欠陥・多動性障害(ADHD)のような精神疾患を発症することもあるという。ゲームが子どもたちの脳を破壊しているというわけだ。
ビデオゲームが子どもたちに有害かどうかという問題は、世界中で絶えず議論されている。ゲームが子どもたちの創意・工夫能力や運動能力を発達させるという肯定論もあるが、子どもの脳がゲームによって破壊されるという反対論も根強い。2010年にはこのような議論が米国の最高裁にまで持ち込まれたが、「児童の脳に長期的に悪影響を及ぼすという科学的な証拠がない」との理由でで結論は出なかった。
だが昨年11月、科学専門誌「ネイチャー」が発行する精神医学専門誌「トランスレーショナル・サイキアトリー」に、ゲーム中毒に陥った青少年の脳は麻薬中毒の脳の状態に似ているとの研究結果が掲載され、状況は一変した。ビデオゲームが子どもたちの脳に変化を及ぼすという事実が、科学的に初めて立証されたのだ。
ベルギー・ゲント大学のシモン・クーン博士による国際共同研究チームは、ベルギー、英国、ドイツ、フランス、アイルランドで14歳以下の少年少女154人の脳を撮影し分析を行った。その結果、ゲームで遊ぶ時間が調査対象の平均値(1週間に9時間)を上回る少年少女の脳は、左側の線条体が非常に大きくなっていた。この部分は、脳の中でも快楽に関わる部分で、麻薬中毒に陥ると肥大化することが分かっている。
先日、中国・上海精神健康センターは、オンライン科学誌「公共科学図書館(PLoS)ワン」に、ゲームに熱中するインターネット中毒者の脳で、白質の損傷が確認されたと発表した。白質とは、感情処理や注意・集中、意思決定、認識コントロールなどをつかさどる領域を結ぶ神経線維で、コカインのような麻薬を常習的に乱用すると、この部分が損傷する。
韓国でも09年に同様の研究結果が発表された。盆唐ソウル大学付属病院のキム・サンウン教授(核医学科)は、ゲーム中毒者の脳について、コカイン中毒者と同様の異常が認められることを明らかにした。脳の眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ=前頭葉のうち眼球周辺の一部分)の機能に異変が生じるという。キム教授は「眼窩前頭皮質は、合理的な意思決定や衝動性のコントロールと密接に関わっている領域。ゲーム中毒や麻薬中毒に陥った人は、この部分に異変が生じ、将来のことについて考えることができず目先の利益だけを追求するようになる」と説明した。
ゲーム中毒によって脳が変化すると、行動にも変化が現れる。嘉泉医科大学のキム・ヨンボ教授は「前頭葉は仮想と現実を区別し、刺激を自制する働きを担う。ゲームによる短期的な快楽・刺激が大幅に増えれば、前頭葉が正常に反応しなくなり、その結果、我慢できず深く物事を考えずに行動するADHDを発症する恐れがある」と指摘する。昨年12月には、ドイツのボン大学の研究チームが「生物心理学」誌に掲載した論文で、1週間に平均15時間、1人称シューティングゲーム(ゲームの中の主人公になりきり、的を狙って銃を発射するゲーム)を行った場合、前頭葉中部の活動がゲームをしない人に比べて弱まることが確認されたと発表した。前頭葉中部は、恐怖や攻撃性をコントロールする部分だ。ゲームの影響で脳が暴力に対して鈍感になることが、立証されたわけだ。
韓国国内の脳科学者たちは「ゲーム中毒は一方的に規制したところで根本的な解決は困難だ。政府とゲーム業界が一丸となって、暴力的なゲームが子どもたちの脳に与える影響について研究し、解決策を見いださなければならない」と口をそろえた。
【4】
ソウルに住む主婦イ・ジャヨンさん(35)=仮名=は、タブレット型パソコン「iPad」に夢中の娘ヘインちゃん(3)に絵本を与えたとき、とても驚いた。ヘインちゃんが絵本を指でタッチし、ドラッグするなど、「iPad」を操作するように扱っていたからだ。さらに、「iPad」のように画面が変わるなどの反応がないことに気づくといら立ち、絵本を投げつけて泣き叫んだ。
イさんが子どもに「iPad」を与えたのは教育的な目的からだった。ハングル教育用アプリケーションのクイズゲームなどを利用し、ハングルを楽しく覚えさせようと思ったのだ。ヘインちゃんは一日に何時間もハングルの勉強に集中し、IT(情報技術)機器を上手に使いこなすなど、最初は成功したかのように見えた。外出するときも来客時にも、「iPad」で静かに勉強する娘を、イさんはえらいと感心していた。
しかし数カ月後、事態の深刻さに気づき始めた。同年代の友人が遊びに来ても、ほかの子どもたちが人形やおもちゃのロボットで遊んでいても、ヘインちゃんは「iPad」に夢中だった。初めは目を輝かせていたハングルの学習も進展がなく、同年代の子どもたちに比べ言語駆使能力も遅れを取るようになった。最近イさんは、ヘインちゃんから「iPad」を取り上げるために毎日が「戦争」だ。イさんは「一瞬の間違った考え方が子どもをだめにしてしまったのではないかと思うと、とてもつらい」と話した。
スマートフォンやタブレット型パソコン、携帯ゲーム機などが広く一般家庭に普及し、子どもたちの周囲にはゲームがあふれている。言葉を学び、同世代の子どもたちとの集団生活を学ばなければならない幼児が「ゆりかご」からゲーム中毒の危険にさらされている。初めてゲーム機に触れるときから時間制限などの管理をきちんと行っていればゲーム中毒を防ぐことはできるが、保護者がゲーム中毒の深刻さを知らずに放置していると、子どもたちは文字を読んだり、言葉を習うよりも前からゲームの画面が与える面白さに目がくらみ、ゲーム中毒への道を歩み始める。
カトリック大学ソウル聖母病院のキム・デジン教授は「ゲームをすると、楽しみや快楽を与えるホルモン、ドーパミンの量が増加し、脳がこれに作用することで、ゲーム以外の楽しみを感じられなくなってしまう。そして、大人になってからも本能であるかのようにゲームを求めてしまう危険性がある」と話した。専門家たちは、ゲームを始める時期をできるだけ遅らせることが望ましいと話す。しかし実際に、ゲームに初めて触れる年齢は下がり続けている。
幼児用ゲームの内容が暴力的だったり、扇情的ではないからといって安心してはいけない。インターネット夢希望広場のイ・ヒョンチョセンター長は「美しく穏やかそうなゲームが最も危険だと考えるべきだ。実際に幼いゲーム中毒者の場合は『子ども用』ゲームから始まって、次第に暴力性や扇情性が強いゲームに移行するケースが多い」と話した。
あまり認識されていないが、幼児・小児期のゲーム中毒が青少年になってから深刻化するケースも多い。今年中学校2年のチョ君(14)の母親は「10年前に戻ることができれば…」と毎日後悔している。4歳のときからコンピューターを上手に使いこなしていたチョ君は、共働きの親が放置している間に、メイプルストーリー、スタークラフトのような、中毒性の強いゲームに没頭するようになった。そのためチョ君の父親がパソコンに暗証番号を設定し使えないようにすると、今度はインターネットカフェに出掛けるようになった。チョ君のゲーム中毒で離婚の危機にまで追い詰められた母親は、勤めていた会社を辞めてチョ君の治療に専念するという。母親は「一人でゲームをさせるというのは、子どもに刃物を持たせるのと同じくらい危険なことだと今になって分かった」と話した。
【5】
ギョンス(仮名)=ソウル市江西区加陽洞=は今年4歳だが、言葉をうまく話せない。「水」「お菓子」「ママ」のような短い単語を発するだけで、うまく文章にして話せない。実際、ギョンスの一日の生活の中では言葉があまり必要ない。同年代の友だちとも遊ばず、家に親戚や客が来ても見向きもしない。
ギョンスは1歳を過ぎたばかりのときからゲーム機で遊び始めた。有名なインターネットカフェの運営を手掛ける母親は、結婚後に夫と不和になり、パソコンに没頭するようになった。ギョンスにはゲーム機を与え、一人で遊ばせた。ギョンスは今、オンラインゲームもスマートフォンのゲームも自由に操作する。言葉を覚えるよりも、同世代の友人と過ごすよりも、ゲームに没頭した。母親がゲーム中毒に陥ったギョンスの深刻な症状に気づいたときには、時すでに遅しだった。ゲームを取り上げようとすると泣き叫び、母親をたたくなど、ギョンスは乱暴な行動も見せた。
一日中ゲームに没頭していたギョンスの脳は、世の中との間に壁を作ってしまった。言葉を学び、社会性を身に付け、人間らしい性格を育み、素質を啓発すべきギョンスの脳には、ゲーム以外の何も入り込むことはできなかった。
子どもが喜んで遊ぶからと、深く考えずにゲーム機を与える親、IT機器を上手に使いこなす子どもを「IT神童」と勘違いする親、ゲームでもほかの子に負けてはならないとライバル意識の強い親たちが「幼児ゲーム中毒」の悪影響に頭を抱えている。パソコン、ゲーム機、スマートフォンが各家庭にあふれている昨今、幼い子どものゲーム中毒をめぐり親子げんかをしたことがない家庭はほとんどないだろう。
特に、ゲームに初めて触れる年齢が年々下がっており、ゲーム中毒が韓国の子どもたちに及ぼす影響が次第に増大している。また、幼い子どもほどゲームをする時間が長くなっているのも実情だ。
昨年ゲーム等級委員会が行った実態調査によると、ゲームに初めて触れた平均年齢は2009年の5歳から、昨年は4.8歳へと低下し、1週間にゲームを利用する平均回数も、3-7歳の幼児・児童(3.7回)が、9-18歳の青少年(3回)より多いことが分かった。また、1週間に7回以上ゲームをする幼児・児童も13.5%と、青少年(11.4%)に比べ多かった。チャンセム精神科相談センターの関係者は「病院を訪れる幼児のゲーム中毒者が毎年30%程度増加している」と話した。
ゲーム中毒は、視力・成長発達障害など身体的問題を引き起こすが、最も恐ろしいのは、幼児の脳を破壊してしまうという点(こと)だ。
関東大学明知病院神経精神科のキム・ヒョンス教授は「3-6歳児の脳の発達過程では、脳梁(左右の大脳半球を接続する部分)が著しく発達し、高次的な判断力、思考力、注意集中力と関連する前頭葉が急速に成長する時期。幼児期のゲーム中毒は前頭葉の機能に相当な影響を及ぼし、脳の非正常的発達を招く恐れがある」と警告した。
さらに中毒性も幼児の方が強いと指摘する。ディディム・クリニック(ソウル市蘆原区)のチェ・サンチョル院長は「幼児期のゲーム中毒は、成長過程でいつでも再発する可能性があると言えるほど中毒性が強く、精神健康の問題を引き起こす可能性もある」と警告した。
**************************以上、韓国朝鮮日報紙から転載
`Sho-fu-kaku, Yaidu Shizuoka, Japan
●子育てに自信がなくなった母親
【SRさんより、はやし浩司へ】
[題名] 自分の育て方に自信がもてなくなりました。
[投稿者]SR
小4男児の母です。
息子が2才の時に離婚しました。
父親はいません。
3年から、スポ少に入りました。
スポ少も初めは頑張って行っていましたが、最近は行きたがらなくなりました。
本人は『身体はやりたいけど、いざ行くときになると脳が行きたくないと言う』などと言っています。
祖父母と一緒に暮らしています。
行かないと、周りの皆に迷惑かかる、と、私や祖父母は言っています。
そのせいかどうかわかりませんが、最近は小遣いが足りないといっては、財布からお金を取ったりします。
学校も行きたくないとか、こんな家族要らないから、『死ね!』と言ったりします。
何か、信頼関係が無くなってしまったようにも感じます。
これから先、どう接して行ったらいいか分からなくなってきました。
父親が必要なのでしょうか。
家のみんなは敵、……みたいな感じに思っているのでしょうか。
どうか、アドバイスお願いします。
【はやし浩司より、SRさんへ】
文面からすると、息子さんは、かなり自分勝手で、わがまま。
いわゆるドラ息子症候群による症状が、いくつか出ています。
しかしこのことと、離婚、もしくは母子家庭と結びつけないほうがよいでしょう。
原因は、甘やかしと、きびしさ。
どこかでアンバランスな生活が日常化しているとみます。
たとえば、子どもの言いなりになる一方で、ときにガミガミと強く叱るなど。
また子どもは小3~4前後で、親離れを始めます。
思春期前夜にかかり、情緒も不安定になります。
幼児に戻ったり、おとなぶってみたりを繰り返しながら、徐々に、つぎの思春期を迎えます。
私はこれを「揺り戻し」と呼んでいます。
親としては、どう接したらよいのか、たいへんわかりにくくなる時期です。
で、今の状況では、(1)信頼関係を取り戻そうなどとは、思わないこと。
(子どもは親の愛情を試すようなことを繰り返すようになります。
いちいちそれに引き回されないこと。
親は親で、つまり堂々としています。
「嫌われても構わない!」という態度を示します。)
(2)あなたはあなたで、やるべきことをし、それですまします。
子どもの機嫌を取らないこと。
淡々と、親としてやるべきことをやる、です。
(3)信頼関係は作るものではなく、日々の生活の結果として、(できる)ものです。
それには10年単位の時間が必要です。
感情的な子育てになっていませんか。
短気な子育てをしていませんか。
もしそうなら、子どもの問題ではなく、あなた自身の問題ということになります。
コツは、(1)今以上に、状態を悪くしないことだけを考えなら、子どもの様子をみます。
半年単位で、少しでもよくなれば、御の字。
(2)こうした子どもの非行(盗みなど)は、「まだ以前のほうがよかった……」ということを繰り返しながら、2番底、3番底へと落ちていきます。
親があせればあせるほど、そうなります。
だから性急に、「直そう」などとは、思ってはいけません。
親がドタバタすればするほど、子育ては泥沼に入ってしまいます。
盗みについては、お金の管理を徹底するという方法で、対処します。
たとえばここであせれば、(たとえば子どもの側からみて、愛情に不安感を覚えたりするほどまでに強く叱ったりすると)、夜遊び、外泊、家出……と進んでいく可能性もあるということです。
(それが2番底、3番底という意味です。)
スポーツ少年団については、子どもの判断に任せたらよいでしょう。
ひょっとしたら、やがてスポーツ少年団をやめる程度のことでは、すまなくなります。
信頼関係がなくなった……ではなく、あなた自身が、子どものことをまったく信じていない。
短い文面だけでは、よくわかりませんが、私には、そんな感じがします。
以上が、私がここでアドバイスできることです。
情報が不足しているので、何とも言えません。
なお「父親が必要でしょうか」という心配ですが、祖父母が近くにいるということですから、今は、考えなくてもよいでしょう。
年齢的にも、父親がいればそれで問題が解決するというような問題ではないように、思います。
新しい父親(?)を連れてきても、かえって失敗します。
(私は成功例を知りません。)
あなたはあなたで、(すべきこと)、たとえば仕事でも家事でも、すべきことをします。
仮に20歳くらいまで、子どもの心があなたから離れたとしても、それはそれ。
やがてそれを子どもの側が理解するときがやってきます。
もう少し長い目で、子育てを見つめてみてください。
最近、「ファミリス」という雑誌に、「筋(すじ)と限度」という原稿を書きました。
参考までに、ここに掲載しておきます。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【愛と甘やかし】
●「許して忘れる」
(愛)ほど、ばく然とした概念はないですね。
が、尺度がないわけではないわけではありません。
「許して、忘れる」。
英語では、「For/give & For/get」といいます。
この英文を注意深く読むと、「子どもに愛を与えるために許し、子どもに愛を与えるために忘れる」とも読めますね。
その度量の深さで、親の愛は決まる……と考えてください。
が、「許して忘れる」と言っても、もちろん子どもに、好き勝手なことをさせろという意味ではありません。
親は子どものできの悪さを見せつけられるたびに、悩み、苦しみ、ときには、袋小路へと叩き落とされます。
子どもにかぎらず、人を愛するということは、それほどまでに、つらいこと。
ときに身を引き裂かれるような思いをすることもあります。
ホレホレと子どもを抱いたり、頬ずりするのは、愛でも何でもありません。
そんなことなら、そこらのイヌやネコでもしていますよ。
●誤解
が、この日本には、大きな誤解があります。
子どもに楽しい思いをさせること、楽をさせること、それが「親の愛」と。
また「それによって、親子の絆は太くなる」と。
が、実際には、逆効果。
一度、保護、依存の関係ができると、それを断ち切るのは容易なことではありません。
「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言った高校生がいました。
結婚式の費用について、親が、「半分くらいなら……」と言ったら、それに対して激怒。
「親なら、親らしく責任を取れ。結婚式の費用ぐらい出せ」と迫った、息子もいました。
規範のない、盲目的なでき愛を、(愛)と誤解している人は多いですね。
俗にいう、子どもを甘やかしながら、甘やかしていること自体に気がついていない。
結果、子どもは、ドラ息子、ドラ娘になります。
今や1億、総ドラ息子、ドラ娘と言ってよいほど、このタイプの子どもは多いですよ。
自分勝手で、わがまま。
自己中心的で、利己的。
生活への耐性も失われます。
ある女の子(小4)は、突然、タクシーで家まで帰ってきました。
「どうして?」と話しを聞くと、こう答えたそうです。
「おばちゃんの家のトイレは汚れていて、気持ち悪かったから」と。
ドラ息子、ドラ娘になればなったで、苦労するのは、結局は子ども自身ということになります。
●筋(すじ)
それがどういうものであれ、子育てには、一本の(筋)が必要。
わかりやすく言えば、(一貫性)。
具体的には、YES/NOをはっきり伝え、筋を通す。その筋がなくなったとき、親の心にスキが生まれ、子どもはそのスキをついて、ドラ息子、ドラ娘になります。
その筋のないことを、「甘やかし」といいます。
親の愛とは、基本的には、まったく異質のものと考えてください。
あのバートランド・ラッセル※は、こう書き残しています。
『親として、必要なことはする。しかし決してその限度を超えてはいけません。そんな親のみが、真の家族の喜びを与えられます』と。
(限度)をわきまえている親を、賢い親といいます。
親になるのは、簡単なこと。
しかし賢い親になるのは、本当にむずかしい。
一生のテーマと考えてよいほど、むずかしい。
安易に、節度のない愛に溺れてはいけません。
※…イギリス・ノーベル文学賞受賞者、哲学者)
2012/03/16
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【親の愛情と発達障害】(橋下徹大阪市長の「発達障害がい、愛情欠如説」について)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
橋下大阪市長が、とうとうというか、ついに、「発達障害」という言葉を使った。
いわく「発達障がいの主因は親の愛情欠如」と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●発達障害
最近では、公文書などでは、「発達障がい」と、「害」を「がい」と表記するようになった。
が、この方法は、かえって「害」を強調することになるのでは?
「ボケ」を「認知症」と言い換え、さらに最近ではまた「ボケ」と言うようになった。
その反対の例が、「馬鹿」。
「ホース&ディア(馬と鹿)」と言われて怒る、外人はいない。
が、日本では、「馬鹿」と言えば、さげすみ語になっている。
つまり言葉というのは、漢字の問題ではないということ。
だったら「発達障外」などと表記すればよい。
「発達問題」でもよい。
表記方法はいくらでもある。
●MSN(産経ニュース)より
『……橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」大阪市議団が議会提出する方針の条例案の発達障害をめぐる規定に当事者らから反発の声があがり、橋下市長が3日から4日にかけ短文投稿サイト「ツイッター」で「発達障がいの主因を親の愛情欠如と位置付け、愛情さえ注げば発達障がいを防ぐことができるというのは科学的ではない」などとコメント。
事態の収拾を図ろうとしている』(以上、MSNより)と。
●発達障害・遺伝説
今では発達障害・遺伝説が常識化している。
「親の育て方にも問題がある」などと書いたりすると、抗議の嵐にさらされる。
BLOGなどへの辛らつな書き込みもふえる。
中には、「死ね!」というのもあった。
しかし発達障害の「種」は、どんな子どもにもある、と私は見る。
程度の差もあるだろう。
たとえば、親がはげしく叱ったため、1人2役の独り言を言うようになった女児の例を私は知っている。
それまでは、ごくふつうの子どもだった。
そのとき、その女児は、2歳だった。
母親はこう言った。
「2役といっても、まったくの別人格。
気味が悪いです」と。
さらに4歳のとき、風呂の水を出しっぱなしにして遊んでいた男児がいた。
そのため2階から1階まで、水浸し。
(その子どもの家では、風呂は2階にあった。)
それを見た祖父が、尋常でない叱り方をした。
とたん、その子どもは、様子がおかしくなった。
空を見つめ、ブツブツと、訳のわからないことを口にするようになった。
病院へ連れていくと、「自閉症」と診断された。
その男児も、それまでは、ごくふつうの子どもだった。
これら2例は、私がまだ30代のはじめ、経験した話である。
すべてを遺伝で考えることはできない。
仮にそういう遺伝的要素があっても、発達障害児にならないケースもあるのでは?
一方、仮にそれまで遺伝的症状がなくても、ある事件をきっかけに、症状が出るということもある。
ただし、兄弟姉妹、さらには、親子、親類縁者に、似たような症状を示す人が多いことも、事実。
そういう点では、私も「遺伝説」を支持する。
●育て方
が、意伝説を支持するにしても、つぎの2つのことに注意したらよい。
(1)引き金を引かない
(2)症状をこじらせない
先にも書いたように、生まれながらにして症状を示すケースもないわけではない。
しかし生まれながら(=生後直後)に、それを診断できるケースは、これまた常識で考えても、ありえない。
(あの新生児を見て、~~障害と判断できる専門家はいない。
ただし脳の器質障害については、脳波の測定などにより可能かもしれない。)
ただ生後まもなくの段階で、親が様子のおかしさに気づき、無理をするケースがある。
たとえば夜泣きがはげしかったりすると、強く叱ったりする、など。
が、強く叱れば叱るほど、子どもの心は(ゆがむ)。
どう(ゆがむ)かは、ケースバイケースだが、ともかくも、その後、何らかの症状となって現れる。
さらによくあるケースは、たとえばかん黙児や、AD・HD児のばあい。
3~4歳児になると、症状が現れてくる。
が、その段階で、親は、そういった「障害」をもっていることに気づかず、無理に無理を重ねる。
はげしく叱ったり、さらには暴力を加えたりすることもある。
これが症状を複雑化する。
こじらせる。
放っておいても、小学3~4年生(10歳前後)で、こうした症状は快方に向かう。
子ども自身がもつ、自己管理能力が発達するためである。
脳には、自らを正常化するという機能が、備わっている。
要するに脳の機能障害というのは、そういうもの。
それを薬物などで治そうとするから、かえって症状が長引いたり、悪化したりする。
「リタリン」を例にあげるまでもない。
つまり遺伝説は遺伝説として、後天的に、引き金を引いたり、さらに不適切な指導、対処によって、症状を悪化させたり、こじらせるということもあるということ。
すべての症状が遺伝的に、つまり生まれながらにプログラム化されているわけではない。
●愛情欠如?
橋下市長は、「愛情欠如」という言葉を使った。
これに対して、当事者らから反発の声があがったという。
当然である。
発達障害は、愛情の問題ではない。
愛情がなければ問題だが、愛情があっても、発達障害を示す子どもは、いる。
LD児などは、その一例ということになる。
一方で、愛情がなくても、健常児に育つ子どもも、これまたいくらでもいる。
つまり(愛情)と(発達障害)の間には、因果関係はない。
が、あるとすれば、先にも書いたように、後天的に(引き金を引いたり)、(無知が原因で、症状をこじらせる)というケースである。
これは遺伝ではない。
どこかで親の愛情に結びついている。
「親の愛情がもう少し深ければ、こうまで症状はこじれなかっただろうな」というケースは、少なくない。
だから橋下氏の意見には、一理あるということになる。
が、あくまでも「一理」。
●暴走
橋下氏は、若い。
経験不足。
認識不足。
そういった面は、多々見られる。
それがときとして、暴走する。
今回の「愛情欠如説」も、そのひとつ。
まあ、率直に言えば、危なっかしいが、それが橋下氏の魅力でもある。
ふつうの人なら、これだけで気が滅入ってしまうだろう。
もの書きなら、ツィッターを閉鎖し、筆を折ってしまうかもしれない。
が、橋下氏は、へこたれない。
その強靱さに、私は別の魅力を感ずる。
……というように、橋下氏を擁護し、この話は、ここまで。
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 2012年 5月 18日
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休みます。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【焼津・Hotel Ambia 松風閣にて】
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
午後になり、少し昼寝。
起きたのが、1時半。
「2時に行こう」と私。
目的地は焼津(やいづ)。
焼津の市内で、夕食。
そのまま近くのホテルで1泊。
Hotel・Ambia・松風閣。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●北朝鮮の人工衛星(光明星1号)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
今日、北朝鮮の人工衛星について書いた。
アクセス数が多かったこともあるが、
書き足りなかった点もあるので、改めて
書き足してみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
ここ数日、週刊現代誌に載っていた、北朝鮮の人工衛星なる模型が気になってしかたない。
現在、ピョンヤンの「電子工業館」に展示してある模型は、前回、北朝鮮が打ち上げた人工衛星、「光明星1号」の模型という。
模型だから、本物ではない。
しかしまったくの、創造物とは言い難い。
もちろん、おもちゃではない。
こうした展示館で模型を飾るときは、常識として、できるだけ本物に近いものを並べる。
たいていは、予備に作った本物を並べる。
古今東西、どこの展示館でも、そうしている。
だから週刊現代誌で紹介されている人工衛星は、かぎりなく本物(?)に近いものと考えてよい。
しかし疑問がいくつかある。
●スプートニック1号、2号
北朝鮮の人工衛星を見て、まず気がつくのは、その形状。
一見して、旧ソ連が打ち上げた、スプートニック1号および2号にそっくり。
球形で、アンテナが斜め後方に4本、伸びている。
スプートニック1号および2号の写真と、北朝鮮の人工衛星の写真を並べて、紹介する。
なおスプートニック1号、2号というのは、スプートニク計画により、1950年代後半に旧ソ連によって地球を回る軌道上に打ち上げられた、人類初の無人人工衛星をいう。
(1950年代だぞ!)

(スプートニック1号)

(スプートニック2号)

(北朝鮮の人工衛星)
この3枚の写真を見比べただけでも、北朝鮮の人工衛星がいかに「おもちゃ風」であるかがわかる。
おもちゃでなければ、サッカーボール。
あるいはクラブやディスコの天井につり下げてある、ミラーボール。
週刊現代誌は、「おもちゃイムニダ」と皮肉っている。
●疑問(1)アンテナ
アンテナを見たとき、最初にこう思った。
「これはラジカセのアンテナ?」と。
よく見ると、1本のアンテナが3段に分かれている。
携帯用のアンテナなら、伸縮できるように、3段にしたりする。
しかし人工衛星では、それは必要ではない。
仮に必要であるとしても、いったい、だれがどのようにして伸したり、縮めたりするのか。
が、さらに詳しく見ると、3段になったアンテナが、その接続部で、溶接らしきものがほどこしてあるのがわかる。
写真でも見ても、それぞれの部分が、不揃いにふくらんでいる。

(北朝鮮の人工衛星・3段になったアンテナ)

(北朝鮮の人工衛星・アンテナ付け根部分)
仮にこれが人工衛星であるとしても、数百億円もかけて宇宙へ飛ばす価値があるのだろうか。
反対に、数百億円もかけて飛ばすくらいなら、もう少しその価値のあるものを打ち上げるのではないだろうか。
この矛盾を、どう考えたらよいのか。
●着色の謎
謎はまだつづく。
宇宙では、温度の差が問題となる。
たとえば月面では、昼は+120℃、夜はー150℃になる。
月は自転をしているので、昼の蓄熱と夜の冷却が繰り返され、まだ温度差は小さい。
では、宇宙ではどうか。
回転していなければ、太陽の光の当たる表面は、限界温度、裏はー270℃近くになる。
そのため人工衛星は、温度を平均化するため、回転するようにできている。
とくに人間が居住するような人工衛星は、そうである。
が、もし機器を積んだだけの人工衛星であれば、「熱」だけを考えればよい。
電子機器は、「冷え」には強いが、「熱」には弱い。
そこで人工衛星は、スプートニック1号、2号のように、熱を反射するため、ピカピカに磨かれる。
ところが、である。
北朝鮮の人工衛星は、ピカピカどころか、着色してある。
わざわざ着色した理由は何なのか。
つまりここが不自然。
●本物と模型
私は子どものころから、プラモデルを作るのが趣味だった。
そのプラモデル。
よくできたプラモデルほど、本物に近い。
たとえば飛行機にしても、それぞれの部品には意味がある。
意味のない部品は、ない。
「こんなところに、こんなものがついている。何だろう……」と考えていくと、かならず、その答がある。
とくに戦闘機のばあいは、無駄がない。
もちろん飾りもない。
(塗装は別だが……。)
一方、たとえばガンダムのようなプラモデルは、言うなれば、「ウソの塊(かたまり)」。
もっともらしい部品は無数についているが、みんなウソ。
そこにある部品の意味を考えても意味は、ない。
すべてが作者の想像力から生まれた、「飾り」である。
つまり本物をもとにしたプラモデルと創作をもとにしたプラモデルのちがいは、ここにある。
で、人工衛星のばあいは、どうか。
……とあえて問題を提起するまでもなく、無駄なものは、いっさい、ない。
飾りも、いっさい、ない。
戦闘機のような塗装も、ない。
そんな必要もないし、そんなことをすれば、重くなるだけ。
その人工衛星に着色がしてある?
タイルごとに、2色が使われている?
しかも人工衛星の本体は、球形ではなく、多面体。
昔見た、ウルトラマンの映画にも、こんな人工衛星は出てこない。
●つづく疑問
もう一度、スプートニック2号の写真を見てほしい。
スプートニック2号は、ロケット本体に、きちんと格納してある。
つまりこの状態で宇宙へ飛んでいく。
つまり宇宙へ届いたら、カプセルが開き、人工衛星は外へ放たれる。
が、問題は、そのとき。
人工衛星が宇宙へ放たれると同時に、当然、アンテナは、傘を開くように開かれる。
そこでスプートニック1号の写真をよく見てほしい。
アンテナの付け根部分である。
たぶんバネ式になっていて、アンテナが開く構造になっているのがわかる。
かなり複雑な構造をしている。
一方北朝鮮の光明星1号は、見るからにラジカセのアンテナ風。
自動的に開くとか、そういった構造になっていないことがわかる。
「どうやって宇宙で開くのだろう」と考えるだけ、ヤボ。
このアンテナでは、宇宙で、開くことはできない。
が、展示してある光明星1号のそれは、ちゃんと開いている。
●結論
北朝鮮の人工衛星は、どう見ても人工衛星ではない。
アンテナひとつとりあげても……というか、私たちの家にあるラジカセのアンテナと見比べてみればよい。
取りつけ方、形状ともに、そっくり!
恐らく今回打ち上げるミサイルにしても、似たようなものが積んであるのだろう。
重さは、100キロという。
北朝鮮は、世界に公開すると言っている。
だったら、その衛星本体を見せればよい。
ちがうかな?
●夢
北朝鮮の人工衛星の話はひとまず、ここでやめ、つぎの話。
昼寝をしたとき、こんな夢を見た。
おもしろい夢だったので、ここに記録する。
……私は、どこかの山道を歩いていた。
その先には、幾重も、低い山が連なっていた。
私は、どこかの町、……たぶん浜松市をめざして歩いていた。
が、ふとこんなことを考えた。
こんな山なら、エンジン付きのパラグライダーで飛び越えてやろう、と。
もちろん私は、パラグライダーなるものには、乗ったことがない。
見たことはある。
山荘の空の上を、よく飛んでいる。
が、いくら飛び立とうとしても、空を、木々の枝が覆っていて、飛び立てない。
木々の枝が、電線のようになり、それをじゃました。
そこで私はこう考えた。
棒高跳びで使うような棒を用意し、それでひとっ飛びに山を乗り越えてやろう、と。
幸い棒はすぐ見つかった。
丸くて長い棒だった。
私はその棒をよじ上り始めた。
が、しばらく上っていくと、下から何人かの男たちも、いっしょに上ってくるのがわかった。
1人は、私のすぐ下にいた。
気にはなったが、私は上を見、そのまま上りつづけた。
あとはそのまま向こう側へ倒れればよい。
それでこの深い山を、抜け出ることができるはず……。
というようなことを、心のどこかで考えていた。
私は棒を上った。
かなり高いところまで上った。
雲が、はるか下に見えた。
が、やがて棒の先端に。
その先端には、小さな看板が打ちつけられていた。
見ると、それには、「神」と書いてあった。
それを見て、私は、「ああ、ここは天国」と思った。
で、その看板をつかもうとすると、その看板は、スーッと消えた。
手をよけると、その看板が現れた。
で、もう一度、その看板をつかもうとした。
やはり、同じように、その看板は、スーッと消えた。
……そこで目が覚めた。
●夢判断
支離滅裂な夢だった。
が、意味がないわけではない。
自分なりに夢分析をしてみる。
++++++++++++++
山の中にいた……私の閉ざされた世界を、象徴している。閉塞感。
「抜け出たい」という思い……生への葛藤。あるいは束縛からの解放。
空を覆う木々の枝……生きることにまつわる障害の数々。
丸い棒……男の象徴。ジャックと豆の木の話に出てくる、豆の木。
棒を上る……どこか芥川龍之介の『蜘蛛の糸』様。
後からついてくる男……不安の象徴。強迫観念。
「神」と書いた看板……頂点をめざしたいという欲求。願望。
看板が消える……天国に到達できないという限界。それにまつわる、はがゆさ。葛藤。
++++++++++++++
●リビドー
空を飛ぶという夢は、ときどき見る。
が、思うように飛べないときのほうが、多い。
あるいは飛んでも、うまくコントロールできない。
「夢判断」なるものによれば、いろいろに解釈できる。
が、ジークムント・フロイトなら、こう言うだろう。
「抑圧されたリビドー(性的エネルギー)の解放を求めて葛藤している」と。
そう、このところ不完全燃焼感が強い。
何をやっても、中途半端。
達成感や満足感がない。
何かをしなければと思うが、その何かが、何であるかさえわからない。
そこにあるはずなのに、手が届かない。
このはがゆさ。
それが先に書いた夢の中に、凝縮されている。
が、精神科医なら、たぶん、こう判断するだろう。
「この男は、かなり強い強迫感をもっている」と。
●強迫性障害
ウィキペディア百科事典では、つぎのように定義している。
『強迫症状とは強迫性障害の症状で、強迫観念と強迫行為からなる。
両方が存在しない場合は強迫性障害とは診断されない。
強迫症状はストレスにより悪化する傾向にある。
(1)強迫観念(きょうはくかんねん)とは、本人の意志と無関係に頭に浮かぶ、不快感や不安感を生じさせる観念を指す。
強迫観念の内容の多くは普通の人にも見られるものだが、普通の人がそれを大して気にせずにいられるのに対し、強迫性障害の患者の場合は、これが強く感じられたり長く続くために強い苦痛を感じている。
ただし、単語や数字のようにそれ自体にはあまり意味の無いものが執拗に浮かぶ場合もある。
(2)強迫行為(きょうはくこうい)とは、不快な存在である強迫観念を打ち消したり、振り払うための行為で、強迫観念同様に不合理なものだが、それをやめると不安や不快感が伴うためになかなか止めることができない。
その行動は患者や場合によって異なるが、いくつかに分類が可能で、周囲から見て全く理解不能な行動でも、患者自身には何らかの意味付けが生じている場合が多い』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。
強迫性障害(患者数)と診断される日本人は、100万人とされる(ウィキペディア百科事典)。
人口の約2%(世界共通)だそうだ。
この数を多いとみるとか、少ないとみるか……。
が、内容は、一様ではない。
ウィキペディア百科事典では、つぎのように分類している。
『(1)不潔強迫……潔癖症とも言われている。手の汚れが気になり、手や体などを何度も洗わないと気がすまない。
体の汚れが気になるためにシャワーや風呂に何度も入る患者によっては電車のつり革を触ることが気持ち悪くて手袋をはめて触ったり、お金やカード類も外出して穢れた、汚れたという感覚を持つため帰宅の度に洗う場合もある。
(ただし、本人にとって不潔とされるものを触ることが強い苦痛となるため、逆に身体や居室に触れたり清掃することができずに、かえって不衛生な状態に発展する場合もある。手の洗いすぎから手湿疹を発症する場合もある)など。
(2)確認行為
確認強迫とも言う。外出や就寝の際に、家の鍵やガスの元栓、窓を閉めたか等が気になり、何度も戻ってきては執拗に確認する。
電化製品のスイッチを切ったか度を越して気にするなど。
(3)加害恐怖
自分の不注意などによって他人に危害を加える事態を異常に恐れる。
例えば、車の運転をしていて、気が付かないうちに人を轢いてしまったのではないかと不安に苛まれて確認に戻るなどの行為。
赤ん坊を抱いている女性を見て、突如としてその子供を掴んで投げてしまったり、落としたりするのではないかというような、常軌を逸した行為をするのではないかという恐怖も含まれる。
(4)被害恐怖
自分が自分自身に危害を加えること、あるいは自分以外のものによって自分に危害が及ぶことを異常に恐れる。
例えば、自分で自分の目を傷つけてしまうのではないかなどの不安に苛まれ、鋭利なものを異常に遠ざけるなど。
(5)自殺恐怖
自分が自殺してしまうのではないかと異常に恐れる。
(6)疾病恐怖
または疾病恐怖症など。
自分が重大な病や、いわゆる不治の病などにかかってしまうのではないか、もしくは、かかってしまったのではないかと恐れるもの。
HIVウイルスへの感染を心配し、血液などを異常に恐れたりするものも含まれる。
(7)縁起恐怖
縁起強迫ともいう。
自分が宗教的、もしくは社会的に不道徳な行いをしてしまうのではないか、もしくは、してしまったのではないかと恐れるもの。
信仰の対象に対して冒涜的な事を考えたり、言ってしまうのではないかと恐れ、恥や罪悪の意識を持つ。
例えば、神社仏閣や教会において不信心な事を考えてしまうのではないか、聖典などを毀損してしまうのではないか、というもの。
ある特定の行為を行わないと病気や不幸などの悪い事柄が起きるという強迫観念に苛まれる場合もあり、靴を履く時は右足から、などジンクスのような行動が極端になっているものも見られる。
(8)不完全恐怖
不完全強迫ともいう。物を秩序だって順序よく並べたり、対称性を保ったり、本人にとってきちんとした位置に収めないと気がすまず、うまくいかないと不安を感じるもの。
例えば、家具や机の上にある物が自分の定めた特定の形になっていないと不安になり、これを常に確認したり直そうとする等の症状。
物事を進めるにあたって、特定の順序を守らないと不安になり、うまくいかないと最初から何度もやり直したりするものもある。
郵便物を出す際のあて先や、書類などに誤りがないかと執拗にとらわれる場合もあるため、結果として確認行為を繰り返す場合もある。
(9)保存強迫
自分が大切な物を誤って捨ててしまうのではないかという恐れから、不要品を家に貯めこんでしまうもの。
本人は不要なものだとわかっている場合が大半のため、自分の行動の矛盾に思い悩む場合がある。
(10)数唱強迫
不吉な数やこだわりの数があり、その数を避けたり、その回数をくり返したりしてしまう。
数字の4は「死」を連想するため、日常生活でこの数字に関連する事柄を避ける、などの行為。
(11)恐怖強迫
ある恐怖あるいはことば、事件のことを口にできない。
そのことを口にすると恐ろしいことが起こると思うため口にできない。
この他、些細であったり、つまらない事柄、気にしても仕方の無い事柄を自他共に認める状態にあっても、これにとらわれ(強迫観念)、その苦痛を避けるために生活に支障が出るほど過度に確認や詮索を行う(強迫行為)』(以上、ウィキペディア百科事典より。詳しくは……、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E8%BF%AB%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3
●私のばあい
私のばあい、(1)~(11)のどれにも当てはまらない。
「そういうことも、たまにはあるな」という程度。
……ということで、ウィキペディア百科事典を読み、少し安心する。
(自分でそう思っているだけかもしれないが……。)
と、同時に、「あの人が、そうだ」「この人も、そうだ」と、いろいろな人が頭の中に思い浮かぶ。
が、ここで誤解してはいけない。
だれにも、ここに書いたような傾向はある。
ない人はいない。
あとは軽重の問題。
それが重くなり、通常の社会生活がむずかしくなった状態を、「強迫性障害」と呼ぶ。
ここに書いてあることがあてはまるからといって、「障害者」ということにはならない。
(あてはまらないから、強迫性障害でないということにもならないが……。)
●出版の世界
私はこうしていつもものを書いている。
が、けっして、何かに追い立てられて書いているのではない。
むしろ逆。
それが楽しいから、書いている。
本を読むのが好きな人がいるように、私は、ものを書くのが好き。
書いているときだけ、私は私でいられる。
反対に書かないでいると、頭の中が、すぐパンクしそうになる。
で、それを書いて、吐き出す。
その爽快感がたまらない。
前にも書いたが、ひどい便秘症の人が、BENを、ドサッと出したときの気分に似ているのでは……?
だから書く。
で、たまたま今日も、田丸謙二先生から、メールが届いた。
「だったら、本を書きなさい」と。
実のところ、もう本には興味はない。
どうでもよい。
それよりも、時間が欲しい。
時間が足りない。
書きたいことがつぎつぎと出てきて、ときに自分でも収拾がつかなくなるときがある。
それに本といっても、私のほんの一部。
一部を切り売りしても、意味はない。
満足感は得られない。
田丸謙二先生は、知らないが、この10年間だけでも、私は、10万枚(40字x36行)以上の原稿を、書いている。
平均すれば、1日28枚前後。
これらをすべて本にすれば、130枚前後で1冊の本になるので、770冊(単行本)。
もちろんそのほとんどは、本にする価値もない駄文。
が、どんな駄文でも、それは「私」。
「これは駄文でないから、本にする」「これは駄文だから、本にしない」というのであれば、最初から本にしてもらわなくても、結構。
……というか、本当は、私は出版社に、相手にされていない。
相手から見れば、私など、どこかのただの(馬の骨)。
出版社を責めているのではない。
私自身も、若いころ、出版社の立場で、本や教材の編集を手伝っていたことがあるから、そのあたりの事情は、よく知っている。
本といっても、商品。
出版社は、まず売れる本かどうかを判断する。
販売部、もしくは営業部が、それを判断する。
編集部が動くのは、そのあと。
逆に編集部が動いたとしても、販売部が「NO」と言えば、その企画は流れる。
もちろん買い取り部数がしっかりと確約されているばあいは別。
たとえば宗教団体の多くは、こうした手法で本を出す。
「○○万部は、うちで買いますから……」と。
ほかに自費出版という方法もある。
が、私には経験がない。
本になるかならないかは、知名度と時代性で決まる。
もちろん私には、そんな力はない。
知名度、ゼロ。
……これ以上書くと、グチになるから、この話はここまで。
●不完全燃焼感
要するに、先ほど見た夢は、私の不完全燃焼感を、そのまま象徴化している。
「何かをしなければと思うが、その何かが、何であるかさえわからない。
そこにあるはずなのに、手が届かない」と。
何だろう?
どうすればいいのだろう?
列車は、先ほど、掛川を通り過ぎた。
書き忘れたが、今、私はこの原稿を、焼津に向かう列車の中で書いている。
●DSM-IV
再び、強迫性障害について。
DSM-IVの診断基準によれば、(1)強迫観念と、(2)強迫行為の2つがあって、はじめて強迫性障害と診断されるそうだ。
で、この中で興味深いのは、(7)の縁起恐怖。
先にも書いたように、「あの人がそうだ」「この人もそうだ」という人が、つぎつぎと浮かんでくる。
「縁起恐怖」というより、「迷信恐怖」。
この迷信という代物は、実にやっかい。
一度取りつかれると、それから逃れるのは、容易なことではない。
前にも書いたが、こんな人がいた。
原稿をさがしてみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
2008年11月に書いた原稿、ほか1作
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●迷信
迷信のはじまり……仏壇屋のおやじが、こんなおもしろい話をしてくれた。
「たとえばね、何かの法事をしなかったとしますね。
そのあと、何かの事故が起きたりすると、『やっぱり、これは先祖様を供養しなかったためだ』とかなんとか、人は思ったりするものです。
反対にね、もし法事をしたあと、何かいいことがあったとしますね。
すると『やはり、先祖様を大切にすることはいいことだ』と、人は思ったりするものです。
つまりね、林さん、こうして迷信というのが生まれてくるんですよ。その人の中に……」と。
仏壇屋という職業を通して、そのおやじは、人の生死を見つめてきた。
私は仏壇屋のおやじらしからぬ話を聞きながら、そのつど、感心した。
「この人は、ただの人ではないぞ」と。
つまりそのおやじは、人間が根源的にもっている(弱さ)を見抜いている!
「そんなことを言ったら、仏壇が売れなくなりますよ」と私は言いかけたが、それは言わなかった。
●私の母
私の母は、若いころから迷信深い人だった。
「迷信のかたまり」とさえ思ったことがある。
一貫性がなく、そのつど、迷信に振り回されていた。
もっとも母はそれでよいとしても、それによって振り回される私たちは、たまったものではない。
たとえば靴一足を買うにしても、時間が指定された。
「夕方から遅い時間に買ってはだめ」とか、「買うなら、朝にしなさい」とかなど。
ほかに、「表(=玄関)で脱いだ靴は、裏(=勝手場)のほうで、はいてはだめ」というのもあった。
ときには、靴を買う日まで、指定されたこともある。
「今日は、日が悪いので、買ってはだめ。あさってにしなさい」と。
一事が万事。
ありとあらゆることに、その迷信が、入り込んでいた。
学校へ行くときも、裏口から出て行こうとすると、そこで呼び止められ、叱られた。
「表(=玄関)から出て行きなさい!」と。
幼いころの私はそれに従ったが、小学3、4年生にもなるころには、息苦しさを覚えるようになった。
私は、そのつど母に反発したが、母は母で、自分の主張を曲げなかった。
そういう話を、寺や神社で聞いてきて、いつも私にこう言った。
「そういうことを言うと、バチが当たる!」と。
●されど迷信
迷信、ただの迷信、されど迷信。
その迷信と戦うにも、かなりの勇気が必要。
ゆいいつの武器は、知性と理性、それに知識である。
何かのことで「おかしい?」と感じたら、そのことについて、徹底的に自分で調べるのがよい。
けっして不可思議なものに心をゆだね、その虜(とりこ)になってはいけない。
できればはじめから、近づかないこと。
こうした迷信というのは、一度気にすると、心の内側にペタリと張りつく。
取れなくなる。
取れなくなるばかりか、ときに自分が自分でなくなってしまう。
このことは、子どもの世界を見ているとわかる。
10年ほど前、それについて調べたことがあるが、小学生にしても、大半が、まじないや、占いを信じている。
「霊」の存在を信じている子どもも、多い。
大切なことは、自分で考えること。
仮に納得がいかないことがあったとしても、それを不可思議な「力」のせいにしてはいけない。
こんなことがあった。
ある家庭に、3人の子どもがいた。
上から、長男、長女、それに二女。
長男、長女は、中学時代から札付きの番長に。
高校へは進学しなかった。
二女は、だれの子ともわからない子どもを妊娠、そして出産。
長女が、17歳のときのことだった。
それについて、迷信深い叔父が近くにいて、「これは何かのたたり」と言って騒いだ。
そこでその両親は近くの神社を訪れ、「お祓(はら)い」なるものをしてもらった。
が、原因は、母親自身にあった。
親意識が強く、権威主義。
口もうるさかった。
その上わがままで、思いこみもはげしかった。
子どもの心など、最初から、どこにもなかった。
父親はいたが、週に1、2度赴任先の会社から帰ってくる程度。
母親は自分が感ずるストレスを、そのまま子どもたちにぶつけていた。
子どもたちにすれば、さぞかし居心地の悪い家庭だっただろうと思う。
その結果は、先に書いたとおりである。
つまりほんの少しだけでも、その母親に(考える力)があれば、こうした事態は防げたはず。
が、その母親には、その力さえなかった。
もっとも今は、3人ともそれぞれが結婚し、家庭をもち、それなりに幸福に暮しているから、とくに問題はない。
またその後のことは聞いていないが、あの母親のことだから、今ごろは、きっとこう言っているにちがいない。
「何かあったら、あのX神社でお祓いをしてもらうといいですよ」と。
(以上、2008年11月記)
Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 08++++++++++はやし浩司
●迷信について(もう1作)
信仰は、あくまでも教えに従ってするもの。
迷信や狂信、さらには、妄信は、人の心を狂わす。
かえって危険ですら、ある。
S市に住む、Aさん(女性、妻)から、以前、こんなメールをもらった。「私が、夫の宗教を批判するたびに、夫は、『お前がそういうことを言うと、ぼくたちは、地獄へ落ちる』と言って、体をガクガクと震わせます」と。
最初、そのメールを読んだとき、「冗談か?」と思った。
その夫というのは、国立大学の工学部を卒業したような、エリート(?)である。
そんな人でも、一つの宗教を妄信すると、そうなる。
もし、仮に、人間に、そういったバチを与える宗教があるとするなら、それはもう信仰ではない。
少なくとも、神や仏の所作(しょさ)ではない。
悪魔の所作である。
だいたいにおいて、神や仏が、いちいち人間のそうした行動に、関与するはずがない。
たとえば私の家の庭には、無数のアリの巣がある※。アリから見れば、私は、彼らの神か仏のようなもの。
私はその気にさえなれば、彼らを全滅させることもできる。
だからアリたちも、ひょっとしたら、そう思っているかもしれない。
「あの林は、我々の神様だ」と。
そのアリの中の一匹が、私(=はやし浩司)の悪口を言ったとしても、私は気にしない。
私を否定しても、私は記にしない。
もともと相手にしていないからだ。いわんや、バチを与えているようなヒマなど、ない。
人間社会を、はるかに超越しているから、神といい、仏という。
もし神や仏がいるとするなら、宇宙的な視野で、かつそれこそ11次元的な視野で、人間社会を見つめているにちがいない。
そういう神や仏が、いちいち人間に、バチなど与えるはずがない。
ものごとは、もっと常識で考えたらよい。
信仰には、たしかにすばらしい面がある。
しかしそれは、教えによるもの。
あの釈迦も、法句経の中で、『法』という言葉を使って、それを説明している。
※アリの大きさを、〇・五センチ。人間の大きさを、一七〇センチとすると、その面積比は、1:115600となる。
私の家の庭は、約五〇坪(165平方メートル)だから、この五〇坪の庭は、そこに住むアリにとっては、人間の住む広さに換算すると、165x115600/1000000=19(平方キロメートル)の広さということになる。
人間の社会で、一辺が約四キロメートル四方の社会が、この庭の中で、アリたちによって営まれていることになる。
私が住んでいるI町(町内)だけでも、約一万世帯。
約三万人の人が住んでいる。
大きさも、約四キロメートル四方だから、私の庭は、アリにとっては、私が住む町内と、同じ広さということになる。
多分、この庭に住んでいるアリも、約三万匹はいるのでは……?
初春の陽光をあびて、青い草が、さわさわと風に揺れている。
その庭を見ながら、ふと、今、そんな計算をしてみた。
(しかし、この計算は、どこかおかしい? 人間なら、四キロ歩くのに、約一時間かかる。
しかしアリが、この庭を端から端まで横切るのに、一時間はかからない。
一〇分くらいで行ってしまうのでは?
あるいは、アリは、歩く速度が、速いのか。
今、ふと、そんな疑問が、心をふさいだ。
ヒマな方は、電卓を片手に、一度、計算しなおしてみてほしい。)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●Hotel Ambia 松風閣(焼津)
「ホテル・アンビア」という。
地元の人は、「松風閣」という。
海岸の絶壁に建つ、絶景第一のホテル。
いろいろなホテルに泊まったが、まさに絶景。
断崖絶壁の上に建つ、絶景のホテル。
部屋へ入ったとき、思わず、ウォーッと声をあげてしまった。
まるで空中の楼閣のよう。
眼下というより、真下に海岸線が見える。
たまたま今日は、「爆弾低気圧」が発生したとか。
四国のどこかでは、秒速42メートルの突風を記録している。
そのせいか、5~6メートルもあるような大波が、真下で絶壁に打ち上げ、白いしぶきをあげていた。
ハイクラスの、やる気度120%の、豪華ホテル。
浜松周辺では、このホテルと比較できるホテルといえば、伊良湖岬にある、伊良湖ビューホテル。
しかしこのホテルのほうが、上品。
ビューホテルのほうは、客層があまり、よくない(失礼!)。
部屋へ入ると、若い女性が、館内の説明をしながら、お茶を立ててくれた。
●夕食
夕食は、ここへ来る前、焼津さかなセンターで食べた。
さかなセンターの中には、いくつかの食堂がある。
その中の1つで、食べた。
なお焼津さかなセンターで売られている魚介類は、ショッピングセンターのそれと比べて、2~3割は安い。
が、食堂の料理は、「安い」という印象は、もたなかった。
で、夕食は、抜き。
が、その間に入浴すれば、がらがらのはず。
案の定、その時間をねらって大浴場へ行くと、客は私、1人だけ。
ゴーゴーと吹きすさぶ黒い雲を見ながら、露天風呂につかる。
まさに、絶景かな、絶景かな。
大満足!
明日は窓から富士山がながめるとか。
天気予報を調べると、「晴れ、ときどき曇り」とか。
ラッキー!
窓の外を見ながら、ワイフがこう言った。
「いつか、こういうときが懐かしくなるかもね」と。
それに答えて、私はこう言った。
「まだまだ序の口。これから遊んで、遊んで、遊びまくる」と。
●今東光
昔、今東光という作家がいた。
政治家でもあり、天台宗の大僧正でもあった。
一度、平泉の中尊寺で、法主(ほっす)として、法要をいとなんでいるのを見たことがある。
11PM(日テレ)で企画を書いているとき親しくなり、それが縁で、今東光ががんに侵されたとき、ときどき見舞いに行った。
今東光は、2度、東京築地のがんセンターに入院している。
最初の1回目は、まったく元気だった。
医師に止められていたにもかかわらず、私を、センターの前にある焼肉屋で連れて行ってくれた。
今東光の病名は、直腸がんだった。
だから私のほうが心配して、「いいんですか?」と聞くと、「いいべえ」と。
そんなある日。
また別の日に見舞うと、突然、こう言った。
「女を買いに行くべえ」と。
当時、今東光は、女性のヌード画を描いていた。
体や性格にまったく不釣り合いな、細い線のヌード画だった。
今東光が前もって電話をすると、画廊のほうで、モデルを用意し、待っていてくれた。
その今東光がこう教えてくれた。
「俺はな、若いころ、修行、修行で、女遊びができなかった。
病気も、もらったがな。
だから今でも、それを思うと、悔しくて、女を買いに行く」と。
たしかそのとき「19歳から23歳まで、修行した」と言った。
そのとき聞いた年齢は記憶によるものなので、不正確。
……今、そのときの今東光の気持ちが、よくわかる。
私も、若いころは、仕事、仕事で、遊ぶことを知らなかった。
暇さえあれば、仕事をしていた。
それが今になってみると、悔しい。
だから、遊ぶ。
今、遊ぶ。
私「あきるほど、遊ぼう」
ワ「そうね」と。
今では、今東光の名前を知る人も、少ない。
なお2度目に入院したときには、今東光は、ベッドの上で身動きが取れない状態だった。
丸いテント様のおおいに覆われ、顔だけ外に出していた。
それでも今東光は、原稿を書いていた。
いつ、どのようにして書いたかは知らないが、原稿を書いていた。
その原稿が、入り口のデスクの上に、きちんと並んでいた。
それが私に強烈な印象を与えた。
●ロビーにて
ワイフが売店へ行こうと誘った。
応じた。
今、ワイフは、売店で、何やら買っている。
クラブの仲間へのみやげらしい。
私は、それを背中に、こうしてパソコンのキーボードを叩く。
……少し前、エレベーターで、9階から下りてきた。
そのとき焼津の夜景が、宝石のように美しく輝いていた。
嵐は去ったよう。
……だれかがエレベーターの中でこう言った。
「明日の日の出は、5時29分ね」と。
運がよければ、またそのとき目を覚ましていれば、私も日の出を見ることができるはず。
楽しみ。
富士山を右手に、美しい写真を撮れるはず。
●春休み
春休みということもあって、どこへ行っても、子どもの声がする。
今も背中側の通路で、子どもたちが騒いでいる。
聞きなれた声だが、うるさいものは、うるさい。
大声で、騒いでいる。
走り回っている。
ロビーの前は、広い日本庭園になっている。
白い砂利が、ロビーの明かりを受け、白く光っている。
そのガラス窓に、ワイフの姿が映った。
何かを買ったらしい。
それを手にもち、ぶらぶらと歩いている。
●小沢系29人(民主党)辞表
ワイフが朝日新聞の朝刊をもってきた。
1面の下の方に、「小沢系29人、辞表」とあった。
小沢系といえば、50人近くいたはず。
つまり20人以上が、小沢一郎から離反したことになる。
「そういうものかなあ」と思ってみたり、「どうしてだろう」と思ってみたりする。
政治の世界は、一寸先が闇。
一枚下も、これまた闇。
そこは権力と欲望が、醜く渦巻く世界。
「いやな世界だろうな」と思ってみたり、「よくやるなあ」と思ってみたりする。
そう言えば、以前、「平成の忠臣蔵」というタイトルで、エッセーを書いたことがある。
野田政権が誕生したとき、小沢派議員の忠僕性を皮肉ったものである。
探してみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●民主党
野田首相が生まれた。
その話をしながら、昨夜も参観に来ていた父親と、こんな話をした。
「どうして管さん(=管直人首相)では、だめなんですかねエ?」と。
するとすかさずその父親も、こう言った。
「私も、そう思います」と。
わかりやすく言えば、みなが寄ってたかって、管直人前首相の足を引っ張った。
官僚、ゼネコン、そして同族の一派。
この日本では、行政改革(=脱官僚政治)を訴えただけで、その政治家は干される。
ゼネコン(=原発建設業者)を叩いただけで、経済界からはじき飛ばされる。
民主党といっても、中身は、派閥政治。
「数」と「金(マネー)」がものをいう、派閥政治。
野党時代は、あれほど自民党の派閥政治を批判していたにもかかわらず、政権与党になっ
たとたん、この体たらく。
もちろんその原点は、忠臣蔵。
私たちが若いころは、毎年12月になるたびに、忠臣蔵がテレビで放映されていた。
恒例番組にもなっていた。
それがそのまま日本人の精神的バックボーンになっている。
政治の世界でも、そうだ。
・・・というのは、考えすぎかもしれない。
しかし今の民主党、とくに小沢一派の議員の動きを見ていると、忠臣蔵そのもの。
称して「平成の忠臣蔵」。
権力を背負っているだけに、暴力団より始末が悪い。
日本人は、あの封建時代の遺物を、いまだに色濃く引きずっている。
●武士道
・・・もし江戸時代の武士道なるものが、どういうものかを知りたかったら、現在の「ヤクザ(暴力団ではない)の世界」を見ればよい。
皮肉なことに、ヤクザの世界は、封建時代における武士の世界そのものといってよい。
忠実に過去を踏襲している。
いまだにその武士道なるものを礼賛する人は多い。
「武士道こそ、日本が世界に誇るべき精神的バックボーン」と説く学者もいる。
しかし封建時代がもつ「負の遺産」に目を当てることもなく、一方的に礼賛するのもどうか?
5%にも満たない武士が日本の社会を牛耳り、95%の日本人が、その暴政に苦しんだ。
江戸時代という時代にしても、世界に類を見ないほど、暗黒かつ恐怖政治の時代だった。
が、何よりも忘れていけないことは、私たちの先祖は、その95%の農民であったという事実。
(工民、商人は、数がぐんと少なかった。)
もしあのまま今でも封建時代がつづいていたら、私たちはまちがいなく、農民だった。
その農民が、武士のまねごとを説いて、どうなる?
どうする?
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●タクシーの中で
今では、どこへ行っても、原発事故と、地震や津波の話。
今日も、そうだった。
JR焼津駅からタクシーに乗ると、運転手がこう言った。
「どちらから?」と。
「浜松から」と答えると、「浜松は、だいじょうぶですか?」と。
運転手は、こう言った。
「焼津の人たちの中にもね、藤枝の方へ引っ越す人がふえていますよ」と。
浜松市内でも、遠州浜沿いに住んでいる人たちの引っ越しが始まっている。
少し前までは、新幹線の北側は安心と言っていた。
が、震度7、津波の高さ21メートル。
3つのプレートが同時に動くと、それくらいの地震になるそうだ。
で、もしそうなら、新幹線の線路でも、防ぎようがない。
地震で地盤の液状化も起こるだろう。
そこへ21メートルの津波!
海抜10メートル前後の下町は、全滅。
3・11大震災前なら、そんな話はだれも信じなかっただろう。
私も信じなかった。
が、今は、ちがう。
「今すぐ……」というわけではないが、いつかは起こる。
かならず、起こる。
そういう前提で、この先を見る。
数日前も、義兄がこう言った。
「下町の人たちが、山の手のほうへ、移動しているよ」と。
義兄は、大地主で、自分の土地の管理もかね、不動産屋を営んでいる。
いやな世の中になったものだ。
今、この瞬間にも、大地震が起こるかもしれない。
●浜岡原子力発電所
ときどき、ワイフとこんなふうに話しあう。
もし大地震が起きたら、すぐ逃げよう、と。
近くには、浜岡原子力発電所がある。
防災は万全と言っているが、だれも信用していない。
私も、信用していない。
あの3・11大震災から数か月後のこと。
浜岡原子力発電所でも、配管に穴が開いているのが見つかった。
放射性物質が、海へ垂れ流されているのがわかった。
で、その前後、「大規模な」(報道)、防災訓練がなされた。
が、その防災訓練が、へん!
消防自動車がやってきて、原子炉に水をかけていた。
原子炉に水だぞ!
私はそれをテレビのニュースで見て、笑ってしまった。
つまり日本の防災意識も、その程度。
北朝鮮では、がんでも、赤チンをつけて治すそうだ。
何かの本で、そう読んだことがある。
それと同じ。
……こういう話は、やめよう。
せっかくの旅行。
考えれば考えるほど、憂うつになる。
●4月4日
明けて、今日は4月4日。
目覚ましを、午前5時15分にセットしておいた。
目覚ましと同時に、目を覚ますと、窓全面に、青い空がまぶしいほどに光っていた。
同時にワイフも目を覚ました。
このホテルには、一度、皇族方全員が宿泊している。
言うなれば家族旅行。
そのときはじめて、私は納得した。
「この景色なら、その価値がある」と。
浜松からは、鈍行列車で来ても、50分。
車で来れば、もっと早い。
愛知県の西浦温泉などよりは、ずっと近い。
こんな近くに、こんなよい温泉旅館があるとは!
星は、文句なしの、5つ星。
すばらしい。
今、時刻は午前8時07分。
大波が右上から左下に、行く筋もの山を作り、その間で、糸のように細い小波が揺れている。
プラチナ色の海。
それを取り囲むように、淡いコバルト色の海。
たった今、デジタルカメラを構えて何枚か写真を撮った。
まぶしくて、液晶画面が見えなかった。
その方向にカメラを向け、勘で撮った。
さあ、このまま帰る。
シャトルバスは、8時30分に出る。
はやし浩司 2012-04-04 焼津・ホテルアンビア・松風閣にて
(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【北朝鮮問題vs私たち日本人の問題】
●迎撃ミサイル発射、反対!
●人工衛星
「週刊現代」(今週号)を読んだ。
グラビアの中で、北朝鮮の人工衛星を紹介していた。
前回発射したとき、ミサイルに搭載したものという。
それを評して、週刊現在誌は、「おもちゃイムニダ」と書いていた。
たしかに、「おもちゃ」。
「おもちゃ」以下の「おもちゃ」。
サッカーボール、あるいはミラーボールのような球体に、アンテナが4本ついていた。
それだけ。
アンテナといっても、明らかにラジカセのアンテナ様(?)。
よく見ると、そのアンテナも、途中で、伸縮できるようになっている。
いったいだれが、どのようにして伸ばしたり、縮めたりするのか?
本体は球形だが、太陽電池らしいものはない。
電波を地上へ送るにも、かなり強力なバッテリーが必要なはず。
バッテリーは、どうするのか。
さらに制御装置らしきものものない。
素人の私が見ても、チャチ。
チャチすぎて、話にならない。
その前のページでは、日本の宇宙ステーションの製造現場を紹介していた。
それと比較しても、一目瞭然。
あれは「おもちゃイムニダ」。
北朝鮮の人たちは、あんなおもちゃを見せつけられ、それが本当に人工衛星と思い込んでいるのだろうか。
週刊現代誌を買い、BLOGの中でその写真を紹介しようと思ったが、やめた。
紹介するまでもない。
それほどまでにチャチな人工衛星だった。
●赤恥
で、私は確信した。
北朝鮮は、ミサイルなど発射しない。
……できない。
その技術もさることながら、仮に発射したとしても、宇宙には届かない。
太平洋上のどこかに墜落する。
が、そこでは、世界中の艦船が、待ち構えている。
うようよと待ち構えている。
そのあたりは、深度40メートル前後という。
当然、人工衛星(?)なるものは、回収される。
そのとき人工衛星がハリボテであるとわかったとしたら……。
北朝鮮は、赤恥をかく程度ではすまない。
今までのウソが全部、バレてしまう。
(といっても、北朝鮮も、そこまでバカではないだろう。
回収されても困らないように、自爆装置くらいはつけているだろう。
自爆装置といっても、爆薬を詰めておけば、それでよい。)
さらに一言。
今回の人工衛星は、気象衛星という。
もしそうなら、飛行制御装置はもちろん、姿勢制御装置は、どうなのか。
地上から、どうやってそれを制御するのか。
宇宙から届く電波を、どうやって受信するのか。
少なくとも地上を撮影するカメラくらいは、ついているだろう※。
だから私は、北朝鮮にこう忠告する。
「今回のミサイル発射実験は、やめたほうがいい。赤恥をさらすだけ」と。
(注※……韓国の報道)
『韓国政府関係者は「観測衛星は通常、先進国の技術でも1500キロを超え、100キロの大きさでは『実用』からほど遠い。核弾頭の小型化を見越した『模擬弾』の意味合いが強い」』(MSNニュース)と。
●アメリカの反応
それを熟知しているのか、アメリカは北朝鮮の代表に、こんな提案をしている。
「人工衛星なら、中国やロシアに打ち上げてもらってはどうか?」と。
が、北朝鮮が「YES」と言うわけがない。
それがわかっていながら、アメリカは、そう提案した。
Yahooニュースは、こう伝えている。
『……北朝鮮外務省・李根米州局長とアメリカ政府の元高官らが先月31日と今月1日、ドイツ東部で非公式の協議を行った。
しかし、双方の溝は埋まらなかったもよう。
セミナーを主催した民間団体の関係者によると、アメリカ側は「人工衛星の打ち上げであれば、中国やロシアに依頼すればよい」と提案したが、北朝鮮側はそれを受け入れなかった』(以上、Yahooニュース)と。
●周囲科学
ひとつの科学が進歩するためには、それを支える周囲科学が必要である。
同じように、人工衛星を作るには、周囲技術が必要である。
部品1個作るのにも、必要である。
いわんや、人工衛星。
少し前まで、乾電池すら自前で作ることができなかった国である。
(恐らく、今も、できないだろう。)
そんな国が、人工衛星など、作れるわけがない。
いわんや、それを宇宙に飛ばすとは……?
もしそれができるとすれば、イランから技術とロケット本体を手に入れたと考えるのが妥当。
イランはすでに人工衛星を軌道に乗せることに成功している。
しかし仮にそうであったとしても、今回のミサイル発射実験には、いくつかの無理がある。
その第一。
発射場への鉄道線路は、つい昨年末(2011)に完成したばかりという(報道)。
一事が万事というか、であるなら、それまでの資材などは、どうやって運んでいたのか。
しかも発射場に立っているクレーンは、ビル建設用のクレーンという。
発射台すら、ない。
知れば知るほど、お粗末。
そんな機材で、本当にロケットなど、打ち上げることができるのだろうか。
報道によれば、発射場にしても、一部、未完成という※。
……ということを考えていくと、今回のミサイルの発射実験は、無理。
で、今ごろ、内部では、こんな相談をしているにちがいない。
幹部A「とにかく、ある程度、飛べばいい」
幹部B「衛星が回収されたら、どうしますか」
幹部C「……発射方向を変えることはできないか?」
幹部D「それもひとつの手だな」
幹部E「いいか、ウソがバレたら、俺たちみな、公開処刑だぞ」
幹部F「……そうなったら、ただちに脱北しよう」と。
(注※……中央日報紙より)
『……中央日報は2日、北朝鮮が長距離弾道ミサイル発射実験とみられる「衛星」打ち上げを予告している平安北道東倉里の発射施設について、一部未完成とみられると報じた。
真偽は不明。施設の衛星写真を見た韓国政府高官の話としている。
それによると、衛星の運搬ロケット「銀河3号」を発射台に据えるため設置される「発射整備台」が見当たらず、発射施設にタワークレーンが置かれているという。
高官は、発射整備台の設置工事が遅れ、クレーンで代用するとみられると指摘したという』(共同)と。
●戯言(たわごと)
こうしたことを書くと、こう反論する人がいるかもしれない。
「貧しい国が、精一杯、背伸びをし、がんばっている。
そういう国を笑ってはいけない」と。
しかしそれは北朝鮮の現状を知らない人が口にする、「戯言(たわごと)」。
独裁政権を維持するために、おびただしい数の人たちが、処刑されたり、収容所へ送られたりしている。
現在の今ですら、その数は、20万人とも、それ以上とも言われている。
つい先日は、軍の高官らが、迫撃砲で、処刑されたという。
「髪の毛一本、残すな」という、金正恩の命令によるものだという。
なお一度収容所へ送られたら最後、生きて帰ってくる人は、ほとんどいないという。
●反面教師
この先のことはわからない。
ミサイル発射実験につづいて、核実験も用意しているという報道もある※(韓国紙)。
やることなすこと、私たちの常識では理解できない。
狂っている。
が、どうであれ、私たちは今を生きる、生き証人として、北朝鮮の現実を、しっかりと記憶しておく必要がある。
歴史は繰り返す。
過去にも同じようなことがあったし、未来にも、同じようなことはある。
そういうときのために、しっかりと記憶しておく。
そして二度と、現在の北朝鮮がしているようなことを、私たちは繰り返してはいけない。
私たちがいつか、同じように狂わないという保証は、どこにもない。
北朝鮮を非難したり、笑ったりするのは簡単なこと。
しかし私たち日本人だって、ほんの70~80年前には、同じようなことをしていた。
それを思うなら、もう少し謙虚になってもよいのでは。
時代が変われば、記憶も薄れ、結局はまた、私たちは、同じことを繰り返す。
それを北朝鮮を通し、私たちは学ぶ。
今、学ぶ。
北朝鮮は、まさにその反面教師ということになる。
(注※……TBS)
『韓国の国防省は、北朝鮮がミサイル発射実験とみられる「衛星」を打ち上げた場合、あわせて核実験も行う可能性があるとの見方を示しました。
「北朝鮮がミサイルを発射した後、短期間のうちに核実験を行う素地があり、状況によっては追加の軍事挑発も憂慮されます」(韓国国防省スポークスマンの会見)』(以上、TBS)と。
●維新の会
そのひとつというわけでもないが、私個人は、「維新の会」なるものに、あってはならない(危険なもの)を感ずる。
「大躍進」というのは、結構なことだが、政治の一貫性ということを考えるなら、けっして望ましいことではない。
自民党がだめだったから、民主党が大躍進した。
が、今度は、民主党がだめだから、維新の会?
維新の会が危険というのではない。
日本人がもつ、短絡性というか、後先を考えない激情性に、危険なものを感ずる。
つまり極端すぎる。
ひとつまちがえば、この日本は、たいへんなことになる。
「維新の会」については、どういう方向性を持っているか、もう少し冷静に、見てみる必要があるのではないだろうか。
支持するのは、それからでも遅くない。
現に今、国歌だの何のと、橋下氏は、かなり右翼的な色彩の濃い発言を繰り返している。
あとになって、私たちは判断を誤りました、ではすまない。
金正恩も若い。
橋下 徹も若い。
ムードだけに酔いしれていると、それこそ、たいへんなことになる。
●TK先生へ
TK先生から、たった今、メールが届いた。
現在TK先生は、自宅を改築中。
その間だけということで、現在、近くの有料老人ホームに入居している。
その返事。
『TK先生へ
近くにいれば、毎晩でも話に行けるのに残念です。
私は実際には、祖父母の手によって育てられました。
また晩年の母は、2年間、私が世話をしました。
ワイフにはさせませんでした。
老人の世話には、慣れています。
そこらの介護士より、老人の扱い方がうまいのは、そのためです。
まったく気になりません。
実兄も、最後はボケ、いろいろありましたが、弟のように感じました。
だから先生の世話など、何でもありません。
多分先生のことだから、そういうところで、自分の近未来を見、ショックを受けられたのだろうと思います。
気持ちはよくわかります。
私も、もし自分に経験がなければ、ショックを受けただろうと思います。
しかしね、楽しめばよいのです。
私はいつも特養へ母を見舞いに行くたびに、周囲の老人たちとバカ話ばかりしていました。
が、ワイフはだめです。
老人と同居した経験がありません。
老人の世話をした経験もありません。
母が家にいる間中、「食事はどうの?」「運動はどうの?」と、そんな心配ばかりしていました。
老人には老人の世界がありますから、そっとしたいようにさせておくのがいちばんよいのです。
ただ、事故が3度つづき、それでこわくなって、特養へ入れました。
どれも、あわや……というような事故でした。
(母は昼間は眠り、夜中に動きまわりましたから……。
それにたとえ事故死であっても、不審死ということで、警察が介入してくると言われました。)
で、ケアマネに相談すると、「24時間、ついていてください」「夜は添い寝をしてください」と。
それでGIVE UP!、です。
私はその間、ただの一度も、ほかの息子や娘たちのように、グチを言ったことはありません。
つまりそういうことが、さらっとできるのです。
いつも祖父母のふとんに潜り込んで寝ていましたから……。
寒い夜は……。
中学生くらいになっても、です。
でもね、先生、こんなことを発見しました。
私も、この2年間で、2度、倒れました。
(軽いのを含めると、3度です。)
一度は、気を失い、大きなガラス窓を割ってしまいました。
そのときのことです。
死ぬことは、まったくこわくないということを知りました。
実に、穏やかで、安らいだ世界です。
「ああ、これで死ねる」とさえ、思いました。
でね、私はこう発見したのです。
脳には、そのときのために、すでにそのようなプログラムがすでにインプットされている、とです。
前脳と後脳の中間部あたりに、そういう部分があるそうです。
このことは逆に、最近、わかってきたのですが、あの新生児(赤ん坊)にも、そういう脳の機能があるのだそうです。
あの新生児が、親の愛をひきつけようと、無意識の部分で、行動しているということがわかってきました。
驚きでしょ!
つまり人間の脳のもつ、多様性というか、生まれてから死ぬまで、それぞれの段階で、プログラムがちゃんとインプットされているというわけです。
だから死ぬのはこわいですが、死の瞬間は、みな、穏やかで、安らいだ気分になる。
それを発見しました。
……やがてすぐ、私も先生のあとを追いかけます。
さみしいというより、楽しみです。
だからいっしょに、残された有意義に過ごしましょう。
先生も、ジジ臭いことを言わないで。
何かとたいへんでしょうが、先生は、けっして独りではないし……。
また何かあれば、連絡してください。
パソコンの分野でしか力になれませんが、よろしく!!!!!
はやし浩司』
●160万人
話を戻す。
北朝鮮は、早晩、かならず崩壊する。
が、日本にとっての問題は、それから。
韓国主導になるか、中国主導になるかは別として、日本は改めて戦争責任を問われることになる。
すでに北朝鮮は、中国を介し、補償金を打診してきている。
その額、何と100兆円!
もちろんそれで問題が解決するわけではない。
日本のすぐ隣に、巨大な反日国家が誕生することになる。
陸軍だけで、計160万人。
それこそその気にさえなれば、日本は、ほんの数日で、占領されてしまう。
仮に占領されないにしても、それ以後、日本は、今以上にその圧力を感じることになる。
ビクビクしながら、生きることになる。
日本は、はたして、そのストレスに耐えることができるだろうか。
が、問題は、さらにつづく。
●日本が蒔いた種
元はと言えば、日本が蒔いた種。
それゆえに、最近の若い人たちは、こう言っている。
「ジジババの責任」と。
それが反世代闘争(=老人への反感)の原動力となっている。
今ではジジババ・ゴミ論がさらに進み、ジジババ害悪論まで、飛び出している。
つまりこの先、私たちジジババに対する風当たりが強くなることはあっても、和らぐことはない。
団塊の世代以上の人たちにとっては、たいへん住みにくい世界が、そこで待ち構えている。
……とまあ、そこまで考える必要はないかもしれない。
しかし北朝鮮の問題は、回り回って、やがてそのあたりまでやってくる。
経済が落ち目になったら、なおさら。
少なくとも、「お爺ちゃん、お婆ちゃん、ありがとうございました」「お爺ちゃん、お婆ちゃん、ゆっくりと休んでいてください」という時代には、ならない。
その覚悟だけは、今からしておいたほうがよい。
●迎撃ミサイル発射、反対!
以上のような理由から、私は迎撃ミサイル発射については、明確に反対する。
北朝鮮のミサイルに当たっても、はずれても、「発射した」という事実は、この先、大きな傷として、残る。
北朝鮮に、日本攻撃の口実を与えることになるかもしれない。
北朝鮮の立場で、それを考えてみると、よくわかる。
北朝鮮にとって、戦争という突破口をいちばん名分化しやすいのは、この日本である。
アメリカや韓国ではない。
この日本である。
ならば「日本にはアメリカがついている」と考えている人は多い。
しかしそれは日本という国が、民主党政権になったときに、すでに日米安保条約は、形骸化した。
欧米では、「反米主義の左翼政権誕生」と、大々的に報じられた。
事実、民主党政権が最初にしたことは、中国詣で。
アメリカ詣でではなく、中国詣で。
あの小沢一郎は、300人近い国会議員や随行者を連れ、イのいちばんに、中国詣でをしている。
さらに民主党政権は鳩山氏を東南アジアに送り、アメリカ抜きの「東アジア共同体構想」をぶちあげた(2009年9月)※。
欧州連合(EU)をモデルにしたものだが、これがいかにアメリカを怒らせたかは、想像するに難(かた)くない。
現在、極東アジア情勢は、完全に日本をはずしてことが進んでいる。
米韓主導。
結論から先に言えば、戦後、日本は、今、最大の危機的状況の中に置かれている。
……だからここは慎重に!、……ということで、迎撃ミサイルの発射には、慎重の上に慎重であるべき。
つまり反対!
迎撃の構えは見せても、迎撃してはいけない。
形はミサイルでも、中身はハリボテ。
そんなミサイルを本気で迎撃する必要はない。
その費用、1兆円以上!
が、それだけではない。
へたに迎撃すれば、中国を利するだけ。
中国はそれを見て、日本ならびにアメリカの迎撃システムや能力を知ることになる。
(注※……東アジア共同体構想、Yahooキーワードより)
『東アジア各国が政治、経済、安全保障などで連携し共存と繁栄を目指す構想。
民主党は衆院選マニフェスト(政権公約)でアジア外交強化の取り組みとして明記。
アジア諸国と信頼関係を築き通商や金融、エネルギー、環境、災害救援、感染症対策などの分野で協力体制を確立するとした。
参加国には、中韓両国や東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国を想定。
米国、インド、オーストラリア、ニュージーランドなどの扱いが焦点となる』(以上、Yahooキーワード)と。
●茶番劇
最後に一言。
今回の北朝鮮によるミサイル発射実験も、結局はアメリカvs中国という、2大国家のはざまで起きる茶番劇に過ぎない。
アメリカにしてみれば、北朝鮮の核兵器、およびミサイルなど、痛くもかゆくもない。
(テロ集団に拡散することは恐れているが……。)
アメリカにしてみれば、中国こそが、最大の脅威。
一方、中国にしても、事情は同じ。
北朝鮮の核兵器、およびミサイルなど、痛くもかゆくもない。
中国にしてみれば、アメリカこそが、最大の脅威。
だからその水面下では、たがいに謀略につづく謀略を繰り返しているはず。
おぼっちゃま然としている日本には、それがわからない。
日本が立ち入るスキなど、どこにもない。
ただ心配なのは、今、日本はその存在感(?)を示そうと、焦っていること。
その(焦り)が、日本を暴走させる。
野田首相は、厳に、慎重であってほしい。
●TK先生より
メールを開くと、TK先生から、返事が届いていた。
『林様:ご親切なメール有難うございました。
大変に心を打たれるメールでした。
御元気そのもののように見えた貴君が、二度もお倒れになったと聞いて驚きました。
これからはお互い様歳をとる一方です。
くれぐれもご注意して下さい。
大切な人ですから。
私にとってお迎えが来るということは亡くなった「マミ」(=奥様)や、娘が待っていて久しぶりに会え、一緒になれる期待が感じられます。
なるようにしかならないこれからですが、お互いに頑張りましょう。
くれぐれもお大事に。
TKより』
(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 北朝鮮問題 はやし浩司 2012-04-02)
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【SRさんより、はやし浩司へ】
[題名] 自分の育て方に自信がもてなくなりました。
[投稿者]SR
小4男児の母です。
息子が2才の時に離婚しました。
父親はいません。
3年から、スポ少に入りました。
スポ少も初めは頑張って行っていましたが、最近は行きたがらなくなりました。
本人は『身体はやりたいけど、いざ行くときになると脳が行きたくないと言う』などと言っています。
祖父母と一緒に暮らしています。
行かないと、周りの皆に迷惑かかる、と、私や祖父母は言っています。
そのせいかどうかわかりませんが、最近は小遣いが足りないといっては、財布からお金を取ったりします。
学校も行きたくないとか、こんな家族要らないから、『死ね!』と言ったりします。
何か、信頼関係が無くなってしまったようにも感じます。
これから先、どう接して行ったらいいか分からなくなってきました。
父親が必要なのでしょうか。
家のみんなは敵、……みたいな感じに思っているのでしょうか。
どうか、アドバイスお願いします。
【はやし浩司より、SRさんへ】
文面からすると、息子さんは、かなり自分勝手で、わがまま。
いわゆるドラ息子症候群による症状が、いくつか出ています。
しかしこのことと、離婚、もしくは母子家庭と結びつけないほうがよいでしょう。
原因は、甘やかしと、きびしさ。
どこかでアンバランスな生活が日常化しているとみます。
たとえば、子どもの言いなりになる一方で、ときにガミガミと強く叱るなど。
また子どもは小3~4前後で、親離れを始めます。
思春期前夜にかかり、情緒も不安定になります。
幼児に戻ったり、おとなぶってみたりを繰り返しながら、徐々に、つぎの思春期を迎えます。
私はこれを「揺り戻し」と呼んでいます。
親としては、どう接したらよいのか、たいへんわかりにくくなる時期です。
で、今の状況では、(1)信頼関係を取り戻そうなどとは、思わないこと。
(子どもは親の愛情を試すようなことを繰り返すようになります。
いちいちそれに引き回されないこと。
親は親で、つまり堂々としています。
「嫌われても構わない!」という態度を示します。)
(2)あなたはあなたで、やるべきことをし、それですまします。
子どもの機嫌を取らないこと。
淡々と、親としてやるべきことをやる、です。
(3)信頼関係は作るものではなく、日々の生活の結果として、(できる)ものです。
それには10年単位の時間が必要です。
感情的な子育てになっていませんか。
短気な子育てをしていませんか。
もしそうなら、子どもの問題ではなく、あなた自身の問題ということになります。
コツは、(1)今以上に、状態を悪くしないことだけを考えなら、子どもの様子をみます。
半年単位で、少しでもよくなれば、御の字。
(2)こうした子どもの非行(盗みなど)は、「まだ以前のほうがよかった……」ということを繰り返しながら、2番底、3番底へと落ちていきます。
親があせればあせるほど、そうなります。
だから性急に、「直そう」などとは、思ってはいけません。
親がドタバタすればするほど、子育ては泥沼に入ってしまいます。
盗みについては、お金の管理を徹底するという方法で、対処します。
たとえばここであせれば、(たとえば子どもの側からみて、愛情に不安感を覚えたりするほどまでに強く叱ったりすると)、夜遊び、外泊、家出……と進んでいく可能性もあるということです。
(それが2番底、3番底という意味です。)
スポーツ少年団については、子どもの判断に任せたらよいでしょう。
ひょっとしたら、やがてスポーツ少年団をやめる程度のことでは、すまなくなります。
信頼関係がなくなった……ではなく、あなた自身が、子どものことをまったく信じていない。
短い文面だけでは、よくわかりませんが、私には、そんな感じがします。
以上が、私がここでアドバイスできることです。
情報が不足しているので、何とも言えません。
なお「父親が必要でしょうか」という心配ですが、祖父母が近くにいるということですから、今は、考えなくてもよいでしょう。
年齢的にも、父親がいればそれで問題が解決するというような問題ではないように、思います。
新しい父親(?)を連れてきても、かえって失敗します。
(私は成功例を知りません。)
あなたはあなたで、(すべきこと)、たとえば仕事でも家事でも、すべきことをします。
仮に20歳くらいまで、子どもの心があなたから離れたとしても、それはそれ。
やがてそれを子どもの側が理解するときがやってきます。
もう少し長い目で、子育てを見つめてみてください。
最近、「ファミリス」という雑誌に、「筋(すじ)と限度」という原稿を書きました。
参考までに、ここに掲載しておきます。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【愛と甘やかし】
●「許して忘れる」
(愛)ほど、ばく然とした概念はないですね。
が、尺度がないわけではないわけではありません。
「許して、忘れる」。
英語では、「For/give & For/get」といいます。
この英文を注意深く読むと、「子どもに愛を与えるために許し、子どもに愛を与えるために忘れる」とも読めますね。
その度量の深さで、親の愛は決まる……と考えてください。
が、「許して忘れる」と言っても、もちろん子どもに、好き勝手なことをさせろという意味ではありません。
親は子どものできの悪さを見せつけられるたびに、悩み、苦しみ、ときには、袋小路へと叩き落とされます。
子どもにかぎらず、人を愛するということは、それほどまでに、つらいこと。
ときに身を引き裂かれるような思いをすることもあります。
ホレホレと子どもを抱いたり、頬ずりするのは、愛でも何でもありません。
そんなことなら、そこらのイヌやネコでもしていますよ。
●誤解
が、この日本には、大きな誤解があります。
子どもに楽しい思いをさせること、楽をさせること、それが「親の愛」と。
また「それによって、親子の絆は太くなる」と。
が、実際には、逆効果。
一度、保護、依存の関係ができると、それを断ち切るのは容易なことではありません。
「親がうるさいから、大学へ行ってやる」と言った高校生がいました。
結婚式の費用について、親が、「半分くらいなら……」と言ったら、それに対して激怒。
「親なら、親らしく責任を取れ。結婚式の費用ぐらい出せ」と迫った、息子もいました。
規範のない、盲目的なでき愛を、(愛)と誤解している人は多いですね。
俗にいう、子どもを甘やかしながら、甘やかしていること自体に気がついていない。
結果、子どもは、ドラ息子、ドラ娘になります。
今や1億、総ドラ息子、ドラ娘と言ってよいほど、このタイプの子どもは多いですよ。
自分勝手で、わがまま。
自己中心的で、利己的。
生活への耐性も失われます。
ある女の子(小4)は、突然、タクシーで家まで帰ってきました。
「どうして?」と話しを聞くと、こう答えたそうです。
「おばちゃんの家のトイレは汚れていて、気持ち悪かったから」と。
ドラ息子、ドラ娘になればなったで、苦労するのは、結局は子ども自身ということになります。
●筋(すじ)
それがどういうものであれ、子育てには、一本の(筋)が必要。
わかりやすく言えば、(一貫性)。
具体的には、YES/NOをはっきり伝え、筋を通す。その筋がなくなったとき、親の心にスキが生まれ、子どもはそのスキをついて、ドラ息子、ドラ娘になります。
その筋のないことを、「甘やかし」といいます。
親の愛とは、基本的には、まったく異質のものと考えてください。
あのバートランド・ラッセル※は、こう書き残しています。
『親として、必要なことはする。しかし決してその限度を超えてはいけません。そんな親のみが、真の家族の喜びを与えられます』と。
(限度)をわきまえている親を、賢い親といいます。
親になるのは、簡単なこと。
しかし賢い親になるのは、本当にむずかしい。
一生のテーマと考えてよいほど、むずかしい。
安易に、節度のない愛に溺れてはいけません。
※…イギリス・ノーベル文学賞受賞者、哲学者)
2012/03/16
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【親の愛情と発達障害】(橋下徹大阪市長の「発達障害がい、愛情欠如説」について)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
橋下大阪市長が、とうとうというか、ついに、「発達障害」という言葉を使った。
いわく「発達障がいの主因は親の愛情欠如」と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●発達障害
最近では、公文書などでは、「発達障がい」と、「害」を「がい」と表記するようになった。
が、この方法は、かえって「害」を強調することになるのでは?
「ボケ」を「認知症」と言い換え、さらに最近ではまた「ボケ」と言うようになった。
その反対の例が、「馬鹿」。
「ホース&ディア(馬と鹿)」と言われて怒る、外人はいない。
が、日本では、「馬鹿」と言えば、さげすみ語になっている。
つまり言葉というのは、漢字の問題ではないということ。
だったら「発達障外」などと表記すればよい。
「発達問題」でもよい。
表記方法はいくらでもある。
●MSN(産経ニュース)より
『……橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」大阪市議団が議会提出する方針の条例案の発達障害をめぐる規定に当事者らから反発の声があがり、橋下市長が3日から4日にかけ短文投稿サイト「ツイッター」で「発達障がいの主因を親の愛情欠如と位置付け、愛情さえ注げば発達障がいを防ぐことができるというのは科学的ではない」などとコメント。
事態の収拾を図ろうとしている』(以上、MSNより)と。
●発達障害・遺伝説
今では発達障害・遺伝説が常識化している。
「親の育て方にも問題がある」などと書いたりすると、抗議の嵐にさらされる。
BLOGなどへの辛らつな書き込みもふえる。
中には、「死ね!」というのもあった。
しかし発達障害の「種」は、どんな子どもにもある、と私は見る。
程度の差もあるだろう。
たとえば、親がはげしく叱ったため、1人2役の独り言を言うようになった女児の例を私は知っている。
それまでは、ごくふつうの子どもだった。
そのとき、その女児は、2歳だった。
母親はこう言った。
「2役といっても、まったくの別人格。
気味が悪いです」と。
さらに4歳のとき、風呂の水を出しっぱなしにして遊んでいた男児がいた。
そのため2階から1階まで、水浸し。
(その子どもの家では、風呂は2階にあった。)
それを見た祖父が、尋常でない叱り方をした。
とたん、その子どもは、様子がおかしくなった。
空を見つめ、ブツブツと、訳のわからないことを口にするようになった。
病院へ連れていくと、「自閉症」と診断された。
その男児も、それまでは、ごくふつうの子どもだった。
これら2例は、私がまだ30代のはじめ、経験した話である。
すべてを遺伝で考えることはできない。
仮にそういう遺伝的要素があっても、発達障害児にならないケースもあるのでは?
一方、仮にそれまで遺伝的症状がなくても、ある事件をきっかけに、症状が出るということもある。
ただし、兄弟姉妹、さらには、親子、親類縁者に、似たような症状を示す人が多いことも、事実。
そういう点では、私も「遺伝説」を支持する。
●育て方
が、意伝説を支持するにしても、つぎの2つのことに注意したらよい。
(1)引き金を引かない
(2)症状をこじらせない
先にも書いたように、生まれながらにして症状を示すケースもないわけではない。
しかし生まれながら(=生後直後)に、それを診断できるケースは、これまた常識で考えても、ありえない。
(あの新生児を見て、~~障害と判断できる専門家はいない。
ただし脳の器質障害については、脳波の測定などにより可能かもしれない。)
ただ生後まもなくの段階で、親が様子のおかしさに気づき、無理をするケースがある。
たとえば夜泣きがはげしかったりすると、強く叱ったりする、など。
が、強く叱れば叱るほど、子どもの心は(ゆがむ)。
どう(ゆがむ)かは、ケースバイケースだが、ともかくも、その後、何らかの症状となって現れる。
さらによくあるケースは、たとえばかん黙児や、AD・HD児のばあい。
3~4歳児になると、症状が現れてくる。
が、その段階で、親は、そういった「障害」をもっていることに気づかず、無理に無理を重ねる。
はげしく叱ったり、さらには暴力を加えたりすることもある。
これが症状を複雑化する。
こじらせる。
放っておいても、小学3~4年生(10歳前後)で、こうした症状は快方に向かう。
子ども自身がもつ、自己管理能力が発達するためである。
脳には、自らを正常化するという機能が、備わっている。
要するに脳の機能障害というのは、そういうもの。
それを薬物などで治そうとするから、かえって症状が長引いたり、悪化したりする。
「リタリン」を例にあげるまでもない。
つまり遺伝説は遺伝説として、後天的に、引き金を引いたり、さらに不適切な指導、対処によって、症状を悪化させたり、こじらせるということもあるということ。
すべての症状が遺伝的に、つまり生まれながらにプログラム化されているわけではない。
●愛情欠如?
橋下市長は、「愛情欠如」という言葉を使った。
これに対して、当事者らから反発の声があがったという。
当然である。
発達障害は、愛情の問題ではない。
愛情がなければ問題だが、愛情があっても、発達障害を示す子どもは、いる。
LD児などは、その一例ということになる。
一方で、愛情がなくても、健常児に育つ子どもも、これまたいくらでもいる。
つまり(愛情)と(発達障害)の間には、因果関係はない。
が、あるとすれば、先にも書いたように、後天的に(引き金を引いたり)、(無知が原因で、症状をこじらせる)というケースである。
これは遺伝ではない。
どこかで親の愛情に結びついている。
「親の愛情がもう少し深ければ、こうまで症状はこじれなかっただろうな」というケースは、少なくない。
だから橋下氏の意見には、一理あるということになる。
が、あくまでも「一理」。
●暴走
橋下氏は、若い。
経験不足。
認識不足。
そういった面は、多々見られる。
それがときとして、暴走する。
今回の「愛情欠如説」も、そのひとつ。
まあ、率直に言えば、危なっかしいが、それが橋下氏の魅力でもある。
ふつうの人なら、これだけで気が滅入ってしまうだろう。
もの書きなら、ツィッターを閉鎖し、筆を折ってしまうかもしれない。
が、橋下氏は、へこたれない。
その強靱さに、私は別の魅力を感ずる。
……というように、橋下氏を擁護し、この話は、ここまで。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 発達障害 発達障がい 愛情欠如説 愛情欠落説)
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 2012年 5月 18日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【焼津・Hotel Ambia 松風閣にて】
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
午後になり、少し昼寝。
起きたのが、1時半。
「2時に行こう」と私。
目的地は焼津(やいづ)。
焼津の市内で、夕食。
そのまま近くのホテルで1泊。
Hotel・Ambia・松風閣。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●北朝鮮の人工衛星(光明星1号)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
今日、北朝鮮の人工衛星について書いた。
アクセス数が多かったこともあるが、
書き足りなかった点もあるので、改めて
書き足してみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
ここ数日、週刊現代誌に載っていた、北朝鮮の人工衛星なる模型が気になってしかたない。
現在、ピョンヤンの「電子工業館」に展示してある模型は、前回、北朝鮮が打ち上げた人工衛星、「光明星1号」の模型という。
模型だから、本物ではない。
しかしまったくの、創造物とは言い難い。
もちろん、おもちゃではない。
こうした展示館で模型を飾るときは、常識として、できるだけ本物に近いものを並べる。
たいていは、予備に作った本物を並べる。
古今東西、どこの展示館でも、そうしている。
だから週刊現代誌で紹介されている人工衛星は、かぎりなく本物(?)に近いものと考えてよい。
しかし疑問がいくつかある。
●スプートニック1号、2号
北朝鮮の人工衛星を見て、まず気がつくのは、その形状。
一見して、旧ソ連が打ち上げた、スプートニック1号および2号にそっくり。
球形で、アンテナが斜め後方に4本、伸びている。
スプートニック1号および2号の写真と、北朝鮮の人工衛星の写真を並べて、紹介する。
なおスプートニック1号、2号というのは、スプートニク計画により、1950年代後半に旧ソ連によって地球を回る軌道上に打ち上げられた、人類初の無人人工衛星をいう。
(1950年代だぞ!)
(スプートニック1号)
(スプートニック2号)
(北朝鮮の人工衛星)
この3枚の写真を見比べただけでも、北朝鮮の人工衛星がいかに「おもちゃ風」であるかがわかる。
おもちゃでなければ、サッカーボール。
あるいはクラブやディスコの天井につり下げてある、ミラーボール。
週刊現代誌は、「おもちゃイムニダ」と皮肉っている。
●疑問(1)アンテナ
アンテナを見たとき、最初にこう思った。
「これはラジカセのアンテナ?」と。
よく見ると、1本のアンテナが3段に分かれている。
携帯用のアンテナなら、伸縮できるように、3段にしたりする。
しかし人工衛星では、それは必要ではない。
仮に必要であるとしても、いったい、だれがどのようにして伸したり、縮めたりするのか。
が、さらに詳しく見ると、3段になったアンテナが、その接続部で、溶接らしきものがほどこしてあるのがわかる。
写真でも見ても、それぞれの部分が、不揃いにふくらんでいる。
(北朝鮮の人工衛星・3段になったアンテナ)
(北朝鮮の人工衛星・アンテナ付け根部分)
仮にこれが人工衛星であるとしても、数百億円もかけて宇宙へ飛ばす価値があるのだろうか。
反対に、数百億円もかけて飛ばすくらいなら、もう少しその価値のあるものを打ち上げるのではないだろうか。
この矛盾を、どう考えたらよいのか。
●着色の謎
謎はまだつづく。
宇宙では、温度の差が問題となる。
たとえば月面では、昼は+120℃、夜はー150℃になる。
月は自転をしているので、昼の蓄熱と夜の冷却が繰り返され、まだ温度差は小さい。
では、宇宙ではどうか。
回転していなければ、太陽の光の当たる表面は、限界温度、裏はー270℃近くになる。
そのため人工衛星は、温度を平均化するため、回転するようにできている。
とくに人間が居住するような人工衛星は、そうである。
が、もし機器を積んだだけの人工衛星であれば、「熱」だけを考えればよい。
電子機器は、「冷え」には強いが、「熱」には弱い。
そこで人工衛星は、スプートニック1号、2号のように、熱を反射するため、ピカピカに磨かれる。
ところが、である。
北朝鮮の人工衛星は、ピカピカどころか、着色してある。
わざわざ着色した理由は何なのか。
つまりここが不自然。
●本物と模型
私は子どものころから、プラモデルを作るのが趣味だった。
そのプラモデル。
よくできたプラモデルほど、本物に近い。
たとえば飛行機にしても、それぞれの部品には意味がある。
意味のない部品は、ない。
「こんなところに、こんなものがついている。何だろう……」と考えていくと、かならず、その答がある。
とくに戦闘機のばあいは、無駄がない。
もちろん飾りもない。
(塗装は別だが……。)
一方、たとえばガンダムのようなプラモデルは、言うなれば、「ウソの塊(かたまり)」。
もっともらしい部品は無数についているが、みんなウソ。
そこにある部品の意味を考えても意味は、ない。
すべてが作者の想像力から生まれた、「飾り」である。
つまり本物をもとにしたプラモデルと創作をもとにしたプラモデルのちがいは、ここにある。
で、人工衛星のばあいは、どうか。
……とあえて問題を提起するまでもなく、無駄なものは、いっさい、ない。
飾りも、いっさい、ない。
戦闘機のような塗装も、ない。
そんな必要もないし、そんなことをすれば、重くなるだけ。
その人工衛星に着色がしてある?
タイルごとに、2色が使われている?
しかも人工衛星の本体は、球形ではなく、多面体。
昔見た、ウルトラマンの映画にも、こんな人工衛星は出てこない。
●つづく疑問
もう一度、スプートニック2号の写真を見てほしい。
スプートニック2号は、ロケット本体に、きちんと格納してある。
つまりこの状態で宇宙へ飛んでいく。
つまり宇宙へ届いたら、カプセルが開き、人工衛星は外へ放たれる。
が、問題は、そのとき。
人工衛星が宇宙へ放たれると同時に、当然、アンテナは、傘を開くように開かれる。
そこでスプートニック1号の写真をよく見てほしい。
アンテナの付け根部分である。
たぶんバネ式になっていて、アンテナが開く構造になっているのがわかる。
かなり複雑な構造をしている。
一方北朝鮮の光明星1号は、見るからにラジカセのアンテナ風。
自動的に開くとか、そういった構造になっていないことがわかる。
「どうやって宇宙で開くのだろう」と考えるだけ、ヤボ。
このアンテナでは、宇宙で、開くことはできない。
が、展示してある光明星1号のそれは、ちゃんと開いている。
●結論
北朝鮮の人工衛星は、どう見ても人工衛星ではない。
アンテナひとつとりあげても……というか、私たちの家にあるラジカセのアンテナと見比べてみればよい。
取りつけ方、形状ともに、そっくり!
恐らく今回打ち上げるミサイルにしても、似たようなものが積んであるのだろう。
重さは、100キロという。
北朝鮮は、世界に公開すると言っている。
だったら、その衛星本体を見せればよい。
ちがうかな?
●夢
北朝鮮の人工衛星の話はひとまず、ここでやめ、つぎの話。
昼寝をしたとき、こんな夢を見た。
おもしろい夢だったので、ここに記録する。
……私は、どこかの山道を歩いていた。
その先には、幾重も、低い山が連なっていた。
私は、どこかの町、……たぶん浜松市をめざして歩いていた。
が、ふとこんなことを考えた。
こんな山なら、エンジン付きのパラグライダーで飛び越えてやろう、と。
もちろん私は、パラグライダーなるものには、乗ったことがない。
見たことはある。
山荘の空の上を、よく飛んでいる。
が、いくら飛び立とうとしても、空を、木々の枝が覆っていて、飛び立てない。
木々の枝が、電線のようになり、それをじゃました。
そこで私はこう考えた。
棒高跳びで使うような棒を用意し、それでひとっ飛びに山を乗り越えてやろう、と。
幸い棒はすぐ見つかった。
丸くて長い棒だった。
私はその棒をよじ上り始めた。
が、しばらく上っていくと、下から何人かの男たちも、いっしょに上ってくるのがわかった。
1人は、私のすぐ下にいた。
気にはなったが、私は上を見、そのまま上りつづけた。
あとはそのまま向こう側へ倒れればよい。
それでこの深い山を、抜け出ることができるはず……。
というようなことを、心のどこかで考えていた。
私は棒を上った。
かなり高いところまで上った。
雲が、はるか下に見えた。
が、やがて棒の先端に。
その先端には、小さな看板が打ちつけられていた。
見ると、それには、「神」と書いてあった。
それを見て、私は、「ああ、ここは天国」と思った。
で、その看板をつかもうとすると、その看板は、スーッと消えた。
手をよけると、その看板が現れた。
で、もう一度、その看板をつかもうとした。
やはり、同じように、その看板は、スーッと消えた。
……そこで目が覚めた。
●夢判断
支離滅裂な夢だった。
が、意味がないわけではない。
自分なりに夢分析をしてみる。
++++++++++++++
山の中にいた……私の閉ざされた世界を、象徴している。閉塞感。
「抜け出たい」という思い……生への葛藤。あるいは束縛からの解放。
空を覆う木々の枝……生きることにまつわる障害の数々。
丸い棒……男の象徴。ジャックと豆の木の話に出てくる、豆の木。
棒を上る……どこか芥川龍之介の『蜘蛛の糸』様。
後からついてくる男……不安の象徴。強迫観念。
「神」と書いた看板……頂点をめざしたいという欲求。願望。
看板が消える……天国に到達できないという限界。それにまつわる、はがゆさ。葛藤。
++++++++++++++
●リビドー
空を飛ぶという夢は、ときどき見る。
が、思うように飛べないときのほうが、多い。
あるいは飛んでも、うまくコントロールできない。
「夢判断」なるものによれば、いろいろに解釈できる。
が、ジークムント・フロイトなら、こう言うだろう。
「抑圧されたリビドー(性的エネルギー)の解放を求めて葛藤している」と。
そう、このところ不完全燃焼感が強い。
何をやっても、中途半端。
達成感や満足感がない。
何かをしなければと思うが、その何かが、何であるかさえわからない。
そこにあるはずなのに、手が届かない。
このはがゆさ。
それが先に書いた夢の中に、凝縮されている。
が、精神科医なら、たぶん、こう判断するだろう。
「この男は、かなり強い強迫感をもっている」と。
●強迫性障害
ウィキペディア百科事典では、つぎのように定義している。
『強迫症状とは強迫性障害の症状で、強迫観念と強迫行為からなる。
両方が存在しない場合は強迫性障害とは診断されない。
強迫症状はストレスにより悪化する傾向にある。
(1)強迫観念(きょうはくかんねん)とは、本人の意志と無関係に頭に浮かぶ、不快感や不安感を生じさせる観念を指す。
強迫観念の内容の多くは普通の人にも見られるものだが、普通の人がそれを大して気にせずにいられるのに対し、強迫性障害の患者の場合は、これが強く感じられたり長く続くために強い苦痛を感じている。
ただし、単語や数字のようにそれ自体にはあまり意味の無いものが執拗に浮かぶ場合もある。
(2)強迫行為(きょうはくこうい)とは、不快な存在である強迫観念を打ち消したり、振り払うための行為で、強迫観念同様に不合理なものだが、それをやめると不安や不快感が伴うためになかなか止めることができない。
その行動は患者や場合によって異なるが、いくつかに分類が可能で、周囲から見て全く理解不能な行動でも、患者自身には何らかの意味付けが生じている場合が多い』(以上、ウィキペディア百科事典より)と。
強迫性障害(患者数)と診断される日本人は、100万人とされる(ウィキペディア百科事典)。
人口の約2%(世界共通)だそうだ。
この数を多いとみるとか、少ないとみるか……。
が、内容は、一様ではない。
ウィキペディア百科事典では、つぎのように分類している。
『(1)不潔強迫……潔癖症とも言われている。手の汚れが気になり、手や体などを何度も洗わないと気がすまない。
体の汚れが気になるためにシャワーや風呂に何度も入る患者によっては電車のつり革を触ることが気持ち悪くて手袋をはめて触ったり、お金やカード類も外出して穢れた、汚れたという感覚を持つため帰宅の度に洗う場合もある。
(ただし、本人にとって不潔とされるものを触ることが強い苦痛となるため、逆に身体や居室に触れたり清掃することができずに、かえって不衛生な状態に発展する場合もある。手の洗いすぎから手湿疹を発症する場合もある)など。
(2)確認行為
確認強迫とも言う。外出や就寝の際に、家の鍵やガスの元栓、窓を閉めたか等が気になり、何度も戻ってきては執拗に確認する。
電化製品のスイッチを切ったか度を越して気にするなど。
(3)加害恐怖
自分の不注意などによって他人に危害を加える事態を異常に恐れる。
例えば、車の運転をしていて、気が付かないうちに人を轢いてしまったのではないかと不安に苛まれて確認に戻るなどの行為。
赤ん坊を抱いている女性を見て、突如としてその子供を掴んで投げてしまったり、落としたりするのではないかというような、常軌を逸した行為をするのではないかという恐怖も含まれる。
(4)被害恐怖
自分が自分自身に危害を加えること、あるいは自分以外のものによって自分に危害が及ぶことを異常に恐れる。
例えば、自分で自分の目を傷つけてしまうのではないかなどの不安に苛まれ、鋭利なものを異常に遠ざけるなど。
(5)自殺恐怖
自分が自殺してしまうのではないかと異常に恐れる。
(6)疾病恐怖
または疾病恐怖症など。
自分が重大な病や、いわゆる不治の病などにかかってしまうのではないか、もしくは、かかってしまったのではないかと恐れるもの。
HIVウイルスへの感染を心配し、血液などを異常に恐れたりするものも含まれる。
(7)縁起恐怖
縁起強迫ともいう。
自分が宗教的、もしくは社会的に不道徳な行いをしてしまうのではないか、もしくは、してしまったのではないかと恐れるもの。
信仰の対象に対して冒涜的な事を考えたり、言ってしまうのではないかと恐れ、恥や罪悪の意識を持つ。
例えば、神社仏閣や教会において不信心な事を考えてしまうのではないか、聖典などを毀損してしまうのではないか、というもの。
ある特定の行為を行わないと病気や不幸などの悪い事柄が起きるという強迫観念に苛まれる場合もあり、靴を履く時は右足から、などジンクスのような行動が極端になっているものも見られる。
(8)不完全恐怖
不完全強迫ともいう。物を秩序だって順序よく並べたり、対称性を保ったり、本人にとってきちんとした位置に収めないと気がすまず、うまくいかないと不安を感じるもの。
例えば、家具や机の上にある物が自分の定めた特定の形になっていないと不安になり、これを常に確認したり直そうとする等の症状。
物事を進めるにあたって、特定の順序を守らないと不安になり、うまくいかないと最初から何度もやり直したりするものもある。
郵便物を出す際のあて先や、書類などに誤りがないかと執拗にとらわれる場合もあるため、結果として確認行為を繰り返す場合もある。
(9)保存強迫
自分が大切な物を誤って捨ててしまうのではないかという恐れから、不要品を家に貯めこんでしまうもの。
本人は不要なものだとわかっている場合が大半のため、自分の行動の矛盾に思い悩む場合がある。
(10)数唱強迫
不吉な数やこだわりの数があり、その数を避けたり、その回数をくり返したりしてしまう。
数字の4は「死」を連想するため、日常生活でこの数字に関連する事柄を避ける、などの行為。
(11)恐怖強迫
ある恐怖あるいはことば、事件のことを口にできない。
そのことを口にすると恐ろしいことが起こると思うため口にできない。
この他、些細であったり、つまらない事柄、気にしても仕方の無い事柄を自他共に認める状態にあっても、これにとらわれ(強迫観念)、その苦痛を避けるために生活に支障が出るほど過度に確認や詮索を行う(強迫行為)』(以上、ウィキペディア百科事典より。詳しくは……、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E8%BF%AB%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3
●私のばあい
私のばあい、(1)~(11)のどれにも当てはまらない。
「そういうことも、たまにはあるな」という程度。
……ということで、ウィキペディア百科事典を読み、少し安心する。
(自分でそう思っているだけかもしれないが……。)
と、同時に、「あの人が、そうだ」「この人も、そうだ」と、いろいろな人が頭の中に思い浮かぶ。
が、ここで誤解してはいけない。
だれにも、ここに書いたような傾向はある。
ない人はいない。
あとは軽重の問題。
それが重くなり、通常の社会生活がむずかしくなった状態を、「強迫性障害」と呼ぶ。
ここに書いてあることがあてはまるからといって、「障害者」ということにはならない。
(あてはまらないから、強迫性障害でないということにもならないが……。)
●出版の世界
私はこうしていつもものを書いている。
が、けっして、何かに追い立てられて書いているのではない。
むしろ逆。
それが楽しいから、書いている。
本を読むのが好きな人がいるように、私は、ものを書くのが好き。
書いているときだけ、私は私でいられる。
反対に書かないでいると、頭の中が、すぐパンクしそうになる。
で、それを書いて、吐き出す。
その爽快感がたまらない。
前にも書いたが、ひどい便秘症の人が、BENを、ドサッと出したときの気分に似ているのでは……?
だから書く。
で、たまたま今日も、田丸謙二先生から、メールが届いた。
「だったら、本を書きなさい」と。
実のところ、もう本には興味はない。
どうでもよい。
それよりも、時間が欲しい。
時間が足りない。
書きたいことがつぎつぎと出てきて、ときに自分でも収拾がつかなくなるときがある。
それに本といっても、私のほんの一部。
一部を切り売りしても、意味はない。
満足感は得られない。
田丸謙二先生は、知らないが、この10年間だけでも、私は、10万枚(40字x36行)以上の原稿を、書いている。
平均すれば、1日28枚前後。
これらをすべて本にすれば、130枚前後で1冊の本になるので、770冊(単行本)。
もちろんそのほとんどは、本にする価値もない駄文。
が、どんな駄文でも、それは「私」。
「これは駄文でないから、本にする」「これは駄文だから、本にしない」というのであれば、最初から本にしてもらわなくても、結構。
……というか、本当は、私は出版社に、相手にされていない。
相手から見れば、私など、どこかのただの(馬の骨)。
出版社を責めているのではない。
私自身も、若いころ、出版社の立場で、本や教材の編集を手伝っていたことがあるから、そのあたりの事情は、よく知っている。
本といっても、商品。
出版社は、まず売れる本かどうかを判断する。
販売部、もしくは営業部が、それを判断する。
編集部が動くのは、そのあと。
逆に編集部が動いたとしても、販売部が「NO」と言えば、その企画は流れる。
もちろん買い取り部数がしっかりと確約されているばあいは別。
たとえば宗教団体の多くは、こうした手法で本を出す。
「○○万部は、うちで買いますから……」と。
ほかに自費出版という方法もある。
が、私には経験がない。
本になるかならないかは、知名度と時代性で決まる。
もちろん私には、そんな力はない。
知名度、ゼロ。
……これ以上書くと、グチになるから、この話はここまで。
●不完全燃焼感
要するに、先ほど見た夢は、私の不完全燃焼感を、そのまま象徴化している。
「何かをしなければと思うが、その何かが、何であるかさえわからない。
そこにあるはずなのに、手が届かない」と。
何だろう?
どうすればいいのだろう?
列車は、先ほど、掛川を通り過ぎた。
書き忘れたが、今、私はこの原稿を、焼津に向かう列車の中で書いている。
●DSM-IV
再び、強迫性障害について。
DSM-IVの診断基準によれば、(1)強迫観念と、(2)強迫行為の2つがあって、はじめて強迫性障害と診断されるそうだ。
で、この中で興味深いのは、(7)の縁起恐怖。
先にも書いたように、「あの人がそうだ」「この人もそうだ」という人が、つぎつぎと浮かんでくる。
「縁起恐怖」というより、「迷信恐怖」。
この迷信という代物は、実にやっかい。
一度取りつかれると、それから逃れるのは、容易なことではない。
前にも書いたが、こんな人がいた。
原稿をさがしてみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
2008年11月に書いた原稿、ほか1作
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●迷信
迷信のはじまり……仏壇屋のおやじが、こんなおもしろい話をしてくれた。
「たとえばね、何かの法事をしなかったとしますね。
そのあと、何かの事故が起きたりすると、『やっぱり、これは先祖様を供養しなかったためだ』とかなんとか、人は思ったりするものです。
反対にね、もし法事をしたあと、何かいいことがあったとしますね。
すると『やはり、先祖様を大切にすることはいいことだ』と、人は思ったりするものです。
つまりね、林さん、こうして迷信というのが生まれてくるんですよ。その人の中に……」と。
仏壇屋という職業を通して、そのおやじは、人の生死を見つめてきた。
私は仏壇屋のおやじらしからぬ話を聞きながら、そのつど、感心した。
「この人は、ただの人ではないぞ」と。
つまりそのおやじは、人間が根源的にもっている(弱さ)を見抜いている!
「そんなことを言ったら、仏壇が売れなくなりますよ」と私は言いかけたが、それは言わなかった。
●私の母
私の母は、若いころから迷信深い人だった。
「迷信のかたまり」とさえ思ったことがある。
一貫性がなく、そのつど、迷信に振り回されていた。
もっとも母はそれでよいとしても、それによって振り回される私たちは、たまったものではない。
たとえば靴一足を買うにしても、時間が指定された。
「夕方から遅い時間に買ってはだめ」とか、「買うなら、朝にしなさい」とかなど。
ほかに、「表(=玄関)で脱いだ靴は、裏(=勝手場)のほうで、はいてはだめ」というのもあった。
ときには、靴を買う日まで、指定されたこともある。
「今日は、日が悪いので、買ってはだめ。あさってにしなさい」と。
一事が万事。
ありとあらゆることに、その迷信が、入り込んでいた。
学校へ行くときも、裏口から出て行こうとすると、そこで呼び止められ、叱られた。
「表(=玄関)から出て行きなさい!」と。
幼いころの私はそれに従ったが、小学3、4年生にもなるころには、息苦しさを覚えるようになった。
私は、そのつど母に反発したが、母は母で、自分の主張を曲げなかった。
そういう話を、寺や神社で聞いてきて、いつも私にこう言った。
「そういうことを言うと、バチが当たる!」と。
●されど迷信
迷信、ただの迷信、されど迷信。
その迷信と戦うにも、かなりの勇気が必要。
ゆいいつの武器は、知性と理性、それに知識である。
何かのことで「おかしい?」と感じたら、そのことについて、徹底的に自分で調べるのがよい。
けっして不可思議なものに心をゆだね、その虜(とりこ)になってはいけない。
できればはじめから、近づかないこと。
こうした迷信というのは、一度気にすると、心の内側にペタリと張りつく。
取れなくなる。
取れなくなるばかりか、ときに自分が自分でなくなってしまう。
このことは、子どもの世界を見ているとわかる。
10年ほど前、それについて調べたことがあるが、小学生にしても、大半が、まじないや、占いを信じている。
「霊」の存在を信じている子どもも、多い。
大切なことは、自分で考えること。
仮に納得がいかないことがあったとしても、それを不可思議な「力」のせいにしてはいけない。
こんなことがあった。
ある家庭に、3人の子どもがいた。
上から、長男、長女、それに二女。
長男、長女は、中学時代から札付きの番長に。
高校へは進学しなかった。
二女は、だれの子ともわからない子どもを妊娠、そして出産。
長女が、17歳のときのことだった。
それについて、迷信深い叔父が近くにいて、「これは何かのたたり」と言って騒いだ。
そこでその両親は近くの神社を訪れ、「お祓(はら)い」なるものをしてもらった。
が、原因は、母親自身にあった。
親意識が強く、権威主義。
口もうるさかった。
その上わがままで、思いこみもはげしかった。
子どもの心など、最初から、どこにもなかった。
父親はいたが、週に1、2度赴任先の会社から帰ってくる程度。
母親は自分が感ずるストレスを、そのまま子どもたちにぶつけていた。
子どもたちにすれば、さぞかし居心地の悪い家庭だっただろうと思う。
その結果は、先に書いたとおりである。
つまりほんの少しだけでも、その母親に(考える力)があれば、こうした事態は防げたはず。
が、その母親には、その力さえなかった。
もっとも今は、3人ともそれぞれが結婚し、家庭をもち、それなりに幸福に暮しているから、とくに問題はない。
またその後のことは聞いていないが、あの母親のことだから、今ごろは、きっとこう言っているにちがいない。
「何かあったら、あのX神社でお祓いをしてもらうといいですよ」と。
(以上、2008年11月記)
Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 08++++++++++はやし浩司
●迷信について(もう1作)
信仰は、あくまでも教えに従ってするもの。
迷信や狂信、さらには、妄信は、人の心を狂わす。
かえって危険ですら、ある。
S市に住む、Aさん(女性、妻)から、以前、こんなメールをもらった。「私が、夫の宗教を批判するたびに、夫は、『お前がそういうことを言うと、ぼくたちは、地獄へ落ちる』と言って、体をガクガクと震わせます」と。
最初、そのメールを読んだとき、「冗談か?」と思った。
その夫というのは、国立大学の工学部を卒業したような、エリート(?)である。
そんな人でも、一つの宗教を妄信すると、そうなる。
もし、仮に、人間に、そういったバチを与える宗教があるとするなら、それはもう信仰ではない。
少なくとも、神や仏の所作(しょさ)ではない。
悪魔の所作である。
だいたいにおいて、神や仏が、いちいち人間のそうした行動に、関与するはずがない。
たとえば私の家の庭には、無数のアリの巣がある※。アリから見れば、私は、彼らの神か仏のようなもの。
私はその気にさえなれば、彼らを全滅させることもできる。
だからアリたちも、ひょっとしたら、そう思っているかもしれない。
「あの林は、我々の神様だ」と。
そのアリの中の一匹が、私(=はやし浩司)の悪口を言ったとしても、私は気にしない。
私を否定しても、私は記にしない。
もともと相手にしていないからだ。いわんや、バチを与えているようなヒマなど、ない。
人間社会を、はるかに超越しているから、神といい、仏という。
もし神や仏がいるとするなら、宇宙的な視野で、かつそれこそ11次元的な視野で、人間社会を見つめているにちがいない。
そういう神や仏が、いちいち人間に、バチなど与えるはずがない。
ものごとは、もっと常識で考えたらよい。
信仰には、たしかにすばらしい面がある。
しかしそれは、教えによるもの。
あの釈迦も、法句経の中で、『法』という言葉を使って、それを説明している。
※アリの大きさを、〇・五センチ。人間の大きさを、一七〇センチとすると、その面積比は、1:115600となる。
私の家の庭は、約五〇坪(165平方メートル)だから、この五〇坪の庭は、そこに住むアリにとっては、人間の住む広さに換算すると、165x115600/1000000=19(平方キロメートル)の広さということになる。
人間の社会で、一辺が約四キロメートル四方の社会が、この庭の中で、アリたちによって営まれていることになる。
私が住んでいるI町(町内)だけでも、約一万世帯。
約三万人の人が住んでいる。
大きさも、約四キロメートル四方だから、私の庭は、アリにとっては、私が住む町内と、同じ広さということになる。
多分、この庭に住んでいるアリも、約三万匹はいるのでは……?
初春の陽光をあびて、青い草が、さわさわと風に揺れている。
その庭を見ながら、ふと、今、そんな計算をしてみた。
(しかし、この計算は、どこかおかしい? 人間なら、四キロ歩くのに、約一時間かかる。
しかしアリが、この庭を端から端まで横切るのに、一時間はかからない。
一〇分くらいで行ってしまうのでは?
あるいは、アリは、歩く速度が、速いのか。
今、ふと、そんな疑問が、心をふさいだ。
ヒマな方は、電卓を片手に、一度、計算しなおしてみてほしい。)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●Hotel Ambia 松風閣(焼津)
「ホテル・アンビア」という。
地元の人は、「松風閣」という。
海岸の絶壁に建つ、絶景第一のホテル。
いろいろなホテルに泊まったが、まさに絶景。
断崖絶壁の上に建つ、絶景のホテル。
部屋へ入ったとき、思わず、ウォーッと声をあげてしまった。
まるで空中の楼閣のよう。
眼下というより、真下に海岸線が見える。
たまたま今日は、「爆弾低気圧」が発生したとか。
四国のどこかでは、秒速42メートルの突風を記録している。
そのせいか、5~6メートルもあるような大波が、真下で絶壁に打ち上げ、白いしぶきをあげていた。
ハイクラスの、やる気度120%の、豪華ホテル。
浜松周辺では、このホテルと比較できるホテルといえば、伊良湖岬にある、伊良湖ビューホテル。
しかしこのホテルのほうが、上品。
ビューホテルのほうは、客層があまり、よくない(失礼!)。
部屋へ入ると、若い女性が、館内の説明をしながら、お茶を立ててくれた。
●夕食
夕食は、ここへ来る前、焼津さかなセンターで食べた。
さかなセンターの中には、いくつかの食堂がある。
その中の1つで、食べた。
なお焼津さかなセンターで売られている魚介類は、ショッピングセンターのそれと比べて、2~3割は安い。
が、食堂の料理は、「安い」という印象は、もたなかった。
で、夕食は、抜き。
が、その間に入浴すれば、がらがらのはず。
案の定、その時間をねらって大浴場へ行くと、客は私、1人だけ。
ゴーゴーと吹きすさぶ黒い雲を見ながら、露天風呂につかる。
まさに、絶景かな、絶景かな。
大満足!
明日は窓から富士山がながめるとか。
天気予報を調べると、「晴れ、ときどき曇り」とか。
ラッキー!
窓の外を見ながら、ワイフがこう言った。
「いつか、こういうときが懐かしくなるかもね」と。
それに答えて、私はこう言った。
「まだまだ序の口。これから遊んで、遊んで、遊びまくる」と。
●今東光
昔、今東光という作家がいた。
政治家でもあり、天台宗の大僧正でもあった。
一度、平泉の中尊寺で、法主(ほっす)として、法要をいとなんでいるのを見たことがある。
11PM(日テレ)で企画を書いているとき親しくなり、それが縁で、今東光ががんに侵されたとき、ときどき見舞いに行った。
今東光は、2度、東京築地のがんセンターに入院している。
最初の1回目は、まったく元気だった。
医師に止められていたにもかかわらず、私を、センターの前にある焼肉屋で連れて行ってくれた。
今東光の病名は、直腸がんだった。
だから私のほうが心配して、「いいんですか?」と聞くと、「いいべえ」と。
そんなある日。
また別の日に見舞うと、突然、こう言った。
「女を買いに行くべえ」と。
当時、今東光は、女性のヌード画を描いていた。
体や性格にまったく不釣り合いな、細い線のヌード画だった。
今東光が前もって電話をすると、画廊のほうで、モデルを用意し、待っていてくれた。
その今東光がこう教えてくれた。
「俺はな、若いころ、修行、修行で、女遊びができなかった。
病気も、もらったがな。
だから今でも、それを思うと、悔しくて、女を買いに行く」と。
たしかそのとき「19歳から23歳まで、修行した」と言った。
そのとき聞いた年齢は記憶によるものなので、不正確。
……今、そのときの今東光の気持ちが、よくわかる。
私も、若いころは、仕事、仕事で、遊ぶことを知らなかった。
暇さえあれば、仕事をしていた。
それが今になってみると、悔しい。
だから、遊ぶ。
今、遊ぶ。
私「あきるほど、遊ぼう」
ワ「そうね」と。
今では、今東光の名前を知る人も、少ない。
なお2度目に入院したときには、今東光は、ベッドの上で身動きが取れない状態だった。
丸いテント様のおおいに覆われ、顔だけ外に出していた。
それでも今東光は、原稿を書いていた。
いつ、どのようにして書いたかは知らないが、原稿を書いていた。
その原稿が、入り口のデスクの上に、きちんと並んでいた。
それが私に強烈な印象を与えた。
●ロビーにて
ワイフが売店へ行こうと誘った。
応じた。
今、ワイフは、売店で、何やら買っている。
クラブの仲間へのみやげらしい。
私は、それを背中に、こうしてパソコンのキーボードを叩く。
……少し前、エレベーターで、9階から下りてきた。
そのとき焼津の夜景が、宝石のように美しく輝いていた。
嵐は去ったよう。
……だれかがエレベーターの中でこう言った。
「明日の日の出は、5時29分ね」と。
運がよければ、またそのとき目を覚ましていれば、私も日の出を見ることができるはず。
楽しみ。
富士山を右手に、美しい写真を撮れるはず。
●春休み
春休みということもあって、どこへ行っても、子どもの声がする。
今も背中側の通路で、子どもたちが騒いでいる。
聞きなれた声だが、うるさいものは、うるさい。
大声で、騒いでいる。
走り回っている。
ロビーの前は、広い日本庭園になっている。
白い砂利が、ロビーの明かりを受け、白く光っている。
そのガラス窓に、ワイフの姿が映った。
何かを買ったらしい。
それを手にもち、ぶらぶらと歩いている。
●小沢系29人(民主党)辞表
ワイフが朝日新聞の朝刊をもってきた。
1面の下の方に、「小沢系29人、辞表」とあった。
小沢系といえば、50人近くいたはず。
つまり20人以上が、小沢一郎から離反したことになる。
「そういうものかなあ」と思ってみたり、「どうしてだろう」と思ってみたりする。
政治の世界は、一寸先が闇。
一枚下も、これまた闇。
そこは権力と欲望が、醜く渦巻く世界。
「いやな世界だろうな」と思ってみたり、「よくやるなあ」と思ってみたりする。
そう言えば、以前、「平成の忠臣蔵」というタイトルで、エッセーを書いたことがある。
野田政権が誕生したとき、小沢派議員の忠僕性を皮肉ったものである。
探してみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●民主党
野田首相が生まれた。
その話をしながら、昨夜も参観に来ていた父親と、こんな話をした。
「どうして管さん(=管直人首相)では、だめなんですかねエ?」と。
するとすかさずその父親も、こう言った。
「私も、そう思います」と。
わかりやすく言えば、みなが寄ってたかって、管直人前首相の足を引っ張った。
官僚、ゼネコン、そして同族の一派。
この日本では、行政改革(=脱官僚政治)を訴えただけで、その政治家は干される。
ゼネコン(=原発建設業者)を叩いただけで、経済界からはじき飛ばされる。
民主党といっても、中身は、派閥政治。
「数」と「金(マネー)」がものをいう、派閥政治。
野党時代は、あれほど自民党の派閥政治を批判していたにもかかわらず、政権与党になっ
たとたん、この体たらく。
もちろんその原点は、忠臣蔵。
私たちが若いころは、毎年12月になるたびに、忠臣蔵がテレビで放映されていた。
恒例番組にもなっていた。
それがそのまま日本人の精神的バックボーンになっている。
政治の世界でも、そうだ。
・・・というのは、考えすぎかもしれない。
しかし今の民主党、とくに小沢一派の議員の動きを見ていると、忠臣蔵そのもの。
称して「平成の忠臣蔵」。
権力を背負っているだけに、暴力団より始末が悪い。
日本人は、あの封建時代の遺物を、いまだに色濃く引きずっている。
●武士道
・・・もし江戸時代の武士道なるものが、どういうものかを知りたかったら、現在の「ヤクザ(暴力団ではない)の世界」を見ればよい。
皮肉なことに、ヤクザの世界は、封建時代における武士の世界そのものといってよい。
忠実に過去を踏襲している。
いまだにその武士道なるものを礼賛する人は多い。
「武士道こそ、日本が世界に誇るべき精神的バックボーン」と説く学者もいる。
しかし封建時代がもつ「負の遺産」に目を当てることもなく、一方的に礼賛するのもどうか?
5%にも満たない武士が日本の社会を牛耳り、95%の日本人が、その暴政に苦しんだ。
江戸時代という時代にしても、世界に類を見ないほど、暗黒かつ恐怖政治の時代だった。
が、何よりも忘れていけないことは、私たちの先祖は、その95%の農民であったという事実。
(工民、商人は、数がぐんと少なかった。)
もしあのまま今でも封建時代がつづいていたら、私たちはまちがいなく、農民だった。
その農民が、武士のまねごとを説いて、どうなる?
どうする?
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●タクシーの中で
今では、どこへ行っても、原発事故と、地震や津波の話。
今日も、そうだった。
JR焼津駅からタクシーに乗ると、運転手がこう言った。
「どちらから?」と。
「浜松から」と答えると、「浜松は、だいじょうぶですか?」と。
運転手は、こう言った。
「焼津の人たちの中にもね、藤枝の方へ引っ越す人がふえていますよ」と。
浜松市内でも、遠州浜沿いに住んでいる人たちの引っ越しが始まっている。
少し前までは、新幹線の北側は安心と言っていた。
が、震度7、津波の高さ21メートル。
3つのプレートが同時に動くと、それくらいの地震になるそうだ。
で、もしそうなら、新幹線の線路でも、防ぎようがない。
地震で地盤の液状化も起こるだろう。
そこへ21メートルの津波!
海抜10メートル前後の下町は、全滅。
3・11大震災前なら、そんな話はだれも信じなかっただろう。
私も信じなかった。
が、今は、ちがう。
「今すぐ……」というわけではないが、いつかは起こる。
かならず、起こる。
そういう前提で、この先を見る。
数日前も、義兄がこう言った。
「下町の人たちが、山の手のほうへ、移動しているよ」と。
義兄は、大地主で、自分の土地の管理もかね、不動産屋を営んでいる。
いやな世の中になったものだ。
今、この瞬間にも、大地震が起こるかもしれない。
●浜岡原子力発電所
ときどき、ワイフとこんなふうに話しあう。
もし大地震が起きたら、すぐ逃げよう、と。
近くには、浜岡原子力発電所がある。
防災は万全と言っているが、だれも信用していない。
私も、信用していない。
あの3・11大震災から数か月後のこと。
浜岡原子力発電所でも、配管に穴が開いているのが見つかった。
放射性物質が、海へ垂れ流されているのがわかった。
で、その前後、「大規模な」(報道)、防災訓練がなされた。
が、その防災訓練が、へん!
消防自動車がやってきて、原子炉に水をかけていた。
原子炉に水だぞ!
私はそれをテレビのニュースで見て、笑ってしまった。
つまり日本の防災意識も、その程度。
北朝鮮では、がんでも、赤チンをつけて治すそうだ。
何かの本で、そう読んだことがある。
それと同じ。
……こういう話は、やめよう。
せっかくの旅行。
考えれば考えるほど、憂うつになる。
●4月4日
明けて、今日は4月4日。
目覚ましを、午前5時15分にセットしておいた。
目覚ましと同時に、目を覚ますと、窓全面に、青い空がまぶしいほどに光っていた。
同時にワイフも目を覚ました。
このホテルには、一度、皇族方全員が宿泊している。
言うなれば家族旅行。
そのときはじめて、私は納得した。
「この景色なら、その価値がある」と。
浜松からは、鈍行列車で来ても、50分。
車で来れば、もっと早い。
愛知県の西浦温泉などよりは、ずっと近い。
こんな近くに、こんなよい温泉旅館があるとは!
星は、文句なしの、5つ星。
すばらしい。
今、時刻は午前8時07分。
大波が右上から左下に、行く筋もの山を作り、その間で、糸のように細い小波が揺れている。
プラチナ色の海。
それを取り囲むように、淡いコバルト色の海。
たった今、デジタルカメラを構えて何枚か写真を撮った。
まぶしくて、液晶画面が見えなかった。
その方向にカメラを向け、勘で撮った。
さあ、このまま帰る。
シャトルバスは、8時30分に出る。
はやし浩司 2012-04-04 焼津・ホテルアンビア・松風閣にて
(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【北朝鮮問題vs私たち日本人の問題】
●迎撃ミサイル発射、反対!
●人工衛星
「週刊現代」(今週号)を読んだ。
グラビアの中で、北朝鮮の人工衛星を紹介していた。
前回発射したとき、ミサイルに搭載したものという。
それを評して、週刊現在誌は、「おもちゃイムニダ」と書いていた。
たしかに、「おもちゃ」。
「おもちゃ」以下の「おもちゃ」。
サッカーボール、あるいはミラーボールのような球体に、アンテナが4本ついていた。
それだけ。
アンテナといっても、明らかにラジカセのアンテナ様(?)。
よく見ると、そのアンテナも、途中で、伸縮できるようになっている。
いったいだれが、どのようにして伸ばしたり、縮めたりするのか?
本体は球形だが、太陽電池らしいものはない。
電波を地上へ送るにも、かなり強力なバッテリーが必要なはず。
バッテリーは、どうするのか。
さらに制御装置らしきものものない。
素人の私が見ても、チャチ。
チャチすぎて、話にならない。
その前のページでは、日本の宇宙ステーションの製造現場を紹介していた。
それと比較しても、一目瞭然。
あれは「おもちゃイムニダ」。
北朝鮮の人たちは、あんなおもちゃを見せつけられ、それが本当に人工衛星と思い込んでいるのだろうか。
週刊現代誌を買い、BLOGの中でその写真を紹介しようと思ったが、やめた。
紹介するまでもない。
それほどまでにチャチな人工衛星だった。
●赤恥
で、私は確信した。
北朝鮮は、ミサイルなど発射しない。
……できない。
その技術もさることながら、仮に発射したとしても、宇宙には届かない。
太平洋上のどこかに墜落する。
が、そこでは、世界中の艦船が、待ち構えている。
うようよと待ち構えている。
そのあたりは、深度40メートル前後という。
当然、人工衛星(?)なるものは、回収される。
そのとき人工衛星がハリボテであるとわかったとしたら……。
北朝鮮は、赤恥をかく程度ではすまない。
今までのウソが全部、バレてしまう。
(といっても、北朝鮮も、そこまでバカではないだろう。
回収されても困らないように、自爆装置くらいはつけているだろう。
自爆装置といっても、爆薬を詰めておけば、それでよい。)
さらに一言。
今回の人工衛星は、気象衛星という。
もしそうなら、飛行制御装置はもちろん、姿勢制御装置は、どうなのか。
地上から、どうやってそれを制御するのか。
宇宙から届く電波を、どうやって受信するのか。
少なくとも地上を撮影するカメラくらいは、ついているだろう※。
だから私は、北朝鮮にこう忠告する。
「今回のミサイル発射実験は、やめたほうがいい。赤恥をさらすだけ」と。
(注※……韓国の報道)
『韓国政府関係者は「観測衛星は通常、先進国の技術でも1500キロを超え、100キロの大きさでは『実用』からほど遠い。核弾頭の小型化を見越した『模擬弾』の意味合いが強い」』(MSNニュース)と。
●アメリカの反応
それを熟知しているのか、アメリカは北朝鮮の代表に、こんな提案をしている。
「人工衛星なら、中国やロシアに打ち上げてもらってはどうか?」と。
が、北朝鮮が「YES」と言うわけがない。
それがわかっていながら、アメリカは、そう提案した。
Yahooニュースは、こう伝えている。
『……北朝鮮外務省・李根米州局長とアメリカ政府の元高官らが先月31日と今月1日、ドイツ東部で非公式の協議を行った。
しかし、双方の溝は埋まらなかったもよう。
セミナーを主催した民間団体の関係者によると、アメリカ側は「人工衛星の打ち上げであれば、中国やロシアに依頼すればよい」と提案したが、北朝鮮側はそれを受け入れなかった』(以上、Yahooニュース)と。
●周囲科学
ひとつの科学が進歩するためには、それを支える周囲科学が必要である。
同じように、人工衛星を作るには、周囲技術が必要である。
部品1個作るのにも、必要である。
いわんや、人工衛星。
少し前まで、乾電池すら自前で作ることができなかった国である。
(恐らく、今も、できないだろう。)
そんな国が、人工衛星など、作れるわけがない。
いわんや、それを宇宙に飛ばすとは……?
もしそれができるとすれば、イランから技術とロケット本体を手に入れたと考えるのが妥当。
イランはすでに人工衛星を軌道に乗せることに成功している。
しかし仮にそうであったとしても、今回のミサイル発射実験には、いくつかの無理がある。
その第一。
発射場への鉄道線路は、つい昨年末(2011)に完成したばかりという(報道)。
一事が万事というか、であるなら、それまでの資材などは、どうやって運んでいたのか。
しかも発射場に立っているクレーンは、ビル建設用のクレーンという。
発射台すら、ない。
知れば知るほど、お粗末。
そんな機材で、本当にロケットなど、打ち上げることができるのだろうか。
報道によれば、発射場にしても、一部、未完成という※。
……ということを考えていくと、今回のミサイルの発射実験は、無理。
で、今ごろ、内部では、こんな相談をしているにちがいない。
幹部A「とにかく、ある程度、飛べばいい」
幹部B「衛星が回収されたら、どうしますか」
幹部C「……発射方向を変えることはできないか?」
幹部D「それもひとつの手だな」
幹部E「いいか、ウソがバレたら、俺たちみな、公開処刑だぞ」
幹部F「……そうなったら、ただちに脱北しよう」と。
(注※……中央日報紙より)
『……中央日報は2日、北朝鮮が長距離弾道ミサイル発射実験とみられる「衛星」打ち上げを予告している平安北道東倉里の発射施設について、一部未完成とみられると報じた。
真偽は不明。施設の衛星写真を見た韓国政府高官の話としている。
それによると、衛星の運搬ロケット「銀河3号」を発射台に据えるため設置される「発射整備台」が見当たらず、発射施設にタワークレーンが置かれているという。
高官は、発射整備台の設置工事が遅れ、クレーンで代用するとみられると指摘したという』(共同)と。
●戯言(たわごと)
こうしたことを書くと、こう反論する人がいるかもしれない。
「貧しい国が、精一杯、背伸びをし、がんばっている。
そういう国を笑ってはいけない」と。
しかしそれは北朝鮮の現状を知らない人が口にする、「戯言(たわごと)」。
独裁政権を維持するために、おびただしい数の人たちが、処刑されたり、収容所へ送られたりしている。
現在の今ですら、その数は、20万人とも、それ以上とも言われている。
つい先日は、軍の高官らが、迫撃砲で、処刑されたという。
「髪の毛一本、残すな」という、金正恩の命令によるものだという。
なお一度収容所へ送られたら最後、生きて帰ってくる人は、ほとんどいないという。
●反面教師
この先のことはわからない。
ミサイル発射実験につづいて、核実験も用意しているという報道もある※(韓国紙)。
やることなすこと、私たちの常識では理解できない。
狂っている。
が、どうであれ、私たちは今を生きる、生き証人として、北朝鮮の現実を、しっかりと記憶しておく必要がある。
歴史は繰り返す。
過去にも同じようなことがあったし、未来にも、同じようなことはある。
そういうときのために、しっかりと記憶しておく。
そして二度と、現在の北朝鮮がしているようなことを、私たちは繰り返してはいけない。
私たちがいつか、同じように狂わないという保証は、どこにもない。
北朝鮮を非難したり、笑ったりするのは簡単なこと。
しかし私たち日本人だって、ほんの70~80年前には、同じようなことをしていた。
それを思うなら、もう少し謙虚になってもよいのでは。
時代が変われば、記憶も薄れ、結局はまた、私たちは、同じことを繰り返す。
それを北朝鮮を通し、私たちは学ぶ。
今、学ぶ。
北朝鮮は、まさにその反面教師ということになる。
(注※……TBS)
『韓国の国防省は、北朝鮮がミサイル発射実験とみられる「衛星」を打ち上げた場合、あわせて核実験も行う可能性があるとの見方を示しました。
「北朝鮮がミサイルを発射した後、短期間のうちに核実験を行う素地があり、状況によっては追加の軍事挑発も憂慮されます」(韓国国防省スポークスマンの会見)』(以上、TBS)と。
●維新の会
そのひとつというわけでもないが、私個人は、「維新の会」なるものに、あってはならない(危険なもの)を感ずる。
「大躍進」というのは、結構なことだが、政治の一貫性ということを考えるなら、けっして望ましいことではない。
自民党がだめだったから、民主党が大躍進した。
が、今度は、民主党がだめだから、維新の会?
維新の会が危険というのではない。
日本人がもつ、短絡性というか、後先を考えない激情性に、危険なものを感ずる。
つまり極端すぎる。
ひとつまちがえば、この日本は、たいへんなことになる。
「維新の会」については、どういう方向性を持っているか、もう少し冷静に、見てみる必要があるのではないだろうか。
支持するのは、それからでも遅くない。
現に今、国歌だの何のと、橋下氏は、かなり右翼的な色彩の濃い発言を繰り返している。
あとになって、私たちは判断を誤りました、ではすまない。
金正恩も若い。
橋下 徹も若い。
ムードだけに酔いしれていると、それこそ、たいへんなことになる。
●TK先生へ
TK先生から、たった今、メールが届いた。
現在TK先生は、自宅を改築中。
その間だけということで、現在、近くの有料老人ホームに入居している。
その返事。
『TK先生へ
近くにいれば、毎晩でも話に行けるのに残念です。
私は実際には、祖父母の手によって育てられました。
また晩年の母は、2年間、私が世話をしました。
ワイフにはさせませんでした。
老人の世話には、慣れています。
そこらの介護士より、老人の扱い方がうまいのは、そのためです。
まったく気になりません。
実兄も、最後はボケ、いろいろありましたが、弟のように感じました。
だから先生の世話など、何でもありません。
多分先生のことだから、そういうところで、自分の近未来を見、ショックを受けられたのだろうと思います。
気持ちはよくわかります。
私も、もし自分に経験がなければ、ショックを受けただろうと思います。
しかしね、楽しめばよいのです。
私はいつも特養へ母を見舞いに行くたびに、周囲の老人たちとバカ話ばかりしていました。
が、ワイフはだめです。
老人と同居した経験がありません。
老人の世話をした経験もありません。
母が家にいる間中、「食事はどうの?」「運動はどうの?」と、そんな心配ばかりしていました。
老人には老人の世界がありますから、そっとしたいようにさせておくのがいちばんよいのです。
ただ、事故が3度つづき、それでこわくなって、特養へ入れました。
どれも、あわや……というような事故でした。
(母は昼間は眠り、夜中に動きまわりましたから……。
それにたとえ事故死であっても、不審死ということで、警察が介入してくると言われました。)
で、ケアマネに相談すると、「24時間、ついていてください」「夜は添い寝をしてください」と。
それでGIVE UP!、です。
私はその間、ただの一度も、ほかの息子や娘たちのように、グチを言ったことはありません。
つまりそういうことが、さらっとできるのです。
いつも祖父母のふとんに潜り込んで寝ていましたから……。
寒い夜は……。
中学生くらいになっても、です。
でもね、先生、こんなことを発見しました。
私も、この2年間で、2度、倒れました。
(軽いのを含めると、3度です。)
一度は、気を失い、大きなガラス窓を割ってしまいました。
そのときのことです。
死ぬことは、まったくこわくないということを知りました。
実に、穏やかで、安らいだ世界です。
「ああ、これで死ねる」とさえ、思いました。
でね、私はこう発見したのです。
脳には、そのときのために、すでにそのようなプログラムがすでにインプットされている、とです。
前脳と後脳の中間部あたりに、そういう部分があるそうです。
このことは逆に、最近、わかってきたのですが、あの新生児(赤ん坊)にも、そういう脳の機能があるのだそうです。
あの新生児が、親の愛をひきつけようと、無意識の部分で、行動しているということがわかってきました。
驚きでしょ!
つまり人間の脳のもつ、多様性というか、生まれてから死ぬまで、それぞれの段階で、プログラムがちゃんとインプットされているというわけです。
だから死ぬのはこわいですが、死の瞬間は、みな、穏やかで、安らいだ気分になる。
それを発見しました。
……やがてすぐ、私も先生のあとを追いかけます。
さみしいというより、楽しみです。
だからいっしょに、残された有意義に過ごしましょう。
先生も、ジジ臭いことを言わないで。
何かとたいへんでしょうが、先生は、けっして独りではないし……。
また何かあれば、連絡してください。
パソコンの分野でしか力になれませんが、よろしく!!!!!
はやし浩司』
●160万人
話を戻す。
北朝鮮は、早晩、かならず崩壊する。
が、日本にとっての問題は、それから。
韓国主導になるか、中国主導になるかは別として、日本は改めて戦争責任を問われることになる。
すでに北朝鮮は、中国を介し、補償金を打診してきている。
その額、何と100兆円!
もちろんそれで問題が解決するわけではない。
日本のすぐ隣に、巨大な反日国家が誕生することになる。
陸軍だけで、計160万人。
それこそその気にさえなれば、日本は、ほんの数日で、占領されてしまう。
仮に占領されないにしても、それ以後、日本は、今以上にその圧力を感じることになる。
ビクビクしながら、生きることになる。
日本は、はたして、そのストレスに耐えることができるだろうか。
が、問題は、さらにつづく。
●日本が蒔いた種
元はと言えば、日本が蒔いた種。
それゆえに、最近の若い人たちは、こう言っている。
「ジジババの責任」と。
それが反世代闘争(=老人への反感)の原動力となっている。
今ではジジババ・ゴミ論がさらに進み、ジジババ害悪論まで、飛び出している。
つまりこの先、私たちジジババに対する風当たりが強くなることはあっても、和らぐことはない。
団塊の世代以上の人たちにとっては、たいへん住みにくい世界が、そこで待ち構えている。
……とまあ、そこまで考える必要はないかもしれない。
しかし北朝鮮の問題は、回り回って、やがてそのあたりまでやってくる。
経済が落ち目になったら、なおさら。
少なくとも、「お爺ちゃん、お婆ちゃん、ありがとうございました」「お爺ちゃん、お婆ちゃん、ゆっくりと休んでいてください」という時代には、ならない。
その覚悟だけは、今からしておいたほうがよい。
●迎撃ミサイル発射、反対!
以上のような理由から、私は迎撃ミサイル発射については、明確に反対する。
北朝鮮のミサイルに当たっても、はずれても、「発射した」という事実は、この先、大きな傷として、残る。
北朝鮮に、日本攻撃の口実を与えることになるかもしれない。
北朝鮮の立場で、それを考えてみると、よくわかる。
北朝鮮にとって、戦争という突破口をいちばん名分化しやすいのは、この日本である。
アメリカや韓国ではない。
この日本である。
ならば「日本にはアメリカがついている」と考えている人は多い。
しかしそれは日本という国が、民主党政権になったときに、すでに日米安保条約は、形骸化した。
欧米では、「反米主義の左翼政権誕生」と、大々的に報じられた。
事実、民主党政権が最初にしたことは、中国詣で。
アメリカ詣でではなく、中国詣で。
あの小沢一郎は、300人近い国会議員や随行者を連れ、イのいちばんに、中国詣でをしている。
さらに民主党政権は鳩山氏を東南アジアに送り、アメリカ抜きの「東アジア共同体構想」をぶちあげた(2009年9月)※。
欧州連合(EU)をモデルにしたものだが、これがいかにアメリカを怒らせたかは、想像するに難(かた)くない。
現在、極東アジア情勢は、完全に日本をはずしてことが進んでいる。
米韓主導。
結論から先に言えば、戦後、日本は、今、最大の危機的状況の中に置かれている。
……だからここは慎重に!、……ということで、迎撃ミサイルの発射には、慎重の上に慎重であるべき。
つまり反対!
迎撃の構えは見せても、迎撃してはいけない。
形はミサイルでも、中身はハリボテ。
そんなミサイルを本気で迎撃する必要はない。
その費用、1兆円以上!
が、それだけではない。
へたに迎撃すれば、中国を利するだけ。
中国はそれを見て、日本ならびにアメリカの迎撃システムや能力を知ることになる。
(注※……東アジア共同体構想、Yahooキーワードより)
『東アジア各国が政治、経済、安全保障などで連携し共存と繁栄を目指す構想。
民主党は衆院選マニフェスト(政権公約)でアジア外交強化の取り組みとして明記。
アジア諸国と信頼関係を築き通商や金融、エネルギー、環境、災害救援、感染症対策などの分野で協力体制を確立するとした。
参加国には、中韓両国や東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟国を想定。
米国、インド、オーストラリア、ニュージーランドなどの扱いが焦点となる』(以上、Yahooキーワード)と。
●茶番劇
最後に一言。
今回の北朝鮮によるミサイル発射実験も、結局はアメリカvs中国という、2大国家のはざまで起きる茶番劇に過ぎない。
アメリカにしてみれば、北朝鮮の核兵器、およびミサイルなど、痛くもかゆくもない。
(テロ集団に拡散することは恐れているが……。)
アメリカにしてみれば、中国こそが、最大の脅威。
一方、中国にしても、事情は同じ。
北朝鮮の核兵器、およびミサイルなど、痛くもかゆくもない。
中国にしてみれば、アメリカこそが、最大の脅威。
だからその水面下では、たがいに謀略につづく謀略を繰り返しているはず。
おぼっちゃま然としている日本には、それがわからない。
日本が立ち入るスキなど、どこにもない。
ただ心配なのは、今、日本はその存在感(?)を示そうと、焦っていること。
その(焦り)が、日本を暴走させる。
野田首相は、厳に、慎重であってほしい。
●TK先生より
メールを開くと、TK先生から、返事が届いていた。
『林様:ご親切なメール有難うございました。
大変に心を打たれるメールでした。
御元気そのもののように見えた貴君が、二度もお倒れになったと聞いて驚きました。
これからはお互い様歳をとる一方です。
くれぐれもご注意して下さい。
大切な人ですから。
私にとってお迎えが来るということは亡くなった「マミ」(=奥様)や、娘が待っていて久しぶりに会え、一緒になれる期待が感じられます。
なるようにしかならないこれからですが、お互いに頑張りましょう。
くれぐれもお大事に。
TKより』
(はやし浩司 教育 林 浩司 林浩司 Hiroshi Hayashi 幼児教育 教育評論 幼児教育評論 はやし浩司 北朝鮮問題 はやし浩司 2012-04-02)
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2012年5月4日金曜日
Pokemon Cult
【ポケモン・カルトbyはやし浩司】
1998年・三一書房版
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
ポケモン・カルト(1998年4月15日・刊行)
はやし浩司著、「ポケモン・カルト」を公開します。
つづきは、「http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/」→「無料・立ち読みコーナー」へ。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【ポケモン・カルト】(あなたの子どもが、あぶない!)
表紙

前書き+目次










(第1章)
















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Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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