2013年2月1日金曜日

老後を自由に生きるとはいうけれど・・・


【エイリアンの日本】

 

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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

かならず死ぬまでに、正体を突きとめてやる。

あいつらの正体を、突きとめてやる。

それが私の原動力になっている。

異星人め!

待っていろよ!

 

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 

○謎の直角

 

 今朝、つぎの4か所について調べた。

 

(1)  出雲大社

(2)  大仙陵(仁徳陵)

(3)  伊勢神宮

(4)  東大寺

 

 日本を代表する……というか、日本の4大拠点である。

この4大拠点以上に重要な拠点は、ほかにない。

 

で、これら4か所の本殿、本堂は、すべてクロス・ポイント中国に対し、直角に並んでいる。

すべて89~91度の範囲。

詳しくは、ビデオNo.179を見てほしい(末尾に添付)。

驚いたというか、東大寺を調べたときには、久しぶりに興奮した。

東大寺の屋根は、まっすぐと、クロス・ポイント中国を指し示していた。

心臓が大きく鼓動した。

 

 ついでに言うと、高野山(奥の院)と大宰府天満宮の本堂、本殿も、直角に並んでいる。

わかりやすく言えば、それぞれの参道に対し、90度の角度のところに、クロス・ポイント中国がある。

調べた、4つの拠点が、全部、クロス・ポイント東を指し示していた。

これは「偶然」という範囲を、はるかに超えている。

ありえない偶然ということになる。

 

○クロス・ポイント中国

 

 クロス・ポイント中国、つまり交差点は、私が発見した。

あちこちを調べているうちに、その点に直線が集中するのがわかった。

それでその点が、わかった。

私は、その点を、「クロス・ポイント中国」とした。

 

で、結果的に、その点は、(ギザから120度の線)と、(プレア・ビヒア→テオティワカンを結ぶ線)の、交点ということがわかった。

 

 もちろん簡単に見つかったわけではない。

ここにも書いたように、「あちこちを調べているうちに」、見つかった。

 

○基点

 

 もちろんこのクロス・ポイント中国は、日本だけのためにあるのではない。

中国、韓国にある拠点への、基点(基準点)にもなっている。

が、今のところ、中国や韓国については、あまり詳しく調べていない。

情報が足りない。

さらに韓国(+北朝鮮)については、ハングルか、ローマ字での表記のものばかり。

そのローマ字のものも少ない。

せめて英語で書かれた地図はないかと探したが、それもなかった。

もちろん漢字で表記された地図は、ない。

 

 先日も韓国の古墳を調べた。

が、場所を特定するだけで、2~3時間もかかってしまった。

あとは日本人旅行者の書いた旅行記。

それを手がかりに、場所を特定するしかなかった。

そのとき感じた閉塞感が、まだ残っている。

 

○日本語

 

 が、これはそのまま、日本についても言える。

日本人は、日本語を使う。

その日本語は、日本人にしか、わからない。

その不便さは、外国へ出てみると、よくわかる。

 

 もっとも今のところは経済力があるから、世界のあちこちで通用する。

が、それも風前の灯。

この先、経済力が弱くなれば、(外国の地位が相対的にあがれば)、日本語が消える可能性がある。

そうなる可能性は、きわめて高い。

そうなったとき、日本人は、日本語を、どう考えればよいのか。

自分たちの思想を、どのような形で、外国に向け発信すればよいのか。

 

○閉鎖性

 

 一連の『謎の点と線』を発表するようになって、今日で、ちょうど満6か月になる。

私にとっては、充実した6か月だった。

で、その6か月を振り返り、日本人がもつ独特の冷たさには、改めて考えさせられる。

権威主義的。

ものの考え方が、中央集権的。

 

中身を見ないで、肩書ばかり気にする。

YOUTUBEに寄せられるコメントにも、辛辣なものが多い。

「アホ」とか、「ホ~~」とか、など。

 

 読者だけではない。

出版社やマスコミ関係者も、同じ。

話も聞かない。

中見を見る前に、排斥してしまう。

 

 一方、外国からのものは、好意的なものが多い。

大学の研究室からの返事も、5~6通、届いている。

つまりこうしたちがいこそが、日本と欧米人の(ちがい)ということになる。

 

○大学の自由化

 

 だから今は、英語版のほうに力を入れている。

たいへん悲しいことだが、日本はすでに世界から相手にされていない。

アカデミックな世界では、とくにそうである。

 

たとえば今、世界の大学では、学生たちが自由に大学を渡り歩いている。

アメリカも、ヨーロッパもない。

結果的に、取得単位が一定数に達すれば、「大学卒」ということになる。

(どの大学で学位が認めるかは、重要だが……。)

つまり日本だけは、まったくのカヤの外。

日本国内だけが、閉鎖的。

排他的。

 

 今年は早稲田大学、来年は韓国のソウル大学……ということができない。

そういうことができることを、「大学の自由化」という。

 

○日本の教育

 

 日本の教育は、おかしい。

本当におかしい。

その第一が、「型わく・教育」。

子どもたちを、「型」に押し込めることばかりを考えている。

よい例が、国語教育。

いまだに、トメ・ハネ・ハライ、さらには書き順まである。

漢字などというものは、読めればそれでよい。

書くのは、パソコンで書けばよい。

 

 ……というのは書き過ぎ。

それはよくわかっている。

が、そのレベルから、もう一度日本の教育全体を、考えなおす必要がある。

 

○異星人

 

出雲大社大仙陵(仁徳陵)、伊勢神宮、東大寺、さらには、わかっているだけでも高野山(奥の院)、大宰府天満宮の建設には、明らかに異星人が介入している。

人間ではない。

もちろん日本人でもない。

そのことも、No.177を見てもらえば、わかる。

こうした芸当ができたのは、宇宙からこの地球+日本を見ることができた人。

つまり異星人。

スペース・トラベラー。

 

○神の試行錯誤

 

 その異星人、つまり私たち人間が、「神」と呼んでいる人たちも、結構、試行錯誤を繰り返している。

一時は人間を絶滅させようとした時期もある。

あるいは巨大な像や、建築物を造り、人間を屈服させようとした時期もある。

奇跡を見せ、自分たちの存在感を見せびらかした時期もある。

が、最終的には、イスラム教へと落ち着く。

 

 が、気になることがある。

その第一が、「異星人には感情がないのではないか」ということ。

機械的。

ものの考え方が、数学的。

無機質的。

 

 人間の感情も、いまではホルモン説が常識になっている。

ホルモンの作用により、喜怒哀楽の(情)が生まれる。

異星人の脳みそには、そのホルモンを分泌する部分がない。

(生き物)というよりは、(機械)に近い。

一連の『謎の点と線』を調べている間、そんな印象をもつようになった。

 

 つまり異星人に対して、過大な期待を寄せるのは、正しくない。

甘い幻想は禁物。

だから私は、ワイフには、いつもこう言っている。

「UFOを見ても、近づいてはだめだよ」と。

 

○選択権

 

 人間は、奴隷だった。

……ということは、もうまちがいのない事実と考えてよい。

いまだに人間は、異星人に受け入れられていない……というのが、何よりの証拠。

逆説的にかんがえてみれば、だれにもわかるはず。

 

共存するかどうかという選択権は、異星人側にある。

人間側ではない。

つまり現に今、私たち人間が共存していないということは、異星人は、私たち人間を受け入れていないということになる。

 

 わかりやすく言えば、相手にされていない。

相手にされるような、生物になっていない。

わかるかな?

 

 相手にしてもらえるような生物なら、とっくの昔に共存しているはず。

 

○警告

 

 が、このとは同時に、人間に対する警告ということにもなる。

どの程度の(差)があるかは、私にはわからない。

しかしその差が縮まったとき、異星人たちは、人間に対して攻撃的な行動を取る。

 

 ……という考え方は、かなりSF的だが、けっしてありえない話しではない。

山に住むサルを想像してみればよい。

山の奥で悪さをしている間は、人間も手を出さない。

しかし村までおりてきて、悪さをするようになったら、そうはいかない。

花火で追い払われる。

ばあいによっては、射殺される。

 

○人間

 

 人間は、きわめて感情的な動物である。

であるが故に、扱い方がむずかしい。

そのつど、感情に溺れる。

感情に支配される。

それだけではない。

 

 善人の子どもが、善人になるとは限らない。

悪人の子どもが、悪人になるとは限らない。

仮に善人だけを救済しても、つぎの代の人間となると、まったくわからない。

だからというわけでもないが、私が異星人なら、人間の救済はしない。

いわんや高度な科学技術や工学技術を、人間に分け与えるようなことはしない。

そんなことをすれば、自分たちの生存が危険にさらされることになる。

 

○南極

 

 が、そのつど異星人は、人間の生活に介入してきた。

そのことは私の、一連のビデオを見てもらえばわかる。

(……こういう書き方は、不親切だが……。)

実のところ、私も、こういう結果になるとは、夢にも思っていなかった。

最初は、遊び半分だった。

が、「あれっ!」「あれっ!」を繰り返しているうちに、本気になってしまった。

以後、ちょうど6か月。

作ったビデオは、180本以上。

 

 たとえばたった今も、「120度」について調べてみた。

当初、異星人たちは、南極を基点にした。

その南極から、クロス・ポイントEAST、クロス・ポイントWESTへ進んだ。

そこから120度の角で、それぞれのところに線を引いた。

その線上に、現在、私たちが遺跡と呼んでいる建造物をつぎつぎと作っていった。

 

 ほかに、モヘンジョダロ、ギザを含めると、南極からの線が4本になった。

言い換えると、当初、異星人たちは、南極を基点して、世界へと飛び立っていった。

 

○九州

 

 近く、九州へ行ってくる。

猪群山(大分県)と、トンカラリン(熊本県)を回ってくる。

自分の目で確かめたいことが、いくつかある。

その報告は、浜松へ帰ってきてから。

どうか、お楽しみに。

 

 なお九州へは、新幹線で行く。

飛行機で行くのと比べたら、かなり割高。

しかし私は、大の飛行機嫌い。

一度、羽田で飛行事故を経験してから、そうなってしまった。

飛行機の恐ろしさは、事故を経験した者でないと、わからない。

同じように、UFOのもつ威力は、UFOを見た者でないと、わからない。

それまでの人生観が、ひっくり返る。

 

 ……今の私には、あの夜、ワイフと見た、あのUFOが、原動力になっている。

それが私をして、ここまで動かしている。

 

○日本の謎

 

 私の書いていることについて、懐疑的な人も多いかと思う。

そういう人は、一度、つぎのビデオを見てほしい。

私が言うところの「日本の謎」の意味が、これでわかってもらえると思う。

 


 

○同窓会

 

 話題を変えよう。

 

 先日、同窓会に出たときのこと。

ひとりの友人が、帰り際、ふとこう漏らした。

「このところ、何もかもめんどうになったよ」と。

 

 それを聞いたとき、その言葉が、ジーンと胸の中で、こだました。

そう、私も、最近、そう思うようになった。

何もかも、めんどうになった。

いちばんわかりやすいのが、年賀状。

 

 今年は、正月1日に、出した。

正月1日に届いた人には、全員、返事を書いた。

が、そこまで。

それ以後は、めんどうになった。

書いたとか、書かなかったとか……。

そういう会話そのものが、めんどうだった。

 

○人づきあい

 

 今の私には、とにかく時間がない。

毎日、寝不足。

睡眠不足。

加えて、運動不足。

 

 やりたいこと、やるべきことが、ドカッとそこにある。

私に残された時間は、少ない。

ワイフも、ここ数年、急に老けてきた。

バーさん顔になってきた。

周囲では、1人、2人……と、同年齢の人が去っていく。

そんなとき、ふとこう思う。

「今さら、何が人づきあいだ」と。

 

○人づきあい

 

 一方、死ぬまで人づきあいと説く人もいる。

「友だちの数こそ、財産」と。

(口癖のようにそう言っていた友人は、4、5年前に亡くなったが……。)

そうかもしれない。

そうでないかもしれない。

が、私は私。

人は人。

その私は、人づきあいが、昔から苦手。

とくに冠婚葬祭。

いまだに、その意味が、よくわからない。

 

 ……というか、それもこのところ、めんどうになってきた。

今さら、交友関係を広めたいとは思っていない。

やるべきことはやった。

懸命に、やった。

その結果が、今。

この先、同じことを繰り返しても、何も変わらない。

 

○私は気にしない  

 

 たぶん、その友人も、懸命に生きてきたのだろう。

名古屋市内で、不動産業を営んでいる。

その結果として、「めんどうになった」。

今の私には、その気持ちが、ヨ~ク、わかる。

 

 言い換えると、この先、無駄なことで人生を浪費したくないということ。

時間が惜しいと思えば思うほど、そのほかのことが、めんどうになる。

私のことを悪人と思う人がいたら、勝手に、そう思えばよい。

私は気にしない。

反対に、私のことをすばらしいと思う人がいたら、勝手にそう思えばよい。

私は気にしない。

 

 ついでに、「あのはやし浩司は、もう死んだ」と思ってくれてもよい。

私は、気にしない。

 

○自由人

 

 一方、この3月で、天下り先も退職するという友人もいた。

「これでぼくも自由人です」と。

 

 しかしここで、待ったア!

 

 自由ほど、きびしいものは、ない。

自由人ほど、きびしいものは、ない。

あのサルトルでさえ、「自由刑」という言葉を使った。

自由に生きるということは、それほどまでにきびしい。

自由とは、もともとは、『自らに由(よ)る』という意味。

 

はっきり言おう。

サラリーマンのほうが、楽。

公務員のほうが、さらに楽。

問題は、そのあと。

自由になるには、結構。

問題は、そのあと、どう生きるか。

英語のことわざにも、こんなのがある。

 

Live and let live.』と。

 

 訳は、……むずかしい。

あえて訳すと、「生きろ。そして生きるべきように生きろ」と。

ただ「息(いき)をしている」状態では、「生きている」ことにはならない。

生きる目的をもって、生きる。

やるべきことをやりながら、生きる。

それが『Let live.』。

 

 老後といっても、15年もある。

孫の世話と庭いじりだけで、過ごすことはできない。

 

○その場しのぎ

 

 が、その場しのぎの老後を送っている人は多い。

その場、その場で、時間つぶしをする。

それが老後のあるべき姿と思っている人は多い。

人は人だから、これ以上のことは、何も言えない。

が、私は率直に、こう思う。

「もったいない」と。

 

 もし今の私が、丸々1日、自分の時間がもてたら、私は原稿を書きたい。

『謎の点と線』についても、調べたい。

 

……と、話が振り出しにもどったので、ここまで。

おやすみ。

明日も、がんばる。

 

(2013年02月01日、夜記)

 

 

Hiroshi Hayashi+++++++Feb.2013++++++はやし浩司(ひろし)

 

 

 

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